2014年2月28日金曜日

Thu.Feb.27,2014 取材を受けた

午後から、千代田区にある青年海外協力協会に向かった。

2年前に、私が執筆代表で書かせて頂いた『確実に上達する ソフトバレーボール』(実業之日本社)の紹介と私について取材の申し入れが6日前にあった。当初は、電話での取材ということであったが、そう遠いところでもないので、こちらから出向かせて頂いた。

取材を受けていると、30数年前の私の遠い記憶もあぶり出しのように蘇ってくる。私の20代なんて、今の20代の若者と比べても幼く、純粋であった。つまり、行動力はあるが、世間知らずの若者であった。日本青年海外協力隊に出会って、文化も宗教も政治体制も全く違う海外の国から日本を見ることができたことは、今の私のバックボーン(背骨)を形成することになった。チュニジアという国に派遣され、2年後に帰国して、私も人並みの20代になったような気がする。

きょうは、私が62年前に誕生した日である。山形、東京、熊本のバレー仲間からお祝いメールが届いた。私自身は、誕生日について自分なりの考えを持っている。30歳からの誕生日は皆さんからお祝して頂く日ではなく、私から皆さんに感謝する日であると思っている。

幼い時は「よくぞ、ここまで育ってくれた」と親たちはじめ多くの方たちにお祝いされる。大人になってからは「ここまで育成して頂いた方々、指導してくれた諸先輩、支えてくれた家族」に改めて感謝する記念日と心に留めている。

2月も明日で終わる。1年で一番短い月が終わろうとしている。

Wed.Feb.26,2014 名古屋で企画委員会

スポーツ団体の組織に限らないが、組織内には色々な部署があり、呼び名も色々ある。私が属しているスポーツ団体の1つに日本ソフトバレーボール連盟がある。その連盟には「企画委員会」というのがある。企画委員会のメンバーに入る8年前には、企画委員会とはどのような委員会なのか良くわからなかったが、委員なって分かった。つまり「常任理事会」にあたる組織なのだ。

本日は、その企画委員会のメンバー(会長以下委員会委員長レベルまでのメンバー)10名ほどが集まり、昨年度事業報告と次年度事業計画を審議した。

メンバーの大半は、東京と大阪に在住しているので、名古屋に集まるのは時間的にも経費的にも負担が少ない。さらに会場は、名古屋駅前にあるホテルの会議室なので、なおさら便が良い。

2014年2月27日木曜日

Tue.Feb.25,2014 浅田真央さん、あっぱれ!

真央さんがソチ冬季オリンピックから帰国して外国人記者クラブ協会で記者会見を行った。外国人記者の質問は、日本人記者の質問と違ってズバリ核心をつく質問が多い。それに対して、真央さんは日本人らしく思慮深い回答をした。

2020年東京五輪の大会組織委員会会長を務める森喜朗元首相が「大事なときに必ず転ぶ」と発言したことは試合後に聞いたという。「失敗したくて失敗したわけじゃない」ときっぱり言った後、「私は何とも思っていない。たぶん、森さんも発言を少し後悔しているのでは」と笑顔を見せ、記者たちの笑いを誘った。

最近、何かと政治家や公共放送のトップの公私の区別のつかない失言が多い中、真央さんが大人の発言のお手本を見せてくれた。先月のサッカー選手である本田さんのセリエAのチームへの入団記者会見もお見事であった。彼は、相当英語を学習しているのであろう。英語での質問に英語でそれも自分の言葉で切り返し良く答えていた。日本のトップアスリートもなかなかどうしてやるもんだ。

自分自身を客観的に見ている二人の活躍は、これからますます磨きがかかって行くに違いない。真央ちゃんも23歳での引退は早い。大学院に進学して学習を続け、社会人としてスポーツ界に貢献しながらでも、彼女であれば次のオリンピックに挑めると思う。

Mon.Feb.24,2014 ちょいとアルバイトを始めた

私が18歳で東京に出てきて、10以上の色々なアルバイトをやった。

スーパーの玄関先で、たこ焼きを焼いたこともある。その時は、たこ焼きを焼いている大学生の可愛いお姉さんと一緒に働きたくて応募した。20歳の時は、2か月間であったが、飯場に入った。飯場とは建設現場で働く人たちの共同住宅のことを言う。紅白歌合戦が毎年開催されるNEKホールも建設現場に入って鳶職のお兄さん達のお手伝いをやった。時には、目の前に100m上空から鉄柱が落下してきたこともある。

木場の寿司屋で出前をやったこともある。こんな風にキーボードを打っていると更に思い出してきた。渋谷の道玄坂にある大きなグランドキャバレーで働いたこともある。私は洗い場に応募したのであるが、ホールのボーイをやらされたこともあった。化粧のにおいのプンプンする席に行き、片膝を床に着いてご注文を伺う。

そして、本日、西船橋近くの運送会社の大きな配送センターに入り、世界的に有名なIT会社の商品を整理するアルバイトを7.5時間やってきた。なんか、昔のアルバイト学生時代を思い出しながら、黙々と働いた。

収入は僅かであるが、月に数回無心になってやるアルバイトがあっても良いなと感じた。今度は試験監督のアルバイトを探してみようかな?



