2008年9月30日火曜日

毎週火曜日は我がソフトバレーチームの練習日

 今夜は、船橋市のはずれ、ほぼ習志野市の近くにある大穴中学校を本拠地とする総合型地域スポーツ大穴クラブのソフトバレーの部の練習に行った。先週、私はお休みしたのであるが、それだけで「あら、わたなべさん、お久しぶり」なんて調子で声をかけてくる輩もいる。「わたなべさん、寂しかったわ・・」なんてひと声もあってよさそうなものだが、監督の私に似て皆さん一声にささやかに毒がある。もっとも、「寂しかった」なんてのも一寸気持ち悪いが・・・。
 最近、若い人が4人入部した。これは6月に行った船橋市主催のソフトバレー教室(7回)の賜物。教室の会場を我々の本拠地の大穴中学校になるように市の生涯スポーツ課に働きかけた結果である。10年前は出場した市の交流大会や県大会、関東大会は優勝か準優勝であった。全国でも優勝した。最近は私をはじめメンバーがベテランになってきて平均年齢が上がってきた。練習で活気が出なくなってきた。
「部員募集作戦」はそんな状態の時に、今年度の市の教室の話がきた時に本拠地で教室をやろうとアイデアが出た。チラシも作り、地域の学校にも呼びかけた。100枚配布した。市の広報紙でも募集がかけられた。結果、18名が集まってくれた。
 ソフトバレーは地域の100名に1名しかその存在を知っている人はいない、と私は認識している。船橋市ソフトの部も、千葉県連盟も、日本連盟も普及と広報の努力がまだまだ不足と感じている。楽しいから、特別な働きかけをしなくとも自然と愛好者は増えると一部の役員は考えているが、ことはそんな単純なものではない。まずは、広報活動だと私は考えている。ソフトバレーボールの存在をメディアを通じて多くの人に知っていただくことが必要だ。各都道府県には指導普及委員会はあっても、広報委員会はない。委員会でなくとも広報部のレベルでもよい、字の如く「広く報道し、知らしめること」が求められている。まずは身近の行政(生涯教育課とか生涯スポーツ課など)に働きかけ協同で教室開催の企画を相談されてはいかがであろうか。教室が開催されれば、受講者でチームやクラブを作るきっかけになり、そして地域の連盟ができていく。

2008年9月29日月曜日

栃木県宇都宮市に向かう車中で

 先週の27日、28日の週末は勤務先の営業の応援で栃木県宇都宮市に行って来た。宇都宮に行くには、上野駅に行き、そこから快速ラビット号で1時間半、東北線を北上していく。
 土日で乗客の少ない早朝の時間帯、途中の駅から3人連れの60歳前後と思しき女性達が乗り込んできた。それからの会話が凄かった。何が凄かったかというと、アクセントがどうも栃木弁らしいのだが、「・・・ごじゃっぺいってんじゃねえ(なに馬鹿言ってんの)」から始まり、その3人のおばさんたちが3人同時に話しはじめたから、言葉が重なり、和音は和音だがあれは不協和音というのであろうか、とにかく人の話を聞くと同時に自分の主張を繰り返している。一体どこで息継ぎするのか、聞こえてくるこちらが息苦しくなってくる。栃木弁の特徴は,最後の方でイントネーションが尻上がりに上がってくるのであろうか,これで終わりというリズムではない。本人達は内緒話のつもりなんだろうが、結構声も大きい。しかし、方言と3人同時会話進行形で内容がまったく聞き取れない。 おばちゃん達の聴覚能力恐るべし。
そして、30分ほどでおばちゃんトリオは下車し、車内にまた静寂が戻ってきた・・・。
 今週木曜日は、我がママ(我侭ではありません)さんチームの秋季県大会、そして週末は長野県北志賀高原にて1泊2日のママさんバレーのクリニックを元全日本監督と選手6名+私で開催する。昨年度のこのクリニックに、中田久美さんがゲストで出演、今回は元全日本の中富さんがゲストで出演する。北志賀高原は寒いだろうなあ・・・。

