2015年3月30日月曜日

30,March 2015 風が出てきた

先週末に、この国で私に関わるバレーボール関係者にメールを送りました。

内容は、ナショナルチームについて話し合いの場を30日の午前中に持ちましょう、という当たり前の呼びかけです。そして、連盟の会長以外の要職にある関係者が集まりました。

わたしの集合要請に快く応じてくれた関係者に感謝の念を持って、話し合いを2時間ほど持ちました。日本語で言うと「強化委員会」です。

そして、ここのところの私の悩みであったナショナルチームのメンバーの入れ替えができました。選手の変更がある場合は、明日がカンボジアオリンピック委員会にその旨を文書で提出する最終日ですので、ぎりぎり間に合ったというところです。

この国に来て、私も11ヶ月目を迎えようとしています。この国の人達のモノの考え方も少しずつ解ってきましたので、今回の話し合いでは、私も少し駆け引きを行いました。駆け引きと言っても、相手を騙すようなことではなく、彼らの誇りを持ち上げました。

1968年メキシコオリンピックを控えていた日本のサッカーナショナルチームの特別コーチにドイツからクラマーさんが招聘されました。クラマーさんは、選手達に言いました。「ドイツ人にはゲルマン魂がある。そして、君たちにも大和魂がある」。日本人の国民性を理解して指導した結果、日本は銅メダルを獲得しました。

私は、まだこの国の「クメール魂」を見つけてはいませんが、彼らの誇りを揺り動かしたのは確かでした。そして、その結果は、思っていた以上の効果をもたらしました。

なんと、5月にはASEAN諸国で最強のタイランドで私が以前から要望を出している合宿を行うと約束してくれたのです。対戦チームは、タイナショナルチームと行い、そしてタイから直接、東南アジア大会が開催(6月5-16:36種目)されるシンガポールに移動する、と言うのです。恐らくカンボジアバレーボール界の歴史上初めての強化策と思います(実現すればの話ですが・・・)。

遠征費がまったく無い状態で、そのようなことができるのかどうか半信半疑ですが、とにかく強化委員長ともいうべき立場の人が言いきったのですから、半分ぐらいは信じて良いのかもしれません。

別れ際に、強化委員長から小声で耳打ちされました。「渡邉先生もスポンサーを継続して探してください。我々も、なんとか強化費を作りますから」。

連盟も、いよいよ本気になってきたようです。面白くなってきました。

29,March 2015 スポーツ経営の難しさ

一般的に経営とは利益を上げ、更に継続させなければなりません。
 
スポーツ団体の経営の根幹は、強いナショナルチームの存在が不可欠です。そうでなければ、メディアは取り上げません。メディアが取り上げなければ(広告業界の用語で「露出」しなければ)、ファン(サポーター)や国民の関心も低くなり、スポンサーはつかなくなります。結果、収入は、国からの助成金に大きく頼ることになります。
 
(公財)日本バレーボール協会は3月16日の理事会で、2014年度予算が7400万円の赤字となる見込みを報告しました。赤字は11年度から4年連続となり、11年2月の公益財団法人移行後、単年度では最大の赤字額となる見通しです。強化費にあてる国からの助成金や、ビーチバレーボールの収益などが当初の見込みを下回ったということです。
 
このような現状でも、私としてはナショナルチームの強化費を削減せずに進行して欲しいと願う次第です。
 
昨日、日本サッカー協会の評議員会が開かれ、2014年の決算を承認しました。収益が約188億7500万円、費用は約167億7100万円で、当初予算で約4億円と見込まれていた黒字が、約17億円増の21億397万5110円に跳ね上がりました。日本代表のW杯ブラジル大会での不振なども原因だということです。
 
つまり、黒字の大幅増には、W杯によるユニホーム売り上げアップや、昨年開催された日本代表の親善試合4試合による増益などの前向きな理由もあります。しかし、一方で、日本代表のW杯早期敗退、世代別代表のアジア予選敗退、JクラブのACL早期敗退などによって、成績に応じて支払われるはずのボーナスの支払いが不要になったという「日本サッカーの不振」にも起因しているのです。なんとも皮肉な結果であり、手放しでは喜べない黒字増です。
 
私が協会を経営する場合、特に財務には現場で長くバレーボールに携わった人を雇うことはしません。我々のようにバレーボールを愛しすぎる現場型人間は、義理人情に縛られ過ぎてしまうことがあります。
 
いずれにしろ、根っからのスポーツ好きには、スポーツ経営は、難しいようです。
 
 

2015年3月29日日曜日

28,March 2015  少し焦っています

6月上旬から始まるSEA Games(South East Asia Games: 東南アジア大会) に向けてナショナルチームの合宿を続けています。しかし、このままで本番を迎えても勝てる勝算は僅かです。

理由は、選手が揃っていないからです。

いつものことですが、この国では、連絡なしに突然何かが始まり、知らない間に何かが終了しているということがあまりに多すぎるのです。彼らがコミュニケーションが得意ではないということは私にも理解できています。

