2010年3月23日火曜日

第41回春高バレー開幕

 20日から開幕された「第41回春の高校選抜バレー」も本日で4日目に入り、ベスト8が決まった。男女とも関東勢と九州勢が多く入っている。男子の低身長化は今年も顕著であったが、バレーが大好きな男の子たちはコートの中を跳ねまわり元気いっぱいであった。ボールを床に落としたら負けのスポーツであるバレーボールはボールコントロールができると本当に楽しいスポーツである。
 今夕は、ベスト8を掛けて戦ったが、下馬評ほど内容が良くなく、相手の東京第一代表のチームに0-2で敗退した女子のチームと一緒に宿舎のホテルに帰った。ミーティングにも参加してくださいと監督に言われ、一言子供たちにアドバイスをさせていただいた。「自立と自律」この意味を十分吟味して次の沖縄インターハイではベスト4に入ってほしい、と言わせていただいた。その後、近くの居酒屋に監督とコーチとともに入り、今大会のことやこれからのことをあれこれ話し合った。
 明日は会社に行き会議の後、会場に行く。男子の東洋は神奈川県代表の弥栄とベスト4を掛けて対戦する。練習試合では普段から何度も対戦しているのでお互いの手の内は知り尽くしている。順当であれば東洋に若干分がいいが、本番ではどうなるか分からないところが勝負の機微。

2010年3月18日木曜日

春高バレー出場を逃したチームが集まっての合宿

 13日、14日と週末の土日、群馬県の高等学校に山梨県、茨城県の女子バレーチームが集まった。3チームとも2月の春高バレー県大会予選においてベスト4で敗れたチームである。同じこの時期に代表校は、6日後に開催される春高バレー本大会でのゲームに期待を抱き猛練習を行っている。3チームとも今夏の沖縄インターハイと来年の春高バレーでの捲土重来を期して集まってきている。この合宿に私も1泊2日で参加した。
 あるチームは、4月の入学予定者をスタメンに何名入れるかどうかで悩んでいた。結論は2人ということに落ち着いた。体の切れが戻っていないことを差し引いても、高校のバレーと中学のバレーとはまるでレベルが違うということが入学予定者には練習試合で分かったことと思う。新入生は、バレーが上手でも、学校生活に慣れるのに4,5ヶ月はかかる。スタメンでコートに入り、1年生の仕事もこなし、学校生活にも慣れるということは重圧が多すぎる。
 4月末には新人を入れた最初の県大会が開催される。最上級生の新3年生達が新入生達を上手く導いていくか楽しみである。私の持論は、3年生と1年生とで「親子システム・ペア」を作り、チーム全体を運営していくやり方である。このシステムは、亡くなった渡辺泰行先生(中村高校元監督)から教わったものだ。1年生に問題が発生したら、親である3年生が手助けして解決してあげる、というシステムだ。女子の組織にはこのシステムが有効のように考えている。但し、ペアを組むペアリングには工夫がいる。レギュラー同士組ませない。同じ性格同士には組ませない。というところが、ポイントになろうか。
 さて、明後日から春高バレー本番だ。私は、先ほど代々木の会場から帰ってきたばかりであるが、代々木会場での最後の王者になるのはどのチームであろうか。

2010年3月11日木曜日

TVドラマ『不毛地帯』最終回

 今夜が最終回であった。1回だけビデオ予約が無効で見れなかったが、山崎豊子原作を忠実に再現しているように思われた。最終回で、近畿商事の恩人である大門社長に退陣を迫り、同時に社長の座を射止めている主人公の壱岐も自分から退陣するところが清冽である。
 人の引け際のタイミングが示唆されている。落ち目になっているときでなく、上昇期にこそ後進に道を譲る気概が大事と壱岐は語る。若手に試練を与え育ててきたからこそ言える言葉だ。私自身は後進を育てているつもりだが、果たして育て方は上手く行っているかどうかは自信がない。

2010年3月7日日曜日

3月6日、7日は、日本バレー協会指導普及委員長会議

 私も千葉県バレーボール協会にて指導普及委員長を務めて4年が過ぎる。毎年3月第1週の土日には標記の全国委員長会議が開催される。ここでのレポートは、3月末に開催される千葉県バレーボール協会理事会に提出する。(財)日本体育協会公認指導員・上級指導員養成講習会開催においての注意事項や更新にかかわる義務研修受講、地域スポーツクラブ推進、ソフトバレー小学校体育教材必修化に伴う教員研修会開催、各種研修会開催、強化委員会との連携等を確認できた。
 全国の委員長とお互いの県の状況、違いなどを交換できる貴重な場である。今月末には全国審判委員長会議に日本ソフト連盟審判規則委員長として出席する。しかし、1日ボーっとして休みたいな・・・。

小笠原父島にてソフトバレー交流大会開催


 2月23日から3月1日まで小笠原諸島父島(人口:約2,000人)に行ってきた。これが3度目である。伊豆諸島と小笠原諸島をまとめて東京諸島という。小笠原は緯度が沖縄と同じ位置にあるが東京都だ。その小笠原父島に25時間の船旅で行ってきた。
 何をやってきたか詳細に報告すると長くなってしまうので、今回は手短に。交流大会は村長、副村長、教育長も総出で楽しく可笑しく開催された。ハプニングが起きたのは、皆さんもご存じのチリ地震による津波警報で、帰りの出航が10時間近く遅れたこと。父島にも津波は襲ってしたが、観測されたのは1回目が30cm、2回目が50cmで、大事には至らなかった。3月1日の午後に竹芝桟橋に着く予定であったが、2日の早朝となってしまい、私はその日会議がある予定だったので、家内に会社の近くのお茶の水の駅までスーツを持ってきてもらった。カミさん、ご迷惑おかけしました。
 その夜は千葉市の我がママさんチームの練習試合に行った。バレーだと疲れは感じないが、会社の仕事だと疲労を感じるのは、なぜ?翌日からサラリーマンの多忙な生活が始まった。父島の5倍の速さで時間が過ぎていく。
(画像は、津波の影響で深夜の出航となった父島の二見港での見送りの方たち。見送りの島の人たちは「行ってらっしゃい」と送り出す。我々も「行ってきま~す」と返す。次に訪れるのは2年後の6月かな。今度は父島からさらに船で2時間南にある母島(人口:約400名)で開催したい)