2009年3月30日月曜日

いよいよ3月ともお別れ

 仕事の後、今晩は大学院に来ている。パソコン室があるので、そこから今このブログを書いている。ここのところ年度末で仕事が忙しく、ブログも論文も進んでいなかった。ブログは自分の考えをまとめるのに有効だ。但し、業務の丸秘事項やバレー界の内部事情は当然書けない。公になればその補足程度に書き込み自分の意見を多少述べさせていただく。
 さて、修士論文は、まだ完成しない。結局、考察が弱い、と指導教官にも指摘された。その事実に対してどう考えるのか、そこのところを熱い思いで論述して欲しいと先週も指導されたが、業務第一の思考になってしまって論文思考はどこへやら。明日と明後日は日曜出勤の振り替え休日。論文思考の頭にして完成させたい。一度完成させ、指導教官にメールで送り、再度指導を受ける。
 提出まであと2週間。

2009年3月29日日曜日

千葉県バレーボール協会理事会開催

  26日に6日間開催した春高バレーも閉幕した。全般的に、私としては満足した大会であった。全体のレベルは男女とも決して高くなかったが、今年の一年生には有望選手が多いので、来年度のレベルは高くなることであろう。閉会式に驚いたのは、男子のベストルーキー賞に東洋高校の1年生エースの柳田君が選ばれたことだ。185cmと中型の選手だが、空中バランスがよく、相手ブロックの状態も視野に入れて状況判断をしっかりしているところが評価されたのであろう。1年生ながら高校選抜候補にも選ばれすでに合宿に参加している。東洋高校は、また全体の4チームだけに贈られる「応援団賞」も獲得した。チアリーダーとの息のあった応援が評価されたようだ。私は、すぐさま、この2つの快挙を監督と学校事務長に連絡した。大会実行委員会の粋な計らいに感謝したい。1年生5人が来年も残る東洋は、来年ベスト4以上の成績を上げることが期待される。更に、私は入場行進賞も期待したい。正直言って、東洋のあの弛緩した行進はいただけない。小言の渡邉の仕事がまたできたようだ。
 28日はJVA審判規則委員会の委員長会議であった。報告内容のほとんどは、6人制ルールの改正点であった。午後になって、萩原先生がやってきた。先生は25日の日本協会幹部会にて専務執行役員に就任となった。これまでは、山岸専務理事が日本のバレーを引っ張ってきたが、体調が思わしくなく、萩原先生、成田先生他2名とのトロイカ体制でこの1年を乗り切り、その後1名に専務理事を絞り込むと伺った。
 本日29日は千葉県バレーボール協会理事会があり、指導普及委員長である私は資料を配布するため早めに千葉市天台の会場に行った。今年も指導普及委員会としては、日本体育協会公認指導員養成講習会を8月に開催する旨発表した。今年の講師には、モントリオール金メダリストのエースアタッカーであった白井貴子さんを呼ぶことにした。白井さんとはこの春高バレーで1年振りに再会したのであったが、56歳になっても、また身長が伸びて182cmになったとか、豪快に笑って教えてくれた。受講生で是非とも勉強したいという。だったら、講師としても1回やってよということで今回のようになった。白井さんは一緒にモントリオール金メダリストで主将であった飯田孝子さんも受講生として連れてくるという。こりゃあ受講生に50歳以上の指導者が受講者で多数押しかけるかも知れない・・・。

2009年3月24日火曜日

春高バレー4日目


 昨日は一日の中でいろいろなことがあった。正確には20日の開会式から始まった。私が高校バレーの数チームに関与していることは皆さんご存知の通り。関与と言っても大したことはしていない。ほとんどは監督と食事をしてバレー界の話題を収集しているにすぎない。時には指導も依頼されるが、直接生徒に指導することはめったになく、監督を通じての間接的指導だ。私のバレー理論は2人制のビーチバレー、4人制のソフトバレー、6人制の国際式バレー、9人制の日本伝統のバレーをミックスした形での技術理論であり戦術である。

 春高の会場の代々木体育館では、実に多くのバレー関係者と再会する。一昨日も解説で来ていたビーチバレーの高橋有紀子さん。今度ビーチバレー全日本ユース年代のコーチに就任するという。昨日は彼女とペアを組んでシドニーオリンピック4位に入賞した藤田幸子さんがご主人と挨拶に来た。実は彼女のお父さんが彼女とソックリなのだが(これは当たり前か?)、お父さんが大和南の陣中見舞いに見えて、チーム応援団のところまでお連れしたばかりであった。

