2013年1月31日木曜日

Weds.Jan.30,2013 全日本の監督までが・・・

全柔連がどのようにして監督を選考してきたのか?数年前に、ある程度は、私も関係者から聞いていた。そして今でもその体質は変わっていない。ここでは、書きたくない。

(全柔連のお詫びの記者会見。お隣の人は誰なんでしょうね。椅子の座り方が少し・・・。こういう場合は椅子に浅く腰掛け、背筋を伸ばし、両手を腿の上に置く、というのが宜しいと思いますが・・・)
世界の”JUDO”の中で、日本の「柔道」が凋落して行くのは予想できた。しかし、今回の選手たちによる直接のJOCへの訴えには驚いた。日本中の柔道の指導者の規範となるべきヘッドコーチが暴力の力で指導していたとは・・・。どうやら、警察に訴えても良さそうな内容である。

これ以上、この件に関わることは、情けなくて書きたくない。私からの要望としては、監督の選考は、グローバルスタンダード(世界基準)に立って、選手をリスペクト(敬愛)できる人に全日本の指導者になっていただきたい。その人が外国人でも良いのではないか。

そう言えば、我がバレーボール協会の男子バレーボール監督の選考はどうなったのか。未だに発表がない。外国人も選考対象となっているらしい。優秀な人材に国籍は関係ない。我が国の企業のトップを見て欲しい。世界の中で闘う組織で日本人にこだわっていては、そのうち優秀な日本人コーチが海外に行ってしまう。柔道の世界は正にそういう現象が起きている。例えば、フランスの柔道人口は日本の2倍以上いる。人口が多ければ、その中から優秀な選手が輩出される可能性は高くなるね。

そうそう、フランスの上級スポーツコーチは、国家公務員なんです。身分の保証もされています。プロコーチなんですね。その反面、公務員倫理規定に触れるような暴力的な指導に対しては、処罰が一般人よりも厳しい。

(資料は2年前のものです。フランスはスポーツ大国です。オリンピックのメダル獲得数でもベスト5に入っています。地域スポーツも盛んです。来年度の我が国のスポーツ関係予算は約240億円と過去最高になりました。しかし、世界と比べて低いですね)

2013年1月30日水曜日

Tues.Jan.29,2013 コーチングのコツ - 10 肩甲骨の可動域を広げる

肩甲骨を上手く使うと、プレーに幅ができる。スパイク時、相手ブロッカーがスパイカーの前方に2枚立ちはだかっていても、肩甲骨を柔らかく使うことで、ブロックの外側を抜いて、難なく撃ち抜くことができる。

3年前の春高バレー男子で初優勝した東洋高校のエースアタッカーの柳田君(現 慶応大2年生)。彼の肩甲骨の可動域がとても大きいことには驚いた。ある日、私が久しぶりに練習に顔を出すと、彼は普通は打てないインコースに楽々と打っている。そこで、彼を私の座っているベンチ際まで呼んで、あることを試してみた。右手を右肩上から、左手を左腰のほうから伸ばして、背中側で両手が触れるかどうか試してもらった。彼は、「こうですか?」と難なくやってのけた。それも、両手が握手しているではないか!

ゴルフの石川遼も肩甲骨の可動域が大きい。したがって肩関節から肩甲骨が離れて、腕のスイングが大きくなる。振り切ったときは、更に腕が数㎝伸びていると思える。

前置きが長くなったが、肩甲骨周りを柔らかくして、更に体(皮膚)もきれいになる良いトレーニングがある。

お風呂に入り、体を洗う時に柄のついたブラシを使って背中を洗うと、気持ちがよく、肩甲骨周りも柔らかくなる。1月に購入した600円台の豚毛のブラシは毛が消耗してきたので、本日奮発して1000円のナイロンブラシを買ってきた。

なかなか良い感じでブラシを使っている。2か月後は柳田君のようにインナースパイクがスイスイ打てそうだ。

2013年1月29日火曜日

Mon.Jan.28,2013 コーチングのコツ - 9 手袋の活用

東京は、ようやく週末に向けて最高気温が10度を超えて暖かくなりそうだ。それでも、夜の体育館内はまだ冷える。暖かくなれば、花粉が飛ぶようになる。寒さに弱く、花粉にも弱い私には、冬と春はあまり好ましい季節ではない。

アップでスパイク時の体の使い方を覚えるのにボール投げを行う。但し、手の小さな人にはボールは投げにくい場合がある。このような場合は、アップの時に手にはめている手袋をクルッと丸めて一個のボール状にして投げると良い。
(何故か、我が家には手袋(グラブ)が多い。それも、左手だけが圧倒的に多い。そういえば、駅の改札口付近で落ちている手袋は、ほとんど右手だ。定期やお金を出すために利き腕の右の手袋を取り去るからかもしれない。だから何だって言うんでしょうかね。それで私の右手袋が返ってくることはない。まじめな話、試しに左右違う色の手袋してブロックさせ、スパイカーには、赤い色の手袋に当てなさい、などと指導することで、意識したコース打ちが上達した例もある。片手でも手袋は役に立つものだ。)

まずは2人向かい合って、お互いに相手に投げて両手でキャッチする。次は、左右の片手でキャッチ。更には、キャッチする寸前に左右に1回転してから左右片手でキャッチ。後ろ向きのままのキャッチやMLBのイチローのように背面キャッチもコーディネーショントレーニングになり、運動能力が高まる。実施の時は足踏みと声出しを休まないことも忘れてはならない。手袋ボールは柔らかいので、痛くもなく、恐怖感もない。

公式大会で、ボールを使ってのアップ禁止の場合、この手袋ボールを使ってキャッチレシーブでつなぎの練習をやっても良い。

また、ブロック練習の基本では、手袋をはめて行うことで突き指を防ぐことができる。手袋はなるべく安物が良い。10個で800円などの軍手で十分。ゴム引きは、逆に危険。ボールが指からスルッと滑っていくぐらいが突き指はしない。また、スライディングレシーブの時も床を滑って行くので安全。



2013年1月27日日曜日

Sun.Jan.27,2013 フェアプレーなきエジプトのサッカー暴動

昨夜遅くロイター通信が報じた。
昨年2月にエジプトの国内リーグで起きた暴動により74人が死亡した事件について、現地時間26日、エジプトの裁判所は21人に死刑判決を下した。しかし、この判決に抗議する人々が暴動を起こし、新たに多くの死者が出る事態となっている。

この暴動により少なくとも32人が死亡し、312人が負傷。死者の多くが銃撃によるものだった。

 ムバラク前大統領を退陣させた市民の抗議行動が始まってから2年を迎えるエジプトだが、モルシ現大統領の支援派と反対派が衝突し、死傷者が出るなど政情不安が続いている。

アラブの民主化の道は、まだまだ遠い。隣国中国でも民主化を求めて市民たちが動き始めている。貧しさがその発火点になっている。その点、日本はまだ平和だ。平和ボケしているところもあるが、健全な平和ボケだ。安倍政権も、前回の反省から同じ轍を踏まないように真面目に政治家として働いているようだ。国際政治のかじ取りは難しい。我々一般国民も政治家だけに政治を任せるのではなく、住んでいる地域を通じて政治に関心を持って行こう。我々が愚かであれば政治家も愚かになってしまう。

