2012年8月2日木曜日

Mon.July 30,2012 クロアチアからの客人

クロアチアという国を知っていますか?
クロアチアは東ヨーロッパのバルカン半島に位置する旧ユーゴスラビアから1991年に独立した小国。独立したのは、他にスロベニア、マケドニア、セルビアなどがある。1990年から2000年まで独立紛争が毎年のように起こったことはニュースでも知ってますよね。人口は440万人。私の住んでいる千葉県の人口が620万人だから、いかに小国であるか。
  スポーツはバスケットが強い。アメリカのNBAにもクロアチア選手がプロで大勢活躍している。バルセロナオリンピックでは、あのマイケルジョーダンのいたUSAチームに次いで男子バスケットは銀メダルを獲得した。テニスの男子も強い。何とかビッチという名前の選手が多いのであるが、ランキングでもトップ10に入っている選手がいる。

  バレーボールでは女子チームが1992年~2000年頃はワールドカップ4位、世界選手権大会6位、シドニーオリンピックで7位と活躍していた時代がある。思い浮かべられる選手の名前として、バーバラ・イエリッチが挙げられる。1994年、彼女が高校生のときに日本電装というVリーグのチームにコーチの父親と一緒に入団した。193cmの長身と豪快なスパイク、そしてルックスの良さで注目を集めた。日本電装は彼女の活躍で3位の成績を上げたこともある。1999年まで日本電装で活躍した。そして、2000年のシドニーオリンピック最終予選会が日本で開催された。最終試合でクロアチアと全日本が対戦することとなった。勝ったほうが、オリンピック出場権を得られるスリリングな試合となった。結果は、日本は敗れてオリンピックの道が初めて絶たれた。男子は2大会連続出場できないという日本バレー暗黒の時代に突入した。
  そんな日本バレー界と関係のあるクロアチアから先週に首都ザグレブにあるクラブチームの監督と1名の選手(19歳)が日本にバレー研修にやってきた。今夜は、新宿歌舞伎町で彼らと1杯飲みながら歓談することなった。監督の名前はエド、35歳。東京の昔の名前である江戸に引っ掛けて呼びやすい。実は彼はアナリスト(データ収集と分析マン)から監督になった変り種。いや、今後は大学の教師やスポーツドクター、臨床心理学士、トレーナーなどの専門家から監督になる時代になっていく。日本では今でもあるが、現役時代人気のある選手を指導者の学習もさせずに観客動員やマスメディア対策のためにコーチの経験もさせずに監督に就ける伝統というか風習がいまだにある。


  持参したパソコンでビデオとデータを出しながら説明する彼と話して(英語で2時間も)わかったことは、欧州だけでなく世界各国のアナリスト達は主なナショナルチームのデータをネットワークを形成して情報交換しているということ。イタリアが日本に勝つことができたのも多くのデータから分析した戦術の恩恵もあると言うことであった。
 次回の話し合いは、私がクロアチアに行くことを約束して別れた。

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