2010年2月22日月曜日

福島県いわき市バレーボール協会主催指導者講習会

 2月20日(土)に標記の講習会講師活動を行ってきた。いわき市は、上野から特急で2時間のところにある人口30数万人の旧平市を中心に合併した中核都市である。人口は東北の仙台市に次いで第2位である。
 ここの講習会講師をお引き受けするきっかけは、1月に日立二高でいわき市バレー協会理事長でもある菊池先生率いる磐城第一高校と私がアドバイザーをしているチームとが練習試合をやったことが縁である。練習試合の後、三チーム対象にサーブのミニ講習会を行ったが、そのことが随分と印象に残ったらしい。
 前日の夜から現地に入り、楽しい食事会を催していただき、2次会では菊池先生の恩師でもある協会長さんと地元のお話を聞くことができた。
 当日の講習会では、短い時間であったが、男子二チーム、女子一チームのモデルチームに協力いただき、高校と中学校の指導者約40名に講義と実技の講習をやらせていただいた。今回は「ブロック」が中心の指導であった。もう少し時間があれば、「ソフトブロック」という低身長者に向いているブロック技術をじっくりと説明したかった。磐城第一高校はこの「ソフトブロック」をマスターすることで現在の県大会ベスト4からベスト2にすぐにでも躍進できると考えている。監督とこども達との信頼関係は十二分にある。あとは、全国の強豪チームとの練習試合を積み重ねて自分たちのやるべきことを明確に確認することだ。

2010年2月14日日曜日

第8回関東ソフトバレーボール大会開催

 本日は、私の住んでいる船橋市にて関東大会が開催された。我がソフトバレークラブも実は出場した。千葉県代表で第2代表ということだが、その予選会には私は出場できなかった。口の悪いクラブ員は「渡邉さんがいなかったから、良かったのでは・・・」などとぬかす奴もいる。確かに、30歳代と40歳以上の混合には私は監督だけやっていたほうが戦術を駆使できるので良いのかもしれない。しかし、本日は、私も監督兼任で出場し第3位に入った。何位グループの第3位ですかって?そんな野暮なことは聞かないの。負けないように頑張った結果だから良いんですよ。
 朝の開会式の前に、関東1都7県からお目見えの会長、理事長さんと「やあ、お元気ですか」と笑顔で会話を交わし、参加チームの中にも多くの仲間が病気自慢をしながら集まってきた。実は、60歳を過ぎると病気の履歴の披露合戦になるのだ。何か、健康体でいると申し訳ないように皆、何かの病気と仲良くお付き合いしている。病気と闘わず、仲良くしているのが本当の「健康」のように思えるから不思議だ。
 さあ、これからバンクーバーオリンピックでも見るか。誰かが金メダルを取ると盛り上がるのではないかな、と思っているが、さてどうであろうか、お風呂に入ってからダイジェストを見よう。

2月13日(土)埼玉県さいたま市にてママさんバレー招待試合


 13日は仕事でさいたま市記念総合体育館に行った。ここで第17回いそじ親善大会が開催されており、勤務先が協賛することになった。こちらの大会を開催しているのは旧浦和市で活動している「菜の花クラブ」さん。年に2回から3回、招待試合を運営している。今回の参加チームは市内のチームを中心に、埼玉県内、そして東京都、群馬県から1チームずつの計32チーム、総員420名が参加していた。メインアリーナの4コートを使い夕方5時まで五十路にしては身も軽いママさんたちがバレーのゲームを楽しんだ。レベルも高かった。

 代表者のいくしま(生島?幾島?)さんが活動的な方である。私もこの方とは10年来の面識があるがお名前をよく存じてはいなかった。全国大会にも「浦和さつき会」というチームで出場されている。このような活動的な方が地域交流大会を開催し、ママさんバレーボーラーを楽しませているんだねえ。

 次回は、9月開催という。ぜひその時には、千葉の我がママさんチームも参加させてね、とお願いして6時頃には会場を後にした。

2010年2月13日土曜日

栃木県足利市バレーボール協会創立60周年記念式典


 昨日の2月12日(金)夜は、栃木県足利市バレーボール協会創立60周年記念式典並びに文部科学大臣賞受賞祝賀会に来賓として招待された。60周年ということは、終戦翌年の昭和21年の創立ということになる。織物産業で名高い足利市には昭和25年から29年間、全国実業団女子選手権で3回優勝した日紡足利チームが存在していた。その後会社の事情でチームは解散し、日紡貝塚工場などに選手は分散した。足利から貝塚に移籍した選手の中に、その後「東洋の魔女」と言われた東京オリンピック出場の全日本女子金メダリストの主将であった河西昌枝さんがいた。
 そして、足利市といえば、高校男子バレー界の名門、足利工大付属高等学校がある。平成元年の春高バレー優勝チームである。監督は久次清司先生であった。その久次先生と6年ぶりぐらいで再会できた。先生はお元気そのもので、功労者受賞代表での挨拶も先生の人柄がにじみ出た謙虚な内容であった。現在は小学生バレーを指導しながら普及活動をされているということである。
 副会長の金子靖子さんとも再会できた。金子さんから「ナベさん、後ろ頭薄くなったわね」と言われ、「そりゃ、私もあと2年で定年の年ですよ」と返事をしたら「あら、私よりも20歳若いのね」と言葉が返ってきた。この金子さんという女傑はニックネームが「きんこ」さんと言って、市内で小さなお好み焼き屋「きんこ」を営んでいる。以前、バレーボール教室を終えると、協会役員は会長はじめ皆ここに集合して反省会をやったものであった。豊田博前JVA専務理事も、オリンピック選手の廣紀江、田中直樹、ゼッターランド・ヨーコ始め多くの指導者がここのお店の美味しいお好み焼きを頂きながらバレー談議に花咲いたものである。
 40年間の長い間、会長として協会を牽引されてきた中村義一先生は病床に就いておられ、当日はご出席されていなったことが残念であった。回復されたら、さっそくバレーボール講習会を開催し、私としてできる限りのご支援を続けていきたい。
(画像は表彰者を代表して御礼を述べる久次先生)

2010年2月8日月曜日

春高バレー予選会会場移動で大忙し

 一昨日、昨日と春の高校バレー予選会花盛り。ということで、まず6日の土曜日は茨城県ベスト2までのゲームをひたちなか市まで行き観戦してきた。外は小雪が舞い降りる寒さであった。思わず暖房のある役員室に飛び込んで、しばらくコーヒーなど頂きながら談笑させていただいた。頂いたプログラムを見ていて、常連の水戸大成女子がベスト16にも出ていないのに気がついた。前監督は、2年前から愛知県岡崎学園に移ってしまった。新監督は若い体育大学での先生。チーム管理にご苦労されているようだ。 1月の合宿でお世話になった日立二高の監督とこども達にも再会し激励させていただいた。
 ゲームのほうは女子は土浦日大が圧倒的な強さで決勝戦に進出した。対戦相手は東洋大牛久と決まった。男子は霞ヶ浦と土浦日大の対戦と決まった。結果は、本日、サンケイスポーツを買いに行かないと判らないね。
 昨日は、神奈川県ベスト4からの決定戦で藤沢市に行ってきた。男子は川崎市立橘が弥栄に逆転で勝利。その後の県立大和南と市立橘の女子の決勝戦はもつれるかなと思っていたら、2セット目はダブルスコアで大和南が勝利。9回目の春高切符を手中にした。
 終了後に大和南の飯塚監督に誘われて祝勝会に出席した。近くのパスタ店を借り切っての120名ほどの出席者であった。卒業生も出席してきたが、お化粧していると全く高校生時代の面影がない。何だかんだと、早い時間であったので親父たちを中心に2次会会場に移動。店内のTV放送で先ほどの決定戦を鑑賞した後はカラオケ大会と続き、自宅が遠い私は早々のうちに退出させていただいた。
 大和南が全国優勝できるかどうか、非常に厳しい。実力は全国でベスト8以上の力はあるものの、シード権を持っていない。従って、2回戦から優勝候補筆頭の第1シードの東九州龍谷と当たる公算がある。しかし、どうせ当たるならば、2回戦が良い。大和は一つゲームを消化して、相手は不戦勝での2回戦というゲームは東九州龍谷にも厄介ではある。大和南はそのようなことを予測して一つ一つが優勝決定戦の気持ちで今後の練習を集中心を持ってやり抜いていただきたい。
 明日は日本バレーボール協会に行き、来月20日の日本ソフトバレーボール20周年祝賀会への出席お願いをしていくる。

2010年2月1日月曜日

今日から2月

 すっかりご無沙汰しております。心の余裕があるときは、ブログも快調なんですが、やはり1月は忙しかった。今月も仕事も講習会も目白押しである。
 まず、先週のことを書いておく。先週土曜日は日本ソフトバレーボール連盟の企画会議であった。企画会議とは、常任理事会のようなもの。審判規則委員長の私からの議案は2010年度のルール改修正のこと。特に、新年度は改正点がある。ここではまだ発表できないが、ソフトバレーの愛好者からは、「わかりやすい。良くやった」と評価されると確信している改正である。その後に、3月20日開催の連盟設立20周年事業の進捗状況の報告が各部からなされた。私は式典と祝賀会の担当である。
 日曜日は、山梨県の春高バレー予選会に行った。こちらは、また別の機会に言わせていただこう。
東京は、今夜は雪だ。今は霙だが深夜には積もるのであろうか。