 話はとんで、その神奈川県立大和南の今回の目標はベスト8以上だったのが、昨日、長崎県代表の九州文化学園に勝ってしまってベスト8になってしまった。九州文化学園は、バレー界では九文(きゅうぶん)と称され、ここ10年間で日本一の回数が一番多い名門チームである。今回も優勝候補に挙がっていた。そこに2-0で勝ってしまった。昨年もベスト16決めで対戦しているが、昨年の対戦はなんと35分間であっさりと料理されてしまった苦い思い出がある。今回は倍の70分間はコート上に立っていましょうと、大和南の飯塚監督と試合直前に話し合っていた。試合というものは本当に判らない。実力的には、九文が一枚上だと思うが、強いチームが勝つわけではない。勝ったチームが強いのだ。

 勝利後、しばらくして私は応援団席に上がって行き、3年生たちを探した。昨年代表になったチームは、主要メンバーの3年生たちは、実力的には神奈川県でベスト8のレベルのチームであった。前年度インターハイで初めてベスト4に入ったのであるが、そのチームから5人がごっそりと抜けたチームで新チームはとても神奈川県代表には程遠い陣容であった。その劣勢を彼女たちははね返し春高代表になり2回戦まで進出したのであった。私の言いたいのは、昨日の大和南の快挙は前年の先輩たちが全国の道を繋いでくれたからこその快挙であるということだ。3年生たちを探し「今日のこの結果はお前たちが昨年頑張ったからだ、良かったな・・・」と褒め讃えた。

 昨日は大和南の試合の隣のコートで、東洋高校が、これも優勝候補の長崎県代表の佐世保南を激戦の末2-0で勝利を手中にした。ベスト8に入ったのは東洋高校が北畠新監督になって10年ぶり2回目だ。昨年は卒業生の体操の内村航平君が北京オリンピックで金メダルを取り、バレー部の子供たちにも「やればできる」と、勇気づけられた。その効果が出たのかも知れない。

 昨夜は東洋高校の後援会があった。後援会というのは、同窓会、父母の会(PTA)、さいかち会(父母の会のOB・OGの集まり。学校の脇のさいかち坂から命名)の3つの組織の総取り締の会。私もPTAの会長をやった経緯で自動的に後援会理事となっている。後援会での会議も済み懇親会での話題はもっぱらバレーボールで、優勝したらどうする?入学式のときに入場行進させようか?いやいや、玄関内にバレー部のパネルを多数張った方が良いのでは?とかまるで既に優勝したかのように校長や事務長がはしゃいでいる。私は一言「部活は良いですね。全校応援を通じて学校が活性化される」と申し上げた。本当にそうだ。活性化されているのは学校もそうだが、我々オジサン連中も活性化されている。体操と違って、チームスポーツのバレーボールはワイワイ応援できる。エースがスパイクを決めると「あいつは俺と同じクラスの奴なんだ」。そんな自慢げな声が聞こえてくる。勝って泣き、負けて泣き、青春ですね・・・。

 さあ、10時から試合開始です。

(画像は読者の方から。はなかんざしの花です。ハナカンザシ(花簪)と言うのは和名、流通名であり、正式名はアクロクリニウムと言いいます)

2009年3月16日月曜日

日本ソフトバレーボール連盟理事会・代議員会終了

 15日(日)会場の日本青年館にて、午前中は理事会を開催。役員は来年の連盟設立20周年事業を控えているとの理由で、一部のブロック理事を除き、全員が留任と決まった。20周年事業の式典・祝賀会の部長としての私は会場を新宿にあるハイアット・リージェンシーという小田急系列の一流ホテルを提案していたのだが、なんとかそこに決まった。大阪在住の役員が府内に安い会場があると提案してくれたが、20年に1回の式典・祝賀会では表彰も各都道府県から2名ほどあるので、やはり日本の中心の東京で一流ホテルで開催しようということになり決定した。料金も日頃日本バレーボール協会との関係の深い小田急さんの御配慮で随分と割安の料金で見積もりを頂いた。来年の3月20日に開催される。
 午後からの各都道府県連盟の理事長が出席する代議員会も積極的な質問・提案があり盛会のうちに閉幕した。連盟の審判規則委員会委員長として私も3年目を迎える。委員会には他に4名全国から選出された委員の方々がいるが、積極的な協力を得て大きな問題もなく推進できている。来年度に向けてこの1年は、いよいよルールの改正に着手したい。「シンプルなルール、されど奥深いルール」を目指して活動していく。

