2008年12月30日火曜日

そして30日がやってきて・・・

 本日は年賀状書き、といってもパソコンが書いているのだが、260枚ほどあるのでパソコンさまさまである。ところが、昼過ぎになって、それまでも調子の悪かったプリンターがとうとう単純作業にいやいやをして停止してしまった。機械音痴の私であるがガチャガチャやっていたら余計プリンターはすねてしまってウンともスンとも言わなくなった。こりゃ手書きで残り100枚書くしかないかと覚悟を決めていたら、奥方様が「しようがないわね・・・1万5千あればいいの?」なんて、ポンと購入資金を出してくれた。こういうときのかみさんは菩薩様に見えるね。いや、かみさんだから「神さん」か・・・。
 早速、近くの大型電気店に新車で買いに行った。そうなんだね、我が家は8年振りにこんなご時勢なのに8人乗りのトヨタの新車なんですね。もちろん名義はかみさんで、あっしはアッシーですな・・・。今日1日、修論をやっていないせいか、おつむが普段のおやじギャグ頭に戻ってしまったようだ。こんなんで大丈夫なんだろうか。こんなんで、困難だ!ああ、またギャグが出てしまう。
 新製品のキャノン製のプリンターは音が少々うるさいのが気に食わないが、印刷スピードがあり、快適である。カラーコピーやスキャンもできるところが気に入った。しかし、インクが高いんだねえ。
 今年もあと1日。色々不満があった年であったが、家族や親族そして友人や近しい仲間に大過なく過ごすことができたことが良かった。やはり、健康が一番。健康でありさえすれば仕事ができる。
 スポーツは健康だからできると思っている。スポーツをやるから健康になるとは限らない。トップアスリートは上を目指してやればやるほど怪我をする可能性が増大する。私のような50代半ば過ぎの人間にはソフトバレーやママさんバレーのBチーム要員が適度な運動でいいね。やはり、気の合った仲間とやることが楽しいんだね。
 なんか、一年の締めの言葉としては長屋の熊さんみたいなへらへら調になってしまったが、来年はもっと良い年にしようと強く思っている。謙虚、感謝、寛容の3K(頭文字がカ行で始まるから)がキーワードです。何、私らしくない、ですって?私も2月には57歳になります。そろそろ年相応の慎み深さが必要でしょうね、私だって。
 では、今年はこのくらいで、新年は皆様方にとって、ますます良い年でありますように。そして、そのための努力をコツコツと継続しましょう。

2008年12月29日月曜日

師走の29日ですが・・・

 ここのところ大学院に通って4日目です。いつも6名から7名が院生室に来ていて、皆無口でパソコンに向かって修論を書いている。論文なんて、学者でもなければ一般の人は、一生の中で1回か2回書くだけであろう。論文は評論文とも、レポートとも違う。論文特有の約束事がある。まったく嫌になってしまう。しかし、その文法ともいうべき約束事に慣れると評論よりもレポートよりも書きやすいとHow to本には書いてある。いずれにしろ、明日からも毎日修論作業の日々を送る。
 しかし、毎日集中して一つのことに向かっていると思わぬ発見がある。今までわからなかったものが、何かの拍子で理解できる。今日も、日本経済新聞の地方版で長崎県の五島列島の記事が出ていて、そこから光明が見えた。五島列島は岩本洋先生の出身地で、その郷愁が伊豆諸島や小笠原諸島でのソフトバレーの普及につながっている、という先般の小笠原行きの船中での聞き取り調査を思い出した。思い出しついでに先生に電話をさしあげた。話の中で、最近疑問を抱いた事項の答えがあっけなく出てきた。
 また、今日はこんなことがあった。院生の図書室でぶらぶらしていたら、偶然にも「柔らかいスポーツへの招待ー軽スポーツの科学ー」(奈良女子大学文学部スポーツ科学教室編)という本が目にとまった。なんと、その中にソフトバレーボールの生理的負担度に関して、硬いバレーとの比較の図が載っていた。つまり、大学のバレー部員に六人制とソフトバレーそれぞれゲームをやらせて心拍数を測った単純なものでしたが、ソフトバレーボールは硬いバレーよりも運動時の心拍数は低くなるという結果がデータとして出ていた。もっとも、このとき使用したボールはゴム製でなくビーチボールを使用しているので、正確にはソフトバレーボールという名称でなく、ビーチボールバレーという名称を使うべきでしょうね。いずれにしろ、これは参考資料になりますので頂きです。本来は、そのような生理的データを日本ソフト連盟の指導普及委員会で取っておくべきです。いや、私のこれからの仕事ですね、これは。

2008年12月28日日曜日

今年もあと僅かですが・・・

 茗荷谷の大学院に来て、情報処理室のパソコンからこのブログを打っています。昨日で当大学院も御用納め。昼前に表玄関から入ろうとしたら、守衛さんから呼び止められ「正面玄関は閉まっています。入り口は向こうですよ」と、隣接する放送大学の警備員入り口を指示された。
 今日で3日連続で院生室に通っている。同じように修論提出に追い詰められている同窓が数名通い詰めている。ブログでは書きたいことが、あとからあとから泉のように湧き出てくるのに、論文の字数のほうは来年の干支の牛歩のように進まない。
 とはいっても、毎日の成果は僅かでも出てきている。つまり、机の前で苦悶していると、書くべきことが少しずつ出てくる。「努力は人を裏切らない」ことを信じて、私のような鈍才は時間をかけて机に向かうしかない。明日もここに来て、明後日は自宅の大掃除と年賀状書き。家族とは元旦まで家内の実家で過ごし、2日からはまたここに戻ってくる。
 3学期の授業料も、先週支払った。修論を提出するだけのためなのに13万円も支払った。というわけで、ブログも今日はこの辺でやめよう。時は金なり、金は修論なり。

2008年12月23日火曜日

全国私学高等学校バレーボール選手権大会 閉幕

 先週の土曜日から開幕された標題の全国大会は、バレーボールとしては国内で最大規模の参加チーム数が開会式に集まった大会であろう。男女で160チームが東京都町田市総合体育館に集まり、翌日からは東京都、神奈川の地16会場で熱戦を繰り広げた。大会4日目の本日は男女ベスト8からのトーナメント戦。優勝したのは、男子が東亜学園、女子が下北沢成徳と東京都新人戦の結果と同じになった。
 大会会場で、今夏の埼玉インターハイ以来、久しぶりに多くの監督さんとお会いできた。ゲームも普段見れない地方の私学のチームも戦いぶりも拝見できた。トップのチームと下位のチームの差を私は、サーブとブロックのシステム力の差と見た。どこにサーブを打つのか、それによってブロックをする確率の高いスタートポジションはどこなのか、つまり計算されたサーブを打っているチームは強い。
 明日の午後からは、私が外部コーチをしている神奈川県の女子チームに1泊2日で行く。例年は5泊6日なんだけが、今年は修論があるからね。残念。我慢、我慢。対戦チームは隣県の2位以上の強豪チーム。私が、まず生徒にコーチするのは決まっている。「君、今のサーブはなぜあそこに打ったの?」そこで答えられない生徒には一喝する。「何も考えないで単にサーブを実施しているわけ?先ほど君が打ったのは相手のリベロに打ったんだよ。リベロはレシーブの名人だよ。もし、意図的にリベロにイージーサーブを打つのであれば、相手に速攻や時間差を実行させてブロックで仕留めるという戦術も考えられるが、そうだったのかな?」まず、生徒に質問する。そのことで相手の考えていることがわかる。私のコーチングは、生徒に気付かせること、生徒が自分の力で解決策を発見していくことを支援していくスタイルだ。日本の部活での指導は、先生方がいつまでも教えすぎと感じている。先生が一方的に指導して(話して)、生徒は聞くことを辛抱している。注意しているときの言葉も否定的な表現が多いので、また同じ失敗をしてしまう。「なんで、おまえはこんな風にしてプレーをやっているんだ!?」実は、このような否定的な表現で注意することで、人は深層心理にミスプレーを植え付けられ、してはいけないという気持ちが強いほどまた同じ失敗をしてしまうということ。「〇〇するんだ」という肯定的言い方のほうが、目指す良いプレーが出現する確率が高くなる。
 さて、コーチ論は尽きないので、もう就寝しよう。

2008年12月14日日曜日

小笠原村父島・母島バレー行脚 その4


■12月9日(火)

  朝食に、昨日の釣りの成果(先生の師匠のである)であるシマアジの刺身が出た。醤油皿にワサビの代わりに島唐辛子をほんの少し加えて熱々のご飯と頂くと、これが旨い。腹ごしらえもして、母島に行くために部屋からバッグ類を出そうとしていると、掃除のおばさんが先生に近寄ってきた。

「あのう・・・岩本先生ですよね・・・」
「はい、そうですが」
「ああ、やっぱりそうだ。先生全然お変わりないから・・・」
掃除用の箒を両手に持ったまま、おばさんは話し続ける。
「私は30年前、先生の高校の教え子です。体育の授業で先生が歌ってくれたことを覚えています」
話を聞いていると丸山(旧姓江上)由美さんの2年後輩で、彼女の夫はこの村で村長をやっているとのこと。いやはや、奇遇ですね。私の床屋さんとの再会もそうであったが、先生の教え子とも再会するとは。やはりここは東京都なんだと改めて感じた次第。このあと、村長に表敬訪問したのだが、この話が出て、村長も驚いていた。そんなこともあって、来年度9月のソフトバレーボール交流大会の話も前向きに進み始めた。

 昼前に「ははじま丸」で母島に向けて更に南下した。波が少し高かったせいか小ぶりの客船は前後左右に揺れた。このような時はじっと船底に横になっているに限る。2時間少しかけて母島に着いた時は頭が重くやや気分がすぐれなかったが、港の周りの深い緑の木々を眺めていると気分が晴れてきた。

すぐ間近に母島最高峰463mの乳房(ちぶさ)山が見える。天気が良ければ、この山頂から北硫黄島が遠望できるという。北硫黄島そして硫黄島も小笠原村に入る島々だ。先の大戦で硫黄島で日米の兵士が約2万人戦死したという。戦争が身近に感じられた。

 昼食を都営アパートの一角の部屋でとるという。部屋に入ると宮澤さんという福祉関係に従事している40歳くらいの男性が出迎えてくれた。大学を出た後、ブラジルにも渡り10年前に移り住んできたという。ブラジル帰りの彼のリビングルームはカウンターのある洒落た雰囲気が漂っていた。さらに話を聞いていると大学は私の長女が今年卒業した大学であること、そこのサッカー部出身であること、現在母島で子供たちにサッカーを指導していることなど、本人のことだけでなく島の事情も話していただけた。

 そのあとも島の人たちとゆったりした空気の中でたくさんお話ができた。20名にも満たない母島の子供たちは皆兄弟のようだ。上の子たちが下の子たちの面倒を実によく見ている。校長先生も一緒に短パン姿で参加していただき、子供たちも幸せ者だ。

 夜の教室では、岩本先生が小中生の部だけでなく一般の部の教室も張り切って頑張られた。ますます眼が落ち込んで疲労の色が濃く出てきた感があったが、2月以来の再訪で島民の期待を感じ取った先生が好きなようにやりたいようにお任せした。私は、その後の皆さんとの懇親会で夜遅くまでバレー談義で頑張らせていただいた。
(画像は母島の剣先山245mから沖港を望みながら先生、宮崎さん、私とで記念写真)

小笠原村父島・母島バレー行脚 その3


■12月8日(月)久し振りに陸地で寝て頭がすっきりとした。天候はうす曇りで気温22度。教室は夕方から夜にかけて行われるので、午前中と午後3時まではフリータイム。2年前は、この時間帯は「海上視察」というタイトルであった。初め「会場視察」の間違いかと思ったが、「泳げる準備をしてください」と言われて動力付きの小舟に乗せられた。湾を出てしばらくして「この辺りでいいでしょう。水中グラス付きシュノーケルと足びれをつけてください」日焼けした船長が言う。なんだ、沖合いでの水泳かなと思っていると「今です。この真下にいます。ゆっくりと船から降りて海中を見てください」との船長の声に促されて海中に入り足もとに目をやると、目の前にイルカの大きな瞳?があるではないか!驚いて海水をたらふく飲んであわてて海上に飛び出た。体長2m近いイルカは可愛いというより、ちょっと怖い。イルカとの通信能力がまだ備わっていない私にとって、2年前の「海上視察」はそれ以降私の得意分野ではない。

 さて、午前中、岩本先生は島の釣りクラブの人間と、岸壁でのシマアジ釣りに出かけた。私は村役場の中にある教育委員会に案内していただき、小笠原のスポーツイベントの歴史を調査させていただいた。返還20周年を記念して開催された小笠原諸島・伊豆諸島が一堂に集まっての駅伝大会が16年続いて解消された理由がこの地で解かった。東京都からの援助が打ち切られたのだ。つまり財政的な問題であったということだ。駅伝はその後も小笠原村内では12月に継続開催されている。小笠原諸島・伊豆諸島が一堂に集まっての島嶼対抗駅伝大会が解消されるのと前後して、島嶼を巡るソフトバレーボール交流大会が始まったのは何かの偶然なのか。

 島々を巡ってのソフトバレーボール交流大会は、再会の喜びを育むだけでなく、島々の住民の共感を育むことで島々の連帯感の醸成につながっているのではないかと考えている。スポーツの中でもとりわけ老若男女が取り組みやすいソフトバレーが最適ではないかと提案できる。島内で従来行われてきた、また行われている柔・剣道、相撲、野球、ソフトボール、ゲートボール、サッカーは性・年齢に制限があった。それは男性だけであったり、少年だけであったり、高齢者だけであったり特定の性・年齢に偏っていた。ソフトバレーボールは「誰でも」その人のレベルで楽しくプレーできる生涯スポーツの発明品だ。

 さて、教育委員会での聞き取り調査も多くの成果を得て、岸壁での岩本先生の釣りの成果を視察に行った。お隣の釣り師のクーラーBOXには大ぶりのシマアジが数枚と水タコ一匹が入っていた。わが師の岩本先生のBOXには・・・。

 島においての部活は結構大変だ。まず、中学生の部員数が足りない。中学校は島に一つだから練習試合の相手がいない。船で二時間の母島の中学校にはバレー部がない。高校にもバレー部がない。在校生の少ない子供たちは色んなスポーツをやりたがり、分散する。男はサッカー、女はバレーボールというわけにはいかないのだ。それでも父島中学校女子バレー部の二人の顧問の先生は諦めていない。夜の指導者講習会後に我々との夕食会にもお顔を出され、熱心に我々二人に指導法を聞いていた。 (画像は、手前が岩本先生で恰好が様になっている。翌朝の朝食にはお隣の黄色シャツの釣りの師匠が釣ったシマアジを刺身にして、山葵(わさび)の代わりに島唐辛子をチョンとつけて頂いた。)

