2010年12月30日木曜日

12/30(木) ソフトバレーボールのルールブック編集会議

 ルールの改修正は毎年行われている。日本バレーボール協会から毎年発行されているルールブックには、6人制を中心に9人制、2人制、4人制があり、年間4回ほど編集会議を行い、校正を行っている。私は日本ソフトバレーボール連盟からの代表で編集会議に出席している。本日は大阪で第3回の開催であるが、4人制のソフトバレーボールの校正は既にチェックして済ませているので、私は欠席させていただいた。代わりに大阪在住のソフト担当者に念のために出席して頂いている。
 日本バレーボール協会審判規則委員会規則部の任務の一つがこのルールブックの編集会議である。ルールブックの表記をもっと分かりやすくしていこうというのが編集会議の具体的な目標である。ソフトバレーはレクリエーション・スポーツである。レクリエーションであれば誰でも読んで理解しやすい表記でなければいけない。少しでもページ数を減らして薄いルールブックにしよう、読みやすい大きな字で印刷しよう、わかりやすい条文にしようと心掛けてはいるのだが、もう少し時間がかかるようだ。
 ルールではなく、大会参加資格であるが、全国レディース&メンズ大会の年齢区分の修正に対しての結論がまだ出ていない。1月の日本連盟の会議で結論を出さねばならない。多くの人たちが全国大会に無理なく出れるように修正していきたい。
 今年の年末は穏やかに過ぎて行って欲しい。1年の垢や疲れを捨て去り、新たな気持ちで新しい1年を過ごしていきたい。皆さまのご多幸をお祈りいたします。

2010年12月29日水曜日

12/29(水) 中学バスケット全国大会 bjカップ


 私にとって、本日が仕事納め。向かった先は、埼玉県春日部市。春日部駅から車で10分のところにあるビッグハット春日部が会場。春日部にもこのような立派な体育館ができていたんですね。バスケのコートがゆったり4面取れる明るく清潔な体育館です。 日本にプロ・バスケットボールがあるのは読者の方は知っていますね。日本にもアメリカのNBAのような華やかなリーグ戦を作ろうということでコミショナーの河内さん達が2005年に6チームで立ち上げたbjリーグ(Basketball Japan League)がそうです。2010年現在では参加チーム数が13チーム、観客動員数も100万人近くに増加してきました。このbjリーグの活動の一つに子供たち対象のアカデミー事業があり、中学生の全国大会を開催している。
 私の勤務する会社も協賛社の一つであるので、お手伝いに伺った次第である。最終日の本日は勝ちあがった男女4つのチームが中学生とは思えぬ華麗な動きで戦っていた。優勝チームはバスケット本場のアメリカ遠征がご褒美とあって白熱せざるを得ない。

 バスケットで行なわれているパスは、ほとんどフェイクを入れて行っている。このようなフェイクを私はバレーにもっと取り入れようと工夫している最中である。バレーのセッターのトスはフェイクそのものである。更に、2段トスにもフェイクを入れるとブロックを振ることができて面白い。スパイカーは当然フェイクだらけだ。強打と見せかけて軟打、ストレートに向いて、インナーに打つ、もしくはその逆。ブロッカーも上級レベルになるとストレートに手を出して、相手スパイカーがクロス方向に打とうとする直前にクロスを締める・・・など駆け引きが楽しめる。但し、相手もある程度のレベルでないと、駆け引きができない。初心者はボールしか見ていないので、上級者のフェイクにはまったく引っかからないので要注意である。
 さて、今年もこれで仕事納め。自宅の大掃除もやって、年賀状のプリントアウトもやって、カミサンの実家である千葉県旭市に3時間後に向かいます。
 皆さん、良い年をお迎えください。そして、更に充実した年にしましょう。新年は、5日開催の新・春高バレーのレポートから始まります。

12/27(月) 茨城県日立市にて高校女子バレー合宿


 27日から29日まで、日立市にある県内トップの高校に福島県、山梨県、そして遠方から奈良県、滋賀県の高校女子5チームが集まった。県内でベスト4以上のチームばかりである。この内4チームに共通点がある。実は、指導者が愛知県の大学の先輩後輩関係という点である。私が参加したのも昨年に続いて2回目。しかし、先輩後輩という関係だけで車で6時間も7時間もかけて関東まで来るであろうか?この先輩後輩関係の背景には何かあると私はにらんだが、個性派ぞろいの先生たちである。奈良県の先生は指導が始まると、大声でテンポの良い関西弁が体育館内に響き渡り、その声だけで関東の高校生達はビビってしまう。風貌もヤーさん風なので迫力がある。関東にはないキャラクターである。

 昨夜の食事会は、恒例の「あんこう鍋」。今頃から2月まで茨城県港町の魚市場には、アンコウが上がってくる。えらの下あたりはコラーゲンたっぷりな上に、身は蛋白でプリプリしている。身を食した後は、オジヤにして熱々のところをいただく。先週の厚木市にある松蔭大学での合宿には、近くに七沢温泉という露天風呂があり、今週は日立市にてアンコウをいただく・・・これらがなくて何の合宿ぞ・・・なんて、私もいいオヤジになったもんです。オヤジがオジヤを食べて満足かな。下手な句でした。

 来年は、この中から全国に出場するチームが出る可能性が高い。やはり、全国レベルのチームが合宿チームの中にいるといないとでは気合いが違ってくる。少しは私も合宿のお役に立てたであろうか。

(画像は、あんこう鍋。この日は我々だけで店は貸し切り状態であった。日立の高校チームのご父母OBが労を折ってこのような夕食会を開いてくれた。やはり、指導者だけではチームは強くならない。父母たちの応援、教職員の支援、卒業生たちの協力、地域の応援なくして子供達は育たない。バレーボールだけやっていれば強くなるものではない。多くの支援してくれる方達の愛情がなければ強くならない)

2010年12月26日日曜日

12/23(木) 松蔭大学にて高校トップチームが合宿

 毎年、この時期に行われるのが、松蔭大学にての高校合宿。春高バレーに出場するチームが3チーム、来年度の新人戦、インターハイを目指すチームが9チーム、北海道から山梨、静岡まで大学生チームも入れて延べ16チームが、近くの市営体育館も借りて精力的に練習試合を20日から24日までこなした。
 私は、色々なチームのベンチに座り、勝手な評論活動を言わせて頂いている。楽しいのは、夜の指導者の懇親会。指導論、管理論、家族のこと、健康のことを伝え合う。ここの松蔭大学に集まる指導者たちは皆明るくまじめなバレー論を展開する。ここから全国大会に出場するチームが毎年多くなっていることもうなずける。私の場合は、定年まであと1年なので、定年後のささやかな指導の場、再就職の場を先生方にお願いして廻る。
 27日からは茨城県に移動して、奈良県、滋賀県、福島県、山梨県、茨城県の高校5チームの合宿にお邪魔する予定だ。ここの合宿の特徴は、夕食でのアンコウ鍋だが、勿論それが目当てではない!
 

12/20(月) 全国私学バレー大会と懐かしき人たちとの再会


 第15回の大会の開会式が東京都町田市立総合体育館に全国から予選を勝ち抜いた男女160チームが集まり開催された。12月のこの時期に開催されるのはこれが最後で、来年度からは4月1日から開催される。開催時期の変更は、『春の高校バレー』の愛称で親しまれてきた全国選抜大会が1月5日からの開催となったからである。高校の全国大会が2週間で2回も行われることは、決して好ましいことではないと、私学連盟が開催時期を変更したのである。

 さて、私は開会式とリーグ戦に町田体育館に足を運んだ。全国大会に来ると良いことがある。それは、全国の指導者と再会できることだ。今回も10数年ぶりぐらいにお会いしたのが、宮城県の赤坂先生。廊下で赤坂先生を見かけ、旧姓の「長田(おさだ)先生」と呼ぶと、すぐに振り返ってくれて「おお、アルゼンチンの友よ」との返答があった。実は1986年の男子世界選手権がアルゼンチンのブエノスアイレスであ開催され、私は勤務先から視察で派遣されていた。日本協会関係からの同行者が全日本主将でエースの蘇武(古川工高、日体大、富士フイルムで活躍)長田先生と当時実業団日本一で富士フィルム男子監督の井原さんであった。長田先生はホテルの朝食は日本から持参の味噌汁しか飲まず、私がインスタント味噌汁を調合する担当となった。まずボーイさんにお湯とボウル(お椀)をスペイン語でオーダーして、テーブル上で作る。そして、日本人には食欲をそそる香りが、ホテルの宿泊客達には強烈な臭いとなってレストラン内に瞬く間に充満する。宿泊客は皆、鼻をつまみながら、こちらの臭気を発するテーブルを見ている。

 こんなこともあった。南米には多くの日本人が明治時代以降移住している。アルゼンチンも例外ではなく、3世・4世の日本人会が沢山応援に来てくれた。仲良くなった3世の日本人に長田先生と私は羽織・袴をお借りし日の丸の鉢巻きと日ノ丸扇子を持って応援席で一緒に応援した。地元のアルゼンチンとの試合では、当時国内がデフレでもありコインの価値はほとんどなく、アルゼンチンが劣勢になると目立った格好をした日本応援団の我々二人めがけてコインがあらゆるところから雨のようにアラレのように投げつけられてきた。日本でいうと10円玉が1円の価値しかなくなっており、その10円玉が投げつけられて、痛いのなんの・・・味噌汁パワーも効果なし。

 大会はその当時の低迷していた全日本男子では4位という素晴らしい結果であった。団長の松平会長、監督の小山さん、選手達からねぎらいの言葉を頂き帰国した。

 その時のアルゼンチンの友である長田先生は、なぜ町田の会場に来ていたのか?「おお、友よ」で振り向いた横にいた監督風の教員が「校長、お知り合いですか?」と長田先生に問いかけた。長田先生は、今回初出場の宮城県の啓誠学園大崎中央高等学校長であった。公立高校でも校長を歴任し、宮城県で名門の旧「祇園寺高校」の経営者に着任したのである。しかし、女子バレーは校長にとって得意分野ではないはずであるが、アルゼンチンでも頑固に味噌汁朝食を押しとおした人であるから、男子バレーを女子バレーに吹き込み、女子バレーでも全日本選手を輩出することであろう。

 再会したのは他にもいる。長野県の裾花中学校といえば中学日本一を10回近く獲得している名門であるが、そこの岡田監督が定年後に長野県塩尻市にある東京都市大学塩尻高等学校女子バレー部監督に2年前に就任し、あっという間に県大会準優勝まで躍進した。そこのチームのコーチとして今回から就任したのが鈴木さん。この方とも10数年ぶりである。鈴木さんは以前イトーヨーカドーのコーチとして活躍されていた。若くして風貌がおじさんであったので、選手達から「おっさん」と親しみをこめて呼ばれていた。その「おっさん」と体育館入り口でばったりと再会したのであるが、私も当時から「おっさん」顔であったので、お互いの顔を見つめて「おおーっ」と驚いた次第であった。

 話を聞いていると、東京都市大学塩尻(長い校名だな・・・)女子バレー部は来年のインターハイで初出場、初優勝をやり遂げようとしているとのことだ。岡田先生らしい発想だな、と感心した。

 こんな感じで、再会話を書いてもキリがない(私の指も疲労気味・・・)ので、また次回。
(画像は今年のプログラム表紙。私学のバレー部が我が国のバレー界に果たしている功績は大である。オリンピック選手の大半は私学から輩出されている。大学を見れば更に私学からの輩出率は高くなる。来年度は4月1日からの開幕であるが、果たして今と同じレベルのチームが参加してくるのか、参加数は減少しないのか危惧するところは多い。いずれにしろ、まずは開催してみて、それから開催時期など修正するのもよいであろう。私も第1回から陰ながら支援してきた。今後の発展のために各分野からの英知が求められている)

2010年12月19日日曜日

12/19(日) 12/23号 週刊新潮の記事「テレビの大罪」

 今週発売されている『週刊新潮』に「テレビの大罪」という特集でバレーボール関係の記事が出ていたのを電車の中吊広告で見た。ほとんど週刊誌など読まない、買わない私ではあるが、タイトルが「なぜ、バレーボール『世界大会』はいつも日本でやるのか」という記事に引き込まれ、思わず駅のキオスクで買ってしまった。
 記事の内容は、要約すると、こうだ。世界の4大大会の2つがここのところ日本で開催されている。しかも日本は、開催国として無条件出場できる、という異様な状況が生まれた。視聴者を煽るように弱い相手から対戦する、大会運営上の便宜も図っている。競技者が人生を賭けるスポーツの存亡さえ、視聴率次第、まさに「傲慢」「強欲」の大罪といえる。ざっとこんな内容だ。
 タイトルと内容がちぐはぐなところもあるが、わかりやすい解説の池上先生であればどのように解説してくれるであろうか?池上先生の解説がなぜわかりやすいか?それは、一般の素人の立場での疑問からの視線で見ているところにある。そして、歴史を紐解いている。何事もそこに至るまでには原因と理由があり経緯がある。「なぜ、日本開催が多いのか?」。他の国では開催できないからである。開催できるだけの予算ができないからである。日本の女子バレーは、まだ世界と伍して戦える女子チームスポーツのなかでは数少ないスポーツコンテンツ(番組)である。日本ではフジTVとTBSが競ってバレーボール・ビジネスを展開している。視聴率も20%前後獲得している有料コンテンツである。また、広告会社の電通も絡んでいる。日本では、まだ女子バレーボールがビジネスとして成立している。
 ただし、週刊新潮にも書かれているように「放送されないスポーツは競技人口も増えず廃れていく」のも現実である。しかし、だからと言ってお笑い芸能人やお子様歌手による応援というのはいかがなものかと思う。最近の民放によるバレーボール中継はバラエティ番組のようだ。スポーツの面白さは「勝つか負けるかわからない」スリリングな筋書きのないドラマであるところにある。だからこそ、録画でなくライブでなければ感動が伝わってこない。以前、他局のディレクター(ソフトバレー愛好者なんです)に聞いたことがる。最近の民放のプロデューサー(番組を企画するひと)はバラエティ番組の世界から来ているとのこと。なるほど、それであれば合点できる。
 いずれにしろ、フジさんTBSさんがバレーボールを放映してくれるのは誠に有難いことである。ジャパンマネーを有効、有益に使って頂きたい。そして、芸能人の方々のお力をお借りしなくとも、バレーボールの価値ある内容で視聴率をあげ、子供たちの憧れるスポーツになるようにバレー関係者が努力していくことが大事であると考えている。また、視聴率に関係なく、TVで放映されなくとも人気の高いママさんバレーやソフトバレーボールがあるということを忘れてはならない。

2010年12月16日木曜日

12/16(木) 千代田区の千代田ママさんクラブ訪問

 東京都のど真ん中、千代田区にあるJR神田駅を下車して徒歩6分で千代田区立体育館に着く。通りを歩いている人で、それが体育館だと気がつく人は多くはないであろう。それほど、体育館の建物は、周りのビル街に溶け込んでいるビルなので、体育館の看板がないと気がつかない。体育館の利用者は日中は区内の住民。夜は皇居の周りを走るランナーがシャワーを利用して、近くの赤ちょうちんで一杯やって居住区の埼玉県、神奈川県、千葉県、茨城県に帰宅する。
 毎週午前中、ここの体育館を利用しているママさんバレーは夏場にもお邪魔した、セレブママさんチームの「千代田クラブ」さん。
 本日は私に収穫があった。膝でのスライディングレシーブを指導していて、上手なママさんを見つけた。試しにそのママさんに解説をお願いしたら、私以上に判り易く説明してくれた。その後は、私が練習の段階を説明してほとんど全員があっという間に膝でのレシーブ(二ー・レシーブ)をマスターした。このレシーブを覚えると、ネット際のフェィント・レシーブがブロッカーと接触せず(踏まれず)に、安全に実施できるようになる。
 練習の後に、皆さんとお仲間のママさんが経営するパスタのお店に行き、談笑しながら美味しいカキソースのパスタを頂いた。指導法も教えていただき、パスタもご馳走になって大満足な半日でした。

12/14(火) 筑西市ママさんバレー ミニクリニック-3


 今回は、「さくら9」さん対象の筑西市3チーム目のミニクリニック。この日は第2回目対象の「五所クラブ」さんも応援に来ていただいた。ゲーム練習から入り、質問に応じてクリニックに入った。

 サーブレシーブのとき、レシーバーが正面に入らず、手でボールを取りに行ってミスが多いのに気付き、さっそくサーブレシーブの基本練習に入った。体育館に来る前に、100円ショップで購入した9ℓのポリバケツを取り出し、正しいフットワークを使ってボールの正面に入るために、ポリバケツでボールをレシーブするドリルを紹介した。重心を一定にして形を崩さず、ボールの正面に入るには大腿部の筋力も必要だ。2人一組での大腿部筋トレも紹介した。次は腕の面作りを行った。腕で作る面が床のように平らでないとボールは目標に跳ね返らない。腕の面作りのために小さく細い円柱状の棒も100円ショップで買ってきた。この棒を握って、腕の平らな部分を作り、ボールを受ける。

 一定の重心で、形を崩さず、ボールの正面に素早く入り、面を返す方向に向ける。以上のポイントを守りながら、あとは反復練習である。一人で3回連続で行ったら交替で重点的にこのドリルを行った。