2009年3月14日土曜日

菜虫化蝶


今日から啓蟄の末候 「菜虫化蝶」。 「なむし ちょうとけす」 と読んで、青虫が羽化してモンシロチョウになる時節という意味。 「菜虫」 は大根やカブラなどのアブラナ科の野菜を食べる昆虫の総称で、特にモンシロチョウの幼虫を指すことが多いそうです。

 今週は、私は珍しくバレーボールの練習無しの週であった。ちょっと疲れがたまってきたのかも知れない。本日と明日は、日本ソフトバレーボール連盟関係の会合が入っている。連盟設立20周年記念事業の打ち合わせを午後から行う。夕方は主に東日本の各県連盟の有志の役員さん10数名と「飲み会」。名前がついていて「サミット会」というのだが、各県の理事長さんがほとんどを占めている。翌日の全国代議員会の前打ち合わせのようなものだが、皆和気あいあい楽しくお喋りをしている。

 そして、明日が日本ソフト連盟の理事会と全国代議員会。さて、もう少しで明日提出の書類作りが終わる。
(画像は読者のKさんから送られてきた路傍のすみれの花です。春も近いですね)

2009年3月11日水曜日

全国指導普及委員長会議に出席


 3月7日、東京都文京区の機山館ホテルにて(財)日本バレーボール協会全国指導普及委員長会議が開催された。私は千葉県バレーボール協会指導普及委員会委員長として出席。ここでの報告事項、計画事項を千葉県バレーボール協会の理事会で報告する義務が私にはある。日本のバレーボール界を牽引していくのは、ここの指導普及委員会と強化委員会の両輪であると私は認識している。

 当日の最後の方で、日本協会が3県に委託している事業で「総合型地域スポーツクラブ育成事業」の発表があった。千葉県協会からは、昨年から千葉県船橋市で始まった「You and i クラブ」の経過報告を代表者が発表した。私は補足説明を少しさせていただいた。「市内の田喜野井小学校の校長先生、ママさんバレーとソフトバレー愛好者の方々がバレーボールをやりたいという小学生の要望に応えて設立に向けての活動が始まりました。私はアドバイザーで関わっています。現在27名(内男子が3名)いますが初試合出場目指して頑張っています」
 行政主導型のクラブ設立ではなく、住民主導型のクラブの設立は難しいものだが、今回JVAの補助金を頂くことができ「小学生チーム、ママさんチーム、ソフトチーム」の3チームが集まりクラブ設立となった。
 翌日の8日(日)には船橋市運動公園体育館にて3面を使い「親子バレー教室」を開催した。地域住民が120名近くも集まってくれた。講師にアテネオリンピック女子チーム主将の吉原知子さんをお招きしたのが功を奏したようである。教室の後半は、親子チームでソフトバレーゲームを16チームで楽しんだ。教室終了後、会議室にて「総会」を開催しクラブの委員会委員の選出に入り、アドバイザーである私は月1回の指導に出向くことになった。小学生チームを指導する私の姿を想像してください。実は、私は小学生の指導に大いに向いているのです。なぜって、子供たちと一緒にバレーボールを楽しめ、子供たちから学ぶことができることが小学生指導の必要条件と私は考えていますが、その意味で私はその条件を満たしているからです。現在チームの指導者はママさんバレーのお母さんたちやソフトバレーの愛好者達です。総会の最後に月1回金曜日の夕方、私がチームを訪問して、指導内容と方法をお母さん達に指導することを約束した。
 今週から、ソフトバレー・ママさんバレー・高校女子バレー・小学生バレーの4種別の指導が始まる。本当にできるのであろうか、自分でも大変だなーと思っているが、そのチームの指導者をその気にさせるのが私の指導のスタイルであるから、まあ何とかなるだろう・・・と、植木等のようにスーダラ節(古くてすみません)で考えている。
(画像はYou and i 小学生チーム。彼女たちが高校で活躍している姿を見るまでは頑張って続けようかな・・・) 

