午後から、千代田区にある青年海外協力協会に向かった。
2年前に、私が執筆代表で書かせて頂いた『確実に上達する ソフトバレーボール』(実業之日本社)の紹介と私について取材の申し入れが6日前にあった。当初は、電話での取材ということであったが、そう遠いところでもないので、こちらから出向かせて頂いた。
取材を受けていると、30数年前の私の遠い記憶もあぶり出しのように蘇ってくる。私の20代なんて、今の20代の若者と比べても幼く、純粋であった。つまり、行動力はあるが、世間知らずの若者であった。日本青年海外協力隊に出会って、文化も宗教も政治体制も全く違う海外の国から日本を見ることができたことは、今の私のバックボーン(背骨)を形成することになった。チュニジアという国に派遣され、2年後に帰国して、私も人並みの20代になったような気がする。
きょうは、私が62年前に誕生した日である。山形、東京、熊本のバレー仲間からお祝いメールが届いた。私自身は、誕生日について自分なりの考えを持っている。30歳からの誕生日は皆さんからお祝して頂く日ではなく、私から皆さんに感謝する日であると思っている。
幼い時は「よくぞ、ここまで育ってくれた」と親たちはじめ多くの方たちにお祝いされる。大人になってからは「ここまで育成して頂いた方々、指導してくれた諸先輩、支えてくれた家族」に改めて感謝する記念日と心に留めている。
2月も明日で終わる。1年で一番短い月が終わろうとしている。
More Sports Feb 7, 2014
You are given a big project and asked for a long-term commitment. And then you are ousted based on your short-term showing? It just doesn’t sound right. But that was apparently what happened between the Japan Volleyball Association and Gary Sato. Late last month, ...