午前中に船橋市内のママさんバレーチームを指導し、自宅に戻りスーツに着替えて品川区に向かった。バレーボールの恩師の1人である豊田先生(日本体育大学研究員、東京大学助手・講師・助教授、千葉大学教授、退官後に千葉大学名誉教授)の叙勲パーティが品川駅近くにあるWaterLineという洒落た船上レストランで催され、私も出席した。
豊田博(とよだひろし)先生(79歳)は、私にとってバレーボールの最初の師である。私がスポーツメーカーのミズノに勤務して2年目の1980年、先生が当社を訪問され全国でも初めてという全国レベルで展開する「バレーボール教室」を提案された。先生は当時、日本バレーボール協会の指導普及委員会副委員長であった。
そして、教室は翌年、当社がスポンサーでスタートした。月に8会場、つまり毎週土曜日と日曜日に全国のどこかで教室は開催された。私は事務局と補助コーチを兼ねて随行した。講師は日本協会指導普及委員会のそうそうたる実績を持っている委員が、実技モデルは東洋の魔女と日立のオリンピック選手が務めるという豪華な講師陣であった。私が指導の素晴らしさ、面白さ、喜びに目覚めたのは、この時であった。
先生は日本のバレーボール界で最も沢山著書を書かれている。その数60冊。論文も英語版を入れると53本。選手としての全国大会優勝は3回。指導者としては、アドヴァイザーも含めると優勝15回、準優勝7回。素晴らしい実績である。今回の受章は、先生の学術研究に対してである。推薦母体は先生が最終教鞭をとられた千葉大学である。
会場に入ると、お祝いに駆け付けた約150人の関係者が会場のイス席に座りきれないほど集まっていた。平均年齢68歳ぐらいか、顔見知りの諸先輩が多く、会が始まるまでにご挨拶するだけで20分ほどかかった。九州からは大分の甲斐先生、北信越からは中山先生、東北の青森からは春藤先生も駆けつけて見えられた。日本協会からは羽牟会長、下山国内事業本部長、荒木田強化事業本部長代行他多数見えていた。来賓の2番手で挨拶に立った以前の私の上司のミズノ相談役(前副社長)上治さんはじめスポーツ産業界からも多数見えていた。
お話の出来なかった方で心残りの方は田村さんである。元三洋電気女子バレーボール部コーチ・監督、東北パイオニア女子バレー部初代監督の田村さんはこのブログの愛読者でもあり、田村さんとお話しできなかったのが心残りであった。
山梨中央銀行の元監督の小池さんとももう少し時間をかけて9人制バレーの現状のお話を聞きたかった。北島三郎のカラオケ競演の私のライバルでもある。
先生のご家族とは10年ぶりぐらいの再会であった。奥様はご壮健のようすで素敵な笑顔は健在であった。お子様たちの内、長女と次女のお二人が出席されていた。長女の方は、東京大学女子バレーボール部の選手、次女の方は、京都大学女子バレーボール部マネージャーであったことを思い出した。先生の家族で不思議なのは、ほとんど不在がちの先生のご家庭なのに、なぜお子様たちは2人が東大、1人が京大を優秀な成績で卒業されたのか、ということ。
昨年、次女の方に電話でそのことを聞いたことがある。答えは「豊田家は父がほとんど不在であったのが良かったのではないでしょうか」。なんと、お子様たちの学力向上の秘訣は、実は奥様であった、ということが分かった次第である。奥様にそのことを確認すると、笑顔で眼が細くなるほど微笑んで「いえいえ、そうじゃないのよ渡邉さん・・・主人がバレーで不在だからあの家庭はダメなのよと言われないように普通にしつけただけですよ」とやんわりとお応えが返ってきた。
私も不在がちなところは、先生に負けないが、二人の娘たちは普通の私学を普通の成績で卒業した。家内は子ども達をきちんとしつけていたが、やはり、私のDNAと先生のDNAの違いなのであろう。
閉会後に青森県バレーボール会長の春藤先生と二人で品川駅前の赤提灯で軽く焼酎のお湯割りを頂きながら談笑した。先生のお孫さんが今春、弘前工業高校に進学するかもしれないという。そうなれば、あと3年、孫の成長を支援して、せめて全国ベスト4以上でプレーさせてやりたい、と言う。
弘前工業高校は春藤先生が監督で東北で初めてチームスポーツで3冠を獲得した。バスケットボールの能代工業高校の加藤先生の3冠はその後である。雪深い東北での快挙であった。現在の同校の監督は息子さん(東海大学OB)である。そこにお孫さんが入学すれば、3代でのバレーボール・・・何と表現すればよいのか・・・バレーボール一家と言えばよいのか、春藤家の面白い歴史が創られていく。
明日は春高バレー準決勝戦だ。明日は、帝京八王子高校男子バレー部の元監督である石山先生と会場でお会いすることになっている。8年ぶりだ。
2 件のコメント:
渡辺さん
先日は、お忙しいところ駆けつけていただき、ありがとうございました。父は本当に幸せ者です。
次女の方です。姉がこのブログを見つけて連絡してくれました。
すっかりお礼を申し上げるのが遅くなりましたが、
大学時代のとき、部員のシューズなどをお願いし、細かくて面倒な注文だったかと思いますが、すぐに対応していただき本当にありがとうございました。注文の様子を聞いた母に、渡辺さんに面倒をかけないように自分の責任で対応しなさい、と注意され、マネージャーではなく選手だったのですが、窓口として対応させていただきました。本当に助かりました。
私も、父の講習会などに小学生のときからお供がてら参加し、今もママさんバレーを続けています。また、どこかでお会いできるかもしれません。今後ともよろしくお願いします。
次女の方へ
コメントありがとうございました。
私の夢は、我々の後に続いてくれる指導者への支援です。そのためには、日本のバレーボールの歴史を正しく知っていただくこと。我々の先輩達が築いてこられたバレーボールの歴史を伝えていくことです。
そして、現在行っているのですが、アジアのバレーボールへの支援です。できることをできるところまでしかできませんが、やってみます。
渡邉孝
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