驚くべきことですが、この国の人達の携帯電話の所有率は、恐らく日本にほぼ近いと思います。中には、iPoneも同時に持っている人も結構います。しかし、よく観察すると使い方としては、ゲームに興じたりYou Tubeを観ている場合が多いです。まあ・・・このあたりは日本の若者と同じですね。

 インターネットに関しては、市内のほとんどの店にFree Wi-Hiが設置されています。日本では、Auとかdocomoとかにいったん登録して数回手続きを踏まなければ接続できません。その点、カンボジアではPass word(パスワード)を打ち込むだけで、簡単にインターネット機能を使用できます。

おっと、論点がずれました。

カンボジアでは、そのように通信環境は整っているにかかわらず、コミュニケーションがあまり得意ではないようだということを言いたいのです。コミュニケーションとは、「お互いに意思疎通を図る」ということです。

「意思疎通(いしそつう)」とは、互いに考えていることを伝え、理解を得ること、認識を共有すること、などの意味です。「疎(そ)」は、「さえぎる」という意味の他に「まばらな」という意味があります。
つまり障害物がまばらにあるので通りやすい、という意味です。

おっと、国語の時間のようになってきました。

つまり、コミュニケーションとは、自分のことを一方的に話すのではなく、相手のことを考えながら、相手に理解して頂くように話したり報告・連絡・相談したりすることなのです。そのコミュニケーションが、この国では希薄なのです。

本日も、週1回開催予定の打ち合わせの連絡が連盟から来ないので、私からバレーボール連盟の事務局に連絡をしました。電話では先方が不在で通じなかったので、練習現場には全く出てこない通訳をこのようなときに使い、事務局長に連絡するように依頼(命令)しました。更には事務局長の個人的なFace bookを通じて連絡もしました。

そして、偶然ですが、この国のVolleyball連盟の公式Facebookを見つけました。先月の事務局の話では、「我が連盟にもHP(ホームページ)やfacebookによる広報機能が欲しい。ただし、HPの管理費は高いのでFacebookを立ち上げたい」ということを聞いて、是非ともやって欲しい旨、私は答えました。実は、Facebookは昨年の夏以降に立ち上がっていたことが、過去の履歴を見ていてわかりました。立ちあがっていないというのは「嘘」だったのです。

https://www.facebook.com/pages/Volleyball-Federation-of-Cambodia/619525911458913?pnref=story

私は、今まで以上に、清濁併せ飲み、更には虚実ないまぜてやっていかねばなりません。

いずれにしろ、連盟のナンバー2と3に至急集まっていただき、ナショナルチームの練習に出てこないスタメン4人の選手達をどうするか協議しなければなりません。そうしないと6月の東南アジア大会への選手登録(変更)に間に合いません。選手達は、練習に出てきたいのだが、出てこれない訳があるのでしょう。そこを連盟役員は打開しなければなりません。

先月、日本のバスケットボール界では、アジアジュニア大会に全日本ジュニアナショナルチームが出場できなくなりました。日本バスケットボールは国際バスケットボール連盟(FIBA)から無期限の国際試合出場停止処分を受けています。処分の理由として、並列するトップリーグの統合の失敗とともに、協会のガバナンス(組織統治)の欠如も大きな要因になっていたからです。原因は、日本バスケットボール協会にあることは新聞報道されている通りです。選手達を支援する立場の協会役員が、選手達の活躍を阻害しているなんて本末転倒です。

カンボジアでは、そのようなことにならないように「最悪のことを想定して準備して、最善の結果を目指して本番に臨みたい」と思っています。全ては、この国の若者たちの未来のためです。

2015年3月27日金曜日

27,March 2015  2種類の人間がいる

この国に来て、以前よりも人間観察を微細にするようになりました。

人は現状に関して、大きく分類して2種類あるような気がします。一つは、今の現状が変わって欲しくない人。もう一つは、今の現状を変えたい人。

変わって欲しくない人には、それなりの理由があります。今のままの方がその人にとって都合が良ければ、変わって欲しくないと思うでしょう。

私は、今の現状を変えたい人です。世の中は、否が応でも変わって行きます。今の時代は、グローバルな世界になり、他から影響を受けない国はありません。そうであるなら、変えられるのをじっと待つのではなく、自分の方からも能動的に動いて望ましき方向に変えて行く行動を取りたいと思っています。

今夜、私は新たな活動を始めます。この活動が、私に微風でも追い風になると信じています。

たとえ、向かい風でも、帆の操り方で前への推進力になります。

2015年3月26日木曜日

26,March 2015 第3次合宿のスタート

今日から、チーム戦術に入りました。

1月から合宿に入っていると言っても、国民の祝日の多いカンボジア、更にはその祝日は練習もお休みに入ります。先月の中国の旧正月の休みにカンボジアも同調して休むに至っては、私も首を傾げました。

さて、チーム戦術をやろうにも、地方のクラブから4人が集合していません。そのうち2人はスタメンを考えているので、私も少々頭を痛めています。ナショナルチームよりも自チームの方を優先するチームの責任者の意識が変わるには、もう少し時間が必要なようです。