小笠原村父島・母島バレー行脚 その2

■12月7日(日)
 朝7:00に起き、朝食をカップラーメンで頂く。船内には立派なレストランが備えられているが、料理の価格がやや高い。そこで旅慣れている方はおにぎりやカップラーメンなど船内に持ち込んで倹約する。
船内で岩本先生が母島に帰る青年と話している。顔なじみらしい。先生から手招きされ、私が二人にそばまで行き、その青年を紹介された。 握手しながら目鼻立ちがはっきりしているその青年が口を開いた。「渡邉さん、以前お会いしています。私の職場は渡邉さんお勤めの会社のすぐ近くでした。『あきもと』という理髪店です」なんと、私が25年前から頭髪のお世話になっている(私の頭髪の歴史を知っている)床屋さんにその青年は10年ほど前に3年間ほど勤めていたとのことである。いやあ、驚きましたね。9日には母島で講習会を開催するがその時に受講するとのことであった。
 さて、おがさわら丸(通称おが丸)は、昼過ぎの12:30に予定より1時間遅れで小雨の父島二見港に到着。波止場には、2年前に「行ってらっしや~い」との小笠原特有?の別れの言葉にて送別してくれた教育委員会の方々が出迎えていてくれる。昨日NHK総合TVで『篤姫』第49回再放送を見た。天璋院篤姫は幼馴染で恋心を寄せられている薩摩藩家老職の小松帯刀に別れは寂しいことではないと励まされる。「別れとは寂しいことではない。次に再会できる喜びをもって別れるのです」「行ってらっしゃ~い」には「帰ってきて再会しましょう」という意味が込められている。なんと憎い言い回しではないか。
 港近くにある定宿の民宿に行き、一休み。ゆったりした船酔いの余韻がまだ残っている頭を横になって休める。昼食は近くの観光客用らしいレストランでパスタ料理を頂いた。その後、小中学生の教室、夜にはストレッチ教室とソフトバレー体験教室。遅い夕食を頂き、民宿に戻ったのは10時半を回っていた。岩本先生も少し目を窪ませて疲労感が出ていた。この日、海は時化て乗り継ぎの母島行きの船は出なかった。民宿にはその船に乗れなかった母島の関係者が7名ほど同宿していた。
(画像は接岸している「おが丸」。10日(水)に帰る日まで3日間停泊して内地に持ち帰る電化製品廃棄物、小笠原で採れた産物、郵便、宅配便などを積み込む。)

2008年12月13日土曜日

小笠原村の父島・母島バレー行脚

 12月6日(土)から11日(木)まで、東京都小笠原村に行ってきた。ここのブログで数回に分けて報告したい。

■12月6日(土)
朝9時に竹芝桟橋で今回の小笠原村バレー行脚のお話を持ってきていただいた岩本洋先生と落ち合った。2年前に訪問した時もやはり岩本先生からであった。その時は小笠原村に関してほとんど知識もないまま、通常のバレー講習会のつもりで同行した。今回は大学院の修論作成の聞き取り調査の目的もあり、事前に小笠原の知識を学習しての訪問となった。
 朝10:00に竹芝桟橋を出港した小笠原丸は1,000km離れた小笠原村(緯度は沖縄とほぼ同じ)の父島の二見港を目指して25時間30分の船旅に出た。船室は1等船室で2段ベッドのある4人部屋。さっそく、岩本先生と互いの近況報告と今回の小笠原行きの趣旨を伺った。招聘があったのは小笠原村教育委員会からで、父島と母島における村民へのバレーボール指導で3日間を夕方は小中生への指導、夜は一般と指導者に講習会というスケジュール。
 岩本先生に早速、修論のテーマでもある島嶼ソフトバレーボール(島々を巡ってのソフトバレーボール交流大会)の歴史を改めて聞いた。ソフトバレーボールを岩本先生に紹介したのは私なのであるが、先生はそのソフトバレーボールで島嶼(とうしょ:島々の意味)を巡り開催することで共感を持ち、そこに内地(島以外の陸地:島の人たちの言い方)からのチームもオープン参加していただき、スポーツ・ツーリズム(スポーツと観光を合体させた概念)として経済的効果も出せないかと考えたわけである。
 先生とのお話は3時間にもわたったが、時間はたっぷりとある。遅い昼食を先生持参のカップ麺を頂き、船酔い止めを念のために飲んで、ベッドにごろりと横になって小笠原村に関しての書籍を改めて読み始めた。
 欧米系住民が定住し始めたのは1830年で、日本はこの頃は幕末である。1876年(明治9年)に日本政府は「小笠原開拓」を決議し、小笠原は正式に日本領土として国内外に認められた。その後、太平洋戦争勃発、強制疎開、敗戦、アメリカ占領そして日本返還と小笠原の人たちは多くの困窮を強いる生活を余儀なくされた。今年がアメリカから日本返還40周年。戦後23年間にわたり米軍に占領され英語教育を受け、返還後は一転して日本語教育となった。戦後生まれの若者達の日本語学習(特に読み書き)は並大抵ではなかったであろうと推測される。
 伊豆七島の八丈島沖を過ぎると、携帯の電波も通じなくなる。小笠原丸が夜の太平洋上を滑るように推進する。掻き分けられた波は濃緑色の海水と白い飛沫を見せている。明日の11時30分には父島に着く。 
(画像は竹芝桟橋の横幕。行こう小笠原へ、小笠原返還40週記念の文字が読み取れる。)  

2008年12月3日水曜日

全国ローソンカップ千葉県予選に出場


 昨日は第4回全国ローソンカップ千葉県予選会第2日目であった。会場は成田市の中台体育館。コート4面取れる広い体育館だ。我がチームも先週2回戦を勝ち抜き、昨日3回戦を戦った。相手は一昨年の全国家庭婦人大会に出場した習志野市の強豪である。
 ママさんと言えども、この千葉県でも上位16のチームには、170cm前後の選手が前衛にずらっと3~4人並ぶ。県内の中学ベスト16とお互いのルールでゲームしても互角の勝負になるであろう。いや、ママさんの方が集中力と経験がある分勝っているかもしれない。
 我が相手のチームにも170cm前後が4~5人前衛にいて、クイックや時間差を織り交ぜて攻撃してくる。特にサーブのスピードとチャンスボールのセッターへの返球率が高かった。我がチームは善戦した。これからの課題は県内16以上のチームとの定期的な練習試合で経験を積むことが大事だ。我がチームの監督は抜け目がない。早速相手監督を捕まえて来月の練習試合を予約してきたという。
 試合後のミーティングでメンバーに次のようにお願いした。これからの大会では勝ちあがっていく試合が多くなってくると思う。千葉県には大きな体育館が少なく、連盟としても土・日の会場はなかなか確保できない。従って、平日の体育館の確保になり、平日での試合となる。つまり、仕事を持っているメンバーが多い昨今、職場にお休みを頂いての大会出場に成るわけである。休みを取るのは、特に年休は権利であっても、職場の仲間は休みの理由は知っているものだ。気持ちよく休みを取らせていただく為にも、普段から職場の仕事はきちんとこなしておこう。特に、職場全体に関することで嫌な仕事は積極的に自ら進んでやっておこう。そんなことをメンバーにお願いした。
 今回試合に出ないで、メンバーの幼子の面倒を進んで見てくれたベテランメンバーもいた。手伝いに来てくれるパパさんも定着してきた。「たかがママさんチーム」であるが、我がチームは組織的に良くマネジメントされている「されどママさんチーム」になりつつある。普段の練習で常時5,6人の幼児の歓声がママサンの練習の声とハーモニーとなって体育館内に響き渡っているチームも珍しいと思う。子供達の安全性への配慮にいつも苦慮しているが、これからのママさんバレーのあり方の一つのモデルケースになるのではないかと自負している。
(画像は試合後、メンバーの皆と近くの関東でも参詣人の多い成田山新勝寺(なりたさん しんしょうじ)にお参りの風景。お参りより、花より団子で、御土産屋さんでの大福や煎餅など食べ物の買い物が主であった。)

2008年11月30日日曜日

山梨県にてリーダー養成講習会開催と富士山


 昨日と本日、JVA公認ソフトバレーボール・リーダー養成講習会の講師として派遣された。山梨県での講習会は今回で3回目だ。県連盟の理事長は、3年前に2代目の故鶴田さんの後を引き受けられた3代目の穂坂さんという59歳の有能な行政マンである。私は今まで穂坂さんという方とほとんど面識はなかったが、この2日間で数年来の知己の如く相互理解が進んだ。
 昨夜の夕食会では、来週末から私が訪問する小笠原諸島の話で盛り上がった。実は、穂坂さんが勤務している南アルプス市(旧櫛形町など合併して数年前にできた市)と小笠原村(父島と母島)とは友好関係にあり、毎年小学生たちが互いに訪問し合っているということだ。穂坂さんは教育委員会に在籍していたこともあり、その当時団長格で小笠原村を訪問したという。
 さて、講習会の会場は、県立富士北稜高等学校。校長室を講師控室にさせて頂いた。校長室の大きな窓ガラスを通して日本一の雄大なあの富士山が、まるで額縁の中に入っているかのように見えるではないか。校長の山田先生から「渡邉さん、明日の朝の方がもっと良いですよ」と教えていただいた。
 そして、今朝、気温8度の透明感溢れる空気の中に富士山を見た。雪化粧された山頂までジグザグした登山がすぐそこに見える。視界が開けるとはこのことか。急に視力がよくなったような不思議な感覚であった。
 海も山も良い。雄大な自然に包まれていると、仕事上の悩みなんか小さな些細なことのように思えてくる。仕事で上手く行っていない時は、嫌な仕事、得意でない仕事、つまらない仕事などを後回しにすることでミスの原因を作っていることに気付く。心が疲れていると、行動が億劫になってしまうのだろう。
 明日から12月がスタートする。明日からは、富士山のように堂々とした心構えで、嫌な仕事、不得意な仕事から取り掛かろう。
 日日是好日(にちにち、これこうにち)
(画像は会場の高校玄関口から仰ぎ見た富士山の美しい姿)
 

2008年11月27日木曜日

USA女子バレー郎平監督の退任

 本日の各紙に小さくではあるが、北京五輪で米国女子を銀メダルに導いた郎平(ランピン:日本語読みでは、ろうへい)さんの退任がAP電で報じられた。契約延長はせず、今後は家族との時間を優先するという。
 彼女は1980年代の女子バレー界を代表する名選手であった。1984年のロス五輪とその前後の世界選手権、ワールドカップで金メダル4冠を獲得している。その後、母国である中国女子の監督に就任しアトランタ五輪で銀メダル獲得という指導者でも優れた業績を残した。指導者の学習を更に追及するため今度はプロバレーの本場であるイタリアのセリエAのチームで指揮を取る。そして2004年から米国に渡り女子チームの監督に就任し北京での2回目の銀メダリスト監督となる。
 彼女のプレーヤーとしての実績、そして指導者としての実績は素晴らしいものである。その原動力はどこから来ているのか。彼女を支えてきた家族とはどんな家族なのか。男性でも難しいスポーツの指導の現場に、国を越えて、何がここまで彼女を牽引してきたのか、そのうち明らかになるであろうが、是非とも心の内の一幕を知りたい。
 我が国でも女性の指導者がスポーツの現場で活躍している場面が多くなってきた。私は基本的に女性の指導には女性も携わるべきと考えている。特にトレーナーやマッサーは直接身体に触れたりコミュニケーションをする場合が多い。トレーナーやマッサーは身体的にはきつい仕事であるが、女性の更なる進出を期待したい。
監督やコーチにも女性の視点が必要だ。女性ならではの心身の悩みは多い。コーチングスタッフの現場に夫婦生活・育児を経験した生活者の視点を持つ元オリンピック選手をアドバイザーなどで招聘することも考える時期にきているのではないか。
 近い時期に、ランピンさんを日本にお招きし、コーチ研修会など開催したいですね。ランピンさん、お疲れ様でした。

2008年11月26日水曜日

来年の島しょソフトバレー交流大会、小笠原村にて開催検討




 今月の15日に開催した東京都の島々を巡るソフトバレーの交流大会は、いよいよ小笠原諸島で開催される気運が高まってきた。今まで開催した大島、新島、神津島の人たちもほとんど行ったことのない同じ東京都の島である父島と母島での開催が決まりそうだとの連絡が来た。緯度がほぼ沖縄と同じなのでこの時期でも23度ほどで温暖だ。2年前に東京から1,000km離れた小笠原に船で25時間かけて訪問したとき、沖縄とも違う南国を感じた。神秘的な森、コバルトブルーに輝く太平洋、イルカや鯨との遭遇、まさに自然の楽園が残っている。そして驚いたことに島内ではバレーボールが盛んだ。出生率も高い。まさに、百聞は一見の価値あり。小笠原の食べ物も良い。人々も良い。子供たちのフラダンスも良い。そして、不便だから良い。
 一生に1回しか行けなかったと思った小笠原であったが、来週の土曜日から翌週の木曜日まで(財)東京都スポーツ文化事業団からバレーボールの指導で派遣される。同行者は、前回も誘われた岩本洋先生だ。今回は少し事前学習して行きたい。来年も行くようになるであろうが、村長さん他、漁業長や体育協会会長、建設会社支社長の皆さんに再会できると思うと楽しみだ。教育委員会の皆さんにも会える。島レモンの焼酎も飲める。来年の交流大会は、一人での参加を大いに奨励し、現地でチームを作る方式にしたいと思う。


(画像は、すぐ間近で見れるイルカの乱舞と小笠原諸島の父島までの航路)

2008年11月24日月曜日

修論そして修論・・・

 本日も休日で朝9時まで久しぶりによく寝た。昨日のブログを少し手直しして、今日はこれから茗荷谷の大学院に行き、先週神津島で調査したアンケートの集計結果をパソコンのエクセル表にて整理し、単純集計とクロス集計する作業を行ってくる。そのあと、比率や平均値を計算しグラフを作る「加工」という作業がある。最後に加工した結果を解釈していく。加工と解釈があって、はじめて「データを分析」したことになる。最終的には、ほかの聞き取り(ヒアリング)調査や資料・文献・先行論文調査が揃って、論考していく順番となる。
 「根拠」「独創性(独自の視点)」「論理性」の3つのポイントが論文には必要といわれる。私の修論は、「特定課題論文」といわれる、まさに今従事しているイベントやプロモーション事業を客観的に調査・研究していく論文の類である。すでに良くわかっていることより、「なぜこうなっているのか、なぜこのようにならないのか」「うまくいかない原因は」「うまく行きそうな兆しは」などと、他の人が取り組んでいないことをやっているのだが、これも気性のせいかな、と考えている。
 今日は考えるより、データの整理の日。その作業の中から「考えの視界」が開けてくることを期待しながら、学校に行ってきます。
 

2008年11月23日日曜日

千葉県ソフトバレーボール連盟の役員退任

 本日は、千葉県船橋市にて千葉県ソフトバレーボール選手権大会兼関東大会予選会が開催された。私も今年度初めて選手として参加した。種別はシルバー(50歳と60歳以上の男女混合)の部。この種別には、10チーム参加して我がチームは3位であった。2位のチームまでが関東大会出場権を獲得できる。私が40歳代のころは毎年のように関東大会に出場していたのであるが、ここのところ予選会と講習会講師が重なっていたりで出る機会がなかった。千葉県の規定で3年連続関東には出場できない。なるべく多くのチームに関東大会に行っていただきたいという考え方だ。今回2位になったチームがその規定に引っ掛かり、3位の我がチームが繰り上げ出場となった。関東大会は、2月15日茨城県の笠松運動公園にて開催だ。久しぶりに関東の仲間たちと会えるのが楽しみだ。
 我がチームの戦いぶりには反省点がある。いつもは必ずセット毎にメンバーを全員代えていたが、今回は、ほぼ特定のメンバーで固めて「勝ち」に行ってしまった。メンバーは同じ会費を払っている仲間である。試合にも公平に出るべき、というのが総監督である私の持論であるのに今回はそうしなかった。実は久しぶりの関東大会にチームの仲間を連れていきたかったのが理由であるが、試合にほとんど出れなかったメンバーには勝ち負けなど関係なくゲームを楽しみ勝ったに違いない。準決勝で敗退後、私はメンバーに謝罪し、今後は以前のように全員必ず1セット通しで出るようにやっていく旨話をした。
 さて、大会後に県連盟の理事会が開催され、その席で私は理事の退任を表明した。かれこれ18年間、役員活動をさせていただき、ここ8年間は東京都ソフトバレー連盟の再創設・活動と2つの連盟の運営に携わってきたが、来年の4月からはソフトバレーは東京都連盟に絞って活動する。千葉県連盟に登録していただいている愛好者の方たちはまだこのことを知らないであろうが、少し後ろ髪を引かれる思いだ。会長も退任を表明した。今後の千葉県は新たな会長と新たな理事の方々で連盟を運営していくことになる。「役員とは人の役に立つ人のこと」私が講習会で好んで使う言葉だ。役員の方たちにお願いしたい。「どうせボランティア役員だから、そんなに真剣にやることはないよ」などと言って欲しくない。「ボランティアだからこそ真剣にやろう」という若干の使命感を抱いて欲しい。今朝の開会式に集まった千葉県の仲間の愛好者たち約300名を前にして、「こんなにたくさん集まってくれる仲間がいる。ありがたい」と初めて感じた。この方たちにもっと喜んでもらえるには、何をどうしたらよいのか、もっともっと考えていきたい。
 私が唯一千葉県連盟で力を注いだのが「審判員の資質向上」。この18年間で、仕事柄、私は多くの国際審判員やA級審判員に一から審判技術を教えていただく機会に恵まれ、それを今度は受講者にどう伝えるか、自分なりに多くの工夫をしてきたものだ。40歳代が一番エネルギーがある時期であった。仲間にも恵まれた。
 さあ、さっそく今晩から2月の関東大会を目指してのトレーニングに入る。まず、現在毎日行っているスクワットの回数を増やすことから始めよう。回数はないしょである。そんなに驚くほどの数字ではないですから。