 課題はもう一つ出てきた。サイドハンドのサーブがネットすれすれに打てない人が多い。原因はトスの不安定さにあった。トスは常に同じリズムで同じ高さに上げないといけない。トスのときに、ボールを離すポイントが低すぎるのが判った。そこで、トスの構えをやや高くし胸の高さにして手からボールを離す位置を目線の高さにしたところ、随分と安定してきた。また、やや前方で上げることで、ボールに体重が乗り、ヒット時にネット上端も視野の中に入ることでコントロールもよくなった。

 ママさんのサイドハンドのサーブは、指導できる人がいなく、皆さん見よう見まねでやっているようで上手く出来ている人が少ない。私の指導も、このサイドハンド・サーブを簡単にできるよう、わかりやすい指導法を編み出していきたい。

(画像は、「さくら9」さん。この日の参加者は9名に満たなかった。全国的に1チームのメンバー数の平均が12名~13名ほどで、A,B2チームできるほどの人数はどこのチームもいない。若いママさんも晩婚化、第1子の出産年齢の高齢化、核家族化で子供の子守をしてくれる家族がいない、などメンバーが増えずに普段の練習も人数も少なくなり、チームが解散、統合するところも出てきた。小さなお子さんを抱えているママさんほど多くのストレスを抱えていると思う。スポーツでストレスを発散し、ベテランママさん達に色々相談できる場、地域社会のつながりの場としてのママさんバレークラブの発展を考えていきたい)

2010年12月12日日曜日

12/11(土),12(日) 秋田県にて小学生指導者対象に講習会


 土曜日の朝に羽田から飛び立ち、午後の講習会から合流、翌日の昼まで計8時間講習を市内の体育館にて23名を対象に行ってきた。今年の夏にも50数名を対象に講習を行ったのであるが、受講者は全員小学生バレー指導者の方々である。1県で年間に80名近くも小学生の指導者がまとまって受講するのは稀なケースである。

 実は、平成25年度から小学生の大会で監督やコーチがベンチに座るには(財)日本体育協会公認指導員の資格が必要になるからだ。今年受講しても、資格認定になるのは翌年の10月になるので、秋田県バレー協会、県小学生連盟は、早めに今年のうちに全員資格を取って頂こうとなった訳である。

 土曜日はフォーメーション論実技、日曜日の今日は体力トレーニング実技であったが、冷えた体育館が熱気で暖かくなるほど受講者の熱意は高かった。

 土曜日の夜は県協会副会長に夕食に招待して頂いた。同席したのが、県内高校トップチームの監督とコーチの若いお二人であった。どうも、副会長に仕組まれて、私から関東や全国の情報を話してもらいたいという計らいであったようだ。

 今朝の日曜日は、ホテル10階の部屋の窓から外を見てを見て驚いた。秋田市内、あたり一面、銀世界に変わっていた。私にとっては3年ぶりの初雪であった。

(画像は、副会長にご馳走になった秋田名物、旬の焼いたハタハタ。雪国は寒くなるこれからが食べ物が美味しくなる。空港では見送りに来ていただいた秋田大学教授の森田先生からきりたんぽ鍋をご馳走になった。受講者も熱心、秋田名物も美味しい、・・・しまった・・・、地酒を飲み損ねた)

12/10(金) 八王子市ママさんバレー ミニクリニック


 八王子市に在住の元全日本女子セッターの方から八王子市内で懇意にしている3チームの指導を依頼された。八王子市のママさん事情にまったく疎い私は、良いきっかけとばかり快諾した。聞けば、市内にチーム数は40数チームあるとのこと。教室やクリニックはまったく行われないので、今回のようなクリニックは貴重な体験であることなど伺った。
 実際、1コートで3チームを指導するのは大変であった。ゲーム中心に指導を行い、その中で個々の技術のポイントを指摘し、基本練習に入るというスタイルを採った。各チームの指導者は熱心にノートを取って、質問も矢継ぎ早に来る。何か、私のほうが指導者として試されているみたいだ。
 指導者の中に、元日立のプレーヤーであった旧姓鈴木さんという方がいた。30年ぶりに再会したのであるが、長身に小顔でバランスの良いのびのびした手足は健在であった。名プレーヤーであったが、今は名指導者の道を着実に歩んでいる。
 今回の反省を生かし、来年度は教室スタイルで週1回8週で基本的な指導法をモデルチームを変えながらやれないかなと考えた。そして、資料をまとめたものを指導者達で共有できないものかと来年への期待を抱いた次第である。
(画像は、全員集合写真)

12/5(日) 第16回 船橋市近隣親善ソフトバレーボール大会に参加


 久し振りに我が大穴ソフトバレーチームのメンバーでソフトバレーの大会に出場した。第16回であるが、実はその2年目に我が大穴ソフトバレークラブが隣県の仲の良いチームを船橋市にお誘いして開催してきたものを、3年目からは船橋市バレー協会に移管した大会である。当時は、隣接している茨城県、埼玉県、神奈川県、東京都から全国常連の40歳以上で構成するチームを招待していた。前の晩から集まり、市内の旅館で前夜祭を開催して、翌日はほとんど2日酔い状態でゲームを楽しんでいた。 

 今や、そんな彼ら彼女達も60歳前後(アラシックス?というのかな?いや、嵐っくす、にしようか!)になり、渋いプレーをするようになった。そんな仲間達や新しい若い仲間達と一緒に19年目の近隣交流大会を楽しんだ。

(画像は、プログラム。今年は44チームが参加してくれた)

2010年12月6日月曜日

12/4(土) 江戸川区ママさんバレー「連盟杯」挨拶


 江戸川区では年に一回、登録チームを1部から10部まで8チームずつ分けて大会を催している。江戸川区には80チーム弱の登録チームがあるんですね。

 4日の日は大会第2週目で4部と9部の試合を江戸川区総合体育館で開催された。この「連盟(大友)杯」というのは11月下旬の土曜日から12月中旬の日曜日まで4週に渡って5日間開催されている。各部の上位2チームは上位の部に自動昇格、下位の2チームは自動降格になるので各チームとも真剣にプレーしている。

 5日間休日に出て来る役員さん達のご苦労も並大抵ではない。この日も、ゲームが終了したのは夕方6時30分。役員反省会を終えて、審判員の役員さん2名に誘われて西葛西の赤ちょうちんの店に入り、夜10時まで談笑させていただいた。
(画像は表彰式で、昇格も決まった4チームへの授与。背中向きで授与されている方は名誉会長の室岡さんという方で東京オリンピック前に高等女子学校で活躍された名選手である。この日も、中村高女の堀江方子さん(ヨーコ・ゼッターランドのお母さんで最初の全日本女子のセッター)達と闘った日々を懐かしげに回想されて話していただいた)

12/3(金) ちょっと早い忘年会

 我がママさんバレーチームの面々が忘年会を開催してくれた。我がママさんバレーは、今まで暑気払いとか、忘年会とか、新年会とかやっていなかったようだ。チームという組織には、練習を離れてのコミュニケーションの場が時折必要だ。

 「忘年会をやるよ!」と私が提案したら、最近は我々のクラブハウス?であるバーミヤンでの月一の「飲みにケーション」で習慣化してきたメンバーも抵抗なく受け入れてくれた。しかし、今回の忘年会の始めからカラオケのお店というのもどうかと思うが、結局、食事会もカラオケも二次会も同じカラオケのお店の中で行った。あの箱入り娘的な淑女のメンバーを盛り上げるために私はティッシュペーパーをボンボンのように手に持ち、腰を振り振りダンサーで奮闘。私の妻と2人の子供達には見せられない痴態でした。まさに、前日のブログでのウイリアム・アーサーワード先生の教えの中の『手本を示す指導者』を実践することとなった。「大きな声を出しなさい」と指導しても初心者には理解できない。そこで「このような場合に大きな声が必要だから、このような言葉でこのように大きな声を出すんだよ」とターザン(古いか?)のように大きな声(雄たけびまではいかないが)を出して見本を提示する。カラオケは大きな声を出す練習の一部と私は考えている。もっとも、ママさんの中には、コート上では声は出ないが、コート外やカラオケでは大きな声が出る人もいるが、一般的にカラオケで元気なママさんはコート上でも元気だ。
 なかなかうちのチームは声が出ないんですよというチームには、時には、カラオケ練習法もお勧めする。カラオケのない環境にあるチームには、「生オケ」をお勧めする。最初は全員でのチーム応援歌を、次のレベルでは、学年別の励ましの歌を、そしてデユエット、ソロと進んでいく。最後には、学校のステージの上で歌えるようになる。歌は替え歌で良い。勇気が出る、励ましになる、元気が出る歌が良い。
 二次会も終えて、疲れ果てた私が千葉市から船橋市の自宅に着いた時はシンデレラの時間をとっくに回っていた。

12/2(木) 我がママさんチームローソンカップ予選会出場 


 ママさん新チームの千葉市の「打た瀬マリンズ」という平均年齢46歳のチームのコーチに就任して4カ月が過ぎた。先月の千葉市での公式試合では幸いにも勝利を重ねることができたが、今回は初戦で敗退した。千葉県家庭婦人連盟に登録しているチームは、シニアを除いて270チームほどある。全国でも登録チーム数上位10県に入っている。今回はその中から84チームが県予選会に出場している。

 敗因の1つは、前回の公式試合で主将でセッターのママさんが指の骨折で欠場したことであるが、それだけではない。ゲームの基本であるサーブとサーブレシーブ(レセプション)ができていないところにある。2セット目のスタート時にエースサーバーであるママさんがサーブをダブって1点献上、続くサーバーもダブって2点目を献上。なんとサーブミスを4回もしている計算になる。これで勝負は決まったと確信した。心の弱さがミスにつながっている。心の弱さは、技術力が安定していないところから生じている。全国家庭婦人連盟のルールで、ベンチには男性が座れない。私は、直接アドバイスできないのがもどかしく、観客席からイライラしながら観ているしかなかった。

 これで暫くは公式大会がないので、冬場は基本練習に取り組める。まずは基礎体力の養成、体力なくして技術の獲得はできない。そして、技術を獲得することで独自の戦術を駆使できる。他のチームがやっている戦術と違う独自のオリジナリティな戦術が必要だ。例えば、セッターの向きをライト側にして、ライトにエースを持ってくるだけで、相手チームは普段と逆のレシーブ体型を強いられるので面食らう。昨日、終了した全日本大学男子バレー選手権大会(インカレ)で優勝した千葉県の順天堂大学のセッター3人制も独自性のあるバレーだ。蔦宗監督の手腕が十分に発揮されたゲーム運びであったと思う。

 ママさんを相手に、渡邉さん、何をそうむきになっているの、と人は言うかもしれない。募集はできるが、リクルート(人材スカウト)もできないママさんバレーの世界、それも中学校区での募集しかできない千葉県の環境下で普通のママさん達に指導することが、実は私の学習に大いに助かっている。限られた環境下で如何に成果を上げるかが楽しい。ママさんの指導は技術指導だけではない。ママさん達にも「生活課題」がある。つまり、日常生活がある。介護、子供の教育(受験期)、ご主人の単身赴任、健康問題など、日常生活の中でバレーボールが生活の潤滑油になっていることが大事なことであると私は考えている。「生活課題」までは指導できないが、共感することできる限りの支援をメンバーと一緒にできる。

 スポーツが生活の中で潤滑油になっていること、生活の一部になって心身の健康を保つことになっていることがスポーツの価値と考えている。・・・などと、ちょっとスポーツ社会学的になってしまったが、要は、気分的には皆さんと一緒にバレーボールをやるのが楽しいのである。私にとって、バレーボールは成長の糧である。

 最後に「指導者論」で最近感銘した格言を1つ紹介させていただく。「凡庸な教師はただしゃべる。少しましな教師は理解させようと努める。優れた教師は自らやってみせる。本当に優れた教師は生徒の心に火をつける」(英国の教育学者であるウイリアム・アーサーワード)
( 画像は、会場の成田市民体育館。コートが4面取れる大きな体育館である。試合の合間に役員室にお邪魔して会長の藤間さんや理事長と歓談。来年度、千葉県開催の全国家庭婦人バレーいそじ大会が千葉市を中心に開催される。)

2010年12月2日木曜日

11/30(火) 筑西市ママさんバレーミニクリニックー2


 筑西市に車で行く道も2回目となると、幾分覚えてきた。東京から常磐道の高速で1時間、谷原インター出口から国道で1時間の計2時間かけて今回も行ってきた。毎週火曜日は、私が総監督をやっているソフトバレークラブの練習日であるが、最近サボっている。指導だけでは、脳の汗はかいても、体の汗はかかない。

 今回のチームは、「五所クラブ」さんという見かけはヤンママ(ヤングママの略)のチームという触れ込みであったので、楽しみにしていた。会場は市営体育館の中の広いコート。挨拶で、メンバーをよーく見たら、本当にヤンママさん達であったのには驚いた。そして、練習に入って、体力は残念ながら普通のママさん達であったのには変に安心した。お父さん達も駆けつけ練習に加わり、見かけにあった少しハードな練習を行った。

 技術を獲得するには、体力が必要だ。毎回の練習時にスクワット、腕立て、腹筋、背筋の4種目だけでもやって頂くと体のバランスも取れてきて技術も3ヶ月ほどでマスターできる。「心・技・体」の順序を「心・体・技」に変更して頂くと技術の獲得もさほど難しくない。
(画像は、まだ全員が集合する前の写真。ママさんバレーに限らず見かけは大事です。最初の第一印象が大事。試合前の練習でスパイクをバシバシ打って、相手を威圧するのも大事です。昔、大阪商業大学附属高校男子バレー部とが中央大学附属高校男子バレー部が日本一を競っている時代がありました。大商大付属は公式練習のときにクイックや時間差をコート真下にバシバシ打っていたことを思い出しました。「観兵式」と当時は言っていました。見事なクイックはしかし、本番の試合になるとブロックがあるのでさほど決まりませんでした。それでも、全国大会で1回戦対戦チームにはビビらせるには効果的でしたね。五所クラブの皆さん、いつまでも見かけは若く、私をビビらすようにお願いしますね)

2010年11月28日日曜日

11/28(日) NHK『龍馬伝』最終回

 今夜でNHK『龍馬伝』が終了した。毎回、楽しみにしてみた久々の大型ドラマであった。ドラマの中で「日本」というセリフが出てくるたびに現在の日本の閉塞した状況と重ね合わせて観ていた。現状の日本は、経済も政治も外交も揺れに揺れている。日本丸はどこに行こうとしているのか、羅針盤はどこに向いているのか、舵はどう切るのか。現実はTVドラマ以上にドラマチックだ。
 『種の起源』を著したチャールズ・ダーウィンの言葉を思い出す。「生き残るのは、もっとも強い種ではなく、最も賢い種でもない。それは、変化に最も順応できるものだ」。
 今から150年前に坂本龍馬達が成し遂げた「大政奉還」という大事業。それは当時の帝国主義の世界に日本が食いつくされるという世界の変化を鋭く察知した日本人が順応しようとした結果である。そして、武士の時代の終焉という変化を良しとしなかった人間達によって殺された龍馬。世の中変わらないものはない。しかし、現状に満足している人たちは、変化を好まない。いつの世も、そんなせめぎ合いだ。そして、現状が上手くいっているから変えないのではなく、もっとうまくいくように変えることも必要だ。

11/27(土) 日本バレーボール協会主催都道府県別バレーボール指導者研修会(青森県)



 前夜の金曜日夕方に羽田から航空機にて青森空港に着き、ホテルにチェックインして慌ただしく市内の小料理店に案内された。部屋には11名の青森県バレーボール協会の役員が待っていた。会長の春藤先生(弘前聖愛学院中・高校校長)とは1年ぶりの再会。今年で68歳になられたであろうか。東北で初めてのチームスポーツ3冠を取られた指導者である。それまで学校名の弘前工業高校は「ひろまえ」と読む高校生がほとんどであったが、3冠を取ってからは、「ひろさき」と読まれるようになった。

 その春藤先生は、なぜかこの7年間、講習会となると私を講師に指名される。先生の前で県内の主要な指導者を指導するのはいつもながら緊張する。前夜の懇親会は、二次会まで進み、アジア大会男子バレー決勝戦の始まる前の22時には解散した。

 今回のテーマは「サーブ」と「レセプション(サーブレシーブ)」。モデルチームに男子は青森工業、女子は会場校でもある青森中央高校と三沢高校の3チームが手伝ってくれた。

 来年度のインターハイ女子は青森県で開催される。県内から開催県代表を含めて2チームが代表となるが、2チームともベスト8以上進出してくれることを祈念している。

(画像は、市内に最近できた「屋台村さんふり横丁」でのスナップ。右端が春藤先生で、中央が県協会指導普及委員長の斎藤先生。斎藤先生は、春藤先生が県立弘前中央高等学校校長時代の部下の教員で事務処理能力が迅速な真面目な先生である。弘前中央高校校長時代の生徒の一人が今週のアジア大会ソフトボール女子金メダル監督の斎藤さんである。この夜は、全日本男子がアジア大会で銀メダル以上の成績を上げていたので春藤先生も機嫌が良かった)

2010年11月26日金曜日

11/25(木) 筑西市ママさんバレーチーム訪問-1


筑西(ちくせい)市と聞いて何県にあるのか即答できる人は少ないであろう。この私も2年前に現地に訪れて初めて知った次第である。筑西市は、東京都心から北へ約70km、栃木県との県境である茨城県の西北部に位置している。2005年に下館市と近隣の3町が合併してできた人口11万人の市である。

