2011年9月11日日曜日

9/7(水) 高校の同窓会連絡

 私が卒業した高校は、山形県立酒田東高等学校。山形県では進学校の一つである。卒業生で著名な方は写真家の土門拳さん。私は、優秀な生徒ではなかった。中学校までの成績は学校で10番以内であったが、高校に進学すると、1学期から大学入試問題を解くような授業に嫌気がさしていた。
 特に数学と理科はまったく勉強をしなかった。数学では「0ゼロ」の意味を考えていたが、教師から、「そんなことは大学に入ってから考えなさい」と一喝され、中学校では、あんなに好きだった数学が急速に嫌いになっていった。英語の教員に対しては、あなたの発音は良くない、などと平気で言っているような生徒だったので、困った生徒だったのであろう。ましてや、その英語の教員が、3年時の私のクラス担当であったので、進学の相談なんて一言もしなかった。
 昨日、その卒業した高校の同窓会から昭和45年に卒業した7クラスの同期会の写真が送られてきた。男性達は半分頭が白くなっている。卒業した1/5の当時の高校生達が体型も見かけも変化して還暦を迎え、写真の中で集まっていた。
 私の高校時代は、バレーボール部の活動と早弁(午前中に弁当を食べてしまうこと)しか思い出はない。早弁は、中学相撲で横綱になったこともある小柄だが怪力の土井君からいつも失敬して食べていた。当時の私は父一人子一人の生活をしていて、父はまともな弁当を作ることはできなくて、私の昼食はほとんどパンか、たまに弁当があっても、おかずなどタクワンと卵焼きだけのシンプルなものであった。土井君の弁当は、おかずが多くて旨かった。私を相当哀れにおもったのであろうか、土井君は時々、自分の弁当を私に食べさせてくれた。母親の作ってくれる弁当はやはり違うな、子供心に土井君が羨ましかった。
 私の60歳代はこれから始まる。いままで、さんざん寄り道して遊んできたのだから、エネルギーはまだまだ残っている。これからが私の折り返し点だ。
 

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