2008年11月22日土曜日

休日は・・・

 本日は3週間ぶりの休日。何も考えずボーっとしているのも明日の活力になる。昨夜は2週間ぶりに我がママさんチームの練習にいった。最近の試合で好成績を納めてきたが、どうもその自信が過信になりつつあるようだ。昨夜は入会希望者が見学に来ていたので、皆溌剌たる良いところを見せてくれよと願っていたのだが、後半の集中力がなく元の木阿弥に戻ったよう。このままでは、集中力がないままの悪しき練習の習慣が身についてしまうし、怪我人が出る恐れもあると判断し、練習途中であったが「こんな練習やっていられん。止めや!止め!」と練習を止めさせた。そばで見学していた入会希望者は、そんなチームにどんな印象を持ったんだろうか。いつもの小料理屋での反省会のときに監督にそっと聞いてみた。「入会するようですよ、あの方」という返事で、まずは一安心。ありのままの練習風景を見ていただいたのが良かったのかな。
 それにしても、うちのママさん達には欲を出してほしい。もっと上手になりたい、という欲を出してほしい。「知足」(ちそく:足るを知る)という禅語があるが、ママさん達に贈りたい言葉は私の造語であるが「不知足」。つまり「足るを知らず」(満足しない)ということである。
 しかし、同じことを毎回注意したり、繰り返したりすることが指導者の仕事であるので、こんなことで呆れたり、落胆したり、失望したり・・・は、しない。3歩進んで2歩下がる。そんな牛歩の進み方で粘り強く指導していかねばならない。ママさん達も下手になりたいとは思ってはいない。指導者には忍耐力が選手の2倍も3倍も必要なのだから。
 今朝、神奈川県ソフトバレーボール連盟から弔文がFAXで届いた。神奈川県ソフトバレー連盟の前理事長であった池田福一氏が逝去した。享年72歳。脳内出血と聞いた。高校バレー界の名門藤沢商業高校のOBで長身を生かした攻撃には目を見張るものがあった。タバコが好きで、話が好きで、バレーボールが大好きで、神奈川県ソフトバレーボール連盟発足当時は大変ご苦労をされていた。ご冥福をお祈りします。合掌。

2008年11月21日金曜日

都道府県ソフトバレーボール連盟の役割とは


 神津島で再会した関東のある県連盟役員のO(オー)さんから、登録制度が上手く行っていない旨の相談を受けました。以下に私からのまとまりのない拙い励ましのメールを紹介させて頂きます。何らかの参考になれば幸いです。
 なお、来週末は山梨県にて日本協会主催の「日本バレーボール協会公認ソフトバレーボール・リーダー養成講習会」が富士吉田にて開催されます。講師として頑張ってきます。 

O(オー) 様
  登録制度を推進していくということは、協会・連盟・登録者(団体)の3者にメリットがあるからですね。相互にWIN・WIN・WINの関係、利得関係があるから登録制度が推進していくわけです。
日本協会に欠けている視点は「登録者の誇りや夢・希望」です。
日本協会にとってのメリット、日本ソフトバレーボール連盟にとってのメリット、愛好者(団体)にとってのメリットだけでなく、大事なのは「登録する愛好者の誇り、プライド・夢・希望」に訴えることが必要です。
 アメリカ合衆国の新大統領オバマの登場は多くの示唆やヒントを我々に与えてくれます。
日本協会や日本連盟がやっていなくとも、あなたの県連盟発のプロモーション(普及)策が考えられます。例えば、アマチュア写真家団体とのコラボでの「スポーツ写真コンテストと即売会」などいかがですか?自分の勇壮なプレーの瞬間をセミプロに撮っていただく、写真家達も腕を磨ける、これもWin-winの発想です。
また、障がい者と一緒の交流会開催。誰でもが障がいを持つ可能性を持っています。先天的に、不意の事故で、加齢で・・・。
まだ、大きな障がいを持っていない人が障がいを持っている人たちと助け合ってゲームをするのは相互扶助の精神で当たり前です。
そのような活動が、少しずつ地域の形成に役立っていきます。
下肢障害の方とはネットを1mの高さにしてシッティングバレーができます。精神障がい者の方たちとはルールを更に簡略して4人制でのソフトバレーができます。そのようなことができるのは行政・体協・教育委員会・福祉団体・協会などとネットワークを持っている連盟ならではの事業です。そのようなことをやるれることが社会貢献であり、連盟の価値でもあるわけです。ただ単に「楽しいソフトバレー交流大会」を催しているだけでは、地域のクラブの主催大会と変わりありません。いや、地域のクラブのほうが規制も無く、楽しい交流大会を開催しているかもしれません。
 あなたの県連盟の「価値・魅力」は何なのか、どう作るのか、そしてそれをどう伝えるのか。
市中を見ると安いから売れる物だけでなく、高くとも売れる物もあります。
それは「価値(ヴァリュー)」です。
 最後に、おやじギャグですが、「勝ち」を目指すだけでなく「価値」も目指しましょう。
(画像は花屋のフーちゃんから送られてきたものです。新宿を歩いていて目についたようです。都庁と紅葉した並木のアングルが良いですね。素晴らしい構図センスです。なお神津島は「こうづしま」と読みます。神津と構図を掛けてみました。またまたおやじギャグですみません・・・」
 

島しょフトバレーボール交流大会in神津島







 お早うございます。この3日間、会社の業務で展示会をやっていました。ディーラーのお客様に対する新製品の紹介という立ち仕事なので疲れた。
 さて、先週末の15日は神津島にて「第4回の東京諸島(伊豆諸島・小笠原諸島)を巡るソフトバレーボール交流大会」が開催された。14日(金)夜10時に竹芝桟橋から大型客船に乗りこんだ。船内で早速茨城県結城市から参加のチームと合流し早速宴会。夜のレインボーブリッジや東京の夜景を楽しみながら茨城県内のソフトバレー事情や情報交換をした。横浜からは世田谷区からレディースの部参加のまさに淑女の方々と合流。目が覚めたら新島であった。それから1時間後に神津島に到着。
 ゲームも楽しかったが、夜の交流パーティは鯛や平目の刺身の船盛りで食べつくせなかった。さすが全国でも有数の漁場。抽選会では、ほぼ全員に当たる確率で大興奮。名物の「赤イカ入りのイカの塩辛」が当たらなかったのは残念だったが、シルバーの部優勝賞品の島焼酎「盛若」を一人2本頂き満悦。
 この交流大会は、神津島、新島、大島、神津島と島を巡ってきたが、来年は小笠原諸島の父島にて開催予定。9月の連休をはさんで、観光(イルカウオッチング、ダイビング、釣りなど)も含めて6日間開催する予定。
 島を巡るこのソフトバレーボールはアンケートの集計結果では「価値あること、是非とも継続して欲しい」との要望が多くあった。来年の小笠原諸島の主催者の腕の見せ所。勿論、私も岩本洋先生もアドバイザーで最大限協力する。東京諸島の住民がソフトバレーボールによる連携と協働を通じて連帯感を醸成しようというテーマのこの交流大会を本土といわれる東京都中心に各地から観光・グルメ・ソフトバレー大好き愛好者が押しかけて盛り上げようではないか。
(画像は左から、船盛りの刺身、岩本先生大喜びの伊勢海老、帰りの船を背景に世田谷区淑女チームと一緒の記念写真)

2008年11月17日月曜日

ママさんバレーボールクリニックin駒澤屋内球技場


 私の業務のことで恐縮であるが、先週の13日(木)標題のクリニックを開催した。実は、このクリニックは年2回開催して、今年で4回目であるが、今回から私がプロデューサーとディレクターを全て行うことになり、準備にてんやわんやの忙しさであった。プロデュースとは企画・立案であり、デレクターとは現場監督である。イベントは準備が8割で決まる。準備に1ヶ月かかり、実施は1日で終わる。
 14日と17日の本日はイベント事後処理で物品をまた倉庫に収納したり、伝票処理、報告書の作成に追われ、まだ終了しない。
 これから、茗荷谷の大学院に行き、アンケートの集計作業を行う。多忙の「忙」は、「心を亡くす」と書く。多忙でなく、充実している、と私は思っているのだが、油断すると多忙の心中になってしまう。気をつけなくっち・・・。
(画像は愛読者のF.Kさんの箱根路の旅先から送っていただいた紅葉の画像)

2008年11月11日火曜日

恩人の逝去


 一昨日、私の自宅に新年の挨拶を欠礼する旨の葉書が届いた。私が山形県酒田市から出てきて2年目19歳の大学浪人生活を送っていたとき、新宿区で「やよいクラブ」というママさんバレーチームの指導をお願いされやっていた。その時のメンバーの一人の荻原さんというママさんとご主人が両親のいない私を不憫に思ってか、なにかれとなく面倒を見てくれた。結婚式の時も私の親代わりになって頂いた。そのおやじさんが5月に78歳で亡くなったという葉書であった。亡くなった事だけでもショックだったのだが、そのことを今まで知らなかった、足が遠のいていた自分が情けなかったた。実の親にも孝行できず、今回も看取ることもできず、何も恩返しができなかった。5年前にもバレーボールの師と仰いでいた渡辺泰行先生(名門、中村高校監督)に突然先立たれ、後ろ盾を失った私は途方にくれたものだった。
 昨夜、妻と二人の子供達を連れて新宿の荻原さん宅に弔問してきた。線香を上げながら仏壇でにこやかに微笑んでいるおやじさんに詫びた。「今頃不幸者をお許しください」これから、私たちの年代では家族や友人の高齢者が順番に先立って逝く。ママさんチームのメンバーの一人のメールに次の言葉があった。「心の準備をしていなくてはいけない」確かにそうだ。そういう年代だ、我々は・・・。
 ( 画像は愛読者のF.Kさんが法隆寺に行って、壁に掛かってた文字を写して送ってきたものです。『春風(しゅんぷう)をもって人に接し、秋霜(しゅうそう)をもって自らを慎む』。 「春風をもって人に接する」というのは、暖かい気持ちでいつも人に接しなさい。 「秋霜をもって自らつつしむ」というのは、秋の霜のように自分には厳しくあたりなさい、という意味です。坂本龍馬、吉田松陰、勝海舟などに大きな影響とを与えたという、江戸時代の儒学者、佐藤一斎(いっさい)の言葉です。)

2008年11月10日月曜日

江戸川区ママさんバレーボール・クリニック

 昨日9日(日)は、江戸川区ママさんバレーボール・クリニックを開催した。江戸川区にはママサンチームが約90チームも登録がある。役員だけでも15名いる。その登録チームの中から64名が参加して篠崎中学校体育館にて私の指導を受けていただいた。今年で3年連続の講師依頼であった。
 ママサンのチームには監督はいるが、技術を指導できるコーチは少ない。今回は、練習の仕方を中心に懇切丁寧に初心者でも理解できる平易な表現と例えを用いコーチングした。資料も事前の質問に回答する形で7ページ作成し、全員に配布した。
 この3年間、千葉市のママサンチームを毎週指導している経験が生きて、実業団9人制とは違うママサン9人制の指導も板についてきたようだ。実業団9人制は10年前に8年間ほど石川島播磨重工(今のIHI)バレー部で外部コーチとして学習させていただいたので要領はわかっていたが、ママさんバレーの指導はまた違う。千葉市のママサンチームが最近やっと競技成績が上向いてきたのと私のママサンバレー指導力の向上もここに来て最近正比例してきた。やはり、現場で指導している現役のコーチである私が指導することがママサンたちにマッチングするようで、受講者達も見る間にどんどん知識を吸収し身体で表現できるようになっていく。嬉しい限りである。
 ソフトバレー講習会の指導もお陰さまで好評なのは、私が現役プレーヤーで指導もやっているからであろう。ソフトの講習会で講師自身が日常的にプレーしていないで技術指導をやっていられる講師がいるが、例え過去に6人制で日本一になった指導者でもソフトバレーや9人制を指導できるとは思わない。そんな意味で、私の場合はソフトや9人制バレーで日常的に私の指導を受けてくれる仲間がいることに感謝したい。「選手がいるから監督(指導者)の存在がある」ことを多くの指導者に理解して頂きたい。
 では、今からある大変お世話になった方のお焼香に行きます。生かされているものがもっと頑張らんといかん。

2008年11月7日金曜日

米国新大統領の誕生


 米国の新大統領にオバマ氏が選出された。アフリカ系黒人の政治家が初めて米国の頂点に立った。同じ黒人の故マーチン・ルーサー・キング牧師が1968年に公民権運動のリーダーとして「ワシントン大行進」で演説した名文句を思い出した。
 ”I have a dream(私には夢がある)”で始める演説であるが、英語の学習で何度も暗唱したものだ。夢を追い続ける途上で暗殺されたキング牧師。夢そのものになったオバマ氏。
 オバマ氏の双肩には、エネルギー、環境、経済の困難を伴うグローバルな課題がかかっている。オバマ氏は当選演説でこう締めくくった。”Yes、we can!” アメリカ合衆国は変わろうとしている。では、我が国はどうであろうか。表面だけ変わろうとしているのが見え見えのような気がする。新たな日米関係に着手する気概を持っていただきたいものだ。
 ”I have a dream”・・・そうだ、私にも夢がある。ソフトバレー愛好者の100万人目標、ママさんバレー我がチームの全国出場、 外部コーチする高校女子チームの再度の全国3位、来年3月の大学院修了・・・。夢を叶えるには、今日も精一杯頑張るしかない。「きょうは、残された日々の最初の日」
(画像は故キング牧師の演説風景)

第20回全国家庭婦人バレーボールいそじ大会開幕


 昨日は、埼玉県川越市運動総合体育館にて開催されたママさんの50歳以上の全国大会に行って来た。全国から64チームが参加し明後日までさいたま市記念総合体育館と2会場を使用し開催された。昨日は開会式が執り行われた。入場行進を間近で見ていたが、50歳以上とはいえ随分と体格が良くなってきた感がある。中には178cmのスラットした方もいた。

 全国の役員とも最近は顔なじみになり、特に関東ブロックの役員は皆和気あいあい。選手の顔にも知っている顔が結構多くなった。神奈川県からは、先週ソフトバレーシルバー全国大会で出場した元全日本女子監督の岩本先生の奥様が、これも選手として全国大会初出場を果たした。

