1976年から2年間、私がバレーの指導で外務省外郭団体の青年海外協力隊から派遣されたチュニジアの教え子から15年ぶりにメールが届いた。
派遣されたのは男子ナショナルチームのコーチの任務であった。アラブ、アフリカ諸国への日本人バレー指導者第一号であった。私が赴任する前からチュニジアは、世界選手権にも出場しており、当時の日本の関東大学2部の実力を持っていた。レベルは低くない。23歳の若造の青年海外協力隊員にとっては、少し荷が重かった。実際の任務に着いて、事情が理解できた。私はチュニジア協会の内紛に利用されたのだ。
案の定、私がチュニジアバレー協会の非難をしたという理由をでっち上げられ、首都チュニスを追われた。私を招聘した協会内の実力者も任命責任を取らされた。私は、国内第二の都市であるスファックスに指導の場を移した。
そこで知り合ったのが、今回メールをくれたカムーンであった。彼は、SSSという市役所がスポンサーのクラブチームでミドルブロッカーでレギュラーに定着したばかりの体育大学生であった。私はこのクラブの指導に全精力を注いだ。半年後に彼の活躍もあって、SSSは国内リーグ戦で初優勝することができた。チュニジア協会からは、手のひらを返したかのように私に称賛と祝福を頂いた。政争の具となることに辟易した私は、そのまま残りの任期1年をスファックスにいることにした。そして、女子のチームやジュニアも指導した。アラブ圏では恐らく初めての外国人による女性への指導であったと思う。
15年前に彼は、外務省のスポーツ留学制度で筑波大学に2週間滞在した。その時以後2回ほど手紙を書いたが、以降お互いに音信不通になった。
今朝、パソコンを開きメールチェックをしていると、怪しげなメールが届いている。ウイルス性の迷惑メールかなと思い恐る恐る差出人名を読むと知っている名前であったのでメールを開いた。そこにはフランス語で、私のメールアドレスを色々な経路で探したことが綴られてあった。懐かしかった。
アラブの革命や国内の事情など訪ねたいことは沢山あったが、とりあえず、メールが届いたことを返信した。こういう驚きがあるから人生も捨てたものではない。
追伸)今21時。先ほど彼に出した返事の返事が来た。2002年から首都チュニスに出てクラブチームを指導して昨年は国内優勝、今年は2位とのこと。写真も送ってきた。髭を生やしたら少し良い男ぶりだ。私も写真を送ったら「あなたは若く見える」とメールに書いてきた。
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