とうとう火がついた。しばらくは、日本の部活はぎくしゃくした形で進行していくであろう。そして、学校から部活がなくなるかもしれない。部活は「社会体育」、つまり地域スポーツ文化クラブに移行していくかもしれない。具体的には、10数年ほど前からスタートした「総合型地域スポーツクラブ」で指導のプロにより競技スポーツから生涯スポーツまで幅広く指導されていく、と私は予想する。
文科省は、全国での体罰の実態のデータを振りかざして「部活廃止」を全国の学校に通達するやもしれない。
「厳しい指導と体罰の境界線」のことを作中人物に次のように言わせている。
「子供の自殺という痛ましいニュースを見聞きするたびに、陽平は思う。その子は悲しいから死を選んだのではない。寂しさや憤りがそのまま命を絶つ理由になったわけでもない。
苦しんでいたから――もっと正確に言うなら、苦しめられていたから、死を選ばざるをえないところまで追いつめられてしまったのだ。
いじめの定義はなんだ? 厳しい指導と体罰の境界線はどこだ? 陽平は一人の教師として、親として、オトナとして、迷いなく答える。その子が苦しい思いをしていたら、それはすべていじめであり、体罰なのだ。
大人たちの教育論や子育て論はさまざまでも、根っこの根っこにあるものは同じ――『子どもを苦しめてはいけない」に尽きるのだ、と陽平は信じている。」
大好きなはずのスポーツで、トレーニング以外で虫けらを扱うの如く心を踏みにじられ、体を痛めつけられているとしたら、それは「スポーツ」とは言わない。それは「暴力」だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