2012年2月1日水曜日

2/1(水) 2月を迎えて

さあ、2月だ。2月は私の誕生日のある月。定年退社まで、あと38日の始まりの月。節分がある月。それにしても、日本海側をはじめとして積雪が異常に多い。寒いだけならば我慢できるが、雪の事故は避けたい。家の玄関や窓から外に出れなくなるほど、今年の降雪は多いという。被災地では冷たい風も吹き続けているという。早く春が来て欲しい。
 一昨日に引き続き、きょうも午前中からソフトバレーの本の取材が6時間、昼食を挟んで続いた。昼食は、近くの明治大学本校ビル17階の学食に編集者2名を誘い採った。価格も安く、ボリュームもあり、2人は満足したようだ。午後は、取材の場所を喫茶店に替えてソフトバレー特有の技術の説明をした。中学生でも理解できるレベルで説明しようと考えている。
 次回は、来週月曜日に、また6時間ほど取材にくるという。今度は、どこで昼食を採ろうか?

2012年1月30日月曜日

1/30(月) 取材を受ける

取材を受けたと言っても、新聞や雑誌の類ではない。それだったら、どんなに楽で良いか・・・。今月に入って、「ソフトバレーボールの本」が出版されることをここのブログでも伝えた。編集者がソフトバレーを見たことも、やったこともないというので、先々週から2回、墨田区のジールと言うクラブで体験して頂いた。練習後の懇親会(飲み会?)も含めて、これがソフトバレーの正しい?楽しみ方である(笑)、と解説した。その編集人は、「また、来ます!」と、すっかりソフトバレーの虜になったようだ。
 そして、本日から3日間10時間ほどかけて私に取材して編集作業に入るとのことだ。私の方は、1ヶ月後に定年を控えて、まだ有休があるので、幸いに取材に十分対応できる。
 面白いソフトバレーの本ができそうだ。このブログの読者で、こんな場合の練習法はどうしたらよいかなど、ご要望があればコメントを寄せてほしい。お願いします。モデルも募集しています。ただし、墨田区立体育館で撮影するので近場の人が宜しいですね。カメラマンも一流なのでカラーでバッチリと顔の表情の隅々まで写されることを覚悟しておいてくださいね。画像が満載の本なので解りやすく、4月の発売が楽しみだ。

1/29(日) 投稿数 666回を記録しました!

2009年5月から、グーグルでブログを再開して、今回で666回となった。特別な思いはないが、なにか数字の面白さがある。
 きょうは、Vチャレンジリーグの総当たり1回戦終了での1位2位を決める大事な試合があった。また、全国的に高校バレーの新人戦決勝も行われた。私は、躊躇なく、Vチャレンジの会場の一つである茨城県結城市に向かった。会場は、先週ソフトバレー交流大会でも訪れた鹿窪(かなくぼ)体育館である。但し、きょうは電車で向かった。小山駅で接続に45分もかかることがわかった。次の駅まで電車で8分なのに・・・タクシーで行こうと思って、結城市のバレー界の親分である望月さんに電話をして、車で行ったらどのくらい時間がかかるか尋ねたら、「迎えに行くから待っててね」ときた。さすが、義理と人情の望月さん!思いがけず、早く体育館に着くことができた。
 ゲームは3試合行われていて、3試合目が、1位2位を決める重要な試合の上尾メディカル(埼玉)と日立リヴァーレ(茨城)の対戦であった。先の2試合は、正直言ってレベルは今一つの感があった。しかし、これは、指導者のレベルではなく、チーム環境が、十分に整備されていないからであろう。練習時間は高校・大学時代と比べて半分以下の練習量であろう。シーズンオフだと、週に2回から3回の練習日しかないというのがVチャレンジのほとんどのチームの実態であろう。
 2ゲームが終了して、休憩の合間に、GSSサンビームズ(東京)の主将を務めているミナミが本部席に座っている私を見つけて、椅子の側に膝を付けてしゃがんで話かけてきた。彼女は、大和南高でミドルブロッカーとして活躍し、東海大学に進学した後も活躍した。
 「幾つになった?」
 「25です」
 「そうか・・・もう少しできるな!?」
 「はい。もう少しやろうと考えています。ただ、私にとっては、シーズンオフには練習量が少ないので、飯塚先生が監督をやっている相模女子大に練習行っています」
 この日は、彼女のお母さんも娘の応援に見えていた。更には、大和南高の卒業生で東海大学を今春卒業する河野も柏エンゼルクロス(千葉)に就職するとのことでチームと一緒に来ていると聞いた。河野(こうの)は、12月のインカレでレフトに抜擢されて大活躍した。彼女が中学生で高校に入学してきた時もパワーだけはあったが、現在はVプレミアでも十分通用するだけの高さとスキルも身に付けている。これからますます期待が持てる選手だ。
 第3ゲームが始まる直前に、新潟県立中央高校女子バレー部監督から電話があった。県新人戦の決勝を先ほどやって、初優勝しました、とのことであった。私は、昨年末の28日から3日間、年が明けて7日から3日間、合宿と練習試合に一緒にいた。そして、ある程度の手ごたえを感じていた。
 「おめでとう。しかし、インターハイの予選は6月。新入生が入って、チーム力も新人戦と違ってくる。これからが、本当のスタートだから気を引き締めてやって行こうね」
 優勝の瞬間の子供たちや、親御さん達の笑顔が眼に見えるようだ。良かった・・・。
 さて、肝心の第3ゲームであるが、結果は3-0で上尾であった。日立はスタメンの多治見麻子も欠場して元気がなく、全日本エースの江畑も決定打が少なかった。

