新聞のスポーツ欄の片隅に私が6年前に修了した大学院名と工藤公康さんのお名前が小見出しで出ていた。
工藤さんが現役を引退して、彼のTV解説などを聞いていて、彼の分析的、論理的なものの言い方が他の引退した解説者の言い方とちょっと違うな、と感じていた。彼のような人物であれば、大学に進んでコーチ学を極めたら面白いのに、とその時は思っていた。そうしたら、来春から2年間、スポーツ医学の視点でコーチ学を研究するという。彼は、昼間部の人間総合科学部に合格した。私は、6年前に社会人対象の夜間部の同じ学部を修了した。大雑把に言わせてもらうと、彼は私の後輩になる。彼のような大投手を後輩に持つのは嬉しいことだが、実は夜間部には、彼に劣らぬそうそうたる面々がいた。オリンピック出場者、元日本チャンピオン、現役トップチームの指導者、協会・連盟の上層部役員、ドーピングに携わっている現役の医者もいた。
2年前には、彼と同じポジションの引退選手が私学大学院のスポーツ経営コースを修了し、評論家として最近のメディアにもよく出ている。そこの大学院の修了年限は1年間ということであったが、果たして1年で修士としての資質を身につけられるのか、私は疑問であった。私の経験では、社会人が修士論文を書き上げるということは、4年制大学の卒業論文の比ではなく、とてもレベルが高いものだ。元々浅学の私なぞは、他の人より6ヶ月多く学習期間、そしてその分の授業料が必要であった。
修論を書きあげることは容易なことではなかった。途中でギブアップして休学や留年する同期も少なからずいた。データを収集・分析して根拠を示し、論理的に論文を組み立て、独自性を示す。1年目に小論を指導教官に提出した時には、徹底的に注意された。「渡邉さん、論文は会社のレポートとは違いますよ。これじゃあダメです。論文には論文の書き方、ルールがあります。内容は勿論大事ですが、形式も内容に劣らず大事なんです」。私より年少の准教授の指導教官は、厳しくも年長の私に配慮しながら指導してくれた。
工藤さんも、私と同じ社会人からの大学院入学。50歳過ぎてからの学生生活は、苦労も多いと思うが、得るものも多い。頑張って欲しい。工藤さんにとっては、私のような者でも先輩にあたる。先輩も頑張らなくてはいけない。
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