2011年8月31日水曜日

8/27(土) 相模女子大に行く

 神奈川県高校女子バレーを、ここ10年以上に渡って牽引してきたのは川崎市立橘高校と県立大和南高校の2校。その大和南女子バレー部をゼロから作って全国区常連にした監督の飯塚博之先生が退職を1年前にして、相模女子大学のバレー部監督に就任した。先生は、まだ地方公務員なので監督としてのお手当は頂いていない。ボランティアである。高校のチームの監督の座は、1月の春高バレーを終えて、コーチの井上先生(日体大OB)に譲っている。今日の午後に、以前から誘われていた相模女子大を訪問した。
 相模女子大は日本の私学女子大学として4番目に古い総合大学である。今年で111年目になる。小田急線の相模大野駅から歩いて12分くらいで大学の正門が見えてくる。正門には受付がある。受付で名前を言うと、事前に届け出があったようで「お待ちしています」と受付の初老の男性が頬笑みながら入校バッジをくれた。伝統的な建物と新しい校舎が混じりながら林立している中を10分ほど歩いて行くとバレー部の掛け声が聞こえてきた。
 玄関から真新しい体育館に入っていくと、飯塚先生が、やっと来たか待っていたよ、のような顔で出迎えてくれた。9名ほどの学生が私を見つめている。部長の田中先生を紹介してくれた。飯塚先生の出身大学である順天堂大学の先輩であったことが分かった。しばらく田中先生から新しい体育館の作りの悪いことや体育館施設業者への不満を聞いていた。
 学生達には、英語で自己紹介を行った。FIVBの講習会以来、英語を話すことは苦痛ではなくなっていた。相手は女子大生だから英語でいいだろうという軽い気持ちであった。
 練習後に、いつものように近くの居酒屋に先生と一緒に入った。2時間ほどそこにいたろうか、飯塚先生と青森インターハイ以来1カ月ぶりにお酒を傾けながら、最近のお互いの近況を語り合った。
 明日は、JVA指導普及委員会主催の指導者研修会に出かける。

2011年8月27日土曜日

8/26(金) ワールドグランプリ JPN vs BRA 雑感

 昨日のJAPAN vs BRAの後にJVAから出た選評に気になる個所があった。「・・・しかし、22-23からのプレーが分岐点であった。サーブで相手を崩したチャンスボールが戻ってきたが、そのレシーブがネットを越える痛恨のミスで強打を叩きこまれ、そのままこのセットを奪われた。第3セットは序盤からミスが目立って大きくリードされた。終盤に岩坂のブロック得点などで連続ポイントを奪い反撃したが及ばず、21-25で落とした」。
 戦評から伺えるあきれる場面は、初心者が犯すようなミスを全日本の誰かは知りませんが、やっているという事実。相手からのチャンスボール(free ballとも言う)や相手スパイカーが十分な体勢から打てなくつないでくるような入れとけスパイク(down ballとも言う)は確実にセッターにパス(dig)しなければならない。チャンスボールの処理は、自コートでのプレーなので相手が邪魔する訳ではないのに、相手コートに返して、あげくの果てに相手スパイカーへの好トスになってしまったとは・・・。ママさんバレーでは良くある(それでも私の内心はイライラ)ことだが、全日本の選手がやってはいけない。簡単なことを当たり前の様に行うためには、簡単なことを難しく行う練習が必要だ。例えば片手のアンダーハンドでの処理とか、サイドのスパイカーにワンでトスにするとか、難しいことや複雑なことをやっておくことがスキル・トレーニングです。更には、リスク・マネジメントとして、そのようなミス・プレーを想定して、スパイカーが、直ぐさまブロックに転じる練習をやっておくことです。ひねた私のようなプレーヤーでしたら、仲間のブロッカーと連携して、わざと初心者の様なミスプレーをして、相手アタッカーに打たせるようにして、味方ブロッカーにシャット(kill block)させっることも、点数がリードしている場面ではやるのであるが・・・。
 この日先発を言い渡された狩野舞子選手のコメントも載っていた。「先発は今朝のmeetingで言われた。正直びっくりした。これだけ練習しているのにサーブレシーブで乱された。いざ、試合になると気持ちが大事。練習から試合をイメージしてやりたい」。
 このコメントを呼んでいる限り、メンタルプレぱレーションが不足している典型的な例である。闘いは、スタメンだけでやるものでなく、12名でやるもの。現代バレーは12名がスタメン。相手チームに応じて、セットに応じて、場面に応じて戦術を先手先手と打っていく必要がある。狩野選手に2つ言いたい。1つは、朝のmeeting時に先発を言われて、びっくりしてはいけない。『よし来た、待っていました。アピールしてきた甲斐があった。このためにコート外から先輩達のコンビを頭に覚えこませていたのよ』。2つ目は、練習時の態度について。練習は試合をイメージして行うのではなく、試合以上のことをイメージして行うこと。『試合は練習のように、練習は試合以上にやっていれば百戦危うからず』。昔、山田全日本女子が世界3冠を取ったとき、ゲーム練習では相手チームは男子大学生達で、ライバルのソ連よりも、世界一の全日本女子よりも強かった。日々、そのように限界点でトレーニングしていれば、限界点は上昇していく。人の心身の限界を超えようとした先輩達の努力を見習おう。
 現在世界トップクラスのブラジル、USAなどは、日本が世界1位の時のワンマンレシーブを必死になってやっている。現在の日本でそんなことをやったら、「ついていけない」と言って退部してしまう。全日本が学ぶべきは、ブラジルや欧米のトップチームのものマネでなく、日本バレーボールの原点である。