6月の東南アジア大会への最終エントリーの締め切りも間近に控えて、少し困っています。午後の気温は37度です。日本よりも20度ほど高いですね。私の頭脳もこの暑さにはかないません。2時間ほどで、今日の午後の練習は終了することにしました。

先週の一時帰国で、自宅にあるテーピング一式、足首などのサポーター類などを持参しました。実は、mizuno勤務時に4年間ほどサポーター類の企画開発と営業販促に関わりました。その時にテーピングの講習会などに出席し解剖学を学習したことがこの国でも役に立ちます。監督だけでなく、コーチ、トレーナーもやらなくてはいけないのが、発展途上国での指導者の仕事。

選手達が素直なのが、唯一の救いです。

2015年3月25日水曜日

24,March 2015 Airbus crashed in French Alps   

乗客、乗員合わせて150名を乗せたドイツ格安航空(LCC)ジャーマンウィングス旅客機がフランスのアルプスに墜落しました。全員が死亡したということです。修学旅行中の子供たち16名もその中に含まれています。

私は、そのころ、日本での一時帰国を終えて、成田空港からベトナムのホーチミン市空港で航空機を乗り換えて、プノンペンに離陸する頃でした。

定刻時間を30分過ぎても、飛行機はなかなか離陸しません。機内は、エアコンが故障したということで修理に時間を取られているところでした。ベトナム航空でも、こういうトラブルはあるんだなと思いました。

そして、何かいやな予感がしました。エアコンが故障するくらいだから、飛行中にエンジンが停止するかも知れない。最近、アジア地域で航空機事故は多い。ふと、1985年御巣鷹山に日航機が墜落し乗員500数名が一瞬にして亡くなった日を思い出しました。その日、私は全日本高校選抜男女バレーボールチームと一緒にハワイでの環太平洋選手権大会に出場するために羽田から離陸する寸前でした。

選手には女子の大林素子や男子の蔭山など、その後全日本シニアで活躍する選手が多数いました。大会では男女とも優勝という快挙を達成しました。

定刻になっても、なかなか離陸せずに機体検査を念入りにやっているようでした。その時点で御巣鷹山には墜落した情報がパイロットには入っていたのでしょうね。そして離陸。ハワイに到着してロビーで見た新聞のトップには墜落現場の写真が大きく載っていました。

ホーチミン市空港でも、何か変でした。プノンペンに着くまで、たかだか45分ほどでしたが、着陸するまで「これが最期かな・・・」という不安な気持ちでした。

一瞬にして、命を亡くされた乗客と乗員の方達、そしてご家族、関係者の方々に心より哀悼の意を表します。他人事とは思えません。

合掌 

23,March 2015 Singapore's Founding Father Lee Kuan Yew Dies at 91

シンガポール建国の父、りー・クアン・ユー元首相が91歳で今朝亡くなりました。

私は、アジアのみならず、世界の政治家のなかでも傑出したこの方をさほど深く存じ上げていませんでした。

知っているのは、資源のない小国にもかかわらず、シンガポールの国民一人あたり国内総生産(GDP)は、2014年時点で56,000㌦(約670万円)強に達するということです。日本は45,000㌦ほどです。また、世界大学ランキングではシンガポール国立大学が東大に並ぶほど教育に力を入れています。世界有数の富裕国です。

リー氏の残された言葉で印象に残っている言葉があります。

「発展には民主主義よりも規律が必要だ」

「日本はアジアにどのような価値を提供する国になるのですか」

この6月にはシンガポールにて東南アジア大会が開催され、私のチームも出場する。今からでも、リー氏のことを学習しておこう。

歴史が人をつくり、人が歴史を作る。

合掌



2015年3月23日月曜日

22,March 2015 カンボジアに戻りたい理由とは?

カンボジアに戻りたい理由が2つあります。

1つは、花粉症のない国だからです。今朝、フィリピンの英会話の先生とSkipeで1週間ぶりにお話ししていましたが、この花粉症という英語がすぐに出てきませんでした。花粉症は英語でHay feverと言います。日本ではこの時期が、花粉症の最盛期で桜が咲き終わったころに花粉も終息していきます。カンボジアには、この花粉症が全くないとは言いませんが、ほとんどありません。

2つ目は、温暖な気候で暮らしやすいからです。今の時期、カンボジアの気温は日本より約20度高いのです。東京の本日の最高気温は13度ですが、プノンペンでは35度の予想です。カンボジアでは冬物は不要です。毎日が半袖と短パンで過ごせます。

そのほかにも、カンボジアには地震、台風、洪水などの自然災害は皆無です。避寒地としては最高の場所と言えます。但し、4月、5月が1年で最も暑くなる時期です。しかし、外に出なければさほどでもありません。この時期のナショナルチームの練習は、従って、午前中のやや涼しい時間帯に3時間行います。午後は、ゲーム練習(戦術)で2時間行うのが限度です。

さて、昨日は日本バレーボール協会審判規則委員会主催で全国6人制審判講習会が港区三田にある慶応中等部体育館で開催されました。実技では、今年の改正点であるタッチ・ネットの反則について詳細に講義、実技、モデルチームを使って解説されました。