 50歳以上の大会なのでチームの中には60歳代もいるし、70歳代もいる。ママさんバレーの方たちは姿勢もよく、肌つやも良い。見た目は実年齢より5歳から10歳は若い。売店での記念品への購買意欲も高い。日本経済もこのような元気ママさんが増えれば景気回復もそう難しくない。

 今晩は、我がママさんチームの定期練習日。9日(日)に公式試合の3回戦からの試合があるので、対戦チーム研究をメーンに行う。粘り強く、ボールを落とさぬように、諦めず、元気にプレーしてくれれば良いのだが、要求が多すぎるかな?
(画像は、開会式で勢ぞろいした64チーム。開会式終えるまでの30分間立ちっぱなしであった。さすが、ママサンバレーボーラーですな)

2008年11月3日月曜日

第16回全国ソフトバレーボール・シルバー・フェスティバル開催











 10月31日(金)から昨日の11月2日(日)まで、標題の交流大会に役員で行ってきた。昨年の広島県三次市での同交流大会には行けなかったこともあり、今回は何としても行きたかったのだ。会場は宮城県北部にある栗原市。今年の6月14日に岩手宮城内陸地震で甚大な被害を被ったところ。宮城県ソフトバレーボール連盟と私は、実は10年前の連盟発足当時からの長いおつきあいがある。会長の佐野さん、理事長の三浦さん、役員の方々とは毎年のように県主催の講習会を開催していただき、一緒になって東北のソフトバレーボールの普及のために、まず宮城県からがんばろう、と10年ほど活動してきた。
  県内での普及が進むにつれ、岩手県に近い北部の栗駒山のふもとにある瀬峰町からもチームが県大会に参加してきた。その中に、今回の地元開催地実行委員会会長である佐々木幸一さんがいた。当時は町議会の議長の要職にあるにもかかわらず、「ソフトバレーは楽しい」と練習を続け、とうとう全国ねんりんピックや全国シルバーにも県代表で出場するまでに腕を上げてきた。5年前であったろうか、三浦理事長と佐々木さんとで話し合っているときに、誰からともなく「全国大会を宮城県でもやって、全国の仲間に宮城県に来てほしいね」そんな会話が出てきた。そして、3年前に平成の大合併で、10町村が合併し人口8万余りの「栗原市」が誕生した。では合併記念交流大会を開催できないものかと佐々木さんに相談したところ、栗原市でも議長に就任した佐々木さんが奔走して今回の開催となったわけである。1年かけての準備が着々と進んでいく中で、今回の地震が我々の夢実現の前に立ちはだかった。死者も出た震災の復興もままならないこの時期にスポーツイベントをやってよいものか、市民感情を害しないか、日本連盟も悩んでいたが、栗原市長の「だからこそ開催してください。市民を元気づけていただきたい。全国から人が大勢来てくれることが栗原市が元気になる源です」との言葉で8月に開催を決意した。
 閉会式,佐々木さんが閉会のあいさつで全チームの前に立った。マイクを前にして顔を床に落としたまましばらく声が出なかった。佐々木さんは泣いていた。ここまでこぎつけた苦労が一気に感極まり言葉が出てこなかったのであろう。涙声で、それでも言葉を一言ひとこと全国の参加者にお礼の言葉を述べた。選手も、私も目頭が熱くなった。「栗原市は頑張ります」そう言って佐々木さんの挨拶は終わった。数年して復興したら、今度は「復興記念大会」をやろう。私の次の目標が決まった。
スポーツは人を元気にする、と以前は考えていた。今回の経験はそれが間違っていたことを学習した。スポーツが人を元気にするのでなく、「人がスポーツを介して人を元気にする」のだ。人が元気になれば、地域も元気になる。地域が元気になれば日本も元気になる。
(画像は上から、①日本一の白鳥飛来地を実感、②大会風景、③東京都ソフトバレー連盟の役員応援団 、④東京都代表チームの役員で構成している「TOKYO」の入場行進、元全日本監督女子の岩本先生も選手としては全国大会初出場で緊張気味。「国際大会のベンチで指揮するより緊張した。全日本の選手たちの気持ちがよくわかった」と言ったとか言わなかったとか・・・)

2008年10月29日水曜日

我がママさんチームの成長

 昨日は、千葉市のママさんチームに行った。先週日曜日開催の下志津自衛隊主催の準公式試合とも言うべき大会で、一年振りに2ゲームともストレートで勝利した。あいにく当日、他に2つも用事があり千葉県四街道市までは遠すぎて、用事の後に駆けつけることはできなかった。私が側にいない方がよかったのかも知れないが・・・。いずれにしろ、この1年間のゲームの内容は、自分たちより実力の劣るチームには、やっとこさ2-1で勝ち、自分たちより実力上位のチームにはあっという間の0-2で敗退という情けない・・・もとい、指導甲斐のあるチームであった。
 最近になっても、練習試合では平均年齢55歳の全国いそじ大会(11月6日から埼玉県川越市にて開催)に千葉県代表で出場するチームに赤子の手を捻られるようにベテランたちの華麗なスキルに圧倒されて2セット完敗という有様であった。
 それが、どうであろうか、突然実力が顕在化したというか、花が咲き始めたようだ。昨夜の練習は、公式ゲームに勝利した余韻と自信がうかがえ、今までの練習の2倍ほど密度の濃い練習ができた。ここからはこの調子で練習が進展していくであろうことを実感した次第である。やはりチームの中核の40歳代が頑張ってくると違う。
 さて、明後日から11月2日までは全国ソフトバレーボール・シルバー・フェスティバルの運営のために宮城県栗原市に出かける。あの震災からまだ1年経っていない。栗原市の復興のためにソフトバレーを通じて我々全国からの愛好者が地元にできることを十二分に果たしてきたい。

2008年10月23日木曜日

本日から二十四節季の霜降


 本日から霜降です。霜降(そうこう)は、二十四節気の一つ。10月23日のこの日から立冬までの期間をいいます。 楓や蔦が北から紅葉し始める頃ですね。明日から立冬までの間に吹く寒い北風を木枯らしと呼びます。

 しもふり、と読まないでくださいね。 霜降り(しもふり)は、布などに霜が降りたような白い斑点のあるものを言います。皆さん方が大好きな牛肉の脂肪が筋肉の間に細かく網の目にのようになった肉を「霜降り肉」と言います。
 今夜は大学院に行きます。尻に火がついて大火事になりそうです。

(画像は金木犀です。愛読者のF.Kさんが御茶ノ水駅近くで撮ったということです)

2008年10月19日日曜日

インターハイ以来の高校女子指導


 ここのところ、ご無沙汰していた神奈川県高校女子バレー部の監督に3日前に電話した。18日(土)に東京に練習試合に行くので来ませんか、とのお誘いが話の最後にあった。サーブだけ指導しているサーブ・コーチの私としても新人戦を間近にして気になっていたので、迷わず行きますと返事をした。東京のチームはJR山手線の駅から歩いて5分の閑静な高級住宅街の中にある。体育館に入ると、丁度2セット目が始まるところであった。

  お互いのチームにはエースが不在。実は昨日までアジアユース選手権大会がフィリピンのマニラ市で開催され、神奈川のチームからは将来の全日本候補であるミドルプレーヤー、東京のチームからはサイドアタッカーが一人ずつ選出されているので、所属チームには不在となっている。先ほどインターネットで調べたら、優勝は日本で3-0。2大会連続優勝であった。これでまた両高校のチームは,世界大会のためにエースを全日本ユースチームの合宿・試合に取られ、エース不在のまま通常練習をやることになる。願わくば、両エースとも国際経験を積んでより一層たくましくなって帰って来ていただきたいものだ。
 サーブ・コーチのほうであるが、昨日は2人ほど重心移動を使ってのスピードアップの仕方を指導した。昨年から指導しているピンチサーバーの子はジャンプ・フローターに切り替えてからサーブ効果率が随分と高まった。ジャンプ・スパイクをやる選手が現状1人なのでもう一人やらせたいのであるが、パワーがないとマスターできないサーブなので、もう少し体力作りをしてからと考えている。
 そんなこんなで、監督さんたちとも近況情報交換もできたし、一日8セットをこなし帰路に就いた。
(画像はアジアユース選手権大会でのブロック側の中国と開催国でベスト4に入ったフィリピン)

2008年10月16日木曜日

10月に入ったのでちょっとお色直し

 早いものですね。暑い暑い、と汗だくで埼玉インターハイの会場の熊谷市、川越市や所沢市で弊社の販売応援活動をやっていたのが、いつの間にか長袖に上着が必要な季節に移っていました。この分では11月も12月もあっという間に過ぎ去り正月を迎えることになりそうです。時間は万人に平等に与えられている、とは誰かがいっていた言葉ですが、結果に優劣がつくのはやはり才能なのか、と凡人は考えます。しかし、火曜日NHK夜の「プロフェッショナル・・・・」という番組で司会者の脳科学者がいっていた言葉が私のような凡人を勇気づけてくれます。「肯定的なことを考えると、脳は活性化することが最近分かってきた」。なるほど、否定的なことを考えれば、脳も活動したくないのでしょうね。肯定的なことを考える。
 例えば、職場に嫌な同僚がいても、その人の長所を探すようにすると、その長所を学ぶ態度が生まれてきて、今までその人を避けるようにしてきた態度が変わり、その人に積極的に話しかけるようになってくる。普段の挨拶も元気になってくる。また別の例では、失敗してもそれは成功する為には必要条件として肯定的に捉えることで仕事でもスポーツの場面でも前に進むことができる。物事を否定的に捉えると脳は活性化しない、考えない。物事を肯定的に捉えることで脳は活性化し、考える、ということが脳の中で起きているんですね。

2008年10月13日月曜日

東京都・葛飾区主催オリンピックムーブメント共同事業


 葛飾区から依頼された標記の事業に弊社が協力し、事業の一環でバレーボール教室を本日開催した。当初は、講師(オリンピアン:オリンピック出場選手)を4名依頼されていた。丸山由美さんを主任にお願いし、その丸山さんに他3名を推薦していただいた。まず妹分の吉原知子が、次いで吉原の妹分の坂本清美が、そしてロスオリンピック銅メダリストの小高笑子があっという間に集まった。この4名の著名な名前を聞いて驚いた葛飾区区長からさらにあと2名依頼された。それではと男性の今は芸能人の川合俊一と北京出場の斎藤信治(ノビコフ)に講師依頼した。今日の教室は3部構成にした。クリニック、エギジビションゲーム、ミニトークショーの3部である。
 今回、私にとって初めて一緒に教室活動をやっていただいたのは川合俊一、吉原知子、坂本清美、斎藤信治の4名である。斎藤信治さんは今回が教室デビュー。ニックネームがノビコフ。身長は205cm、体重100kgの35歳。謙虚で素直でまじめ。日体大入学のときから本格的にバレーボールを始めたのであるが、あの生真面目さであればこそ大学3年目にしてレギュラーに定着した理由もうなずけた。
ジャンプスパイクサーブも4号球を使用しながらも見本をきちっとできる。受講者の受けもよい。さっそく、来月世田谷区で開催されるママさんバレークリニックでの講師を依頼し承諾を得た。
 川合さんと教室を一緒にやったのは初めてであるが、彼が明大中野高校の生徒であった頃からよく知っている。色白で細身で当時から女性には人気があった。そういえば、彼の結婚披露宴にも招待された。昨年から日本ビーチバレー連盟の会長にも就任し人間がまた一回り大きくなったなあと感じた。
 吉原さんは普段無口というか口数の少ない女性だが、余計なことは言わないというほうが当たっている。来年からは私の後輩になる。つまり、同じ大学院に入学してくる。彼女であれば、コーチ学をしっかり学習できるであろう。実は、大学院というところは、大学を卒業していなくとも大学院に入学できるのであるが、彼女はそんな大変稀な例である。オリンピック3回、世界選手権3回、ワールドカップ2回出場の実績が大きくものをいったのであろう。丸山由美さんのご主人も同じ大学院の出身なので、いろいろ面白い人間関係ができそうだ。JR小岩駅のホームで皆さんとお別れしたのであるが、吉原さんの笑顔が特に素晴らしかったのが印象に残っている。
(画像はトークショー。初めは私が司会で進行の予定であったが、川合さんが「俺がやりますよ」と申し出てきたので、お任せした。さすがに手慣れていたが、彼自身の話術が巧みで彼のトークショーになりそうなので多少ひやひやした次第である。)  

2008年10月12日日曜日

来年度のルール編集会議


 本日は千駄ヶ谷にある日本バレーボール協会事務局の会議室にて日本バレーボール協会審判規則委員会規則部の編集会議であった。ビーチ、ソフト、6人制、9人制の来年度のルールブックの原稿を作成する作業である。きょうは第2回の編集会議で、本日の作業は4年ぶりに改正されるFIVB(国際バレーボール連盟)のルール原文の翻訳作業。本日は先日スイスローザンヌにあるFIVB本部でのルール委員会に出席してきた西川JVA審判規則委員長も加わり、英文を適切な日本文に訳す作業に加わった。オーバーネット、パッシング・ザ・センターラインなどの6人制の改正を含む40近くの新しい条文をわかりやすい日本文に変換するのに6時間かかった。

 来月の第3回の編集会議にて引き続き討議していく。この国際式の6人制ルールを高校以下の6人制の連盟がどこまで導入していくかは各連盟に委ねられる。ソフトバレーボール連盟にも一部導入する考えを持っているが、「ルールはシンプルに、されど奥深く」をソフトバレーボールのルール策定のコンセプトに、12月までに検討を重ね、決めていきたい。

修士論文中間発表会

 昨日は、修士論文の中間発表会であった。大学院は学業を終えると、4年生大学のように「卒業」とはいわない。それは、修了(修め終えること)といわれる。私の場合、授業で必要な単位は全て取り終えている。来年3月終了するのにあと必要な単位は修士論文の3単位だけである。そして、この3単位を取得するには、昨日の中間発表会がタスク(義務)なのである。論文の抄録を事前に提出し、発表当日の発表用に別にパワーポイントでまとめておく。当日は一人10分間発表し10分間同級生や指導教官はじめ教授達から質問を受け答える。教授たちからは容赦のない鋭い質問が針のように刺さってくる。「その研究をやる意義は何?」「根拠は何?」「独自性は何?」「その言葉の定義は何?」「タイトルと内容に整合性はあるのか?」・・・普段の勉強不足をどんどんついてくる。まるで針のむしろ。11時からスタートし全員が終了したのは午後5時。あと2ヶ月で論文に仕上げないといけない。あせれども、筆が進まぬ月夜かな・・・なんて嘆いていてもはじまらぬ。やるっきゃない。