2014年2月23日日曜日

Sat.Fwb.22,2014 お陰様で重版が出ます

今週初めに、出版社の編集者からメールが入った。2年前に編集した「確実に上達するソフトバレーボール」(実業之日本社)の重版を出すので修正するべきところがあれば、連絡ください、ということであった。

修正個所は、出版された直後に数か所、見つけていたので、翌日には編集者にすぐ連絡できた。それにしても、執筆代表者の私としては、内容には自信を持っていたが、重版が出ることになって、愛好者の求めているところと一致したという証明にもなったことが嬉しい。

特筆したいのは、共同著者の1人でもある元全日本女子監督の岩本先生の知名度と広報活動である。先生はソフトバレーに限らず、各種バレーの講習会や教室のときには数冊を携えて、まるで「富山の薬売り」の行商人のように宣伝し販売活動をおやりになっていたと他の方から聞いていた。

このソフトバレーが誕生して、真っ先にソフトバレーに関心を寄せたのが岩本先生であった。初心者は硬いボールを怖がる。突き指や顔に当たる恐怖心がある。それを解消させるのに柔らかいソフトバレーボールを用いてオーバーハンドレシーブをいとも簡単に指導法の一つとしてとして樹立させた。更には障がい者の授業にも取り入れた。過去の全日本監督の中で岩本先生だけがソフトバレーのパワーに気づいた。今では、その当時の先生の教え子のオリンピック選手達、例えば丸山由美さん、高橋有紀子さん、吉原知子さん、多治見麻子さん達が先生の影響でソフトバレーボール指導員(日本バレーボール協会公認リーダー資格)の資格を取り、交流大会にも出場しながら広くバレーボールの普及に努めている。

そのような岩本先生はじめ、多くの関係者が販売に奔走して頂いた。モデルを務めてくれた東京都墨田区のソフトバレークラブであるジールさんも地元の大手書店を通じ100冊近く購入されたようだ。聞くところによれば、販売された6月、その書店ではその月の売上No.1となったそうである。

山形県酒田市ソフトバレーボール連盟会長の佐藤さんは、交流大会時には必ず本部に数冊置き宣伝している。他にも大勢のソフトバレーボール愛好者の方々が宣伝して頂いたお蔭で今回の重版になったと認識している。さらに再重版になれば、望外の喜びである。そして、その先にあるのはDVD付の『もっと楽しめるソフトバレーボール』の出版・・・かな?
 

2014年2月22日土曜日

Fri.Feb.21,2014 小学生バレーボール予備軍のちびっ子たち

幼稚園ママさんバレーチームは、毎年メンバーの入れ替えがある。お子さんが幼稚園に入ったのを機会に幼稚園のバレーボールチームに入部する人、卒園と同時に退部する人。

退部する人達で新規に一般ママさんチームを創部しようという機運が昨年末ごろから出てきた。今夜は、そこのチームの今のところ月1回の練習日に参加した。

9名のママ達に低学年小学生や幼稚園児、やっと歩けるぐらいの乳児がついて来た。ついてきたというのは正確ではない。ママ達が連れてきた。子供の数は10名ぐらい。アップは、子供達を交えて「手つなぎ鬼さん」を行った。2人一組で細胞分裂して鬼たちが追いかける。この遊びは、結構、運動能力を高める。ストップ、ダッシュ、フェイントを巧みにかけながら、周囲を見渡す能力が鍛えられる。

ママ達は、その後、いつものようにサーブレシーブの練習を行い、チャンスボールの処理へとテンポ良く練習を進めて行く。後半には、必ずラリーゲームを行う。ネットを超えてやってくるボールをコントロールしてセッターに運ぶ。セッターからのボールをオーバーハンドで相手コートにパスアタックしてラリーを3往復以上を目標にして行う。スタートのボールはチャンスボールをコーチの私が優しく入れてあげる。

子供達は、球拾いや点数めくりを手伝ってくれる。これらの子供達の中からママの大好きなバレーボールを小学生になったらやるんだという子が出てくる。いや、既に1名、市内の男子バレーに入部した子がいる。

親の姿を見て、子供達は真似する。子供達に真似される魅力のあるママさんバレーの指導が私に求められている。

明日は、入部したその小学生のチームの県大会新人戦ベスト8からの試合が香取市で開催される。ちょっと覗きに行ってみよう。

2014年2月21日金曜日

Thu.Feb.20,2014 ソチでの期待と重圧

連日、メディアを賑わせているソチオリンピック。4年に1回のこの大会にコンディションを合わせてメダルを取りに行くアスリート達、そしてコーチやスタッフの心情に私は心を寄せている。

スポーツほど勝者と敗者が明確に論評されるものもない。それは、順位で評価されるからだ。メダル組とそれ以外の区分けは非情だ。

メダリストもそうでないアスリートも大事なのは、Tryし続けることだと思う。現役を終えてもその心がけは必要だ。勝利だけでなく敗北から我々は多くのことを学ぶ。敗北も成果なのだ。その敗北で得た糧を次の大会で生かすことができる。コーチとして次世代のアスリートを育成することができる。

トップアスリートほど練習で大会で沢山失敗を繰り返している。どのような時に失敗するかも予測できるほど感覚も研ぎ澄まされて行く。そして大事な大会で、自分をコントロールして戦いに臨む。

勝者は、努力の天才と私は思っている。天賦の才に更に常人ではマネ出来ない非凡な努力の継続がある。では、我々凡人はどうする? 凡人なりの努力の継続で良いのでは、と思っている。

さあ、今夜もTVの前で悲喜交々のドラマを見よう。



2014年2月20日木曜日

Tue.Feb.18,2014 きょうは、午前も夜も練習

午前中は、幼稚園ママさんチームの練習。ラリーを中心に練習を組み立てている。メンバーは9名。9名であるが、いつも同じメンバーとは限らない。全員が集まれば18名ほどいるのであるが、週1回の練習日に連続して参加できるのは数名ほど。

船橋市内には、大きな体育館が2つあるが、市内にある運動公園体育館が昨年の11月から今年の9月まで現在補修中でしようできない。もう一つの船橋アリーナという大きな体育館に申し込みが殺到して、同じ曜日にコートが取れる確約はない。最悪、2週間に1回という場合もある。

国はスポーツの活動を奨励する。しかし現実には、活動の場が少なすぎる。新たなチームを結成しても練習の場がなければ、自ずとスポーツから遠ざかっていく。ランニングは道路があればトレーニングができるが、チームスポーツ、それもインドアスポーツは体育館や体育室がないとトレーニングできない。

大きな体育館は市内に2つあれば十分。できれば中学校区に一つバスケットコート1面とれる体育室のあるのが理想だ。体育館は観客席がある建物で、体育室は観客席のない建物のことを言う。そうすればバレーも卓球もバドミントンなども共存できる。