8/26(金) 2011 FIVBワールドグランプリJPN vs BRA




 ワールドグランプリ女子も、いよいよトップ8からの試合となり大詰めを迎えつつある。日本は昨日のブラジルの試合に0-3のストレート負けで5-8決定戦に回った。FIVBのHPから日本とイタリアの試合を無料のweb放送でライブで見ていた。結果はベテラン揃いのイタリアに日本は3-0の快勝であった。若手の登用のないイタリアは落日を迎えている。キューバもそうであるが、一度トップに行くと、そこから若手を入れたり、ベテランを入れ替えたりして新陳代謝を常に図ることは難しい。ベテラン、中堅、若手のバランスを取りながらチームを脱皮する生き物のように育成していくのは監督の手腕に掛かっている。

 日本は、明日の試合で、中国に勝利したタイと5位決定戦を行う。タイという国は昨年からの国内政争で国内が混乱しているにもかかわらず、バレー協会がしっかりと機能しているのであろう、レベルは落ちていない。明日の午後にある日本vsタイはもつれる可能はある。

 ベスト4の順位を今から予想してみよう。順位としては、ブラジル、USA、セルビア、ロシアとなろうか。しかし、この順位が現在の各チームの実力かというと、そうとも言えない。特に、9月から始まる欧州選手権大会兼ワールドカップ予選会を控えて、欧州各国とも虚々実々(きょきょじつじつ)の駆け引きがなされている。なにもわざわざ、直前のワールドリーグで手の内を明かすこともない。セルビアにしてもワールドカップに出場する保証はない。ロシアも故障中のエースのガモワを使ってはこないであろう。

(画像はマカオで行われているグランプリファイナルで好調のUSAのブロック)


 

2011年8月25日木曜日

8/24(水) 睡眠は大事だ!

 睡眠は大事だ。人間は何で寝るのか?休みたいからさ、と脳が言った。夢を見たいからさ、と詩人が言った。夜の栄養だからさ、と私がつぶやく。それなのに・・・我が家の女族は深夜が大好きだ。「深夜TVを見ないとストレスが発散できないのよ、パパ!」そんな貴方達から深夜睡眠妨害でストレスを受けている吾輩はどうすりゃいいのさ!?。新潟県魚沼市でのFIVBコーチクリニックでの規則正しい早寝早起きの生活を送っていた日々が懐かしい・・・。

2011年8月23日火曜日

8/23(火 ) ソフトバレー練習再開 

 夏休み以降初めての我がソフトバレークラブの練習日であった。全員で28名が参加。いつものように、2コートに分かれて練習する。先月から入部してきた30歳のお母さんも参加していた。我がクラブも、これで20歳代から70歳代までの女性が全ている勘定になった。
 部員募集は、これからも継続していく。ソフトバレーの存在を多くの人に知ってもらいたいから・・・。今日は、スパイク時の助走(アプローチ)での踏み込みが良かった。ここのところの大殿筋のトレーニングが功を奏し始めたのであろう。また、FIVBコーチコースでの講義の成果で、重心位置の持って行き方が滑らかになってきたのであろう。
 夜になって、芸能人の島田なにがしという人の引退会見がニュースとして報道されていた。暴力団との関係があり引退するとのこと。芸能界・歌謡界などの興行と暴力団とは昔から関係が取りざたされている。いずれにしろ、法を犯していることであるならば、責任を取らざるを得ない。それにしても、会見そのものが一つのバラエティ番組の様で後味は決して良くなかった。謝罪したり、開き直ったり、言い訳してみたり、真実は一つなのだから、週刊誌の記事などどうでもいいんじゃないかと思う。「私であれば、ご迷惑をおかけしました。すみません」で済ませる。そして、理解してくれる家族と友人達と再出発する。なにも、芸能界だけが人生ではない。

8/22(月) ママさんバレーチームの「あすなろ」さん訪問

 昨年からコーチに行きますよ、と約束していた栃木県真岡市の「あすなろ」ママさんチームにこの夜やっと行ってきた。電車では不便な土地なので、車で行ってきた。
 練習開始は7:30から。練習会場は、市内の中村小学校。体育館の1/3が暗かったので、節電ですかと聞いたところ、「いいえ、故障です」との返事。夜の体育館開放の管理者である教育委員会に連絡して明かりを付けて頂くようにお願いしてくださいね、とまずは練習環境整備からコーチングが始まった。ウオーミングアップはブラジル体操をやっていますと聞いたので、見せて頂いた。ブラジル体操とは、いわばダイナミックストレッチ。日本語では「動的ストレッチ」とも言う。股関節や肩甲骨を中心にリズムカルに行っていく。さすがに、昨年の栃木県ママさんチャンピオンチームである。
 本日のテーマは先に決まっていなかったので、私の方で進ませてもらった。まずは、ボール投げから始めた。ボールを投げることは、オーバーハンドのサーブやスパイクにつながる動作である。利き手の投げる腕と同じように反対側の腕の使い方(引き付け)の重要性を再認識して頂いた。次にサーブ練習に入った。4人一組で連続サーブを短い距離から正規の距離に伸ばしていった。打ち手の形の再確認、ボールの回転を止めるために手首を固定すること、重心移動でボールを飛ばすことなどのポイントを説明した。休憩を挟んでからは、9人制ならではのネットプレーの連続演習を全員行った。バックプレーヤーもこのネットプレーをアップ代わりに行うことで、バランス能力が高まる。最後にレシーブの基本ということで、スプリット・ステップのやり方を2種紹介した。レシーブに出だしの反応の悪い人にはお勧めのステップである。そういえば、先週の千葉県バレー協会主管で開催した日体協指導員講習会で専修大学の吉田先生が「スプリット・ステップの研究をバレーボール学会に出したい」ようなことを言っていた。
 9:30にコーチングを終え、自宅に着いたときは0:10であった。久しぶりの深夜帰りであったが、あすなろチームさんの笑顔で疲れは感じなかった。