2008年10月9日木曜日

2008年度ノーベル賞に日本人が4名受賞




 7日のTV速報でノーベル物理学賞に日本人が3名受賞の報に接した時は、「快挙。日本人もやるねえ」と、同じ日本人である私も誇りに思った次第である。それがどうでしょう、本日9日の新聞一面を見たらノーベル化学賞でまたまた日本人の下村脩氏が受賞ということではないか。
 受賞者で最年長の南部陽一郎氏(87歳)が本日付の日本経済新聞紙上で次のように含蓄のある言葉を語っている。「研究のコツは、どうすれば問題が解決できるか、四六時中常に考えること。それしかありません」。つまり、『常時思考』ということ。
 4人の内3人に共通しているのが、名古屋大学で学んでいたということ。卒業生達は、自由闊達(かったつ)に意見を戦わせる場がそこにはあった、と語っている。また、名古屋大学には素晴らしき師がいた。このことに関連して、やはり本日の日本経済新聞紙上の対談にて江崎玲於奈氏(1973年ノーベル物理学賞受賞)が次のように語っている。「リーダーが自分を乗り越えるような弟子を作るということが大事。ところが日本のリーダーは、自分を乗り越える人を拒む傾向にある。そういう意味では南部(陽一郎)さんは素晴らしいリーダーだ。南部さんを乗り越える人はなかなかいないだろうが」
 現在。私はバレーボール全般で指導者の養成と育成に関わらせて頂いている。結果、私以上の指導者はもう既に随分と輩出されてきた、と感じいっている。今後も各地での講習会・研修会にて一期一会の精神で受講者の方々に接していきたい。科学用語を使わせていただくと『触媒』の役目を果たせれば幸甚と思っている次第である。
 先日、閉幕した大分県で開催された国民体育大会の成年男子の部でVプレミアリーグ所属の大分三好チームがJTを退け初優勝を飾った。つい、1ヶ月前に監督に就任したのが私の仲間の黒葛原(つづらばら)さん。彼は日体大を卒業後、日立でコーチ、宮崎県で高校教員、そして教員を辞めて海外へプロのコーチとして旅立っていった。アジアのタイのクラブチームや隣国のナショナルチームで苦労を重ね、その後ニュージーランドに2年間、そして帰国したとたん縁があって日本の最高峰のリーグ戦で闘うことになった。月に一度はメールが来た。「黒葛原さんのような人が日本のトップの指揮官に必要です。今の苦労は必ず報われます。頑張って」私はそのようなことしか書けなかった。それが、今回の快挙だ。彼は昨日メールをくれた。「崩れたところからどう反撃するか、それがテーマです」今年度のVリーグが楽しみだ。
(画像は国体での大分三好チームとノーベル賞3氏)

2008年10月8日水曜日

義母の紹介


 きょうは、義母を紹介します。3ヶ月毎に1回は、実家の千葉県旭市(船橋市から車で90分)から船橋の小さな我がマンションに逗留します。一度逗留すると3週間は船橋の家にいます。その間、実家の方では義父が一人で過ごします。義母が我が家にいることで一番喜んでいるのは、私の家内です。家内の実の母親ですから、それはそれは甘え放題で、おばあちゃんに家事洗濯炊事全てお任せです。おばあちゃんは、ますますスリムに、家内は、ますます・・・・になります(恐ろしくて・・・の詳細は書けない)。子供達も喜んでいます。なんといっても、おばあちゃんの料理は天下一品ですから。それと、小遣いも頂けるしね。

 その義母の年齢を聞いて驚きます。大正2年(1913年)生まれなのです。現在95歳で病気一つしたことがなく矍鑠(かくしゃく)としています。実家ではご近所の針仕事を引き受け、多少の収入も得ています。使えなくなった洋服からのリフォームなんかお手の物です。最近背が少し曲がってきたのが年寄りらしい兆候ですが、食事は我々と同じものを同じ量食べちゃいます。
更におばあちゃんの凄いところは、怒ったところを見たことがない、人の悪口を聞いたことがない等々、
この人は生まれたときからおばあちゃんではなかったのかと思うくらい日なたの感じのする温かい人です。私にとって義母というより、私のおばあちゃんですね。

 これからも、ますます元気で孫達が結婚してひ孫の顔を見るまで長生きしてくれれば良いなと、昨日ソフトバレーの練習に行く前に、おばあちゃんが作ってくれた蕎麦を頂きながら思いました。
(画像は我が家で裁縫をする義母)

2008年10月7日火曜日

俳優の緒形拳さん逝く


俳優の緒形拳さんが肝がんで亡くなった。終末医療に取り組む老医師を演じ、9日からフジテレビ系で放送される連続ドラマ「風のガーデン」が遺作となった。東京都内で開かれた「風のガーデン」の記者会見に緒形さんは出席。作品について問われると「いや応なく人って老いていくわけで、それで病になるわけで、そしていや応なく死が訪れるわけで…」と答える場面もあった。
 緒形さんの出演作はどれも強烈なインパクトがあった。作りものなのだが、事実以上に事実を演じることのできた存在感のある俳優であった。71歳は俳優としてもまだ若い。70歳代にどのような表現を見せてくれるのか楽しみであったが、それももう叶わない。
 緒形さんは書家でもあった、とは今日のニュースで初めて聞いた。TVの画面で観る書体は個性的で書くことを楽しんでいるように見えた。さすが俳優らしく言葉を大事にしているのが伺えた。
 緒形さんのニュースの後に、北京で金メダルを取った大学生が記者会見で質問に答えていたが、彼の言葉は宙をさまよっているばかりで根っこが感じられなかった。自分の信じる道を行くのであれば覚悟をもって一言一言を大事にして決意を語ればよいことではないかと感じた。まだ若いのだからやり直しはできる。無難な道を進むことなんて若い彼には似合わない。
 話が脇道に行ってしまった。緒形さん、9日のドラマでお会いしとうございます。安らかにお眠りください。

バレーボール型地域スポーツクラブを立ち上げる


 昨夜は、バレーボール型地域スポーツクラブの第1回設立準備委員会に出席した。クラブ名は母体になっているママさんバレーチームの「友愛クラブ」。そこから頂いた「ゆうあい」という読み方を英語に置き換えて「You and i」とした。あなたと私は愛で結ばれている、という意味。iが小文字なのが効いている。私はあなたのためにある、という意味にも取れる。活動の拠点は、習志野市に近い千葉県船橋市田喜野井町にある田喜野井小学校。
 昨年の6月、船橋市家庭婦人バレーボール部の部長である日下さんから最初にお話があった。「町内の小学校ではミニバスは盛んなのだが、バレーチームがまったくないのです。バレーをやりたい女の子が結構いるんで、小学生チームを作りたいのですが、渡邉さん協力してくれませんか」
 女性に頼まれるとNoと言えない性格の私は「よっしゃあ」と引き受けたものの、本当にやる気なのか半信半疑だったのでしばらくこちらからは連絡もせずその後の成り行きを待った。そして、今年の2月に入り、日下さんから連絡が入った。昨年の夏から1チームを結成して始めました、とのことであった。
これは本気だと、私も動いた。丁度、日本バレーボール協会指導普及委員会で「地域スポーツクラブ育成事業」を推進しており、補助金も出る募集があったので、千葉県バレーボール協会の了承も得て早速応募し審査で認可された。3月に日本協会の説明会があり、千葉県バレー協会にも活動スタートを報告した。そして、現在の女子1チームに留まらず、男子小学生のチーム、また中学に部活のない子供たちのための練習会、ママさんバレー、ソフトバレーのチームも一緒にまとまってクラブとして活動していこうという方向性を持つに至った。
 それでは、きちっとクラブ組織を立ち上げましょう、ということになり、昨夜の第1回設立実行委員会開催となったわけだ。委員は私を含めて8名。全員女性だが、ママさんバレーとソフトバレーのチームの代表者が集まった。食事しながらの委員会であったが、議論が弾みとんとん拍子に議題は片づけられていった。3月には元全日本選手を招聘し田喜野井地域住民(12,000人)に幅広く公報し親子のバレー教室を開催し会員募集をやることがまず決まった。プロが作ったカラーのかわいらしい募集パンフの見本もできていた。船橋市の体育協会、バレーボール協会、千葉県バレーボール協会との連携もやっていく。活動拠点を町内にある他2つの小学校にもお願いすること、町内に一つある中学校バレー部の方にも働きかけていくことも決まった。高校は市内にある全国区の市立船橋高校バレー部とも連携していく。共通のTシャツを作ろう、ユニフォームも必要・・・日本協会から補助金が打ち切られる3年後の財源はどうする?広報紙は?指導者の資質を高めるには?色々今後の課題も出てきたが、とりあえず第1回の準備委員会は出席者が期待感を抱いて終了した。
 子供たちが元気な地域は、安心安全な地域でもあるはずだ。お隣は何する人ぞ、では安心安全は得られない。子供たちが作るスポーツによる絆が地域の活性化につながると信じている。渡邉さん、また忙しくなるんじゃないの?とご心配される方もいらっしゃると思うが、私が協力する場合は、その組織のリーダーがしっかりしている方である場合だけに限っている。つまり、私がそのリーダーの背中をちょっと押させて頂くだけで前に進んでいくそんなリーダーがいる組織に限ってしか私は協力できないということだ。日下さんという女性は、その意味で才能あふれる素晴らしいリーダーだ。来週は全国ママさんことぶき(60歳以上)大会に出場するとのこと。日本という国の地域には日下さんのような人がまだまだいる。このような人がいる限り、世界の経済が多少ぐらついても、今の政治家のレベルが下がっていても、日本は良くなると確信している。まずは地域から元気になることだ。
(画像は委員の皆から講師の要望が高かった大山加奈さん。腰痛のため、選手続行できるのか危ぶまれているが、彼女が治療に通っている病院が船橋市内の病院という縁もあり、そして現役に復帰し子供たちのためにも元気なあの笑顔を振りまいてほしいという願いも込めての要望であった。早速千葉県協会として所属の東レバレーボール部に派遣依頼を提出したい。)

2008年10月6日月曜日

第4回北志賀高原ママさんバレークリニック



先週末の4日(土)5日(日)は長野県北志賀高原にあるホテルタガワ主催の「第4回ママさんバレーボールクリニック」に行って来た。参加チームは神奈川、埼玉、千葉、東京から5チームと地元の1チーム。全国大会に出場歴のあるレベルの高いチームばかりが集った。講師はソフトバレーではおなじみの「プライア(ポルトガル語で海の意味)」。プライアは、ソフトバレーだけでなくママさんバレー、小学生から一般社会人までコーチする元全日本選手たちの職人集団。今回は講師に新たにアトランタオリンピックに出場した永富(扇城高校:現在の東九州龍谷)さんを加えての開催となった。永富さんは、東京駅から私と一緒に新幹線で長野駅に移動。お互いに初対面だったので、車中で高校三冠獲得時代の話から最近のコーチキャラバン、次の全日本女子の話題など取り上げ、まずは互いを識るお話をした。
 長野駅では、主催者のホテルタガワの迎えのマイクロバスが来ていた。しかし、そのバスに新幹線で到着した千葉県、埼玉県から来た2チームが乗り込むと満杯状態になった。なんと、ママさんたちの荷物の多いこと。よく観察すると、夜の懇親会用か自分用か判らないがお菓子やつまみの類をどっさりと買いこんで来ている。
 この、クリニックが他の教室と大きく違う点は、コート4面を使い、ポジション別のクリニックを行い、受講者の質問に応える形で進行することだ。更には、元オリンピック選手たちとゲームを1セットのみだが行う。私も最近はママさんの体力に近く、程よいプレーをやるとの事でプライアチームに入り、ミドルのプレーヤーでクイック攻撃とブロックに専念させて頂いた。セッターはオリンピック四度出場の高橋有紀子さんなのでどこからでもクイックを打てるようなトスを上げてくる。従って否応なしに毎回毎回私はクイックに空ジャンプで跳び、ブロックに跳び、2日間で6セットのゲームはさすがに堪えた。そして、埼玉県のチームに初めてセットを取られた。この埼玉県のチームはモントリオールオリンピック金メダリストで主将を務めた旧姓飯田高子さんに指導を受けているチーム。ミスのない確実性の高いバレーを展開する。特にサーブにスピードと変化があり、大変素晴らしかった。なお、このチーム、翌日の練習試合ではまったく良いところがなかった。どうも、夜のアルコール消毒が効きすぎたのか、プレーに今一つ切れがなかった。
 昼は元オリンピック選手、元全日本女子監督に指導を受け、大浴場に何時間でも何回でも入り、夜は地元の山菜料理で舌鼓を打ち、そして懇親会ではレディとは思えない、このブログで詳細は報告は遠慮させていただきたいほどの盛り上がりを楽しみ、2日間のクリニック(合宿?)を終えた。
(画像はホテルからお土産で頂いた地元名産の大粒の栗。クリニックだから栗?)

2008年10月2日木曜日

ママさんバレー奮闘記

 本日は、千葉県家庭婦人バレーボール連盟主催の秋季大会第1ブロック大会(千葉市:70チーム)があった。私が指導しているチームも出場した。そして1回戦で敗退した。相手が決して強かったわけではない。勝ち方を知らないチームは勝てないということである。勿論、勝ち方を教えていない指導者の私の責任である。試合が1-2で終わって、選手たちが観客席にいる私のところに来た。私は、観客のいない通路で皆に話した。「来年全国大会に行くなんて目標は捨てて、市の大会でベスト8を目指す目標に訂正したほうが良いのではないか」と提案した。皮肉でも何でもなく、私はそのように言った。ママさんバレーは、地域のお母さんたちが縁があって集まりバレーを楽しむものだ。中・高校生の一部の部活のように有望な選手を集めたり、選手たちのほうから集まってきて上位を目指す集団ではない。

 負けたならしょうがない、また明日から練習をやって次の大会を目指せばよい。ミーティン後、飛び出るように私は会場を出た。駐車場で自分の車を探しているときに、チームのお母さんたちが一人二人とそして全員がユニフォーム姿で走り寄ってきた。なかには、よちよち歩きの子供を抱いているママさんもいる。監督でもあるリーダーが口を開いた。「みんな、わたなべさんに一人ひとり自分の気持ちを言いなさい」。皆の表情を見ると、真剣だ。何やら、私がチームに愛想を尽かして、もう練習に来てくれないのかもしれないという空気が生まれ、そして伝わったみたいだ。確かに、今まで指導してきた、いや指導させていただいたチームは全て過去のそのチームの成績を上回る結果を出してきた。そんな私が、1回戦で負けるようなチームを今後も指導するのであろうか、皆は不安に思ったんでしょうね。なかには涙を浮かべているお母さんもいた。

 さて、私は明日の定期練習に行くであろうか。明日からの練習内容は先ほどまで2時間かけて考えたのだが、練習に行くかどうか自分でも揺らいでいる。明日行かなければ、恐らくその後もいかないであろう。今後、私が関わり合わないほうがごく普通のお母さんたちのあの人たちにとっては幸せかもしれない。私がいるから全国大会に出たいと、叶わぬ夢を抱かせているかもしれない。しかし、それは私の不遜な考えか。

 明後日から2日間、長野県に行き隣県から集まってくるママさんバレーの練習会を行う。参加チームは過去に全国に出場したチームがほとんど。もっと上手になりたいというゲームで勝つことで楽しみ方を知っているママさん達が集まってくる。そんなママさんたちには指導はやりやすい。効果もすぐ出てくる。しかし、1回戦で負けるようなチームを2回戦でも勝つようになるチームに変身させるのも面白そうだ。ヘアーの美容で女性に自信を持たせる男性理容師のようで楽しそうだ。
 さて、明日の夜どうしよう・・・。

