なんともやりきれない苦い事件だ。自殺した17歳の少年の未来は閉ざされた。ご両親の嘆きもいかばかりであろう。身につまされる。17年間、何のために苦労して育ててきたのか・・・これから大学、社会人、結婚、孫の顔見て・・・全てが突然、消え去ってしまった・・・。
大阪市立桜宮(さくらのみや)高校バスケットボール部主将の男子生徒が顧問の男性教諭(47)の常態化した体罰によって自殺した。本日の日本経済新聞夕刊によれば、自殺した前日も、顧問から30回から40回殴られたと母親に打ち明けたということが教育委員会への取材で分かった。
大阪市長の橋下氏は、「これは犯罪だ!」として、教育委員会に指示し全ての市立学校の調査を命じた。今まで5人体制の組織を100人体制にして徹底的に市立高校、中学、小学校まで拡大して調査をするということだ。
殴った理由は「練習試合でミスしたから」「実力があるのに試合で力が発揮できない選手を発奮させたかったから」からという。
まず、断っておきたいが、このような殴る、蹴る、物を投げるなどの暴力的な指導をしている教諭は、ごく一部であると言っておきたい。ほとんどの指導者は、まずスポーツを好きになるような指導を行っている。そして、より上手に、より高みに行きたい子供たちのために自分から自主的に厳しさに向かっていく指導を行っている。子供たちの小さな努力の継続を認めて、後押しするのが指導者の役割だ。
私の仕事柄、34年間の間、全国のトップクラスのバレーボールチームを訪問した。練習も沢山見てきた。20年ほど前までは、殴られたり、蹴られたり、椅子やものを投げられたり、竹刀や棒などで叩かれたりして日本一になったバレーボール部員を私は沢山知っている。彼ら、彼女達に「そういうことは君にとって良かった?」と聞くと、「自分で考えなくとも良い。先生のいうことをそのまま『ハイ』と言って実行していれば楽だし、確かに強くなった。だけど、バレーボールが嫌いになった。練習休みが一番の楽しみだった」。
練習に早く行きたい。きょうこそ、あのプレーをできるようにしたい。先生にもっと教えてもらおう。それが子供たちの素直な気持ちではないであろうか。そして指導者は、今は市内の大会で1回戦負けのチームであっても、今より少しでも子供たちが上手になって、そしてバレーボールが好きになって卒業していく姿を送っていく。その繰り返しが指導者の仕事であると私は考えている。その考えは、レベルが日本一を目標にしているチームでも同じと考えている。
10数年前に75歳で惜しくも突然逝ってしまった東京都の名門中村高校女子バレー部監督の渡辺先生(全国大会11回優勝)の言葉を思い出す。
「孝くん、僕が現役監督の時代は殴る指導は当たり前にように行われていた。しかし、僕自身は、子供達を一度も殴ったことはない。殴るぐらいの迫力で指導をしていたが、実際引っ叩いたり蹴ったりしたことはない。だいたい、殴って指導している指導者達は殴ったから発奮したと思っているが、違うんだ。子供達は殴られるのが嫌だから一生懸命やっているんだよね。一番楽しい練習は、生徒自身が自分の頭で考え、工夫しながら練習することなんだ。なんたって、それが人間の一番の楽しみなんだ。「考えること」が人間の一番贅沢な楽しみなんだ」。
私はこう考えている。例えば、国語の授業で漢字を間違ったからと殴りますか?間違ったら、ミスしたら、できるまで繰り返しその漢字をノートに書く練習をやることではないか。バレーであれば、時間の許す限り体育館で反復練習を行う。子供が、つまづけば指導者はそこで有効なヒントを与える。その繰り返しの中で少しでもできかかってきたら、そこを指導者は見逃さず「そうだ!それそれ、その感じ・・・もうちょいだ・・・」と励ましてあげることだ。
最後に・・・、現場では体罰だけが暴力ではない。言葉の暴力で登校拒否になったバレー部員もいたと聞いたことがある。子供たちの中には、精一杯頑張っているのだが、これ以上できない生徒もいる。そのような子供に「もっと頑張れ!」と叱咤激励するのは子供にとっては大きな苦痛となる。その子供にとって、精一杯頑張っているのであればそれで良いのではないか。大人になれば、また変わってくる。限界まで伸ばした輪ゴムを無理して更に伸ばそうとすれば、プツンと切れてしまうのが道理だ。
昨年、ある高校の卒業式が終わった後に、卒業していくバレー部員の子供達から次のような言葉を言われたと喜んで電話してきた高校の指導者がいた。
「先生のお陰でバレーボールが大好きになりました。卒業後も大学の同好会か地域のクラブでバレーボールを続けます。ママさんになっても続けます。そして自分の子供と一緒にバレーやりたいな」。