Sun.Jan.27,2013 1964年の伝説の名勝負 日本vsソ連

NHKさんは時々粋なことをやってくれる。NHK衛星放送の正月の特別番組で「伝説の名勝負 感動 東京五輪 女子バレー激闘!日本vsソビエト」が放映された。正月は家族で家内の実家にいたが、実家のTVでは衛星放送は見ることはできなかった。自宅のほうも録画予約をやっていなかったので見損なってしまった。

(会場は世田谷区にある駒沢屋内競技場。観客4,000人)
48年ぶりに発見された決勝戦全てのフィルムという宣伝文句であった。そういえば、年に数回流れる東洋の魔女番組でも試合風景はあまりみていない。録画しておいて、今の若い指導者に見せてあげたかったので、残念な気持ちでいた。

(大松監督を囲んでの作戦タイム)
今朝の新聞でTV番組欄をチェックしていると、幸運にも再放送が9:00から2時間番組として放映されるということで、今見ている。このゲームは、日本の歴代高視聴率のスポーツ番組のトップ1で66.8%を記録した。そして活字メディアから放送メディアに移行していく時代でもあった。1964年のこの時、私は中学1年生であった。

(セットカウント3-0で勝利の瞬間)
ゲーム内容を今回じっくりと見て驚いた。現在のバレーのレベルと比べても決して劣るところはない。流れは、単純、単調であるが、プレーの一つ一つは力強く、正確である。ソビエトは、当時珍しい筋トレをやっていた、ということもわかった。日本は大松監督と選手との強い信頼関係、絆に基づくチームワークが素晴らしかった。攻撃型のソビエトはバックアタックや片足での空中移動スパイク(スライド)も自然と出ていた。守備型の日本は変化サーブで相手の攻撃のパワーを減じ、回転レシーブという柔道の受け身から編み出した新技術で対抗した。大松監督は「7:3で勝てる練習をやってきた」と自信を持って試合に臨んだことを、勝利インタビューで語った。

(敗北直後のソビエトチーム。「日本は私たちの先生でした」。美しい敗者の言葉である。東京で負けた直後、ソビエトの若きエースのリスカルはトイレに駆け込み悔しくて大泣きした。4年後のメキシコの決勝戦では日本と対戦したソビエトがリスカルを中心に金メダルを獲得した)
このビデオを講習会開催時にパソコンに入れて持ち運び、事あるごとに活用していきたい。我々指導者は歴史を知らなければ、将来のバレーのビジョン(あるべき姿)を描くことはできない。先輩指導者の姿から多くのことを学んで行くことができる。

Sat.Jan.26.2013 厳しい指導と体罰の境界線は?

一昨日は、東京の中学校の女子柔道強豪校で、今日は愛知県の工業高校の駅伝強豪校で「体罰」報道が出てきた。怪我を負わせられたり、転校を余儀なくされた、ということである。全国の親御さんたちが、大阪のバスケット部顧問の暴力での指導による事件を切っ掛けに、堰を切ったかのように教育委員会に我が子に対する体罰を直接訴え始めた。文科省も全国全ての部活動に対して調査を始めた。

とうとう火がついた。しばらくは、日本の部活はぎくしゃくした形で進行していくであろう。そして、学校から部活がなくなるかもしれない。部活は「社会体育」、つまり地域スポーツ文化クラブに移行していくかもしれない。具体的には、10数年ほど前からスタートした「総合型地域スポーツクラブ」で指導のプロにより競技スポーツから生涯スポーツまで幅広く指導されていく、と私は予想する。

文科省は、全国での体罰の実態のデータを振りかざして「部活廃止」を全国の学校に通達するやもしれない。

 
日本経済新聞の夕刊に連載されている重松清さんの『ファミレス』という小説にふと目が留まった。昨日の夕刊であった。確か重松さんという作家は2000年に「ビタミンF」で直木賞を受賞している。学校での子供のいじめや不登校、家庭崩壊と子供など現代の社会問題・教育問題・家庭問題を小説という形で取り上げて注目されている作家である。

「厳しい指導と体罰の境界線」のことを作中人物に次のように言わせている。

「子供の自殺という痛ましいニュースを見聞きするたびに、陽平は思う。その子は悲しいから死を選んだのではない。寂しさや憤りがそのまま命を絶つ理由になったわけでもない。
 苦しんでいたから――もっと正確に言うなら、苦しめられていたから、死を選ばざるをえないところまで追いつめられてしまったのだ。
 いじめの定義はなんだ? 厳しい指導と体罰の境界線はどこだ? 陽平は一人の教師として、親として、オトナとして、迷いなく答える。その子が苦しい思いをしていたら、それはすべていじめであり、体罰なのだ。
 大人たちの教育論や子育て論はさまざまでも、根っこの根っこにあるものは同じ――『子どもを苦しめてはいけない」に尽きるのだ、と陽平は信じている。」

大好きなはずのスポーツで、トレーニング以外で虫けらを扱うの如く心を踏みにじられ、体を痛めつけられているとしたら、それは「スポーツ」とは言わない。それは「暴力」だ。

2013年1月26日土曜日

Fri.Jan.25,2013 墨田区のジールさんとソフトバレーの練習

シールというのは人名ではない。東京都墨田区内で活動している東京都を代表する老舗のクラブの名前である。今夜は、そのジールさんと一緒に練習させて頂いた。練習も楽しかったが、その後のクラブハウス(いきつけの中国料理店)でのメンバーとの会話が更に楽しかった。練習が2時間、反省会が2時間半。どちらが主なのか良くわからないところが、ソフトならではの楽しみ方なのであろう。
いや、どちらもソフトバレーの正式な楽しみ方なのだ。・・・と勝手な解釈をつけるのもソフト愛好者の自由、気ままさ。

メンバーの中には、全日本中学バレーで日本一になった20歳代の女性もいる。50歳になって初めてソフトバレーを始めた人もいる。60歳代も数名いる。職業も多種多様だ。自営業、企業の管理職、派遣社員、看護師・・・、これもソフトバレーの面白さ。

アルコールも入って、メンバーから日本連盟や東京都連盟の運営についての要望なども気軽に聞ける。全国大会や関東大会、近隣の招待試合にも毎月のように出場されているので、色々な意見が出てくる。


(墨田区のシンボル、いや日本の新しいシンボルですね)
夜も冷えて、帰宅のためにお店から出た。JR錦糸町駅に向かう途中、スカイツリーが見えた。東京タワーが都会のビルの谷間に見えるのと違い、スカイツリーは下町の商店街や住宅、工場の谷間から天高くそびえている。今夜のスカイツリーは、青白く輝き、夜冷えの東京を象徴していた。

2013年1月25日金曜日

Thu.Jan.24,2013 コーチングのコツ- 8 バックプレーヤー同士のカヴァーリング

コートのバックポジションにいるレシーバーが、ボールをコート後方に弾いてしまうケースはよくある。そして、弾かれたボールが、他のプレーヤーにカバーされずに、床に落ちてしまうケースも多い。なぜであろうか?

