東京から電車に乗って、大宮駅の一つ手前の、さいたま新都心駅で降りると、会場のさいたまスーパーアリーナは、目の前にある。とにかく広くて大きな会場だ。正面玄関から役員入口にたどり着くまで結構歩いた。
役員入口で受付を終え、コート近くに行くまでに昨年定年退職した会社の後輩達につかまった。全国の営業所で各県の代表チームをウェア、シューズなどでサポートしている面々だ。しばらくの間談笑した。会場内のコートの周りには、他にも多くのバレーボール関係者が来ている。選手スカウトが目的の大学やVリーグ関係者、新聞社、雑誌社などメディア関係者も多い。日本協会、高体連関係者なども多く、私にとっては1年振りの全国大会だ。
コートは、全部で 5コート設けられている。メインの4コートでプレーできるチームは幸せだ。サブの1コートでゲームをやって敗退したチームには気の毒だ。やはり、メインでプレーしたかったであろう。その昔、代々木のメイン会場だけでなく、予選会場として東京都体育館を使用していた時期があった。東京都体育館で敗退したチームは、翌日羨ましそうに代々木会場で他校のゲームを見ていたことを思い出した。その点、高校野球の甲子園は全試合同じ球場で行うのであるから球児にとっては良い思い出になる。
関係者多数とお話できた。特に長くお話できたのは、春日部共栄の吉田監督、元東京都立高校教員で現在はNPO法人を立ち上げ小学生を幅広く指導されている鍬守先生。そして背後から近寄って「よう!ナベ!」と声をかけて頂いた日本協会の強化委員長の森田淳悟先生。先生には私の就活の一つである大学講師の職のご紹介を重ねてお願いした。
その後、昨年から早稲田大学に凖教授として赴任された松井先生を見つけ、私の方から不躾にも手招きして呼び寄せた。実は、彼が早稲田大学男子バレーボール部3年生から我々は知り合っていた。彼は卒業後、母校の千葉県市川市立第八中学校男子バレー部など異動した学校で瞬く間に全て県チャンピオンチームに育て上げた。ある日、彼が早稲田大学男子バレーボール部の監督をやりたいと言い出した。そのためには大学の教員の資格を取って戻るのが一番確実と考えた。まずは大学教員に必須の資格の修士を取るために筑波大学大学院に入学した。同時に、中学教員は辞めた。院生の間、筑波大学男子バレー部のコーチとして都澤監督を支えた。大学院を修了した後、大学教員としての経験を積むためにも、生活のためにも大学講師の口を掛け持ちで勤めていた。この時期は彼にとっても苦しい時期であったろう。茨城県の土浦日大男子バレーボール部のコーチを務めたのもこの時期。新婚の奥様は、そんな彼の夢を叶えさせるために内助の功で支えた。
昨年の関東大学秋リーグでは途中までトップを走っていたのも松井コーチの手腕である。松井先生は彼が中学校の監督のときに私から言われたことを今でも忘れていませんと言う。「怒ってばかりの怖い先生と厳しい先生とは違うよ。厳しさは必要だが怖さは必要ではない」。そんなことを私は言った記憶は定かではないが、彼はそのことを今でも覚えていると言う。
そんなことを思い出そうとしているうちに、目の前のコートで激戦を繰り広げていた東京都第3代表の東洋と大阪第2代表の清風の試合が終了した。結果は 2-1 (18-25, 26-24, 25-17)で東洋の辛勝。2セット目に逆転勝利した勢いを3セットスタートから生かした勝利だ。どちらのチームも単純ミスが多かった。東洋はスタメンの内3年生が1名で他は1年生と言う布陣だからやむをえないかもしれないが、これでは3回戦に進めるか不安だ。とりあえず、現在体調を崩して自宅療養中の前監督である北畠先生にすぐさま結果を連絡した。
本日の1回戦のゲームを見て、全体的な感想では、3年生が出場しているにもかかわらず、レベルが上がっていないと感じた。ベスト8常連のチームは例年と同じレベルなのであるが、毎回2回戦止まりのチームのレベルが更に下落していると感じた。ベスト16レベルの層が薄くなって二層化しているといっても良い。ちょっと心配だ…。
明日は、日本ソフトバレーボール連盟の企画委員会(常任理事会)に出席のため名古屋のガイシホールに行く。
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