2013年5月15日水曜日

Wed.May 15,2013 30年前の女子高生と再会

本日は、船橋市ママさんバレー春季大会。日頃指導している幼稚園ママさんチームも出場しているので、出かけた。船橋市では県大会にも出場する1部と市内だけの大会に出場する2部がある。チーム数は合計で60チームほど。
(私の指導している幼稚園ママさんチームのメンバーは優しい性格のママさんが多い。内に秘めた闘争心をいかにしてゲーム時に出してもらうかが私のテーマだ。秘めたままで終わらせたくはない)

会場には、先週から始まった、私が講師を務める船橋市教育委員会主催のママさんバレー教室の受講者も大勢出場していた。その中で、私の旧姓を呼ぶママさんが2人いた。

「阿部さん...ですよね!? 私を覚えていますか? 」
「おお...都立江東商業高校バレー部の...美人キャプテン金井か?」
名前はすぐ出てこないが高校生時代の面影は変わらない。
「恩師の高橋末光先生が三年前に亡くなったことをご存知でしたか?」
「知っている。最期のお別れにも行った。」
「バスケット部の顧問の中村先生は、その後に校長になったんですが、病気でお亡くなりになりました」
「そう...あの丸顔で穏やかな先生がね...確か、私より年下のはずだなあ...残念だね...」
 
(中央が、すえみつ先生。会場は駒沢屋内体育館。都立高等商業女子バレー部員は、補助役員として高校男子大会のお手伝いをしていた。私はカメラマンなのでこの写真にはいない。私は当時から今と変わらない老け顔なので、30年後の今でも、誰でも、私を見つけることができる)
高橋末光先生という方は、当時、東京都高等学校体育連盟バレーボール専門部男子部長とという要職に付かれていて、都内高校男子バレー部300チーム程を統括されていた。私のどこが気に入ったのか、随分と可愛がってくださった。全国大会の予選が終わると、お前も来い!と言われて、反省会と称して会場近くの居酒屋にしばしば役員と一緒に同行させて頂いた。先生の教え子の一人が大塚慶二郎先生で、現在の東京都バレーボール協会の専務理事である。

先生は、当時50歳代であった。男子が少なくなった商業学校で女子バレー部の顧問をされていた。体育科教官室は体育館の外れにあり、一般の教員室と離れたところにあった。体育科の先生たちは先生のことを「すえみつ」先生と呼び、主任のすえみつ先生を中心に仲も良かった。最寄りの駅はJR亀戸で、先生方と駅の近くの餃子屋さんでよく談笑した。先生は気分が良くなると出身の熊本県の童謡を歌われた。国際審判を目指していたが果たせなかった先生は、ルールには厳しかった。約束事を破った生徒には顔を真っ赤にして子供たちを叱っていた。

3年前に東洋高校が春高バレーで初優勝できたのも、陰には、すえみつ先生の支援が当時からあった。時には東洋高校の男子バレー部員と江東商業の女子部員がお付き合いをしていたり、すえみつ先生も女の子を預かっている教員であったので、それなりに気苦労もあったことであろう。

散々お世話になった私であるが、すえみつ先生にまともな恩返しもできないまま、先生は旅立たれてしまった。先生の教え子たちに恩をお返しすることで許してもらうしかない...。

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