NHKさんは時々粋なことをやってくれる。NHK衛星放送の正月の特別番組で「伝説の名勝負 感動 東京五輪 女子バレー激闘!日本vsソビエト」が放映された。正月は家族で家内の実家にいたが、実家のTVでは衛星放送は見ることはできなかった。自宅のほうも録画予約をやっていなかったので見損なってしまった。
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(会場は世田谷区にある駒沢屋内競技場。観客4,000人) |
48年ぶりに発見された決勝戦全てのフィルムという宣伝文句であった。そういえば、年に数回流れる東洋の魔女番組でも試合風景はあまりみていない。録画しておいて、今の若い指導者に見せてあげたかったので、残念な気持ちでいた。
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(大松監督を囲んでの作戦タイム) |
今朝の新聞でTV番組欄をチェックしていると、幸運にも再放送が9:00から2時間番組として放映されるということで、今見ている。このゲームは、日本の歴代高視聴率のスポーツ番組のトップ1で66.8%を記録した。そして活字メディアから放送メディアに移行していく時代でもあった。1964年のこの時、私は中学1年生であった。
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(セットカウント3-0で勝利の瞬間) |
ゲーム内容を今回じっくりと見て驚いた。現在のバレーのレベルと比べても決して劣るところはない。流れは、単純、単調であるが、プレーの一つ一つは力強く、正確である。ソビエトは、当時珍しい筋トレをやっていた、ということもわかった。日本は大松監督と選手との強い信頼関係、絆に基づくチームワークが素晴らしかった。攻撃型のソビエトはバックアタックや片足での空中移動スパイク(スライド)も自然と出ていた。守備型の日本は変化サーブで相手の攻撃のパワーを減じ、回転レシーブという柔道の受け身から編み出した新技術で対抗した。大松監督は「7:3で勝てる練習をやってきた」と自信を持って試合に臨んだことを、勝利インタビューで語った。
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(敗北直後のソビエトチーム。「日本は私たちの先生でした」。美しい敗者の言葉である。東京で負けた直後、ソビエトの若きエースのリスカルはトイレに駆け込み悔しくて大泣きした。4年後のメキシコの決勝戦では日本と対戦したソビエトがリスカルを中心に金メダルを獲得した) |
このビデオを講習会開催時にパソコンに入れて持ち運び、事あるごとに活用していきたい。我々指導者は歴史を知らなければ、将来のバレーのビジョン(あるべき姿)を描くことはできない。先輩指導者の姿から多くのことを学んで行くことができる。
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