2009年8月31日月曜日

日本バレーボール協会公認講師研修会に出席

 昨日と本日は、毎年1回開催のJVA指導普及委員会主催の公認講師、並びに今年のコーチ、上級コーチ講習会を受講中の方達、更には新規に公認講師になられた方達を対象にした講習会に出席するために港区の明治学院大学に行ってきた。
 品川駅でタクシーを待っていたら、偶然同じ会場に行こうとしている富山県にあるV1チームの黒部アクアの監督である浜田勝彦さんにお会いしてそのままタクシーに同乗させて頂いた。この方は日本鋼管で活躍しメキシコオリンピックの候補でもあった天才選手である。6人制の後は神奈川県の平塚クラブで9人制男子のプレーヤーで活躍し日本一は20回以上であろう。40歳まで現役であったのには驚く。その後、神奈川交通9人制女子では監督として日本一を10回以上成し遂げといる。9人制のスキルを6人制に取り入れて面白いバレーを展開する。
 会場に着くと、中村四郎先生をはじめ名将と言われた日本の指導者たちが80歳を筆頭に大勢いらっしゃた。50歳代後半の私なんかまだまだ足元にも及ばぬ先輩たちに挨拶に回るだけでも結構時間がかかった。先輩たちは、今の全日本の監督たちの指導に関して忌憚のない意見・提案を言う。ありがたいことだ。日本のバレーを心配しているからこその意見である。全ての先輩たちとゆっくりと話しもできないまま、大和南の飯塚先生そして川越高校の伊藤先生と一緒に講習会終了後に遅い昼食を取った。60過ぎのお二人の名指導者から伺うお話は含蓄があり、いつ聞いても成程と感心する。まだまだ学ぶべきことは多い、といつも痛感する。 

(財)日体協公認バレーボール指導員講習会閉講

 4日間の講習会が昨日終了した。50名の受講者は皆熱心に真面目に受講していた。日替わりで見えられる一流の講師の方達が口をそろえてそのように言っていた。企画運営をするこちら側もお世辞でもうれしい。受講者の中にいるモントリオールの金メダリストのお二人には最終日には金と銀のメダルを持参して頂き、閉講式の後は、受講者が競ってお二人との記念写真を撮っていた。
 この後は、全体の精算と県体協と日本バレーボール協会への報告がある。これがまた膨大な数の報告書がある。私と一緒にやって頂いている事務局のHさんがいなければ、とても私一人ではやっていけない。ありがたし。
 

2009年8月25日火曜日

日本体育協会公認指導者養成講習会開催

 我が千葉県にても標記の講習会を2年振りに開催、本日からスタートした。講師で行くだけでも結構疲れるものだが、今回は自分で企画して運営して講師活動もやってというもので、第1日が終了してぐったり。そのあと、我がソフトバレークラブの練習に行き、4セットやって疲労困憊であった。明日も9時から講習だ。受講者にモントリオールオリンピック金メダリストのキャプテンの飯田高子さんと世界の大砲と言われた白井貴子さんがいる。二人とも180cm前後あり受講者の中では目立つ。講義が始まる前に二人を紹介すると平均年齢43歳の受講者の間から「オー」という驚きと尊敬の入り混じった声が発せられた。学ぶことを継続する二人に私も拍手した。実技の合間に白井さんは膝と腰に巻いたサポーターを外しながら肩で息をしていた。「天才白井」と言われた白井が50代半ばを過ぎて頑張っている姿が何ともまぶしかった。
 同じモントリオールのメンバーで矢野広美さんがいる。彼女は現在、山梨県の新進高校チームの航空高校女子バレー部の監督にこの春から就任し、春高バレーもインターハイも県大会で実力上位のチームを破って全国大会に出場している。心配は、矢野さんがあまりに責任感が強すぎるので途中で倒れやしないかということである。金メダリストの人たちと言うのは、我々凡人が考えているよりも集中力が高い。そして責任感が人一番強い。その分、生き方が真面目すぎて不器用だ。
 さて、明日は講習会2日目。明日は2人の金メダリストに多大な影響を与えた指導者について思い出を語っていただくことで「指導者論」を学習するカリキュラムを作っている。このカリキュラムの他にも、第3日には国際バレーボール連盟の現役インストラクターを招聘している。全国の講習会の中でも恐らくこの千葉県の講習会がレベル的にも話題的にも最高位に入るものであると自負できるのではなかろうか。
 千葉県のバレーボールのこれからの発展は今回の受講者に委ねらている。明日も講師であるこちらは真剣勝負だ。

