2014年10月26日日曜日

25,Oct.2014 孤立無援と思ったら・・・

アシスタントコーチが病気になっってダウンした。

地方にいるもう一人のアシスタントコーチは、バレーボール連盟から召集状が来ていないので、練習に来たくとも来れない。専務理事は、今月末からイタリアで始まるFIVB国際バレーボール連盟の総会に出席するための資料作成などの準備で多忙とかで連絡不通。通訳は、この3ヶ月練習に来たり来なかったり、最近は全く顔を見せない。彼とはほとんど電話で連絡している・・・これでは通訳者でなく翻訳者だ。まともに仕事をしているのは、クメール語しか話せない私の専用車の運転手だけだ。

従って、ここ2日間は、1人で、ナショナルチームのメンバー14名の指導をしている。飲料水の手配をするのも私の役目。ほとんど英語を理解できない選手達であるが、私の拙いクメール語や最後の手段はノートに絵を描いて説明して理解し合っている。

先週から練習場を移動しているが、ここは体育館というより三方だけに壁がある大きな倉庫である。その倉庫のような練習場の床(木製ではなくコンクリートに薄いゴムを張ったもの)を綺麗に拭くことから今日の練習を始めた。練習場は自分の家、自分の部屋と同じ、綺麗にしておこう、と説明した。履物(サンダル)も揃えて置くように指導した。いわゆる日本的な『3S』である。整理(Seiri)、整頓(Seiton)、清潔(Seiketu)。日本の工場管理の標語であるが、まずは、ここからである。
(体育館というより、倉庫を改造した大きな部屋である。これでも国内では2番目に大きい。この国では、バレーボールは、まだまだ外で行うのが普通のアウトドアスポーツなのだ)

選手達は、キャプテン候補の26歳のベテラン(日本では中堅の年代)を先頭に清掃に動き始めた。 私も、身近に落ちている選手達が飲み干して壁際に捨てられたままになっているペットボトルを拾い始めた。それを見ていた他の選手達も私の真似をして拾い始めた。

孤立無援かと思っていたら、私には大きな体で素直な選手達がすぐ側にいた。

宿舎は、国内パスポート発行所の施設内にある小さな施設で、タコ部屋のようなところだ。食事もアスリートに配慮した内容ではない。交通費も、まだ連盟から出ていない。それでも、選手達はいまのところ、私に付いて来てくれている。

選手達の職業の70%は、警察官見習いである。カンボジアの警官の平均月収は$150、日本円で1万5千円。あまりに低い収入である。これに、ナショナルチームメンバーであれば、毎月約8千円の手当が就く。それでも低い。

チームが強くなれば、スポンサー獲得もできる。手当も上げられる。そしてバレーボール連盟も専従者を雇える。事務もスムーズに執り行われる。

今の私にとっての「スポーツの価値」は、成熟した日本のスポーツ観とは違う。この国では、「勝つこと」そして、それを手段にしてバレー選手の「生活を豊かにすること」が私にとっての「スポーツの価値」である。  

0 件のコメント: