具体的には、海外でも特に発展途上国への技術協力、有償資金協力(円借款)、無償資金協力の援助手法を一元的に担う、総合的な政府開発援助(ODA)の実施機関である。
この機関には、2つのボランティア組織がある。私が、かれこれ38年前に参加した青年海外協力隊(1965年設立)とその後に設立されたシニア海外ボランティア(1996年設立)の2つである。
おっと、このブログを打っている今まさに日本のどこかの県のソフトバレーボール愛好者からルールのことであろうか質問電話がかかってきた。ご回答したかったのであるが、こちらはカンボジアなので通話料金がとても高いですから、メールにしてくださいとお願いして電話を切らせて頂いた。
さて、ボランティアの話であった。そのシニア海外ボランティア(40歳以上69歳まで)でカンボジアに現在派遣中の方達は24名いる。体育スポーツ関係に絞ると4名。具体的には、合気道、サッカーの種目と体育である。
きょうの午前中に、体育教員養成に派遣されて3年目になる土谷先生の現場を拝見させて頂いた。ここカンボジアでバレーボールの指導を行う場合、他種目からも学ぶことは多い。
早朝に、先生が本職以外にボランティアで指導しているというカヌーナショナルチームの練習現場に向かった。宿舎の脇には先生手作りの筋トレ用の器具が置いてあった。50年前の日本でも、私たちは手作りでダンベルやバーベルを作って体作りに励んだことを思い出した。
無いことを嘆くよりも、無ければ工夫してくれば良い。先生は、そんな非常にシンプルな考えを持っている。昨年の東南アジア大会でカヌー連盟として銅メダルを初めて取ったというのも頷ける。
その後、先生の職場に向かった。カンボジア教育青年スポーツ省管轄の国立体育教員養成校は、1988年に国内で初めて発足した体育教員養成校である。現在でも国内唯一の体育教員養成校である。1学年が約150名5クラスの2年生。卒業後は、国内各地の中・高等学校に体育教師として派遣される。
グラウンドには、整備されたバレーボールコートが2つとバスケットボールコート、ハンドボールコート、サッカー場があった。コートのほとんどに手作り感があった。体育館はまだない。先生は、個々の学校でアドバイザーとして教員を支援している。先生は、教科書も作成し、最近改訂したものには図が多く載って理解しやすい。
先生のような先輩がカンボジアにいてくださって、感謝している。ゼロからスタートする覚悟で私はここに来たのであるが、先生の過去2年半の経験が私に凝縮された形で伝わってくる。先生の後押しがあり、私の活動は思いのほか早く前に進み始めた。
学校を出て帰宅の途中、車を降りてメコン川沿いのお寺に案内された。1993年に国連ボランティアとしてカンボジア総選挙の監視活動中に武装集団に襲撃され、亡くなった中田厚仁(あつひと)
カンボジアの歴史は、多くの先達たちの手で作られてきた。我々日本人の先輩たちもその中にいたことを誇りに思う。
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