 昨夜、8時から10時まで筑西市ではトップレベルのママさんチーム「オレンジクラブ」さんに指導で訪問した。8時からの練習というのは、私も初体験であった。何故、その時間からなのか代表の大林さんに聞いてみると「皆さん、お仕事を持っていて、その後、食事や家事などで忙しく、結局この時間にならないと集まらないんです」との返事であった。それにしても、10時に練習終了とは・・・その後私は車で船橋市まで帰宅するのであるが、日付は確実に変わるであろうと覚悟して、練習に入った。

 当日は、市内の大会が近いということもあり練習試合となった。相手は「翔ゆうクラブ」さんという今年度のママさん全国大会茨城県代表チームである。さすがに翔ゆうクラブさんにはセットは取れないものの、サーブレシーブがセッターに返った時のスパイク決定率は80%以上と高い。オレンジさんの練習課題は、第1にサーブレシーブ、第2に2段トスとセッターのトスと判定させていただいた。

 失敗しても笑顔、成功したらもっと笑顔というのは、まさにレクリエーションスポーツのイメージそのままでよろしいのであるが、定期的に練習しているのであれば、失敗したら悔しい表情もあってよい。定期的に週2回練習しているのであれば、上達の達成感が欲しい。それが自信につながり、更にバレーボールを楽しむことができる。悔しい表情は、顔の輪郭を引き締める。悔しさがあれば工夫が出てくる。工夫を繰り返していれば、成功の回数が増えてくる。成功の笑顔が多くなる。
 今週末の予定は、金曜日の夜から青森市に飛び、夕方に県バレーボール協会の春藤会長や斎藤指導普及委員長と打ち合わせ会食。土曜日は東北ブロックバレーボール指導者研修会の講師を務める。テーマは、「サーブ」と「サーブレシーブ」。日曜日は、東京都足立区家庭婦人連盟いそじ大会で大会のサポートを行う。

(画像は、オレンジと翔ゆうさん一緒の集合写真。オレンジさんというチーム名であるのに頭から足まで忍者のように黒づくめには驚いた。30歳代のチームには黒が多いんですが・・・。サポーターも黒、ハイソックスも黒、シューズも黒とは・・・。ゲームだけは黒星にならないように祈っています) 

2010年11月23日火曜日

11/22(月) 全国中学生バレーボール指導者研修会

 中学の指導者だけに指導する機会は今回が初めてであった。いつもは、小学生の指導者から一般の指導者まで幅のある受講者の方達に指導していたので、一種別の指導者への指導はレベルが分かりやすいので楽しみにして会場に出かけた。
 会場は東京都荒川区立諏訪台中学校という、男子バレーでは全国常連の学校の体育館である。西日暮里の駅で改札口を出ると、日本中体連バレーボール競技部の指導普及委員長の神山先生が出迎えてくれた。研修会挨拶には日本中体連バレーボール部長の平手先生も見えられ、受講者約50名と一緒に夕方までサーブ、レセプション、ディグの3つのテーマで研修会が始まった。
 受講者は全国のトップの指導者から大学を卒業してこれから指導をやろうという方まで老若男女多彩な顔ぶれであった。モデルを務めてくれた東村山第2中学校の女子バレー部の生徒達も初心者が多い中、一生懸命プレーしてくれた。ディグの練習では、壁際でのマッハレシーブ(近距離でのレシーブ練習)にも恐れをなすどころか、勇気を出してスピードボールに向かっていく姿には感心した。
 研修会後、役員の先生方と懇親会。東京都でも指導普及委員長を兼任されている神山先生の人柄を反映させて、役員の先生達は穏やかで神士な方たちばかり。女性役員が全員美人なのには驚いた。これも、神山先生の人柄なのか・・・? それも、女性役員の皆さんは男子バレーの顧問やコーチをなさっている。中学男子の諸君、これでは頑張らざるを得ないなあ・・・と納得した次第。
 さて、明後日はママさんバレーの個別チームの指導で茨城県筑西市に夕方出かける。そして金曜日の夜からは青森県青森市に行き東北ブロック別指導者研修会講師を務める。今の時期、雪が降っているのであろうか、だからこそお酒は美味しいのだろうな・・・。待っておれ青森。  

2010年11月21日日曜日

11/21(日) 東京都中学校バレーボール新人戦 女子の部決勝


 来年の全国中学バレー選手権の東京都予選のシードを決める重要な新人戦が本日東京立正中学校で開催された。今年の全国大会にも東京代表は関東大会ベスト8に5チームも入り、全国でも八王子実践が準優勝している。そして、本日の女子の決勝戦は、4年前に連続日本一を成し遂げた文京学院大中学校が大崎中学をフルセットの末振りきって4年ぶりに優勝した。実力的にはベスト4決めで対戦した八王子実践が2番手、3番手が平均身長も170cmで攻撃が魅力的な大崎、その後に北沢、共栄学園、駿台学園、新宿、大森七と続く。
 文京は、得意のネットすれすれのスピードサーブで相手レシーブ陣を崩し、ブロックで仕留める。攻撃はライトにエースアタッカーを配置し、スピードあふれるジャンプトスで相手ブロッカーを絞らせない。4年前の山川のような大型エースはいないが、全員が小気味の良いジャンプ力から鋭いスイングで球足の速いスパイクを放つ。総監督の山根貞子さんの指導が十分行き渡っている。
 大崎中はセッターが170cmはあるのであろうか中学女子では大きい部類に入る。あれで、ジャンプトスを実行し、ボールの下に入るのがさらに速くなれば良いセッターになるであろう。アンダーでのトスが少し多すぎたようだ。アタッカーとしてはオーバーハンドでトスを上げてもらったほうが、安心して相手ブロッカーや相手チームのレシーブ体型を確認してからスパイクコースを選択できる。リベロもアンダーでのトスが多すぎる。ブラジル男子のリベロはアタックラインを跨ぎながらでもオーバーハンドでトスを上げている。見習ってほしいものだ。大崎のアタッカーがブロックをスポーツビジョン能力を高めて、ブロックアウトやタッチアウトを覚えるともっと良いチームになると思う。
 決勝は、1,2年生の新人戦とはいえ、さすがに全国でレベルが一番高い東京都、見ごたえのあるゲーム展開であった。子供達はほとんど小学生バレー全国大会で活躍しているようで、金町ビーバーズ、立会クラブ、小岩クラブなどのチーム名が観客席から聞こえてきた。
 小学生バレー、中高一貫バレーの変容、公立学校授業料無償化、私学の特待生制度の減少・進学学路線拍車、公立のスポーツ推薦制度増加などジュニアのバレーを巡る環境が変わってきた。
(画像は、久し振りの優勝に円陣を組んで父母と共に喜びを爆発させる文京学院大中学校女子バレーボール部。応援には、昨日、春高バレー東京都予選第2代表の文京のお姉さん達の高校バレー部も吉田監督一緒に会場に来ていた。祝勝会連チャンご招待を避けるために、私はスタッフに祝福を述べてさっと会場を後にした。明日は会社に出勤だ) 

11/20(土) 春高バレー 東京都男子は東洋が第1代表

 先週の春高バレー、神奈川県代表決定の後、大和南の祝勝会で美酒に酔いしれたが、今週は東京都男子の第1代表が東洋と決まり、昨夜またまた美酒を頂いた。昨日の会場は、2013年東京都国体でハンドボールの会場になる新装された墨田区立体育館。JR錦糸町駅から歩いて5分。歩きながら建造中のスカイタワーが見える。
 実は、昨日は3つ東京寄りのJR浅草橋近くのホテルでJVA審判規則委員会規則部の編集会議に出席していた。来年度のルールブックの初校の検討に時間がかかり、試合は見れなかった。会議が終わりに近づいて、携帯電話に東洋高校監督の北畠先生から「優勝しました!」と連絡が入った。会議中ではあったが、編集委員も疲労度が増してきていたので、少し休憩を要求し、その時に東京都男女の結果を発表させていただいた。
 男子第1は東洋、第2が東亜学園、第3位で開催地代表が駿台学園、健闘むなしく落ちたのは早稲田実業。女子はフルセット、3セット目23点から大逆転した共栄学園が第1代表、第2は小粒でも大健闘した文京学院、開催地代表が下北沢成徳、そして名門八王子実践は代表の座を逃した。
 会議を5時に終えて、墨田区体育館に向かった。東洋高校の北畠監督はじめコーチ、部長のスタッフがロビーで皆待っていてくれた。早速、錦糸町の居酒屋で7人ほどで祝勝会をやろうと錦糸町駅近くの居酒屋に入ると、そこには既に父母の皆さんが33名揃っていた。
 父母もバレー関係者が多い。2年セッター関田の親父さんは高輪高校でインターハイ出場。当時インカレ常勝の日本体育大学女子バレー部OGのお母さん達も3人いた。エースの柳田のお母さんも日体大OGである。元全日本女子の大山加奈を育てた小学生バレーの監督夫婦もいる。そして、東洋高校卒業生で今は2年生の親になっている小泉もいる。小泉はコーチの赤羽先生のバレー部先輩であるが、後輩の赤羽が自分の息子の担任という不思議な関係。しかし、酔いが回るに付け、「赤羽先生!」から「赤羽!」と呼び捨てに変化していく。監督の北畠先生は、そんな様子をニコニコして眺めている。
 さあ、東洋はこれで春高バレー本番での第1シードは間違いないであろう。ライバルは長野県創造学園、宇部商業、そして福岡大濠、大分工業、鎮西の九州勢。最後の春高バレーで優勝旗を頂いた東洋が新春高バレーの優勝旗を握り2年連続優勝を成し遂げることができるか、ワクワクする。千葉国体では4人が怪我で不調であった。「今度は、どこと当たっても負ける気がしない」。赤羽コーチからはそんな力強い言葉を聞いた。
 さて、私は、これから東京都中学生新人戦の会場に行く。ベスト8から優勝まで女子が東京立正で開催されている。きょうは、決勝戦を見逃さない。まずは、ベスト4を賭けての八王子実践と文京学院が注目のカード。では、行ってきます。

2010年11月16日火曜日

11/16(火) 全日本女子とメディアの記事

 我が国のメディアの記者は、どこまで日本のバレー界を理解しているのであろうか。今朝の朝日新聞スポーツ欄の見出しを見て首をかしげてしまった。見出しはこうである。『新発想、真鍋ジャパン「銅」』。新発想は何かというと、編集委員の中鉢氏は次の2点を上げていた。ブロックシステムを「リードシステム」にした。速いバックアタックの採用。私が考えるに、これらは、新発想というものではなく、男子バレーで進化してきた戦術を欧米の各国女子チームが採用し、日本女子も遅ればせながら採用したという追従に過ぎない。新発想、とは、辞書的には、新しい考え方や思いつきを意味する。従って、私としては、このタイトルは『男子的バレーで日本女子バレー、「銅」』が良いのではと考える。
 日本のバレーは、3つのオリンピックの東京、ミュンヘン、そしてモントリオールで金メダルを獲得したが、その要因には必ず革命的な技術や戦術があった。東京では回転レシーブや木の葉落としのサーブ。ミュンヘンでは時間差攻撃や大男たちに曲芸まがいのトレーニングを実施。モントリオールではデータバレー、緻密なコンビバレー、パワートレーニングで世界のバレー界に大きな影響を与えた。

 過去の金メダル監督達の偉業を「革命的」というのであるのならば、今回の男子的バレーは「新発想」という言葉のレベルで良いのであろうが、そこには独創性がない。独創性があって初めて日本女子は金メダルを獲得できると私は考えている。他の国がやっていることを真似しても、真似ができたときは、その国はその先を行っている。他の国が簡単には真似できない独創的(オリジナル)な技術(スキル)と戦術(タクティクス)を開発すべきである。ヒントは、我が国の伝統的な9人制バレーで培った技術と戦術にある。ここは温故知新で開発していくことも視野に入れてはいかがであろうか。現在男女とも世界のNO.1は総合的にはブラジルである。ブラジルは日本のバレーに学んだ。今の日本はブラジルに学んでいる。これからの日本は我が国伝統の9人制に学ぶべきではないか。「まなべ監督よ、学べ」と、きょうは親父ギャグで締めよう・・・。

2010年11月15日月曜日

11/15(月) 全国中学生指導者研修会講師の依頼

 中学生指導者対象の研修会の講師依頼が来た。今までも依頼が(財)日本中体連バレーボール競技部から来ていた。その都度、私は、もっといい講師を紹介します、と本当に著名な講師を紹介していたのであるが、今回だけはご指名を免れそうもなく引き受けることとなった。
 毎年、日本協会と日本中体連が共催で開催している研修会で、全国2会場で開催しているうちの東京会場が私の担当となる。
 期日は11月の23日(祝)。会場は荒川区立諏訪台中学校。申込期日は11月18日までで、参加料は無料。申込様式は(財)日本中体連バレーボール競技部のHPに掲載されているということだ。もしくは、指導普及委員長の神山信次郎先生に連絡(042-391-9112)とのこと。なお、この研修会は、(財)日本体育協会公認スポーツ指導員、更新時の義務研修になっている。
 まあ・・・、私と会って見たいという奇特な方はおいで下さい。

2010年11月14日日曜日

11/14(日) 春高バレー 神奈川県大会代表決定戦


 世界選手権も良いが、高校生の全国代表の座を獲得するための戦いもハラハラドキドキがあって良いものだ。今日は、神奈川県代表決定戦を観戦するために藤沢市の文化体育館に行った。先週、神奈川県ママさんバレー「やまゆり杯」の開会式が行われた同じ会場だ。

 代表は男子第一代表が、県立弥栄、第二代表が川崎市立橘。女子は、第一代表が県立大和南、第二代表が川崎市立橘。全てフルセットの激戦であった。閉会式の始まる前に、少し時間があったので、コチキャラ(フジTVのコーチングキャラバン)で会場に来ていたヨーコ・ゼッターランドを携帯で呼び出し、ロビーで談笑した。丁度通りかかった大和南の主将でエースの二見梓を呼んで3人で談笑となった。そこに大和南の監督の飯塚監督やコーチの和美さんも加わり記念写真と相成った。ヨーコと二人で話したかったのに、大和南のスタッフはお邪魔の名人達ですな。

 閉会式後に、大和南の祝勝会に招待された。現役生徒だけで約40名に父母約50名、10年前に初めて春高に出場したときのメンバー3人(27歳)のOG、父母のOB,OG、地域の後援会長、神奈川TV、学校長など約110名が湘南台駅前のお店をほぼ貸し切り状態で祝勝会が催された。二次会は辞退して、自宅に着いたのは、先ほど10時半。帰りの電車で、携帯メールに全日本女子が3位とあちこちから連絡が来た。返事を打つのに、電車で寝る暇もない。世界選手権大会のことは、また別の機会に感想を述べたいが、よくぞやったね。予想では4位かな、と思っていただけに驚いた。

(画像は、アズサとヨーコの手の平大きさ比べ。彼女達の手は指が長く、手にひらも長い。そして腕も長い。アズサは東レに入社するが全日本にも入って欲しい。パワーだけは今年の高校女子No.1だ。後ろのおじさんは飯塚監督。この先生は60歳過ぎても指導者として進化している謙虚な人。1月の春高では大和南がベスト4以上で活躍することを期待している)

2010年11月13日土曜日

11/13(土) 世界選手権女子バレー 準決勝

 2セット先取した時は、行けるかなと思ったんだが、惜しかったなあ。全日本女子は、サーブが良くなった。以前から、全日本のサーブを見ていて、私が指導してあげようかなと思っていたほど、攻撃的になっていなかった。今回から、全員がフローターにジャンプを加えることで、空中で重心移動してボールをヒットすることでスピードと重さが加わっていた。ブラジルも同じようにジャンプフローターだが、ブラジルのサーブが良かったのは5セット目だけであった。私であれば、フローターの中にジャンプ・スパイク・サーブを入れる。異質のサーブを入れることで、レシーバーに球質への判断を迷わせることが必要だ。野球のピッチャであれば、インコースにストレート高めを入れて、次にカーブをアウトコース低めに投げる配球と同じ考え方が必要だ。従って、日本も栗原のようなジャンプスパイクサーバーも6人の中に入れた方が良い。江畑なんかジャンプスパイクサーブできるのではないかな?
 明日は、アメリカ戦。4位以上は確定なのだから、自信を持って、観客と一体になって戦って欲しい。それにしても、全日本のいない、もう一つの会場である東京都体育館の観客数はどうであろうか?7位~12位を決める試合のPRがほとんどない、というのもいかがなものかなあ。
 私の明日の行動は、春高バレーの予選会の1つである神奈川県に行く。藤沢市湘南台にある文化体育館で準決勝、決勝のゲームがある。千葉県決勝は天台の体育館である。男子が習志野vs市船、女子が市船vs柏井。

11/11(木) 足利市ママさんバレー ミニ・クリニック(9)


 ママさんバレーには不思議な魅力がある。同じ女性でも、高校女子バレーを指導しているときとは違う感覚、何というか・・・屈託のない自信溢れる明るさがある。ママさんバレーボーラーといっても、チームの中で20歳代から60歳代まで異年代が混在している。1つのチームの中に、これほど幅広い年代が存在して運営されているスポーツ種別は珍しい。新婚の女性、育児奮闘中の女性、受験生を抱える女性、更年期で体調不良を訴える女性、年老いた親の介護との両立で疲労する女性、母子家庭の女性・・・仕事を言い訳にして家ではのんびりとしている我々男と比べて、女性は大変だと思う。そんな幾多の困難を経てきた自信がママさん達に不思議な魅力を植え付けたのであろう。