2009年8月23日日曜日

福島県にてソフトバレーリーダー養成講習会開催

 昨日から本日まで福島市にてリーダー養成講習会を開催してきた。受講者は120名。6年前にも講習会開催で福島県には行った。その時は日本ソフトバレー連盟初代審判規則委員長であった志村先生(現山梨県バレー協会名誉会長)とご一緒であった。あの時に先生から「渡邉君、審判関係はもう君に任せるよ」と免許皆伝のようなことを言われた記憶がある。しかし、6年後の今になってもルールに関してすべて頭に入っているとは言い難い。本日も受講者から質問があり、正確な数値を忘れてしまった私は、「皆さん、そのことはルールブックに書いてありますよ。探し当てた方は大きな声で言ってください」などと、とっさにごまかしてしまった。受講者には「大会の前には必ずルールブックに最低1ページは目を通すように」と言っている私ではあるが、そんな私自身が講習会の前にはしっかり目を通しておかなくてはいけない。反省!である。
 夜10時に自宅に着き、TVでワールドグランプリのゲームを食事をとりながら観た。ブラジルは若手を試しながらゲームを進めている余裕がある。全日本女子も大型になってきた。しかし、セッターのブロックの低さは大きなマイナスだ。このままでは世界でベスト8は保ててもメダルは取れない。170cm~180cmのセッターを育成することがメダルを取るために必要条件と考える。ネット際の高い位置でセットできることはレシーバーにとって負担を軽くする。速攻も高い位置から仕掛けることができ、ブロッカーの位置もよく見ることができ、攻撃も早くなる。そして、ブロックが高くなる。ブロックは最初の守備である。
サーブで崩して相手の攻撃を1枚減らし、2枚から3枚のブロックで相手の攻撃を防ぐことは世界のスタンダードである。その上で多彩で変幻な攻撃を駆使するのが日本のバレーボールではないかと私は考えている。現在中学生で170cm台の運動能力のあるアタッカーを高校ではセッターにする。そんなことを考えている。

2009年8月14日金曜日

第29回全日本バレーボール小学生大会


 8月11日から開幕している小学生の全国大会の会場の一つである東京都体育館に行ってきた。夏休みということもあり、家族の応援も多い。インターハイと比べて親御さんの年齢も40歳前後と若い。役員室に行き、総務委員長の山下さんと久し振りにお会いし、連盟30周年事業の打ち合わせをした。会長の山崎先生とも2年ぶりかで再会できた。来年度は冠スポンサーを付けて開催するということや会場を現在の6会場からコート4面使える4つの大きな体育館を使用して開催する旨もお聞きできた。JVAからも役員が視察に見えていた。一貫指導の委員長の古澤先生とはこういうところでしかお会いしない。思えば、30数年前、古澤先生は東大で助手をされていたかたわら「東大ジュニア」という小学生バレーのチームを指導されていた。その後、鹿屋大学にて教授、バレー部の部長と活躍され昨年退任されている。