2008年9月26日金曜日

9月もあと5日で過ぎて行く





















最近の世相が目まぐるしく展開しているからなのか、月日の経つのは早いものだ。毎日毎日、本人としては精一杯頑張っているつもりだが、客観的に見ると、もっとできるはずと自分自身を励ましていることが逆にやる気を失わせている原因にもなっている。人間とは厄介なものだ。もっと、楽観的になって、少しのことでも「良くやった!」と自分自身を誉めてあげた方が良い循環になるかもしれない。お花でも見て深呼吸してからもう一つ仕事を片付けて、外出しよう。
 今夜は、ママさんバレーの練習試合だ。来週、千葉県の秋季大会が始まる。そろそろ我がチームも3回戦常連になりたい。ママさんは、指導しがいがある。上手な人を更に上手にするのも指導だが、なかなか上手にならない人をあきらめずに指導するのも指導と考えている。来年の4月には全国大会の予選が始まる。あと7ヶ月。あきらめないのも指導力の一つ。
(画像は、F.Kさんが送ってくれました。「ほととぎす」という名の花です。赤紫色の斑点が、野鳥のホトトギスの胸の模様にそっくりなため、同じ名前になりました。10月6日の誕生花です。)

2008年9月24日水曜日

久々に大学院のゼミに出席

 現在休学中の夜間大学院であるが、来月は中間発表会というのがある。これは、修士論文提出のためにはタスク(義務)である。中間発表会提出用の「抄録(内容を簡単にまとめたもの)」を手直しするためにも、ここはゼミに出席してチェックしておかねばならないと、秋分の日の昨日、昼から茗荷谷にある東京キャンパス(旧東京教育大学キャンパスの一部)に出かけた。実は、ここには私が卒業した放送大学も隣接している。
 ゼミとはドイツ語のゼミナールの略。大学の教育方法のひとつで、教授などの指導のもとに、少人数の学生が特定のテーマについて研究し、報告・討論するもの。演習。ゼミ。英語でセミナーともいう。各人が発表した内容に出席者がどんどん突っ込んで質問してくる。用語をいい加減に使っていると、その用語の定義は?と容赦がない。昨日は、卒業して博士前期課程に進学の決まった先輩(といっても私より当然、年少者)からも矢継ぎ早に質問がきた。3月以来、休学して研究を怠けがちなこちらはしどろもどろになる。昨年、その先輩が在籍していた時は、私に「女性との話し方を教えてください・・・」と懇願してきた同じ人間とは思えない突っ込んだ質問が雨のように降り注いできた。しかし、これこそがレベルの高いゼミなんですね。研究して何がわかったのか、何が問題なのか、その場で明確にさせる作業がゼミだ。出席者8名の中で、身が細る思いであったが、夕方終了したときは充実感(開放感?)があった。そして、先ほどの年少の先輩が「渡邉さん、統計手法でお困りの様子ですからお手伝いしますよ。渡邉さんの『島嶼におけるソフトバレーボール交流によるコミュニテイの連帯感醸成に関する研究』には思い入れを強く感じました。その思い入れを客観的に研究すれば必ず修論はできますよ」と、にこにこしながらアドバイスをくれた。持つべきものは同窓、学びの社の仲間ですね。

2008年9月22日月曜日

公認リーダー養成講習会で長野県大町市へ

                  
 お彼岸ですね。お墓参りは済みましたか? 
さて、20日(土)、21日(日)と日本バレーボール協会公認ソフトバレーボール・リーダー養成講習会で長野県に行ってきた。会場の大町市(おおまちし)は、長野県の北西部にある人口3万人ほどの市で、立山市黒部アルペンルートの長野県側玄関口として有名。市の西部には標高3000mの広大な北アルプス、東部には1000m近い山々がそれぞれ連なる 。中央線終点の松本駅で出迎えてくれたのはスキンヘッドの一見強面(こわもて)風の県連盟審判委員長の斉藤さん。自家用車で会場に着くまで小一時間の間、斉藤さんに大町市のことを解説していただいたが、1 0月には紅葉が始まり観光客もこれから多くなってくるということでした。
 長野県ソフトバレーボール連盟のチーム登録数は、昨年度の統計によると全国第2位の226チーム(クラブ)を誇る。今年度から始まった個人登録制度の影響で昨年度よりやや登録数は減ってはいるが、それでも昨年度の8割程度は登録している。日本バレーボール協会の個人登録制度は日本ソフトバレーボール連盟としても今年から始めたばかりで、現場は登録方法のIT化など多少の戸惑いを抱いており、全国規模でみても昨年度の登録数を確保していない状況である。しかし、ここ長野県ソフトバレーボール連盟においては、登録推進の際して役員の方々の並々ならぬ努力と工夫があり、昨年と比べて2割ほどの減であるが、毎月数チームの登録復帰があるということだ。来年度2年目の登録制度の推進に向けて、成功事例として長野県連盟の登録していただく努力と工夫を日本連盟の理事会で報告したい。
 さて受講の様子であるが、受講者46名は全員まじめな方が多く、そして質問が多く活発な講習会となった。初日の講義を終えて役員さんと夕食会になったが、役員の方々も熱心な方が多く、話は弾みっぱなし。特に会長の北村先生は、以前高校の教員であったので、お話がお上手で、バレー談義がソフトバレーから日本協会の審判委員会のお話や母校の東京教育大学のお話、北信越の国体予選のお話と際限なく楽しく続いた。お国自慢になるが、長野県バレーボール協会の会長が元首相の羽田孜さんであることは意外と知られていない。
 来年度、長野県にて全国ソフトバレーボール・ファミリーフェスティバルが開催される。北村会長、一岡理事長の率いる長野県連盟であれば成功裏に開催されることは間違いない、と確信しながら帰りは長野駅から新幹線で帰京した。
(画像は愛読者の花屋さんを営んでいるF.Kさんからの彼岸花です。彼岸花は別名「天上に咲く花」を意味する「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」とも呼ばれます。)

2008年9月18日木曜日

久しぶりの大阪


 昨日は久しぶりに大阪に日帰りで行ってきた。勤務先の新プロジェクト会議を淀屋橋の本店で行った。
 淀屋橋というところは大阪の行政・金融の中心街で、新大阪駅から地下鉄で10分と近いところにある。その昔、戦国時代から江戸時代にかけて淀屋という米問屋が日本の米問屋の中心的役割を果たし、その淀屋が作った橋の為に淀屋橋と名づけられたという。
 東京駅を早朝の新幹線で出たわけだが、やはり眠い。新聞2紙を読んだら名古屋駅まで1時間ほどうつらうつら寝てしまった。新大阪駅まで新プロジェクトに関係する資料作成のために「解剖学」のおさらいをした。新プロジェクトでは、「解剖学」「生理学」「運動力学」の知識がないと推進できないからだ。
 定年まであと数年残すところまで来たが、新しい仕事を与えられるだけで幸せと思っている。しかし、あと何年と数えるより、今からスタートと考えている自分がいることを自覚している。入社以来、バレーボール一筋で仕事をさせていただいた。まだまだやることは山積している。人の役に立つためには、更に学習を継続させなければいけない。
 明後日から2日間は、長野県にてソフトバレーボール・リーダー講習会の講師活動が待っている。長野県は全国で3番目に登録チームの多い県である。長野県ソフトバレーボール連盟の役員・受講者たちから元気な長野県ソフトバレーの秘訣を学習させていただく。

2008年9月15日月曜日

関東大学女子1部秋季リーグ戦と20数年ぶりの再会


 久しぶりに青山学院大学の体育館に行ってきた。この秋は北京オリンピックの関係で通常8チームでやってきたリーグ戦を2部の1位と2位を入れて計10チームで行われている。観客席に座って東海大学男女バレー部の部長である成田先生とお話をしているといろんな人が挨拶に来てくれる。知り合いの学生、学生の親御さん、小学生バレーの指導者など。
 中には20数年ぶりに会った人がいた。「阿部さんですよね」と声を掛けてきた女性は、見たことがあるようなないような人であった。「都立江東商業高校時代に教えていただきました」。その一言で思い出した。。あの当時、東京都男子高体連男子バレーボール専門部部部長に高橋末光先生という方がいらっしゃって、ずいぶんと可愛がっていただいた。その縁で男子部の監督さんたちと懇意にさせていただき、私の仕事に大きな助けとなったものでした。その高橋先生から誘われ、週1は会社帰りに亀戸駅を 途中下車して学校に行き練習手伝いをやっていたのです。阿部というのは私の旧姓です。彼女の娘さんが東海大学に今春入学したとのことでした。ご主人は実業団名門バスケットチームで活躍していたということも聞きました。職場結婚ということでした。しかし、よく私の顔を覚えていたものです。つまりは、私は20代の頃から今の顔だった、老け顔だったということですなあ・・・。
 それにしても、観客の少なさも20数年前から変わらない。観客の90%以上は父母の方たちだ。ゲームの内容はレベルも高く、観て楽しめるものだけに、プロモーションに力を入れれば一般の観客の増加は見込めると私は判断した。学連の大学生たちのパワーを発揮して欲しいな、という期待を抱いて体育館を後にした。
(画像は私が35歳の時、確かに今でもこの写真は通用する・・・ムム)

2008年9月14日日曜日

NHK大河ドラマ「篤姫」の魅力


 毎週日曜日の夜は、結構「篤姫」を観ている。視聴率は25回連続20%を超えて、NHK大河ドラマでは過去最高ということだ。主役の宮崎あおいちゃんも清楚で可愛いくて良いが、脇役もNHKならではのベテラン俳優さんを揃え重厚な雰囲気を出している。私が好きな場面は、日本の歴史の中で大きく変わる幕末の歴史上の出来事、歴史上の人物が出てくること、そして幼馴染の篤姫と帯脇の表に出せない恋心など、バックの音楽がまた何とも場面にあって感情を揺るがす。
 明日は青山学院大学で行われている関東大学女子バレー1部秋季リーグ戦に行ってくる。全日本女子バレー強化委員長の成田先生にお話がある。また、筑波大学元男子バレー部監督で名誉教授の杤掘先生にお会いできるかもしれない。直接会ってお話ししないと通じないことがたくさんある。

全国ソフトバレーボール・レディース&メンズ交流大会




 一昨日の9月12日(金)から14日(日)までの期日で、標題の交流大会が始まった。私は実行委員会のメンバーとして昨日会場の神奈川県藤沢市にある秩父宮記念体育館に行ってきた。参加チーム計96チームにコート総数12面は少ない気もしたが、交通の利便性、宿泊のホテルの確保などを考慮すると、この体育館が最善であったのであろう。全国大会だけでなく大きな交流大会を開催する場合、会場の確保は最大の必要条件である。開催地の役員が一番頭を痛めるところである。次に予算の獲得。チームの参加料だけでは大きな規模の交流大会、想い出に残る交流大会の運営は難しい。開催地の行政の支援が必要だ。

 スポーツは地域を活性化させる力を秘めている。今回の開催地である藤沢市は地域活性化というのには、人口50万近くある中核都市なので地域という名称はそぐわないのであろうが、少なくとも参加者・関係者約700名の交流を通じてお互いの地域間交流には大きな役割を果たしていると確信した。
 夜の交流パーティでは宮崎県をはじめ多くのチームが地元自慢、宣伝活動を舞台の上で繰り広げた。最後に紹介のあった山形県からは酒田市のチームが挨拶に立った。来年は酒田市でこの交流大会が開催されることが決まっている。実は、酒田は私の故郷。人口10万人ほどの市だが江戸時代は紅花を大阪に運んだり、大阪や京からは上方文化が流入したり西回り航路として栄えた港町であった。私が24歳の時、記録に残るほどの大火で多くの商店が疲弊したが、母校の甲子園出場、NHKおしんの舞台になったことなどで少しは全国に知られるようになり少しずつ回復してきた。来年のこの全国大会をきっかけに故郷をスポーツで更に活性化することに僅かでも貢献できるように頑張っていきたい。

2008年9月12日金曜日

愛知県岡崎市ママさんバレー教室開催

 会社の業務で岡崎市のバレーボール教室に行って来ました。9日の火曜日の夕方に新幹線で移動したので、毎週火曜日練習日の船橋市の我がソフトバレークラブの練習に参加できず、練習を期待していた新入部員には申し訳ないことをした。それとも私がいなくて清清して練習を行っていたかも知れないが。
 翌10日、午前中に毎週水曜日岡崎市は登録チームから希望者を集って教室を40年前から開催している。この日も4面のコートに約100名のママさんが集り、私も指導のお手伝い。午後からはヨーコ・ゼッターランド、広瀬美代子、大谷佐知子のオリンピック銅メダリスト達も集り、受講者も交代して97名の受講者を対象に正式な教室をスタートした。
 大谷さんとは8年ぶりぐらいに再会したが、高校2年生で全日本に入った逸材の片鱗はまだ残っていた。あの当時は、大谷、宮島恵子、廣紀恵の高校生トリオと騒がれたものであった。大谷さんは現在40歳を過ぎ2児の母親という。帰りの車中で、新婚であるが子供さんのいないヨーコに、子供を早く作りなさい、人生観が変わるわよ、と例の大阪弁でまくし立てていた。

2008年9月8日月曜日

JVA公認講師研修会と神白杯ママさんバレー大会


 ここ1週間ほどこちらのブログ、お留守にしていました。まとめて報告します。
まず、8月30日、31日と年1回開催されるJVA公認講師・日本体育協会公認上級コーチ・コーチの研修会がありました。有意義な研修会でした。特に全日本男子強化委員長で北京オリンピックバレーボール団長の萩原先生の報告は納得のいくものでした。6月に最終予選を行い、その2ヵ月後にオリンピック本番を迎えても実力は十分に発揮できないものだ、との発言はその通りと思いました。全日本男子はあの最終予選のときがピークだったのですね。本番直前の最終予選に出場するチームでは本番でのベスト4以上には進出できないということです。このあたり、ロンドンオリンピックに向けての対策として、アジア予選は本番1年前にやることがアジア勢が上位進出する為の一つのポイントであると認識した次第です。
 昨日の7日(日)は埼玉県草加市にてママさんバレー大会に招待され行って来ました。第9回神白杯ママさんバレーボール大会という名称です。私が指導している千葉市のママさんチームがはじめて招待され、全国でも強豪チームの多い埼玉県と東京都から24チームが集りコート4面で開催されました。我がチームは1セットも取れませんでしたが、メンバーは今年初めての県外でのゲームで貴重な経験をさせていただきました。上位チームとの違いは、①サーバーが1番から5番まで優秀でスピードサーブや後方からの変化サーブをビシビシ打ってくる②前衛のアタッカーが3人は揃っている③アタックができるということはブロックもできるということで相手の強打のアタックをワンタッチでボールの勢いを和らげてトスをしやすくしている④ブロックのワンタッチをきちんとトスにしている⑤チャンスボールを正確にセッターにオーバーで返球している。以上5点が目立った点ですね。
 神白(かじろ)杯の神白さんは、旧姓飯田さんという。1976年のモントリオールオリンピック金メダリストで主将のあの飯田高子さんである。 中京大学出身の当時初めての大卒での全日本選手でした。その飯田さんから開会式の前に画集を頂いた。水彩画の絵であったが、飯田さんの飾らない透明な心がそのまま画風に表れている爽やかな画集であった。画集の始めのほうには現在も指導している県内のママさん3チームとの記念写真もあり、そこの1枚になんと私も一緒に並んで写っているではないですか。光栄ですね。
 飯田さんのように金メダリストでありながら、草加市や三郷市で地域のお母さん達のために活動しているアスリートの方を私は他に知りません。12月には地域の中学生のために教室を開催するとも聞きました。オッと、今しがた、その飯田さんから電話が入ってきました。昨日の大会の原稿を読売新聞の地域版に送るので、私の正式な肩書きを教えてとの事でした。(配慮される方ですね・・・)
 何はともあれ、飯田さんはコート上でも金メダル、そしてコート外のもっと広い地域でも金メダルを獲得しているのですね。まいりました。 (画像は最近の神白高子さん)