私が土地持ちであれば、体育室を建てるという条件付きで市に土地を提供するのであるが・・・。

夜は2週間ぶりに我がソフトバレークラブでの練習。7セットもゲーム練習ができた。明日は筋肉痛だな・・・。

2014年2月19日水曜日

Mon.Feb.17,2014  イラン男子監督べラスコ氏、母国のアルゼンチンに戻る

イランを世界ベスト5まで引き上げた名将べラスコ氏が、母国のアルゼンチンに戻る。

2,000年に日本でアジアコーチセミナーが開催された。日本バレーボール界の主だった指導者が100名集まって講師であったべラスコ氏の話に聞き入った。

イタリア男子チームの監督として、オリンピックの金メダルだけ逃したが、それ以外のワールドカップ、世界選手権大会など主要な国際大会の金メダルを手に入れた。

こんどはアルゼンチンでどのようなチームを創るのであろうか?
また、名将を送り出したイランは、どうなるのか?
気にはなるところである。

詳細は、FIVBのHPをご覧ください。↓ 

Julio Velasco steps down as Iran men’s national team coach
 
Julio Velasco is widely credited for reviving the sport of volleyball in Iran

Tehran, Iran, February 10, 2014 - Julio Velasco will step down as coach of the Iran national volleyball team to lead the men’s team in his home country Argentina, as announced by the Iranian Volleyball Federation.
Velasco, who was appointed head coach of the Iran men's national team in 2011, will take up the top job in Argentina following a request from the country’s President Cristina Fernández de Kirchner.
“Velasco has improved Iranian volleyball over the past few years. We agreed with his request to keep our relationship good,” said the President of the Iran Volleyball Federation, Mohammad-Reza Davarzani. “He will continue his cooperation with us as our consultant and advisor.”
Under Velasco’s leadership the Iran team impressed in their World League debut last year. “We have shown we belong among the world’s best,” said Velasco referring to his team’s impressive record of five wins from 10 matches. Iran was one of the surprise packages of the 2013 World League defeating giants Italy, Cuba, Serbia, and Germany in the tournament and are currently No. 12 in the FIVB World Ranking.  
 
 

Sun.Feb.16,2014 千葉県小学生男子バレー二次予選会の観戦

会場の四街道までJR西船橋駅から千葉駅を経由して電車とバスで1時間半。千葉県小学生連盟参加の登録チーム数は、男子が約20チーム、女子が60チーム。男子は野球のリトルリーグ、少年サッカー、ミニバスの人気が高く、バレーはどこの県も少ない。
(コート3面は優に取れる体育館である。四街道市はピーナツで有名だが、野球場、陸上競技場もあり、こんなに立派な総合施設があったとは千葉県民の私も知らなかった。
きょうの男子の二次予選会には12チームが参加していた。ここから8チームが23日(日)香取市民体育館で開催される男女決勝戦大会に進出していく。

県連盟理事長の市川さんと一緒にゲームを観戦させて頂いた。新人戦ということもあり、まだチーム内の連携が上手く取れていない。7月の全国大会予選会になってくると、今の2倍も上手になっているのが小学生の特徴だ。指導者は、子供たちにバレーボールの面白さをもっともっと教えてあげて欲しい。


少し気になったのは、一部の主審、副審の服装。まだまだ寒い時期とはいえ、ロングコートを着用して審判活動をされていた。このような寒気の体育館であるから、致し方ないとはいえ、せめてもう少し統一された見た目もすっきりした防寒着があると思うが・・・。子供たちはユニフォームでプレーしている。公式試合なのだから、審判の服装にも、ある程度の配慮が必要と思うが・・・いかがなものか。

2014年2月17日月曜日

Sat.Feb.15,2014 私、 オリンピックに2回参加しました。

ソチでは、熱い熱戦が繰り広げられている。十代の若者たちの活躍は清々しくていい。明日はオリンピック7回出場、レジェンド葛西の大飛行が見られる。

実は、私、オリンピックに参加したんです。詳しくは、選手としての「出場」でなく、裏方で「参加」した経験があるということ。最初は、1980年の当時ソ連と呼ばれていたころの現在ロシアの首都モスクワで開催された夏季オリンピック。スポーツメーカーに入社した翌年に語学(フランス語)ができるという理由だけでモスクワに派遣された。

モスクワに向かう同じアエロフロート社の飛行機には陸上ハンマー投げの室伏さんの奥様でセラフィナさんが同乗しておりお話しさせていただいた。セラフィナさんは、ルーマニア人でやり投げの選手であった。

日本は、当時、アメリカの不参加表明に同調して他のアメリカ同盟国に倣って不参加であった。王宮クレムリンのある「赤の広場」に行ったとき、歴史を感じた。開会式会場で見たマスゲームは規模の大きいすばらしいものであった。マスコットの「熊のミーシャ」も可愛かった。

二回目の参加は、1998年の冬季長野オリンピック。社業の傍ら、会社の近くにあるフランス語専門学校に、当時、週1回通っていた。学校教務の張り紙に長野オリンピックで通訳員募集というのがあり、「スポーツ+語学」の道を探っていた私は、直ぐに応募した。最終的に、私は国際オリンピック委員会(IOC)メンバーのアテンド(接遇員)に採用され、配属はホワイトリンクのフィギュアスケート会場でした。フィギュアスケートは冬季オリンピックの華。

その時の女子のメダリストは、金がアメリカのタラ・リピンスキー、銀がミシェル・クワン、銅が中国の陳露。タラ・リピンスキーさん(31歳)は、当時15歳8カ月の女子シングル史上最年少金メダリストであった。タラさん、今回のソチでは米放送局の解説者としてソチ入りしている。

長野オリンピックから16年経ったソチオリンピック。長野でメダルを逃がした葛西さんがどう飛ぶか?長野では8歳だった浅田真央さんは、銀盤のタラさんのスケーティングを見てオリンピックを意識した。

