女子バレーボール元日本代表で、五輪に3度出場した多治見麻子さん(40)が5月から、出身地・三鷹市の職員に採用された。
彼女は、小5から三鷹市内の小学生チームでバレーを始めた。市立第二中バレー部時代に全国大会で活躍し、強豪の八王子実践高(八王子市)に進学した。エースアタッカーとして全国制覇し、名門・日立に入社した。
日本代表に選出され、1992年バルセロナ、96年アトランタの両五輪にも出場。97年から主将を務めた。その後、故障もあったが、パイオニアに移籍後、2007年に代表に復帰し、08年北京で3度目の五輪出場を果たした。
2年前にはパイオニアを辞めた直後に私が関係していたバレーボール教室を手伝ってもらった。その直後に日立佐和チームに1年間だけ在籍して、昨年5月に現役を退いた。40歳近くまで、よく体がもったものだ。あだ名はペコちゃんだったかな?
彼女と初めて会ったのは、彼女が高校2年生の春高バレーの全国大会2ヶ月前であった。監督の菊間先生にお会いして、選手のために弊社のシューズを履いてみませんか?と営業活動に行った。なぜ行ったか、というと、2ヶ月前の東京都予選で、彼女たちの足元を見たら、彼女たちの靴底がすり減っていたり、汚れていたり、破れていたりしていたシューズが目立ったからだ。これでは、満足なプレーなどできやしない、ひとつ監督にあって話をさせていただこうと思い立って行った。
菊間監督は、TVで観るほど怖くはなく、チームのためになるのだったら一つ話を聞こうじゃないか、とソフトに対応してくれた。お宅の社のシューズを履くに際して条件があると監督から切り出された。キャプテンの多治見が良いと言ったら、採用しよう。
1か月後、工場から出来上がったばかりのシューズが送られてきた。特注でアッパー(表)が白地にチームカラーのグリーンをラインカラーにしたものだ。多治見が履いてみた・・・「あ、これ良いですね!軽いし、足になじむ!」。これで採用が決まった。1週間後の全国春高バレーでは、久方ぶりに優勝も成し遂げ、監督からも感謝された。
チームは今でも白地にグリーンのラインの入ったシューズを履いて東京都のトップクラスで活躍している。アサコのお蔭で菊間監督の実は大変な生徒思いであるという実像も知りえた。選手は最小限の人数しかとらない。そして、全員、希望の大学や就職先に入れている。その年、私は菊間監督とほぼ毎週お会いして、どこにでも同行した。そして、日本の女子バレー界で一時代を築かれた指導者のあり方をじかに見させていただいたことは、私にとって得難い経験であった。
アサコに感謝である。彼女がバレーボールをやるきっかけはお母さんである。彼女の母親は実業団チーム(明治生命か安田生命と記憶している)の選手であった。そのお母さんは、彼女が日立に入社して間もなく若くして病気で亡くなった。その時の彼女の落胆ぶりは見ていられなかった・・・。
また、一緒にアサコとバレー教室をやりたい。8月に千葉県旭市で日本体育協会公認指導者養成講習会があるので、そこに講師で来てもらおうかな・・・。
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