2011年7月10日日曜日

7/7(木) 東京オリンピック女子チーム12番目の選手とは?

 1964年(昭和39年)の東京オリンピックのメンバーの名前をこのブログお読みの皆さん、全員のお名前を当てるのは難しいでしょうね。河西さんはキャプテンですから言えますね。では、12番目にギリギリに入った選手を知っていますか?実は藤本佑子(ゆうこ)さんなんです。現姓は内田さんといいます。
 そのユウさんと本日、新宿から小田急線で各停2つ目の駅の参宮橋で下車して歩いて10分のところにある日本青少年センター体育館でお会いしたのです。実に15年振りでした。正に、生きている東洋の魔女、いえいえ、本当の魔女になっていました(失礼!)。
 本日、青少年センターに行ったのは、あの千代田区のセレブのママ達のチームが内田裕子さんらしき人が主催するママさん交流大会に参加するというので伺った次第だったのです。そうしたら、内田さんが本当にいました。いやあ、懐かしかったですね。
 実は、30年前に私の勤務する会社が東洋の魔女や日立のOG選手を講師補助にして全国的にバレーボール教室を展開し始めたのです。日立からは、江上由美、森田喜美枝、石田京子などが講師補助で手伝ってくれました。私のネットワークが形成され始めた時期です。講師の中村四郎先生、渡辺康行先生、鈴木紋吉先生、杤掘申二先生、豊田博先生、森田淳悟先生や彼女達と知り合えたことは、私の財産です。
 内田佑子さんも補助講師の一人で、日本全国あちこち私もアテンドと補助講師の仕事でご一緒させていただきました。当日はユウさん関係のチームが18チーム集まりママさんバレー交流大会を楽しんでいたのです。聞けば、年2回開催していて、既に8年ほど続いているとのこと。
 それで、セレブの千代田クラブさんですが、やはりこのチーム勝負にガツガツしていません。本当の勝負は、夕方からの懇親会とばかりお色直しをして再登場して普通のママさん達とは違う魅力を振りまいていました。私もその毒気に当たったのか、千代田クラブさんだけの二次会まで突入して60歳以上の先輩OGに講義まで頂き、無事自宅まで辿り着いたのでした。
 内田さんに再会できたこともうれしかったが、他にも八王子実践高校でセッターをやっていた子とか、私が高校チームのコーチを初めてやった市立船橋高校の1期生の子とか20年振りに再会できたのも嬉しかった。高城さんのお嬢さん(40歳を過ぎたかな?)からも声をかけらられたのも驚いた。高城さんは旧姓増尾光枝さんといって、1962年のモスクワ世界選手権大会の優勝チームのエースアタッカーであった。そのお嬢さんが大阪の四天王寺高校に進学し、お母さんの後に続きユニチカに入社していきなりエースアタッカーとして活躍。その2年後に腰の故障で引退して東京のお母さんのもとに帰ってきた。名前を高城薫(かおる)という。目の前に現れた薫は、相変わらず逞しい体格(176cm)をしていた。
 なんか、東洋の魔女の内田佑子さんが魔法を使ったのか、懐かしい選手達に会わせてくれた。70歳過ぎても、まだまだ元気なユウさん、10月の交流大会にも来ることを約束してお別れした。

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