2012年1月29日日曜日

1/28(土) 船橋市バレー協会創立 50周年




 記念式典と祝賀会が夕方から開催され、私も出席した。会場は、西船橋駅から歩いて2分のところにある普段は結婚式場などで使われているところだ。西船橋駅近くに住む私にとっても好都合であった。10年前の40周年では、市協会の指導普及部員として活動していた私も表彰された。今回は勤務先のスポンサー活動に対して感謝状を社を代表して頂いた。出席者は300名ほどであったか、中学校の関係者が一番多く、次いでママさん、ソフトの順であった。

 私のバレー協会や連盟関係の役員のスタートは、ここ船橋市協会がスタートであった。40歳になった時に、当時の副会長であった雨宮先生(大穴中学校女子バレー部監督で県ベスト4常連)に夜の部のソフトバレーの指導を依頼されたのがきっかけであった。船橋市ソフト部の役員、千葉県ソフトバレー連盟の指導普及委員長、千葉県バレーボール協会の指導普及委員長、そして日本ソフトバレーボール連盟の審判規則委員長、日本バレー協会の審判規則部員と携わってきた。

 壇上での表彰式を見ながら、そんな20年前のことを思い出していた。そろそろ、次の世代へのバトンタッチの時期である。

 『権腐10年』という言葉がある。10年も同じポジションにいると、利権によってその人間は腐ってくる、という意味である。私には、今の役職にいても利権などは皆無であるが、大きな組織のトップに君臨するような人には、当てはまる言葉かもしれない。いずれにしろ、私は、今のポジションをあと1,2年で交代するために次の人材の育成に入っている。活性化していかなければ組織は発展していかない。発想を変えていかなければいけない。発想が変わらなければ、人そのものを代えていかなければならない。


(画像は、来賓挨拶での県協会名誉会長の新堀先生。私が初めて県協会の指導普及委員会メンバーに入った時に、当時会長であった新堀先生(千葉大名誉教授)は役員会の後、二人きりでの赤提灯での飲み屋にしばしば誘って頂いた。先生の口癖は「俺は日本選手団の団長を何回もやったが、全部が共産圏なんだよな・・・先進国なんか行ったことはない」。「先生・・・それは、失礼ですが、先生の頑強なお体は共産圏向けと日本協会がお考えになったからではないですか」。「渡邉君、君もそう思うかね・・・確かに、俺は何を食べても、選手は下痢しても俺だけピンピンしていたものな・・・ガハハハ」。3年前に、私は先生の母校の大学の大学院を修了して、先生の後輩となった。先生は、そのことを自分のことのように喜んでくれた。もうすぐ80歳になろうとしているが、60周年もピンピンお元気でいることであろう)

2012年1月28日土曜日

1/27(金) ロンドンオリンピック出場決定!

私は、1975~77まで北アフリカにあるアラブ人の国のTunisiaにいた。日本の外務省外郭団体である日本青年海外協力隊からの派遣で同国としては日本からの初代の隊員としてバレーボール指導に当たっていた。
 指導していたチームが国内で初優勝して、ナショナルチームのコーチに招かれた。ナショナルチームは、その年のアフリカ選手権やアラブ選手権でも優勝した。
 4日前にエジプトの首都カイロで開催されたロンドン予選を兼ねたアフリカ選手権大会でTunisiaは8年振りに優勝して、オリンピックの出場権を獲得した。TunisiaもEgiptも昨年春のアラブの革命で国内はまだ混乱しているはずだが、スポーツの絆を感じながらプレーしたことと思う。
 Tunisiaの今のプレーヤーは、私が指導していた時のプレーヤーが指導者になっての教え子だ。TunisiaからLondonは距離的にさほど遠くない。多くの国内指導者も応援に行くであろう。私も行きたくなった。

1/26(木) 企業スポーツの将来は?

きょうの朝刊各紙のトップに『NEC5,000人削減』と大きな見出しが出た。今期1,000億円の赤字になる見通しと2期連続の無配が遠藤社長から発表された。更に5,000人の業務委託も打ち切るということだ。
 2009年も3,000億円の赤字を出し2万人のリストラを実施した。この時、社長も現在の遠藤さんに代わり、男子バレーボール部も休部になった。しかし、事業環境の悪化に歯止めがかかっていない。10,000人もの人員削減をして、女子バレー部やラグビー部の存続に影響が出ない訳はない。
 女子バレー部は、現在Vプレミアリーグで全敗の最下位だ。業績不振のカメラのヤシカから選手達が日本電気(現.NEC)に移籍して30年近く経った。日本リーグでもVリーグでも優勝を飾り、数多くの全日本選手を輩出した名門チームだ。まずは、ここから意地を見せて全勝して欲しい。一戦一戦がトーナメントの気持ちで戦うことだ。
 我が国のスポーツ競技力向上は、学校部活、地域クラブ(柔剣道、スイミング、体操など)そして企業スポーツに大きく依存してきた。企業スポーツはバブルの崩壊以降、休部・廃部が相次いで発表された。海外は国が直接強化するステートアマや地域スポーツクラブが中心になって強化している。
 我が国の企業スポーツは更に衰退していく、と指摘する人は多い。特に、大企業はビジネスの活動が世界中、つまりグローバルな活動になってきているので、国内でしか人気のないスポーツには見向きもしない。サントリーやトヨタなどのような超大企業が企業文化としてスポーツを捉えている企業はほんの一握りだ。中企業では、その時の経営者の哲学でスポーツを支援しているが、経営者が代わればスポーツに対する支援はなくなる不安定性がある。
 スポーツが音楽や絵などのように我々の生活に欠かせない文化として定着させる努力を継続させていかなければ、企業スポーツはますます衰退していくであろう。

2012年1月25日水曜日

1/25(水) 定年後のVolleyball活動 その1



 スポーツメーカーのミズノに入社して33年が経った。途中入社で、同期がいないので、始めの数年は話し相手もおらず、がむしゃらに仕事をこなした。仕事は高校バレーボールのトップチームにミズノ品を売り込むことであった。当時は夜行列車で行き、夜行列車で帰ってくる出張を繰り返した。3年目あたりで、東北6県のバレーボール協会の主要役員、トップチームの監督さん達から声をかけていただけるようになり、ミズノ品も使っていただけるようになってきた。

 おっと、しんみりと昔話をして、あと1ヶ月と1週間後に迫った定年退職の日を待っている余裕はない。バレーボールの指導には、定年はない。今までは、スポーツメーカーで、バレーボール・マーケティングの世界で働いてきた。次は、バレーボール強化のための指導、普及のための指導者の養成・育成にプロフェッショナルとして働いて行く。

 本日、パートタイムであるが、東京アメリカンクラブ(TAC)のヘッドコーチの契約について話し合ってきた。東京アメリカンクラブは、アメリカ人と日本人のための会員制社交クラブとして昭和3年に港区麻布台に設立された。外務省認可の特例社団法人として運営されている。2年前にクラブハウスが規模も大きく建てなおされた。

 このたび、会員のアメリカ人の親御さん達からTACに子女である中・高校女子生徒対象にバレーボールを指導して欲しいと要望が出され、私の友人がその情報を私に伝えてきたというわけである。私も丁度、英語をブラッシュアップして国際バレーボール連盟公認コーチ、更にはインストラクターとして活動を希望していたところなので、グッドタイミングであった。

 契約書の内容を確認して、サインをして、早速、2月中旬から指導スタートになる。取りあえずは、金曜日と日曜日の夕方から2時間だ。指導は全て英語。きょうの話し合いの相手は、香港生まれの女性のアシスタント・ディレクターで、私に配慮して、日本語交じりの英語で話してくれたが、子供達に対しては100%Englishで指導しなければならない。得意のおやじギャグはアメリカンスクールの子供たちに受けるであろうか?こうなったら、青年海外協力隊スピリッツをもって、フランス語なまりの英語で頑張るっきゃあない!

(画像は、前回の撮影では暗くてよく分からなかったが、TACを出るとビルの谷間から見える東京タワーの優美な姿)