2009年3月4日水曜日

きょうは休日


 昨日は埼玉県家庭婦人連盟主催の「ママさんバレークリニック」を蓮田市にて開催。講師にヨーコ・ゼッターランドと永富有紀さん。私は進行役で加わった。久し振りに会ったヨーコさんはショートカットにヘアースタイルを変えていた。日本バレー協会の理事でもある彼女には、アメリカナショナルチームの一員としてバルセロナとアトランタ・オリンピックの経験を踏まえての意見を期待している。特に、協会のメディア対応に関して「メディア・マネジメント」の分野で活躍してくれることを切に望んでいる。
 クリニック終了後、そのまま着替えもせずコートで身を包み、千葉市の我がママさんチームの練習に向かった。体育館に入ると、中学生らしき子供たちが5人ほどいる。聞いてみると、監督が普段外部コーチで指導している近くの中学校の3年生と卒業した高校1年生たちであった。高校で部活に入っていないのなら、ここのママさんチームの練習に来なさい。そしてクラブチームを作ってバレーをやってもいいんだよ、と言ってあげた。子供たちは「いいんですか?来ちゃおうかな?」とまんざらでもない様子でした。しかし、本当に来ちゃったら、体育館の中はママさん、高校生、ママさん達の子供たちの幼児、児童で25名ほどになってしまう。まあ、その時はその時。これが本当の「バレーボール型総合クラブ」だ。
 今朝の新聞各紙のトップ記事は、民主党党首の小沢さんの公設第一秘書の逮捕であった。この時期に、なぜという違和感がある。我が国の政局は、ますます混迷を深め、国会審議の遅延を招き、経済政策の遅れを招き、結局国民がますます被害を被るだけだ。東京地検特捜部は任務を粛々と実行しているだけであるが、その背景には色々な利権が渦巻いているのであろう。情報は身内から出ている可能性もある。与党が仕組んだとしても、与党からも逮捕者が出る可能性は十分ある。いずれにしろ、今この時期に野党党首の失脚を狙ったこの「事件」は、5年後の日本の将来から見てどのように評価されるのであろうか。総理大臣は地検の活動も抑制できたはずだ。結局、自民党も民主党も迷宮に陥り、政治の崩壊を招く恐れがある。日本の民主主義の危機でもある。
 政治を政争のおもちゃにしてはいけない。国民に対する思いが希薄な政治家は要らない。そんな政治家は日本国民が捨てるしかない。
(画像は読者の方からの「さくら草」。心が洗われます。)

2009年3月1日日曜日

埼玉県ソフトバレー連盟にて講演


 昨日の続きである。ママさんバレーの招待練習試合を私だけ2時に切り上げ、東京駅から新幹線で40分のところにある埼玉県熊谷市に移動した。
 1ヶ月前に、埼玉県ソフト連盟会長の森泉さんから私の携帯に連絡が入った。
「2月28日に熊谷市まで来てくれませんか」
私は、誕生日が27日なので、一日遅れのお祝いの会でも開いてくれるのか、と即答で了解した。
その1週間後、会長から封書が届いた。
内容は、埼玉県連盟役員と愛好者40名に対して「講演」をお願いしたいとの内容であった。
その日から昨日の新幹線車中にいる時まで、あれやこれや講演原稿を練っていた。
最終的に3つのテーマをお話しできた。
「世界的な経済不況と中高年の頑張り」「イベントにかかわるPDCAのマネジメントサイクル」「ルールは誰のものか」
 講演会の後の交流パーティは楽しかった。お土産に頂いた「深谷ねぎ」で今夜の我が家はすき焼きを頂いた。今が旬の「深谷ねぎ」のとろっとした甘さは、よく気がつく森泉会長の優しさで甘さがより増したようだ。一緒に飲む焼酎は、ここのブログを最近読んだ元全日本女子監督の岩本先生から頂いた神津島の「盛若(もりわか)」だ。新島の「嶋自慢」もいいが、神津島の「盛若」もいいぞということでこの金曜日に頂いたものだ。そうそう、その金曜日の夜は我がママさんチームの定期練習日であったが、その日は練習を早く終えて、いつも行くクラブハウス(近くの赤ちょうちんの店で店名がなぜか「なべ田」という渡邉の親せきのような店名)に早く行きましょ、とベテランメンバーがせかせる。店に行くと馴染みの大将が鍋の準備をしている。
「何ですかこの鍋は?」
「アンコウだよ」
「渡邉さん、誕生日おめでとう!」
チームの大御所5名がにこにこして、早く頂きましょうという顔をしている。
聞けば、わざわざアンコウを茨城県の大洗まで買い求めにいってきてくれたらしい。
乾杯!の後、彼女たちは無口でアンコウ鍋をあっという間に平らげ、アンキモも気持ち悪~いと言いながら平らげ、卵を入れたおじやも平らげ、満足そうな幸せ顔がそこらじゅう満開となった。
 バレーボールが取り持つ縁で多くの人から私は幸せを頂いている。50歳代残りの3年間、仕事もバレーボールも精一杯務めよう。それが皆さんへの恩返しと思っている。みなさん、これからも宜しくお願い申し上げます。
(画像は読者の方から送られてきた「誕生日のお花」です。ありがたし。)