 そんな幾多の困難を切り抜けてきた女性は、いつの間にか家族の大黒柱になっている。箱入り娘で嫁いできた初々しい娘も、子育てを卒業するあたりから逞しさを増してくる。

 そんな可愛らしさと逞しさを同居させている栃木県足利市のママさん達へのミニ・クリニック指導も11日で今年のスケジュール終了となった。9月末から、ほぼ毎週のように9日間11チームと楽しく過ごさせていただいた。11日(木)は2チームへの指導となった。足利市登録チームの三重クラブさんとSEIYUクラブさん。会場は市立西小学校というところで、小学校の統・併合で廃校になった体育館で普段練習しているという。

 指導する前に、2週間前に急死された阿部氏に全員で黙祷を捧げた。阿部氏は今回のミニクリニックを企画された協会の筆頭副会長であり地元のアベスポーツの社長でもあった。足利市のスポーツ振興に多大な寄与をなされ、更にこれから10年先の足利市バレーのためにもうひと働きする矢先の突然の他界であった。

 元気に明るく練習することが副会長への供養と皆に挨拶して、さっそく練習に入った。どこのチームもそうであるが、皆さん方、ウオーミングアップが不十分である。簡単なストレッチだけやって、すぐさまパス練習に入っている。まずはジョギングや、簡単なステップ練習をやって脈拍を100位までには上げて体の血流を良くすることが、筋肉や関節が滑らかにトラブルなく動いていく基になる。更には1種目で良いから補助トレーニングで楽しくやれる筋トレを実施してほしい。技術を巧みに実行するためにはある程度の筋力が必要である。ボールに触れているだけでは初級レベルで停滞したままになる。

 今回、コーチングで強調したのは、サイドアタッカーのネットからの下がり方。通常スパイク練習といえば、ネットから離れている位置から自分でボールをセッターに入れてスパイクを打っている。しかし、実際のゲームになると、1回の攻撃で全て決まるわけではない。従って、サイドアタッカーは次にはブロッカーとなる。ブロックに跳ぶ、ワンタッチして、後方から二段トスが来る。この状態のとき、ほとんどのブロックに跳んだサイドアタッカーは、ネットから十分離れていない。なかには、ブロックした位置で突っ立ったままの人もいる。つまり、次のスパイク(反撃:カウンターアタック)の準備ができていない。この場合は、ブロック後速やかにネットから3m~4m離れて助走(アプローチ)する距離を獲得すべきである。この練習が、実はママさんだけでなく高校トップクラスの練習でも不足している。更には、ノーブロックでのスパイク練習が多すぎる。中級レベルに到達するには、ゲームライク(実際の試合のような)な練習が必要である。

 おっと、コーチング論が長すぎた・・・。長い文章は、このブログの常任評論家でもある岩本先生(元、全日本女子監督)から「高齢者は、眼が疲れるから文章は短くしなさい!」とお叱りを受けそうなので、きょうはこのくらいにしましょう。

(画像は、三重クラブさんとSEIYUクラブさんとの集合写真。体育館の照明が2個故障中だったので画像が暗い。早く修理してね。しかし、阿部社長のお姿の見えないのが寂しい)

2010年11月10日水曜日

11/7(火) 神奈川県やまゆり杯開会式に584チームが集結


バレーボールの大会で、1つの県のレベルで女性のチームが予選会から参加する最大のチーム数は東京都女子高体連バレーボール専門部の約350チームと思っていたが、その上があったことを昨日目の前で見て改めて知らされた。

 やまゆり杯小田急旗争奪「第35回神奈川県家庭婦人バレーボール大会」が、それである。今年は、予選からのチーム数は、なんと584チーム約10,000人である。昭和51年に277チームでスタートして、平成7年には、最大チーム数が816チームとなり、以降減少傾向にあるが、それでも大したものだ。

 昨日は藤沢市にある秋葉台文化体育館にて、開会式のみが行われた。全チームがどのように入場行進するのか興味があった。なにせ1万人なんて入場行進できるわけがない、と思っていたら、各チームから2名が行進、1名が観客で荷物番というやり方であった。それでも客席は満杯であった。14日には、ここで春高バレーの準・決勝戦が開催される。女子は橘vs鶴峯、大和南vs山北と公立高校の対決である。鶴峯にはフジTVからコーチングキャラバンでヨーコ・ゼッターランドさんがコーチでベンチに入る。・・・おっと脱線しそうだ・・・。

 山ゆり杯の創設者は、元全国高校体育連盟バレーボール専門部部長で県家庭婦人連盟会長でもあった又木誠八郎先生である。このことは、ひな壇でお隣に座られていた77歳の女性役員の方からお聞きした。昨日は欠席であったが、先月ご自宅で誤って転び腰を打ってしまったらしい。又木先生との思い出話をすると止まらなくなるので今回は割愛させていただく。いずれにしろ又木先生は日本のバレー界を節目節目で変えてきたお方である。

 大会は、このあと県内各11ブロックにて4か月間にわたり予選会が行われる。そして各ブロックベスト8以上の88チームが、またこの秋葉台文化体育館に戻ってきて3月5日、6日と決勝大会が行われる。

 小田急グループが特別協賛で、バレーボールクリニック事務局長の岩本先生と主任講師の丸山由美さんも出席されていた。岩本先生とは、2日前まで新島のソフトバレー交流大会でご一緒させていただいての再会である。本当に、岩本先生とは、月によっては、お互いの家族よりも会っている時間が多く、濃密である。
(画像は、ひな壇のところから撮った選手宣誓の模様。開会式の入場行進を終えられて仲間の選手宣誓の姿を見つめる晴れ晴れとした各チームの選手の表情が印象的でした。時には高揚感を醸し出す大会規模も必要なのだなと考えた次第である。そう言えば、10年前に私はソフトバレーの全国大会を幕張メッセに100コート作って600チームが集まろうと呼びかけたことを、ふと思い出した。移動式の支柱を持参してきたチームは参加料無料にしようとか、具体的なところまで考えていた。40歳代が一番企画力と行動力があったなあ・・・)

2010年11月7日日曜日

11/7(日) 島嶼ソフトバレーボール交流大会in新島 終了


 日曜日の今夜、帰ってきました。夜の8時に竹芝桟橋に着いて、それから電車を乗り継いで西船橋に着いたのは9時でした。思い返せば、金曜の夜10:00に竹芝桟橋を出港して横浜で宮城県のチームと合流し0時の消灯時間まで缶ビールでソフトバレー談議。太平洋も凪で船もほとんど揺れない。宮城県に東京都役員チームも加わりヒートアップ。

 翌朝土曜日、7時に新島に到着。旅館に行き、慌ただしくバタバタと着替えて、会場の都立新島高校の体育館へ行き、地元の教育委員会の藤井さんと式次第などを打ち合わせ、開会式となった。新島村村長の出川さんの挨拶、教育長の始球式と続きゲームとなった。ゲームは40歳以上のシルバー、フリー、レディースの3部門計16チームが参加して5時まで繰り広げられた。私の入った「サミット」というチームは全勝で3連覇であった。サミットには宮城県ソフト連盟理事長、山形県連盟副会長、日本ソフト連盟理事とソフト馬鹿な役員が終結してチームを作っている。女性がいないので、いつも地元から援助頂いて混合チームを作っている。今回の勝利も実は、支援いただいた地元の女性の素晴らしいプレーのおかげである。

 夕方、交流パーティの前に海岸端の温泉に全員で出かけた。露天風呂では太平洋に沈むゆく夕日を心行くまで拝むことができた。そして、これがやはりソフトバレーのメインでしょうね、交流パーティの開演となった。食べきれないだけの海の幸、刺身、郷土芸能の披露、表彰式、特別賞授与と続いた。パーティ会場ではBGMで日本ソフト連盟制作の「♪ラリーよいつまでも♪」が流れていたが、この日、実はそのCD歌っている青砥さんが奇しくも参加していたので、本人の生歌となった。

 パーティが終了してもお互いのチームの宿舎に帰って宴会が続いた。私は千代田クラブさんという東京都千代田区で普段はママさんバレーを楽しんでいる宿舎にお邪魔した。千代田クラブさんは50歳以上の熟女で構成されたチームで今回は2チーム出場していた。楽しい時間を11時まで過ごして、私の宿泊旅館に歩いて帰ったのであるが、アラビアンナイトのような迷路に迷い込み、旅館にSOSの携帯電話を入れ若おかみに出迎えていただいたミニ事件があった。なんと車で1分のところで迷っていたようだ。恐るべし、新島の路地!夜の新島は人っ子一人歩いていない。旅館に着いたのは24時10分であった。

 1月の下旬には、同じ伊豆諸島の大島でソフトバレー交流大会が開催される。当日はモントリオール金メダリストの白井貴子さんも参加され、私と一緒にプレーする。参加希望のチームは、このブログにメールください。要項を送ります。

(画像は、太平洋に沈みゆく夕陽。露天風呂に参加者の男達が裸で湯船に座りながら見つめていた。水平線に完全に沈んだ後、皆で拍手。自然の雄大さが作る芸術に心を洗われた瞬間であった)

2010年11月5日金曜日

11/5(金) 島嶼ソフトバレー交流大会in新島


 本日、東京は快晴、気温18度まで上がる予定。今週末も比較的好天に恵まれる模様。そんな中、夜10:00に竹芝桟橋から伊豆諸島の1つ新島(村)に出かける。今回で延べ回数を付けるとしたら第7回になるであろう、伊豆・小笠原諸島を巡ってのソフトバレー交流大会が第1回開催の新島に戻って開催される。伊豆・小笠原諸島の各島々の住民は、行政関係の人間以外他の島に渡ったことがほとんどない。島外といえば、自分の島から内地の東京などに行くぐらいである。このソフトバレーの交流大会を通じて、初めて他の島に渡ったという人の感想を聞くと、「同じ島といっても考え方が随分違うんですね」という回答が多かった。

 今回も開催地新島の人たちは勿論、お隣の神津島(こうづじま)、大島から、そして宮城県、山形県、東京都からソフト連盟の役員がチームを作って参加する。

 昨日、三宅島からは、先週第2回の島民ソフトバレー交流大会を無事終了しました、と連絡が入った。ゆっくりとだが、着実に行政・体協・協会・連盟・民間の連携でソフトバレーを日常的に楽しむ機会が住民の間に浸透してきた。これには、小田急の岩本洋氏が元全日本女子選手を引き連れて動機付けしていることも大きな要因になっている。

 伊豆諸島、小笠原諸島の島の全てがチームを作って、東京で一堂に会してのソフトバレー交流大会が次の夢ですね。東京都体育館で開催したいなあ。
(画像は、今回のプログラムの表紙。新島の海は透明感があり本当にきれいです。砂もさらさらしていてビーチバレーには最高です。明日の夜の交流パーティは食べきれないほどの刺身がでてくるでしょうね。願わくば、今夜の船があまり揺れませんように。片道8時間の航海、行ってきます)

2010年11月4日木曜日

11/4(木) 社長、また会いましょう

 先月、ママさんバレーのミニ・クリニックやソフトバレー交流会で10日間も訪問した足利市スポーツ界の重鎮である阿部スポーツ社長のお通夜に参列した。夕方、寒さが肌身に感じるようになった6時からお通夜は始まった。焼香者は長い列を作っていた。凡そ1,000名以上はいたと思う。
 先週の木曜日夜、足利市9チーム目のミニ・クリニックで社長はいつものように司会を務めてくれた。「皆さん、この先生の指導を受けると、指導を受ける前と、後と驚くほど上達しています」などと、こちらが恥ずかしくなるほどの褒め言葉で毎回司会を務めてくれる。そして、翌日の30日金曜日の夕方に心筋梗塞で突然去ってしまった。
 社長、今夜が最後の10チーム目のママさんチームのミニ・クリニックの予定でしたが、あなたのお通夜なので、来週の木曜日に延期しました。来週の夜は、社長の司会がないのですね。怪我人が出ないように見守ってくださいね。さようなら、そしてまたお会いしましょう。但し、私をすぐにそちらの世界に連れて行かないでくださいね。もう少しこちらの世界でバレーの指導をやらせて下さい。
 合掌。

2010年11月3日水曜日

11/3(水) 世界選手権女子 雑感

 開幕の一次リーグのポーランド戦は真鍋監督の読みが当たって3-2の辛勝であった。実力的にはポーランドがやや上だ。ここのところの対戦成績も分が悪い。そこで、1次リーグの対戦順番を開催国が選択できる権利を行使して、最初に指名したわけだ。
 その後の対戦国は、格下のチーム。全日本もBチームを当てたりしてAチームの疲労を軽減させ、同時にBチームにも経験を積ませている。そして、今夜はグループ1・2位を決めるセルビア戦。4年前の前回大会ではセルビア・モンテネグロの国名で3位の強豪。男子的なバレーを展開し、攻撃は高いトスから豪快なスパイクで相手のブロックを崩壊させるのが特徴だ。 
 私の興味は、試合結果もさることながら、TVの視聴率と観客入場者数にある。つまり、スポーツ経営学に興味がある。視聴率の方は12%前後で悪くはない(4年前の最低は14.7%)。気になるのは、全日本のゲーム以外の開催地の観客入場者数である。視聴率はインターネットで調査できるが、観客入場者数は現地からの報告がないと把握できない。そして、大会実行委員会(FIVB、TBS、JVA、広告代理店)における収支決算がいかほどなのか、興味がある。こちらは、大会終了後に判るであろうから、その日まで待つしかない。

2010年10月31日日曜日

10/31(日) 春高バレー予選会が

 来年1月5日から開催される「新・春高バレー」の予選会が各県で本格的に始まっている。栃木県は昨日終了して、女子は国学院栃木が2-0で作新学院に快勝したと連絡が入った。青森県からは女子が弘前聖愛、男子が弘前工業が名乗りを上げた。今日、私は神奈川県女子の有力チームの一つである県立大和南高校に3ヶ月ぶりに訪問した。3年生のエースで主将の二見も東レに内定、他の3年生たちの多くも関東大学1部、2部の大学に進学予定。今日は、東京都ベスト4のチームとの練習試合で夕方5時までに9セットを行った。結果は五分五分で、東京都ベスト4の力はやはり相当高い。
 東京都からは3チーム出場できるので、共栄、下北沢成徳、文京学院、八王子実践の4チームから1チーム脱落することになる。予選会は2週間後だ。
 今度の予選会には3年生も出場できるが、例年ならば国体も終わり、3年生は引退している時期であるので、中には、気持が既に引退して、練習に身が入っていない3年生もかなりいる。このような高校バレーの年間スケジュールのリズムに各チームが慣れるまで、あと1,2年はかかるのではないかと思う。

10/31(日) 訃報

 30日のブログを打っていたら、日付けが変わった。実は、昼ごろに訃報が入った。ここのブログで何度も紹介している足利市ママさんバレーチームのミニクリニックを依頼された栃木県内では大手の阿部スポーツの社長が心筋梗塞で突然亡くなってしまった。まだ66歳である。足利市バレーボール協会でも筆頭副会長として今まで尽力され、来年度は会長として最後の仕事をしようという矢先であった。この1カ月、私はママさん9チームの指導に8日間足利市に通った。その度に、店の社長室で来年の足利市バレー界についての社長のビジョンを何度も聞いた。市内には高校で何度も全国優勝をした足利工業大付属高校、今年のインターハイ初出場の白鴎足利女子がある。私は小学生バレークラブの創設を提案し、来年度からは小学生チームの指導に足を運ぶ機会が増えちゃうかな、と考えていたのであるが・・・それもこれも社長が亡くなってしまっては、白紙になってしまうであろう。
 社長、あなたが亡くなったなんて嘘でしょう・・・?