8/21(日) ワールドグランプリ女子inJapan 日本vsロシア




 来年のロンドンオリンピック開催を控え、またオリンピック出場権が上位3チームにかかるワールドカップに向けての前哨戦となるグランプリ最終戦に出かけた。会場の有明コロシアムは自宅のある西船橋から電車で30分。国際展示場前駅で下車して徒歩6分。

 役員受付口から入って行って、IDカードを頂き、受付の知り合いの東京都バレー協会の役員と暫し談笑。会場では第一試合のセルビアと韓国の試合をやっており、セルビアが3-0のストレートで元気のない韓国を退け決勝リーグへの進出を確実なものにした。

 セルビアのようなチームはヨーロッパには数多くいるとFIVB公認インストラクターのMr足立から聞いていた。欧米のチームは、高身長とパワーで勝負してくるが細かなところでの基本がない。日本やアジアの国は身長とパワーでは見劣りするが、基本技術がしっかりしておりミスが少ない。しかし、今回の韓国はどうであろう。日本より大型化になっている。中国も、Mrザオによると1m90cm台はざらにいるという。日本の行くべき道は、基本の徹底とそこから繰り広げられるスピードと変化であろう。しかし、世界でメダルを取るためには、それらに付け加えて、更にパワーと持久力(全身・筋)を他国より多くの時間と努力をつぎ込んで取り組まねばならない。サッカーの長友が良い例だ。体格では劣っていても、ピッチ上で一番長い距離を走っているのは長友だ。日本もやらなければならないところは、他国の2倍の練習量の確保とそれをやりきる選手達のモチベーションを上げることだ。

 日本とロシアのゲームは、日本がストレートで勝利した。ロシアは1軍半の陣容であった。既に決勝リーグ進出を決めているロシアにとって、怪我人を休ませ、若手を試す機会であったのであろう。そして、日本のファンへのサービスでもあったのであろう。それにしても、ロシアの守備は酷いものであった。今夜のロシアの守備は日本の中学生レベルであった。

 今週末から、中国のマカオにて決勝リーグが始まる。各国はワールドカップを控え、奥の手を出さずにどのように戦うのか虚々実々の駆け引きが行われる。偽のデータをいかにして相手に収集させるのか、トップのチームの監督は頭が痛い。

 ワールドカップでの女子のベスト3可能国は、ブラジル、ロシア、アメリカ、イタリア、日本、中国などであろうか。欧州予選会大会も来月頭から始まる。

(画像は、1セット目ロシアのガモワのサーブ。ロシアの平均身長は191cm。スタイルも良く、まるでファッションモデルがバレーボールをプレーしているようである。確かに今夜のロシアのバレーであれば日本は勝てる。しかし、中国での本番では今夜のようにストレートではいかないのは真鍋監督も承知していよう)

8/20(土) FIVBコーチコースin新潟 最終日




 長かったコーチコースも本日で終わりだ。結果は、全員レベル2に合格。通常、不合格者が2割は出るのであるが、今回は全員合格というサプライズが起きた。成績上位者には、日体大女子バレー部監督の根本先生やVチャレンジコーチの松本さんなどが名を連ねた。私もあと3点あれば上位に食い込めたらしい。若い人がペーパーテストや実技で私より上位に行ってくれて良かった、と思っている。理論、チーム経営や実績では負けてはいないが、試験では将来性ある若い人たちがオジサン連中より優れていなければ困る。


 授与式では、全員晴れがましい顔で講師から一人一人、成績書と合格証明書を頂いた。今回の受講者の中から世界で活躍する指導者が多く出てほしい。そして、そんな彼らを私がサポートできるようにしたい。


 中国から見えた講師のMrザオと奥様を東京の品川プリンスホテルまで送ることになった。新潟県南魚沼市はスイスの光景に似ているが、東京はビルと人また人の群れで息が詰まってしまう。品川プリンスでチェックインし、どこか行きたいところがあるかお聞きしたところ、ミズノショップ・秋葉原・銀座と候補が上がった。まずはミズノショップに行き選手用の30cmのバレーシューズの買い物をした。そのあと、奥様が疲れたらしく、今日はここまで、また日本に来ますからそのときに銀座を案内して下さいとのことで秋葉原電気街は駅のホームから見るだけで品プリに戻って行かれた。


 明日は、有明コロシアムで行われるワールドグランプリ予選最終戦の日本vsロシアのゲームを見に行く。


(画像は、合格証明書。この上にはレベル3がある。そして、レベル3から推薦でFIVB公認インストラクターの資格が与えられる。先はまだ長いが、1歩1歩、歩んで行くしかない。我が道は我が選びし道なり)

