2011年7月4日月曜日

7/3(日) 休日は実家へ

 久しぶりの休日なので、カミさんの実家に行った。実家は船橋市の自宅から電車で2時間のところにある千葉県旭市にある。3.11で死者が10数名でて全・半壊の家屋も100近く出た。実家は内陸の方であったので、幸い被災はなかったが、関東圏で一番の被害が出ていることは、全国的にあまり知られていない。
 実家では、年老いた義母、義父が普段できないような力仕事をやってきた。大した力仕事ではないが、私にできることはそんなことぐらいだ。カミさんは、パートの仕事を済ませてから車で毎週、三日間、泊りがけで行っている。自分の親とはいえ、よく尽くしている。介護疲れをしなければよいがと心配している。
 私の親は母親が私が小学校に入学する前に既に眼の前から去っていた。離婚したのである。父は後妻を娶り弟が生まれた。その新しい母親は、私が小学校3年生の時に突然消えた。アパートの大家さんと駆け落ちしたのだ。幼い弟としばらくは夜遅くまで父が帰ってくるのを借家で待っていたことを思い出した。その幼い弟も数ヵ月後に母親に引き取られ東京に行ってしまった。父は、私が高校を卒業した年の4月に突然この世を去った。享年47歳であった。12年前に、私が47歳になったとき、自分の父親の亡くなった年齢に到達したとき、何か妙に変な気分であった。母親のその後の消息は知らない。亡くなれば、親族が知らせてくれるであろうから、まだ存命なのであろう。生きていれば、80歳前後なのであろう。
 何だか、昔のことを思い出してしまった。私も、いつ突然この世に「さようなら」するかも知れない。少しずつ昔話を残しておくことも悪いことではないであろう。誰が悪いのではない。人は哀しい生きものなのだ。

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