本日は、休養日のはずであった。昨夜、昔の教え子から連絡があった。今回の実業団大会に宮崎県から「田中外科」というチームで出場している。本日、予選グループで勝ち残ったので、明日、応援に来てください、という内容の電話であった。名前を思い出しながら、本棚のファイルをめくってみた。平成9年に埼玉栄高校に入学してきた里美という子である。
身長は162cm、ジャンプ力だけはあるが、これと言って特徴のない、口数が少ない子であった。何故に九州の宮崎県から、当時埼玉県高校女子バレーで、まだベスト8が最高の成績の埼玉栄高校に入学してきたのか、その理由は聞いたことがなかった。平成8年から、埼玉栄高校でそこの監督から請われて外部コーチを週2回やっていた。里美達、新一年生が入学してきたあたりから、チームも強くなっていき、関東大会予選では、県大会では、創部以来初めてベスト4に入れるようになってきた。
当時の埼玉県は、男女とも全国的にレベルが高かった。栄高校にも、他県の1位チームが練習試合にやってきたが、2セット連続して取られるということはなかった。その時の栄の攻撃は、強打は少なく、相手の裏をかく、どちらかというとフェイク(誤魔化し)的なバレーであった。例えば、バックの選手が囮でクイックに入るときもある。サーブ・レシーブのフォーメーションが巧妙で、誰がフォワードか副審も間違うようなフォーメーションを形成していた。強打のフォームからフルスイングでのチップスパイク。体の向きと全く逆の方向へのハーフ・スパイク。守備では、わざとブロックを空けて、今でいえばリベロに相当する1年生ながら上手なレシーバーにスパイクを打たせる。サーブは、全員違うフォームと位置から個性的なサーブを打たせた。
思い出話はそのくらいで、会場の一つの羽村市に電車で2時間かけて出かけて行った。チームは東京都代表の日野自動車に惜敗した。その後、宿舎のホテルに帰る電車の中で30歳になった里美と色々なことを話した。「じゃあ、元気で。台風が近づいているから気をつけて」そんな言葉をかけて立川駅構内の中で別れた。手土産を持っていったのだが、手渡すのを忘れてしまった。宮崎から16歳で関東の埼玉県にやってきた理由も聞き忘れてしまった。
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