8/19(金) FIVBコーチコースin新潟 第12日目

 午前中にペーパーテストを受けた。問題は、FIVBの歴史・組織・ルール・初心者指導・医学・科学・指導法・体力トレーニングから幅広く出された。問題も解答も全て英語である。解答は3択なので正解の確率は33.33・・・%である。辞書持ち込みOKであるが、質問文の理解に結構時間を費やした。まるで、英語の試験である。
 難関のペーパーを終えた午後からは実技試験である。まず、サービスを5か所に計20本入れなければいけない。過去にアメリカ女子チームの監督を務めた吉田敏明さんも19本であったということで結構難しい。ゾーンの区切りが四角で区切らていなく、三角形であるところが視覚の錯覚(「しかくのさんかく」という、ここはおやじギャグ)を引き起こし難しくしている。私は、17本であった。次は2段トスを左右交互に20本上げるテスト。最初は調子良いのであるが、15本目あたりから汗でボールが滑ってコントロールがぶれてきた。その次は、ネット際でのトスでA,Bクイックのトスを手で下から交互に上げる。スパイカーは日体大生である。更にはAクイックを囮にした時間差のトス、Bを囮にした時間差トスを上げる。ここは、学生のサポート・・・否、私への介護精神でまずまずクリアした。最後に、3人レシーブであった。始める前に、学生3人にコート中央に集まってもらい、私の球出しの要領を伝え、握手してからスタートした。私のトスが低いときは近距離でのレシーブ、高いときは後方に更に下がってからのレシーブとゲームライクに行った。床に直接ボールを打ってブロックワンタッチの状況を作ったり、コート後方にワンタッチの状況でボールを飛ばしたり、ネットボールの状況を作ったり、結構パフォーマンスの評価は高かったようだ。
 試験を全て終了して、少し心が軽くなった。夕方にフェアウエル・パーティが催された。夜には、私達の部屋に講師のお二人を招いてささやかに二次会を開いた。どこから聞いてきたのか、受講者の10名ほどが部屋に集まってきて、また酒宴となった。講師には11時にはお帰りいただいたが、残った受講生達で、この夜は深夜2時までバレー談義が続いた。

8/18(木) FIVBコーチコース受講in新潟 第11日目

 昨夜、千葉県バレー協会主管での日体協公認指導員養成講習会第2日を夕方に終え、自宅に戻って着替え、あたふたと東京駅に向かった。FIVBコーチコースの開催地である新潟県南魚沼市に戻るために新幹線に跳び乗った。越後湯沢駅に停車する新幹線は、それが最終であった。越後湯沢駅からは、先月末の大雨で不通になっていた上越線が開通していたので、六日町駅まで向った。夜の9時半に着いた六日町駅では、お願いしていた出迎えの車が待っていた。同じ受講者である静岡の増田先生の車をお酒の飲めない佐藤君という新潟からの受講者が出迎えてくれた。
 実は、佐藤君は、青年海外協力隊OBで私の後輩になる。最近までアフリカのニジェールに派遣されていた。35年前に私がアフリカで初めてチュニジアに派遣されて、そこからニジェール派遣まで影響していたというわけである。チュニジアで私が少しでも貢献できたことが、彼の派遣につながった、と勝手に良い意味で考えている。
 宿に着き、私と増田先生との6畳の狭い相部屋に入ると、そこは雪国であった・・・などと川端康成調美的溢れる光景とは程遠い男どもの酒宴の姿がそこにあった。なんと、主任講師のMr足立はじめ受講生が5,6名所狭しと体を触れ合わせるように車座になっているではないか。「Watanabeサン、オカエリナサイ。試験問題のヒントが丁度出尽くしたところです、ガハハハ・・・」日本より海外での生活が長いMr足立が怪しげな日本語で楽しそうに私に言う。男だけかと思っていたら、日本から紅一点の女性の受講者である旧姓小林先生も頬を少し紅色に染めて座っている。彼女は、八王子実践で長身選手として活躍した。夜の楽しい会話は11時まで続いた。
 昨夜の話が長くなってしまった。11日目のきょうは、午前中に「ゲームコーチング」「バレーボールの科学」の講義を聞き、午後からは、明日のペーパーテストと実技テストに備えて自習となった。

2011年8月21日日曜日

8/17(水) 日本体育協会公認指導員養成講習会in千葉 第2日




 2日目は、午前中に「体力トレーニング」の実技・理論を行った。講師には日体協公認トレーナーであり、海外での実績もある石森先生をお招きした。最新の理論でのトレーニングに受講者は少しへばった様子であった。


 午後には、「基本技術の実際」ということで、講師には専修大学教授の吉田先生にお願いした。先生はVプレミアの男子チームFC東京の総監督でもある。現場での指導も行い、理論もしっかりしている吉田先生には2年前にも講師依頼していたのだが、その時は都合が悪く、今回ようやく念願がかなった次第である。


 次回の3回、4回は8/29・30と同じ会場の船橋アリーナで行う。受講者の方達ももう一苦労である。


(画像はトレーニング風景。40歳以上の受講者には多少きつかったようだが、自分でもやってみるところに意味がある。29日にはFIVB公認インストラクターの足立さんを招いている。千葉県での講習会の講師は全国でもトップクラスの講師陣を揃えていると自負している。あとは、運営である)

8/16(火) 日本体育協会公認指導員養成講習会in千葉 初日 

 千葉県バレーボール協会では、2年に一度、公益財団法人 日本体育協会公認指導員養成講習会を開催している。資格認定される講習会である。日本バレーボール協会主催大会において、この資格を有していないと、スタッフはベンチ入りできない。千葉県協会での私の任務の70%以上は、この講習会や有資格者への資格更新のために費やされている。
 開催会場と開催日の設定にいつも苦労している。今回は、船橋市バレー協会理事長の押野先生に随分とお世話になった。受講者が受講しやすい環境作りに配慮しているが、今回は平日の開催日が2日間となってしまった。それでも、受講者は30名と他の競技団体と比べると多い方である。受講者の熱意に頭が下がる。こちらも受講者満足度の高い講習会運営に鋭意尽くしていかねばならない。
 初日の本日は、県協会理事長の山岸先生の挨拶から始まった。昨年、県協会は千葉国体という大きな全国イベントを成し遂げた。国体を境目に県協会役員も、大きく交代した。今年度から新しくスタートである。競技力向上としては、関東大会で男子の習志野高校が優勝、インターハイでは女子の市立船橋高校が3位と大健闘し、上々の滑り出しである。
 挨拶の後に、さっそく私が講師で「初心者指導」で講義、実技を、副会長の宇木先生の「指導論」で講義と進んで行った。

2011年8月20日土曜日

8/15(月) FIVBコーチコース 休息日

 千葉の自宅に17日まで帰ることの許可をオーガナイザーの豊田先生から頂いた。実は16日、17日と日本体育協会公認指導員養成講習会前半を開催するために戻るのである。きょうは、FIVB講習会は休息日。越後湯沢駅まで同室の増田先生の車で送って頂いた。お盆の帰省から帰る日と重なっているので、新幹線の込み具合が気になったが、自由席になんとか座ることができた。
 我が家はいいものである。明日から始める千葉県での講習会の準備状況の確認を県協会指導普及強化委員会の主事に連絡。私も講師を務めるので、資料のコピーも受講者30名分を行った。
 FIVB講習会では、私は、受講者。千葉県では日体協講習会の運営者と講師。なんか、変な感じではある。

8/14(日) FIVBコーチコース 第7日



 本日で、受講7日目。講習期間もやっと半分まで来た。4年前に日本体育協会上級コーチ講習会を受講した時でさえ、4日間であった。朝8時には体育館に行き、衣類を洗濯機に入れ、集まってきた若い受講生を捕まえては対人レシーブで軽く体を動かす。8時半から講義が始まり、12時半に終了する。昼食を採るために宿に戻る。食べ終わったら、すぐさま体育館に戻り、2階にある和室に入り昼寝をする。午後2時から実技。実技には日本体育大学女子バレー部員の21名がモデルを務めてくれる。
 大和南高校から進学している丸山も2年生で合宿兼講習会モデルに参加している。きょうの休み時間に彼女を主任講師の足立さんのところに呼んで、大学を卒業したら、海外のクラブチームでやってみる気はないかどうか尋ねてみた。彼女は、にこにこしながら「さあ・・・」と言って現実的な話として捕らえられないようだ。主任講師の足立さんは、私に海外コーチでトルコに行けばとそそのかしている。トルコという国は地域的には欧州に属している。女子バレーのレベルは全日本女子と遜色ない。なんでも、基本をしっかりと指導してくれる日本人コーチの要望が高いということだ。
 私が、2年後位に先にトルコのクラブチームの監督に就任して、彼女をリベロで呼び寄せることも可能だ。しかし、そんなことをしたら、彼女のお母さんに私がこっぴどく怒られるに違いない。彼女のお母さんとは、ロス金メダリストの丸山由美さんである。旧姓、江上さんと言った方が思い出す方が多いと思う。いずれにしろ、若い日本人のコーチが海外で活躍できるような環境を作ることが、私の役割と心得ている。

(画像は、中国からやってきたインストラクター(講師)のMr.ザオ。日本体育大女子バレー部員をモデルに台に連続して跳び乗ったりするプライオメトリックトレーニングを行っているところ。南京市にある大きな大学の教員を務めていた人で、南京市バレーボール協会の理事長を務めている。大学のチームとクラブチームの総監督でもある。そのクラブチームからは2m台の男子選手を4名ナショナルチームに送っているとのこと)

2011年8月16日火曜日

8/13(土) FIVBコーチコース受講 第6日 



 本日の講師は、久方ぶりに再会した方達であった。一人は千葉県にある川崎製鉄千葉病院の整形外科スポーツ整形前部長の岡崎先生。先月亡くなった俳優の原田泰造にて渋い二枚目である。先生は1990年前後の全日本男子チーム帯同のスポーツドクターであった。リハビリも非常にユニークで、広島修道高校・千葉大学でエースアタッカーで活躍した経験を生かし、病院内に体育館を作りバレーボールへの復帰を早めるためにバレーの練習をしながらリハビリを行うものであった。全日本男子はもちろん、実業団の日立女子や八王子実践のバレー部員も多数治療に通っていた。当時、蔭山選手という2mの高校生を擁して春高バレーで優勝した千葉県習志野市立習志野高校が優勝した陰には、岡崎先生のバックアップも多分にある。監督は千葉大学バレー部で3年先輩の田部井先生。田部井先生から頼まれてチームの面倒を見始め、その縁で全日本男子付きスポーツドクターとして、1988年のソウルオリンピックに帯同することとなった。
 この日、午後にトレーナーとしてキネシオタイプのテープの貼り方を指導してくれたのがNEC女子で長くトレーナーを務めた岩崎氏。若き頃、アメリカの大学院を修了しただけあり英語はよどみがない。現在はスポーツトレーナー派遣会社を経営している。スポーツ系大学の講師も数校務めているようだ。
 疲労が積み重なってきた。香港から受講してきた大柄な中学校の先生が、捻挫して救急車で地元の病院に運ばれていった。夕方になって、戻ってきたときは、包帯も痛々しく松葉杖を突いていた。海外で怪我するとは彼もツキがない。
(画像は、講師の岡崎先生と。前夜に先生がお着きになり、豊田先生から夕食を一緒にしなさいと指示され、講師の先生方と一緒に受講生の私が食事に招かれた。六日町市内にある小料理屋さんで岡崎先生とバレー談義が始り、お酒も地元の八海山を頂き満足な夕食であった) 

8/12(金) FIVBコーチコース 第5日

 そろそろ疲れが出てくるころである。朝は5時半には目覚める。朝風呂に入り、髭を剃り、パソコンメールをチェックして、新聞を読む。朝食を済ませると、誰よりも早くアカデミーの体育館に歩いて行く。歩きながら、知人に電話をする。
 世間ではお盆である。今年のお盆は、ご先祖様にお参りに行けない。自分の好きな道を歩むということは、誰かに支えられているからできることである。家族は、こんな私に愛想をついていることであろう。頑張っていますねと、人は言うが、私はわがままな行為だと思っている。わがままを許していただいている間は、もっとわがままを許していただこうと、こちらも開き直っている。

8/11(木) FIVBコーチコース 第4日



 今日は、宿を体育館の近くのホテルに移動する日であった。3泊して慣れてきたころの移動で、多少イライラしてきた。移動してきたホテルには2泊する予定である。その後、近くの民宿にまた移動する。
 実技試験のテーマも与えられ、受講者は少しでも良い点を取ろうと、休み時間に練習を繰り返している。私はいたってのんきなもので、受講者の中で最高点を取ることよりも、合格すればいいやと気楽に構えている。
 それにしても、英語がすぐに口から出てこない。FIVB公認インストラクターを目指している私にとって英語力は必須である。来年度、会社定年の後にアメリカに渡り、大学トップのチームに1カ月お世話になることで英語力を付けることも、ふと考えが浮かんだ。フランス語は、頭でフランス語で考えているので、そのまま素直にフランス語で出てくる。英語の場合は、まだ、日本語で考えて、それを英語に翻訳して話そうとしているから反応が遅い。



(画像は午前中の講義の様子。通訳は「CPV」というバレー指導者向けに雑誌を発行されているアンリミテッド社社長の河部さん。彼は、受講者も兼ねている。本当にバレーが好きな人なんだなということがわかってきた)

8/10(水) FIVBコーチコース受講 第3日

 当初、このコーチコースはレベル1であった。欧米では、数字が上がっていくほどレベルが高くなっていく。原発の放射線の影響などで、海外からの受講生が予定より少なくなり、受講者を増やすためにレベル2も同時開催としたようだ。豊田先生でなければできない放れ業である。講師の獲得も開催1カ月まで苦労されたようだ。この時期はヨーロッパ選手権大会が始める時期でもあり、高名な講師達は日本にくることを辞退した。幸いなことに、日本人である足立さんが主任講師を引き受けて、講師には中国人のMr.ザオが引き受けてくれた。この人のクラブチームは中国でもナショナル男女チームに選手を送り込んでいる名門である。63歳なのに筋骨逞しい中国人である。英語の発音がちょっと聞きづらいのを除けば体力トレーニングのエキスパートとして今後も活躍しそうな方である。
 

8/9(火) FIVBコーチコース受講 2日目



 宿は、分宿となり、30名のうち私を含めた14名が「さんろく荘」という民宿にお世話になった。3泊この民宿屋さんにお世話になった。私は、この民宿屋さんを「山賊荘」と称した。この時期は、このあたりのホテルや民宿は高校生の部活や大学生の合宿で満杯になる。4泊目からはアカデミーの体育館近くのホテルに移動する。そういえば、体育館を備えつけている民宿も多い。お米の産地だけあって、確かにご飯は美味しい。山賊荘の民宿の夕食はとびきり美味しく、オカズも品数が多く豪華だ。
 講習会の方は、朝8:30から始まり、夕方18:30には終わる。まさにバレー漬けの日々である。毎日、民宿の洗濯機で洗濯をして、夕食後は、相部屋の住人と焼酎を頂きバレー談義にふける。私の同居人は増田先生という静岡県バレー協会で指導普及委員長の任に着いている中学校の先生である。私より3年ほど年が若い。浜岡原発の直ぐ近くの浜岡中学校に勤務されている。黙っていると、怖そうなおやじであるが、話をすると人なつっこい笑顔でその場を盛りたててくれる。
 夜は、11時前には布団に入り、朝は6時には眼が覚める。規則正しい生活が始まって、私の体重も少し増加してきたようだ。

(画像は、受講者と講師の記念撮影。FIVBのHPにも翌日掲載された。豊田先生にとって最後のFIVBコーチコース講習会となる。私は前列右端にいる。)

2011年8月15日月曜日

8/8(月) FIVBコーチコース受講 初日



 新幹線で東京駅から越後湯沢駅に降り立ったのは、午前10時。ここから在来線に乗り換えて六日町駅に行く予定であったが、7月30日のこの地域観測史上最大の大雨で線路が不通になっている。FIVBアカデミーの事務局がバスで出迎えきて、アカデミーに向かった。途中、水害で山が崩れて田んぼに覆いかぶさるように流れているのがあちこちに見えた。被害は推定で13億円ということだ。このあたりは美味しいお米の産地で名高い。3.11の影響もあり、今年は古米が高く売れているようだ。
 今日から20日まで南魚沼市にあるFIVBアカデミーにて18年振りに日本で開催される国際バレーボール連盟公認コーチコースを受講する。南魚沼市は平成の大合併で、大和町、六日町、塩沢町が合併してできた新しい市である。人口は約6万人。アカデミーは旧六日町の山間にある。元は市の体育館である。
 体育館に入るなり、責任者の豊田博先生や主任講師である足立さん、中国から見えた講師の方の出迎えを受けた。受講生は30名。女性は2名。平均年齢は30歳代半ば。これからの13日間どのような展開が待っているか、いや私の体力がもつか、いずれにしろスタートした。

(画像は、右が豊田先生。真ん中が主任講師の足立氏。左が中国から見えた講師のザオ氏)

8/7(日) 2011 全国ソフト・ファミリー 閉幕

 朝から、式典委員長である私はそわそわしていた。いよいよ、交流大会も本日で幕を閉じる。午前中から総務委員長と確認の確認で緊張していた。昨年は20周年の式典でやはり、式典委員長を指名されたが、記念式典での任務は、事前の会場の手配、当日の運営における司会であって、大きな交流大会での式典委員長の任務とは勝手が違う。閉会式がつつがなく進行すれば「終わりよければ全て良し」とされるが、大きな躓きがあれば全て台無しになってしまう。リハーサル大会が震災の関係で中止になり、役員の連携が危惧されたが、結果はまずまず89点というところか。
 本番では委員長クラスはどっしりと構えていなくてはいけない。委員長自身が走り回っていては、補助役員達が浮足立ってしまい、ミスが出てくる。その意味では、私は泰然・悠然と見掛けだけは構えることができる性格なので得をしているようだ。しかし、池の水鳥と同じで、これでも結構水面下では足をバタバタ必死で動かしていたのです。
 閉会式後に片付け、役員反省会と続き、最後に補助役員さん達とのあ疲れさん会を体育館内のレストランで行った。皆さんのお顔を拝見していると、5年後以降にまた全国大会を招致できる自信が皆さん付いたようで頼もしく見えた。
 さあ、明日から新潟県六日町市でFIVBコーチコースの受講だ。

8/6(土) 2011 全国ソフトファミリー 2日目



 予選リーグを全て終えて、夕方から役員懇親夕食会が行われた。今回の大会開催に際して、一番苦労されたのは、地元墨田区バレーボール協会理事長の小林さんである。小林さん始め墨田区のソフトバレー愛好者の方達の協力なくしては開催できなかった。
 小林さん達墨田区の役員さん達がソフトバレーボールなるものを始めたのは、東京都連盟の前広報委員長である高橋剛さんが関係している。高橋さんも墨田区にお住まいということで墨田区バレー協会理事長である小林さんにソフトバレーを、かれこれ9年前になるでしょうか、紹介したわけである。私も数回お邪魔して一緒に楽しませていただいた。練習後の食事会も楽しかったですね。その後も、小林さんは役員も巻き込んでソフトバレーの世界にぐんぐん入ってきました。そして完全にソフトバレーの魅力の虜になってしまい、硬いバレーよりもソフトなバレーの方に時間と労力を注ぐようになってしまった訳です。全国大会もレディース&メンズでは常に上位で、レディースでは優勝までしちゃいました。
 夕食会であるが、主催者の東京都バレーボール協会専務理事の大塚先生、迫田さん、日本ソフト連盟会長の西山先生、理事長の成田先生、東京都ソフト連盟役員、地元墨田区チーム関係者にお店で隣同士になった京都代表の家族チームも交えてミニ交流パーティのようになって楽しく過ごさせていただきました。私は、その後も地元役員さん達と同じお店で交流を続けていました。これも式典委員長の任務とばかり、美味しいビールを飲む口実を作りながら10時まで色々な方の色々な意見を聞くことができました。

(画像は、フェスティバルの表紙。スカイツリーは、電波塔では世界一の634mの高さを誇る。駅から降りて見ていると、すぐ傍にあるように見えるが、歩いても♪歩いても♪(石田あゆみ調に)一向にタワーに着かない。相当に高いのですね)

8/5(金) 2011 第22回全国ソフトバレー・ファミリー開幕




 今年は、東京タワースカイツリーのある東京都墨田区総合体育館での開催である。東京駅から電車で15分でJR錦糸町に着く。改札口を出て2分も歩くとスカイツリーが見えてくる。体育館は2013年東京国体のために改築になったし墨田区総合体育館である。駅から歩いて5分もかからない。


 今回の私の仕事は、式典委員長である。特に、閉会式をスムーズに終えることが一番の任務である。なにせ、全チームに賞状が渡るので、記録担当との連携をスムーズに行い、間違いのないように賞状に記載し、速やかに賞状と記念品を手渡さなければならない。ソフトバレーボールは1位グループの1位だけを讃えるのではなく、リーグ戦での順位で再度リーグ戦を行う方式である。各チームの能力に合ったリーグでソフトバレーを楽しもうという趣旨である。


 親子で、中には3世代で参加されているチームもある。


(本日は代表者会議と開会式、そして交流パーティ。画像は開会式で入場行進の後、整列して座っているところ)

2011年8月5日金曜日

8/4(木) 休みのない夏休み

 この8月は多忙だ。今週末は、私が常任相談役を務める東京都ソフトバレーボール連盟主管の「全国ソフトバレーボール・ファミリー・フェスティバル」が新装なった墨田区立体育館にて開催される。危惧されるところは、運営だ。リハーサル大会を4月に行う予定が、3.11の震災で中止になり、運営に対しての準備が不十分なところにある。今夜は、東京都体育館会議室にて最終の準備委員会があると聞き、顔を出した。どうやら、私にも役が与えられており、式典委員長という大役の役職が付いていた。
 8日の月曜日から20日の2週間は、新潟県南魚沼市にあるFIVBアカデミーでFIVBコーチコース(Ⅰ)と(Ⅱ)が開催される。長丁場だ。私は32年前にレベルⅠを香港で取得しているので、今回はレベルⅡの受講になる。但し、受講者数30名のうち、レベルⅡ受講者は、どうやら私一人らしい。主任
インストラクターは、顔馴染みの足立さんなので、彼と1対1でやるのかと思うと、何か変な感じだ。今回は、実績がナショナルチームの監督で、試験の成績が良ければ、初めてのレベルⅠ受講でも、いきなりレベルⅡに合格することもあり得るそうだ。
 この後に、日本体育協会主催の公認指導員養成講習会を千葉県バレーボール協会主管で開催する。責任者は私だ。20日にはFIVBワールドグランプリを有明コロシアムに見学に行く。21日夜には。ミニクリニック再開で、栃木県のママさんチームを訪問する。28日はJVA審判規則委員会規則部会
がJVA指導普及委員会開催する日体協公認コーチ・上級コーチ研修会とダブっているので研修会は断念せざるを得ない。日にちが重なっていて、行くのを断念するのは、他に全国小学生バレー大会、全国高校私学バレー大会がある。
 8月は意外と休みがない。体調を崩さぬようにしよう。

2011年8月2日火曜日

8/2(火) 久々のソフトバレーの練習に

 3週間ぶりに、自分のクラブの練習に出た。この日は、入部希望の38歳のお母さんがお子さんの中学男子を連れてくる約束の日であった。始めてくる場所ということで道に迷ったらしい。練習が始まって30分後に二人は顔を出した。さっそく小柄なお母さんは、我々と一緒にゲームに入り、中学生はもう一つのコートで楽しんでいる高齢者のチームに入れた。お母さんは、数年前に県内の松戸市でソフトバレーをやっていたとのことであったが、久しぶりにボールに触れたせいか、まだ感覚が戻っていないようであった。私も、最近はママさんバレーの4号球を扱っていたので、最初のセットはオーバーハンドでのサーブレシーブの感覚がソフト用に戻らなかった。
 ボールの大きさは、プレーヤーにとって面白い感覚である。Vリーグの選手達が小学生達に指導する日本協会主催の教室があるが、小学生が扱っている軽量4号ボールでVリーガーがフローター・サーブをやるとボールの回転が止まらないという。手の感覚がボールの大きさを覚えているのであろう。4号と5号、そしてソフトバレー(6号?)を毎週のように触れている私の感覚も、最近は直ぐに適応するようになったが、最初の1年は苦労したものである。
 我がソフトバレーのクラブには、その日、入部体験者が2名、親子で見えていた。30代と思しき娘さんは、市船バレーの出身ということで、スパイクに長けていた。お母さんも60代ながらソフトバレー初心者と思えない軽快な動きを見せていた。
 今回の新人3名が、このまま入部してくれれば、我がクラブも平均年齢が若返る。優しく、大事にしていこう。

2011年8月1日月曜日

8/1(月) 北東北インターハイ 最終日

 決勝は、予想通り、第一シードの古川学園(古学:ふるがく)と東九州龍谷(東龍:とうりゅう)の対決となった。古川学園はここまで、センターからのクイックを敢えて使ってこなかった。東龍対策である。しかし、東龍の相原監督もそのことは承知。サーブをバック・ライトに徹底して打ち、クイック封じに出た。結果は、3-1で圧倒的に東龍の勝利であった。やはり、東龍のエースである鍋谷の存在が大きい。鍋谷は同じレフトの中馬(ちゅうまん)ともども、今回のベスト6に選ばれた。ちなみに、他には古学の山田美香、早坂梢依、そして3位の市船から倉見、同じく3位の春共から引地が選ばれた。個人的には、今回実力ベスト4の下北沢成徳の大竹里歩をベスト6に入れたい。
 決勝が終わって、体育館を出るときに一般観客の人が相原監督のゲーム中の態度に関して次のようなことを言っていたのが耳に入った。「あの監督の審判に対しての執拗な抗議はいただけないわね。いくら強いチームでも、あれでは台無しだわね」。確かに、微妙な判定に対しては、抗議的な態度があった。国際大会では、監督のパフォーマンスとして特に咎められないが、高校生の指導者としての態度としては青森県の人たちには受け入れられなかったのであろう。
 全体的に総括すると、個人的ではあるが、実力で分類するとベスト4は、東龍、古学、下北沢成徳、九州文化、8は誠英、春共、市船、大和南であろう。東龍、古学の2強を倒すにはサーブとブロックのシステムを強化することであろう。春高バレーが1月開催になったことで、このインターハイは新人戦の様を呈してきた。このあと、2週間後の全国私学、10月の山口国体に各監督達が3年生をどう使うのか頭を悩ませる日々が続く。
 夜10時に東京駅に着き、私も久しぶりの我が家に戻った。日付が変わって、静岡県で地震があった。東京も震度3で揺れた。天災は、もう十分だ。1週間後にFIVBコーチコース受講で新潟県魚沼市に入るが、大雨の被害はどうだったのであろうか、気がかりである。明日から出社。電車で新聞をじっくり読める日々が始まる。

7/31(日) 北東北インターハイ 女子バレー 4日目




 ベスト4が決まった。第1,第2シードの古川学園、東九州龍谷は危なげなく進出してきた。他には、千葉県代表の市立船橋が大和南に逆転勝ち。もう1チームは、第4シードの共栄学園との姉妹校対決を制した春日部共栄。
 市立船橋は関東大会準決勝で県立大和南にフルセットで勝利したが、今回も同様の逆転劇となった。圧巻は、1年生で156cmの小さな大エースの活躍であった。サージャントジャンプ63cmの脚力を生かし、味方攻撃陣の陰に隠れての移動攻撃をするかと思えば、助走を行かしたレフトから正攻法のスパイクを放つ、胸のすくようなプレーが目立った。更に、この選手はサーブでも低空サーブを連発し、大和南のレシーブ陣を乱した。サービス実行前にボールを小さく数回バウンドさせ、8秒ルールを最大限に使って相手レシーバーのリズムを乱す焦らし戦法には恐れ入った。大和南は、サウスポー2年生のライトエースにもう少しトスを集めたほうが良かったのではないかと思った。ストレート打ちが少なかったのは残念。サイドアタッカーにとって、ストレート打ちは基本中の基本である。ストレート打ちが出来ないと、ブロックアウトが取れない。唯一の県立高校が消えたのは残念。
(画像は、夕方から始まった八戸市の三社大祭前夜祭。大和南の前監督の飯塚先生と一緒に横で見ながらみろく横丁で夕食を採った)