2020年の東京オリンピックでも私は何らかの形で参加しているであろう。

2014年2月15日土曜日

Fri.Feb.14,2014 Hevy snow again ! ~ 雪国になった千葉県 ~

ちょっと古いが、シャンソン歌手のアダモは歌った。♪雪は降る・・・あなたは来ない♪ 舞ってくるような雪は風情があるが、車も、電車も飛行機も止めてしまうような社会インフラに重大な損害を与えるような大雪は遠慮したい。

(自宅3Fマンションから見た夕方の駐車場。左から2番目の愛車ノアも雪にすっぽりと覆われている)
先週末は大雪で苦労させられた。そうしたら、今週末も大雪の予報が出た。案の定、先週の雪がまだ残っている路地に、夕方から水気をたっぷりと含んだ重い雪が降ってきた。

アメリカの南部から北東部も同じ日に寒波が襲来し、死亡事故や停電が相次いだ。航空便の欠航便は2日間で約1万便に達した。小売店舗の閉鎖も相次ぎ、消費への影響も広がりそうだという。

天候は、ビジネスだ。天気を先んじて読み、対処することがビジネスを大きく左右する時代だ。それにしても、最近の天候の変動は異常としか言えない。地球は、どうなっているんだろうか?

Thu.Feb.13,2014 Article of the Japan Times about the men's Japan national team

先週、全日本男子バレーボールチームの監督交代の発表があった。昨年、日系三世アメリカ人のG.佐藤が日本バレーボール界初めて外国人としてナショナルチームの指揮官に就任した。そして、まだ1年経っていない期間での監督交代であった。

Feb 7, 2014           

Volleyball coach Sato speaks out after dismissal

by Kaz Nagatsuka
You are given a big project and asked for a long-term commitment. And then you are ousted based on your short-term showing? It just doesn’t sound right. But that was apparently what happened between the Japan Volleyball Association and Gary Sato. Late last month, ...
        
私の手元に、1通のメールが届いた。上のようなJapan timesの記事を読みましたか?という内容のメールであった。アメリカバレーボール協会に多くの友人を持つ日本の大学教員K氏からのメールであった。彼の意見は書かれていない。アメリカバレーボール協会もこの記事は注目しているよ、という意思表示なのであろう。

G.佐藤さんに関しても、新監督の南部さんに関しても、私の意見は既にここのブログで述べた。ポイントは、指揮官もさることながら、指揮官を取り巻く強化組織の編成である。現代は、カリスマ指導者の時代ではない。強化組織の総合力の時代である。

ロンドンオリンピックで銅メダル獲得の全日本女子チームのコーチシステムが一つの方向性を示してくれた。真鍋監督は、自分個人だけの力の限界を悟り、廻りを管理栄養士、フィジカルコーチ、アナリストチーム、ポジション別スペシャリストのコーチ陣で固めた。そしてそのスペシャリスト達を監督は勝利というベクトル(方向性)で大きな矢に束ねた。

今後は、アナリスト(ゲーム分析)活動がより重要になると思う。更には、ゲーム分析だけでなく、大局的な「最新の世界バレーボールの状況」の把握が必要であろう。日本のバレーボール界が世界に見られている以上に、日本は世界を見ていなければならない。

スポーツマネジメントの要素は、「人・もの・金、そして情報・価値」である。


2/7のジャパンタイムズの記事は下のURLから読むことができる。
http://www.japantimes.co.jp/sports/2014/02/07/more-sports/volleyball-coach-sato-speaks-out-after-dismissal/#.Uv7DJppWFjp

2014年2月14日金曜日

Wed.Feb.12,2014 ラオスから電話が・・・

Hello, everyone!

昨夜、ラオスからスカイプ(無料電話)で2回目の電話があった。電話の主は、私が20代前半の青二才の時に青年海外協力隊広尾訓練所でお世話になった当時職員のS氏。

現在、私は協力隊バレーボール隊員OB・OG会を設立するために動き出しているが、その過程の中で、早速成果が出始めたというべきか。S氏はOBではないが各国で駐在員を務め多大な国際貢献を果たしてきた。帰国してからは訓練所所長も務め、現在は首都ビエンチャンにあるラオス国立大学工学部にて日本語を教えている。

無料電話とはいえ、時差が2時間(日本のほうが時間が早い)ということもあるが、2時間もよくお話しした。S氏が東京外国語大学出身ということも今夜初めて分かった。ラオスの宗教は仏教。仏教の中でも、仏教本来の古い形の仏の教えを忠実に受け継いでいる「小乗仏教」。日本、韓国、中国は「大乗仏教」である。小乗仏教の国は、他に隣国のタイ、ミャンマー、カンボジアやスリランカがある。公用語はラオス語。そんなことも話の中でわかってきた。 

話の中で、ラオスでバレーボール指導を希望されるのであれば、日本にあるラオス大使館にいるS氏のラオス人知人を訪ねて行きなさいとアドバイスを受けた。

もし、私がラオスでバレーボールの指導をするのであれば「小乗仏教」の心で指導することを心がける。日本で指導する場合は「サムライ」「大和魂」「撫子(なでしこ)」「ママさんパワー」のキーワードでを選手を鼓舞する。「郷に入りては、郷に従え」である。

日本人のバレーボール理論は世界のトップクラスである。しかし、その理論をそのまま海外の国に当てはめるには無理がある。理論は良くとも、消化してもらうためには、料理で言えば、その国の味付けが必要である。日本は世界の中で独特な国であるということ自覚する必要がある。

ラオスか・・・。

私が、ラオスに行って、一番喜ぶのはママさんバレーボール愛好者の方たちでしょうね。特に60歳以上のベテラン達は、私をツアーコンダクター代わりに引っ張りまわすでしょうね。



メコン川って聞いたことがありますか?メコン川はチベット高原に源流を発し、中国の雲南省を通り、ミャンマーそしてラオス、カンボジア、ベトナムを通り南シナ海に抜ける全長4,350kmの国際河川。「メコン川船下り」なんて企画で60歳以上のママさんお嬢さんが押し寄せる光景が目に浮かぶ・・・。