 11月には、秋田県で今度は小学生指導者ばかり70名ほどの受講者の前で講師を務める。全国大会を見て最近の小学生バレーの動向を調査するのも講師の務めと思っている。コート上の選手はほとんど6年生。サーブはオーバーハンドのフローターサーブがほとんど。中学年以下がサイドハンドのサーブをゲンコツで打っている。2段トスはオーバーハンドでは飛ばないのでアンダーハンドでやっている。
 会場内で、女子の部で3年ぶり14回目の出場を成し遂げた東京都代表の金町ビーバーズ総監督の浦野さんとお会いし言葉を交わした。このチームの出身者は中学でも高校でも全国大会レベルのチームで活躍している。小学生のルールはフリーポジションであるが、浦野さんは他のチームのようにポジションを固定せず、一人の子供がいろいろなポジションを経験できるように練習している。チーム作りにとって効率は良くないが、このあたりの考え方が中学生以降になって本人に良い意味で跳ね返ってくる。フリーポジションということは、一つのポジションだけやっていればよいということになる。しかし、これでは小学生のうちはよいが中学生になるとローテーション制になり複数のポジションをこなす必要が出てくる。将来の全日本の選手はセッターもできるアタッカー、レシーブもできるアタッカーが理想である。その意味では浦野さんのように神経系統が発達する小学生の時から色々なポジションを経験させることは必要なことと考える。過去に日本一を男女で4回達成しているが、最近は全国に出ることも難しいようだ。しかし、中学・高校・大学で活躍している子供の数はビーバーズ卒業生が実は一番多い。昨年春高バレー男子で日本一を2年連続達成した東京の東亜学園の主力もビーバーズ卒業生であった。

 例え全国大会に行けない小学生チームであっても、その子が進学先の中学、高校で全国大会に出場した場合、小学生の指導者を表彰したりする制度があってもよい。そして、ポイントを与え、一定のポイント数が溜まれば、小・中学や高校の全国大会にその県からの補助金にて大会の視察・応援ができる制度があって良いのではないか。更には、指導者の評価は全国大会に出場できたかどうかだけでなく、中学との連携度やバレー部員数が多いということなども評価項目にするべきではないであろうか。小学生の指導はバレーの楽しみを教え、スポーツのフェアネス(公正・公平)を教え、協調性を教え、努力の意義を教えることで、中学以降で本格的に活躍できる下地を作る期間なのではないかと考える。
(画像は冷房の利いた東京都体育館にて激戦の模様を撮影)

2009年8月7日金曜日

秋田県に移動


 今夜は秋田市にいる。明日から2日間、日本体育協会公認指導員養成講習会の講師を務める。羽田から15時に飛び立って、秋田空港に着きリムジンバスで20分で市内に着いた。秋田県バレーボール協会では昨年上級指導員の講習会を4日間やらせて頂いた。今年もお声がかかったとはどういう風の吹き回しか。まあ、お声がかかったことに感謝したい。
 夕方になって、県協会の理事長と小学生連盟の会長が宿泊のホテルに迎えに来ていただいて、歓迎会が始まった。歓迎会といっても私を入れて3名。行ったところが、地元の人しか行かないような一杯飲み屋。しかし、日本酒は味わいが柔らかく旨い。さすが「高清水」。実は理事長とは既に20年ぐらいの付き合いのある仲間なんです。話は多岐におよび、JVAからインターハイ、小学生連盟、酒が進むにつけ孫の話になり、地元の話になる。
 明日は30数名の受講者がいるとのこと。これからの秋田県バレー界を支える人材だ。明日から2日間、真剣勝負だ。
(画像は秋田空港にあった秋田を象徴するナマハゲ)

2009年8月4日火曜日

インターハイ女子3日目


 インフルエンザ感染の疑いのあるチームがまた出た。佐賀県代表の鹿島実業だ。鹿実は試合前に棄権した。これでバレー会場だけで4校が棄権、なぎなた会場でも感染者が発生したとニュースで報じられた。インフルエンザは寒くなるこれからが本番。今月末には国体関東ブロック予選会が千葉県で開催される。そこでも感染者が出た場合の対策が必要になるであろう。
 インターハイ会場の奈良県含む近畿地方は、3日にやっと梅雨明け宣言が出た。例年より15日遅い宣言だ。車のない私は、会場から会場に移動する手段は電車とバスと徒歩。お陰で、電車の乗継が上手になった。商店街などを歩いてみて、奈良の道路が狭いということも実感できた。ずいぶん日にも焼けてきた。本日の最高気温は37度であった。昨年開催地の埼玉県川越市も暑かった・・・。
 さて、成績のほうであるが、関係の1チームは2試合勝利し、明日ベスト16から4決めに挑む。今回の大会優勝候補筆頭は春高バレーでも優勝した大分県の東九州龍谷。追うのは宮城県の古川学園。しかし、実力通りにいかないのが高校生のバレーボール。あと2日間、私も勝負を観戦しながら学習したい。おっと観戦(かんせん)しても感染(かんせん)しないように、手洗いやうがいも励行しよう。
(画像は、準決勝戦。優勝した東九州龍谷と文京学院大高校の1セット目。東九州龍谷の強さは群を抜いていた。国体でも優勝候補筆頭だ)

2009年8月3日月曜日

インターハイ女子予選リーグ戦


 無念な出来事が起こった。インフルエンザの猛威がインターハイの会場まで襲ってきた。予選リーグで2チームが無念の棄権を強いられた。埼玉代表の細田学園と岡山県代表の就実高校だ。この2チームは、他校への感染拡大の防止のために自主的に判断したものだ。
 明日からの試合においてさらに棄権のチームが出るとも限らない。なるべくならば、全てのチームが全力を発揮できる環境の下に闘ってほしいのだが、不測の事態でやむをえない。
 私の関係する2チームは全て予選リーグを無難に突破し、先ほどまでそのチームの一つと父母会を終えて宿舎のホテルに着いたところ。組み合わせを見て・・・明日も勝ちつ越せるかどうかわからない組み合わせに入った、と思える。しかし、できる限りのことをやるだけだ。相手のチームも嫌な相手と思っていることであろう。
(画像は愛読者のKさんから送られてきた「琉球アサガオ」の花です。野菜やお花のためにも、夏らしくもっと日照時間が欲しいですね)

2009年8月2日日曜日

奈良市に到着

 昨日は、朝から千葉県バレーボール協会主催事業で私のところの指導普及委員会主管で「第4回千葉県U-14大会兼第2回関東大会予選会」のために東金市アリーナに向った。大会挨拶で県協会を代表して挨拶させていただいた。参加選手は、14歳以下の男子。コート上には小学生が必ず1名いなければいけない。単独の中学校チームでは出場できないルールである。この大会はJVAが男子バレーの普及策として4年前からスタートしている。いわゆる地域スポーツチーム主体の大会を奨励しているのだが、まだまだチーム数は少ない。私のところの指導普及委員は来年度から小学生連盟と中体連を連携させて普及のために充実させていく計画を持っている。
 昼からは、我がママさんチームの昨年から始めた合宿のために銚子市の近くにある旭市総合体育館に向った。旭市内のママさんチームとの合同練習を行い、夜は昨年も泊まった1軒屋を借り切っての自炊生活で宴会となった。選手の子供たちやパパも参加して、私は0時で就寝したが一部の若手は明け方まで酒盛りしていたようだ。ああ・・・そんなパワーをコート上で発揮してくれれば・・・と将来への期待を抱いて、本日は皆で近くの九十九里浜でサーファーの波乗りを見ながら海辺の散策とスイカ割りを楽しんだ。今年は、いつも練習のときヤンママ達の子供たちの面倒を見てくれる34歳の独身男性貴族である通称ケンちゃんも参加して賑やかであった。
 一度、自宅に帰り、奈良インターハイ視察の準備をして、新幹線で京都へ行き、そこから在来線で終点のJR奈良駅に着いたのが先ほどの10:10であった。食事はコンビニでの焼きうどんと缶ビールを買い、運良く取れた駅前のワシントンホテルに投宿した次第である。
 昨日終了のインターハイ男子は、私の娘の出身校である東洋高校、春高バレー準優勝のチームにフルセットで惜敗してしまった。女子のほうは明日から予選リーグがスタートする。関係しているチームが最終日まで残れるように応援していく。