出席者が公認A級審判員中心に約400名いました。これだけの公認審判員を全国から集めて行う講習会は日本バレーボール協会の委員会活動の中では最高数だと思います。カンボジアに戻ったら、私もナショナルチームの選手と審判員達に新ルールを伝達します。日本でもそうですが、意外にトップチームの監督さんや選手はルールを熟知していません。我々は、ルールという規定の中でプレーするわけですから、ルールに精通する必要があります。トップチームの指導者であれば審判実技ができなくともルールを理解しておかねばなりません。特に、改正・修正点を重点的に理解する必要があります。

(モデルチームは東海大と国士舘大学の1年生中心に編成されたチームに協力して頂き3セット行われた)
 
そのためにも、トップチームの指導者は、国際審判員を自チームに招聘して、選手含めてルールの勉強会、そして合わせてドーピングの知識、更には青少年のモデルとしてのトップアスリートの在り方を学習するべきと思っています。バレーボールのプレーが上手なだけではトップアスリートとは言えません。

会場では、思いがけない人に出会いました。立正大学名誉教授で全国大学バレーボール連盟の審判長を20年間務められた原田智先生です。原田先生は、元日大鶴ヶ丘高校の教員で教え子にミュンヘン金メダリストの森田淳語先生(日体大教授、今年退官し、特任教授)やシチズンで活躍した本田さんがいます。東洋高校2代目監督の山口先生も教え子の1人でした。全員、原田先生の母校である日本体育大学に進学しました。

おっと、昔の話をすると、また長くなるので、今日はこの辺で失礼します。 

(原田先生は御年82歳。まだまだ矍鑠(かくしゃく:年老いても元気である)とされている。20年前に胃癌で大手術をされた時は、俺はもう長くないと弱気であった先生が、今は元気で大学連盟の審判講習会にも顔を出されているという。まだまだ先生からは日本のバレー界のお話を伺いたい)



2015年3月22日日曜日

21,March 2015  日本バレーボール協会審判規則委員会合同会議

年度末の3月は、スポーツ団体の理事会はじめ各委員会の会議が毎週末に開催されています。

私の今回の一時帰国も、それらの会議への出席が主要な目的です。今週末は、昨日の青年海外協力隊バレーボール隊員OG・OB会の第1回理事会に続き、本日は日本バレーボール協会指導普及委員会の指導部、登録部、そして私が属している規則部、更には地域ブロック長、各連盟の審判長の合同会議が開催されました。午後の前半が合同会議、後半には都道府県協会の審判長が加わり事業報告と計画が発表になりました。

出席者一番の関心事は、ルール改正です。今年度から「タッチネットの反則」が、数年ぶりに元に戻りました。昨年まではネット上端に触れた時だけがタッチネットの反則という判定基準でしたが、今年からは基本的にネットに触れたら反則というふうに以前のルールに戻りました。

詳細は、明日、慶応中学校で開催される6人制実技講習会で具体的に解説されます。私もしっかりと学習してカンボジアにてナショナルチームの選手と審判員達を集めて解説しなければならない。ルールを熟知せずして試合に臨むことがあってはならない。

2015年3月21日土曜日

20,March 2015 久しぶりの地下鉄は迷いながら

日本では地下鉄の乗り換えが大変です。

特に東京駅の近くの大手町では多くの路線が繋がっていて乗り換えに一苦労です。タイランドのバンコクにある国際空港での乗換も長~い動く歩道を使って移動しますが、東京の地下鉄の乗り換えも、それに劣らず分かりにくい。私が外国人であれば、一苦労すること間違いありません。

午前中に日本バレーボール界の重鎮である豊田博先生にお会いしました。80歳過ぎても先生はお元気で、新たに首都圏のソフトバレーボール連盟や日本に初めてできるバレーボール指導者の組織の運営に携わるとのことです。

昼に家内と銀座で落ち合い、彼女の買い物に付き合いました。銀座は観光客が多いですね。松屋デパートで銀座価格の蕎麦を頂きました。日本が世界に誇るデパ地下にも行きました。お弁当コーナーは何か美術館に入ったようで、お弁当が1つの作品のように輝いていました。

(銀座2丁目の松屋デパート前。この近くに今はない「銀巴里」があった。30代の私は時々シャンソンを聞きに通っていた)

その後、私はカンボジアでバレーボール指導をしているわけですが、東京駅の近くにある契約会社に移動しました。6月の東南アジア大会を控え、残り2ケ月におけるナショナルチームの強化策を責任者と一緒に協議しました。
(私が契約している企業は東京駅を出るとすぐに見えてくる。画像の奥のタワービル最上階の31階、そして30階が東京本社オフィスだ)

夕方からは、麹町にあるJOCA青年海外協力協会に行き、会議。会議後に出席者と一緒に近くで夕食を採りました。出席者の1人は、最近キューバに行ってきたとのことで、貴重なお話を伺うことができました。昨年亡くなった、20世紀を代表する世界バレーボール界の名将であったヘオルへ監督の墓参に行ってきたとのことでした。話は1990年代の世界バレーを席巻した当時のキューバ女子チームのヘオルへ監督の話や現在の全日本チームの話などに及び、やはりバレー談議は楽しいですね。

18,March 2015   チュニジアでテロが

まさか!