どうしよう・・・。

2014年2月12日水曜日

Tue.Feb.11,2014 第8回花キューピットCupソフトバレー交流大会へ

13年前、東京都ソフトバレーボール連盟を再立ち上げするために私は事務局として奔走していた。東京都バレーボール協会傘下の小学生連盟、地域連盟、クラブ連盟、家庭婦人連盟に協力を仰ぎ執行役員を派遣して頂き、新東京都ソフトバレーボール連盟がスタートできた。

その4年後に「花の宅配便」として知られていた花キューピット東京(加盟店で組織されている)さんを紹介いただき、東京都ソフトバレーボール連盟のスポンサーとしてご支援いただくようになった。

今年で第8回を迎えた。会場は町田市総合体育館。暖房も入っている。参加45チームが祝日のきょう13コートを使用してソフトバレーボールを楽しんだ。
(さすがお花屋さん。景品は・・・・万もする蘭ときた)

参加チームの中には、元オリンピック選手や全日本選手もいた。関東一円でグループ病院を率いている理事長の奥様もプレーヤーで参加されている。聴覚障害を持っている方達もチームを組んで参加した。さすが多彩な人材の宝庫、東京だ。東京都ソフトバレーボール連盟は、まだまだ発展できる。
(左からロスオリンピック銅メダリストで主将の丸山(旧姓江上)由美さん。中央が元全日本女子監督の岩本洋先生の奥様である伸子さん。実は、この二人、東京の松陰高校で岩本先生の教え子である。レディースの部に出場し、成績はなんとか優勝。チームの足を引っ張ったのは、今回初めて出場したオリンピック4回出場の多治見麻子さん、だったとか・・・)

Mon.Feb.10,2014 I'm going through trying times.

毎日、英語の学習を続けている。一昨年は英会話学校にも通った。昨年からは、アメリカンスクールに通うアメリカン中学生達にバレーボールの指導を時折しながら現場のコーチングで使う英語を学習した。昨年8月からはNHKラジオ語学番組を毎日3つのプログラムを聞き続けている。「ラジオ英会話」「英会話タイムトライアル」「入門ビジネス英語」の初級と中級レベル。


フランス語は、頭が勝手にフランス語で考えてフランス語が出てくる。2年間現場で使ってきた言葉は今でも忘れない。ブラッシュアップするために帰国してからアテネフランセで再度基本から学びなおしたのも良かった。フランス語検定2級に合格したのも自信になった。

英語は、フランス語と比べて、今一つのレベルにある。中級の中レベルかな?まだ日本語で考えてしまう。現場で使う経験が少ない。

最近、友人からバレーボールをやりたいアメリカ人男性の相談に乗ってほしいと頼まれている。その彼とお喋りしながら日常会話に慣れて英語で考える習慣をつけたいと思っている。

また、最近はスカイプでフィリピンなど英語が公用語の国の大学生などとお話ししながら英語学習を格安料金で行えるビジネスも出てきた。会話は、インプットだけではだめでアウトプット、つまりあいての話を聞いているだけではだめで、自分からも話すこと、双方向で会話が成り立つ。スカイプ学習もやってみようと思っている。

おっと、表題の英文は、2月10日のNHK「ラジオ会話」に出ていた英文で、今の私の心境にぴったりなので取り上げた次第。

go throughは「(ある局面を)体験する」という意味。trying timesは「試練の時、つらい時期」のこと。
全体で「今は、私の試練の時なんです」という意味。

2014年2月10日月曜日

Sun.Feb.9,2014  関東ソフトバレーボール交流大会開会式に間に合った

朝、古河駅に移動。7時半の時点で、上野行きの上りは不通、宇都宮方面の下りは3時間遅れ。動いているが、途中で止まっているという情報も聞こえた。

さあ、どうする?何でもやらなければいけない総監督兼キャプテンの私は、古河市のお隣の結城市に住むソフトバレー先輩の顔を思い出した。茨城県ソフトバレーボールと言えば、茨城県を代表する顔である望月さんである。大きな目を見開き、ソフトバレーボールを熱く語る望月さんに、とにかく連絡してみた。

現状を話したら、8人乗りの新車を購入したばかりだから我々7名を載せて会場まで運ぶよ、と当たり前のように自然に仰ってくれた。結城市から古河駅まで40分、古河駅から栃木県宇都宮市清原体育館まで1時間半、望月さんは運転中いつものように目を大きく見開き、ニコニコしながら運転してくれた。

ソフトバレー仲間に感謝!


十数年ぶりの大雪、1/3のチームが棄権、組合せ変更・・・そのようなバタバタした中でも大会は進行されていった。我々が出場した60歳以上の部のチーム数は3チーム棄権で5チームの完全リーグ戦になった。結果は2勝2敗。3ゲームがフルセットで男性陣2名の我がチームは11セットフル活動。

午後の試合は3試合、休憩わずかの連続試合。男性陣2人は両足が筋痙攣を起こし、動きが鈍くなってきた。私は13年前に左足のアキレス腱を断裂している。あの時は地域の招待試合で男性は私一人でもプレーできるというルールであった。セット数は既に12セット消化していた。あと2点ですべてのゲームが終了、優勝という時であった。サーブレシーブ時に後方から足首をゴーンと蹴られた感触があったので、後ろにいる女性を振り返った。どうしたの?という怪訝な顔をしていた。私はすぐに悟った。これがアキレス腱を切るということだ!

そんな過去の記憶が蘇り、もう一人の男性にもブロックはジャンプしないで立ったままブロックしよう、無理はよそうと提案し、第3試合はそれで乗り切った。試合はフルセットで辛勝。休みなく始まった次の最終試合では、もう限界であった。その試合はストレートで敗退した。試合後、怪我なくプレーできたことに感謝しあって、チームは満足感で一杯であった。

思い出に残る関東大会となった。大雪という状況の中でも集まった仲間のチームに敬意を表したい。あるチームは当日の朝5時に家を出て間引きでも動いている新幹線に乗り宇都宮に着き、バスに乗り換えた。そのバスのチェーンが外れ立ち往生したが、大会本部が車を出してくれて開会式に間に合ったという。そういった仲間たちと旧友を温め、関東バレーボール連盟の役員の皆さんとも日本のバレーの状況などもお聞きすることができた。日本バレーボール協会の評議員が今回2名見えていたので昼食時間に情報交換ができた。
(体育館脇のバス停で記念写真。帰りは一緒になった千葉県ソフトバレーボール連盟の会長と理事長も一緒になってパチリ)
帰りの電車の運行はスムーズであった。会場からバスで宇都宮駅へ、そこから上野を経由して雪はほとんどない東京駅へ着いた。電車ってこんなに早く動くんだ、改めて新鮮に感じた。東京駅内のレストラン街で皆で夕食を採り、船橋駅に戻った。1泊2日の旅と試合であったが4日間ぐらいの疲労を感じた。

みんな、お疲れ様でした・・・。愚痴も我儘も文句も言わず総監督を助けてくれた我がチームを誇りに思います。  

2014年2月8日土曜日

Sat.Feb.8,2014 関東は16年ぶりの大雪だ!

午後2時過ぎに船橋駅から電車に乗って埼玉県を越え、栃木県宇都宮市に向かっている。明日、5年ぶりのソフトバレーの関東大会出場のために移動している。会場はJR宇都宮駅から車で15分のところにある。
(15:00、JR船橋駅にチーム7名が集合した。細雪が振り続けている)

船橋駅を出たのは良いが、乗り継いで北関東方向に移動するに従い、電車は降雪のため間引き運転とノロノロ運転になってきた。とうとう、茨城県古河駅で電車は止まってしまった。ホテルは宇都宮駅前。その宇都宮駅まであと45分という手前で、我々のチーム7名は電車内に閉じ込められた。
(JR錦糸町から東武線に乗り換え、埼玉県久喜駅に2時間遅れで着いた。接続の東北線の電車が待てど暮らせど来ない。ここで1時間待ち。ホームで震えながらひたすら待つ)

今夜中に宇都宮駅に着くのか?時計を見ると9時。船橋駅を出て6時間。お腹も空いてきた・・・。女性連中はお喋りと煎餅ポリポリ食べて気を紛らわせている。今夜は、車中泊?

ここから何でもやらされる総監督の私の仕事が始まった。まず、宇都宮の予約しているホテルに連絡。今夜はそちらに着きそうもない。ついては、そちらのチェーンホテルを古河市周辺で歩いて行けるところで紹介して欲しい、とお願いした。当日キャンセルは了承して頂いたが、チェーンホテルはないということで、私が自力で探すこととなった。携帯を駆使して古河市近くのホテル情報を探して電話をかけまくった。5件目で歩いて10分のところのビジネスホテルに空き室が見つかり、そこに転がり込んだ。

男性陣、女性陣、2部屋に相部屋で泊まることになった。女性陣は風呂に入り、11時頃すぐに寝付いたようだ。男性陣は色々な思いが走馬灯のように頭の中でぐるぐる回って、風呂にも入らず、まんじりともせず、うつらうつらしながら一夜を明かした。TVでは成田空港で3,800名ほどが空港で一夜を明かさざるを得ないと報道されていた。

明日の朝、電車が動いていることを願って眼を閉じた。

2014年2月7日金曜日

Fri.Feb.7,2014 全日本男子バレー新監督に南部さんが就任

男子日本代表監督にプレミアリーグのパナソニックを率いる南部正司監督(46)が就任する。外国人初の男子日本代表監督となった日系米国人のゲーリー・サトウ氏(59)は1年で退任する。

南部さんの今年の目標は仁川アジア大会(韓国、9/19-10/4)での優勝。積極的に若い選手を選出していきたい、と昨日の記者会見で語っていた。

G.佐藤さんが昨年就任するいきさつとか、佐藤さんの監督としての実力は、事前にある程度私の耳にも入ってきた。詳細を述べるのはここでは控えたい。外国人の登用自体には、私は日本バレーボール界のカンフル剤になると期待していた。

南部さんは冷静沈着、内面の激しさを穏やかな笑顔で包み、誰にでも温厚で優しい。彼の指導力は日本一6回達成の実績を見ればわかる。男子強化委員会のメンバーも変更されるであろう。強化委員会は彼が活動しやすい環境を作ってあげることで今年の目標の達成、そしてリオの出場権獲得も具体的に見えてくることであろう。
(南部さんと初めてお会いしたのは2年前。大阪で開催されたFIVB国際バレーボール連盟公認コーチコース(2週間)に受講者として参加されていた。私はオブザーバーで1週間参加させていただいた。Vリーグの指導者にはFIVB資格取得の義務はない。彼のように学習意欲のあるVリーグの指導者が増えてくると日本のバレーのレベルは確実に上がる。彼の意識には、この頃から日本一の更に先の世界を見据えていこうというものがあったのであろう)
南部さんの登用は、日本男子バレーボール界の最後の切り札であろう。これが、男子バレー最後のチャンスと私は考えている。南部さんも後はないと思っている。私は南部さんを支援していく。

Thu.Feb.6,2014 青年海外協力協会へ

青年海外協力会とは、HPから引用すると次のように説明されている。

「公益社団法人 青年海外協力協会は英文でJapan Overseas Cooperative Association、略称ではJOCA(ジョカ)。開発途上国の人々のために自分の持つ技術や経験を生かし活動してきた青年海外協力隊の帰国隊員を中心に組織されている、内閣府認定の公益社団法人です。
青年海外協力隊で培った精神とその経験を広く普及するため、OB・OG会をはじめとする多くの団体とのネットワークを活用し、地域に根ざした国際交流・国際協力の先駆者としてはもちろんのこと、国際社会における建設的な役割を果たせる、より有益な協力活動を展開していくことを目的としています。

1969年「日本青年海外協力隊OB会」が中核となり、外務省の認可を受けて、1983年12月27日に「社団法人 青年海外協力協会」が発足。そして2012年2月、公益社団法人に移行しました」。

・・・という説明です。社団法人組織になって30年経っているのですね。
(画像の左のモデルは昔の私のようですね。羽田からチュニジアに飛び立つ前は彼のように凛々しかったですね。
帰国した時は口髭をたくわえたおっさん風で成田空港に降り立ちました)

昨年、バレーボール隊員OB数名とバレーボール会場で出会った。感じたのは、皆個人レベルで活動しているということ。バレーボールに関する情報も部分的、地域的なものだけで、彼らが海外で活躍してきた貴重な経験が彼ら個人だけのものになっている感じがした。

もったいない。彼らをネットワークできたら、バレーボール分野はもちろん、他の分野にも彼らの経験を活かせるのでは。幸い、今の私は、会社勤務時代からバレーボール界と密接な関係を持っている。日本バレーボール協会、日本ソフトバレーボール連盟、千葉県バレーボール協会で、ボランティアであるが、役員を務めさせていただいている 定年後でもあるので今のところ時間もある。

12月には、さっそく全般的に事務関係をやっていただけるモロッコOBのOさんが名簿作りに動き出した。1月には、私がJOCAの新春交歓会に出席した。そこでJOCAで勤務しているやはりバレーボール隊員OBのYさんを紹介して頂き、きょうは彼の勤務先にお邪魔した。話は勤務時間内だけでは終わらずに夕食を採りながらの延長となった。

実は20年前にもバレーボール隊員のOB・OG会結成の話が出た。その時は準備不足で途中で頓挫した。今度は人材も揃いそうだ。追い風としては、2020年の東京オリンピック開催でスポーツ機運が高まってきていること。国のスポーツ関連予算も今年度から増額される。国内で海外でOB・OGが再度ブラッシュアップして活躍できる機会がやってきた。この時流に乗っていきたい。 

Wed.Feb.5,2014 墨田区のジールさん訪問

今週の天候はどうかしているほど気温の上げ下げが激しい。火曜日は首都圏に大雪であった。今週末も大雪らしい。

今夜は墨田区でソフトバレーボールの活動をしているジールさんにお邪魔して練習に加わった。JR錦糸町駅から歩いて15分で会場の区立錦糸中学校体育館に着く。途中ライトアップされたスカイツリーを眺めながら歩いたが、風が頬に当たって痛い。風というよりも細かな氷のかけらが頬に突き刺さってくる感じだ。
(錦糸町駅からも見えるスカイツリー。スカイツリーに向かって歩いても歩いてもスカイツリーには近づかない。高さ634mというのは凄いんだね・・・)
 
練習後は、行きつけの中華料理店にて7名ほどで反省会。都知事選、現代のベートーベンと言われた全聾の作曲家の詐欺事件、全日本男子バレー監督の解任、ソフトバレー審判技術など話題に上がった。

反省会も終え店を出たとき、風は相変わらず痛かった。

2014年2月4日火曜日

Tue.Feb.4,2014 立春に雪が舞い

昨日は1月とは思えぬ最高気温18度でポカポカとした陽気に包まれた。今日は一転して最高気温7度、最低気温は今の夕方で2度となり雪が舞ってきた。都心も雪化粧に包まれた。明日も冷え込むようだ。
(自宅マンション3Fから撮影。お隣の駐車場の車の屋根、アパートの屋根は雪で真っ白になっていた)

毎週火曜日の夜にソフトバレーボールの練習をやっているが、今夜は自重して全員に練習お休みの連絡を行った。普通タイヤの車では、凍った路面をまともに走れないであろう。

そんな時に、非通知で私の携帯が鳴った。訝(いぶか)しげに出てみた。バレー指導の依頼かも知れない。出てみると・・・相手はラオスからであった。ラオス、正式にはラオス人民民主共和国。東南アジアでは唯一海に面していない国である。北に中国、西にミャンマー、東にベトナム、南にカンボジアにそれぞれ囲まれている人口約630万人の国である。相手の言葉は、日本語であった。
(5か国に囲まれている国。考えようでは、5か国に移動しやすいということだ。5か国の美味しいものが食べれるということだ)

ラオスの首都ビエンチャンにある大学で学生に日本語を教えている坂巻さんの36年ぶりの肉声を聞いた。36年前、私がチュニジア共和国から帰国して、休学していた大学に復学しようかどうしようか迷っていた時、とりあえず青年海外協力隊の東京都広尾訓練所で国内ボランティアとして半年ほど働いた。その時、職員でいらしたのが坂巻さんであった。坂巻さんは、その後、世界各国に派遣された協力隊員の調整員や駐在員として活躍された。日本より海外での国々の生活のほうが長くなっているはずだ。

話の中で、ラオスはバレーボールが盛んではないが、スポーツが好きな国民、こちらに来るのであればラオスの外務省に掛け合うとも仰っていただいた。

昨年11月に日本の安倍総理がラオスに出向いた。総理は、人的・文化交流について、ラオスのサッカーU23代表監督を務める木村浩吉元横浜Fマリノス監督の活躍を紹介しつつ、特にスポーツ分野での交流が、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて強化されることを期待する旨述べた。これに対し、チュンマリー国家主席はスポーツ交流の強化に向けた日本との協力を期待する旨述べた。

何か・・・ラオスに行けとの示唆なのかわからないが、知っている日本人が近くにいるというのは心強い。しかし、海のない国だから好きな刺身が食べられない・・・。

坂巻さんは今72歳。3月末には、ラオスは正月を迎えるので、学校も休みになるということだ。そのときに日本に一時帰国で東京の自宅に戻ってくる。毎年、この時期に健康診断を受けるという。その時に、ゆっくり語り合いたい。