2008年9月30日火曜日

毎週火曜日は我がソフトバレーチームの練習日

 今夜は、船橋市のはずれ、ほぼ習志野市の近くにある大穴中学校を本拠地とする総合型地域スポーツ大穴クラブのソフトバレーの部の練習に行った。先週、私はお休みしたのであるが、それだけで「あら、わたなべさん、お久しぶり」なんて調子で声をかけてくる輩もいる。「わたなべさん、寂しかったわ・・」なんてひと声もあってよさそうなものだが、監督の私に似て皆さん一声にささやかに毒がある。もっとも、「寂しかった」なんてのも一寸気持ち悪いが・・・。
 最近、若い人が4人入部した。これは6月に行った船橋市主催のソフトバレー教室(7回)の賜物。教室の会場を我々の本拠地の大穴中学校になるように市の生涯スポーツ課に働きかけた結果である。10年前は出場した市の交流大会や県大会、関東大会は優勝か準優勝であった。全国でも優勝した。最近は私をはじめメンバーがベテランになってきて平均年齢が上がってきた。練習で活気が出なくなってきた。
「部員募集作戦」はそんな状態の時に、今年度の市の教室の話がきた時に本拠地で教室をやろうとアイデアが出た。チラシも作り、地域の学校にも呼びかけた。100枚配布した。市の広報紙でも募集がかけられた。結果、18名が集まってくれた。
 ソフトバレーは地域の100名に1名しかその存在を知っている人はいない、と私は認識している。船橋市ソフトの部も、千葉県連盟も、日本連盟も普及と広報の努力がまだまだ不足と感じている。楽しいから、特別な働きかけをしなくとも自然と愛好者は増えると一部の役員は考えているが、ことはそんな単純なものではない。まずは、広報活動だと私は考えている。ソフトバレーボールの存在をメディアを通じて多くの人に知っていただくことが必要だ。各都道府県には指導普及委員会はあっても、広報委員会はない。委員会でなくとも広報部のレベルでもよい、字の如く「広く報道し、知らしめること」が求められている。まずは身近の行政(生涯教育課とか生涯スポーツ課など)に働きかけ協同で教室開催の企画を相談されてはいかがであろうか。教室が開催されれば、受講者でチームやクラブを作るきっかけになり、そして地域の連盟ができていく。

2008年9月29日月曜日

栃木県宇都宮市に向かう車中で

 先週の27日、28日の週末は勤務先の営業の応援で栃木県宇都宮市に行って来た。宇都宮に行くには、上野駅に行き、そこから快速ラビット号で1時間半、東北線を北上していく。
 土日で乗客の少ない早朝の時間帯、途中の駅から3人連れの60歳前後と思しき女性達が乗り込んできた。それからの会話が凄かった。何が凄かったかというと、アクセントがどうも栃木弁らしいのだが、「・・・ごじゃっぺいってんじゃねえ(なに馬鹿言ってんの)」から始まり、その3人のおばさんたちが3人同時に話しはじめたから、言葉が重なり、和音は和音だがあれは不協和音というのであろうか、とにかく人の話を聞くと同時に自分の主張を繰り返している。一体どこで息継ぎするのか、聞こえてくるこちらが息苦しくなってくる。栃木弁の特徴は,最後の方でイントネーションが尻上がりに上がってくるのであろうか,これで終わりというリズムではない。本人達は内緒話のつもりなんだろうが、結構声も大きい。しかし、方言と3人同時会話進行形で内容がまったく聞き取れない。 おばちゃん達の聴覚能力恐るべし。
そして、30分ほどでおばちゃんトリオは下車し、車内にまた静寂が戻ってきた・・・。
 今週木曜日は、我がママ(我侭ではありません)さんチームの秋季県大会、そして週末は長野県北志賀高原にて1泊2日のママさんバレーのクリニックを元全日本監督と選手6名+私で開催する。昨年度のこのクリニックに、中田久美さんがゲストで出演、今回は元全日本の中富さんがゲストで出演する。北志賀高原は寒いだろうなあ・・・。

2008年9月26日金曜日

9月もあと5日で過ぎて行く





















最近の世相が目まぐるしく展開しているからなのか、月日の経つのは早いものだ。毎日毎日、本人としては精一杯頑張っているつもりだが、客観的に見ると、もっとできるはずと自分自身を励ましていることが逆にやる気を失わせている原因にもなっている。人間とは厄介なものだ。もっと、楽観的になって、少しのことでも「良くやった!」と自分自身を誉めてあげた方が良い循環になるかもしれない。お花でも見て深呼吸してからもう一つ仕事を片付けて、外出しよう。
 今夜は、ママさんバレーの練習試合だ。来週、千葉県の秋季大会が始まる。そろそろ我がチームも3回戦常連になりたい。ママさんは、指導しがいがある。上手な人を更に上手にするのも指導だが、なかなか上手にならない人をあきらめずに指導するのも指導と考えている。来年の4月には全国大会の予選が始まる。あと7ヶ月。あきらめないのも指導力の一つ。
(画像は、F.Kさんが送ってくれました。「ほととぎす」という名の花です。赤紫色の斑点が、野鳥のホトトギスの胸の模様にそっくりなため、同じ名前になりました。10月6日の誕生花です。)

2008年9月24日水曜日

久々に大学院のゼミに出席

 現在休学中の夜間大学院であるが、来月は中間発表会というのがある。これは、修士論文提出のためにはタスク(義務)である。中間発表会提出用の「抄録(内容を簡単にまとめたもの)」を手直しするためにも、ここはゼミに出席してチェックしておかねばならないと、秋分の日の昨日、昼から茗荷谷にある東京キャンパス(旧東京教育大学キャンパスの一部)に出かけた。実は、ここには私が卒業した放送大学も隣接している。
 ゼミとはドイツ語のゼミナールの略。大学の教育方法のひとつで、教授などの指導のもとに、少人数の学生が特定のテーマについて研究し、報告・討論するもの。演習。ゼミ。英語でセミナーともいう。各人が発表した内容に出席者がどんどん突っ込んで質問してくる。用語をいい加減に使っていると、その用語の定義は?と容赦がない。昨日は、卒業して博士前期課程に進学の決まった先輩(といっても私より当然、年少者)からも矢継ぎ早に質問がきた。3月以来、休学して研究を怠けがちなこちらはしどろもどろになる。昨年、その先輩が在籍していた時は、私に「女性との話し方を教えてください・・・」と懇願してきた同じ人間とは思えない突っ込んだ質問が雨のように降り注いできた。しかし、これこそがレベルの高いゼミなんですね。研究して何がわかったのか、何が問題なのか、その場で明確にさせる作業がゼミだ。出席者8名の中で、身が細る思いであったが、夕方終了したときは充実感(開放感?)があった。そして、先ほどの年少の先輩が「渡邉さん、統計手法でお困りの様子ですからお手伝いしますよ。渡邉さんの『島嶼におけるソフトバレーボール交流によるコミュニテイの連帯感醸成に関する研究』には思い入れを強く感じました。その思い入れを客観的に研究すれば必ず修論はできますよ」と、にこにこしながらアドバイスをくれた。持つべきものは同窓、学びの社の仲間ですね。

2008年9月22日月曜日

公認リーダー養成講習会で長野県大町市へ

                  
 お彼岸ですね。お墓参りは済みましたか? 
さて、20日(土)、21日(日)と日本バレーボール協会公認ソフトバレーボール・リーダー養成講習会で長野県に行ってきた。会場の大町市(おおまちし)は、長野県の北西部にある人口3万人ほどの市で、立山市黒部アルペンルートの長野県側玄関口として有名。市の西部には標高3000mの広大な北アルプス、東部には1000m近い山々がそれぞれ連なる 。中央線終点の松本駅で出迎えてくれたのはスキンヘッドの一見強面(こわもて)風の県連盟審判委員長の斉藤さん。自家用車で会場に着くまで小一時間の間、斉藤さんに大町市のことを解説していただいたが、1 0月には紅葉が始まり観光客もこれから多くなってくるということでした。
 長野県ソフトバレーボール連盟のチーム登録数は、昨年度の統計によると全国第2位の226チーム(クラブ)を誇る。今年度から始まった個人登録制度の影響で昨年度よりやや登録数は減ってはいるが、それでも昨年度の8割程度は登録している。日本バレーボール協会の個人登録制度は日本ソフトバレーボール連盟としても今年から始めたばかりで、現場は登録方法のIT化など多少の戸惑いを抱いており、全国規模でみても昨年度の登録数を確保していない状況である。しかし、ここ長野県ソフトバレーボール連盟においては、登録推進の際して役員の方々の並々ならぬ努力と工夫があり、昨年と比べて2割ほどの減であるが、毎月数チームの登録復帰があるということだ。来年度2年目の登録制度の推進に向けて、成功事例として長野県連盟の登録していただく努力と工夫を日本連盟の理事会で報告したい。
 さて受講の様子であるが、受講者46名は全員まじめな方が多く、そして質問が多く活発な講習会となった。初日の講義を終えて役員さんと夕食会になったが、役員の方々も熱心な方が多く、話は弾みっぱなし。特に会長の北村先生は、以前高校の教員であったので、お話がお上手で、バレー談義がソフトバレーから日本協会の審判委員会のお話や母校の東京教育大学のお話、北信越の国体予選のお話と際限なく楽しく続いた。お国自慢になるが、長野県バレーボール協会の会長が元首相の羽田孜さんであることは意外と知られていない。
 来年度、長野県にて全国ソフトバレーボール・ファミリーフェスティバルが開催される。北村会長、一岡理事長の率いる長野県連盟であれば成功裏に開催されることは間違いない、と確信しながら帰りは長野駅から新幹線で帰京した。
(画像は愛読者の花屋さんを営んでいるF.Kさんからの彼岸花です。彼岸花は別名「天上に咲く花」を意味する「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」とも呼ばれます。)

2008年9月18日木曜日

久しぶりの大阪


 昨日は久しぶりに大阪に日帰りで行ってきた。勤務先の新プロジェクト会議を淀屋橋の本店で行った。
 淀屋橋というところは大阪の行政・金融の中心街で、新大阪駅から地下鉄で10分と近いところにある。その昔、戦国時代から江戸時代にかけて淀屋という米問屋が日本の米問屋の中心的役割を果たし、その淀屋が作った橋の為に淀屋橋と名づけられたという。
 東京駅を早朝の新幹線で出たわけだが、やはり眠い。新聞2紙を読んだら名古屋駅まで1時間ほどうつらうつら寝てしまった。新大阪駅まで新プロジェクトに関係する資料作成のために「解剖学」のおさらいをした。新プロジェクトでは、「解剖学」「生理学」「運動力学」の知識がないと推進できないからだ。
 定年まであと数年残すところまで来たが、新しい仕事を与えられるだけで幸せと思っている。しかし、あと何年と数えるより、今からスタートと考えている自分がいることを自覚している。入社以来、バレーボール一筋で仕事をさせていただいた。まだまだやることは山積している。人の役に立つためには、更に学習を継続させなければいけない。
 明後日から2日間は、長野県にてソフトバレーボール・リーダー講習会の講師活動が待っている。長野県は全国で3番目に登録チームの多い県である。長野県ソフトバレーボール連盟の役員・受講者たちから元気な長野県ソフトバレーの秘訣を学習させていただく。

2008年9月15日月曜日

関東大学女子1部秋季リーグ戦と20数年ぶりの再会


 久しぶりに青山学院大学の体育館に行ってきた。この秋は北京オリンピックの関係で通常8チームでやってきたリーグ戦を2部の1位と2位を入れて計10チームで行われている。観客席に座って東海大学男女バレー部の部長である成田先生とお話をしているといろんな人が挨拶に来てくれる。知り合いの学生、学生の親御さん、小学生バレーの指導者など。
 中には20数年ぶりに会った人がいた。「阿部さんですよね」と声を掛けてきた女性は、見たことがあるようなないような人であった。「都立江東商業高校時代に教えていただきました」。その一言で思い出した。。あの当時、東京都男子高体連男子バレーボール専門部部部長に高橋末光先生という方がいらっしゃって、ずいぶんと可愛がっていただいた。その縁で男子部の監督さんたちと懇意にさせていただき、私の仕事に大きな助けとなったものでした。その高橋先生から誘われ、週1は会社帰りに亀戸駅を 途中下車して学校に行き練習手伝いをやっていたのです。阿部というのは私の旧姓です。彼女の娘さんが東海大学に今春入学したとのことでした。ご主人は実業団名門バスケットチームで活躍していたということも聞きました。職場結婚ということでした。しかし、よく私の顔を覚えていたものです。つまりは、私は20代の頃から今の顔だった、老け顔だったということですなあ・・・。
 それにしても、観客の少なさも20数年前から変わらない。観客の90%以上は父母の方たちだ。ゲームの内容はレベルも高く、観て楽しめるものだけに、プロモーションに力を入れれば一般の観客の増加は見込めると私は判断した。学連の大学生たちのパワーを発揮して欲しいな、という期待を抱いて体育館を後にした。
(画像は私が35歳の時、確かに今でもこの写真は通用する・・・ムム)

2008年9月14日日曜日

NHK大河ドラマ「篤姫」の魅力


 毎週日曜日の夜は、結構「篤姫」を観ている。視聴率は25回連続20%を超えて、NHK大河ドラマでは過去最高ということだ。主役の宮崎あおいちゃんも清楚で可愛いくて良いが、脇役もNHKならではのベテラン俳優さんを揃え重厚な雰囲気を出している。私が好きな場面は、日本の歴史の中で大きく変わる幕末の歴史上の出来事、歴史上の人物が出てくること、そして幼馴染の篤姫と帯脇の表に出せない恋心など、バックの音楽がまた何とも場面にあって感情を揺るがす。
 明日は青山学院大学で行われている関東大学女子バレー1部秋季リーグ戦に行ってくる。全日本女子バレー強化委員長の成田先生にお話がある。また、筑波大学元男子バレー部監督で名誉教授の杤掘先生にお会いできるかもしれない。直接会ってお話ししないと通じないことがたくさんある。

全国ソフトバレーボール・レディース&メンズ交流大会




 一昨日の9月12日(金)から14日(日)までの期日で、標題の交流大会が始まった。私は実行委員会のメンバーとして昨日会場の神奈川県藤沢市にある秩父宮記念体育館に行ってきた。参加チーム計96チームにコート総数12面は少ない気もしたが、交通の利便性、宿泊のホテルの確保などを考慮すると、この体育館が最善であったのであろう。全国大会だけでなく大きな交流大会を開催する場合、会場の確保は最大の必要条件である。開催地の役員が一番頭を痛めるところである。次に予算の獲得。チームの参加料だけでは大きな規模の交流大会、想い出に残る交流大会の運営は難しい。開催地の行政の支援が必要だ。

 スポーツは地域を活性化させる力を秘めている。今回の開催地である藤沢市は地域活性化というのには、人口50万近くある中核都市なので地域という名称はそぐわないのであろうが、少なくとも参加者・関係者約700名の交流を通じてお互いの地域間交流には大きな役割を果たしていると確信した。
 夜の交流パーティでは宮崎県をはじめ多くのチームが地元自慢、宣伝活動を舞台の上で繰り広げた。最後に紹介のあった山形県からは酒田市のチームが挨拶に立った。来年は酒田市でこの交流大会が開催されることが決まっている。実は、酒田は私の故郷。人口10万人ほどの市だが江戸時代は紅花を大阪に運んだり、大阪や京からは上方文化が流入したり西回り航路として栄えた港町であった。私が24歳の時、記録に残るほどの大火で多くの商店が疲弊したが、母校の甲子園出場、NHKおしんの舞台になったことなどで少しは全国に知られるようになり少しずつ回復してきた。来年のこの全国大会をきっかけに故郷をスポーツで更に活性化することに僅かでも貢献できるように頑張っていきたい。

2008年9月12日金曜日

愛知県岡崎市ママさんバレー教室開催

 会社の業務で岡崎市のバレーボール教室に行って来ました。9日の火曜日の夕方に新幹線で移動したので、毎週火曜日練習日の船橋市の我がソフトバレークラブの練習に参加できず、練習を期待していた新入部員には申し訳ないことをした。それとも私がいなくて清清して練習を行っていたかも知れないが。
 翌10日、午前中に毎週水曜日岡崎市は登録チームから希望者を集って教室を40年前から開催している。この日も4面のコートに約100名のママさんが集り、私も指導のお手伝い。午後からはヨーコ・ゼッターランド、広瀬美代子、大谷佐知子のオリンピック銅メダリスト達も集り、受講者も交代して97名の受講者を対象に正式な教室をスタートした。
 大谷さんとは8年ぶりぐらいに再会したが、高校2年生で全日本に入った逸材の片鱗はまだ残っていた。あの当時は、大谷、宮島恵子、廣紀恵の高校生トリオと騒がれたものであった。大谷さんは現在40歳を過ぎ2児の母親という。帰りの車中で、新婚であるが子供さんのいないヨーコに、子供を早く作りなさい、人生観が変わるわよ、と例の大阪弁でまくし立てていた。