2010年10月30日土曜日

10/30(日)/2010 足立区ママさんバレー事情

 きょうは午前中に、日本バレー協会事務局にて、審判規則委員会規則部の編集会議があるはずであったが、台風の影響で中止となった。それで、午後から予定していた足立区の「SCクラブ」という会員70名ほどいるママさんクラブ主催の第30回交流大会に昼前に着くように向かった。会場は足立区を代表する足立区総合スポーツセンターで、コート3面に18チーム集まりゲームが繰り広げられた。
 主催者で代表の石山和子さんという女性のリーダーシップが素晴らしい。私もこの方と知り合って、かれこれ15年ぐらいになるが、民生委員も30年以上務めており、地域に明るい。梅田・梅島地域の小学校の校長や病院長、警察署長もこの女性には一目置いている。9年前に足立区で総合型地域クラブを立ち上げたときに私も多少お手伝いしたのであるが、この方は行政主導ではなく、地域住民主導型の地域クラブを立ち上げた。財政的に厳しい面もあったが、各種プログラムの受講料や行政からの委託事業で乗り切っている。東京都の体育指導員としても活躍し、4年前に東京都の女性部長として要職にも就任され、昨年文部科学大臣賞で表彰され引退された。
 交流会には、東京都だけでなく埼玉県からも実力チームが招待されていた。元オリンピック選手が監督のチームも参加されていて、ユニチカで活躍したサウスポーの水原さんやヤシカで活躍した飯田高子さんと久し振りで再会した。私は、石山代表からSCクラブの監督として依頼(命令?)され3ゲームベンチに座った。冷や汗をかきながらもチームは優勝したが、私の指示を忠実に守ってプレーできるママさん達のほうが素晴らしい。レフトの170cmの30歳代アタッカーは9人制実業団の名門、山梨中央銀行で活躍したアタッカーであったり、応援に来ていたOGが東京都名門の中村高校出身であったり、いやはや凄いメンバーが揃っていた。
 交流会終了後、体育館別室で「30周年祝賀会」がささやかに開催された。平均年齢40歳半ばの会員の前で20年以上、30年以上の会員が功労賞を授与され、若手ママさんの手料理が振舞われた。30年以上で授与された堀さんという方が、私のベンチワークを見て「恩師の中村高校の渡辺先生にそっくりです」と涙を浮かべられたのには驚いた。私が、「渡辺先生は私の指導の恩師です」と申し上げると、またまた涙眼になって、高校生時代の渡辺先生との思い出を語ってくれた。その後、日紡の連勝記録を止めたヤシカの船山監督のこと、ヤシカからNECに移籍した頃の岩原さんのことや豊橋東の鈴木紋吉先生、久喜高校の稲山先生など40年前のバレー談議にタイムトラベルしていった。

2010年10月27日水曜日

10/27(水) 島嶼ソフトバレー交流会in新島


11月5日(土)に伊豆諸島にある新島村にて恒例のソフトバレーボール交流大会が開催される。午前中は、行政の担当課長さんと打ち合わせであった。

 7年前に小田急の元全日本監督である岩本先生からお話があって、伊豆諸島の島々を巡って開催していく島嶼ソフトバレーボールに着手した。行政側の(財)東京都スポーツ文化事業団と島(町村)の教育委員会が主催者となり、体育協会、バレー連盟が協力、東京都ソフトバレーボール連盟も後援、ミズノスポーツが協賛と官・民一体となって今まで推進してきた。

 新島村での開催は今回で3回目。教育委員会の担当者は代わっても、体育協会会長である前田さんが島内をまとめている。来週末の大会運営は心配していない。元全日本選手の女性達も特別参加でチームを作って同じコートでソフトバレーを楽しむ。島外からも愛知県、宮城県から県連盟の理事長などが参加してくる。東京都ソフト連盟の主要役員もチームを作って参加してくる。私もどこかのチームに交じって参加させていただく。

 島でのソフトバレー交流大会は、この他、お隣の神津島でも定期的に開催されている。2年前から私が普及のために派遣されている三宅島でも若い人達中心に継続されている。1月末には大島で講習会を兼ねて交流大会が開催される。この時には助手としてモントリオール金メダリストの白井貴子さんと矢野広美さんを同行していく予定である。金メダルを持参してくれると言うので、島の子供達には良き思い出となるに違いない。気軽に引き受けてくれる白井さんには感謝である。
(画像はあまり鮮明ではないが、大会要項。詳細は新島村教育委員会にお問い合わせいただきたい。1月末の大島大会の要項はまだ出来上がっていないが、三宅島に開催地が変わる場合もありそうだ。どちらで開催されるにせよ、島々の個性はどこも魅力いっぱいだ。夜空に広がる満天の星と海の透明さはどこの島でも素晴らしい)

2010年10月26日火曜日

10/25(月) 足利市ママさんバレーチーム訪問(7)


 月に10日も足利市に来ていると、市内のことが少ずつわかってくる。実は先週の金曜日は、東京でなかなか行けなかった理髪店に足利市内で行くことができた。料金は東京都の千代田区よりやや高めの3,700円であったが、店主と最近の足利市について情報を収集することができた。次回、時間があるときは美術館でも足を伸ばしたいところであるが、どうなるか。

 さて、8チーム目のママさんチームは市役所前にある改築になったばかりのけやき小学校体育館にて開催となった。改築したばかりの体育館はとても明るくて清潔であった。お母さん達が集まったのは7時40頃。何か独特の雰囲気を持っているチームである。おしとやかなパス練習をみて、これは足利市のプチ・セレブチームと見抜いた。チーム名が「ダイエット」となっているが、十分ダイエット・シルエットになっている。但し、体力は相当不足している様子である。そこで、まず楽しく行うダッシュトレーニングを行った。ネット下のセンターラインに2人一組になり、互いの両足を合わせて座る。ジャンケンを大きな声で行い、勝った人は素早く立ち上がり、エンドラインに逃げ、負けた人は追いかけて勝った人にタッチする、そんなミニゲームを5セット行った。このあと、プチ・セレブの皆さん、元気な声が体育館に響き、練習はスムーズに進んだ。

 当日は、初めてであったが、初心者のチームに効果がある応用練習を行った。名付けて「約束ラリーゲーム」。両コートに3対3でメンバーを入れ、レフトアタッカーが相手コートのバックセンターに拾わせるようにジャンプしないでオーバーパスか片手スパイクでヒットする。レシーバーはネット際のセッターに山なりに反し、セッターはネット際2.5mにトスを離して上げ、レフトアタッカーはジャンプしないで(慣れてきたら10cm程ジャンプしながらスパイクして)相手コートのバックセンターのレシーバーに優しく打ってあげる。これを5往復、ラリーが続くように行う。更には人数を増やしての約束ラリー練習を行う。このような、ネット越しにくるボールをレシーブしたり、ネット越しに相手コートに返球することで実戦に近い感覚を養うことができる。ゲーム・コーディネーション・トレーニングというのであろうか、この練習は初心者にお勧めである。

(画像は、チームの集合写真。ユニフォームが少し地味であったので、もう少し明るいカラーにすることで3点はアップしますとアドバイスしてお別れした。イエローとかオレンジにすると色白のプチ・セレブ系チームにはマッチすると思いますがねえ)

2010年10月24日日曜日

10/23(土) 町田市ママサンバレー小田急杯に挨拶

 睡眠不足で、朝の起床が辛かったが、東京都町田市で開催されているママサンバレー対象の小田急杯に向かった。自宅から電車で2時間かけて町田市総合体育館に着いた。連盟理事長の三浦さん、協賛社の小田急グループの岩本氏、モルテン社転勤者の方達に挨拶し、参加20数チームのゲームを暫く見学させていただいた。町田からは過去全国ママさん大会に2チーム出場しているレベルの高い地位だけに見ごたえのあるゲームが4コートのあちこちで見られた。
 途中、先月訪問指導した町田市のチームの代表者と再会し、今後の練習方法など質問を頂いた。熱心な代表者のいるチームは、確実にチーム力が向上する。一度訪問指導したチームには、その後、私のメールアドレスを教えて、通信指導の形でコーチングを継続しようと考えている。いわゆる「e‐コーチング」だ。
 夜には、都心でバレー仲間達と焼鳥屋さんに集合した。その中には、元実業団の名プレーヤーもおり、楽しい時間を過ごすことができた。途中、ある高校チームの監督から電話が来た。春高バレー予選会でベスト4を前にして早々と敗北した、との連絡であった。力があっても勝つわけではないのが勝負である。コート上の6人だけでなく、部員全員の「心」が一つにならないと勝つことはできない。特に多感な高校生の時代は、「バレーの指導」の前に「生徒指導」が優先事項だ。自分に不足している指導力をそのとき連絡のあった監督さんが自覚していれば、立ち直れると思うが、自覚しておらず子供たちに敗北の責任を押し付けるようであれば、同じような結末が待っていることであろう。

10/21(木)、22(金) 足利市ママさんバレーチーム訪問(5)(6)




 今月は、本当によく足利市に来ている。地元のスポーツ店の依頼で11月上旬まで計10チームへの個別指導を依頼されている。21日は2チーム合同での指導となった。多くのチームから、要望としてフォーメーション理論を確認したいという申し出が多い。


 私の指導スタイルとしては、フォーメーション原則を示し、そこに自分のチームの特徴を生かしたフォーメーションを作ることを提案している。コート上9名全員が1/9ずつ責任範囲を決めるのでなく、得意の人にはその範囲を広くすることがポイントである。そして、ベンチにいる最大3名のプレーヤーを補欠という名称でなく、12名全員がレギュラーと言う考え方でプレーすることが大事と考えている。そのためには、1人1人が得意のプレーを持たなければいけない。スペシャリストが12名いるという考え方とも言える。更に、ママさんバレーは10年、20年以上楽しめる息の長いスポーツなのであるから、1人2ポジションをこなす時間的余裕もある。20日の千葉市の大会で我がチームが辛うじて3勝できたのも、3試合目の2セットからフロントプレーヤーのレフトとライトのアタッカーを入れ替えたことが功を奏した。2試合を終えて、レフトアタッカーが下腿三頭筋の筋痙攣で動きが鈍ってきたのを見てとった私は、携帯メールでライトアタッカーとポジション・チェンジを指示した。今までのレフトアタッカーと打球のタイミングと球質が違うスパイクに面食らった相手チームにミスが生じてきた。もっとも、普段の練習、練習試合からポジションチェンジを経験させておくことが前提条件となる。
 21日は、10時半に遅い夕食をとり、市内のビジネスホテルに宿をとった。
22日は、市内でベスト4常連のチームと言うことで、要望事項も具体的に「チーム・レセプション(サーブレシーブ)」と「ブロックとディグ(スパイク・レシーブ)の関係」の2つが出てきた。このチームは高校での経験者が多いと見受けた。ある程度は上手なのであるが、体力が不足している。普段のボールを使用した練習だけでなく、自体重を使った簡単な筋トレの必要性を提案した。練習を21時30分に終え、最終の東武線に飛び乗って千葉県船橋市の自宅に着いたのは日付けが変わった0時20分であった。
(画像は3チームとの集合写真。21日の2チームの練習時には各チームの男性コーチも参加した。この2名の男性コーチが熱心な方達で練習効率が随分と上がった。) 

2010年10月21日木曜日

10/20(水) 我がママさんチームの初優勝   


 ママさんチームの指導を千葉市幕張の新チームでスタートして、今月で4カ月目に入った。私にとっては、新チームの公式大会は初めてである。千葉市の小さな大会ではあったが、チームとしては、結成以来初めて一日3試合連続の勝利であったようだ。コート優勝ということであったが、初心者だけ集まっているママさん達にとっては相当嬉しい勝利であったと思う。

 男性は、ベンチに座れない、観客席からサインで指示もできないママさんバレーのルールがあり、具体的な戦術の指示ができなかったものの、携帯電話メールでベンチに指示を送り続けた。試合は1回戦がフルセット逆転のジュース27点勝ちで、ハラハラして心臓に悪い。2回戦もフルセットで辛うじて逆転勝ち。コート決勝は、普段の練習試合でも5セットしかやったことがないチームが、8セットを消化してこれも逆転僅差で勝利した。

 4時頃に閉会式を終え、そこから1時間半ほど移動して、東京都江戸川区バレー連盟家庭婦人の部「連盟杯」の組み合わせ抽選会に立ち会った。連盟杯は区登録の76チームが参加する。1部から10部まであり、各部の下位2チームと上位2チームがそれぞれ上位と下位の部に自動的に入れ替わる。抽選会の後、先週末と同じような役員のメンバーで近くの居酒屋で一杯と相成った。今夜も楽しく親父ギャグで盛り上がった。

 明日から2日間連続で足利市ママさんバレーチームの指導にまたまた行く。要請があるのは大変うれしいが、最近嬉しい悲鳴に近くなってきた。
(画像は新我がママさんチームの「うたせマリンズ」という平均年齢43歳?位のチーム。これから1年かけて全国大会出場チームに育ててみようと考えている。難しいことは百も承知であるが、それも私のコーチ修行と考えている。)

2010年10月18日月曜日

10/17(日) 江戸川区バレーボール連盟訪問




 JR新小岩駅からバスに乗って15分ほどのところに江戸川区総合体育館がある。きょうは、そこで江戸川区バレーボール連盟の主要役員さんとバレー教室開催などの打ち合わせのために伺った。打ち合わせも1時間ほどで終了し、体育館で繰り広げられている区民家庭婦人大会の決勝戦を観戦した。ママさんとしては、かなりレベルの高いゲームをやっていた。2段トスを力強く打ちこなせるサイドアタッカーのいるチームは、やはり安定している。できれば、力強さのほかに、9人制ならではの、ネットプレー、リバウンドプレー、サイドのマーカーの幅一杯を使ったストレート攻撃があるともっと楽しめる。
 準優勝したチームから声をかけられ、アドバイスをお願いされた。そこで、「ラストボールの返し方の工夫」をアドバイスさせていただいた。「ラストボールを、相手のチャンスボールにしないこと。ラストボールも攻撃である。相手が取りにくいところや、ライン際のジャッジの判断の迷うところ、リズムを崩すために天井高く上げて返したり、アタッカーの前にポトンと落として助走距離を短くさせたり、前向きで返せるならばジャンプしないで片手でボールにカーブさせてのスパイク動作での返球など相手に余裕を与えない返し方を工夫すべき」とお話したが、かえって混乱させたかもしれない。一般的には、相手コートに後ろ向きで返す場合は、相手コートの真ん中のハーフの人に拾わせるように返し、相手コートに向いて返す場合は、コートのコーナー深く返すことの2つの返し方を練習しておけば良い。ラストボールの練習を時にはやっておくこともゲームでは大事である。後ろ向きのアンダーハンドのコントロール練習も、従ってやっておく必要性があるということだ。また、アンダーハンドの腕を振って遠くにボールを飛ばす練習も、ラストボールでは必要だ。このような練習は、意外とやられていないが、大事なスキルである。
 閉会式の後、一部の役員さんと夕食に出かけた。江戸川区連盟は連盟役員と家庭婦人の部の役員は非常に仲が良い。登録チーム数ではママさんチームが76チームと小・中学・高校合わせたチーム数とほぼ同数かややママさんが上回っている。夕食での話題は個人的な近況からイタリアでの男子バレー世界選手権大会、全日本ビーチバレーまで多彩だ。それもそのはず、江戸川区の小学生バレーは何度も日本一にもなっているし、中学も安田学園が日本一になっている。その子たちが東洋高校や共栄学園、文京学園、下北沢成徳に進学、更には関東一部の大学やVリーグに進み全日本に入る子もいる。先月引退した大山加奈さんもこの江戸川区のひまわりクラブという小学生バレーの出身だ。大山さんの妹がビーチバレーでだれそれと組むとか最新の情報まで知っている。そういえば、今日のママさんバレーの決勝で優勝したチームのバックセンターには春高バレーで優勝した東洋高校のエースのお母さんが華麗なプレーを披露していた。
 役員との夕食は、そのあと店を変えて二次会となったが、誰一人として帰る気配はない。それでも、明日は月曜日ということで、8時半にはお開きとさせていただいた。元気な役員さんたちであった。
(画像は、閉会式。決勝日に残ったママさんチームが整列。この日は全てストレートのゲームで、4時半には閉会式ができた。役員の方々、本当にお疲れさまでした。)

2010年10月16日土曜日

10/16(土) ヤワラちゃん引退に見る政治とスポーツ

 本日の朝刊は円高続伸の記事と谷亮子参議院議員の柔道アスリート引退の話題で社会面もスポーツ面も埋まった。彼女が参議院選挙に出馬した時もそうであったが、ヤワラちゃんの清々しさにマッチしないどこか違和感が今回もあった。
 結論から言うと、政界に入ろうと決心したのも、トップアスリートを引退しようと決心したのにも、彼女の意思があまり感じられなかったからである。参議院選挙に出馬した時、子育てをしながらもスポーツを楽しめる社会環境作りが必要と自覚したことは、我々も大いに歓迎であった。トップアスリートが運動の先頭に立っていただけるのは心強い。しかし、彼女がいきなり国政というところで彼女の意思を貫き通すことは、オリンピックでメダルを7個取ることとはまた違う努力、能力が必要とされる。オリンピックで金メダルを取る能力は特殊能力である。日本の方向性を決める政治家の能力も特殊なものである。その意味では、宮崎県知事に当選した元芸能人の方は使命感は人並み以上あっても知識と経験不足を大学院に入学して地方自治を学習することで不足を補い、現在合格点で職務を遂行している。
 引退記者会見で、彼女の隣に座っていた民主党の大物議員とのツーショットが「政治とスポーツの関係」を象徴的に表している。彼女が選挙に出馬した時も、当選した時も、引退会見のときも「政治ありき」でスポーツが見事に利用されている。思い出せば、大相撲の貴乃花が凄絶な取り組みで優勝を遂げた時の千秋楽で、時の首相が「感動した!」と褒め称えたとき、その首相の高感度は上がり、内閣支持率は上がった。まさに、その首相がメディアを通じて大相撲という国民的スポーツイベントの高揚感を上手に利用した構図であった。今回の記者会見にも、それと似たような感覚がある。
 政治とスポーツの関係の歴史は、オリンピック発祥のアテネの古代からあった。日本でも、政治のことを「政りごと=まつりごと」と言う。まつりごとは「祀りごと」「祭りごと」にも通じる。昭和39年の東京オリンピック、2年前の北京オリンピックもその国が世界に広報宣伝活動する絶好の機会として効果を上げた。私は、それば悪いとは言わない。言いたいのは、政治にスポーツが利用され翻弄されるだけでなく、スポーツが政治を活用して健康で平和な地域作り、国作りの推進にもっともっと寄与できるということを言いたい。
 ヤワラちゃんは、トップアスリートを引退しても柔道を止めたわけではない。その意味では、日本経済新聞の見出しの「現役引退」は正しい見出し記事であるが、朝日新聞の「柔道引退」は誤った表記である。彼女が柔道を隠し技にして政治家として活躍できる道は多くある。例えば、柔道家でもあるロシアのプーチン首相とは乱取りした後に外交会談をすることで息が弾む、ではなく・・・話が弾むであろう。
フランスでは日本国内より多い柔道愛好者の歓迎の元、スポーツ省大臣とスポーツ談議が弾み、フランスに見習って日本にもスポーツ省設立の弾みになるかもしれない。南米に行けば、日本から移住された多くの日系人がやはり柔道を通じて日本に愛着を持っている。
 今回の記者会見は、柔道の「ヤワラちゃん」から政治家の「谷亮子」に向かって邁進する決意表明と見た。政界のアンフェアな反則に負けるな、谷亮子!

2010年10月15日金曜日

10/14(木) 足利市ママさんチームクリニック(4)


 昨夜の足利市ママさんチームは「富田クラブ」さん。練習会場の富田中学校は東武線足利市駅から車で20分は掛ったであろうか、道路の電灯が心なしか少ない虫の声が良く聞こえる地域にあった。アップが始まっても、秋の虫の声の方が大きい。まずは、声の出し方、集合のし方から指導が始まった。しかし、素直なママさん達が多くて、皆さん私の少し乱暴な指導にもすぐに反応して、練習の終わりごろは、動作が随分と機敏になった。

 最近の、私のママさんへの指導は、初めてのチームにでも、自分のチームのように結構相手の心に入り込んでいく。以前は、お客様という意識で「丁寧に」「やさしく」をモットーに指導していた。しかし、それでは、皮膚感覚だけの関係で、心まで沁み込んでいかない。たとえ、少ない時間のコーチングであっても、反復練習の中から「なるほど、納得した」と身体全体で理解してもらうまで、時間の許すまで繰り返し、繰り返し体に覚え込ませる。

 練習を9時30分に終えて、電車に飛び乗り、我が家のある千葉県西船橋駅に着いたのが、深夜の0時20分であった。

 「できた!」その時の晴れがましい顔を見たいがために、また来週、足利市に行く。来週は1泊2日で2チームの指導になる。

(画像は、富田クラブの皆さん。ちょっと厳しかったかもしれないけど、毎日じゃないからね。教えたスクワットのトレーニングを一日おきに継続して下肢を鍛えてくださいね。それから、アンダーでの2段トスのコントロールはネットから2m離すんですよ)

2010年10月13日水曜日

10/13(水) 投稿者のママキチさんへ回答


 読者のママキチさんというソフトバレー愛好者の方から質問がきました。視野を広くしてプレーするためにはどのような練習をしたらよろしいでしょうか?という質問です。

 初心者の方達は、ボールを良く見てプレーしなさいと、コーチに言われます。確かにそれは基本です。初級レベルではそのことが大事です。中級レベルに行くには、ボールだけでなくボールを次に送る相手(仲間)を、更にはボールを扱おうとしている相手(仲間)を見る必要があります。視点の順序としては、ボールを見る、相手(仲間)を見る、そしてまたボールを見る、ということになります。初級レベルの方は、ボールだけ見ているんですね。つまり、周りを見ていない。従って、1個のボールに複数の人間が取りに行こうとして接触したり、逆に互いに遠慮して手を出さない、いわゆる「お見合い」をやったりのミスプレーを犯してしまいます。

 私が高校生のとき、監督からよく言われました。「おい、阿部(旧姓です)相手を見てボールを返せよ!」。しかし、口で言われただけで、監督の指示通りできる生徒はほんの一握りだけでした。その後、私が指導者になって、ボール以外の物体を見るにはどうしたら良いのか、何か良い練習法はないものか考えていましたら「スポーツビジョン・トレーニング」という本と出合うことができました。この本では、周辺視野、瞬間視、動体視力という眼の能力アップを解説していました。スポーツビジョン関連の本も買い漁って結構学習しました。その成果があったのでしょう。40歳から始めたソフトバレーで実践してみたところ、相手のコートが良く見えるようになり、攻撃は強烈なスパイクを打たずとも、ネット際へのフェイントかエンドライン際へのプッシュの2つの攻撃スキルだけで面白いように決まるようになりました。相手のチームにも私と同じような視力を持つプレーヤーがいると、ゲーム中に頻繁にお互いの眼がネットを通じて合うものでたがいに苦笑したものです。元全日本男子のミドルプレーヤーで天才と言われた岩島選手(多治見工業、法政大学、富士フィルムで活躍、全日本ジュニア監督)は、そのようなとき、眼で相手にフェイントをかける、と教えてくれました。なるほど、と納得した次第です。

 さて、練習方法ですが、ママキチさんでも出来る簡単な方法を教えます。通常のパス練習で相手の人がパスした後、ママキチさんはそのボールを見ます。そのボールの高さと方向(放物線)を確認したら、相手の人に手でサインを出してもらいます。ママキチさんは、両腕をオーバーハンドできる準備の構えを維持して、ボールの落下点に移動しながら、そのサインをちらっと見ます。この時の見方がポイントです。頭を動かして見ないで、目玉だけ動かして見ることです。頭を動かして相手を見ると画像全体が動いてしまいピントが合いません。目玉だけ上下左右に素早く動かすことです。そして、相手の手のサインがパーであれば、「パー!」と大きな声を出して反応してオーバーハンドパスを、サインがグーであれば、「アンダーハンドパス」を行います。チョキだったら?それはママキチさんが考えてください。真似からオリジナルを作ることが脳の活性化にもつながります。イミテーションからクリエーションですね。例えば、チョキだったら、低く速いオーバーでの平行パスでもいいですね。更には、パーでひらひらさせたら、オーバーで一度頭の上方にあげて(直上パス)から180度ターンしてバックパスで相手に返球することもパスのスキルアップになって大変効果があります。考えていくとどんどん出てきますね。片手ではどうか?ヘディングではどうか?ジャンプパスではどうか?腕立て伏せをしてからパスするのは体力トレーニングになるがどうか?この練習は2人でやるのですが、最初のレベルでは連続させないで、1本ずつやりましょう。投げる人は常に投げるだけ、ボールを受ける人はパスするだけの一方通行の練習が効率が上がります。更には3人で一列になってもやれます。三角形でやるとより実践的になってきます。

 また、アップの対人パス練習中に、誰か特定の人(物)を、ボールが空中にある間にちらっと見るのも効果があります。例えば、体育館玄関とか、監督さんとか、仲間とかをちらっと見るのです。体育館以外では、電車がホームに出入りする時に、車両の中の人を見たり、車体の広告を読んだりするのも手軽で良いですね。但し、目玉だけキョロキョロさせるので、人が見ているところでやると「?な人」と間違われる可能性もありますのでご注意してください。新聞を読むときに、1秒~2秒だけ紙面をざっと眺めた後に閉じて、どんな記事が載っていたかを言い当てることも瞬間視が鍛えられて宜しいですね。

 左右・上下に目玉が動くようになったら、次は前後です。深視力といいます。手前と深いところを交互に見るトレーニングです。

 ボールの中には何が詰まっていますか?空気ですね。意思は詰まっていません。意思は人間が、プレーヤーが持っています。ですから、ボールを視認したら、次はプレーヤーを見るのです。そしてまたボールを見てご自分の最終の意思決定をするのです。これが、サッカーでもバスケットでもハンドボールでもチームでのボール・ゲームに必須の能力である「状況判断力」といわれる能力です。

 さて、昨日は、UAE(アラブ首長国連邦)でプロコーチ活動を始めた足立さんと半年ぶりに御茶ノ水駅の純喫茶で再会した。最近のアラブ、ヨーロッパ事情を聞かせていただいた。UAEは1971年に7つの部族が一緒になった国なので王族が大変多い。そしてオイル・マネーの国でもあり、そのパワーでスポーツの世界にも大きな影響を与えている。世界のバレー界はどこに向かっていこうとしているのか?そして日本はFIVB(国際バレーボール連盟)とどのような関係を今後構築するのか?FIVBで日本人で唯一現役インストラクターである足立さんとは、来週また話を続ける予定だ。来月にはUAEからナショナルチームを支援している王族の一人が日本を訪問するとのことだ。私の錆びついたアラビア語を少し磨いておかないといけないかな?
(画像は、久し振りに送られてきた読者のKさんからのコスモスです。もう10月に入ったんですね)

2010年10月11日月曜日

10/11(祝) 世界の大砲、白井貴子さんと一緒にソフトバレー


 モントリオール金メダリスト、その前後の世界選手権、ワールドカップでも金メダリストのバレーの世界で初めて三冠を達成した全日本女子のエースアタッカー、大砲といえば、そうです。あの白井貴子さんと一緒に栃木県足利市にてソフトバレーボールの講習会をやってきました。いやあ・・・ビッグ(白井さんの愛称)さんと一緒に講習会をやるのは、白井さんが現役を退いた翌年以来ですから、かれこれ30年振りのコンビ再結成ということになる。よく喋るし、よく食べる。身長も伸びたようで、現役の183cmより高く見える。

 「金メダル持ってきて頂ける?」とお願いしたら、二つ返事で「OK!」。受講者の市民の方たちは大喜びで、金メダルを間近で見て、手に取り感激ひとしお。ある老夫婦の方達は「ありがとうございます。これで冥土の良い土産ができました」と御礼の言葉を丁寧に述べられたことには、ビッグさんも私も顔を合わせて驚いた。「この金メダルも、まだまだ人のお役に立てるんだね」とビッグさんもまんざらではない様子であった。

ビッグさんには、このあと1月に伊豆諸島の大島にて講習会とソフトバレー交流大会にプレーヤーでも出場して頂く。元オリンピックメダリストたちがソフトバレーの世界に出てくるのは大歓迎。世界の大砲がソフトバレーをやると、どんなパフォーマンスが出てくるのか、今から楽しみである。
 明日は、現在アラブ首長国連邦にて男子シニアナショナルチームを指導し始め、一時帰国中の足立さんとお会いする。最近の欧州バレー界事情をたっぷりと聞ける。そして、深夜は男子世界バレー選手権大会の決勝戦が放映される。決勝に残ったのはブラジルか、イタリアか、はたまたセルビアかキューバか・・・。
(画像は、ビッグさんとのツーショット。本当に自分の心に正直な人だ。この人なくて、あの個性派ぞろいの全日本女子はまとまらなかったであろう。この人をもっと世間に出したい、と私のプロデュース心が少し動いた。)


2010年10月10日日曜日

10/10(日) 今年のノーベル平和賞

 今年のノーベル平和賞は、中国人人権活動家の劉曉波(リウ・シアオポー)氏への授賞が決まった。これにより、中国は世界第2位の経済大国として、また軍事大国としての地位に見合った責任ある振る舞いを世界から求められた格好だ。中国政府は、今回の授賞に対して、ノーベル賞委員会が設置されているノルウエーに対して圧力を加えるような警告をしている。まったく、大人げない態度だ。中国の圧力に対してノルウエー首相も歴任している委員長のヤーグラン氏は、中国の圧力には全く動じていない。私は、そこに人間の強さを感じた。先ごろ亡くなった、野球評論家の大沢親分であれば、中国に「喝!」、ヤーグラン氏に「あっぱれ!」と評価したに違いない。
 アメリカ合衆国のオバマ大統領は、今回の平和賞を好意的に評価した。さて、我が国のリーダーは、いかなる反応を示すのであろうか?平和を唱えるのは人間の心、戦争を始めるのも人間の心。人間力が試されている。

2010年10月9日土曜日

10/8(金) 我がママさんチーム練習試合

 昨夜、私がコーチに就任して2回目の練習試合を行った。相手は同じようなレベルのチームであったが、我がチームのメンバーを見ていて感じたことがあった。ボールと自分の周囲の1mほどしか周辺視野がないのである。従って、ブロックのときもトスボールしか見ていないから、相手のアタッカーの助走コースやジャンプの位置、タイミング、打球のコースは見れない。これが普通のママさんなんだなと、改めて初心者指導を徹底しなければいけないことを痛感した。レシーブにしても、2段トスにしてもプレーヤー同士が接触したりで、周囲が見えていない。相手のチームが良いのではなく、自分達のコート内で自分達が原因でミスを繰り返している。
 従って、来週からは、視野を広げる練習とミニゲームを沢山行うことをメンバーに告げた。ポジションにも手をつけなければいけない。ここのポジションに必要なスキルは何なのか明確に認識していただかないといけない。「うちのチームは弱くて困るんです」そんなことを言う指導者に、私は「教え甲斐があっていいですね」と答えているが、今度はその言葉を自分自身に言う番になった。振り返ってみれば、コーチング人生5年に1チームはこのように新チーム指導スタートの生みの苦しみがあった。今回も初心者指導のおさらいのつもりで着実に指導していこう。長く指導人生を送っていると、「教えたつもり」が多くなってくる。今年のように、多くのチームに指導をしていると他のチームに言ったことが自分のチームに言ったと勘違いしている場合もある。来週からの指導においては、指導計画書を作成して段階的に指導していきたい。但し、計画の変更は柔軟性を持っていきたい。
 来年の今頃は、我がチームは格段の進歩を遂げているのは目に見えているが、指導を始めて4カ月目に入る今頃はミスプレーのオンパレードにストレスが溜まってしまう。指導者も「根気」がいる。
 明日は、世界三冠達成の女子バレー金メダリストの白井貴子さんと一緒に足利市にソフトバレーの講習会で1泊で行ってくる。夜には、楽しいバレー談議ができる。

2010年10月5日火曜日

9/30ー10/4 千葉国体 少年男子バレーボール

 5日間、千葉国体に業務で行ってきた。売店のおじさんの業務で、選手が体育館に着く前から選手達が帰るまで体育館の横の売店で一日を過ごす。朝早く体育館に着いての楽しみがある。各チームのアップを見ることだ。各チーム個性があって面白い。3-4位決定戦の長崎県(大村工業高校)はコーディネーションと筋トレを合わせたトレーニング、長野県(創造学園大高校)は、イメージトレーニングで連続技術をやっていた。
 決勝は、福岡県(大濠)が神奈川県(弥栄中心の選抜)を3-0のストレートで退けて優勝。優勝候補の東京(東洋)は、2回戦で長崎県に僅差のストレート負け。東洋監督の北畠先生がベンチに座っていない分、得点が少ないように見受けた。インターハイ優勝の山口県(宇部商業)も3回戦負けで5-7位決定戦にまわり、地元の千葉を退けた。来年は、今大会でも活躍した2年生が主力の来年度国体開催地である山口国体を控えた宇部商業と長野県の創造学園大の2チーム、そして東京の東亜が軸になって優勝を争うものと予想される。
 女子は、宮城県(古川学園)が大分県(東九州龍谷)を破り優勝、3位は長崎県(九州文化)、4位は京都府(京都橘)と常連が続いた。京都橘の監督が体育館で倒れドクターヘリで搬送されたと聞いたが、その後の安否が気にかかる。
 千葉国体を最後に、9人制バレーが国体の種目から消える。何んとも寂しくやりきれない。日本のバレーの礎である9人制が国体の種目から無くなるということは、9人制の今後の衰退が加速しかねない。特に企業チームが衰退していくことは目に見える。なんともやりきれない。
 国体の記事の中で現在イタリアで開催している男子世界選手権大会の記事が小さく出ていた。全日本男子は、2次リーグでフランス、アルゼンチンに敗退しベスト16に入れなかった。全日本男子は5日に帰国します。前全日本男子バレーのセッターであった朝長先生が売店に来て、そんな事を聞いた。男子の世界も他国は進化している。日本も進化しているが、世界はそれ以上だ。技術・戦術論だけでは勝てない世界になってきた。世界を見据えた中期的な強化策が更に必要な時期である。 

2010年9月27日月曜日

9/27(月) ブログへの投稿で考えさせられたこと

 本日の深夜に、ブログへの投稿がありました。県高校トップのバレー部に所属していた高校3年生の娘さんが県の春高バレー予選会直前になって退部したとのことの記述でした。理由は、監督さんから「チームに必要なし」と宣告されたからということです。元々Bチームで活躍していて、レギュラーではなかったとのことですが、投稿された親御さんの書き込みからは、レギュラーでなくともチームの一員でありたいのに、それさえも否定された我が子が哀れとの思いは伝わりました。現在は、地元のクラブチームで楽しくバレーボールをつづけられているとのことで何よりです。
 私は、そのチームの10数年前までの監督は良く存じております。その後、コーチから監督に昇格した先生も知っていますが、現在の監督は知りません。バレーボールが上手でなくとも部活に入ってきた子供は全員チームに必要な子たちです。指導者は、子供たちにバレーボールの楽しさを指導することが第一の仕事です。勝つことの努力はその次です。そして、学校の校則、部の規律を遵守するなかで、一人ひとりに役割があります。コート上で活躍する人、コート外で活躍する人。社会での会社組織と同じです。目立つ部署の人間だけでは良い結果は出せません。商品の企画・開発・マーケティング・工場での生産管理・商品管理・発送・経理・苦情処理などは、現場の営業や広報宣伝ほど目立たない部署ですが、必要な部署です。多くの子供たちを管理・指導、つまりチーム経営できる自信がなければ、始めから少人数での部構成にすればよいのです。
 部の規律を守り、仲間を尊敬でき、バレーボールが好きな子供であれば、チームに不要な子は一人もいません。今回の投稿のようなケースは現場で結構あります。最終的には、子供たちは監督が嫌い=(イコール)バレーボールが嫌い、になるケースが多いです。今回のケースは、バレーボールは嫌いにならずに、地元のクラブでバレーボールを再開したようですが、稀なケースです。全国高校体育連盟では部活のこのような問題はレポートなどで表に出てきません。(私自身は、論文でまとめてみようと以前から考えています。)
 子供が部活を辞めざるを得ないケースは、経済的な理由、勉学との両立ができないとの理由、部の友人との不和・いじめ、指導者との確執、親との衝突、病気など色々あると思います。子供たちの3年間は、指導者にとっては長い指導者生活のごく一部でしょうが、子供達には取り返しのできない貴重な時間です。現在、私は60歳近いのですが、高校生達の時間は、今の私の3倍のスピードで進行しているとも言えます。だから、私達指導者は一日一日を、一人一人を大事にしていく必要があります。
 私は大人になる直前の高校生が好きです。それは、未知の世界に対して不安や恐れがあるものの真剣だからです。バレーボールというスポーツは、たかが遊びですが、高尚な遊びにすることもできます。心と心が真剣にぶつかることでプレーする人にも、見る人にも、支える人にも感動が生まれ、勇気や元気が出るからです。そしてチームが変わり、学校が変わり、地域社会が変わり、日本が変わっていくパワーが生まれてくるからです。スポーツを発明してくれた先達たちに感謝します。
 最後に、講習会で私が指導者の方達にお願いする言葉を記して終わります。
「皆さんは、チームで監督さんやコーチです。しかし、子供たちがいなければチームはできないのです。そんな当たり前のことを思い出して子供たちに感謝をして今後も指導を継続してください。先生達のDNAを子供たちに伝えてバレー大好きな人を増やしてください。先生方の夢をその子たちが引き継いで実現してくれる場合もあります。監督がいて子供たちがいるのではなく、子供たちがいて監督をさせてもらっているという考え方を時にはすることも無益ではないと思います」

2010年9月26日日曜日

9/26(日) 千葉国体デモスポ、ソフトバレー交流大会

 本日は、千葉国体を記念して、レクリエーションスポーツであるソフトバレーを富里市地域住人を中心に県内の愛好者が集まり楽しむ日であった。我がソフトバレーチームも混合40歳以上の部に出場した。平均年齢だけはいつも高い。40歳は辛うじて一人で、60歳代が2人、50歳代が4人、48歳が1人というチーム構成であった。結果はいつもの通りで2位グループ。残念なのは、毎回、チームの平均年齢を自慢するのはいいのだが、加齢と伴にジャンプ力や瞬発力が落ちていくことだ。今回、県内各地から集まってきたチームには10年以上ぶりに再会したソフト愛好者が多かった。現在は県連盟に登録せず、地域で楽しんでいるチームの方々だ。なかには、ブログ読んでいますよと言ってくれる方もいた。
 審判技術に関して、若い人はオーバーネットの判定基準や判定の見方が判らないのであろう。ほとんど見逃していた。サービスのときもネットインサーブの監視のために指をネット上端にかけていない若い主審が多かった。ユニフォームに関してはパンツは同じ色であればラインの有無は問わないが、シャツのカラー、デザインが全く違うというのはいただけなかった。せめてビブスを着用させるように事前に注意喚起して指導できなかったであろうか?また、監督会議の会場は体育館一階にある道場の畳の上に胡坐をかいての窮屈な会議であった。お隣の部屋には机と椅子があったので何で使用しなかったのか疑問に感じた。そんなことを書くと年寄りの戯言といわれるので、これぐらいにしよう。しかし、県体協、市体協、県協会、県連盟が絡んでの通常の県大会以上に有意義な交流大会なので、今少し運営に格式と統一制が欲しかった。たかがレクリエーション、されどレクリエーションである。
 いずれにしろ、本日もソフトバレーボールを皆と一緒にでき、古くからの愛好者とも再会でき、怪我なく一日を終えられたことに大会役員に対して、相手チームに対して、我がチームの仲間に対して感謝したい。

2010年9月25日土曜日

9/25(土) JVA審判規則委員会編集会議

 今日は、一日、千駄ヶ谷にある日本バレーボール協会事務局の会議室にて、来年度の6人制ルール初め9人制、ソフトバレー、ビーチバレーの競技規則(ルール)の編集会議であった。ソフトバレーの来年度のルールの修正点は20数点ある。わかり易いルールブックを目指している我々としては、現在のルールブックは分かりにくい。目標は中学生でも理解できる条文作りだ。
 6人制は2年ぶりに一部改正がある。この9月のローマでのFIVB国際バレーボール連盟総会で決まったばかりだという。ここでは詳細は述べられないが、リベロに関して改正がある。
 編集会議が終わったのは、夕方の5時。来月の末に第3回の編集会議あり、ソフトバレーは原稿を作成しなければいけない。ソフトバレーボール連盟の3代目の審判規則委員長に就任して4年目を迎える。まだまだ委員会活動には納得していない。来年3月の20日に東京で開催する予定の全国審判長会議が一つの節目になりそうだ。 

2010年9月23日木曜日

9/23(木) 自宅での秋分の日

 昨夜の講習会は楽しかったが、そこから自宅のある西船橋駅までの移動の二時間は疲れた。本日が休日で良かった。しかし、昨日の猛暑と比べて10度も気温が下がった。夕方に東京都ソフトバレー連盟会長である秋葉さんのご母堂の御通夜がある。私は、我が家の小さな仏壇を通じてお別れさせていただいた。ご母堂は享年101歳とのことだ。
 9月もあと1週間で終わる。来週は千葉国体バレーボールが開幕する。明日金曜日は、我がママさんバレーの練習日。土曜日はJVA事務局にて第2回の審判規則部規則部会(ルールブック編集会議)。 日曜日は、千葉国体の関係でデモンストレーション・スポーツ(デモスポ)のソフトバレーボールの部(40歳以上混合)に出場する。そして、30日からは、仕事の関係で少年男子の会場である城西国際大学に10月4日までいる。

9/22(水) 栃木県足利市のママさんチーム訪問(3)


 夕方に御茶ノ水駅から北千住駅を経由して東武線特急にて足利市駅に向かった。東武線は開通して、今年で100周年ということだ。関係している方角名の路線で他には、西武線、南武線はあるが北武線はない。そんなことを頭に浮かべながら、2週間ぶりに足利市を訪れた。今回の訪問チームは、市内でも強豪の「ローズマリー」というクラブ員数14名という理想的なメンバー数の平均年齢は40歳代半ばのチームである。

 練習会場に車で向かう途中で秋雨前線の影響で雷と集中豪雨に遇った。幸い、15分ぐらいで豪雨は止んでくれたが、最近の集中豪雨は恐い。道路の隣を流れている渡良瀬川は闇の黒さで流れは見えない。練習会場は、改築されたばかりの市立三重小学校体育館で、中学校の体育館ほどの広さがあり、トイレもピカピカで清潔であった。

 チームからの要望の練習テーマは「サーブレシーブの基本とサーブレシーブのフォーメーション」。まずは基本のアンダーハンドパスから指導。手の組み方、腕の骨、腕の面の作り方を説明していった。スピードのないボールを飛ばすには膝を使って体重移動をして多少腕を振らなければいけない。この時の腕の振りで注意しなければいけないのが「下から上に振らない」こと。下から上に腕を振ると、肘が曲がり、スピードボールが来た場合はコントロールできなくなるからだ。体重移動と共に自然に腕を振っても良いが、ポイントは「後ろから前に振る」ことだ。

 膝を使って体重移動でサービスボールをコントロールする良い基本練習がある。2人の間の距離を2m程にしてアンダーハンドパスを床に平行に低くリズムよく行うやり方が効果的である。この練習をネットえお挟んでネット下にて行うと更に効果的で膝の使い方を簡単に覚えることができる。股関節周りの筋肉も鍛えられるので一石二鳥である。

 この後、一列レシーブを行ったが、1人1回で交替するのではなく、1人3回連続レシーブしてから交替するほうが脳生理学的に効果がある。サーバーは、バックスピンさせたサーブを近距離から打っていき、5週目はエンドラインからサーブを打っていく。短から長へ、易から難へ、反復繰り返しというトレーニングの原則を当てはめていく。タイミングを取るために、レシーブ練習をやっていない人たちが「1、2~3」とタイミングを取る声を出すのも大事である。練習は、この後、フォーメーションから切り取った3人でのレシーブへ移った。ママさんのように練習時間が週2回くらいしか練習時間を取れないチームの練習は、なるべくゲームライクな練習が効果的である。個人の技能を高めるための個人練習に当てる時間は豊富にない。従って、小さなフォーメーションでの練習が良いと考えている。最後にママさんでも強烈なサーブをするチームは多いので、そのようなスピードサーブを意図的に作るために、小学校には必ずある跳び箱(上から2段~3段)を器具室から出してもらい、その上にコーチが上がりサーブを打つようにした。エンドラインより2mほどネットに近付けた位置から打つと角度もスピードもある強烈なサーブが出来上がる。このようなサーブにも慣れておくと、実戦的な練習になり、本番でも臆することがなくなる。

(画像は、ローズマリーの皆さんとの集合写真。全員のレベルが高いので、サーブレシーブのAパス率が70%以上になったときが、県大会で上位に入るチャンスがある。練習中も行動が素早いリズム感のあるチームであった)

2010年9月20日月曜日

9/17~19(日) 全国ソフトバレー・レディス&メンズ交流大会開催

 金曜日朝、羽田空港から愛媛県松山空港に飛んだ。昨年の山形県酒田市での開催に次いでのレディス&メンズ交流大会での役員活動である。空港では愛媛県連盟の会長である青野さんが出迎えてくれた。この時にちょっとしたハプニングがあった。出迎え口に出てくると女性の声で「ナベさん」と呼ぶ声があった。青野会長の他にも知り合いの方がいたのかなと声の方を見ると、そこには3年前に一緒に大学院に入学した徳野良子さんがいた。アテネオリンピックビーチバレー女子日本代表の徳野さんは、愛媛県の聖カタリナ女子高校出身で あった。昨年生まれたばかりのお子さんを腕に抱いていた。聞いてみると、お姉さんを出迎えていて、偶然私を見かけたとのことであった。
 空港から車で20分したところの会場である県武道館に向かった。隣には野球の「坊ちゃん球場」や競輪場がある総合運動場の中にある。体育館は築8年という。今回初めてソフトバレーで使用するという。初めて使用するというところに少し不安を抱いたが、それはその後の審判クリニックでコート設営を見たときに不安が的中した。
 体育館に入り、連盟役員に挨拶し、さっそく実行委員会で大会期間中の段取りの確認を行い、代表者会議を行った。確認事項として、4名、5名での出場チームにはペナルティとして優勝はないこととした。確かに39歳以下2名と40歳以上4名の最低6名を揃えるに際して出場チームは大変な苦労してきている。実は、千葉県代表で我がクラブの「船橋大穴クラブ」が初出場したのであるが、仕事の関係や家族の関係などで5名しか出場していない。監督である私は、大会副委員長であるので役員をやりながらチームに関わるわけにはいかない。県大会ではそのようなことは、県によっては、まま許されても、全国大会では両方務めるだけの余裕はない。監督には応援に来ていただいたクラブの代表者である白井さん(女性)に交替して頂いた。
 チーム構成で、4人や五人というチームが男女で計15チームも出たことは、チーム構成の作り方に検討の必要があるのではないかと、日本連盟で今年中に企画委員会(常任理事会)を開催することを
決めた。案として①全員20歳以上にする②全員35歳以上とする③コート上に20歳以上1人、40歳以上3人、というのが上がっている。大会出場条件としては、愛好者がチームを作りやすく、出場しやすいものであることを目指していきたい。スローガンの『誰でも』という言葉の意味を具現化していきたい。

(画像は我が船橋大穴クラブのメンバーである。大穴とは地名で船橋市立大穴中学校は最近まで千葉県中学校大会で優勝など優秀な成績をあげていた。我々クラブ員30数名の練習の場である。今週末には千葉国体を記念して成田空港に近い富里町にてデモンストレーション・スポーツ(デモスポ)としてソフトバレー交流大会が行われる。ここでは、私もプレーヤーとして存分に楽しみたい。60歳を前にして、サーブはやはりジャンプスパイクサーブに挑戦していきたい)。

2010年9月16日木曜日

9/15(水) 第36回岡崎市ママさんバレー教室開催

 前日の14日の夕方に名古屋駅に到着。待ち合わせしていた吉田和夫(前 愛知県協会指導普及委員長、元 日本実業団指導普及委員長、現 日本ソフトバレー連盟 指導普及委員長)さんと3ヶ月ぶりに再開し、駅ビルの高島屋のレストラン階へ直行。このパターンが、実は15年ほど続いている。この夕方も予約していた和食の店に入り、すっかりご馳走になった。お世話になったら、二倍返しを家訓としている私にとっては、この日は一寸いつもよりも金額の桁が一桁多かったので、僅かであるがではあるがプレッシャーとなった。吉田さんとは、今週の金曜日に愛媛県松山市にて開催する全国レディース&メンズ交流大会で再会する。
 15日の朝9時に会場の岡崎市体育館に入った。午前中は毎週開催している初心者の教室で、10年前から私も参加している。受講者は約80名。午後からは、市連盟に登録しているチームから2名ずつ受講するバレーボール教室が始まった。受講者は88名。ここ岡崎市には愛知県家庭婦人連盟会長の山下(現 全国家庭婦人連盟副会長)さんがいる。この人なくして愛知県のママさんバレーは語ることができない。
 講師も昼前には集まってきた。アメリカナショナルチームで2回オリンピック出場のヨーコ、ロス銅メダリストの広瀬美代子と石田京子。そして、私は彼女達に使われるリーダー講師という役割だ。10年前に出会った時の彼女達は眩しくって、素直で、穏やかで・・・それが、最近では私のカミさんでもないのに馴れ馴れしくタメ口さえ出てくる。何が気に入らないのか「嫌々」と駄々をこねる。そう言えば、この3人結婚していたんだ、と気づく。まさに、女性は結婚すると強くなる(男が弱くなるのか?)。
 午後1時から本番がスタート。スタートしたらこちらのもの。前触れなく彼女たちに指示を送った。ヨーコさん、アップを15分でダイナミックストレッチ中心におねがいしますね。ヒロさん、レシーブの準備姿勢とステッピングを詳しく解説してね。きっこ(京子のニックネーム)さん、サーブレシーブの基本をスパイクレシーブと対比させて説明するようにお願いします。本番になると、彼女達も本能なのか指導することに夢中になる。最後は講師チーム対ママさん選抜チームとのエキジビションで幕を閉じた。私のポジションはサイドのライトアタッカー。ゲーム中、セッターのヨーコは何ゆえか、私にトスを1本も上げなかった。ヒロはバックからの2段トスを何ゆえか絶対打てないような短めのトスを上げてきた。きっこは点数を取った時に何ゆえかハイタッチしてくれなかった。気のせいなんであろうが、彼女達の報復なのか?
 まあ、そんなかんなで今年の教室も無事終了した。

2010年9月12日日曜日

9/11(土) さいたま市ママさん親善大会


 さいたま市記念体育館にて第18回菜の花いそじ親善大会が開催された。この大会は年2回開催されているが、菜の花クラブさん(代表;生島さん)という1クラブが主催している。協賛社も多く、36チームの参加チームはさいたま市はもとより、埼玉県内、東京都足立区、千葉県、群馬県と結構広域から参加されている。開会式では、固辞したのであるが、私も紹介された。私の隣には群馬県家庭婦人連盟会長の浦野さん、埼玉県家庭婦人連盟理事長の寺田さんもおり、日本ハム、ミズノ、パル生協システム、県会議員とそうそうたる来賓が並んでいた。

 参加チームの中には、全国いそじ大会や来週開催される関東いそじ大会に県予選会を勝ち抜いて出場するチームも3チームほどおり、全体的に40歳代半ばのレベルで、とても50歳以上のレベルには見えなかった。

 体育館を後にしたのは、6時過ぎであった。
(メインコートだけで4面を有する埼玉県記念体育館。大きな体育館でプレーできるのは愛好者にとっては喜びの一つ。国体会場にもなったこのような大きな体育館で開催・運営できる手腕を持つ代表者の生島さんという人は元気一杯の60歳代の女性である。一緒に話しているとこっちも元気になってくる。今月末は韓国でママさんバレーの交流をやってくるとのこと。そのバイタリティには恐れ入ります)

9/5(日) 筑西市バレーボールクリニック


 筑西(ちくせい)市は茨城県にある旧下館市を中心に近接する3町と合併して2005年に誕生した人口11万人の市である。隣接する市としては下妻市、結城市、つくば市があり、栃木県の小山市や真岡市もお隣りである。今回の受講者も結城、真岡などからも受講され、会場の筑西総合体育館3面にママさん88名が集まった。講師はママさんバレーのスペシャリストである岩本洋先生と永遠の全日本女子キャプテン、天才プレーヤーであった丸山由美さん。そして、末席に私の3名。
 私も久し振りに岩本先生とお会いしたが、相変わらず精力的に神奈川県家庭婦人バレー連盟と一緒にクリニックに取り組んでいて、毎月2回は神奈川県内各地に跳びまわっている。今回も岩本先生のコーチングから触発されたのがスパイクレシーブとサーブレシーブのタイミングの違い。つまり、スパイクレシーブの「1、2」というタイミングを指導する時には、サーブレシーブの「1,2,3」を一緒に説明することで一方のタイミングが際立って理解できるという点である。このことは、ハイセット(オープン)スパイクとクイック・スパイクとのタイミングの違いを説明する時にも活用できる。似ているようでも、違う技術の説明に効果がある。
 地元からは、来年度の開催も熱望され、来年度の企画を早めにすることが決まった。講師の一人は若手の元全日本男子にしようかなと、今から考えている。
(画像は丸山さんの講習風景。相変わらず動きがスムーズだ。レシーブ時の重心の上下動がほとんどない。引退して暫くしてソフトバレーボールの全国大会に出場して体力の減退に驚き、その後、体力の増強・維持に取り組んでいる結果と本人は言っている。50代に入っても輝きを失わない由美さん、アッパレ!)