2014年2月3日月曜日

Mon.Feb.3,2014 ITの活用

ITの活用は、今の時代、あたり前のように社会生活の中に入り込んでいる。代表的なものは、携帯電話であろう。音声通信だけにとどまらず、スマートフォンはインターネットの機能も有している。ソフトも安くなっているだけでなく、無料のソフトも多い。

午前中に船橋のママさんバレーチームを指導して、午後は東京都に移動してITに詳しい方とお会いして最近のIT事情を伺った。 忙しい方なので、お話は1時間半で打ち切ってお別れした。専門のことはその道の専門家に聞くのが一番効率が良い。専門外の人間同士がいくら話合っても、先に進まない。

2014年2月1日土曜日

Sat.Fev.1,2014 我がソフトバレークラブの新年会

フルメンバーの半分ほどの17名が集まって遅い新年会が始まった。色んな新年会があるが、自分のクラブの気のおけない仲間達との新年会は最高に楽しい。普段、じっくりとお話しする機会の少ないメンバーと今夜はお互いの思いを伝えあった。

我がクラブには多彩なメンバーが揃っている。マスメディアTVスポーツ番組の元プロデューサー、市議会議員、印刷業経営、小学校教員・・・他のソフトバレーボールクラブも同じように多士多彩な才能を持つメンバーが揃っている。これが、他のバレーボール連盟にない我々ソフトバレーボール連盟の特色であり、強みでもある。

この強みを生かして、私はソフトバレーボール連盟を支援していただけるスポンサーを募ろうと考えている。ソフトバレーボール愛好者は大人達である。小・中・高・大学生と決定的に違うところは、大人達の財布の中身は学生達より多いということである。

子供達は欲しいものを買う。大人達は必要なものを購入する。必要とされるモノと必要としている人を結びつけることでお互いに満足な関係:Win-Winの関係を作る。スポンサーと愛好者をシステムとして結びつけるのがこれからの自立できる連盟組織と私は考えている。

2時間の宴会も済み、いつもは行くのであるが、今夜の2次会はグッと我慢して帰宅した。暴飲暴食は慎み、来週末の関東ソフトバレー大会に備えたい。

Fri.Jan.31,2014 ママさん新チームの発足

「新チームを創りたいのでお手伝いしていただけますか?」

妙齢の女性からそのように懇願されたら男として嫌とは言えない。渡邉さんは、何か弱みを握られているから断れなかったのでは?野次馬が何といおうと、妙齢かどうかは別にして、困っている人を見過ごせないのが私の性分である。

昨年秋、お引き受けした新チームの3回目の練習に今夜は出かけた。出かけた、というよりはお迎えの車が自宅近くまで差し向けられた。

メンバーは、まだ12名ほど。4月になったら船橋市ママさんの部に登録する。千葉県バレーボール協会指導普及委員長として、人口拡大の意味でも少しは貢献しなくてはいけない。

Thu.Jan.30,2014 千代田区のセレブママさんチームへ

東京都千代田区で活動している千代田ママさんクラブを訪問した。2年ぶりである。メンバーのほとんどが千代田区内に住んでいる。千代田区は東京の中心である。地価は日本一高い。皇居もすぐ近く。一軒家は見当たらない。皆さんビルを所有し、そこに住んでいる。乗っている車は外車。セレブママさんチームである。

JR神田駅から徒歩10分で、会場である千代田区総合体育館に着く。外観は体育館には見えない。隣接しているビル群に埋まって普通のビジネスビルに見える。体育館3階にバレーコート2面取れるフロアがある。顔を出すと丁度練習を始めるところであった。

きょうは、訪問者が多いようだ。モントリオール金メダリストで世界の大砲と呼ばれた白井貴子さん(60歳)、明治大学OBで2年前まで男子バレー部コーチを永く務めていた市村さん(68歳)が見えていた。ゲーム練習では、お二人ともコートに入って華麗な技を見せてくれた。市村さんのチェストパスは、現在のルールの基準でホールディングの反則として取ろうにも取れないほど見事な技であった。60歳以上のOGも数名、今日に限って見えていた。

練習後10名ぐらいで、昼食に行った。お店は三省堂本店が近くにある中華料理店。メンバーが経営している由緒ある中華料理店である。その後、数名でコーヒー店で近況のお話。チームのメンバーには現役の経営者も多く、話題は豊富だ。次はいつ来ようか?

Wed.Jan.29,2014 割烹着の研究者

理化学研究所の小保方(おぼかた)晴子さんらによる新たな「万能細胞」の発見は世界を驚かせた。博士号を取って3年という30歳のキュートな女性研究者だ。研究の動機は、子供のできない女性のため、ということを指導教官が言っていた。

研究室では、白衣の代わりに、祖母から譲り受けた白い割烹着を身に付けて動き回っている。壁には彼女の大好きなムーミンの絵が貼られている。TVドラマによく出てくるような研究者然としていないところが面白い。

成果が出ない時に「今日一日だけ、明日もう一日だけやってみよう」と5年間研究を続けてきた。「諦め掛けた時に助けてくれる先生達に恵まれた」ともご本人は言っていたが、助けてあげたいと相手に思わせる彼女自身の人柄もあるのであろう。

興味深いのは、小保方さんは最初から生命科学を選択したのでなく、大学では化学を学んでいて、大学院から生命科学の道を選んだことである。IPS細胞を作成したノーベル賞の山中伸弥京都大教授も最初は整形外科医を志していた。

異分野からの参入で生命科学の世界の常識に囚われていなかったことが、教科書の定説をくつがえす大発見につながったのかもしれない。

バレーボール指導の世界でも男子バレーの指導者が女子バレーの世界に入って成功例をあげている。ブラジル、アメリカのナショナルチームでもその流れがある。バレーボールという専門分野からだけでなく、多様な視点から指導論を研究していくことで、新技術、新戦術、より効果的な練習法が開発されることを、今回の新たな「万能細胞」である「STAP(スタップ)細胞」の発見から学ばさせていただいた。