突然飛び込んできたニュースに驚きました。チュニジアでISらしきテロリストが博物館に乱入して観光客ら乱射して21名を射殺したということです。日本人3名も亡くなりました。チュニジアは私にとって第二の祖国のような国です。

私がJICA国際協力事業団青年海外協力隊バレーボール隊員でチュニジアに派遣されたのは、1976年から2年間です。その時の記憶は30数年たった今でも鮮やかに思い出せます。20歳代の異文化での体験は、強烈な体験でした。私の世界観を形成した時代でした。

チュニジアの国の収入は観光に大きく立脚しています。石油など天然資源のない国ですが、鮮やかなエメラルドグリーン色の地中海を望むビーチと温暖な気候、そしてローマ時代の遺跡などが主な観光資源です。

無差別な殺人に大きな憤りを感じます。このような殺人行為は絶対に許してはいけません。

突然、命を奪われた人々に心より哀悼の意を表します。

合掌

16,March 2015  実家にて

きょうから19日まで千葉県旭市の実家で骨休みをしよう。

・・・と思ったのは甘い考えでした。家内の指示に従って、納屋の整理、大型粗大ごみの市清掃場への運搬、樹木の害虫駆除のための農薬散布、洗濯などなど・・・。

何か・・・カンボジアから日本に片づけ、清掃のために帰国したような印象です。明日はどんな仕事が待っているやら。家内は手ぐすね引いて私の一時帰国を待っていたようです。

2015年3月16日月曜日

15,March 2015 ソフトバレーボール全国審判委員長会議と研修会の開催

江戸川区内の中学校施設をお借りして、3年ぶりに全国審判長会議と研修会を開催した。
(日本協会からは大阪体育大学の吉村先生を講師にお招きした)

(ルール解釈は、モデルを使って実際のプレーで説明したほうが良く理解ができる。
東京都ソフトバレーボール連盟の協力で有意義な会議・研修会になった)

運営は、昨日の理事会・評議員会で承認された審判規則委員会の新メンバーで執り行われた。私の任期は今月までであるが、新体制で早くスタートしたほうが良いと私は思っていたので、新体制にほぼ全部お任せした。

午後3時半で、全てを終了し、新小岩駅前の小さなcofe店に入り、簡単に反省会を行った。委員各位の発言する顔を見ていて、次世代のこの人たちに、この委員会をお任せして大丈夫という確信を得た。この2日間にて、今回の一時帰国の目的、その1/3は達成できた。

14,March 2015  きょうはスケジュールが一杯だ!

午前中に、東京都千駄ヶ谷にある日本青年館にて日本ソフトバレーボール連盟の理事会、午後には評議員会に出席した。
(8年間務めさせて頂いた審判規則委員長を交代した。副理事長としてはもう少し働けという要請があり、残ることになった)

懸案の全国大会の見直しが理事会で決定した。発展的解消でなくなる全国大会、ブロック大会に規模を縮小して継続される全国大会、新たに時代の要請で生まれる全国大会。全国大会の在り方は、現実と向き合って変えて行かなければならない。4年越しの課題が1つの方向性を得て決着した。
(最近のJVA指導普及委員会の講義の内容がグローバル化してきた。この背景には、近年FIVB各委員会に日本人が以前よりも多く入っているからだ。良いことだ)

評議員会を終えて、すぐさま明治学院大学にタクシーで移動した。ここで開催されている日本バレーボール協会主催の公認講師研修会に、途中からではあったが出席した。そして、多くの仲間と再会し情報交換ができた。
(夜の食事会で皆様の寄せ書きを頂いた。カンボジアでは相当苦労されているような印象を皆さん方は持っているようであるが、私の方はそれなりに楽しんでいるところもある。なにしろ、カンボジアの気候は温暖で、暮らしに最適だ。地震など自然災害は全くない。物価も安く、果物は豊富。練習のない休日は、保養地に来ているようで気持ちが落ち着く。百聞は一見に如かず、である。カンボジアへの観光ツアーを待っています)

夕方には、私を囲んでの食事会があった。当初は、6名ほどの参加者予定であったが、指定された店に行ってみると20数名のソフトバレーボール関係者が私を待っていた。会の始まりこそ、私を囲んでという雰囲気であったが、10分もすると、私をダシにしてそれぞれの談話に没頭していった。

ダシでもなんでも、私としては全国からこんなにたくさん集まって来ていただいただけでも感謝である。北海道から熊本まで、本当に仲間は、ありがたい。

2015年3月14日土曜日

13,March 2015 成田空港に到着したその日は

船橋市にある我が家に行き、まずはベランダ廻りの3S:整理・整頓・清掃を家内に命じられ、夕方の5時まで作業を続けました。

バレーの練習よりきつい作業でした。しかし、今回の一時帰国の費用は、家内に出してもらっているので、私は逆らえません。

夕方になり、千葉県小学生バレーボル連盟のトップの指導者達から呼び出しがあり、私の歓迎会をやっていただきました。皆さん男子バレーボールチームの監督さんたちで、2か月ぶりのバレー談議で日本の小学生バレー、中学生バレー、千葉県バレーボール協会新人事の動向など良くわかりました。

2015年3月12日木曜日

12,March 2015 一時帰国します 

プノンペンから日本の成田空港に行く経路は4つほどあるが、なるべく色々な経路を試したいので、今回は、ベトナムのHo Chi Minh City (ホーチミン市) 経由にしてみた。

待ち時間が長いほど、運賃は安くなる。安い運賃だと往復8万円からあるが、空港内で1泊するのを覚悟しなければならない。また、各種サービスも低下する

私の場合は、今夜の20:30のベトナム航空便で発って、ホーチミンに45分で到着。ここで乗り換え、3時間待ち合わせて、またベトナム航空を使い、明日の早朝07:45、成田空港に着く。

最近、航空機事故が多い。昨日は南米のアルゼンチンでフランス人たち、ロンドンオリンピックの金メダリスト達含めてトップアスリートやカメラマン10人がヘリコプター同士の衝突事故で亡くなった。

一寸先は闇。人生の終焉は、いつ来るか誰も知らない。それで、石橋は叩いて渡るように、格安運賃の航空会社の便を避けて、金額は2倍近くになるが、大手の航空会社を今回も選択した。

成田空港に着いたら、千葉県船橋市の自宅に戻り、翌日から2日間開催される日本ソフトバレーボール連盟の理事会・評議員会・審判規則委員長会議・研修会開催に備える。

翌週の金土日は、JICA青年海外協力隊、日本バレーボール協会審判規則合同委員会の各種会議がある。日本では、この時期、年度末で役員改選時期も迎え、各種会議が開催される。平日は、なるべく家族で過ごしたい。

10,March 2015 攻撃戦術への思案

第2次ナショナルチームの合宿練習(Camp)も、本日まで。

来週から1週間ほど、各地で3年前から始まった「Leo Cup」の地区予選会が始まるので、ナショナルチームのメンバーは、各母体のチームに帰っていく。

第2次合宿では、午前中は、個々の技術(Skill)の精度を上げる練習、午後は戦術を組み立てる練習を行ってきた。

まともな攻撃をしても、東南アジア上位3ヵ国のブロックを粉砕するのは容易ではない。上位チームと比べて身長が8cm~10cm低いカンボジアは、1回の攻撃で点数を取れるとは思っていない。

攻撃の起点(スタート)はサーブレシーブ(Reception)である。そして、そこから相手のブロッカ―を移動させて不安定な姿勢で空中にブロックジャンプさせることが必要である。つまり、相手のブロッカー陣に「カンチャン」(Gap)を作り、そこから素早く攻撃させることが小柄なチームの戦う術である。

基本の攻撃システムは、「X攻撃」である。日本語では「移動時間差攻撃」と言われている。スパイカーがお互いにXの字に移動して相手ブロッカーを攪乱する基本的な攻撃戦術である。日本の高校生のトップクラスでもこの攻撃戦術は、まだまだ通用する。

なぜか?

相手のチームのブロックシステムが、この攻撃戦術に対応できていないからである。なぜ対応できないか?ブロック練習に割く時間が少ないからである。日本のチームは、一般的にブロックなしのDig(スパイクレシーブ)練習が多い。これをフロアレシーブという。床の上で行うレシーブのことである。

ブロックが第1のスパイクレシーブであるという認識がまだ低い。ブロックシステムとフロアレシーブシステムを結び付けて行うことが守備の戦術練習である。

おっと・・・話が横道にそれた。

そういう訳で・・・「X攻撃」戦術を色々と思案してきた。そこで大事なのは、セッターの判断力である。さらには、時間差に回り込むプレーヤーがブロッカーの位置の確認をしっかりとできること。また、リベロがその状況をしっかりと把握して、フィードバックをセッターとスパイカーに伝えられるだけのコミュニケーション能力を備えることである。

面白いことに、守備練習では集中力も途切れがちに行う選手達も、一転、攻撃の練習になると目の色を変えて積極的に取り組む。最近の私の練習では、攻撃の練習は、練習後半の集中力が無くなりそうな時間帯に移動させている。美味しいものは、後にするのが良い。




2015年3月10日火曜日

09,March 2015 結婚式の翌日の練習に選手達は?

結婚式の翌日の午前中の練習は休みにして、午後は行うことにしていた。

そして、選手達は来なかった。

午後の練習に向かう前に、私の専属車の運転手が現地のクメール語で言った。

「先生、午後の練習には誰も来れないようです。二日酔いのようです」。

やはり、ね・・・予想した通り。それでも、確認のために練習場まで出かけた。体育室には人影はなかった。花婿であるコーチには、休みを与えている。しかし、選手達が結婚式の影響で練習に出れなくなるなんて、予想はしていたが、少し落胆した。

話しは、カンボジアの労働者の現実に飛ぶが、日本からこの国に進出している縫製業者から次のような声を良く聞く。

カンボジアで工場を経営するにあたって最大のメリットは、賃金の安さである。工場労働者の最低賃金は、政府決定でこの1月に月額128㌦に引き上げられた。2018年までには160㌦に引き上げることに政府は既に決定している。

一方、経営者側としては、最低賃金の上昇に見合うだけの生産性をあげることが難しいことにある。生産性を上げることとは、具体的には量産も一つの策であるが、他社とは違う付加価値を付けた製品を生み出すことが大事なことである。バレーボールで言えば、アジアのチームがまだ取り組んでいないような、付加価値のあるチーム。例えば全員セッター、全員リベロ、全員スパイカーのようなマルチ・チームである。

しかし、そのレベルまでには、なかなか直ぐには到達できない。なぜか?

労働者や選手の質が低すぎるのである。教育の問題である。内戦でほとんどの教育者が虐殺されて教育の質が学校の中だけでなく、家庭内においても、そして社会的にも低下してしまった。

労働者や選手のせいではない。歴史が哀しいのだ。

時間を守れない、集中して作業が続けられない、マイペースである、など社会生活を営む以前のレベルであるのが実情である。

「カンボジア人を雇用していると、会社というより学校を経営しているような感覚になる」という話を経営者から良く聞く。私が朝食を採るためにほとんど毎日通う私のアパートメントのお隣のcafeの従業員に私は毎回、指導係りのように注意を与えている。

注文を聞いたら、注文頂いた料理名を繰り返して確認することなど、私も気持ちよくサービスして欲しいので毎回何かしら注意している。そして、自然にできたならば、こちらも「ありがとう」と感謝の言葉を伝える。

バレーボールの指導も会社経営者の仕事も基本的には同じようなレベルにある。私は、まだこの国では専門的なことを指導するコーチというよりも基本的なことを教えるティーチャーの役割が多くを占めている。





2015年3月9日月曜日

08,March 2015    How do they celebrate the weding party in Cambodia?

カンボジアの結婚式に出席するのは、今回で2回目だ。

結婚するのは、私のアシスタントコーチである。お嫁さんとも、既に3回、3人で食事をしているので顔なじみだ。

ただし、1回目は正規の出席者におまけみたいな感じでついて行っただけであったが、今回は招待状を頂いての正規の出席であった。

1回目で要領が分かっているので、2回目の今夜は、招待状では式の始まるのが夕方の4:30であったが、本格的に始まる6:00頃に会場に着いた。

新郎は、地方の出身なので、田舎の親類縁者の姿も多くみられる。それにしても、毎回カンボジアの結婚式で驚くのは、参列の女性の華やかなドレス姿である。宮廷の舞踏会と見間違えるほどである。それに比べて男性陣は平服に近く地味である。

遠くの舞台の方ではプロの歌手を呼んで歌が歌われている。

女性達は席に着いてもほとんど喋らず、男性陣は高級ウイスキーを炭酸で割ってジャブジャブ飲む。そして、しきりと乾杯する。5分に1回は乾杯する。

ナショナルチームの選手達もお手伝いでボーイさんよろしく各テーブルの間をかいがいしく動き回り缶ビールや炭酸水を届けている。

とにかく、画像を見て頂こう。



(会場は、新郎・新婦が勤務するパスポート・センターの駐車場に特大のテントを張ったカンボジア特有の式場。入り口では新郎新婦と家族が出迎えてくれる。両手を顔の前で合わせ礼を示す)
 
(女性達は、この日のために着飾る。髪型もエレガントだ)


(私のテーブルは、バレーボール連盟関係者が多かった。会場に来た順から知り合いのいるテーブルに座っていく)


(お祝金は、新郎や男親がテーブルに回ってきたときに手渡す。私も奮発した)


(新婦は4回から5回ほどお色直しをする。新郎は3回ぐらいか)


(カンボジアの伝統料理が次から次と出てくる。魚が出てくると、後はデザートで〆となる)




 

2015年3月7日土曜日

07,March.2015 スポーツ・トレーニング・センターのテストとは?

今週初めの月曜日にスポーツ・トレーニング・センターから文書が届いた。

文書は、バイク便で職員が練習会場まで届けてくれる。この国では切手を貼った郵便というものを私はまだ見たことがない。やはり宅配便が一般的なようだ。ちなみに、日本への宅配便は、EMS(国際エクスプレス・メール・サービス)というものが一番安全で確実だ。金額は最低でも2500円であるが、日本には3日~4日間ほどで着く。
(まったくチンプンカンプンのクメール語。しかし、小学生低学年でも読めるのだから、私も学習すれば読めないはずはない。6月の東南アジア大会が終わったらクメール語の学校に通おう。そして選手達にクメール語で英語を教えてあげたい)

文書の内容であるが、いつもクメール語で書かれているので私にはまったく理解できない。アシスタントコーチも英語ができないので翻訳できない。チームのキャプテンがすこし英語を理解できるので彼に翻訳してもらう時もある。

通訳は一応こちらの国の連盟からつけてもらっているが、公式会議以外は指導の現場には全く出てこない。緊急の場合には、電話で翻訳してもらう。今回の公文書のような場合は、文書をスマホで画像にしたり、PDF化にして通訳にEメールに添付して送り、英語への翻訳をお願いして確実に内容を理解するようにしている。

今回の内容は、金曜日の午後からオリンピックスタジアム内の体育館(此処だけ唯一木の床がある)にてナショナルチームの「テスト」を行うということだ。具体的に何をテストするのか書かれていなかったが、体力テストでもやるのであろうと思って当日体育館に向かった。

結果は、ビデオカメラと普通のカメラを持った人間が来て、練習風景を撮るだけということだ。

どうやら、撮った画像をTVなどで流したり、東南アジア大会用のパンフレットなどに使うための撮影会であるようだ。ちょっと拍子抜けした・・・。それではと、こちらも思いっきり派手な練習を行い、宣伝用の画像になるようにやってのけた。

次回から、文書の内容に関して良くわからなければ、先方に事前に具体的なことを問いただしたほうがよさそうだ。しかし、毎回しつこく問いただすと「バレーボール連盟のあの日本人監督はうるさい、しつこい、細かい・・・」と言われて連盟に迷惑をかけてしまうかも知れない。

ここで、また私のイライラが生じる・・・。Oh、it's stressful!

06,March.2015 訃報

FIVB公認インストラクターとして活躍していた足立龍哉さんが今朝亡くなった。

複数の友人達から連絡が来たので間違いはないであろう。心筋梗塞だという。歳は、まだ50歳を少し越したぐらいのはずだ。

自分よりも若い方達が先に亡くなるのは、いたたまれない。何とも言葉がない。

宮崎県の高校を卒業してアメリカに渡り、バレーボールで奨学生になり大学を卒業した。その後、スイスやフランスに渡り、松平康隆さんに勧められて日本に戻り、日本バレーボール協会で働き始めた。

丁度その時に私たちは知り合いになった。もう12年ほど前の事だ。

今は彼のご冥福を祈りたい。

合掌

May his soul rest in peace.

2015年3月5日木曜日

05,March.2015   今週は、機嫌がよろしくない

以前から、ここのブログでこの国の人達のコミュニケーション不足のことを述べてきた。

今週は、毎日のように、またしてもそのことを痛感させられたことが多く、少し疲れた。

郷に入りては、郷に従え。

そのことは理解しており、尊重もしている。しかし、私の中で、これでは世界の中で闘えないという思いもある。日本と比べているのではない。手の届かない高いレベルを求めているのではない。

私の求めているのは、いわゆる「ほう・れん・そう」であり、「安全」であり「清潔」「整頓」「秩序」である。

前触れもなく、突然かかる会議招集。その会議では、不必要に長い話しが多い。会議中でも下を向いてスマホを見ている省の役人。根拠のない言い訳。不衛生なトイレ、注意しても注意してもボールを床の上に置きっぱなしにする選手達。時間通りに集合しない選手達。挨拶を交わさない若者達、交通ルールを守らない一部の一般市民、それ故の朝晩の交通渋滞・・・。

しかし、そこで妥協してしまったら改善はできない。「改善:KAIZEN」もいまや世界語になっている日本語である。彼らが習慣づくまで、私は自分から身を持って示し続けることで「KAIZEN」されると信じている。

最近では、練習の始まりは、きちんと時間通りに始まるようになった。小さなKAIZENであるが、大きな進歩だ。

内戦の起きる前の1960年代のこの国は貧しくとも清潔な国であった。内戦で失った一番大きなものは、教育や躾であったのかもしれない。

02,March.2015  小さな夢から始めよう

吉田松陰の名文がある。

夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし、
故に夢なき者に成功なし。

この国に来て、暫くして若い選手達に1年後の自分の姿を語ってもらった。
答えは、自分の1年後なんてどうなっているかわからない、ということであった。

吉田松陰の言葉を借りれば、夢なき者に成功なし、ということになる。これでは、いけない。夢を持てるようにしなければいけない。

まずは小さな夢、そう・・・飛行機に乗ってみたいという夢であれば持てるであろう。ナショナルチームの選手になれば、飛行機に乗って今年の6月にシンガポールと言う国に行けるよ。まずはそういう小さな夢から実現させてあげよう。





2015年3月2日月曜日

01,March.2015 最近、夢をよく見る

夢の中には私の家族が集まっていた。

誰かが、私の耳元で私の寿命を囁いた。80歳代と言う。80歳代と言うことは、早くて80歳、遅くて89歳か。残された命は結構短い。

住んでいるところは、どうもカンボジアのコンドミニアムらしい。コンドミニアムとは、分譲型マンションと言うか、リゾート地での別荘のことを言う。略してコンドという。

他のことは、目覚めている時間が長いと記憶が薄れてしまって覚えていない。夢の中が現実なのか、今の現実が夢の世界なのか・・・これは何かの兆候なのかな・・・。それとも単に爺(じじい)になってしまったのか・・・。Deja vuなのか・・・。