2008年9月8日月曜日

JVA公認講師研修会と神白杯ママさんバレー大会


 ここ1週間ほどこちらのブログ、お留守にしていました。まとめて報告します。
まず、8月30日、31日と年1回開催されるJVA公認講師・日本体育協会公認上級コーチ・コーチの研修会がありました。有意義な研修会でした。特に全日本男子強化委員長で北京オリンピックバレーボール団長の萩原先生の報告は納得のいくものでした。6月に最終予選を行い、その2ヵ月後にオリンピック本番を迎えても実力は十分に発揮できないものだ、との発言はその通りと思いました。全日本男子はあの最終予選のときがピークだったのですね。本番直前の最終予選に出場するチームでは本番でのベスト4以上には進出できないということです。このあたり、ロンドンオリンピックに向けての対策として、アジア予選は本番1年前にやることがアジア勢が上位進出する為の一つのポイントであると認識した次第です。
 昨日の7日(日)は埼玉県草加市にてママさんバレー大会に招待され行って来ました。第9回神白杯ママさんバレーボール大会という名称です。私が指導している千葉市のママさんチームがはじめて招待され、全国でも強豪チームの多い埼玉県と東京都から24チームが集りコート4面で開催されました。我がチームは1セットも取れませんでしたが、メンバーは今年初めての県外でのゲームで貴重な経験をさせていただきました。上位チームとの違いは、①サーバーが1番から5番まで優秀でスピードサーブや後方からの変化サーブをビシビシ打ってくる②前衛のアタッカーが3人は揃っている③アタックができるということはブロックもできるということで相手の強打のアタックをワンタッチでボールの勢いを和らげてトスをしやすくしている④ブロックのワンタッチをきちんとトスにしている⑤チャンスボールを正確にセッターにオーバーで返球している。以上5点が目立った点ですね。
 神白(かじろ)杯の神白さんは、旧姓飯田さんという。1976年のモントリオールオリンピック金メダリストで主将のあの飯田高子さんである。 中京大学出身の当時初めての大卒での全日本選手でした。その飯田さんから開会式の前に画集を頂いた。水彩画の絵であったが、飯田さんの飾らない透明な心がそのまま画風に表れている爽やかな画集であった。画集の始めのほうには現在も指導している県内のママさん3チームとの記念写真もあり、そこの1枚になんと私も一緒に並んで写っているではないですか。光栄ですね。
 飯田さんのように金メダリストでありながら、草加市や三郷市で地域のお母さん達のために活動しているアスリートの方を私は他に知りません。12月には地域の中学生のために教室を開催するとも聞きました。オッと、今しがた、その飯田さんから電話が入ってきました。昨日の大会の原稿を読売新聞の地域版に送るので、私の正式な肩書きを教えてとの事でした。(配慮される方ですね・・・)
 何はともあれ、飯田さんはコート上でも金メダル、そしてコート外のもっと広い地域でも金メダルを獲得しているのですね。まいりました。 (画像は最近の神白高子さん)
 

2008年8月28日木曜日

アフガニスタンでの悲劇は回避できたのではないか



 めっきり朝晩が涼しくなってきました。私もきょうから長袖シャツで出勤。

 昨夜から報道されているが、アフガニスタンで誘拐された日本人青年(31歳)の遺体が発見された。青年は非政府組織NGO(Non Goverment Organaization)の一つであるペシャワール会スタッフの一人であった。アフガニスタンでは現政権への失望や不満が充満し、治安が悪化していた。ペシャワール会現地代表の中村哲医師は「情勢認識が甘かった」と述べていたが、私も同感だ。

 国際社会で紛争や貧困などで苦境に陥っている国や地域に入り、地域の復興や自立に向けて先進各国からボランティア が活躍している。日本政府はアフガニスタンに総額20億ドルの支援を表明している。内容は医療、衛生から農業、教育など多岐に渡っている。日本政府から外務省傘下のJICA(ジャイカ:日本国際協力機構)や日本からのNGOがこれらの資金を使い現地で復興や支援活動に当たっている。
 
 今回の背景にあるのは、米欧の対テロ戦だ。特にアフガニスタンと隣国のパキスタンにいる国際テロ組織アルカイダやイスラム原理主義勢力タリバンの打倒が対テロの目標となっている。
 今から、34年前、私はJICAの下部組織である青年海外協力隊の隊員としてアラブ中近東のチュニジア共和国にバレーボール指導で2年間派遣された。隣国は当時カダフィー大佐率いるリビア
とアルジェリア。ある日、リビアからゲリラがチュニジアの首都であるチュニスに潜入し銃撃戦となった。
市内には戒厳令が敷かれ外出禁止となった。怖いもの見たさの22歳の血気にはやる私は戸外に出てみた。とたんに「パン」という乾いた音と同時に目の前をピューンという音が通過していった。銃撃されたようであった。慌てて石造りに家の中に逃げ込んだことを今回の記事で思い出した。
 戦争になると人の心は変わってしまう。普段はおとなしく優しい人も、戦争という極限状態になると神経が麻痺してしまうのか犬畜生以下の獣になってしまう。アラブ人は特に気性が激しい。今回のアフガンの状況が悪化していたことは以前に解っていたと思う。犯人はテロリストでないかもしれない。一般人かも知れない。一般人でも、戦争状態では理性を失ってしまう。日本政府は早めに撤去指示を出しているべきではなかったかと私は考える。
 望むことは無理だが、亡くなった青年の将来の40歳代、50歳代の姿を見てみたかった。惜しい日本人を無くしてしまった。子供に先に立たれた親御さんの無念さはいかばかりか。私もそうであったが、その青年も異国の地でひょとしたら亡くなるかもしれないという恐れは持っていたと思う。事実、青年海外協力隊でも事故、怪我、病気で亡くなる率は国内にいるより以上に高い。しかし、海外に出て自分の力を試してみたい、生かしてみたいという希望が現地でのリスクの恐れを上回り、私の仲間達は発展途上国に旅立っていった。
 伊藤和也さんのご冥福を祈る。

2008年8月26日火曜日

全国中学校バレーボール選手権大会 文京学院大中が準優勝


 東京都ソフトバレーボール連盟が会議や講習会などで施設をお借りしてお世話になっている文京学院大中学校女子バレーボール部がまたまた全国大会で快挙。昨年の優勝で二連覇中の文京、今年のチームは絶対的なエースもいないちびっ子チーム。東京都の予選でも関東大会の予選でも準優勝。ここまででも良く頑張っているなと時々練習などを見ながら感じていた。
 そして全国大会。ベスト4決めで過去全国2連覇しているライバルの裾花中(長野)とフルセットの激戦。決勝では高校も強い大阪の四天王寺。フルセットの末三連覇は逃がしたが、決勝まで行ったことは立派。指導に当たった吉田監督、総監督の清水先生、高等部監督の山根さん達の指導の賜物。
 しかし、3位に入った駿台学園は男子が優勝で、これも凄いこと。男女の指導者のチームワークが良くないとできないこと。来年度の開催地は大分県。東京都のバレーボール、高校も頑張れ。
(画像は産経新聞地域版から)

 【大会試合結果:女子】 優 勝 四天王寺羽曳丘中学校(大阪府)準優勝 文京学院大学女子中学校(東京都)3 位 駿台学園中学校(東京都)3 位 就実中学校(岡山県)

【大会試合結果:男子】 優 勝 駿台学園中学校(東京都)準優勝 北九州市立引野中学校(福岡県)3 位 深谷市立南中学校(埼玉県)3 位 富士見市立西中学校(埼玉県)

2008年8月25日月曜日

ママさんバレーの初めての合宿


 毎週金曜日は千葉市内のママさんバレーのコーチをさせていただいている。昨年末から30歳前半のヤンママも数名入部してきた。来年の全国大会(第30回大会で静岡県での開催)に出たいと言う。それでは、ということで初めての合宿を先週の土曜日と日曜日に行った。旅行は結構行っているママさんも合宿と聞いて始めはしり込みする人も出たが、結束を高めるために同じ屋根の下で同じ釜の飯を食べる合宿だよとの説明を聞いて安心したのか、OGや子供たち含めて合計17名が参加した。
 場所は銚子に近い匝瑳という海辺の町。1軒屋貸切で、まずは大掃除から始まった。ガスのボンベの栓をひねり、電気を通し、布団を干し、夕ご飯の買出しとさすが現役の主婦達、各々役割を探してテキパキと仕事をこなして行く。考えて見れば男は私と小学生低学年男子2名と乳飲み子だけ、こんな時はまるで役に立たない。午後から近くの中学校で地元チームとの合同チームと練習試合。夜は皆で大宴会。メンバーの1人が持ってきた越後のお酒が効いたのか、最初にグロッキーしたのは私で、翌朝気がついたら布団の上であった。体育館を1歩出ると情けないバレー専門馬鹿の私ではある。
 午前中は、近くの浜に行き、西瓜割り大会。お昼ごはんを食べ、借りた家を以前よりもきれいに掃除して四台の車に分乗して帰宅。
高校女子の合宿は何度も経験はあったが、ママさんバレーの合宿はまたある意味で楽チンでよいものだ。バレーのスキルは今一でも、主婦としては皆一流だね。皆を見直した2日間の合宿でした。やって良かった。
(画像は宿舎の裏側にあった駝鳥(だちょう)を飼育しているお宅をバックに男ども集合)

第29回北京オリンピック閉幕


 先ほどもNHNで総集編を見ました。何度見てもメダル獲得の瞬間、失った瞬間はドラマですね。日本選手団はがんばりました。がんばることを楽しむのが大事なことだと思う。日本は、前回のアテネよりも金メダル数、総メダル数は少なかったものの、17日間毎日感動を与えてくれた選手達に感謝したい。しばらくは疲れ果てた体をゆっくりといたわって欲しい。
 球技のチームスポーツではソフトボールだけがメダル獲得であった。他のメダル獲得は、ほとんど個人競技で柔道、水泳、体操などは地域のクラブ(柔道場)育ち。バレーボール男子は、オリンピックの現場に戻ってきたことで満足しているのが残念。女子は世界のベスト4に歯が立たない。最後まで次につながる粘りを感じない戦い方には疑問が残った。実力はランキングどおりの7位であった。
 今週末の30日、31日と東京にてJVA公認講師の研修会が行われる。その席で強化委員会から報告が聞ける。ロンドンに向けて何をすべきか、何をしてはいけないか、4年後を見据えて夢を追いかけたい。
 ロンドンオリンピックに行って見たいですね。そして、ソフトバレーボールも国際化を図って行きたいですね。「夢」は見るためでなく、実現するためにある、と思っています。国内での愛好者を100万人、そしてアジアの隣人での国際大会の開催。まだまだ老ける訳にはいかないね。
(画像は初優勝したブラジル女子)

2008年8月22日金曜日

北京オリンピック女子バレーはブラジルとUSA


 ブラジル、アメリカとも初金メダルをかけての戦いが決まった。昨日の準決勝でブラジルは中国を3-0、アメリカはキューバをやはり3-0で一蹴した。ポイントは戦術的なサーブとブロックであった。このことは日本女子の不足しているポイントでもある。
 決勝はブラジルのストレート勝ちかフルセットでアメリカの勝利となるのであろうか。アメリカの監督は中国人のあの郎平(ろうへい:Ping Lang)、愛称は”jenny”。1984年のロスオリンピック時、決勝はセリンジャー監督率いる地元アメリカと中国であった。中国は大エースの郎平がスパイクを打ちまくり金メダルを獲得。なお、日本は銅メダルで、これ以降24年間メダルとは縁がない。

 決勝は明日23日(土)20:00から行われる。中国国内での女子バレーの人気は、体操、卓球を凌ぎ、このオリンピックで視聴率8.0%でNo,1ということだ。8.0%でも人口に換算すると3億人という。どちらが勝っても初金メダル。この日は丁度我がママさんチームの合宿の夜、皆でわいわいゲーム観戦を楽しみたい。
(画像はFIVBより 21日のブラジルvs中国戦)

2008年8月19日火曜日

北京オリンピック(バレーボール)終了

 先ほど、女子のブラジル戦をTVのライブで見てました。日本は完全に研究され尽くされていましたね。日本の最大の弱点である低身長セッター竹下の上からのスパイク、竹下がバックに下がれば、速攻封じのフェイントをわざと拾わせる。さすが金メダルを狙っているブラジルです。戦術の面でも日本の上でした。これで、優勝はブラジル、キューバ、イタリア、ロシア、アメリカ、中国のいずれかですね。
 オリンピック日本選手団の総括は後ほどマスメデイアで出るでしょうが、私見ではますます個人競技で女性の部しかメダルが取れない状況になってきた感がします。日本のチームスポーツは惨敗です。オリンピックにさへ出場できなかった、ハンドボール・バスケットボール。サッカー女子、ソフトボール女子、グランドホッケー女子、シンクロナイズドスイミング女子は頑張っていますね。サッカー男子、バレーボール男子は予選敗退、野球は今ひとつピリッとしない。
 日本のスポーツを強くしてきた企業スポーツの新しいバックアップのあり方と国のバックアップがないと世界とこれ以上闘えないでしょうね。個人の努力にも限界がある。私はソフトバレーボールとママさんバレーボールで裾野を広げる努力をやっていきます。裾野を広げることでバレーボールに興味を持ってくる子供達が増えてくるものと確信しています。そして、優秀な指導者の育成が必要です。普及と指導者育成が私の使命であると考えています。

2008年8月15日金曜日

終戦の日とオリンピック


 きょうは63回目の終戦の日。平和の祭典である北京オリンピックの開幕の日に、ロシアとグルジアは戦闘に入った。何たる皮肉か。人が人である限り人の心の中から戦争はなくならないのか。殺されれば報復してまた殺す。そうやって負の連鎖が始まる。
 テレ朝で終戦記念日ということで戦争アニメをやっていた。『キクちゃんと狼』の童話なんだが、なんとなく見始めて最後まで見てしまった。満州で敗戦を迎えた多くの日本人民間人が突然参戦したソ連軍から逃げて行くが、逃亡中に幼いキクちゃんは麻疹(はしか)にかかってしまう。他の家族の子供達に移らぬように母親は泣く泣く幼いキクちゃんを原野に置き去りにする。腹をすかした狼がキクちゃんを食べようとするが、高熱に驚き草薬で熱を冷まし助ける。その後、中国軍にも追われ大やけどをするが、狼は自分が中国軍の前に出て敢えて鉄砲に撃たれ犠牲になることでキクちゃんを中国軍の手に渡し人間の手で助けてもらう。物語はそこで終わった。
 戦争は兵士だけでなく民間人も犠牲になる。先の大戦で日本人は軍人・軍属・民間人合わせて、310万人が死亡した。終戦後、海外に残された日本人は620万人、極寒のソ連、モンゴルには57万人の戦後強制抑留者がいた。
 キクちゃんたち日本人町の一行は途中でソ連兵の戦車に轢かれたり、機銃掃射、暴行、略奪、辱め
を受けながらも日本に帰れたのであろうか、キクちゃんは中国人に引き取られ戦争孤児として成長してお母さんと再会できたのであろうか、アニメは鉄砲に打たれて死んで行った狼と中国軍兵士に抱きかかえられて治療に向かうキクちゃんの画像で終わっている。
 4年に1回のオリンピックと終戦の日が重なったきょうという日に「戦争と平和」を考えてみても良い。ライバルを尊敬しスポーツでお互いを認め合うオリンピックの価値を今一度考えてみよう。スポーツのできる環境にある我々はスポーツを政治的に利用する者たちからこの環境を守る必要がある。口パクやCGでの偽装の祭典からは本物の感動は生まれない。金メダルでなくともよい、金メダルを目指して努力するところに価値がある。その結果敗れてもそれで人生が終わるわけでもない。金メダルを取った以上に我々人類は敗北から多くの価値を得てきた。故に勝ち方同様、負け方も大事なのだ。勝っても負けても、それは終着点ではなく、通過点なのだから。