サーブについての一考

 昨日28日(土)は午前中に我がママさんバレーチームが市川市の家庭婦人連盟主催の練習会に市外3チームと共に招かれ、市内17チームで2セット回しでゲームを行った。我がチームの正セッターがこの日は不在であったので、昨日は普段練習できないセカンド・セッターの練習をメーンにゲームを8セット行った。
 ママさんバレーのプレーヤーは10年以上も長くプレーできる。であるならば、一人が2つ以上のポジションや役割をこなすことができるということだ。30代のママさんもチームに数名いる。彼女たちが「ご懐妊」になる可能性は高い。家族にとっては喜びであるが、チームにとってはちと痛い。しかし、普段から一人が2つ目のポジションもこなすことができれば、「ご懐妊」による穴はふさぐことができる。一つのポジションは3年もやれば繰り返し練習で身についてくる。また、ポジションの可能性が広がると、戦術も豊富になる。例えば相手のレフトが打つ打数が圧倒的に多ければ、そこにブロックの得意なプレーヤーを3枚集めて、相手のスパイクのパワーを減じることができる。更には、普段前衛をやっているプレーヤーにバックのレシーブをやってもらうことで、前衛のブロッカーがいかにレシーバーの邪魔をしているかということにも気付く。バックのプレーヤーが時には前衛でスパイクを行うことで、いかにトスに込められたレシーバーの心意気を相手チームコートに返すことが責任あることであるかに気づく。
 そんなことをメンバーに話しながら、このような練習試合では思い切って堂々とミスしなさい、と指導した。いわゆる「チャレンジ・ミス」と「消極的なミス」とは質が違う。第一サービスは、バックの2人のプレーヤーの間を通過してエンド・ライン近くボール1個分アウトにしなさい、と私はコーチする。アウトにしないと私は怒る。「何で、アウトにしないんや!」このときだけ、なぜか私は関西弁になる。9人制で第一サーブを安全サーブ(ファーっとしたチャンスサーブのこと)でいれることは、相手チームの攻撃を好き放題やらせることで相手チームを調子づかせることになる。9人制のサーブは2回実行できる。ならば、練習試合は勿論、公式ゲームでも第一サーブはチャレンジ・サーブで良い訳だ。
 本日、千葉県ソフト連盟主催の全国メンズ大会の県予選会があり、我がソフトクラブも含めて6チームが出場した。結果は惜敗であった。大した練習もしなかった割には健闘したが、どこのチームも185cm以上の39歳以下のプレーヤーを有している。我がチームは最高身長で175cm。ブロックの上から打たれる場面が結構あった。私以外の若い連中の悔しそうな顔を見て、少しソフトバレーのレベルを上げてやろうと決心した。ネット型のスポーツのゲームの基本はサーブとサーブレシーブだ。まず、これから3か月間の男達のサーブをジャンプ・スパイクサーブに切り替え基本から指導する。どうしてもスパイクサーブができない人にはジャンプフローターをやってもらう。サーブで崩して単調なバレーにすれば、我がちびっこソフトバレーチームにも勝機が出てくる。また、チームの中でジャンプ・スパイク・サーブが当たり前のように実行されてくれば、サーブ・レシーブもそのスピードに慣れてレシーブ対応力が出てくるという二次効果が期待できる。
 最近入部してきた我がソフトバレーの30代の連中に少しは勝ち続ける喜びを教えてあげようという私の親心が出てきたようだ。考えてみれば30代は私の息子の年齢だ。少し鍛えてみようか、負けた悔しさを知っているこのときがチャンスだ。
 なお、本日の県大会後の理事会を最後に、私は千葉県ソフトバレーボール連盟理事を退任した。少し寂しかったのは、2年前から理事会で 私の退任の旨を伝えていたにもかかわらず、本日退任の挨拶を促されることもなく、理事会がいつものように討議もほとんどなく閉会されたことだ。会長も私と一緒に退任すると言っているが、17年間私を育ててくれた千葉県連盟をこのような形で去るのは寂しい限りだ。今後は千葉県バレーボール協会で指導普及委員会をますます活性化していく任務で3年目を迎えるので、そちらの立場から連盟を見守っていきたいと考えている。