午前中は、埼玉県三郷市の三郷ママ。4ヶ月ぶりの訪問である。ここの代表で監督は、ご存知モントリオール金メダリストで主将であった飯田(現姓:神白かじろ)高子さん。50歳以上のチームと30・40歳代中心の2チームを一緒に指導している。
来週は地域の大会というので、ゲーム中心の練習であった。この日、私が指導したのは「下がる」ということ。具体的には、スパイカーがブロックの後や連続スパイクのためにネットから下がること。また、レシーバーがブロックフォロー(以前はスパイクカバーとも言っていた)のために前方に詰めて、ボールが相手コートに入った場合にスパイクレシーブを行うために後方のスタート(ベース)ポジションに下がること。前方や横の方向に移動するのは、日頃人間の行動で良くあること(日常的)である。しかし、後方に移動するということはまれ(非日常的)である。バレーボールでは、後方に移動する(下がる)という動きが大事である。大事であるが、実際の練習ではおろそかにされている。レベルを中級から上級に上げるには大事なポイントである。
この日、50歳以上のチームのセッターが休んでいるということなので、私はセッターに入った。途中で飯田さんもアタッカーに入って、速攻なども打ってもらった。飯田さん、確か御年・・・63歳であったかと思ったが、まだまだ速いスイングで私のいい加減なトスを打ちまくり、ブロックをビシャ、ビシャ止めまくり
、金メダリスト、センタープレーヤーの現役時代を思い出させた。
昼食を共にしていったん電車で自宅に帰った。夜の7時からは、以前から約束していたのであるが、私の住む船橋市内で、活動する「かつしかクラブ」さん。練習会場は、自宅から歩いて25分のところにある葛飾中学校体育館。実は、この中学校は私の2人の娘が卒業した中学校である。中学校の女子バレー部はその時も今でも県大会には行けないレベルだが、ママさんチームは全国ママさんに数年前に県代表で出場している。そして、今月行われた第1回全国冬季ママさん大会にまたしても代表で出場することが決まった。スタメンの4人が50歳台というのが凄い。クラブの歴史も今年で35周年という現在も継続している県内のチームでは最古参という。チームをまとめているのは湊さんという50歳台のバックセンターを守る小柄な方。県家庭婦人連盟の役員でもあり、コート上を子リスのように機敏に動きまわる。練習の途中で、地元紙の取材などがあった。主に体格の良いエースのママさんが対応していたが、練習後にこの人が私の側に来て、「渡邉さん、クラブチームのエバというチームの代表だったでしょう?」と20数年前の話を持ち出した。
「私は、その時、埼玉県でエンジェルスというチームにいました」
「君はどこの高校の出身だったの?」
「細田学園です」
「おお、あの時あたりから県でベスト4常連になったね」
「前監督の富樫先生から現在の伊藤先生に監督が交代したのもその時だったね」
「エバには元全日本の選手がたくさんいましたね。日立の武内さん、内田さん、ダイエーからもリキさん、小野さん、日体大のレギュラーだった夏さん、アケさん・・・え?アケさん結婚されたんですか?・・・」
このエースの子(ママさんに子を付けるのは可笑しいのだが、記憶は当時に還っている)は良く知っているな。県ベスト4クラスでもバシバシ!スパイクを打って、クラブチームでも相当活躍したのでしょうね。彼女が現役時代に見たベンチの私は「変なおじさん」が座っているとしか記憶がなかったんでしょうね。あの当時から、今も変わらぬ同じ老け顔の私ですから、昔の人からは直ぐに思い出されますね。これが私の長所なのかしらねえ。
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