2014年2月17日月曜日

Sat.Feb.15,2014 私、 オリンピックに2回参加しました。

ソチでは、熱い熱戦が繰り広げられている。十代の若者たちの活躍は清々しくていい。明日はオリンピック7回出場、レジェンド葛西の大飛行が見られる。

実は、私、オリンピックに参加したんです。詳しくは、選手としての「出場」でなく、裏方で「参加」した経験があるということ。最初は、1980年の当時ソ連と呼ばれていたころの現在ロシアの首都モスクワで開催された夏季オリンピック。スポーツメーカーに入社した翌年に語学(フランス語)ができるという理由だけでモスクワに派遣された。

モスクワに向かう同じアエロフロート社の飛行機には陸上ハンマー投げの室伏さんの奥様でセラフィナさんが同乗しておりお話しさせていただいた。セラフィナさんは、ルーマニア人でやり投げの選手であった。

日本は、当時、アメリカの不参加表明に同調して他のアメリカ同盟国に倣って不参加であった。王宮クレムリンのある「赤の広場」に行ったとき、歴史を感じた。開会式会場で見たマスゲームは規模の大きいすばらしいものであった。マスコットの「熊のミーシャ」も可愛かった。

二回目の参加は、1998年の冬季長野オリンピック。社業の傍ら、会社の近くにあるフランス語専門学校に、当時、週1回通っていた。学校教務の張り紙に長野オリンピックで通訳員募集というのがあり、「スポーツ+語学」の道を探っていた私は、直ぐに応募した。最終的に、私は国際オリンピック委員会(IOC)メンバーのアテンド(接遇員)に採用され、配属はホワイトリンクのフィギュアスケート会場でした。フィギュアスケートは冬季オリンピックの華。

その時の女子のメダリストは、金がアメリカのタラ・リピンスキー、銀がミシェル・クワン、銅が中国の陳露。タラ・リピンスキーさん(31歳)は、当時15歳8カ月の女子シングル史上最年少金メダリストであった。タラさん、今回のソチでは米放送局の解説者としてソチ入りしている。

長野オリンピックから16年経ったソチオリンピック。長野でメダルを逃がした葛西さんがどう飛ぶか?長野では8歳だった浅田真央さんは、銀盤のタラさんのスケーティングを見てオリンピックを意識した。

2020年の東京オリンピックでも私は何らかの形で参加しているであろう。

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