2013年1月27日日曜日

Sat.Jan.26.2013 厳しい指導と体罰の境界線は?

一昨日は、東京の中学校の女子柔道強豪校で、今日は愛知県の工業高校の駅伝強豪校で「体罰」報道が出てきた。怪我を負わせられたり、転校を余儀なくされた、ということである。全国の親御さんたちが、大阪のバスケット部顧問の暴力での指導による事件を切っ掛けに、堰を切ったかのように教育委員会に我が子に対する体罰を直接訴え始めた。文科省も全国全ての部活動に対して調査を始めた。

とうとう火がついた。しばらくは、日本の部活はぎくしゃくした形で進行していくであろう。そして、学校から部活がなくなるかもしれない。部活は「社会体育」、つまり地域スポーツ文化クラブに移行していくかもしれない。具体的には、10数年ほど前からスタートした「総合型地域スポーツクラブ」で指導のプロにより競技スポーツから生涯スポーツまで幅広く指導されていく、と私は予想する。

文科省は、全国での体罰の実態のデータを振りかざして「部活廃止」を全国の学校に通達するやもしれない。

 
日本経済新聞の夕刊に連載されている重松清さんの『ファミレス』という小説にふと目が留まった。昨日の夕刊であった。確か重松さんという作家は2000年に「ビタミンF」で直木賞を受賞している。学校での子供のいじめや不登校、家庭崩壊と子供など現代の社会問題・教育問題・家庭問題を小説という形で取り上げて注目されている作家である。

「厳しい指導と体罰の境界線」のことを作中人物に次のように言わせている。

「子供の自殺という痛ましいニュースを見聞きするたびに、陽平は思う。その子は悲しいから死を選んだのではない。寂しさや憤りがそのまま命を絶つ理由になったわけでもない。
 苦しんでいたから――もっと正確に言うなら、苦しめられていたから、死を選ばざるをえないところまで追いつめられてしまったのだ。
 いじめの定義はなんだ? 厳しい指導と体罰の境界線はどこだ? 陽平は一人の教師として、親として、オトナとして、迷いなく答える。その子が苦しい思いをしていたら、それはすべていじめであり、体罰なのだ。
 大人たちの教育論や子育て論はさまざまでも、根っこの根っこにあるものは同じ――『子どもを苦しめてはいけない」に尽きるのだ、と陽平は信じている。」

大好きなはずのスポーツで、トレーニング以外で虫けらを扱うの如く心を踏みにじられ、体を痛めつけられているとしたら、それは「スポーツ」とは言わない。それは「暴力」だ。

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