弾かれたボールが、レシーバーの前方、つまりコート上の空間に上がれば、他のプレーヤーもカバーしやすい。ところが、コート外にボールが弾かれると、カバーするべきプレーヤーの足が一歩も動かない。これは、プレーヤーのカバーの体勢に原因がある。首だけひねってボールを見ているプレーヤーは、仲間の弾いたボールをカバーして、つなぐことができない。つなぐことがバレーボールなのに、カバーできなければ単なるボール遊びになってしまう。

カバーは、ボールとボールを扱おうとしているプレーヤーに対して顔、胸、両膝、両爪先を向けること。つまり、正対することが重要である。正対することで、進行方向に重心がかけられ、動きだしが素早くなる。

(黒丸がコーチ、二重丸がプレーヤー。丸数字は、ボールの移動順))
基本の練習を紹介する。エンドライン際に2人を配置して、コーチ(●)がボールをコート外後方に打ったり、投げる(これを1本目のボールとする)。ボールに近い1人(A)がそのボール(①)を追いかける。もう1人(B)はボール①を追いかけているAを追いかけ、カバーしていることを声で伝える。ボール① に追いついたAは、カバープレーヤーBの声のする方向にボール② を上げる。カバープレーヤーBは、ラストボールとして、そのボール③を相手コートに返す。

ポジションに戻ってきた2人は、今度は役割を交代して行う。セット数は、体力のレベルで決めれば良い。やってみてわかるが、そう簡単ではない。初めは、上手なコンビで見本を示してからやると良い。コーチの投げるボールも難し過ぎず、易し過ぎず、プレーヤーのレベルにあったボールを出すことが大事だ。コンビは、まずは経験者と初心者を組ませることでボールはつながり、初心者は自信を持つ。初心者同士を組ませてはいけない。止むを得ず、初心者同士になってしまったら、コーチは特に易しいボールを投げてやる配慮が必要である。

2013年1月24日木曜日

Wed.Jan.23,2013 2013年度ソフトバレーボールのルール校正終了

日本バレーボール協会での私のボランティア活動。それは、審判規則委員会規則部員としての活動だ。具体的な活動は、2人制のビーチバレーから6人制、9人制そして私の責任担当が4人制のソフトバレーボールのルールブックの編集作業である。今年は6人制の編集が大変であった。オリンピックの年は国際ルールが変わるからだ。今回は「サーブレシーブをオーバーハンドでレシーブした場合のハンドリング基準」が変わった。

昨夜、ソフトバレーボール競技規則の最終校正原稿をチェックし終えて、審判規則委員会の主事にメールでチェック点をメールで送った。後は印刷されたルールブックが2月末に発行されるのを待つだけだ。

今月末は、ソフトバレーボール競技規則の改・修正点詳解の文書を作成して、3月のソフトバレーボール連盟の理事会、全国代議委員会に備える。1月も、あと1週間で終わる。2月は短い。3月は直ぐ来る。今できることは今の内にやっておこう。

Tues.Jan.22,2013. Our Soft Volleyball Club

2週間ぶりの我がクラブでの練習に参加した。先週は、夜のこの時間帯に千葉県バレーボール協会の常任理事会が入ったので練習はお休みさせてもらった。今夜は、普段参加してないメンバーもいて、到着が少し遅れた私の見たところ、28名ほどが元気に飛び回っていた。

今夜は、また、かねてよりソフトバレーを体験してみたいという40歳前半のママさんバレー現役のお二人が参加した。今月上旬の春高バレーの会場でばったり再会した同じ船橋市内のママさん達である。お二人ともママさん全国大会にも出場したほどの名プレーヤーである。

試しに、私と組んだ。ママさんチームではエースポジションのお二人には前衛のポジションをやっていただいた。男性陣はセッターとレシーバーの役を引き受けた。結果・・・「わたなべさん、むつかしいねソフトバレーは!」。何故難しいと感じたのか?それは、ママさんにはない「ローテーション制」と「アウトオブポジションの反則」に不慣れなせいだ。小学生バレーから中学のバレーに移行するときも中学1年生は、この2つのルールに戸惑う。

しかし、レシーブとトスは見事なもので、1ヶ月一緒に練習をやれば上級レベルのソフトバレープレーヤーになるであろう。彼女達は、今後、一月に1回練習に来てくれるであろう。失敗しても、大笑いしながらプレーするソフトバレーは彼女達に新鮮なスポーツに見えたのなら来て頂いた甲斐があった。

2013年1月23日水曜日

Mon.Jan.21,2013 1ヶ月ぶりのママさんバレー

パソコンスクールに月曜から金曜日、毎日6時間パソコンの画面を見つめて、指やマウスをせわしく動かして1ヶ月が経った。

サラリーマン時代もIT機器は活用していた。23年前、丁度サッカーのJリーグがスタートする2年前、大阪本社から異動してきた同僚がワープロを自費で購入して、私の席の前でパチパチ、何かの企画書を毎日毎日その企画書だけ打ち始めた。社内にはまだパソコンは整備されていなかった。1ヶ月後、その同僚は企画書を完成させたあと、大阪に異動で帰っていった。それから一年後に日本にプロのサッカーリーグができた。驚いたことに、開幕の時の全チームのユニフォームは私の勤務している会社製で独占されていた。それらは、大阪から異動してきたあの時の同僚が作った企画書が具体化されたものであった。彼は特命を帯びて東京に来たのであった。

私は、彼がなぜ東京にきたのかなどということより、企画書を綺麗に作れるワープロというものに興味を抱いた。そして、私も自費でワープロを買った。

現在では、ワープロを使っている人はほとんどいない。ワープロに代わって今やWordが使われている。メーカーもワープロは既に製造していない。

前置きが長くなってしまった。そのWordやExcelを職業訓練で土日以外の毎日6時間受講している。来週からは、Power Point、Web基礎と進んで行く。4ヶ月の学習の間、日中のママさんバレーの指導はできない。今日は、自由時間ができたので、幼稚園ママさんバレーの練習試合に顔を出して指導した。

この日は、たまたま幼稚園もお休みで、子供達も母親に付いてきた。我がチームは全員で25名ほどが、コート周りで騒がしくプレーしたり、子供をトイレに連れて行ったり、私も子供達の遊び相手になったり、何とも賑やかであった。

子供の歓声が聞こえる環境は良いものである。体育館の中を所狭しと動き回ってこそ、子供である。子どもは風の子と昔は言ったものだが、現代は外の道路は車で危ない。今や子どもは体育館の子、となった。パソコンゲームより自分の体を使った昔ながらの遊びを少し教えてあげた。

2013年1月21日月曜日

Sat.Jan.20,2013 チャンピオンはライバルに育てられる

「巨人、大鵬、卵焼き」という流行語を生んだ元横綱大鵬の納屋幸喜さんが昨日19日72歳で亡くなった。
(1967年事前相撲の集いで横綱三段構えををする大鵬と柏戸。勇壮ですね)
 

優勝回数は歴代1位の32回。現役時代の取り口を私もTVで見ている。強かった。強すぎて、時には負ける相撲を見たいと思うようになった。特に、私のひいきにしているライバルの横綱柏戸が大鵬と対戦してコロッと負けると余計にそう思った。柏戸は負けると八の字眉が更に垂れ下がって情けない顔になった。

柏戸は、私の田舎の酒田市のお隣、鶴岡市の出身である。したがって、柏戸は郷土の出身、同じ郷土の血が流れている、とばかり熱烈に応援した。私は、この柏戸がいたからこそ大鵬は、ますます強くなっていったと思っている。

柏戸の優勝回数こそ5回で、大鵬の32回と比べると少ないように見えるが、横綱在位47場所(歴代6位)で決して弱い横綱ではなかった。柏鵬(はくほう)の直接対戦成績は、柏戸:16勝、大鵬:21勝であった。

私は、チャンピオンを讃えるだけでなく、ライバルも讃えたい。大鵬関は、17年前に58歳で亡くなった柏戸関(富樫 剛)と今頃、黄泉(よみ)の国の土俵で胸を借りあっていることであろう。

合掌

2013年1月19日土曜日

Fri.Jan.19,2013 アルジェリア 人質事件

アルジェリア東部でプラントの大手、日揮の日本人ら多数の外国人が拘束された人質事件でアルジェリア政府軍は17日、実行犯のイスラム武装勢力が立てこもるガス関連施設を攻撃した。多くの死傷者が出たもようだ。


(チュニジアは、アルジェから東方にある。イタリアに最も近い)

現場は、私が38年前に青年海外協力隊員として派遣されたチュニジアの国境の直ぐ脇である。チュニジアには砂漠はほとんどない。街から南部に下っていくと土と砂の中間の土漠(どばく)地帯がしばらく続く。その先に良くTVや映画で見るサハラ砂漠が延々と広がっている。「サハラ」とは、アラビア語で「砂漠」を意味する。今回の現場は、そんな砂漠の中で働く外国人社員や技術者を意図を持って襲った。

メディアが使う「邦人」とは、「外国で暮らす日本人」のこと。「異邦人」は、「日本で暮らす外国人」のこと。チュニジアでは、私も邦人の一人であった。日常はゆったりと時間が流れているアラブ世界だが、火種は常にある。私がチュニジアにいた当時も時々隣国のカダフィー大佐率いるリビアからチュニジアの反政府に銃器が流れてきて、時折市内で銃声の音が聞こえた。2年前に、チュニジアから始まった「アラブの春」の民主化運動が隣国のリビア、エジプトにも飛び火して独裁政権が相次いで崩壊した。そして、リビアからカダフィー政権時にあった大量の銃器がマリのイスラム武装軍に渡っている。

アルジェリア政府は、関係各国と調整もせずにイスラム武装軍に人質ごと攻撃したと、伝えられている。関係各国は時間をかけ、人命第一の下、交渉で解決しようとしているが、アルジェリア政府はイスラム武装勢力を撲滅せんと血気に逸(はや)っている。

イスラムの歴史、アフリカ大陸の歴史、貧困、大国の野望・・・背景には色々あるが、今は、邦人に限らず人質になった人達の無事の救出が最優先課題。関係諸国の首脳がここで団結して事に当たることが急務だ。安倍総理も急遽、東南アジア歴訪から前倒しで日本に引き返した。国のリーダーとしてのリーダーシップを確実にそして迅速に果たして頂きたい。グローバル化の時代。日本の経済も世界の先端で闘っている日本人が大勢いる。今後更に多くの日本人が海外に出て外国人と共に働いて行かざるを得ないのが日本の現状。過酷な自然の中での業務でストレスが溜まりに溜まっている人達に、今度は命の危機が迫っている。異国の地で命を落とすことのないよう無事を祈るばかり。

2013年1月18日金曜日

Thu.Jan.17,2013 コーチングのコツ - 7 5W1Hで問うコーチングを

選手がミスをした場合、どのように指導をすべきか?

5W1Hで質問するコーチングは、選手の自主性を伸ばす。勿論、その前提としては、基本の構え、ステップ(足の運び)、ポジショニング(スタートの位置)を指導しておく。そして、2人から4人のミニゲームに入る。はじめから6人、まして9人がコートに入ってプレーしても人が多い分、コミュニケーションが難しくなりボールが繋がらなくなるので少ない人数の方が良い。

5Wとは、When,Where,Who,What,Whyのこと。1Hとは、一般的には、How manyのこと。例えば、Dig(スパイクレシーブ)が上手くいかずにボールをコート外に弾いてしまった場合。「おい!何やってんだ?」と結果を叱るのではなく、「Where?  今、何処で構えていた?その位置で良かったのかな?  相手スパイカーの能力、トスボールとネットとの距離などよく観察して、予測した位置で構えていた?」と質問することで、本人が気がつくコーチングの方が上達は早い。観察して、予測して、あとは実行する。反復練習を繰り返す。

そして、できかかっている場面をコーチは見逃さず、褒めて、更に反復する。質問で一番難しい質問は“Why?"。これは大人にも難しい問い方だ。

5W1Hを用いての指導は、選手自身が持っている力を生かすことだ。




2013年1月16日水曜日

Wed.Jan.16,2013 橋下市長の入試中止発言

 本日の日刊スポーツの記事から転載する。

「大阪市立桜宮高バスケットボール部の男子生徒(当時17)が顧問(47)の体罰を受けた後に自殺した問題で、大阪市教育委員会は15日、体罰があったバスケット部とバレーボール部の活動を無期限停止することを決めた。
 また、橋下徹大阪市長(43)は15日の記者会見で『体育科の入試はいったんやめるべきだ』と述べ、今年の市立桜宮高の体育科の入試を中止したいとの考えを表明。また『スポーツ指導の場で手を上げることは一切禁止する』と述べ、部活動での指導の徹底的な見直しを表明した。

 橋下市長は『体育科の存在を一から見直して、教員、校長はもちろん、保護者、生徒の意識もあらためてもらいたい』と語気を強めた。市長は、混乱を最小限にとどめるため、体育科の定員80人、スポーツ健康科学科の定員40人の計120人の定員を普通科に振り替える代替措置を提案し、市教委が今後協議する。

 『体育科を受けようと思っている受験生の生徒諸君には、申し訳ない。このまま続ければ大阪の恥です』と理解を求めた。」

私は、今回の問題に対して、市長の並々ならない決意、行動力には評価をしている。しかし、入試を取りやめると言うのはいかがなものか。体育科に入学を希望している中学生、後輩の入学を楽しみにしている高校生の気持ちを踏みにじっていいものか?問題を起こしたのは、大人たちである。子供達に責任はない。大人達が作った隠蔽体質や責任を現場になするつけるシステムこそ取りやめるべきである。マスコミが騒々しい今、一定期間の部活活動停止はやむを得ないとしても、入試を取りやめることは筋違い勘違いというものである。再考をお願いしたい。

調査の結果、問題教員は一掃し、不足の部分は教員免許を有している若い人や定年後のベテラン教員を市の臨時職員として雇い急場をしのぐなどの方策はあると思う。もしくは、地域のクラブチームと契約して練習を続けるとか、方法はある。罪のない子供達の心をこれ以上曇らせてはいけない。

2013年1月15日火曜日

Tue.Jan.15,2013 バクダン低気圧

2013年の首都圏での成人式は初雪の中で行われた。Snow Whiteでの成人式は思い出に残る、などと言っている新成人もいたが、それにしても今回の雪は降りすぎた。まさにドカ雪であった。7年ぶりという。海岸沿いでは強風が深夜まで不気味な音を発しながら吹きまくった。羽田や成田空港の飛行機は欠航が相次いだ。高速道路も一般道も交通網が遮断された。物資の運送に支障をきたした。

(明け方、電車を待つ。寒いというより冷たい)
一昨日から千葉県旭市の妻の実家に来ていた私も昨夜自宅に帰れなかった。道路は凍結し、車はスリップの危険があるので運転できない。車は実家に置いて行くことにした。旭市は太平洋に近く、瞬間最大風力が38mを記録した。電車は不通になった。総武線の電車は、深夜になって平常には戻ったが、間引き運転に、のろのろ運転で時間の計算ができなかった。

(浦安駅前はまだ雪が残っていた)
今朝、飯岡駅から6時20分の電車に乗り、千葉駅と船橋駅で乗り継いで、通学のパソコンスクールのある浦安駅に着いたのは8時20分であった。旭市の方は雪がほとんどなかったが、都内に近づくほど積雪が多い。足元は昨日溶けかかった雪がアイスバーンのようになり、バランスをとりながら歩かないと危ない。 雪国の山形出身である私にとって氷の上を歩くことは慣れたものであるが、油断は禁物である。腰を落として、歩幅を短く、あしの裏全体から氷の上に接しながら歩く姿は、さしずめ能役者のようだ。疲れた・・・。

(自宅のマンション前の凍った道路)

2013年1月14日月曜日

Mon.Jan.14,2013 TOKYO 2020 Olympic 招致活動

支持率が向上してきた。読売新聞社が11〜13日に実施した全国世論調査(電話方式)で2020年夏季オリンピックの東京開催について「賛成」が78%に上り、「反対」は18%にとどまった。

安倍内閣の支持率も68%と、内閣発足直後と比べて3ポイント向上した。日本の政治が、これ以上壊れては世界の笑ものになってしまう。安部さんには、前回の失政を生かして国民の期待に応え、必要な政策を着実に実行していっていただきたい。私は教育・スポーツ政策に関心を払って行きたい。

部活での体罰事件では、新たな事実も出てきた。例の監督は、体育の授業や体育祭でも体罰を行っていた。また、管理人を置かずに共同(寮)生活をさせていたことも調べで出てきた。言葉の暴力、イジメ、つまりパワハラの事実も出てきた。今後の調査で新たな事実も出てくるであろうが、上位の管理責任者としての校長、更には教育委員会も厳しい処罰を受けるであろう。

前にも書いたが、今回の事件を契機に日本のスポーツシステムから「部活」がなくなるかもしれない。そして、地域スポーツクラブが青少年を受入れて行くのかもしれない。しかし、その環境は、まだまだ未整備だ。

今回の体罰事件は17歳の自殺という哀しい結末になってしまった。そして、同様の指導を今でも行っている指導者には、今回のことを厳粛に受け取って、これからの指導を改めて欲しい。

2013年1月13日日曜日

Sun.Jan.13,2013 バレーボールの神様

春高バレー、男女の決勝戦が行われた。結果は、以下のとおり。

男子:星城(愛知) 3 - 1 大塚(大阪)  (25-21, 23-25, 25-21, 26-24)

(慢心せずに努力して更なる高みを目指して欲しい)
星城は、春高バレーボール優勝2回目。史上4校目(県立釜利谷、県立岡谷工業、県立深谷に次ぐ)の三冠(インターハイ、国体、春高)達成チームだ。二年生主体のチームなので来年も期待できる。

女子:誠英(山口)0 - 3 下北沢成徳 (21-25,31-33,23-25)
下北沢成徳も春高バレーボール優勝は2回目だ。

さて、昨日の男子準決勝戦2セット目24-24でジュースから一進一退の時に大塚高校の山口監督から「バレーボールの神様」という粋な言葉が出た。「苦しい状態に負けるな。自分達がどんな人間なのか神様に試されていると思え」。それが効いたか、そのセットを苦しみながらも勝ち取り、3セット目も勢いで取った。

似たようなことを、13年前の春高バレーで聞いた。秋田県女子代表の県立由利高校のメンバーと監督の籾山先生が試合直前にコート脇で稲山先生(元埼玉県久喜高校監督、その後、三洋電機監督)からアドヴァイスを受けていた。

「努力してきた君達には、バレーボールの女神が付いている。思い切って闘って来なさい」。その場で私も聞いていて、うまいこと言うもんだなあ、と感心したことを思い出した。その稲山先生も10年ほど前に故人になられた。籾山監督は、その後、同じ高校で教頭になられ、更に異例なことであったが、異動せずに校長にまでなられた。3年前に定年退職されたと聞いた。

さて、春高バレーボールも終わった。次は、新人戦。そしてインターハイ予選だ。

2013年1月12日土曜日

Sat.Jan.12,2013 春高バレー 準決勝 速報

会場は、先週と変わって、埼玉県所沢市営体育館。収容できる観客数は、例年の代々木体育館の約1万人、都体の約8,000人とまではいかない。特設にしても4,300人が精一杯だ。今年は東京都体育館が内部工事のため使用できず、競技役員も苦労されたことであろう。

(成徳ベンチ側から観戦)
第一試合は、山口県の誠英(前 三田尻女子)が3-0(25-22, 25-12, 25-23)で我が千葉県代表の県立柏井を一蹴した。柏井は今年度岐阜国体に続いてのベスト4で立派なものだ。続く第二試合は久々にベスト4に躍り出た熊本信愛女学院と東京都第一代表の下北沢成徳学園。一進一退の攻防戦でフルセットまで突入。結果は(25-18, 23-25, 25-13, 15-25, 15-9)で、最終5セット目はパワーに勝る下北沢成徳が逃げ切った。

しかし、内容が単調、大味で、3年生が出場しているゲーム内容としてはやや不満が残った。特に、セッターはもっと鍛える必要がある。今回の女子では東京都第2代表でベスト8の文京学院大高校のセッターが良かった。ボールを上手にコントロールして相手ブロッカーを分散させていた。

そのセッターの育ての親で文京学院大高校・中学の総監督である山根貞子さんに携帯から連絡した。早速、例のガラガラ声で電話口に出てくれた。「そうよ、そうなのよ。あのセッター良いでしょう?私も太鼓判を押しているのよ」。それからしばらくセッター育成の話を10分ほど次の男子の試合が始まるまで、貞子さんのガラガラ声とお付き合いした。

役員席のすぐ後ろで観戦していたおかげで、本日も多くの仲間や知り合いに会えてお話ができた。競技委員を務めていた東京の松蔭学園の大野監督、埼玉県女子第2代表で出場した市立川越高校(旧 川越商業)の小峰監督、一昨年新潟県で開催されたFIVB講習会で知り合った埼玉県教員の方々。久しぶりに話ができたのは、元全日本女子センターの三屋裕子さん。あだ名は「サイ」。三ツ矢サイダーから採ってニックネームは「サイ」と名づけられた。1980年代にメキシコでユニバシアード大会があり、彼女が筑波大学生で出場。私は男女チームのスポンサー代表(チームサービス担当)でメキシコシティに行った。メキシコでは私の怪しげなスペイン語でも十分通じた。

(星城ベンチから。試合前の観客へのチーム挨拶)
男子は、愛知県の星城が鹿児島商業に格の違いを見せ付けて3-0(25-22, 25-19, 25-21)で勝利した。もう一つの男子の試合は見ずに会場を後にした。後で知ったが、大阪第一代表の大塚が長崎の大村工業に3-0(25-16, 33-31, 25-20)で勝利した。

きょうは、これから電車で2時間かけて、カミさんの実家に行き、義父と義母に会いに行く。義理の両親も老年だ。なるべく家族一緒にいる時間を作ってやりたい。明日の決勝はTVで観戦する。

2013年1月11日金曜日

Fri.Jan.11,2013 再び「体罰」について

 文部科学省の調べでは、全国の公立小中高校や特別支援学校で2011年度に体罰を理由に処分された教職員は404人に上る。三割程度が部活動絡みだった。最近十年間は四百人前後で推移していて、大きくは減っていない。大阪だけでなく、全国的に体罰を容認する風潮が根強く残っているのが現実だ。


