2016年12月30日金曜日

Dec.30,2016   ゆく年くる年

日本で年末を迎えるのは3年ぶりです。

未来は予測できませんが、良い未来が来ますように日々精進するのみです。

私のことを必要としている人たちがいることはありがたいことです。
ともに手を取り合って、励まし合って進んで行きたいと思っています。

2日後は新年です。

残された時間の始まりです。

ここのブログのコーナーを通じて、皆様方にはいつも励まされてきました。

佳きお年をお迎えください。


Dec.23,2016   カンボジア再訪の打ち合わせ

2月7日から16日までカンボジアに行ってきます。きょうはそのための3度目の打ち合わせを新橋で行いました。

打ち合わせに出席されたのは、企画されたテレ朝の宮嶋さん、カンボジア現地で地雷撤去活動をされている高山さん、そして私の3人です。

カンボジアとタイの国境近くに地雷は未だに数百万本埋まっています。高山さんはカンボジア内戦後にPKO(国連平和維持活動)のために自衛隊員として現地を訪れました。その後も日本とカンボジアを行き来して、現在では地雷撤去だけでなく、現地の農民が安定した収入を得られるような農作物の指導や子供たちのための学校建設にも尽力されてきました。

私の役目は、現地に入り、地雷撤去後の土地にバレーコートを3コート作り、地域住民と日本の女性オリンピアン3名が一緒にバレーボールを楽しむというイベントリーダーです。

現地に入るまでに、私は『バレーボールを楽しむ』テキストブックを作成します。英語とカンボジア語で作成します。

Dec.16,2016   2024オリンピックの開催地は?

私は、2020年東京オリンピックの次の開催地に興味を持っています。

国際オリンピック委員会(IOC)は、2024年夏季五輪の候補都市を正式発表しました。ロサンゼルス、ハンブルク、パリ、ローマ、ブダペストと強力な5都市が揃いました。開催都市は2017年に決定されます。

ロサンゼルスは1932年と84年に続き3回目の開催、12年にも立候補したパリは1924年以来、100年ぶりの開催を狙います。2020年大会の立候補を見送ったローマは1960年以来2回目の開催を、ブダペストはモスクワに次ぐ、東ヨーロッパ2回目の開催を目指しています。ハンブルクは選手が徒歩で会場間を歩ける市内での大会を提唱し、ベルリンを抑えてドイツの候補都市に選ばれました。

私の予想は、パリが開催地に選ばれると思っています。根拠はありません。パリに決まれば、フランス語が得意な私にとって今以上に活躍の場が広がるかなという単純な理由です。

2016年12月25日日曜日

Dec.11,2016   新潟県高校女子チームの強化合宿に参加

新潟県の高校教員で、その先生が大学生のころからお付き合いさせていただいている親しい先生がいます。

その先生が、2年前に他の高校に異動し、女子バレーボールの顧問となりました。私がカンボジアから完全に日本に帰国したことを知ったその先生は、私に合宿に来ないかと連絡をくれました。

生徒達への指導の御礼は、美味しい新潟県の地酒です、との言葉に誘われ9日から11日まで現地に行ってきました。

この時期、新潟県はまだ雪が積もっていません。それでも、新潟県は寒いですね。

新チームは下級生が多いのですが、中学からの経験者が多く、1月に開催される県新人戦においてもベスト8以上の進出は間違いないように思われました。

練習後の食事では、地元の料理が一番美味しいですね。学校の近くにある温泉で朝風呂にも入りました。バレーボールの練習、地酒、地元の食材を使った料理、温泉、そしてバレーボールが大好きでもっと上手になりたいと意欲のある生徒達。おっと、全国大会出場を狙っている情熱的な顧問の先生も忘れてはいけません。

そんな素晴らしい環境で過ごせた3日間に感謝します。1月末の県新人戦でチームの活躍ぶりを直接観戦したいですね。

Dec.08,2016   喪中はがきで訃報を知る

12月になると年賀欠礼状(喪中葉書き)が多くなります。

その中に、最愛の奥様が長期の病気療養後にお亡くなりになった訃報のお手紙が知人からありました。もう1件は、愛しいご子息に先立たれた訃報の葉書きが、やはり親しい人からありました。

年長者が順番にお亡くなりになるのは、自然の摂理であり、悲しくとも致し方ないものです。しかし、その順番が逆になるのは、なんとも哀しいものです。

合掌

2016年12月22日木曜日

Dec.06,2016   茨城県のソフトバレー関係者と会いました

本日は、久しぶりに都心に出ました。

目的は、2つありました。1つは、母校の大学院に行き修了証明書と成績証明書を発行してもらうこと。もう1つは、茨城県で精力的にソフトバレーの普及のために活動している望月さんという古くからの知人とお会いすること。

証明書が必要なのは、来年2月の大学院後期博士課程を受験しようと考えているからです。大学院後期博士課程を受験するためには、まず希望する専攻の指導教官を選び、その先生の受験許可を得ないと受験の申し込みができないシステムになっています。

先週3日間かけて数名の指導教官の先生の中から、私の専攻(コーチ学チーム戦術論)に近く、一番厳しそうな先生を選ばせていただきました。そして、その先生と来週の12日に大学キャンパスの研究室で面談することが決まりました。

大学院を出て、ソフトバレーボールの望月さんとは、お茶の水のイタリアンレストランでお会いしました。そのレストランのママは、以前、私が指導していたママさんバレーチームのメンバーです。

パスタを注文しましたら、薫り高いコーヒーがサービスされました。さすが教え子ですね、気が利きます。

望月さんは、退職後も専門の化学の知識を生かし、数か所で講師を務めています。日本卓球協会にも用具開発の面で協力しています。2月に、もう一度お会いして、その時には二人で日本卓球協会に訪問することを約束しました。卓球もバレーボールも同じネットを使う競技です。何か面白いお話が聞けるかも知れません。今から楽しみにしています。

Dec.05,2016   高校部活は試験1週間前になり休部

通常の高校部活は、試験1週間前から休部になります。

試験1週間前と試験当日3日間、そして休日の合計日数12日間、練習ができないことになります。

勉強でもスポーツでも、共通して大事なことは、継続することです。特に初級から中級レベルにいる生徒たちにとっては、体育館から離れることは、今まで獲得した12日分の成果を12日間で失うことになります。

そこで、損失を少しでも補うために、勉強に差し支えない程度の体力トレーニングを生徒たちに課しました。1日おきで、散歩を含んだ自宅でのサーキットトレーニング(8種目)を与えました。春高バレーの昨年の決勝戦をたまに見ることも勧めておきました。

試験明けの14日には、練習再開しますが、彼女たちの体力とバレーボールのリズム感が確実に減退していることと思います。さて、どこまで落ちているか不安です。しかし、他の高校部活も同じような生活をしている訳です。指導者には試験期間中の体力を保っておくための工夫が求められています。

2016年12月20日火曜日

Dec.03,2016   バレーボールを通じての国際交流

本日は、日本バレーボール協会主催の指導者研修会を千葉県バレーボール協会指導普及委員会の主管で国立木更津高専にて開催しました。



この研修会は日本体育協会指導者資格の更新も兼ねていますので受講者は午前が13名、午後は更に学生10名が追加になり計23名が出席しました。

講師は4人で、私も講師陣に加わりました。日本に帰国した私にとっては、最初の座学です。

スタートは私が「カンボジア・ナショナルチームの指導報告」というテーマで務めました。2番手はJICA国際協力機構 青年海外協力隊事務局で体育・スポーツ関係に従事されている専門家です。
彼女自身が青年海外協力隊出身です。神奈川県の中学校の教員を辞めて協力隊に参加し、その後、英国の大学院に進学、そしてJICAに就職したということでした。

3番手はバレーボール指導者向けの雑誌を発行されている河部さん。最後は栄養学を学んで7時間の講義を終了しました。

2020年東京オリンピックを契機にスポーツの国際交流への関心はますます増加していくものと考えられます。必要としている人に、必要な、正しい情報を今後も提供していくことは官学民が協力して行っていくことだと考えています。

Dec.01,2016   愛媛県からの訪問者

3日前に愛媛県の高校教員の方からメールで連絡が入りました。

この方とは、8月の日本バレーボール協会主催指導者研修会(大阪市)の会場でお会いしていました。1泊2日の研修日程でしたので、夜は元日立、元ダイエーの選手達(現在は指導者)3名と他の男性指導者3名を誘って夜の大阪市内に繰り出しました。
(私を恫喝?しているこれらの女性たちを知っている方はバレーツーですね)

その愛媛県の高校教員の方が私に会いたいというのです。理由は、海外でバレーの指導をするのが若いころからの夢であった、ということでした。その先生は現在50歳代です。春高バレーなど全国大会にも出場しています。

私はその先生に現職でも休暇制度を取って半年ほど指導できるJICA国際協力機構シニア制度があるという情報をお伝えしました。その先生に必要な条件は、語学と健康です。明日から毎日、英語を学習しますというお言葉を頂いてお別れしました。

私が60歳過ぎてから海外に行ってバレーボールの指導をしたことが、中高年の方々の刺激になっているのかわかりませんが、同じような年代の方が海外に行って頂けることは私にとっても嬉しいことです。