答えは、「五輪」。
五輪の旗を掲げるオリンピックを「五輪」と訳したのは、前回東京オリンピック当時の読売新聞社記者であった川本信正氏。由来は、江戸時代初期の兵法家、剣術家であった宮本武蔵が記し名著『五輪之書』から。紙面上での文字数を減らせることから他のマスコミにも普及したとのこと。
きょうの午前中は、幼稚園ママさんバレーチームの定期練習日であった。練習後にママさんたちに、7年先の東京五輪開催時にあなた方は何をしているのか、何をしていたいのか、あなた自身が、子供が、ご主人が、家族がどうなっていたいのかイメージできますか?と問うてみた。皆、幼子の育児で毎日の生活を過ごすことで精一杯のようで、「う〜ん」と唸って、直ぐには返事がなかった。
私は、ボランティアで通訳しているかも、と答えた。1998年の長野オリンピックで私はフランス語の通訳ボランティアで1週間現地にいた。会場は、フィギュアスケート会場のホワイトリンク。仕事場はIOC委員の集まるVIPルームでの接遇員であった。フランス語が公式語のIOC委員にフランス語で軽食やワインをサービスする、今の言葉でいうと、おもてなし要員であった。
宿は、近くの県立長野農業大学校であった。研修所内の宿舎は合い部屋であったが、同室の医者の卵のボランティアは、深夜の帰宅で顔を合わすことはほとんどなかった。彼は、夜の競技終了後にドーピング検査をやっていたのだ。
女子フィギュアは、役得で舞台裏からも見ることができた。愛くるしく人気のあった米国のミシェル・クワンは、銀メダルに終わった。表彰式の後、リンク脇の裏で1人うなだれて泣いている姿を近くで見た。日本人では荒川静香選手が、13位、男子の本田武史が15位で日本スケート連盟は危機感を抱き、この年から英才教育の強化を図り野辺山合宿をスタートさせた。
初めに戻って、「五輪之書」の内容は、バレーボールの指導者にも指導論、戦術論として多いに役に立つと思う。『五輪之書に学ぶバレーボール指導』という本を書いて見たくなった。まずは、講習会で使えるようにノートを作っておこう。
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