(バレー部にも体罰があった。なんということだ・・・)
メディアは、「体罰」という何か教育的なニュアンスを混ぜた日本語でなく、明確に「暴力」という日本語を使うべきではないか?「暴力」という恐怖で指導して全国大会に行ってもそこにはスポーツの価値がない。教師と言うのは、教える専門家のこと。「教育」とは教え育てること。教育を放棄して、恐怖感と教師と生徒との従属関係(進学決定権など)を背景にした部活指導に社会における存在価値はない。暴力で指導する人間に教師の資格はない。そしてこれは事件として厳罰を科すべきだ。
そうでなければ、亡くなった生徒が浮かばれない。

 このままでは、「部活」は、教育の一環から外れて、地域スポーツ社会の範疇に入り「地域クラブ」として今後活動するようになるかも知れない。学校というところは、体育を教える。地域では地域スポーツクラブが資格を持った指導のプロがスポーツをコーチする。そういう方向に今後進んで行くのか。日本のスポーツを支えてきた両輪としての「企業スポーツ」そして「部活」がますます衰退していくのであろうか?それとも、日本のスポーツの転機となるのであろうか?

 
 現在、東京都知事の猪瀬さん達がロンドンに行き、2020東京オリンピック招致を訴えているが、こんな野蛮な国でオリンピックを開催させるべきではない、と言われるかもしれない。本日の午後3時に下村文科相は、学校現場での体罰の実態調査の実施を求めることを決めた。下に今夕の朝日新聞夕刊の記事を転載する。

(下村大臣本日3時の記者会見。この方は苦学してこられた方だ。英断を期待したい)
 大阪市教委へ義家政務官派遣 文科省、体罰全国調査へ
「 大阪市桜宮高校でバスケットボール部顧問の教師から体罰を受けていた男子生徒が自殺した問題で、文部科学省は11日、全都道府県に対し、学校現場での体罰の実態調査の実施を求めることを決めた。具体的な質問項目や調査方法は統一せず、各都道府県に委ねるが、結果の報告を求める。
 下村博文文科相は11日の閣議後会見で「部活動で試合に勝つことや強くするために体罰を厳しい指導として正当化することは誤った認識」と述べ、「体罰で子どもが命を落とすようなことはあってはならず、子どもの命を預かる学校として、まさに犯罪だ」と批判した。
 「大阪市教委を指導していく必要がある」として、15日に義家弘介政務官を同市教委へ派遣することを表明。事実解明と文科省への報告を直接指示するという。
 学校教育法は体罰を禁止しており、文科省は2007年の通知で、殴る蹴るなどの「身体に対する侵害」や長時間の起立や正座といった行為を体罰と規定している。同省は改めて体罰の禁止を通知する方針。」

  明日は、春高バレーの準決勝で埼玉県の所沢市民体育館に行く。

2013年1月10日木曜日

Thu.Jan.10,2013 17歳少年が体罰を受け自殺

 なんともやりきれない苦い事件だ。自殺した17歳の少年の未来は閉ざされた。ご両親の嘆きもいかばかりであろう。身につまされる。17年間、何のために苦労して育ててきたのか・・・これから大学、社会人、結婚、孫の顔見て・・・全てが突然、消え去ってしまった・・・。

 大阪市立桜宮(さくらのみや)高校バスケットボール部主将の男子生徒が顧問の男性教諭(47)の常態化した体罰によって自殺した。本日の日本経済新聞夕刊によれば、自殺した前日も、顧問から30回から40回殴られたと母親に打ち明けたということが教育委員会への取材で分かった。

 大阪市長の橋下氏は、「これは犯罪だ!」として、教育委員会に指示し全ての市立学校の調査を命じた。今まで5人体制の組織を100人体制にして徹底的に市立高校、中学、小学校まで拡大して調査をするということだ。

 殴った理由は「練習試合でミスしたから」「実力があるのに試合で力が発揮できない選手を発奮させたかったから」からという。

 まず、断っておきたいが、このような殴る、蹴る、物を投げるなどの暴力的な指導をしている教諭は、ごく一部であると言っておきたい。ほとんどの指導者は、まずスポーツを好きになるような指導を行っている。そして、より上手に、より高みに行きたい子供たちのために自分から自主的に厳しさに向かっていく指導を行っている。子供たちの小さな努力の継続を認めて、後押しするのが指導者の役割だ。

 
 私の仕事柄、34年間の間、全国のトップクラスのバレーボールチームを訪問した。練習も沢山見てきた。20年ほど前までは、殴られたり、蹴られたり、椅子やものを投げられたり、竹刀や棒などで叩かれたりして日本一になったバレーボール部員を私は沢山知っている。彼ら、彼女達に「そういうことは君にとって良かった?」と聞くと、「自分で考えなくとも良い。先生のいうことをそのまま『ハイ』と言って実行していれば楽だし、確かに強くなった。だけど、バレーボールが嫌いになった。練習休みが一番の楽しみだった」。

 練習に早く行きたい。きょうこそ、あのプレーをできるようにしたい。先生にもっと教えてもらおう。それが子供たちの素直な気持ちではないであろうか。そして指導者は、今は市内の大会で1回戦負けのチームであっても、今より少しでも子供たちが上手になって、そしてバレーボールが好きになって卒業していく姿を送っていく。その繰り返しが指導者の仕事であると私は考えている。その考えは、レベルが日本一を目標にしているチームでも同じと考えている。

 10数年前に75歳で惜しくも突然逝ってしまった東京都の名門中村高校女子バレー部監督の渡辺先生(全国大会11回優勝)の言葉を思い出す。
「孝くん、僕が現役監督の時代は殴る指導は当たり前にように行われていた。しかし、僕自身は、子供達を一度も殴ったことはない。殴るぐらいの迫力で指導をしていたが、実際引っ叩いたり蹴ったりしたことはない。だいたい、殴って指導している指導者達は殴ったから発奮したと思っているが、違うんだ。子供達は殴られるのが嫌だから一生懸命やっているんだよね。一番楽しい練習は、生徒自身が自分の頭で考え、工夫しながら練習することなんだ。なんたって、それが人間の一番の楽しみなんだ。「考えること」が人間の一番贅沢な楽しみなんだ」。

 私はこう考えている。例えば、国語の授業で漢字を間違ったからと殴りますか?間違ったら、ミスしたら、できるまで繰り返しその漢字をノートに書く練習をやることではないか。バレーであれば、時間の許す限り体育館で反復練習を行う。子供が、つまづけば指導者はそこで有効なヒントを与える。その繰り返しの中で少しでもできかかってきたら、そこを指導者は見逃さず「そうだ!それそれ、その感じ・・・もうちょいだ・・・」と励ましてあげることだ。

 最後に・・・、現場では体罰だけが暴力ではない。言葉の暴力で登校拒否になったバレー部員もいたと聞いたことがある。子供たちの中には、精一杯頑張っているのだが、これ以上できない生徒もいる。そのような子供に「もっと頑張れ!」と叱咤激励するのは子供にとっては大きな苦痛となる。その子供にとって、精一杯頑張っているのであればそれで良いのではないか。大人になれば、また変わってくる。限界まで伸ばした輪ゴムを無理して更に伸ばそうとすれば、プツンと切れてしまうのが道理だ。

