法政大学の黄金時代は1980年代後半。1988年の黒鷲旗全日本選手権大会準決勝では当時日本リーグ五連覇中の富士フィルムを死闘の末、破るという大金星を挙げた。全日本の選手も多かった。私が会話を交わした選手だけでも三原、熊田、松本、岩島、米山、池永、蔭山、青山(以上は富士フィルムへ入社)、菅野(東レ)、南(旭化成)、大竹(NEC)、神林(サントリー)、米田さん(日立監督、故人)・・・と、ほぼ全日本選手、監督に選出されている。
20数年間監督をされて、黄金時代を築かれた監督の上田實先生は、今から10年ほど前に体調を崩され現場を離れた。上田先生と富士フィルムの合宿所で夜、差し向かいでお話を聞いたことがある。先生自身の指導法は、どのように学習されたのか聞いた。
(上田先生の唯一の著書。平成2年に日本文化出版社から出版された。この本を読むと上田哲学が良くわかる) |
先生自身も県立岡崎高校で全国大会に出ている経験はあったが、トップの選手の指導法がわからない。そこで先生は、なんと名プレーヤーたちに恥も外聞もなく教えを請うた、という。
「おい、熊田、お前は何でそんなに上手いんだ?秘訣を教えてくれないか?どんな練習をやってきたんだ?」こんな調子である。
全国のOBなどを動員して情報網をめぐらして優秀な高校生を発掘するのも上手であった。親御さんたちを口説くのも上手であった。チーム内での規律は厳しかった。エリート軍団の集まりであったので、崩れるのは早い。体育系の寮と違って、法政の選手は下宿している。管理の目は細かく
行き届かない。このあたりの管理を上田先生は相当苦労されていたことと思う。
そのような栄光の歴史を持つ法政大学が数年前に続き、再度2部に転落した。時代は動いている。
以下に入れ替え戦(男女)の結果を載せておく。
特1 2部11位 - 3部2位
立教大学 - 上智大学 3 - 0
(25-17, 25-19, 25-13)
※立教大学(2部残留)
※上智大学(3部残留)
特2 2部12位 - 3部1位
平成国際大学 - 神奈川工科大学 3 - 1
(25-23, 23-25, 27-25, 25-22)
※平成国際大学(2部残留)
※神奈川工科大学(3部残留)
特3 1部11位 - 2部2位
法政大学 - 駒澤大学 1 - 3
(20-25, 22-25, 25-16, 26-28)
※法政大学(2部降格)
※駒澤大学(1部昇格)
特4 1部12位 - 2部1位
国士舘大学 - 国際武道大学 0 - 3
(16-25, 23-25, 20-25)
※国士舘大学(2部降格)
※国際武道大学(1部昇格)
<関東女子入替戦>
【日本女子体育大学体育館】
特1 1部7位 - 2部2位
宇都宮大学 - 大東文化大学 3 - 0
(25-17, 25-17, 25-16)
※宇都宮大学(1部残留)
※大東文化大学(2部残留)
特2 1部8位 - 2部1位
早稲田大学 - 日本女子体育大学 0 - 3
(21-25, 23-25, 20-25)
※早稲田大学(2部降格)
※日本女子体育大学(1部昇格)
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