2008年10月29日水曜日

我がママさんチームの成長

 昨日は、千葉市のママさんチームに行った。先週日曜日開催の下志津自衛隊主催の準公式試合とも言うべき大会で、一年振りに2ゲームともストレートで勝利した。あいにく当日、他に2つも用事があり千葉県四街道市までは遠すぎて、用事の後に駆けつけることはできなかった。私が側にいない方がよかったのかも知れないが・・・。いずれにしろ、この1年間のゲームの内容は、自分たちより実力の劣るチームには、やっとこさ2-1で勝ち、自分たちより実力上位のチームにはあっという間の0-2で敗退という情けない・・・もとい、指導甲斐のあるチームであった。
 最近になっても、練習試合では平均年齢55歳の全国いそじ大会(11月6日から埼玉県川越市にて開催)に千葉県代表で出場するチームに赤子の手を捻られるようにベテランたちの華麗なスキルに圧倒されて2セット完敗という有様であった。
 それが、どうであろうか、突然実力が顕在化したというか、花が咲き始めたようだ。昨夜の練習は、公式ゲームに勝利した余韻と自信がうかがえ、今までの練習の2倍ほど密度の濃い練習ができた。ここからはこの調子で練習が進展していくであろうことを実感した次第である。やはりチームの中核の40歳代が頑張ってくると違う。
 さて、明後日から11月2日までは全国ソフトバレーボール・シルバー・フェスティバルの運営のために宮城県栗原市に出かける。あの震災からまだ1年経っていない。栗原市の復興のためにソフトバレーを通じて我々全国からの愛好者が地元にできることを十二分に果たしてきたい。

2008年10月23日木曜日

本日から二十四節季の霜降


 本日から霜降です。霜降(そうこう)は、二十四節気の一つ。10月23日のこの日から立冬までの期間をいいます。 楓や蔦が北から紅葉し始める頃ですね。明日から立冬までの間に吹く寒い北風を木枯らしと呼びます。

 しもふり、と読まないでくださいね。 霜降り(しもふり)は、布などに霜が降りたような白い斑点のあるものを言います。皆さん方が大好きな牛肉の脂肪が筋肉の間に細かく網の目にのようになった肉を「霜降り肉」と言います。
 今夜は大学院に行きます。尻に火がついて大火事になりそうです。

(画像は金木犀です。愛読者のF.Kさんが御茶ノ水駅近くで撮ったということです)

2008年10月19日日曜日

インターハイ以来の高校女子指導


 ここのところ、ご無沙汰していた神奈川県高校女子バレー部の監督に3日前に電話した。18日(土)に東京に練習試合に行くので来ませんか、とのお誘いが話の最後にあった。サーブだけ指導しているサーブ・コーチの私としても新人戦を間近にして気になっていたので、迷わず行きますと返事をした。東京のチームはJR山手線の駅から歩いて5分の閑静な高級住宅街の中にある。体育館に入ると、丁度2セット目が始まるところであった。

  お互いのチームにはエースが不在。実は昨日までアジアユース選手権大会がフィリピンのマニラ市で開催され、神奈川のチームからは将来の全日本候補であるミドルプレーヤー、東京のチームからはサイドアタッカーが一人ずつ選出されているので、所属チームには不在となっている。先ほどインターネットで調べたら、優勝は日本で3-0。2大会連続優勝であった。これでまた両高校のチームは,世界大会のためにエースを全日本ユースチームの合宿・試合に取られ、エース不在のまま通常練習をやることになる。願わくば、両エースとも国際経験を積んでより一層たくましくなって帰って来ていただきたいものだ。
 サーブ・コーチのほうであるが、昨日は2人ほど重心移動を使ってのスピードアップの仕方を指導した。昨年から指導しているピンチサーバーの子はジャンプ・フローターに切り替えてからサーブ効果率が随分と高まった。ジャンプ・スパイクをやる選手が現状1人なのでもう一人やらせたいのであるが、パワーがないとマスターできないサーブなので、もう少し体力作りをしてからと考えている。
 そんなこんなで、監督さんたちとも近況情報交換もできたし、一日8セットをこなし帰路に就いた。
(画像はアジアユース選手権大会でのブロック側の中国と開催国でベスト4に入ったフィリピン)

2008年10月16日木曜日

10月に入ったのでちょっとお色直し

 早いものですね。暑い暑い、と汗だくで埼玉インターハイの会場の熊谷市、川越市や所沢市で弊社の販売応援活動をやっていたのが、いつの間にか長袖に上着が必要な季節に移っていました。この分では11月も12月もあっという間に過ぎ去り正月を迎えることになりそうです。時間は万人に平等に与えられている、とは誰かがいっていた言葉ですが、結果に優劣がつくのはやはり才能なのか、と凡人は考えます。しかし、火曜日NHK夜の「プロフェッショナル・・・・」という番組で司会者の脳科学者がいっていた言葉が私のような凡人を勇気づけてくれます。「肯定的なことを考えると、脳は活性化することが最近分かってきた」。なるほど、否定的なことを考えれば、脳も活動したくないのでしょうね。肯定的なことを考える。
 例えば、職場に嫌な同僚がいても、その人の長所を探すようにすると、その長所を学ぶ態度が生まれてきて、今までその人を避けるようにしてきた態度が変わり、その人に積極的に話しかけるようになってくる。普段の挨拶も元気になってくる。また別の例では、失敗してもそれは成功する為には必要条件として肯定的に捉えることで仕事でもスポーツの場面でも前に進むことができる。物事を否定的に捉えると脳は活性化しない、考えない。物事を肯定的に捉えることで脳は活性化し、考える、ということが脳の中で起きているんですね。

2008年10月13日月曜日

東京都・葛飾区主催オリンピックムーブメント共同事業


 葛飾区から依頼された標記の事業に弊社が協力し、事業の一環でバレーボール教室を本日開催した。当初は、講師(オリンピアン:オリンピック出場選手)を4名依頼されていた。丸山由美さんを主任にお願いし、その丸山さんに他3名を推薦していただいた。まず妹分の吉原知子が、次いで吉原の妹分の坂本清美が、そしてロスオリンピック銅メダリストの小高笑子があっという間に集まった。この4名の著名な名前を聞いて驚いた葛飾区区長からさらにあと2名依頼された。それではと男性の今は芸能人の川合俊一と北京出場の斎藤信治(ノビコフ)に講師依頼した。今日の教室は3部構成にした。クリニック、エギジビションゲーム、ミニトークショーの3部である。
 今回、私にとって初めて一緒に教室活動をやっていただいたのは川合俊一、吉原知子、坂本清美、斎藤信治の4名である。斎藤信治さんは今回が教室デビュー。ニックネームがノビコフ。身長は205cm、体重100kgの35歳。謙虚で素直でまじめ。日体大入学のときから本格的にバレーボールを始めたのであるが、あの生真面目さであればこそ大学3年目にしてレギュラーに定着した理由もうなずけた。
ジャンプスパイクサーブも4号球を使用しながらも見本をきちっとできる。受講者の受けもよい。さっそく、来月世田谷区で開催されるママさんバレークリニックでの講師を依頼し承諾を得た。
 川合さんと教室を一緒にやったのは初めてであるが、彼が明大中野高校の生徒であった頃からよく知っている。色白で細身で当時から女性には人気があった。そういえば、彼の結婚披露宴にも招待された。昨年から日本ビーチバレー連盟の会長にも就任し人間がまた一回り大きくなったなあと感じた。
 吉原さんは普段無口というか口数の少ない女性だが、余計なことは言わないというほうが当たっている。来年からは私の後輩になる。つまり、同じ大学院に入学してくる。彼女であれば、コーチ学をしっかり学習できるであろう。実は、大学院というところは、大学を卒業していなくとも大学院に入学できるのであるが、彼女はそんな大変稀な例である。オリンピック3回、世界選手権3回、ワールドカップ2回出場の実績が大きくものをいったのであろう。丸山由美さんのご主人も同じ大学院の出身なので、いろいろ面白い人間関係ができそうだ。JR小岩駅のホームで皆さんとお別れしたのであるが、吉原さんの笑顔が特に素晴らしかったのが印象に残っている。
(画像はトークショー。初めは私が司会で進行の予定であったが、川合さんが「俺がやりますよ」と申し出てきたので、お任せした。さすがに手慣れていたが、彼自身の話術が巧みで彼のトークショーになりそうなので多少ひやひやした次第である。)  

2008年10月12日日曜日

来年度のルール編集会議


 本日は千駄ヶ谷にある日本バレーボール協会事務局の会議室にて日本バレーボール協会審判規則委員会規則部の編集会議であった。ビーチ、ソフト、6人制、9人制の来年度のルールブックの原稿を作成する作業である。きょうは第2回の編集会議で、本日の作業は4年ぶりに改正されるFIVB(国際バレーボール連盟)のルール原文の翻訳作業。本日は先日スイスローザンヌにあるFIVB本部でのルール委員会に出席してきた西川JVA審判規則委員長も加わり、英文を適切な日本文に訳す作業に加わった。オーバーネット、パッシング・ザ・センターラインなどの6人制の改正を含む40近くの新しい条文をわかりやすい日本文に変換するのに6時間かかった。

 来月の第3回の編集会議にて引き続き討議していく。この国際式の6人制ルールを高校以下の6人制の連盟がどこまで導入していくかは各連盟に委ねられる。ソフトバレーボール連盟にも一部導入する考えを持っているが、「ルールはシンプルに、されど奥深く」をソフトバレーボールのルール策定のコンセプトに、12月までに検討を重ね、決めていきたい。

修士論文中間発表会

 昨日は、修士論文の中間発表会であった。大学院は学業を終えると、4年生大学のように「卒業」とはいわない。それは、修了(修め終えること)といわれる。私の場合、授業で必要な単位は全て取り終えている。来年3月終了するのにあと必要な単位は修士論文の3単位だけである。そして、この3単位を取得するには、昨日の中間発表会がタスク(義務)なのである。論文の抄録を事前に提出し、発表当日の発表用に別にパワーポイントでまとめておく。当日は一人10分間発表し10分間同級生や指導教官はじめ教授達から質問を受け答える。教授たちからは容赦のない鋭い質問が針のように刺さってくる。「その研究をやる意義は何?」「根拠は何?」「独自性は何?」「その言葉の定義は何?」「タイトルと内容に整合性はあるのか?」・・・普段の勉強不足をどんどんついてくる。まるで針のむしろ。11時からスタートし全員が終了したのは午後5時。あと2ヶ月で論文に仕上げないといけない。あせれども、筆が進まぬ月夜かな・・・なんて嘆いていてもはじまらぬ。やるっきゃない。

2008年10月9日木曜日

2008年度ノーベル賞に日本人が4名受賞




 7日のTV速報でノーベル物理学賞に日本人が3名受賞の報に接した時は、「快挙。日本人もやるねえ」と、同じ日本人である私も誇りに思った次第である。それがどうでしょう、本日9日の新聞一面を見たらノーベル化学賞でまたまた日本人の下村脩氏が受賞ということではないか。
 受賞者で最年長の南部陽一郎氏(87歳)が本日付の日本経済新聞紙上で次のように含蓄のある言葉を語っている。「研究のコツは、どうすれば問題が解決できるか、四六時中常に考えること。それしかありません」。つまり、『常時思考』ということ。
 4人の内3人に共通しているのが、名古屋大学で学んでいたということ。卒業生達は、自由闊達(かったつ)に意見を戦わせる場がそこにはあった、と語っている。また、名古屋大学には素晴らしき師がいた。このことに関連して、やはり本日の日本経済新聞紙上の対談にて江崎玲於奈氏(1973年ノーベル物理学賞受賞)が次のように語っている。「リーダーが自分を乗り越えるような弟子を作るということが大事。ところが日本のリーダーは、自分を乗り越える人を拒む傾向にある。そういう意味では南部(陽一郎)さんは素晴らしいリーダーだ。南部さんを乗り越える人はなかなかいないだろうが」
 現在。私はバレーボール全般で指導者の養成と育成に関わらせて頂いている。結果、私以上の指導者はもう既に随分と輩出されてきた、と感じいっている。今後も各地での講習会・研修会にて一期一会の精神で受講者の方々に接していきたい。科学用語を使わせていただくと『触媒』の役目を果たせれば幸甚と思っている次第である。
 先日、閉幕した大分県で開催された国民体育大会の成年男子の部でVプレミアリーグ所属の大分三好チームがJTを退け初優勝を飾った。つい、1ヶ月前に監督に就任したのが私の仲間の黒葛原(つづらばら)さん。彼は日体大を卒業後、日立でコーチ、宮崎県で高校教員、そして教員を辞めて海外へプロのコーチとして旅立っていった。アジアのタイのクラブチームや隣国のナショナルチームで苦労を重ね、その後ニュージーランドに2年間、そして帰国したとたん縁があって日本の最高峰のリーグ戦で闘うことになった。月に一度はメールが来た。「黒葛原さんのような人が日本のトップの指揮官に必要です。今の苦労は必ず報われます。頑張って」私はそのようなことしか書けなかった。それが、今回の快挙だ。彼は昨日メールをくれた。「崩れたところからどう反撃するか、それがテーマです」今年度のVリーグが楽しみだ。
(画像は国体での大分三好チームとノーベル賞3氏)

2008年10月8日水曜日

義母の紹介


 きょうは、義母を紹介します。3ヶ月毎に1回は、実家の千葉県旭市(船橋市から車で90分)から船橋の小さな我がマンションに逗留します。一度逗留すると3週間は船橋の家にいます。その間、実家の方では義父が一人で過ごします。義母が我が家にいることで一番喜んでいるのは、私の家内です。家内の実の母親ですから、それはそれは甘え放題で、おばあちゃんに家事洗濯炊事全てお任せです。おばあちゃんは、ますますスリムに、家内は、ますます・・・・になります(恐ろしくて・・・の詳細は書けない)。子供達も喜んでいます。なんといっても、おばあちゃんの料理は天下一品ですから。それと、小遣いも頂けるしね。

 その義母の年齢を聞いて驚きます。大正2年(1913年)生まれなのです。現在95歳で病気一つしたことがなく矍鑠(かくしゃく)としています。実家ではご近所の針仕事を引き受け、多少の収入も得ています。使えなくなった洋服からのリフォームなんかお手の物です。最近背が少し曲がってきたのが年寄りらしい兆候ですが、食事は我々と同じものを同じ量食べちゃいます。
更におばあちゃんの凄いところは、怒ったところを見たことがない、人の悪口を聞いたことがない等々、
この人は生まれたときからおばあちゃんではなかったのかと思うくらい日なたの感じのする温かい人です。私にとって義母というより、私のおばあちゃんですね。

 これからも、ますます元気で孫達が結婚してひ孫の顔を見るまで長生きしてくれれば良いなと、昨日ソフトバレーの練習に行く前に、おばあちゃんが作ってくれた蕎麦を頂きながら思いました。
(画像は我が家で裁縫をする義母)

2008年10月7日火曜日

俳優の緒形拳さん逝く


俳優の緒形拳さんが肝がんで亡くなった。終末医療に取り組む老医師を演じ、9日からフジテレビ系で放送される連続ドラマ「風のガーデン」が遺作となった。東京都内で開かれた「風のガーデン」の記者会見に緒形さんは出席。作品について問われると「いや応なく人って老いていくわけで、それで病になるわけで、そしていや応なく死が訪れるわけで…」と答える場面もあった。
 緒形さんの出演作はどれも強烈なインパクトがあった。作りものなのだが、事実以上に事実を演じることのできた存在感のある俳優であった。71歳は俳優としてもまだ若い。70歳代にどのような表現を見せてくれるのか楽しみであったが、それももう叶わない。
 緒形さんは書家でもあった、とは今日のニュースで初めて聞いた。TVの画面で観る書体は個性的で書くことを楽しんでいるように見えた。さすが俳優らしく言葉を大事にしているのが伺えた。
 緒形さんのニュースの後に、北京で金メダルを取った大学生が記者会見で質問に答えていたが、彼の言葉は宙をさまよっているばかりで根っこが感じられなかった。自分の信じる道を行くのであれば覚悟をもって一言一言を大事にして決意を語ればよいことではないかと感じた。まだ若いのだからやり直しはできる。無難な道を進むことなんて若い彼には似合わない。
 話が脇道に行ってしまった。緒形さん、9日のドラマでお会いしとうございます。安らかにお眠りください。

バレーボール型地域スポーツクラブを立ち上げる


 昨夜は、バレーボール型地域スポーツクラブの第1回設立準備委員会に出席した。クラブ名は母体になっているママさんバレーチームの「友愛クラブ」。そこから頂いた「ゆうあい」という読み方を英語に置き換えて「You and i」とした。あなたと私は愛で結ばれている、という意味。iが小文字なのが効いている。私はあなたのためにある、という意味にも取れる。活動の拠点は、習志野市に近い千葉県船橋市田喜野井町にある田喜野井小学校。
 昨年の6月、船橋市家庭婦人バレーボール部の部長である日下さんから最初にお話があった。「町内の小学校ではミニバスは盛んなのだが、バレーチームがまったくないのです。バレーをやりたい女の子が結構いるんで、小学生チームを作りたいのですが、渡邉さん協力してくれませんか」
 女性に頼まれるとNoと言えない性格の私は「よっしゃあ」と引き受けたものの、本当にやる気なのか半信半疑だったのでしばらくこちらからは連絡もせずその後の成り行きを待った。そして、今年の2月に入り、日下さんから連絡が入った。昨年の夏から1チームを結成して始めました、とのことであった。
これは本気だと、私も動いた。丁度、日本バレーボール協会指導普及委員会で「地域スポーツクラブ育成事業」を推進しており、補助金も出る募集があったので、千葉県バレーボール協会の了承も得て早速応募し審査で認可された。3月に日本協会の説明会があり、千葉県バレー協会にも活動スタートを報告した。そして、現在の女子1チームに留まらず、男子小学生のチーム、また中学に部活のない子供たちのための練習会、ママさんバレー、ソフトバレーのチームも一緒にまとまってクラブとして活動していこうという方向性を持つに至った。
 それでは、きちっとクラブ組織を立ち上げましょう、ということになり、昨夜の第1回設立実行委員会開催となったわけだ。委員は私を含めて8名。全員女性だが、ママさんバレーとソフトバレーのチームの代表者が集まった。食事しながらの委員会であったが、議論が弾みとんとん拍子に議題は片づけられていった。3月には元全日本選手を招聘し田喜野井地域住民(12,000人)に幅広く公報し親子のバレー教室を開催し会員募集をやることがまず決まった。プロが作ったカラーのかわいらしい募集パンフの見本もできていた。船橋市の体育協会、バレーボール協会、千葉県バレーボール協会との連携もやっていく。活動拠点を町内にある他2つの小学校にもお願いすること、町内に一つある中学校バレー部の方にも働きかけていくことも決まった。高校は市内にある全国区の市立船橋高校バレー部とも連携していく。共通のTシャツを作ろう、ユニフォームも必要・・・日本協会から補助金が打ち切られる3年後の財源はどうする?広報紙は?指導者の資質を高めるには?色々今後の課題も出てきたが、とりあえず第1回の準備委員会は出席者が期待感を抱いて終了した。
 子供たちが元気な地域は、安心安全な地域でもあるはずだ。お隣は何する人ぞ、では安心安全は得られない。子供たちが作るスポーツによる絆が地域の活性化につながると信じている。渡邉さん、また忙しくなるんじゃないの?とご心配される方もいらっしゃると思うが、私が協力する場合は、その組織のリーダーがしっかりしている方である場合だけに限っている。つまり、私がそのリーダーの背中をちょっと押させて頂くだけで前に進んでいくそんなリーダーがいる組織に限ってしか私は協力できないということだ。日下さんという女性は、その意味で才能あふれる素晴らしいリーダーだ。来週は全国ママさんことぶき(60歳以上)大会に出場するとのこと。日本という国の地域には日下さんのような人がまだまだいる。このような人がいる限り、世界の経済が多少ぐらついても、今の政治家のレベルが下がっていても、日本は良くなると確信している。まずは地域から元気になることだ。
(画像は委員の皆から講師の要望が高かった大山加奈さん。腰痛のため、選手続行できるのか危ぶまれているが、彼女が治療に通っている病院が船橋市内の病院という縁もあり、そして現役に復帰し子供たちのためにも元気なあの笑顔を振りまいてほしいという願いも込めての要望であった。早速千葉県協会として所属の東レバレーボール部に派遣依頼を提出したい。)

2008年10月6日月曜日

第4回北志賀高原ママさんバレークリニック



先週末の4日(土)5日(日)は長野県北志賀高原にあるホテルタガワ主催の「第4回ママさんバレーボールクリニック」に行って来た。参加チームは神奈川、埼玉、千葉、東京から5チームと地元の1チーム。全国大会に出場歴のあるレベルの高いチームばかりが集った。講師はソフトバレーではおなじみの「プライア(ポルトガル語で海の意味)」。プライアは、ソフトバレーだけでなくママさんバレー、小学生から一般社会人までコーチする元全日本選手たちの職人集団。今回は講師に新たにアトランタオリンピックに出場した永富(扇城高校:現在の東九州龍谷)さんを加えての開催となった。永富さんは、東京駅から私と一緒に新幹線で長野駅に移動。お互いに初対面だったので、車中で高校三冠獲得時代の話から最近のコーチキャラバン、次の全日本女子の話題など取り上げ、まずは互いを識るお話をした。
 長野駅では、主催者のホテルタガワの迎えのマイクロバスが来ていた。しかし、そのバスに新幹線で到着した千葉県、埼玉県から来た2チームが乗り込むと満杯状態になった。なんと、ママさんたちの荷物の多いこと。よく観察すると、夜の懇親会用か自分用か判らないがお菓子やつまみの類をどっさりと買いこんで来ている。
 この、クリニックが他の教室と大きく違う点は、コート4面を使い、ポジション別のクリニックを行い、受講者の質問に応える形で進行することだ。更には、元オリンピック選手たちとゲームを1セットのみだが行う。私も最近はママさんの体力に近く、程よいプレーをやるとの事でプライアチームに入り、ミドルのプレーヤーでクイック攻撃とブロックに専念させて頂いた。セッターはオリンピック四度出場の高橋有紀子さんなのでどこからでもクイックを打てるようなトスを上げてくる。従って否応なしに毎回毎回私はクイックに空ジャンプで跳び、ブロックに跳び、2日間で6セットのゲームはさすがに堪えた。そして、埼玉県のチームに初めてセットを取られた。この埼玉県のチームはモントリオールオリンピック金メダリストで主将を務めた旧姓飯田高子さんに指導を受けているチーム。ミスのない確実性の高いバレーを展開する。特にサーブにスピードと変化があり、大変素晴らしかった。なお、このチーム、翌日の練習試合ではまったく良いところがなかった。どうも、夜のアルコール消毒が効きすぎたのか、プレーに今一つ切れがなかった。
 昼は元オリンピック選手、元全日本女子監督に指導を受け、大浴場に何時間でも何回でも入り、夜は地元の山菜料理で舌鼓を打ち、そして懇親会ではレディとは思えない、このブログで詳細は報告は遠慮させていただきたいほどの盛り上がりを楽しみ、2日間のクリニック(合宿?)を終えた。
(画像はホテルからお土産で頂いた地元名産の大粒の栗。クリニックだから栗?)

2008年10月2日木曜日

ママさんバレー奮闘記

 本日は、千葉県家庭婦人バレーボール連盟主催の秋季大会第1ブロック大会(千葉市:70チーム)があった。私が指導しているチームも出場した。そして1回戦で敗退した。相手が決して強かったわけではない。勝ち方を知らないチームは勝てないということである。勿論、勝ち方を教えていない指導者の私の責任である。試合が1-2で終わって、選手たちが観客席にいる私のところに来た。私は、観客のいない通路で皆に話した。「来年全国大会に行くなんて目標は捨てて、市の大会でベスト8を目指す目標に訂正したほうが良いのではないか」と提案した。皮肉でも何でもなく、私はそのように言った。ママさんバレーは、地域のお母さんたちが縁があって集まりバレーを楽しむものだ。中・高校生の一部の部活のように有望な選手を集めたり、選手たちのほうから集まってきて上位を目指す集団ではない。

 負けたならしょうがない、また明日から練習をやって次の大会を目指せばよい。ミーティン後、飛び出るように私は会場を出た。駐車場で自分の車を探しているときに、チームのお母さんたちが一人二人とそして全員がユニフォーム姿で走り寄ってきた。なかには、よちよち歩きの子供を抱いているママさんもいる。監督でもあるリーダーが口を開いた。「みんな、わたなべさんに一人ひとり自分の気持ちを言いなさい」。皆の表情を見ると、真剣だ。何やら、私がチームに愛想を尽かして、もう練習に来てくれないのかもしれないという空気が生まれ、そして伝わったみたいだ。確かに、今まで指導してきた、いや指導させていただいたチームは全て過去のそのチームの成績を上回る結果を出してきた。そんな私が、1回戦で負けるようなチームを今後も指導するのであろうか、皆は不安に思ったんでしょうね。なかには涙を浮かべているお母さんもいた。

 さて、私は明日の定期練習に行くであろうか。明日からの練習内容は先ほどまで2時間かけて考えたのだが、練習に行くかどうか自分でも揺らいでいる。明日行かなければ、恐らくその後もいかないであろう。今後、私が関わり合わないほうがごく普通のお母さんたちのあの人たちにとっては幸せかもしれない。私がいるから全国大会に出たいと、叶わぬ夢を抱かせているかもしれない。しかし、それは私の不遜な考えか。

 明後日から2日間、長野県に行き隣県から集まってくるママさんバレーの練習会を行う。参加チームは過去に全国に出場したチームがほとんど。もっと上手になりたいというゲームで勝つことで楽しみ方を知っているママさん達が集まってくる。そんなママさんたちには指導はやりやすい。効果もすぐ出てくる。しかし、1回戦で負けるようなチームを2回戦でも勝つようになるチームに変身させるのも面白そうだ。ヘアーの美容で女性に自信を持たせる男性理容師のようで楽しそうだ。
 さて、明日の夜どうしよう・・・。