 昨年、ある高校の卒業式が終わった後に、卒業していくバレー部員の子供達から次のような言葉を言われたと喜んで電話してきた高校の指導者がいた。
 「先生のお陰でバレーボールが大好きになりました。卒業後も大学の同好会か地域のクラブでバレーボールを続けます。ママさんになっても続けます。そして自分の子供と一緒にバレーやりたいな」。

2013年1月9日水曜日

Wed.Jan.9,2013 Tokyo 2020年オリンピック招致 キックオフ

 56年ぶりの夏季五輪開催を目指し、東京が本格的なスタートを切ったと新聞各紙に載った。対抗馬はトルコのイスタンブールとスペインのマドリード。現状では、イスラム圏で初めて開催しようというイスタンブールが、ややリードしている。

 東京の招致活動の課題は、都民と国民の支持率の向上だ。対抗馬の国内での支持率は70%以上と高い。東京もこの2月頃に行われるIOC(国際オリンピック委員会)の国内支持率調査で前回の65%を上回る支持率がないと招致レースで劣勢に立たされる。私のような年代の日本人が目の前で躍動するオリンピックを生で見られる最後のチャンスと言ってよい。

 都知事に就任したばかりの猪瀬さんは積極的に動いている。今日から12日までロンドンに行き記者会見に応じるなど広報活動するという。
(昨日の計画発表での記者会見。右端が荒木田裕子さん)
 日本バレーボール協会の荒木田裕子さんもこの招致委員会のメンバーだ。彼女自身もモントリオールの金メダリストである。私は彼女を「ユウさん」と呼んでいる。初めて会ったのが、1980年。一緒にFIVB国際バレーボール連盟公認コーチ講習会を受講した。お互いに東北人(彼女が秋田、私が山形)であり、2人だけが20歳代であったので意気投合して2週間、香港での講習会を過ごした。講師は松平康隆先生、豊田博先生と言う当時世界トップの講師。ユウさんはポチャとして可愛かったですね・・・おっと・・・今でも可愛いですョ。



2013年1月8日火曜日

Tue.Jan.8,2013 練習始め

  今年の練習始めは、ソフトバレーボールからスタートを切った。我が大穴クラブの一年が始まった。年末・年始を挟んでの三週間振りの練習であったので、アップに時間をかけて体を十分ほぐしてからゲーム練習を行った。久しぶりの練習ではアップとダウンを十分にやる必要がある。そして、もう少しゲームをやりたい手前で終了するのが怪我の予防に良い。
(本日は、夫婦が2組、親子が1組が参加)

 ゲーム練習を早めに切り上げて本日来たメンバーで集合写真を撮った。メンバーは、中学3年生から78歳まで多世代がいるのが我が「大穴クラブ」の特徴だ。
/> 

(こちらは私も入って1+1=に~っ)

これからの1年間、全員が怪我や病気がなく、笑顔で健やかな生活が営まれますように。

 

2013年1月7日月曜日

Mon.Jan.7,2013 コーチングのコツ-6 ボールから離れているところで勝敗は決まる

春高バレー3日目。私は、パソコンSchoolの受講で会場に行けない。昨日も行けなかった。それで、深夜のTVで数ゲーム見た。そのチームのレベルを見るには、ボールを追いかけてはいけない。ボールを扱うチームスポーツのレベルは、ボールから離れているところでのプレイが大事だ。

  私のカミさんが大ファンの湾岸署の青島刑事の例の台詞(セリフ)の通りなのだ。「事件は会議室で起きているのではない!」。
  少し強引な引用かもしれないが、「勝敗はボールを扱うプレーヤーが握っているのではない。次にボールに触れるプレーヤーの準備が握っているのだ」。具体的にはレシーブ時のカバーリングの準備やスパイクカバー(ブロックフォロー)が速やかに確実に取られているかだ。あなたが良きコーチであれば、そのような地味だが大事な繋ぎの部分に注意してゲームを観戦しているはずだ。

勝敗はボールから離れているところで決まる。指揮官は大局観を持って練習を見る。コート上のスタメンだけが努力しているチームは勝てない。ゲームには出れないが必死になって球拾いしているチームは強い。良いチームは、エースではなく球拾いをみればわかる。

  だから、私は、良い結果が出た時に真っ先に褒めるのがレギュラー以外の子供達だ。負けたら指導者の努力が足りなかったのだから、もっと努力をすれば良い。負けて子供達のせいにしている指導者を時々見かけるがとても見苦しい。


Sun.Jan.6,2013 名古屋で会議

  日本ソフトバレーボール連盟の企画会議に出席するために名古屋市に新幹線で出かけた。企画委員会という名称だが、いわゆる常任理事会。3月開催の理事会に向けての役員改選原案、各委員会の年度報告、計画の審議が行われた。

  会議を終えて、名古屋駅構内の鳥料理店に3名の役員を誘って新幹線の発車時間まで喉を潤した。この時の方が会議の時より発言が淀みなく出てくる。

(突き出しはシャキシャキの生キャベツ。これが旨い!)
尤も、私の夜の発言は親父ギャグが結構入ってくる。内容は結構シリアスなことを言っているのだが、親父ギャグの高笑いで内容が無いよ〜になってしまう。どうもこの悪癖は、熊本県ソフト連盟の立石理事長から悪いウイルスを移されたようだ。電話が長いのも立石さんから移された。人生で役に立たない笑い事は、全て立石さんが教えてくれた。役に立たないことで大笑いできることは幸せだ。



Sat.Jan.5,2013 春高バレー 開幕

  東京から電車に乗って、大宮駅の一つ手前の、さいたま新都心駅で降りると、会場のさいたまスーパーアリーナは、目の前にある。とにかく広くて大きな会場だ。正面玄関から役員入口にたどり着くまで結構歩いた。

  役員入口で受付を終え、コート近くに行くまでに昨年定年退職した会社の後輩達につかまった。全国の営業所で各県の代表チームをウェア、シューズなどでサポートしている面々だ。しばらくの間談笑した。会場内のコートの周りには、他にも多くのバレーボール関係者が来ている。選手スカウトが目的の大学やVリーグ関係者、新聞社、雑誌社などメディア関係者も多い。日本協会、高体連関係者なども多く、私にとっては1年振りの全国大会だ。

  コートは、全部で 5コート設けられている。メインの4コートでプレーできるチームは幸せだ。サブの1コートでゲームをやって敗退したチームには気の毒だ。やはり、メインでプレーしたかったであろう。その昔、代々木のメイン会場だけでなく、予選会場として東京都体育館を使用していた時期があった。東京都体育館で敗退したチームは、翌日羨ましそうに代々木会場で他校のゲームを見ていたことを思い出した。その点、高校野球の甲子園は全試合同じ球場で行うのであるから球児にとっては良い思い出になる。   

 関係者多数とお話できた。特に長くお話できたのは、春日部共栄の吉田監督、元東京都立高校教員で現在はNPO法人を立ち上げ小学生を幅広く指導されている鍬守先生。そして背後から近寄って「よう!ナベ!」と声をかけて頂いた日本協会の強化委員長の森田淳悟先生。先生には私の就活の一つである大学講師の職のご紹介を重ねてお願いした。