2008年8月9日土曜日

青森県弘前市にて

 暑かったですね。エッと思いの方がいると思いますが、ここ青森県弘前市は、気温が30度前後ですので過去形になるのです。弘前市は既に初秋の気候です。昨日まで私は連日35度以上のあの酷熱の埼玉県にいました。女子バレー会場の川越市、その後男子バレー会場の所沢市に移動して、今朝一番の飛行機で青森空港からタクシーで弘前市民体育館に着き、あわただしく着替えて講習会に入った次第。夕方にホテルに入り、県協会の役員さんたちに夕食会に招待され二次会に行き、今しがたホテルに帰ってきました。これから全日本女子とUSA女子のゲームを見ます。実は明日の講義はこのゲームをTV観戦しての議論をやりますよと本日課題にしたところだったのです。従って、私も見なきゃいかんよね。では、また後日。

2008年8月1日金曜日

今日から8月

 きょうも暑いね。7月30日,
日本経済新聞夕刊の「旅」欄に私の田舎である酒田市の記事が載っていた。江戸時代に北前船の交易で栄えた港町である酒田市(人口約10万)には、東北の人にはほとんど知れ渡っている豪商の本間家がある。最近はNHKドラマ「「おしん」の撮影地としてのほうが知れ渡っているかもしれない。その本間家は、時の庄内藩主と比肩する経済力を持ちながら農民救済や砂丘の植林事業に私財を投入、公益を重んじたことで知られている。
 私は中学生のとき新聞配達をしていたのであるが、この本間家旧邸にも配達していた記憶がある。築200年以上経つその武家屋敷造りの旧邸はいつ行っても人がいるかどうか分らぬほど人の気配のしない大きな屋敷であった。
 公益、地域貢献ということで、高木美保さんという眼鏡の良く似合う女優さんがいるが、同じ日本経済新聞の対談特集で含蓄のあることを仰っていた。「勝ち負けで評価される社会になってしまったら、勝つことだけにこだわって生きるしかなくなります。社会貢献などと考えている余裕もなくなるでしょう。社会貢献とは『何かをしてあげること』というような短絡的なものでなく、『何かをさせてもらう』という謙虚な気持ちでするものですが、これは勝つことより、負ける経験を味わった人にこそできることではないでしょうか」
 我々スポーツの役員にも通じるところがある。「役員をさせていただいている」という謙虚な姿勢から登録チームへの本当の貢献ができる。公益どころか私益のために役員の座を降りない方達がいる現実を多少憂えている昨今である。
 さて、今から埼玉インターハイで女子バレー会場の川越に行く。5日からは男子会場の所沢に行く。
そして、9日、10日はまた青森県弘前市にて日本体育協会公認の上級指導員講習会開催。11日からお盆休みとなる。途中の5日の千葉県U14の大会には責任者であるが顔を出せないのが残念。では、行ってきます。

2008年7月25日金曜日

全国シルバーソフトバレー交流大会開催の方向に


 今年の開催地は6月に震災にあった宮城県栗原市ということで、日本ソフトバレーボール連盟としても開催か否か、延期かということで検討してきた。22日に宮城県連盟理事長の三浦さんからの速報では、当日連盟の西山会長と成田理事長のお二人が現地に赴き視察も行い、佐藤市長と対面し話し合った結果、佐藤市長側からも開催に向けて強い要請を受け連盟も受諾したとのことです。

 現地は観光地であることから今回の震災の打撃は大きく、観光客の到来が極端に少ないという。ソフトバレーの仲間が全国から訪れ、現地に経済的効果を発揮することで栗原市を励ますことができるのではないか。お互い様である。明日は我が身である。相互扶助の精神を発揮し10月31日に全国の仲間と再会したい。

 画像は、愛読者の方から昨夜の「隅田川大花火大会」の様子。本番は26日に2万発の花火が打ち上げられ、約100万人の人出が予想される。
この大会は、1732年(享保十七年)に発生した大飢饉とコレラの死者を弔うため、1733年(享保十八年)旧暦5月28日、両国の川開きに花火を催したのが始まりとされる。
                    栗原市でもまだ不明者合わせて死者が20数名いると聞く。隅田川の花火で死者の霊を弔い、まだ発見されていない方たちの帰還を祈りたい。
 

2008年7月21日月曜日

ワールドリーグ男子バレーD組3位

 昨日の大阪中央体育館でのゲームで1次リーグが終了し、日本は通算5勝7敗でD組3位となった。昨日のゲームは中国との対戦で1-3で完敗の内容であった。
 試合後の植田監督のコメントが気になった。「誰が出ても、同じバレーをしないといけない」と植田監督。以前から私は植田監督には「まじめな指導者」として好感を抱いている。但し、注文をつけるとすると、もう少し「戦術・戦略」を学習してもらいたい。「誰かがでることで、違うバレーをしなければいけない」というのが私の考え方である。全日本は誰が出て行っても、いつも同じバレーをするとどうなるか。当然、昨日のように攻撃を読まれブロックにかかってしまう。昨日の中国はリベロを省いて平均身長190cm以上であった。実はこのパターンは全日本女子にもある。アテネ以降ほとんど同じスタメンでここまで来ている。精度は上がったが相手チームから見たら分りやすい単純なチームだ。
 勿論、両監督ともこのことに関しては百も承知で、我々が知らない対策も打っていることであろう。スタメン以外は金太郎飴ではいけない。ワンポイント・プレーヤーでもない。ワンゲームフルに働ける実力に遜色のない12名でないと世界のトップ4に入れない。Aというチームにはこの陣容で、Bというチームにはこの陣容で対処するというのが戦術である。北京の本番で両監督の手腕を期待したい。

2008年7月19日土曜日

梅雨明け

 気象庁から本日関東甲信越に梅雨明け宣言が出ました。これで日本全国梅雨明けで、本格的な夏に突入ですね。バレーボールの練習では、脱水状態にならないように水分の補給を小まめに行ってくださいね。一番安上がりで美味しい対策は、大きなやかんで作った冷やした麦茶に蜂蜜漬けのレモン輪切りが良いですね。ミネラル、ナトリウム、糖分がバランスよく摂取できる昔からの知恵です。
 画像は18日から20日まで台東区の入谷鬼子母神で始まった夏の風物詩の朝顔市。
「入谷から出る朝顔の車哉(正岡子規)」
 おっと・・・地震だ。宮城県・福島県方面で震度4というニュースが流れた。頭の中で脳が揺れている。震災に会われた栗原市の人たちは気が気でないだろうな・・・。

ちょっと休息・・・

 この2週間、忙しかった。社内外でのイベントがあり、得意先回りがあり、地域のソフトバレー教室が6週あり、インターハイ出場チームの壮行会があり、インターハイをあと一歩のところで逃したチームの監督との会食があり・・・、仕事がバレーボールだからどこまでが仕事でどこまでが趣味なのか境界線のない生活。結局、全てが仕事になっている。「仕事が趣味です」なんて、私には言えない。お客さんに申し訳ない。
 ということで、本日は趣味のビデオ鑑賞。プリズンブレイクのⅢがレンタルビデオ屋さんでリリースされているので早速借りに行こう。来週末は青森県バレーボール協会からの依頼で「日本体育協会公認上級指導員講習会」に行く。帰ってきてその夜から埼玉県インターハイ陸上会場地に行き2日間売店応援、31日は全国ママさんバレーボール大会開会式で川崎に行く。2日から5までインターハイ女子バレー会場の川越総合体育館で、6日から8日まで男子バレー会場の川越で売店応援のおじさん状態になっている。屋外の売店なので私のようなオジサンには多少酷な仕事なのだが、全国から来る監督・役員と再会できるのが楽しみ。夜はビール宴会が毎晩のように続くのだろうな・・・。9日、10日とまた青森県に行き講習会後半の講師を務める。会場が弘前市なので、ここでは冷酒が楽しみ・・・。
 北京オリンピックもこの頃からバレーボールが始まる。男女ともベスト4以上の結果を残すことは難しいであろうが、次のロンドンにつながるような経験を積み重ねて欲しい。特に女子はロンドンで活躍できそうなベテランは現在の中堅(栗原、木村、荒木)が務めることになるが、ロンドンで中堅を務めるべく若い人材が現在のチームに不在だ。最年少の河合が正セッターを務めることは、世界のバレーの中では考えにくい。北京オリンピック以降の女子ナショナルチーム編成を早急に立ち上げないと、ロンドンオリンピックにいくことさえも難しくなる。なにせ、今度は中国も予選に出てくるのだから。それにしても、英国のバレーボール強化の話がとんと聞かれない。英国のバレーボールのレベルは決して高くない。日本の高校チャンピオンのレベルと以前現地でプレーしていた日本女性に聞いたことがある。どうなっているのでしょうかね。
 さて、それではビデオ屋さんに行ってきま~す。

2008年7月18日金曜日

ブロックの定義への回答


 ブロックの定義に関しての質問です。「本文で片手がネット上端より出ていれば、フェイントをもう片方の手で受けてもブロック・・・のように書いてありますが、ルールブックのP22・4ブロックの最初に(ネット上端より上方で阻止する行為)とあります。これとは意味合いが違うのでしょうか?フェイントを下で受けたりは相手ボールを阻止となるのでしょうか?もう1つ本文とは違うのですが、よく吸い込んだボールが体にあたりながら落ちますが、それを下方で本人があげたとしてもドリブルにはならないのでしょうか?ブロックに当たって吸い込んで体にあたりながら落ちても、そこまでが1回のブロックですかね・・・読みにくい文章ですみません 」

 回答します。

 ブロックの定義の要件(必要な条件)は、3つあります。①競技者がネットに接近して②相手方から送られてくるボールを③ネットの上端より上方で阻止する行為、です。質問の内容は、③に該当します。③をもう少し細かく説明すると次のようになります。「③(身体の一部でも、片手、片腕でも)ネットの上端より上方(に出ていて)で阻止する行為をいう。(身体がネット上端より出ていれば、ボールと身体との接触点はどこでも良い。ネット上端より低い位置にある頭でも、お腹でも、そしてめったにないですが、足の甲でもブロックの接触となる。)」となります。
以上が6人制・9人制と同様のソフトバレーボールのルールです。質問者の方が戸惑っているのは、「ネットの上端より上方で阻止する」という文言の箇所だと思います。( )の中の注解でご理解できたでしょうか。現状、ここのところを、ソフトバレーボール愛好者からは、明確に「ボールと身体の接点がネット上端より上方にある場合」とした方が宜しいのでは、というご意見が多いと前回申し上げた次第です。

 また、吸い込んだ場合の基準ですが、「ボールが連続して接触しても(素早く、連続的に)、それが一つの動作中に行われた場合は許されます」。つまり一つの打球としてカウントしないということです。但し、時間差が明確にあればブロック後の1回目の接触としてカウントされます。勿論、これはドリブルにはなりません。
 もう一つの質問がありました。「もう1つ。(ブロックの定義がバレー経験者でないのでゴチャゴチャになってます、すいません)相手側からきたボールをネット側でブロックの形でなく、ダイレクトで打とうとして、かすって真上に上がったことがあります。これはブロックとみなして自分で拾えるのでしょうか?それとも攻撃とみなされて拾ったらドリブルになるのでしょうか? 」
 これは、お分かりですね。定義の要件の③に該当します。つまり、阻止しようとしていますか?という点です。質問の場合は阻止でなく攻撃(アタックヒット)ですね。従って、この質問のケースは、同じ人がボールに接触すれば、ドリブルの反則になります。
 画像は、読者のF.Kさんから送られてきた路傍の紫陽花(あじさい)です。

紫陽花の花言葉は「移り気」とされていますが、別の花言葉が紹介されている本もありました。ここに紹介してみましょう。 「アジサイは、咲き始めからだんだんと花の色を変えることから、移り気な花と呼ばれていますが、これは心変わりからではなく、美しくなるための試行錯誤のような気がします」。なるほど、私は後者の解釈が好きですね。
 送って頂いた、F.Kさんは、このような試行錯誤をされている方なんでしょうね。

2008年7月15日火曜日

ルールの改正・修正に関して

 今後のルールの改正・修正に関して、こちらのブログの読者の方たちからも要望・希望を受けたいと考えています。
 多くの愛好者からの声を聞くことは有益です。よって、ここの私的なブログですが、皆さんのご意見を伺い、一緒に討議していくのも一考かなと思います。
 例えば、ブロックの定義ですね。現状の定義は、6人制の定義に9人制の定義を加味したものとなっています。しかし、ソフトバレー生誕20周年を過ぎ、ルールも愛好者自身そして愛好者を取り巻くし環境につれて変化していくものと考えています。「誰でも」理解できるような「誰でも」審判できるようなソフトバレ愛好者に配慮したルールが求められていると思います。
現状のブロックの定義で「ネットより上に身体が出ていること」とありますが、これは「ネット上端より上に身体の一部が出ていれば、ボールとの接触はネット下方でもOK」ということです。身長の高い人は、ジャンプしなくとも身体がネット上に出ますので、片手を上げてブロックの状態で、もう一方の片手でフェイントボールをレシーブしても、あと3回ボールに触れることができるというわけです。従って、ブロックの定義として、「ネット上方で身体とボールが接触していること」にしたらどうか、という意見が出ています。
 皆さんはいかがお考えでしょうか。

2008年7月14日月曜日

集団的なブロックについてへの回答:その2


そふばバレーボールさんへの回答です。身長の低い人にも有利です、とのご見解ですが、身長の高い人は、足幅やリーチも長く、集団的ブロックを形成するには、やはり身長の高い人のほうが恩恵を受けます。集団的なブロック(ブロック群)は、互いに接近した2人あるいは3人の競技者によって行われ、その中の一人がボールが触れた時に完了します。ソフトバレーの相互審判制において、「接近」という微妙な判定基準を一般愛好者の主審に求めるのは難しいことです。従って、ソフトバレーボールにおいては、ボールが触れた個人がブロックしたことになり、触れていないブロッカーはブロックしたことにはならない、としています。つまり、集団的なブロックという解釈はありません。このあたりの解釈はフリーポジション制を採っている9人制と同じです。以上の理由説明ご理解頂けましたでしょうか。誰でもすぐプレーでき、誰でも判定が容易なルール、しかし深みのあるルールを制定していくことを審判規則委員会は目指しています。
 画像は、愛読者の方から送られてきた季節の風物詩である「ほうずき」です。浅草寺で、夏の風物詩「ほおずき市」が毎年7月9日、10日と、2日間とあります。今年も境内には約250の露店に、鮮やかなオレンジ色の実を付けたほうずきがびっしりと並び、縁起物として買い求める参拝客でにぎわいました。ほうずき市は古来より7月10日の、1年中における最も多い功徳日とされ、四万六千日(127年間)も日参した同じ利益に預かるとされ、毎年多数の人が訪れます。
梅雨明けを前にして、暑さもうなぎのぼりです。熱中症に注意して水分の補給をこまめにとりながらソフトバレーを楽しみましょう。