2011年7月10日日曜日

7/9(土) 古希を祝う会




 古希とは、数え年で70歳のこと。またそのお祝いのことをいう。中国の唐時代の詩人である杜甫(とほ)の詩の中に出てくる一節から転用されている。当時の環境では70歳を迎えるということは稀(まれ)であった。この後の年代の言い方である喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿、百賀とかはその後の近世の時代にできた言葉である。
 この日、その古希を迎えられた方がいる。9人制女子バレーの世界では重鎮である石川島播磨重工業(IHI)女子バレー部監督を25歳から55歳まで30年間務めていたのが石野浩康さんその人である。平成元年から6年ごろまで私も体育館に良く出入りさせていただいた。そして、Bチームに入りながら9人制バレーを教えていただいた。そのことが、6人制バレーやママさんバレーの指導に随分と役に立っている。
 9人制バレーから6人制バレーに応用できるものとして、ブロックワンタッチしてチャンスボールになった場合、もしくは相手チームからチャンスボールがくる場合、6人制ではほとんど必ずと言ってよいほどセッターに返す。しかし、9人制ではブロックはワンタッチとして数えるルールなので、すぐさまトスにする。例えば、このようなときに6人制に応用する場合、セッターに返さずサイドのアタッカーにトスを上げるのである。もし打てないようなトスであったり、ブロッカーが2枚付いていれば、センター(ミドル)にセミクイックトスを上げれば一般的にノーブロックとなる。早さには2通りある。直線的にスピードが早いトスと方向を変える速さがある。我々日本人が目指すのは後者の方向を変える速さではないか、と考えている。ミュンヘンを制したのは一つには移動時間差であった。セッターの手から離れるトスボールの速さだけでなく、セッター以外でもトスワークができる器用性・巧緻性ができ、リベロを使わなくとも全員スパイカーで複雑に絡んでいくのが日本のこれからのバレーの一つ、と私は考えている。それは、石野さんから学んだ9人制のスキルや戦術を生かしてできると確信している。温故知新である。
 さて、古希を祝う会であるが、JR田町駅の近くで催されたが、参加者は50名ほどで、ほとんど教え子のかつての選手たちであった。遠くは鹿児島県からも駆けつけていた。初代の選手の出身校は、中村高校、松蔭、日体桜花、その後に佼成学園が加わり、鹿児島城西など。昭和の終わりごろからは下北沢成徳、順心学園と全日本高校優勝校が続き、春日部共栄、細田学園と埼玉勢が加わってきた。
 石野さん、次は喜寿を祝う会ですね。今指導中の日体大9人制、文教大学6人制の活躍をお祈り申し上げます。


(画像は、昭和の終わりごろ入社の教え子達との記念写真。アラフォーの世代より下の年代である。子供も中・高校生。私も来年は還暦だ)

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