  その後、昨年から早稲田大学に凖教授として赴任された松井先生を見つけ、私の方から不躾にも手招きして呼び寄せた。実は、彼が早稲田大学男子バレーボール部3年生から我々は知り合っていた。彼は卒業後、母校の千葉県市川市立第八中学校男子バレー部など異動した学校で瞬く間に全て県チャンピオンチームに育て上げた。ある日、彼が早稲田大学男子バレーボール部の監督をやりたいと言い出した。そのためには大学の教員の資格を取って戻るのが一番確実と考えた。まずは大学教員に必須の資格の修士を取るために筑波大学大学院に入学した。同時に、中学教員は辞めた。院生の間、筑波大学男子バレー部のコーチとして都澤監督を支えた。大学院を修了した後、大学教員としての経験を積むためにも、生活のためにも大学講師の口を掛け持ちで勤めていた。この時期は彼にとっても苦しい時期であったろう。茨城県の土浦日大男子バレーボール部のコーチを務めたのもこの時期。新婚の奥様は、そんな彼の夢を叶えさせるために内助の功で支えた。

  昨年の関東大学秋リーグでは途中までトップを走っていたのも松井コーチの手腕である。松井先生は彼が中学校の監督のときに私から言われたことを今でも忘れていませんと言う。「怒ってばかりの怖い先生と厳しい先生とは違うよ。厳しさは必要だが怖さは必要ではない」。そんなことを私は言った記憶は定かではないが、彼はそのことを今でも覚えていると言う。

 そんなことを思い出そうとしているうちに、目の前のコートで激戦を繰り広げていた東京都第3代表の東洋と大阪第2代表の清風の試合が終了した。結果は 2-1 (18-25, 26-24, 25-17)で東洋の辛勝。2セット目に逆転勝利した勢いを3セットスタートから生かした勝利だ。どちらのチームも単純ミスが多かった。東洋はスタメンの内3年生が1名で他は1年生と言う布陣だからやむをえないかもしれないが、これでは3回戦に進めるか不安だ。とりあえず、現在体調を崩して自宅療養中の前監督である北畠先生にすぐさま結果を連絡した。

 本日の1回戦のゲームを見て、全体的な感想では、3年生が出場しているにもかかわらず、レベルが上がっていないと感じた。ベスト8常連のチームは例年と同じレベルなのであるが、毎回2回戦止まりのチームのレベルが更に下落していると感じた。ベスト16レベルの層が薄くなって二層化しているといっても良い。ちょっと心配だ…。

 明日は、日本ソフトバレーボール連盟の企画委員会(常任理事会)に出席のため名古屋のガイシホールに行く。

2013年1月4日金曜日

Fri.Jan.4,2013 パソコンスクール学習始め

  年末年始の休みを経て、本日からパソコンスクールへの通学を再開した。きょうも浦安は寒い。朝の気温2度であった。今月中には、日本商工会議所認定の文書作成技能検定試験を3級、2級と受ける。続いて表作成、プレゼンの検定試験も受験する。更には、MOS( Microsoft Office Specialist)も受験する。学習は、目標があったほうが良い。目標は技能検定試験合格。そして1級を取ること。社会で評価されるのは1級。2級を沢山持っていても会社は評価しない。勿論、私がパソコン技能を学習する目的は、今後のバレーボール指導をより効率的に、効果的に行うためである。手段が目的化することはない。

 
 
3時半に学習を終え、神保町の三省堂本店に行った。英語版の冒険・推理・SF小説を読みたくなった。あれこれ洋書コーナーで探して、購入したのは最新のものでなく1978年の作品で“EYE OF THE NEEDLE”(邦題「針の眼」)。作者は最近『大聖堂』を書いたKEN FOLLETT(ケン フォレット)。単行本で20年前に一度読んだことがあるようなあいまいな記憶であったが、帰りの電車の中で読み始めて、始めて読むような感じだった。そりゃそうだ、20年前の感じ方と今とは大違い。

 明日は、春高バレーの初日に行く。会場で関係者のどなたに会えるやら楽しみだ。明後日は、名古屋市で日本ソフトバレーボールの企画委員会に出席する。会議の後は、役員の数名と東京に帰る時間の許す限り年賀のお話に興じよう。

Thu.Jan.3,2013 初夢

 
きょうは、2020年8月15日。東京オリンピック、男子バレーボール決勝戦が、ここ新装された駒沢オリンピック球技場で始まろうとしている。この会場は1964年の東京オリンピックが開催された会場だ。2012年に新たに都知事に就任した猪瀬さんによる都民、国民に対する開催盛り上げとスポーツへの理解がある自民党がこの年に政権を取り戻したことも東京開催決定の推進力になった。2016年には、スポーツ庁が新設され、強化と普及、指導者の育成に拍車がかかった。トップクラスのコーチは凖公務員としての扱いになり、全国に配備された。

  決勝に残った国は、ロンドンオリンピックで3回目の出場を成し遂げ、リオではBest8に進出、近年急速に力をつけてきたアフリカ代表のTUNISIA。ベンチには40年振りに私が座っている。チュニジアでは、2011年1月14日に「ジャスミン革命」が起こり、その後エジプトなどの近隣諸国の民主化運動につながっていった。

  そして対戦するのは、開催国のJAPAN。1972年のミュンヘンで金メダルを獲得して以来の決勝進出だ。2012年のロンドンオリンピックに出場できなかった日本は、8年計画の抜本的強化策が実った。成長にはイノベーション(革新)が必要だ。イノベーションを引き起こすには、発想の異なる人達の交わりが効果的だ。日本バレーボール協会は監督に初めて外国人を採用した。アシスタントコーチには日本人を採用した。監督とコーチ達は、全員英語でコミュニケーションをとっている。このことは、若いコーチ達が海外のコーチやアナリスト達と普段から情報交換することで世界を肌で感じることに役立っている。

  …ここで目が覚めた。箱根駅伝のゴールのテープが切られた瞬間であった。日本体育大学が30年振り10回目の優勝。古豪復活である。

2013年1月2日水曜日

Wed.Jan.2,2013 コーチングのコツ-5 褒める

  NHKラジオ語学放送で昨年から始まった新番組に「英会話タイムトライアル」と言う10分間の番組がある。簡単な表現で会話を続ける工夫が沢山詰まっている。

 日本語もペラペラな講師のSteveと歌手でキュートな声を持つパートナーのJennyとの組み合わせも良い。


  この正月三ヶ日で拡大版とその再放送が放送される。拡大版とは、一般リスナーと電話を通じて、今まで学んだ表現を駆使し講師たちと楽しい会話を行うライブ企画。

  いつも感心するのは、Steveのリスナーへの接し方。リスナーが緊張感から文法や発音を間違っても、彼はまずリスナーの良いところを見つけ、そこを褒め自信をつけさせる。次に間違いを柔らかく指摘する。そして、最後にやり直しをさせる。

  これは、我々のコーチングにも通じる。技術よりも戦術よりも勝利に必要なものは、選手の持つ自信。その自信は、選手自身が困難に立ち向かう心の火を燃やし続けるところから生じる。コーチは、その点火者であり、選手の伴走者であると考えている。

  



2013年1月1日火曜日

Tues.Jan.1,2013 謹賀新年




明けまして
おめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。 

(毎年千葉県の香取神宮にお参りに行きます。20年前から和服で参拝していますが、シャキッとしてよろしいですね)

蛇は、脱皮しながら成長します。一皮むけた新たな自分に出会いましょう。