2014年10月22日水曜日

21,Oct.2014   Anti-Doping Work Shop 初日

表題は日本語で「アンチドーピング講習会」。

カンボジアで初めてのアンチドーピングの講習会である。主催はユネスコ、協力が東南アジアドーピング機構そして日本アンチドーピング機構などである。

アンチ・ドーピング講習会開催の目的は、競技成績を上げるための不法な薬物使用禁止を訴えるためである。アンチはantiと書いて「~の反対の」と言う意味である。アンチは、アンタイとも発音されることを、今回知った。

きょうから3日間、プノンペン市内のカンボジア工科大学の講堂にて開催される。なにしろ、昨夜、バレーボール連盟に別件で連絡を入れたら、私も出席してください、と急な出席要請であった。

いつものことながら、このような急な出席依頼は今に始まったわけではない。できれば、もう少し事前に連絡いただけないものか、と少し心の中で愚痴を言った。選手も出席するので、練習も3日間キャンセルである。練習できない分、宿舎で自主練習をやっておきなさいと言っても、若い彼らは市内に遊びに行って自主トレーニングなんか忘れるであろう・・・。
(大学構内は広い。体育館の1つぐらい建ててあってもよさそうだが、そんなものはない。バレーボールは、この国ではまだまだアウトドアスポーツなのだ)

さて、朝6時にアパートメントを出て、会場の大学に着いた。到着指定の時間は7:00であったが。参加者は、まだ少なかった。ほどなくして合宿中のバレーボールチームもマイクロバスで到着した。全員、お揃いのポロシャツを着ている。背中には"SAY NO TO DOPING"(ドーピングにノーと言おう)ーと印刷されている。
(この日、このような講習会では、初めて国家が流れたのを聞いた。但し斉唱はなかった)
 
(なぜか帽子を脱がない選手達。日本人講師の番になって、彼女が脱帽してくださいとお願いして、やっと選手達も帽子を脱いだ)

受け付けは8:00に始まり、8:30に開幕した。受け付けが8:00~であれば7:30にアパートメントを出ても十分間に合ったのに、と少し連盟から連絡された早すぎる時間設定を恨んだが、早く来たおかげで講師のお二人とお会いすることができた。
(講師が作ってきたテキストが良かった。こちらでは一般的に文字だけのテキストが多いのであるが、パワーポイントで使用した図解をテキストに入れてクメール語に翻訳されてあった。これは素晴らしい)

主任講師は東南アジア地域のアンチドーピング機構の事務局長でシンガポール人。もう一人の講師は日本アンチドーピング機構の山本真由美さん。

この講習会が急に今開催された訳は、先月のアジア大会で複数の選手がドーピング陽性と出て金メダルの剥奪などあったことが引き金である。東南アジア地域でもマレーシアとここカンボジアの選手も引っかかった。マレーシアのケースはスポーツ裁判に持ち込まれようとしている。カンボジアの場合はソフトテニスの女性選手が禁止されている物質の入っている食欲抑制剤を服用したと判別した。

私は、1998年の長野冬季オリンピック開催時にドーピングの知識を得ている。私が、通訳ボランティア(フランス語)で宿舎に泊まり込んでいた時に同部屋の人がドーピング検査技師であったので、その彼からドーピングに関していろいろ聞いていた。大会が始まると、彼が帰ってくる時間は深夜に渡った。それだけ検体の検査が大変であったのだ。

さて、講習会の方であるが、参加した指導者、連盟職員は初めて聞くことばかりで、どこまで理解しているかわからないが、罰則規定のところだけは盛んに質問が飛んだ。検査で陽性となれば、4年間大会には参加できない。つまり、選手生命もほぼ終わりということである。

1982年の男子バレー世界選手権大会はアルゼンチンで開催された。私は、この時、全日本男子チームに同行している。そして選手の1人が陽性と判定された。これが、国際大会で日本人が初めてドーピングに引っかかった最初の事例である。本人は帯同ドクターから風邪薬と言われて飲んだ漢方薬に禁止物質が含まれていたのだ。その後、結論は、選手には、お咎めがなく、ドクターに罰則が適用された。

この時から、日本バレーボール協会は、帯同ドクターは外科もしくは内科のドクターに限るとした。その後、国内でも日本体育協会が中心になりスポーツドクター制度が作られていった。アルゼンチン世界選手権の時代まで、日本は正規のドクターではなく、スタッフの知り合いの柔道整復師や接骨医、中には秘術に近い治療を施す方が帯同していた。

話が、昔に戻って行って、秘術の話題にまで広がってきたので、きょうはこのあたりで・・・。

0 件のコメント: