2015年10月31日土曜日

30,Oct.2015   TOEIC or TOEFL or IELTS?

昨年カンボジアに来て5ヶ月目に、プノンペン市内で英語学校を探して入学しました。そして、今月で1年が経ちました。
IELTS Practice Tests


英語学校に入ろうと思ったのは、文法も含めて、正しい英語の発音を学ぼうと思ったからです。こちらのカンボジア人と英語で話していると現地語(クメール語)訛の英語に影響されて、私の英語の発音もクメール訛になってしまうのではないかと心配したからです。

1年前の私の英語は、いかにも日本人の英語とわかるリズムもアクセントもない平坦な発音の英語でした。そこに子音が明確でないクメール語訛が混じると、インターナショナル英語と言えば聞こえは良くとも、相当聞き取りにくい英語の発音になるのではないかと危惧したわけです。

入学して、まずクラス分けのために実力テストを受けました。結果は12段階で7レベルでした。中級レベルということでした。現在は10レベルまで進級しました。

1年間、学校に通って、思ったことがあります。

まず、発音ですが、学校で使用しているテキストは、アメリカン英語ではなく、UK(英国)英語です。また、オーストラリア政府後援の学校ですのでオージー・イングリッシュです。Onedayを「ワンダイ」 と発音します。

そういえば、6月の東南アジア大会で、シンガポールに行ったときに、シンガポール人の使う英語が最初、ほとんど聞き取れませんでした。地元の人に聞きましたら、彼らの英語は、「シンガポール」と「イングリッシュ」を掛け合わせて「シングリッシュ」と言うことです。人口の多くは中国系ですので、中国訛なんだそうです。

その後、色々な国の人達と英語で話してみて、各国の言語が影響した色々な英語があるのだということを理解しました。私の英語は、アメリカで放送されているCNN、ABCやVOAを聞いたり、発音を真似しているせいか、結構聞きとり易いと言われています。

英語学校のクラスは、レベル10に進級しました。しかし、内容がガラリと変わり、資格試験受験準備のような授業内容になりました。資格の名称はIELTSと言います。

日本では、あまり馴染みのない資格名です。日本では、TOEIC(トーイック)が良く知られています。以前から、商社など英語能力が求められる企業への入社試験条件や企業内での昇進条件に採用されています。主に、学生とビジネスマン向けの資格です

日本で、これから求められる資格にTOEFL(トッフル)があります。これは、主に北米(アメリカ、カナダ)の大学への外国人入学希望者が求められている資格です。文科省は、将来、日本の大学受験者にも、この資格を求める方向性であると発表しています。

そしてIELTS(アイエルツ)ですが、 the International English Language Testing Systemの略で主に英国の大学やオーストラリア、ニュージーランドの大学に入学するための語学力資格です。また、それらの国々で働く外国人の語学条件にもなっています。IELTSは、最近、米国やカナダの大学入学資格の1つにもなっています。
 
IELTSは読み・書き・話す・聞くという総合的な英語能力が試験で試されます。模擬試験を受けましたが、なかなか手ごわいです。特に書く(writing)のが、難関です。図表を示されて、それを説明するものやProblem & solution という「社会問題を解決するための考えを述べる」という小論文のようなものは、定型に則り論じないと点数が取れません。
 
それでも、試験対策をおこなうことで、改めて自分の弱点を確認できるので、私としては、有難く受け取っています。特に、私に不足しているのはボキャブラリー(語彙)です。スポーツ関係の語彙には苦労していませんが、分野が違う「政治」「経済」「環境問題」「経営」などの分野になると、初めてお目にかかるような単語、熟語、表現ばかりです。
 
ボキャブラリーを多く理解し、実際の場で使えるようになることで、私の「ボケぶらり」予防になるのではと期待しています。 
 
英語の資格について、詳細を知りたい方は、こちらからどうぞ。 http://www.examenglish.com/

2015年10月29日木曜日

28,Oct.2015   体操世界選手権大会にて日本男子が団体で優勝

体操の世界選手権は28日、英国のグラスゴーで男子団体総合決勝が行われ、日本が優勝しました。世界選手権では37年ぶり6度目、世界大会では2004年アテネ以来11年ぶりの王座奪回です。

実は、日本チームのエースである内村航平君とは、ちょっとした知り合いです。

私の二女が東京の東洋高校に進学した関係で、私は二女が2年生の時から2年間、PTA会長を学校の理事長から依頼され就任しました。その時に二女と同学年だったのが内村君だったのです。

体育祭の時、小柄な彼がグラウンドでバック転を繰り返していたのを思い出します。日本体育大学に進学して2008年の北京オリンピックに出場し、個人総合で金メダルを獲得した時は驚きました。

今では、日本体操界のエースとしてだけでなく、彼の活躍で、もともと地味な体操界が世界の人々に認知されるようになってきました。嬉しい限りです。

2015年10月27日火曜日

27,Oct.2015   第2幕の開演が近くなってきた

今年の東南アジア大会で、カンボジア男子ナショナルチームが初めて最下位を脱出して5位に進出したことを第1幕とすれば、第2幕は?

第2幕は、2年後の次の東南アジア大会で優勝することです。

決勝は、恐らくタイ(アジアランク7位~9位)でしょう。優勝するためには、現状維持ではダメです。そのために、これからの2年間の課題を7月末に設定しました。日本語ですので、それを英語と現地語のクメール語(カンボジア語)に翻訳しました。勿論、語学の専門家に手伝って頂きました。

先の東南アジア大会の報告書も含めていますので、ページ数は60ページありました。翻訳作業も大変だったと思います。そして、約2ヶ月かかって、本日完成しました。論文の体裁からすれば70%の完成度ですが、報告書レベルですので、細かい論文作成のルールは省かせていただきました。

恐らく、国際大会の詳細な報告、そしてそれに基づいての今後の対策が文字化されたのは連盟発足以来初めてであると思います。これで、カンボジア人は誰でも、その報告書と今後の対策を読むことができるし、外国人も英文を読んで理解できます。

過去を知ることなくして、今と将来を見据えることはできません。私のこの国での今の作業は、皆が未来に進むための過去を作っているのかも知れません。


26,Oct.2015    カンボジアの盆踊り大会

昨夜は、盆踊り大会でした。会場はカンボジアの首都プノンペン市の新興地域で高級住宅街に隣接した展示場です。その展示場の壁を3部屋分取り除いた広いスペースです。乾季のこれからは、富裕層の結婚式場になります。

「盆踊り」は、名前の通り、本来は、お盆の季節に行われます。先祖を迎い入れ供養する盂蘭盆会(お盆)と結びつき、「盆踊り」となったと言われています。

鎌倉時代になると、仏教行事の意味合いよりも、民族芸能として重点が置かれ、娯楽的な要素を色濃くしていきます。そして江戸時代に入ると、盆踊りは地域の人々の交流の場や男女の出会いの場になってきました。

ここカンボジアのプノンペン市でも、在住のカンボジア日本人会が盆踊り大会を主催して、今年で11回目を迎えました。主旨は、日本人そしてカンボジア人との交流です。日本大使館から公使や、プノンペン市副市長も来賓として招かれました。

私は、日本人会の新米役員として入場者の受付業務を担当しました。着用しているのは役員用の法被ですが、その下には船橋市の幼稚園ママさんバレーチームから頂いた作務衣を着用して業務に当たりました。下駄は、夏休みに一時帰国した折に長女からプレゼントされたものです。

プログラムには、リードダンサーと書かれている項目がありました。始めは何のことやら、盆踊りの指導をしてくれる人かなと思っていました。正解は、カンボジア日本交流センターというのが市内にあるのですが、そこのカンボジア学生さんたちが30数名ほど浴衣を着て櫓の上で踊る人たちのことでした。

着こなしもなかなかで、最近の日本で見かける若い日本人よりは帯の結び方などもビシッと決まっていました。但し、足元は、下駄ではなくサンダルです。それもカンボジア的で良いものです。

子供神輿も新調しました。役員法被も不足分を作りました。今年の入場者は、カンボジア人も含めて昨年同様か、少し多い位の約3800名でした。


これだけ多くの日本人が一堂に会するのは、めったにありません。まさに盆踊りは交流促進の手段としては最適です。








2015年10月25日日曜日

24,Oct.2015   ジアーニから返事が届きました。

1990年代の男子バレーボール界のスーパースターで、先週の欧州選手権大会で驚きの準優勝をスロベニアの監督として飾ったジアーニから返事がきました。

内容は、感謝の言葉でした。さっそく私からは、来年1月にドイツで開催される欧州大陸オリンピック予選でオリンピック出場権獲得への応援メールを送りました。

欧州代表権を勝ち取れない場合(2位と3位)は5月のアジア大陸予選兼最終予選会で日本に行くことになります。

その時は、応援に行かねば。来年は、日本に帰国する回数が1月から5月までだけで3回となりそうです。飛行機代を今から貯蓄しないといけません。いや・・・ビールを飲む回数を控えれば、飛行機代くらい、直ぐ貯まるかも知れません。難しい選択ですね。いやいや・・・もしくは、両方を実現させる方策も考えましょう。

待ってろ、ジアーニ・・・じゃーに~。


2015年10月24日土曜日

23,Oct.2015    監督の育て方

日本のプロ野球界では、今月、色々なことが起きているようです。

まず、選手が賭博に関係していたことが発覚しました。その後に、その球団の監督が、若い指導者が必要と賭博とは関係なく、引退を宣言しました。そして、直後に現在現役の選手が新監督を受諾しました。

日本のプロ野球界で、過去に人気選手が、その名声を借りて即監督に就任して失敗した例は沢山あります。常識的に考えても、例えば企業で営業課長で抜群の成績を誇っている社員が、突然社長をやりなさいと言われても、そう簡単にやれるものではありません。

町工場でさえ、普段から現場の作業も、営業も、経理もやっていても、突然社長をやれと言われても、その人は尻込みします。日頃から、その心づもりをして準備をしていなければトップを務めることは容易ではないと思います。
 
バレーボール界でも、名選手から名監督になった人たちはいます。中国女子チームのランピン(郎平)、USA女子チームのカーチキライなどです。彼等は、しかし、突然名監督になった訳ではなく、数年間アシスタント・コーチとして学習を積んでいます。

日本のバレーボール界がナショナルチームの監督の起用で失敗した事例は沢山あります。元全日本選手だから、という理由だけでいきなりナショナルチームの監督に起用され、結果を残せず、数名が監督失格の烙印を押されてしまいました。その監督だけでなく指名した人にも責任はあったのですが、有耶無耶のうちに時が過ぎ去りました。

最近でも、全日本男子の監督に初めて外国人を選出しましたが、監督としての経験も乏しいその外国人は1年も経たないうちに解雇されました。結果として、全日本男子の強化が1年間、無為に過ぎてしまいました。

野球であれば、数年間、評論家をしながら各チームを回って色々な監督のマネジメントを観察するとよいでしょう。大学(院)に入ってコーチングやスポーツ・マネジメントや生理学を改めて学ぶのも良いと思います。私であれば、アメリカの大リーグのどこかの球団に1年間、留学します。

その後に、まずコーチとして入団し、親会社の構造やチームの特徴、選手の性格を捉え、コーチング・スタッフの構想を練り、監督になる準備を進めます。

名選手は、イコール、名指導者であるのではなく、名指導者になれる素質を持っているだけです。何といっても、現役時代の名声、実績がありますので、選手への影響力は大きいと思います。しかし、監督とアシスタント・コーチとでは仕事の役割がまったく違います。

日本のプロ野球界が、未だに選手の現役時代の名声に頼った監督の起用をやっていることに、少し驚いたと同時に失望しました。監督は、監督として育てることが必要です。







2015年10月22日木曜日

22,Oct.2015   フランスの快進撃は、オリンピック出場権獲得まで続くのか・・・

本日、FIVBのHPで取り上げられているのは、先週、欧州選手権大会で初優勝したフランスチーム。そして、個人ではフランスのスパイカーであるアーヴィン・ヌガペト(24歳,194cm)。この大会で、彼はアウトサイド・スパイク賞を受賞しました。
By FIVB

彼の意表を突いたプレーは、9月30日の私のFacebook(↓)でもvideoで紹介しましたが、またまた彼は意表を突いたパフオーマンスを披露してくれました。

https://www.facebook.com/takashi.watanabe.98499123

要は、バランス・スマッシュをやっただけですが、今の日本でもあまりお目にかかれないプレーです。日本の9人制の世界では、結構当たり前のプレーなんですけど、伝統のある欧州選手権大会の決勝で、それもマッチポイントをこのバランス・スマッシュで取ったことに、欧州の観客はあっけにとられたようです。その時の同画は、下のユーチューブでご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=7y4XBbjRkuU&feature=player_embedded#t=5

彼の好きな音楽はヒップホップ。バレーの次に好きなスポーツはバスケットボールとサッカーと聞けば、あのリズム感も納得できます(全日本の選手も、時には異種スポーツと合流して合同練習するといいですね。得るものは多いです。オーバーハンドパスだけやりながらバスケット3on3のゲームをやるのも面白いと思います)。

私は、25年間、日本国内で多くのチームに主にアドヴァイザーとして指導してきました。そして、ほとんどのチームが全国大会に初出場を成し遂げました。秘訣は、9人制バレーボールのスキル(技術)、戦術を6人制に導入したことです。9人制は、石川島播磨重工業(IHI)女子9人制バレーボールチームの監督であった石野さんから教えを受けました。

ヌガペト選手は、恐らく今年最も観客を楽しませた選手でしょう。彼のプレーは予測できないから面白いのです。

来年1月にドイツで開催されるリオ・オリンピック欧州たいりく予選会の詳細がわかりました。
 
Germany (host)
Russia (1)
Bulgaria (3)
Poland (4)
Serbia (6)
France (7)
Finland (8)
Belgium (9)
 
出場チームは、既にオリンックピ・チケットをワールドカップで獲得したイタリア(欧州ランク2位)を除いた8チームです。8チームの国は、開催地のドイツと欧州バレー連盟のランキング上位7チームです。国名の後のカッコ内の数字は欧州バレー連盟のランキングです。

注目は、2012年ロンドンオリンピックのロシア、2014年世界選手権王者ポーランド、先週の欧州選手権大会で準優勝と旋風を巻き起こし初のオリンピックを狙うセルビアか、欧州選手権大会で初優勝を遂げたフランスか、れともそ開催地の地の利を生かすドイツか? どいつが、オリンピックのチケットを手中にするんだ?とオヤジギャグが飛び出すくらい興奮してきますね。

なお、2位と3位は来年の5月14日から日本で開催される最終予選に回ります。最終予選も、シビアな闘いになりますね。日本男子は、アジア予選(兼世界最終予選会)にて、アジア1位で、すんなりとチケットを取って欲しいです。

2015年10月21日水曜日

21,Oct.2015   月に1回は散髪、そして初めての・・・

散髪は、理容院というのは市内にほとんどありませんので、近くの美容院に行きます。プノンペンでは中級レベルのお店です。

(出来栄えはいかがでしょうか?)
洗髪は、アパートに帰って、シャワーを浴びますので、カットだけです。電気バリカンと、ハサミで15分で完了です。値段は、720円です。きょうは、ついでに爪を切ってもらいました。初めての経験です。

専用の爪切りで、若い女性が器用にパチパチと爪を切りそろえます。それから、ぬるま湯に指を入れた後に、また専用の爪切りで爪廻りの硬くなった肉を削ぎ落します。それから、やすりで爪の先端を丸く削ってくれます。さらに、指から肘までの前腕の筋肉をマッサージしてくれます。

爪切り代は480円でした。

どうも、癖になりそうな爪切り初体験でした。お店の人から、ネイルアートもいかがですか?と言われましたが、それこそ、癖になると困る?ので ”No,thanks” と柔らかくお断りしました。


2015年10月20日火曜日

20,Oct.2015   プノンペンの気温は・・・

10月に入って、こちらは1年の二季(雨季、乾季)のうちの乾季に入ろうとしています。雨は毎日、夕方に降りますが、5分から15分くらいで直ぐに上がります。

気温は、今の時期から3月頃までが日本の晩夏から初秋のようで大変過ごしやすいです。普段の私の服装は、アパートメントの中では、半パンにTシャツの軽装です。

今朝は、気温が24度で、涼しい位でした。日中の最高気温でも32~33度です。この1年間を振り返っても、最低気温が20度以下を記録したことはないです。窓を開けて風の通りを良くすると、気持のよい風が流れて、汗もかかず、クーラーは不要です。

2015年10月19日月曜日

19,Oct.2015   European Men's Volleyball Championship - 決勝戦

優勝は、フランスでした。それも初優勝です。今年のワールドリーグで金メダルを獲得したのに続いての快挙です。
By FIVB

1-2位 フランス - スロベニア 3 - 0 (25-19, 29-27, 29-27) 

フランスは、これでメダル獲得数が7個目となりました。1948年から欧州選手権大会に出場して、4個の銀メダル、2個の銅メダル、そして今回、金メダルを獲得しました。技術統計を見るとフランスのサービスポイントが6-1と圧倒しています。フランスのサーブはチーム戦術と個人戦術をミックスしたものです。同じフォームからの質の違うサーブの選択を行っています。日本チームにも参考になります。

3位決定戦は、実力のあるイタリアがブルガリアを一蹴しました。

3-4位 ブルガリア - イタリア 1 - 3 (20-25, 14-25, 25-23, 20-25)
By CEV

閉会式では、サプライズでブルガリアで最も人気のあるフォークシンガーのValya Balkanskaさんと バグパイププレーヤーのPetar Yanevさんによるライブがありました。歌は地球から宇宙へのメッセージという内容でした。歌声に透明感があり、ゆったりと響き渡る声を聴いていると、魂が古代の欧州に遡り、そして、そこから宇宙に飛翔し、空間に漂う感じがしました。

彼女の歌声はこちらから↓

https://www.youtube.com/watch?v=ETP6pGP6BO0&list=RDETP6pGP6BO0#t=11


<順位/最終>

1位 フランス
2位 スロベニア
3位 イタリア
4位 ブルガリア
5位 ポーランド
6位 ロシア
7位 セルビア
8位 ドイツ
9位 ベルギー
10位 オランダ
11位 エストニア
12位 フィンランド
13位 チェコ
14位 スロバキア
15位 クロアチア
16位 ベラルーシ

*他にも予選で敗退した国は39ヶ国。欧州選手権大会本戦に出場できるのは、欧州バレーボール連盟加盟55ヵ国から予選を勝ち上がった16ヶ国だけです。



2015年10月18日日曜日

18,Oct.2015   European Men's Volleyball Championship - 準決勝戦

欧州男子バレーボール選手権大会準決勝戦の結果が出ました。スロヴェニアとフランスが決勝に進みます。

第1試合のスロヴェニア - イタリアは、3 - 1 (25-13, 23-25, 25-20, 25-20)でスロヴェニアが初めての決勝に進出しました。第2試合のブルガリア - フランスは、2 - 3 (25-18, 25-22, 24-26, 21-25, 12-15) でフランスが勝利しました。
By FIVB
(ポーランドとの試合を見ました。スロヴェニアの選手は、パワーだけでなく一人一人が技も持っています)

特筆されるのは、スロヴェニア(世界ランク39位)です。スロヴェニアは、昨年の世界選手権王者のポーランドを、今年のワールドカップ2位でリオ・オリンピック出場権を獲得したイタリアを破っての決勝進出です。そして、明日の決勝(時差の関係で今夜遅く)は、今年のワールドリーグ王者のフランスとヨーロッパチャンピオンを決します。

スロヴェニアは、アルプス山脈の南端に位置し、人口206万人ほど、面積では日本の四国ほどの大きさの小国です。国民一人あたりのGDPは320万円ほどで、決して豊かな国ではありません。強さの秘密の1つは旧ユーゴスラビアから1991年に独立しましたが、ユーゴ時代からの政治力など、もともと組織マネジメント力があるようです。そして、新しい指揮官であるイタリア人のスーパースターであったジアーニの招聘です。

イタリア、クロアチア、ハンガリー、オーストリアに囲まれた風光明媚な国で、最近では隣国クロアチアへの日本からのチャーター便があることも手伝い、日本人観光客も増えていると聞いています。

スロヴェニアの欧州選手権大会での過去の最高成績は、9位が2回(2001年、2011年)だけでした。時差の関係で今夜遅くに、まず3位決定戦、その後に決勝戦があります。

スロヴェニアが優勝しなくとも、1991年に独立したあのような小国が世界のバレーボールの頂点ともいうべき欧州大会で、ここまで来たことは称賛に値します。スロヴェニアのスポーツ界で欧州大会の最高成績はハンドボールが2004年に準優勝したのみです。

カンボジアは、1人当たりのGDPが約31万円(月平均2万5千円)とまだまだ低く、ナショナルチームの強化費は、連盟から出ることはありません。政府のスポーツ省頼みから脱却して、連盟自体のマネジメントでスポンサーを募り、リーグ戦を新設し、良い試合を多くの観客に見せて入場収入を得ることが必要です。私も、現在、スポンサー獲得と連盟運営の質向上のために奮闘しているところです。

今は、弱小チームでも、工夫と努力で強くなれることをスロヴェニアは証明しました。1900年代にアルゼンチンから小男がイタリアに行き、クラブチームの指揮官になった時、周りのイタリア人は国内優勝は無理と言いました。しかし、彼はその当時他のクラブがほとんどやっていなかった筋トレを徹底してやり、優勝しました。ナショナルチームの監督になってもその方針でオリンピック以外の国際大会の金メダルを複数回獲得しました。その監督の名は現在母国アルゼンチンの男子監督に就任しているフリオ・べラスコ氏です。

そして、スロヴェニアの新監督のジアーニは、べラスコ氏が監督を務めていた当時のイタリア男子チームのスーパーエースで愛弟子です。近いうちに、師弟対決が国際大会で見ることができるのでしょうね。楽しみです。

 



 

17,Oct.2015    NHK スペシャル カンボジア・アンコール遺跡群

カンボジアに住んで1年と6ヶ月が過ぎましたが、実は、この私、まだアンコール・ワット遺跡の観光に行ったことがありません。

だいたいが、観光というものが性に合っていません。有名だから、高名だから、誰でも行くから、ということより、私の場合は、好奇心が湧かないと興味を持てない、だから行かない、とうパターンです。
By NHK

NHKが今夜のスペシャル番組でアンコール遺跡を取り上げてくれました。私としては、これでわざわざアンコール遺跡のあるシェムリアップと言う町まで行かずに、概要を知ることができるなと思いTVを見ました。

タイトルは『第1集  密林に消えた謎の大都市   ~カンボジア アンコール遺跡群~ 』  

 45分の番組を見終えての感想ですが、最近のヘリコプターによるレーザー調査など最新の科学技術を駆使したアプローチは、考古学の世界を飛躍的に発展させていますね。研究者たちは、過去の人達との対話を楽しんでいるようでした。

9世紀からおよそ600年にわたってインドシナ半島に栄えたアンコール王朝は、世界最大の石造寺院「アンコール・ワット」で知られ、その一帯は世界遺産にも登録されています。この番組でアンコール王朝の文明ことが少し解りました。

600近くも平和を築いたアンコール王朝の叡智もさりながら、私の好奇心は、その王朝が、なぜ密林の奥深く消えてしまっていたのか、その原因は何であったのか、そこに至りました。

謎の多い遺跡群を見に行きたくなりました。見に行くというより、その場所にいくことで、ひょっとしたらアンコール王朝の人間たちと会話できるかもしれません。私の普段のボンクラ頭脳も、時として霊感が働くときがありますので・・・(結局、冷汗で終わったりして・・・)。

成功には、成功した理由があります。失敗には、失敗した原因があります。私は、歴史を学ぶということは、これらの理由と原因を学ぶことであると思っています。

バレーボールの指導でも、この歴史を学ぶという姿勢は必要です。海外で指導する場合は、尚更です。歴史を学ぶということは、相手を良く知ること、理解することにつながります。

本日と明日、ブルガリアのソフィアで欧州男子バレーボール選手権大会の準決・決勝戦が繰り広げられます。注目は、初めてベスト8以上に進出してきたスロベニアです。今年3月に就任したばかりの若き指揮官であるジアーニと昨日リンクできました。
(最近のジアーニ)

彼には、大会後、是非とも快進撃の理由を聞きたいものです。

最後は、いつもバレーボールで終わってしまうのは良くも悪くも私の性分ですね・・・。





2015年10月17日土曜日

16,Oct.2015    We got your back

きょうは、”We got your back” と言う良い言葉を覚えました。
http://www6.nhk.or.jp/kokusaihoudou/abc/index.html
 
先週から、NHKのBS1で放映している「ABC ニュースアワー」を2年半振りに毎日見ています。見るだけでなく、ニュースキャスターの発音も真似てスムーズに言えるようになるまで繰り返しています。
 
コロラドのデンバーのある小学校の3年生担当の教師 (a third-grade teacher) が、生徒達に先生に知って欲しいことを書くという課題 (assigment: homework) を出しました。
 
課題は「私の先生が、こういうことを知っていたらなあ・・・(I wish my teacher knew・・・)」というものでした。I wish +(somebody)+動詞の過去形は、丁度英語学校で学習したところでしたので、すんなり頭に入りました。
 
ある生徒は「私は宿題をするための鉛筆をあまり持っていないことを、先生が知っていたなら・・・
(I wish my teacher knew I don't havepencils to do my homework.)」と書きました。
 
生徒達のほとんどは貧困家庭たちの子供達です。その教師は、生徒達をより良く理解しようとして、このような宿題を出したのでした。 
 
一緒に遊ぶ友達がほしいと知らせてくれた子供もいました(I wish my teacher knew that
I want a friend to play with me.)
 
その張り紙を見て「僕らがついているよ(“We got your back”)と声をかけた子がいました。
 
悩みや苦しみを表現し、「主張する」機会を得た子どもたちは、互いに助け合うようになりました。 
その教師は、感動してツイッターにそのことを載せると、同じような試みが全米に広がった、と言うことです。
 
幼い子供達でも、主張させることは大事です。私の知り合いの小学生バレー指導者は、今年の小学生バレーボール全国大会に初出場を果たしました。彼とメールで連絡を取りあっていましたら、以前は子供たちには、ほとんど発言させていなかったが、今回は子供達の意見を沢山聞いてあげたとメールを送ってきました。
 
かと思うと、プレミアリーグに所属しているあるチームの指導者は、まったく選手達の意見を聞く態度はなく、意見を言った選手は試合に出してもらえない、というような話も聞いています。
 
1964年東京オリンピックで金メダルを取った日本女子バレーの監督であった鬼の大松氏は、ビデオを見ると「俺についてこい」という寡黙で怖いイメージですが、実は「(黙って)俺についてこい」ではなかったのです。大松氏は、練習後には必ず主将であった河西さんに選手達の状況を聞き、選手達一人一人を大変気遣っていました。
 
大松氏のように話しを聞くだけでなく、それを選手達が納得できるように反応してあげる(フィードバック)ことが大事なことは言うまでもないことです。
 
東洋の魔女のチームにも、恐らく選手達の間には「私達がついているよ」という意識が浸透していたと思います。
 

15,Oct.2015    European Men's Volleyball Championship - ベスト4決定

ヨーロッパ男子選手権大会が熱いです。いよいよ今週末で準決勝、決勝が行われます。
by FIVB

注目の的は、スロベニア(世界ランク39位)です。欧州選手権大会で初めてベスト8の壁を破ったばかりか、昨年の世界選手権王者のポーランドを破って、ベスト4に進出しました。そして、イタリア。先月のワールドカップにてリオ・オリンピック出場決定したイタリアですが、伝統ある欧州選手権大会に出場してきました。イタリアは予選リーグでワールドリーグチャンピオンのフランスに敗退しましたが、2012年ロンドンオリンピック王者のロシアに勝利してベスト4に入りました。


ポーランド - スロベニア 2 - 3 (17-25, 19-25, 25-23, 25-19, 14-16)
ブルガリア - ドイツ 3 - 0
フランス - セルビア 3 - 1
ロシア - イタリア 0 - 3

今週の土・日にブルガリアのソフィアで準決勝と決勝が行われます。欧州は、世界のバレーボールルの列強各国が世界で最もひしめいている地域です。欧州の8強にUSA、ブラジルを加えたのが現在の男子バレー世界トップ勢力図です。アジアチャンピオンのイランは、今年に入って勢いが減速している状況ですので、外しました。

準決勝は、下記の通りです。

 スロベニア vs  イタリア
 ブルガリア vs  フランス

ここで、私が注目しているスロべニアという国について薀蓄(うんちく)を申しあげます。

スロベニアは、旧ユーゴスラビアから独立した国々の1つです。旧ユーゴスラビアは、1900年代初頭にできたユーゴスラビア王国がもともとの母体です。その後、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国になりました。英雄であったチトー大統領が亡くなってからは、求心力が亡くなって行き、1991年あたりから6つの共和国にそれぞれ独立していき、スロベニアもその時に独立しました。

ユーゴスラビアは、スラブ人の国家でした。スラブ人と一口に言っても正確には5つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人)に分れます。言語は4つ(スロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語)です。更に宗教は3つ(正教、カトリック、イスラム教)です。6つの共和国とはスロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニアです。

現在は、6つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)に分れて独立しています。

そして、そのスロベニアの男子バレーボールの新監督に今年3月に就任したのが、アンドレア・ジアーニ(Andrea Giani:45歳、196cm)です。懐かしい名前です。彼は1900年代の世界の男子バレーボールを代表するイタリア・ナショナルチームのプレーヤーでした。

ポジションもミドルブロッカー(MB)、ウィングスパイカー(WS)、そしてオポジット(OP)と、セッターとリベロ以外は全てのポジションをこなしました。

国際大会での成績は、オリンピックでは金メダルだけ取れませんでしたが、1996年のアトランタで銀、2000年シドニーで銅、2004年アテネで銀を獲得しました。世界選手権では3連覇しました。ワールドリーグでは7回優勝。ワールドカップでは金、銀、銅の3個を獲得しました。彼は、その功績を認められて、2008年にバレーボール殿堂入りを果たしました。

イタリアバレーボール協会では、フリオ・べラスコ氏(元イタリア監督、前イラン監督、2014年から現アルゼンチン監督)、アンドレア・ガルディーニ氏に次ぐ3人目の殿堂入りでした。

指導者としての経歴は、2007年から国内でスタートしました。苦労しながら指導者としての実績を着実に積み重ねてきました。

そのジアーニさんと今夜、インターネットで連絡を取ってみました。どのような返事が来るでしょうか?スロベニアに監督として就任したいきさつなどを聞きたいですね。


 



2015年10月14日水曜日

14,Oct.2015   活動的なタイ・バレーボール協会

先月タイの首都バンコク市においてFIVB主催コーチコースが開催されたことは、こちらのブログからも報告した通りです。

コースを終えてプノンペンに帰るために空港までの車をホテルのロビーで待っていましたら、ジュニアスクール女子のバレーボールチームらしき一行が朝食のためにロビーに降りてきました。西洋人らしい顔かたちをしています。

さっそく、団長と思しき男性に挨拶しました。聞いてみると、ニュージーランドから1週間の予定で合宿にやって来たということです。ニュージーランドは日本と同じで四季があるが、お互いに北半球と南半球なので、季節がまるで反対だから、例えばどちらかが冬の時に夏である国に行くのは良いね、などと他愛もないことを話しました。

その後、タイ協会の役員がロビーに来たので、いろいろ聞いてみました。
(ニュージーランドとタイの中学生の集合写真)
(画像はアジア連盟のフェイスブックから。ニュージーランドとタイ地元中学チームとの練習試合)

今回のニュージーランド(愛称はKiwi)からの女子ジュニアチームは、1週間程度の合宿(training camp)で、バンコク市にある国際バレーボール連盟開発センター(FIVB Development Center:アジアに4ヵ所設置されている)付属の施設で行われる、と言っていました。

練習試合(friendly matches)の相手としては、バンコク市内、近郊のジュニアスクール(中学校)やスポーツ科のある中学校の4校が当たるということです。

今年も既に、3ヵ国(香港、日本、ニュージーランド)の中・高校チームと2ヵ国(モルジブ、オーストラリア)のナショナルチームを受け入れ、更に多くの国からタイに来て合宿練習を行いたいとの希望を頂いていると協会役員は胸を張って誇らしげに話してくれました。

FIVBバレーボール開発センターを数年前に開設し、更に昨年末にはアジアバレーボール連盟事務局が北京からバンコク市に移設され、タイバレーボール協会は、まさにアジアバレーボールの運営だけでなく交流においても中心(hub)になりました。

タイバレーボール協会の重鎮であるシャンリット氏に、タイバレーボール協会の活動を称賛しましたら、彼から次のような言葉が返ってきました。

「Mr.渡邉、我々のお手本は貴方の国である日本です。我々が若かった頃、日本のMr.松平(当時はアジア連盟会長)はじめ多くの日本人達から多くのことを学びました」。

2015年10月13日火曜日

13,Oct.2015    隣国のベトナム

2013年11月、カンボジア行きを決める7か月前、私はベトナムの女子チームで指導するのも悪くない、と考えていました。
(この画像は2年前のベトナム女子ナショナルチームですが、監督と中心選手の2人には、昨年の11月にタイのFIVB主催コーチ研修会にて受講者仲間としてお会いしました)

アジアにおけるベトナム女子のランクは、6番から8番です。試合を見ていると、基本的なところでのミス、独自の戦術不足、そして自信の無さ、が目につきました。これでは、アジア上位のベスト4チームに勝てません。私がお手伝いすれば、2年以内で、ベスト4以内に引き上げることができると自信を持っていました。

その後、ラオスにいる元JICA職員で日本語教師をしている坂巻さんと20年ぶりに連絡が取れて、ラオスに来ないか、という話も出てきました。この件は、坂巻さんがその2か月後に急逝されて立ち消えとなりました。他にもトンガはどうかという在日トンガ大使からのお誘い(これは半分外交辞令もあったと思う)もありました。

結局、その1か月後に、複数の人の手を経由して、カンボジアに来ることになった訳ですが、ベトナムは指導してみたいチームでした。中位のチームが上位のチームを破るには、まず上位のチームに持っているコンプレックスを打破しなくてはなりません。

そのためには、相手のそのチームより強い他国のチームと普段から練習試合を行い、自信をつけて行くことです。また、相手とデータを比較して、劣っているところを勝っているように鍛えます。評価項目が10項目あれば、7項目以上に於いて相手よりも勝っていれば勝算はあります。6項目では運任せの勝負になります。

おっと・・・、きょうは、そういうことを書こうとしたのではなく、昨夜NHKワールドプレミアムの番組で観た『ベトナム戦争 フィルムの若者を探して』の感想を述べようと思ったのです。ベトナム戦争中に日本の映像通信社が北ベトナムで撮影したもので、戦場に向かう若者たちを村人が送り出す村の行事を記録した貴重な映像でした。

その映像の中の一人の若者のその後の消息を追うことから番組は始まりました。戦争終結から40年の今年、出兵した当時17歳の若者は生存していました。若者は、入隊して3年後にゲリラ部隊のリーダーを任せられ、南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチンミン市)の背後であるメコン・デルタに徒歩で数百キロ歩いて回り込みます。この時に歩いた山岳道路がホーチミン・ルートと言われ、カンボジア領域内にあります。

(当時、戦況が厳しくなり、更に徴兵されていく北ベトナムの若者達。凡そ100万人が亡くなった)

結論から言いますと、戦争そのものではなく、1人の若者から見た戦争体験を振り返り、戦争の悲惨さを切々と訴えている良い番組でした。「わたしの部隊の半数は亡くなったが、頭が良いとかどうかではなく、運が良い人が生き延びただけです」という今年61歳になる彼の言葉から、生死が自分自らでなく、戦場での偶然に左右される不条理さを感じました。

また、同じベトナム人が殺し合わなければならなかったことはとても哀しいこと、と語っていたことには言葉もありません。

南ベトナムを支援するアメリカ軍は、このホーチミンルートにも度々爆撃を行いました。カンボジア人民もこの爆撃で被害を被っています。一方の北ベトナムを支援していたのは社会主義陣営のソ連(現ロシア)、中国でした。アメリカ軍には韓国、オーストラリア、タイ、フィリピンなども参戦してきました。

戦争は、現在でも特に中東地域にて行われています。そして、それらの戦争の背後には必ず大国が絡んでいます。そして一般国民が被害者になって、難民になっていきます。難民に寛容な国々は、彼らを移民として受け入れます。しばらくして、住民と移民との間で宗教・文化の衝突や差別が起きることもあります。外された人たちは保守的・先鋭的になってきます。自分たち固有の地域さらには国家を持とうと考えるようになってきます。そこで、承認しない隣国とまた衝突が生じます。

戦争は、人間のちょっとした感情から生じます。その芽を平和的に速やかに摘むことが人間の叡智であると思っています。第2次世界大戦後、70年間戦争を行っていない日本が、そのリーダーであって欲しいと願っています。  

2015年10月12日月曜日

12,Oct.2015   ラグビー・ワールドカップ: 日本は大会初の3勝

今朝、ラグビーの第8回ワールドカップ(W杯)イングランド大会で、世界ランキング11位の日本は、英国のグロスターで行われた1次リーグB組最終戦で世界ランク16位の米国を28-18で下しました。

日本は、これで3勝1敗の成績で、同じグループの南アフリカ、スコットランドと勝敗で並びました。しかしながら、残念なことに、この試合の前には、同じBグループのスコットランドがサモアに勝利し、日本は勝ち点差で準々決勝進出の望みを断たれていました。

それでも、今大会の全てのグループ戦最終戦で、日本は注目を浴びながら、大会初の3勝目を挙げて有終の美を飾りました。
 
日本は、僅差でベスト8に進出できなかったのですが、世界のラグビー界に大きな衝撃を与えました。4年後の2019年は、日本でワールドカップが開催されます。日本の新監督は、まだ決まっていませんが、次の大会ではベスト8以上の活躍が期待できそうです。

野次馬根性なんですが、今年の甲子園で大活躍した高校1年生の清宮君が、ラグビーに一時転向するなんて言ったら、どうなるのでしょうか? 彼の父親の清宮さんは、現在、次期日本監督有力候補です。親子で同じチームで世界に挑むなんてことになったら、日本のスポーツ界は、またまた驚きでしょうね。違うスポーツで世界を相手に戦うことも、これからの日本の若者には似合うかもしれない。
 

2015年10月11日日曜日

11,Oct.2015   祝日は何をしようか?     

日本であれば、祝日はスポーツ関係者にとっては、普段はできない合宿や遠征を行う絶好の時です。

しかし、カンボジアの選手達は、祝日はしっかりと休みを取ります。この国の三大祝祭日は、プチュンバン(Pchum Ben)、クメール正月(Khmer New Year)そして水祭り(Water Festival)です。特に昨日から来週の13日までは、その三大祭りの一つであるプチュン・バンです。この国の宗教は仏教です。日本で言う「お盆」の祝日なので、選手達のみならず首都プノンペンに働きに出てきている人達は故郷に帰り、お寺にお参りに行きます。日本人や外国人たちは、綺麗なビーチのあるシアヌークビルなどのホテルやペンションなどで、のんびりと過ごす人が多いと聞きました。

プチュン・バンというものを、昨年、私はナショナルチームのアシスタントコーチに誘われて彼の出身地であるコンポンチャムという地方都市に泊りがけで行って彼の家族とともに経験しました。


今年の私は、どこにもいかず、アパートメントにいることにしました。市内から、車の数は相当減ったので、車のクラクションも殆んど聞こえません。プノンペン名物の店前の駐車の数も激減し、本来の広い道路が顔を出しました。建築ラッシュのこの界隈での工事現場の騒音も聞こえず、まったく静かで、のんびりとしています。

カンボジアの年間における国民の祝日数は、27日あり、世界的に見ても、祝日の数は結構多いほうです。これで、経済のほうは大丈夫なのかな、と他人事ながら心配しています。

今月は、特に祝日が多く、この後、15日がシアヌーク前国王の逝去(弔日)記念日、23日パリ和平条約記念日、そして29日がシハモニ現国王即位記念日と続きます。祝日と祝日、祝日と土曜日の間にある平日も、休みになる場合もあります。

従って、今月の10日~11月の1日にかけては、超大型連休のような雰囲気になってしまいそうです。私は、この期間に、事務仕事です。今取り組んでいるカンボジア指導者向けのテキスト作成を行います。それと、英語の学習にどっぷりと浸かりたいと思います。

10,Oct.2015    FIVBによるアジア連盟登録各国への評価: 更新版Update

3日前に、ここのブログで掲載しましたFIVBによる登録国の活動評価ですが、どうも2年前のものであったようです。

私のブログを欠かさず読んで下さっている日本の内田先生がそのことをご指摘してくださいました。そして、2014年版の最新のものを送ってくださいました。ありがとうございました。

それによると、欧州、そしてアジアで評価の格上げが随分と多くあったことが判りました。下にアジア連盟において評価変更された国名をあげました。中には格下げされている国も2ヵ国ありました。

アジア連盟において、評価がC-ⅠからC-Ⅱにアップしている国が6ヵ国あることは嬉しい限りです。そして、タイと中国が日本と同じC-Ⅴにアップしてきたは素晴らしいことです。世界的にみると、2年前では、C-Vの評価にはイタリア、ブラジル、日本の3ヵ国だけでしたが、2014年には新たに欧州のポーランド、ロシア、セルビアが加わり、計8ヵ国になりました。

但し、C-Ⅰのレベルは、まだまだアフリカ(27ヵ国)、アジア(24ヵ国)に多く存在しています。私の住んでいる東南アジア地域の2014年評価のC-Ⅰには、ラオス、東ティモールそしてカンボジアの3ヵ国がまだ定着しています。ラオス、東ティモールは今年の東南アジア大会にも参加しませんでした。特にラオスは国内の代表的な施設の荒廃が激しいということをJICA関係者から聞いています。カンボジアは、東南アジア大会(9月in Singapore)に参加しましたので、評価が少しアップされることを期待しています。


Changes of Categorisation: アジア連盟内のみ

■カテゴリーⅠからⅡにUP(6ヵ国)
 
Guam
Iraq、
Maldives Islands、 
Mongolia、
Northern Mariana Islands、  
Vanuatu  
 
■カテゴリーⅡからⅢにUP(3ヵ国)
 
Hong Kong、
Oman、
Qatar
 
■カテゴリーⅢからⅣにUP(2ヵ国)
 
Iran、
Kazakhstan、

Australia

 

■カテゴリーⅣからⅤにUP(2ヵ国)

 

Thailand、

China
 
■カテゴリーⅢからⅡにDOWN(2ヵ国)
 
Pakistan、
Singapore

詳細は下記のFIVBのHPでご覧になることができます。

http://www.fivb.org/EN/Development/document/FIVB_2014_Categorisations.pdf


2015年10月10日土曜日

09,Oct.2015    今年のノーベル平和賞は、チュニジアの団体

チュニジアは私にとってバレーボールで繋がっている第2の祖国です。今夜、嬉しいニュースが報じられました。
 
チュニジアの団体が今年のノーベル平和賞に選ばれました。団体名は「チュニジアン・ナショナル・ダイアログ・カルテット」といいます。ダイアログは「対話」、カルテットは「4つの団体」を意味します。
AP Photo
(写真はハッシンヌ・アバッシ氏。4つの団体の1つであるチュニジア労働組合の事務局長です。友人達から受賞を祝福されているところです)
 
2013年に、チュニジアを拠点に活動する4つの団体でつくられた「チュニジアン・ナショナル・ダイアログ・カルテット」は、チュニジアの民主化に貢献したことが評価されました。

NHKのニュースでは下記のように報じられていました。
 
「チュニジアでは、2011年に独裁政権への抗議デモが広がって政権が崩壊し、中東の民主化運動『アラブの春』の発端ともなりましたが、民主化へのプロセスの中で野党の政治家が相次いで暗殺され、与野党の対立が激化するなど大きく混乱しました。その中で、『チュニジアン・ナショナル・ダイアログ・カルテット』を構成する4つの団体は、与野党の間の仲介役だけでなく、政治家と市民との対話も進めるなどして、新たな政治体制の確立につなげ、チュニジアの民主化に大きく貢献しました」

ノーベル財団は、チュニジアは、暴力ではなく、基本的人権に配慮した活発な市民社会による民主化が可能であることを示したとしています。

平和賞というと、個人で思い出されるのは、アメリカで黒人差別の撤廃を求めて公民権運動を率いたマーチン・ルーサー・キング牧師(1964年)、インドを中心に貧困や飢餓に苦しむ人たちの支援活動にあたったマザー・テレサ氏(1979年)、南アフリカ政府が続けてきたアパルトヘイト、人種隔離政策の撤廃に尽力したネルソン・マンデラ氏(1993年)です。

去年は、女性の教育を受ける権利を訴えて活動してきたマララ・ユスフザイさんが歴代最年少の17歳で受賞しました。

平和賞は、過去には、その人の実績ではなく「その人への期待」で選ばれた時もありました。今回のように、その人や団体の実績で選ばれるのが最も納得できる選考であると思います。

ノーベル賞は、国際的な科学・文化・平和貢献に対する評価です。選ばれた人、団体さらには国民、そして世界の人々に大いなる自信を与えてくれます。ノーベル賞を発案し資産を投じてノーベル財団を創設した人は、あの破壊的なダイナマイトを発明したノーベル氏ですが、彼の最大の発明は、実はこのノーベル賞そのものではなかったでしょうか。

2015年10月9日金曜日

08,Oct.2015   カンボジア生活: 病気

今週、カンボジアの日本大使館から「デング熱流行の兆し」に関して注意喚起の文書が在留邦人に対して出されました。

昨年同時期と比べ、今年は患者の大幅な増加が記録されています。今年になって、カンボジア内で少なくとも24人の死亡例を含む7,800人以上の患者が報告されています。大半の患者の年齢は5才から14才までです。

デング熱に感染すると数日程度の潜伏期間を経て発症します。主な症状は発熱や発疹であり、大半のケースでは致死性は低い(1%程度)です。ただし、まれに重症化して出血熱の症状を伴うケースがあり、重症の場合は死の危険が生じます。
 
従って、カンボジア国内で既に24人が亡くなっているというのは、あまりに致死性が高いと言えます。こちらの人は、一般的に、病気が重くならない限りほとんど病院に行きません。お金がかかるというのが一番の理由です。日本の皆保険制度は、この国にはありません。日本では、子供が少しでも状態が悪くなると、親は病院に連れて行きますが、この国ではお金がかかるので、まずは売薬で様子を見たり、伝統的な治療法を施したりします。

「デング熱」とは、聞きなれない言葉ですが、日本でも昨年8月にデング熱の感染者が報告されました。日本国内での感染例は70年ぶりということでした。感染者は東京の代々木公園内で蚊に刺されたということです。

「デング熱(Dengue fever)」はやぶ蚊が媒介するデングウイルスによる感染症です。主な感染源であるネッタイシマカの生息域、すなわち熱帯・亜熱帯地域に多く見られます。日本にも生息するヒトスジシマカもデング熱を媒介し得ます。

「デング熱」の歴史は古く、西暦265年―420年の中国晋王朝で最初の症例が記録されています。その時は「水毒」と当時の医学書に書かれています。1906年になると、デング熱がヤブカによって媒介されることが確認され、1907年には、黄熱病に次いで2番目に早く、ウイルスが原因の疾患であると発表されました

困ったことに、この感染症には、ワクチンも特別な治療法(例:インフルエンザにおけるタミフルやリレンザ)がないことです。デング熱 に対しては、いまのところ一般症法(解剤アセトミノフェン投与)が行われています。

私は毎日、蚊の駆除に追われています。以前にもこのブログに書きましたが、こちらの蚊は音もなく近寄ってきて、気が付いた時には痒みを感じます。そしてその部分の痒みが数日続きます。先週、こちらのマーケットで強力な殺虫スプレーを購入して、蚊を駆除していますが、スプレーの匂いが鼻につくほど強烈で、蚊よりも私のほうが先に気持ち悪くなってしまいます。
 
「Mr.渡邉、部屋で倒れているところを管理人に発見される。原因は蚊取り殺虫スプレーの噴射しすぎか?」なんて新聞に報じられるかもしれません・・・。

今週は、今年度のノーベル賞受賞者が発表されていますが、医学賞の分野で、どなたかこの感染症への特効薬であるワクチンを開発して欲しいものです。

現在、デング熱は、人から人に感染しないと言われていますが、いつ突然変異で人から人に感染しないとも限りません。

しかし、昔の人は、子どもが蚊に刺されたぐらいで亡くなったことなんて理解できなかったのでしょうね。感染症というのは眼に見えませんから怖いですね。

2015年10月6日火曜日

06,Oct.2015    世界におけるカンボジア・バレーボールへの評価 

先月、FIVB主催のコーチコース(レベル3)の講習会(バンコク市inタイランド)に行ってきました。その時にFIVBがまとめた各国バレーボールNF連盟/協会の活動に対する評価が公表されました。

評価項目は7項目です。そして、それぞれの項目が、カテゴリー1~5(以下C-1、C-2のように表記)で評価されています。カテゴリー5が最高レベルです。カテゴリー5の評価を受けている国は、意外と少なく、イタリア、ブラジル、そして日本の僅か3ヵ国です。

私が1年半前から指導中のカンボジアバレーボール連盟の評価は、カテゴリー1です。

FIVB国際バレーボール連盟には220ヵ国・地域が加盟しています。この数は国連加盟国(2014年時点で193ヵ国)よりも多いのです。しかし、世界の他競技団体と比べてまだ加盟国におけるバレーボールの活動が不活発です。数は多くとも質が充実していません。FIVBは、そこで実態を調査して各国の連盟の指標を作りました。全ての国の指標がC-3になるころ、バレーボールは、陸上やサッカーと肩を並べられるだけの国際連盟組織となっているでしょう。

カンボジアの例をもって指標を示しましょう。


表の見方としては、評価項目しての活動内容が縦に7区分に分けています。そして、活動のレベルとして横にカテゴリー1~5まで不活性の順に左から右に並べています。元の資料を基に私が作成したものですから少し省略しています。なお、カテゴリー2以上でカンボジアが該当するカテゴリーは国内の認知度だけで、他の評価は全て1です。

従って、カンボジアのこんごの目標値としては、国内の認知度はカテゴリー3を目指し、他はカテゴリー1の内容にある否定されている部分を改善することです。例えば、「リーグ戦は開催されていない」を「されている」にすれば、カテゴリー2にアップ評価されます。

アジア連盟は、世界5大陸連盟の中で最も加盟国が多く65ヶ国を有しています。その中で、カテゴリー1はカンボジアを含めて30ヵ国、アジアの半数の国がバレーボール発展途上の国々で占められています。C-218ヵ国、C-313ヵ国、C-43ヵ国、最上位のC-51ヵ国。

東南アジアの加盟国を見てみましょう。C-1は、ラオス、東ティモール、カンボジア。C-2は、ミャンマー、フィリピン、マレーシア、ベトナム。C-3はインドネシア、シンガポール、C-43ヵ国とは、中国、韓国、タイであり、C-5は日本です。
アジアには、カンボジアのようなバレーボール発展途上C-1レベルの国が30ヵ国と、まだまだ多く存在しています。世界全体で観ますと、80ヵ国が、まだC-1に属しています。これらの80ヵ国が一つ上のレベルに進むことで更に多くの人達がバレーボールを楽しむことができます。

私の次の使命は、そこにあります。C-1レベルの国々はアジア(30)とアフリカ(27)に集中しています。幸い、私のフランス語はまだ錆びついていませんので、あとは中級レベルの英語をもう少しアップさせ、英語とフランス語を駆使して、FIVB公認講師として年に12ヵ国で活動すれば5年で一巡できます。

おっと、その前にカンボジアを2年後に東南アジアで優勝させることが私の今の使命ですので、こちらが優先です。国際大会を、毎年最低8試合は行いたいですね。カンボジアのチームは国際大会を経験するごとに強くなっていくのが毎試合、実感できます。彼等は驚くべきポテンシャル(成長する可能性)を持っています。

05,Oct.2015   昨日で1,777回の投稿なり

本日のブログを投稿しようと開いてみましたら、1777の数字が目の前に入りました。昨日で1,777回目の投稿ということでした。

いつ頃からの投稿かなと、調べてみましたら2010年5月からでした。バレーボールを中心に私が感じたことを述べているだけですが、ほぼ毎日続いてきました。

同じ現象でも、見方によっては違ってきます。出来事が起こった背景を考えるのが私の癖なのですが、この習慣はバレーボールを指導するときに大変役に立っています。プレーヤーの失敗や成功には必ずその原因や理由があります。それらが理解できたとき、次のステップに進むことができます。

次の切りの良い数字は何でしょうか?

1,888でしょうか、2,000でしょうか、それとも2,222でしょうか。いずれにしろ、その日、私はバレーボールの仲間たちと一緒に目標を達成し、笑顔で、いることは間違いありません。

2015年10月5日月曜日

04,Oct.2015  日本ラグビー、ワールドカップ2015で快進撃

現在、ラグビー発祥の国であるイングランドでラグビー・ワールドカップが開催されています。そして、日本が大活躍して注目されています。
(部屋で観ているCNNのニュースでも日本の活躍が取り上げられていました。テロップは、「日本準々決勝に近づいた」)
日本(世界ランク12位) は、ここ5大会、連続勝利はなかったのですが、現在グループBで2勝1敗です。2勝のうちの1勝は、南アフリカから逆転で歴史的な勝利(34-32)を挙げました。南アフリカと言えば、W杯で2回優勝し、世界ランク3位です。この勝利は海外のメディアにより「W杯史上最も衝撃的な結果」、「スポーツ史上最大の番狂わせ」と報じられました。

現在Bグループは2勝1敗が3チーム並んでいます。勝ち点では、日本は3位ですが、2位以内に入れば、日本は1987年にワールドカップが創設されて以来初めてのベスト8への進出が決まります。

4年後の2019は日本での開催が決定しています。日本にラグビーの熱気が戻ってきそうな予感です。

試合は、やはり勝たなければいけない。それも、より強いチームに勝つことが大事だということを改めて感じました。そして、「スポーツ史上最大番狂わせ」をあと2つやり遂げれば、それは実力と認められます。

2015年10月3日土曜日

03,Oct.2015   リオ・オリンピックへの道: バスケットボール

同じ球技の仲間として、バスケットボールの動向はいつも気にしています。

昨年、国際バスケットボール連盟から国際大会出場禁止を受けた日本バスケットボール協会は日本サッカー協会最高顧問である川淵氏に協会会長に就任頂き、川淵氏のリーダーシップにて今年の8月に解禁処置を得ました。

そして、その直後のオリンピックアジア予選で日本女子は、見事に中国を破って優勝、オリンピック出場のチケットを手にしました。そして、次は男子の番と先週から中国の長沙で開催されているアジア予選会兼アジア選手権大会に臨みました。

日本男子(世界ランク47位)は、準々決勝でカタールを81-67で下し、18年ぶりベスト4進出しました。同時に、まずは来年のFIBAオリンピック世界最終予選の出場権を確保しました。そして、昨日は準決勝でアジアでは常にトップのフィリピン(世界ランク31位)と対戦しました。

フィリピンは、世界の強豪と言われるスペインの影響、そしてUSAの影響を受けて、アジアでは比較的早くプロリーグを始めた国です。

バレーボールに関して言いますと、フィリピンの男子バレーは、アジア最古参のバレー国です。しかしながら、東南アジア大会でも最高成績は3位どまりです。高身長の有望男子選手は、ほとんど男子バスケットに行きます。女子は、バレーボールに行くようです。

さて、話をバスケに戻すと・・・日本は、70―81でフィリピンに敗れ、18年ぶりの決勝進出を逃しました。本日3日の3位決定戦でイランと対戦します。今大会の優勝チームに与えられる五輪出場権を逃した日本は、来年7月の世界最終予選で、1976年モントリオール大会以来となる五輪切符取りに再挑戦することになりました。

なお、強豪の韓国がベスト4にも入っていませんが、これは韓国国内で先月、再度摘発された八百長事件と関係があるとみて良いでしょう。

問題が起きてから対処するよりも、問題の兆候を素早く読み取り、小さな芽のうちから摘み取るのが問題への正しい対処法でしょう。バレーボールの審判法で、私が審判員成りたての頃、国際バレーボール連盟の審判委員会委員であった池田久造先生(故人)からご指導いただいたことを今でも忘れることはできません。

『審判員成りたての頃は、自分が判定者だとばかり妙に偉ぶって選手達の、どちらかというと反則行為を探すようになる。審判員はそういうことではいかん。反則を一生懸命探すのではなく、反則をさせないように目を光らせることも審判員の大事な任務ですね』。

先生は、そう言って柔らかな笑顔を私に向けてくれました。先生は40歳代、私が20歳代の頃です。
(この著書は、先生の労作です。指導者にとって、選手を上手にする指導法だけでなく、ルールに熟知することは反則を減らし、ミスの少ない試合運び行う上で大事ということをこの本で学びました)
 


  

2015年10月2日金曜日

02,Oct.2015   カンボジアの教育: 教員の給料

毎朝、近くのコーヒーショップで地元の新聞を読んでいます。読み始める順序は、まずスポーツ欄からです。次に政治、経済、教育と続きます。
 

本日のクメールタイムズ紙の教育欄には、カンボジア教育省は、小学校で週2時間、英語教育を始めることを発表した、と載っていました。予定では来年から、対象は4年生から6年生で、内容はreading、listening、そしてwritingです。問題は、英語教師の指導技術が不足していることです。

記事は、教員の質の向上に関して、質を上げるには教員たちの給料も上げることが必要とかかれていました。現在の教員の月給は、650,000リエル(約162㌦:約2万円)。来年には基本給が800,000リエル(約200㌦:約2万4千円)に引きあがられます。それでもこの金額は低すぎますね。少なくとも300㌦は必要ではないかと、カンボジア教員支援団体は述べています。

教員の質が低いのは、給料の低いのが主な原因です。優秀な人は、民間の外資系企業に行きます。従って、給料の低い教員は、学校の近くで私塾を開いて生活費の足しにしたり、サイドビジネスを行ったりします。今でも横行しているのは、生徒から資料代や特別指導費と言った名目で小銭を徴収していることです。

教員が尊敬されない国が発展するのは、難しいと思います。教育は国家の主要な任務の1つです。まずは、給料の改善が先決です。英語を導入することには私も賛成です。しかし、そのためには優秀な教員が必要です。教員養成学校の整備も必要です。IT教材も必要です。計画を立案するのは、さほど難しくありませんが、実施するためには、予算が必要です。どれ程の予算が必要か、新聞紙面には載っていませんでした。

英語教育もそうですが、学校に通えない子供たちも、まだ多くいます。学校施設の充実もまだ途上です。

カンボジアにおける教育環境の整備は、改善途上です。フンセン首相の信頼の厚い昨年着任した若き教育大臣に私は期待しています。


2015年10月1日木曜日

30,Sep.2015   客人を日本食レストランにご招待

今月の20日~27日までバンコク市にてFIVB主催のコーチ講習会を受講しました。その時の講師の1人である中国人のMr.Zhao(ザオ)さんが、私と一緒にカンボジアの首都プノンペン市までやってきました。
(私の行きつけの居酒屋で。餃子と刺身も注文しました。彼は刺身を餃子用の酢の入っている醤油小皿に入れて食べていました。それでも、”Japanese food is very good!” と親指を立てていました)

目的は?と彼に聞くと、プノンペン市で安いシャツを大量に買いたいそうです。彼もプノンペンを訪れるのは今回で3回目で慣れているというので、昼は彼に自由行動を取っていただき、夜は私と食事をすることにしました。

彼の好物は、日本の麺類です。それも、かけ蕎麦のようなシンプルなものが好きです。一昨日は、カンボジア・バレーボール連盟の事務局長も店に呼んで3人で麺をすすりました。今夜は、居酒屋で、彼は蕎麦を、私は巻きずしを頂きました。私の飲み物はビール、彼は普通の水が一番おいしいということでお互いに3杯飲みました。

帰り際に、かれから大きなバッグを手渡されました。何かと聞いたら、彼の衣類が入っているとのことでした。プノンペン市内でお土産の安価な衣類を大量に購入したため、彼のスーツケースに入りきれなくなった私物をバッグに入れてきたということでした。

彼は、11月に、またプノンペン市に寄るので、それまで私に預かって欲しいということでした。

まあ、そんなことで・・・彼は、明日の朝、中国の南京市に帰って行きます。

29,Sep.2015    カンボジア生活:  私が、闘っているのは・・・

現在、私が悪戦苦闘しているのが「カンボジアの蚊」です。

小さいながらも、一度刺されたらしばらく痒みは続きます。刺されるところは、なぜか足の甲と背中です。それも背中の手の届かないところに、音も立てずにいつの間にかやってきて、刺してどこえやら去って行きます。サイレント・モスキートです。

そこで、日本から電機蚊取り線香器を取り寄せました。更には、刺された時のために、塗るタイプの痒み止めも送ってもらいました。

ところが、その電気蚊取り器によって蚊を退治する前に、蚊取り器から発せられる臭いに私の敏感な頭脳が先に参ってしまってダウンしてしまいます。困ったものです。やれやれ・・・。