2010年9月8日水曜日

9/4(土) 町田市のママさんバレーチーム訪問


 昼に、墨田区にある新装となった墨田区総合体育館で開催のU-14第3回関東大会の挨拶に出かけた。千葉県協会指導普及委員会担当の事業なので状況視察の意味もあった。この「U-14」というのは、男子バレーの普及の目的で、14歳以下の男子中学生に小学生2名をメンバー構成に入れて出場するというものである。関東各県とも予選大会にチームを集めるのに相当苦労されている。男子バレーのジュニア層の人口拡大をいかに図るかプロの野球、サッカーと競合しての普及は並みたいていではない。

 夕方から、町田市のママさんチームに向かった。墨田区の錦糸町駅から半蔵門線で1時間。降りた駅が南町田駅というところで駅前はショッピング・モールでお洒落で小粋な店が所狭しと連なっていた。住宅街の中にある小学校で「オリーブ」さんという町田では結構長くやっているチームとのこと。ゲームシャツがイエローで実際の年齢より若く見える。最近、全日本女子の影響か、社会の閉そく感を打破しようという風か、イエローが目立つ。この時の私の練習着もイエローであったので、体育館も明るさを増したようであった。この日は、3人レシーブのやり方を指導した。3人レシーブはネットの向こう側からボールが来ない練習なので、実戦的ではない。しかし、足を動かし、声を出し、ボールを落とさない「つなぎの練習」にはもってこいの日本的な練習である。この練習は、元気を出すためにウオーミングアップとしてやるには良い。世界のバレーボールのチャンピオンチームである女子ブラジルチームも、この練習をよくやる。しかるに、日本のチームは最近あまりやらなくなった。選手と指導者の心もつながる練習なので、僅かな時間で良いので毎日の練習に取り入れて欲しい。

 31日から我がママさんチームの指導に始まり、足利市で二晩、また我がママさんチーム、そしてこの夜の町田ママさん。明日は茨城県筑西市でのママさん102名のクリニックが待っている。ちょっと疲労感が抜けないが、待っている人たちがいるということは有難いこと。あともう少し頑張ろう。
(画像は町田市のママさん達。イエローのゲームシャツが良く似合っていました。この日も熱帯夜でした。練習途中、出された汗ふきタオルがカチン、カチンに凍っていて、顔を拭くのに痛くて、皆さんと大笑いになりました。体育館の中のお母さん達はどこのチームも皆さん明るく元気です。ママさんが元気であれば、地域も元気になり、日本も元気になる。そう確信できた町田市の夜の練習でした)

9/1(水)、2(木) 栃木県足利市のママさんチーム訪問

 1日、2日と連夜に渡って、栃木県足利市のママさんチーム2チームを訪問指導した。1日は足利市でで最も歴史のある「三和クラブ」さん。平均年齢はことぶき(60歳)世代ではあったが、意欲は40歳代。思わずこちらも力が入り、ときおり強打も出た。練習の後半から練習を手伝ってくれる20歳代の若い方達も相手コートに入り乱打形式で最後を締めた。
 夜は、お好み焼きの「きんこ」に集合と、足利市バレー愛好者の誰もが知っているお店に行く。私も足利市に、かれこれ25年前から縁を頂いている。古くは、ミュンヘン金メダリストの中村祐造さん、モントリオール4位の男子の丸山孝さん、ソウル4位の全日本女子の中田久美さん、などなど、時には地元の足利工大附属出身で富士フイルムで活躍した五月女選手も講師でお願いして一緒に講習会を開催した。そして、講習会終了後は、必ず「きんこ」にやってきた。「きんこ」こと、金子さんは足利市協会の副会長であり、足利市家庭婦人バレーの部の生き字引である。御歳、80歳に近いが、まだまだかくしゃくとして店を切り盛りし、監督を務めるママさんチームでも采配を振るっている。来月の11日の体育の日にはモントリオール女子金メダリストの白井貴子さんと一緒に再訪する。その時はソフトバレーの講習と交流大会を指導させていただく。白井さんは、最近、お嬢さんがソフトバレーボールを始めるようになり、本人もやりたくなってきたようである。
 翌日の夜は、「スターズ」さんという若々しいママさんチームの指導であった。どこのチームもフォーメーションで迷っている。この日も、自分達のメンバーにあったフォーメーションを作りましょう、と色々試しながら現在のフォーメーションを修正していった。教えてほしい指導、No.2はサーブレシーブ(レセプション)であった。サーブレシーブのボールを捕らえるタイミングは「1,2,3」であるが、このタイミングをスパイクレシーブ(ディグ)の「1,2」と一緒にしてしまい、上手く行かない。ボールの正面へのに移動が遅いのもサーブレシーブがうまくいかない原因の一つである。特に、重心を一定にしながら後方に下がることが上手くいかないママさんが多い。筋力も必要とされるので、特に大腿四頭筋をスクワットなどで鍛えていただきたい。
 その翌朝は、足利市のホテルから朝帰り、ではなく、東京の会社に出勤。2夜続けてのママさんバレー指導と、早朝遠距離出勤はさすがに応えました。
 

2010年8月29日日曜日

8/28(土) 2011年度JVAルール編集会議開催

 来年度のバレーボールのルールに関する改修正点に関しての第1回の会議がJVA事務局にて開催された。6人制を中心に、9人制、4人制のソフトバレー、2人制のビーチバレーの責任者が集まり、今年度の印刷ミスなどなかったか、来年度への改正修正点の討議に入った。目的は、分かりやすいルールブックの編集である。具体的には、中学生でも理解できる条文の整備である。ルールブックの日本語は、国際バレーボール連盟から来る英文をほぼ直訳して行っているので、ときには理解できない条文になる場合もある。
 4時には、編集会議を終え、私は、最寄りの千駄ヶ谷駅から新宿の紀伊国屋書店に行き、スポーツコーナーで新刊を購入した。本に対してはお金を惜しいとも思わないのが私の欠点ではある。

8/23~25(水) 高校女子バレー強化合宿

 実際は22日から26日まで行われていたのであるが、私が参加したのは、その中の2泊3日。埼玉県、神奈川県、山梨県、静岡県の全国大会常連トップチームに全国出場を目指す福島県のチームが加わり神奈川県厚木市にある松蔭大学(関東1部)にて緊張感の溢れる恒例の強化合宿が開催された。
 初めて参加した福島県のチームは、トップクラスの合宿に最初は戸惑っていたが、次第に雰囲気に慣れてきて2日目の午後から全国常連のチームからも20点近く点数を取れるようになり、3日目にはセットも取れるようになってきた。まさに「朱に染まれば・・・」ではある。
 昼の熱い体育館内での練習試合では、私もさほど動くことなく、監督さん達へのアドバイスだけで、夜は監督さん達とカラカラに乾いたのどを潤すビールを友にバレー談議で体重も多少増加したようだ。
 25日の夕方に大学を後にして帰宅した。疲れが襲ってきた。10月にある新・春高バレーの予選会が今から楽しみである。

8/21,22(日) ソフトバレーボール・リーダー養成講習会in茨城県

 今年2県目のJVA公認ソフトバレーボール・リーダー養成講習会を茨城県で開催した。受講者数は、56名。最近の受講者は、平均年齢が若くなってきた。男性も多くなってきた。茨城県ソフト連盟は、昨年連盟組織を活性化させるために新しい役員を理事として迎えた。理事長も近藤さんが新理事長として就任し、意欲的に活動を始めている。私も茨城県とは少なからず関係がある。今後も見守っていくというよりは、アドバイザー的に関わっていきたい。
 初日の講義を終え、役員の大半が会場の近くの旅館に宿泊し、夕食を共にし、遅くまで茨城県の将来を語り合った。茨城県は元気と確信した。

2010年8月16日月曜日

8/15(日) 東海大学名誉教授の斎藤勝先生のこと


 秋田から帰りの新幹線車中で斎藤勝先生から頂いた著書を読了した。トレーニング理論では卓越したものを確立された斎藤先生の半生の記録が著作の中で述べられていた。

 斎藤先生のバレーボールの指導は、中学校の教員からスタートし、体育大学女子部の指導、全日本男子のトレーナー(現在の名称では、コンディショナル・コーチ)、私学高校の教員、全国大会出場の東海一高男子、東海大学男子、そして全日本男子の監督と色々な年代の選手を指導してきたオールラウンドな指導者である。一般的に全日本チームの監督さんは初心者指導は苦手なのであるが、斎藤先生は自身も努力型の選手であったことから、初心者指導は特に優れている。初心者がなぜ上達できないのか、その障壁をよくご存じで、初心者でも練習内容の工夫次第で短期に上達する指導法を編み出した。そして、ミュンヘンオリンピックで金メダルを獲得した全日本男子のトレーナーとして190cm台の大男たちをバック転や逆立ち歩行などアクロバティックなトレーニングで鍛えて「自信」という第3の技術を植えつけたことは、当時の世界のスポーツ界に大きな衝撃を与えた。

 斎藤先生から頂いた著書というのは、先日の「松前杯」で私が先生におねだりしたのであるが、律義な先生はその翌日には送ってくださった。今年で御歳73歳と思うが、直立姿勢も相変わらずピンとされており、指導論になると、いつでも、どこでも実技も入って熱く語ってくれる。

 現在の全日男子バレーのスタメンの半数は東海大学の教え子か孫弟子。日本の男子バレー界を変えた斎藤勝先生の薫陶を僅かでも受けている私はまだ50歳代(後半ではあるが・・・)、斎藤先生に指導者として褒めていただくまでは、まだまだ頑張らないと・・・。

(画像は謹呈頂いた斎藤先生のご著書。市販していないので希少本である。筆文字は40歳代から習ったという。私が筆文字を50の手習いで始めたのも先生の影響が大きい。日本人はワードだけでなく、筆文字も書けたほうが良い。筆文字からは、日本の文化の奥深さが見えてくる)

8/14.15(日) 日体協公認指導員養成講習会in秋田


 昨年から依頼されたいた講習会講師で週末の2日間、秋田市に行ってきた。着いた時の秋田市は台風通過の後で大雨であった。53名の受講者全員が小学生バレー指導者というのは珍しい。そして、平均年齢が40歳代後半。私に課せられたのはフォーメーション理論と体力トレーニングの8時間。フォーメーション理論は、小学生バレーはフリーポジション制なので、アウト・オブ・ポジションを気にせずにシンプルなフォーメーションを形成できる利点がある。反面、中学校ではアウト・オブ・ポジションがあるので、中学の最初の一年間がフォーメーションを覚えるのに苦労する。

 私の講習スタイルは、講師からの一方向での講義や指導を取らずに、受講者との双方向で講義や実技指導の空間を作っていくスタイルを取っている。概要はこちらから提示する。その後、グループを作り、討議を重ね、発表して頂く。受講者も参加するこのスタイルは、概ね好評で、受講者も生き生きしてくる。皆の前で発表・発言することでその方の考え方も確立していく。他の受講者からも発展的な考えが出てくる。言ってみれば、大学のゼミナール形式である。

 小学生時代は神経系の能力が著しく発達する時期であるので、体力トレーニングでは「コーディネーション・トレーニング」を紹介した。リズム、タイミング、バランス、チェンジング、リアクション、コントロール、ポジショニングの7つの能力を引き出すエクササイズを各グループで考案し発表して頂いたのであるが、私が初めて見るようなものもあり楽しさの中で時間はあっという間に過ぎて行った。

 県協会理事長によると、今回受講できなかった小学生バレー指導者がまだ30数名残っているということで、12月上旬にもう一度2日間開催することも決まった。

(画像は、蜂蜜の健康食。受講者として出席していたロスオリンピック銅メダリストの利部(かがぶ)陽子さんから頂いた。利部さんは、地元で小学生チームを指導しながら全国各地でもバレー指導を続けている。20年前は、彼女と一緒に全国各地を回ってバレー教室を展開していたことを思い出した。元気な様子なので安心した)

2010年8月13日金曜日

8/13(金) 第30回全日本バレーボール小学生大会


 小学生の全国大会が東京都体育館を中心に4会場で男女各48チームに30回記念の夢希望枠で各7チームが参加して開催されている。本日までがグループ予選で、明日からベスト8が激突する。男子はチームの中でも身長差が大きい。ネットの高さは2mなので160cm以上であれば大人顔負けの強烈なスパイクを打っている。東京体育館だけしか見ていないが、男女で170cmを超える選手はほとんど見受けない。コンビ攻撃をやっているのは女子チームに多い。

 会場では、理事長の工藤先生や総務委員長の山下さんにお会いでき、最近の小学生バレー事情を伺うことができた。今年から特別協賛となったファミリーマートさんとは良きパートナーとして継続できる雰囲気が醸成されている。主催者とスポンサーとの関係も、以前では企業の社会貢献という余裕もあったが、現在は共存共栄の考え方が必要だ。小学生バレーボール連盟とファミリーマートさんのパートナーシップは、今後、他の連盟の参考になるはずだ。

8/9(月) 江戸川区ママさん連盟チームのミニ・クリニック


 江戸川区で3チーム目のミニクリニックを篠崎小学校で開催した。20歳代から50歳代までのメンバーがいるチームであった。次にクリニック要望のあるチームからも数名参加して、サーブレシーブの基本から始まった。

 サーブレシーブは、相手からのチャンス・ボールのレシーブが更に距離が長くなったものと考えて良い。難しくしているのは、そこにボールの回転が止まった変化球になるから距離感が分からなくなる。

また、低い姿勢で待てなくなり、腰が高くなり目線が動いてしまう。結果、腕にボールを載せて入射角・反射角でボールをセッターに運ぶところを腕を振ってボールに腕を当ててしまいコントロールが乱れてしまう。まずは近い距離のチャンスサーブ(投げてもらってもよい)からのレシーブを行い、徐々に距離を長くしていく。ボールを捕る位置は両膝の間で臍下丹田(せいかたんでん)の前である。この位置を覚えるためにポリバケツ(百均ショップで購入)を抱えて正面で取る習慣をつける。この次に、伸びてくるボールを体の横でとることも行う。二つとも「正面」なのであるが、私は「真正面」と「横正面」という表現を使って区別している。リズムも大事だ。レシーブしない人が、球拾いしながら「1、2~3」とカウントして、

1で動き出し、2で正面に入り、3でボールに触れる(ボールコンタクト)。床から一定の距離の低い姿勢で素早く移動することも大事だ。このためにはスクワットで体力をつけることだ。レシーバーの両腕にボールをコーチが押しつけて形を作りながらフットワークするのも効果がある。

 普段やり慣れていない練習を沢山受けたせいか、この日のママさんチームはちょっと消化不良気味であった。「では、また年内に続きをやりましょう」ということでこの日の練習は終了した。

8/8(日) 関東ブロック指導普及委員長会議に出席

 本日は、予定が2つ重なってしまった。一つは千葉県U-14男子大会兼関東大会予選会、もう一つは関東バレーボール連盟指導普及委員長会議。優先順位で関東連盟のほうに行かせてもらった。私が大会委員長であるU-14のほうは、実際の責任者である実行委員長にお願いして、私は県協会理事長と共に会場の茨城県まで出かけた。
 議題は、小学校指導要領に来年度からソフトバレーボールが必修科目として入ることでの対応策である。ポイントは、教育委員会への働きかけということが重要ということで各都県理事長が中心に、実務は指導普及委員会で実施する方向で取り組みが決まった。会議の後、実技を小学生をモデルに行ない授業での展開をシュミレーションしたものを見学した。
 帰りには、東京都の指導普及委員長(日本中体連指導普及委員長)に私の車に載って頂いて、関東中学校大会の様子などを伺うことができた。新潟県の中学生達の北信越大会での結果はどうであったのかちょっと気になった。

8/6(金) 我がママさんチームの練習試合

 7月の初めに現在の千葉市幕張のママさんチームのコーチに就任して練習参加は6回になった。今後の練習課題を抽出するために、同じようなレベルの市内のママさんチームと練習試合をやってもらった。練習試合の結果は4セットやって3セット取ったのであるが、メンバーは以前練習試合をやった時よりも苦戦しなかったことを感想としてあげた。相手のエースアタッカーに不十分な体勢で攻撃させるためにサーブで崩すことに徹底した結果であることを皆さん理解したようである。結果はともかくとして、課題は見つかった。良いところをもっと生かしていこうという考え方で、前衛5人の平均身長が164cmとママさんバレーにしては平均以上であることを生かしてブロックを重点的に鍛えて自分達の武器にしましょうと確認しあった。勿論その前提としては、コースを突いたサーブと堅実なサーブレシーブであるので、毎回のウオームアップ終了後は、サーブとサーブレシーブは年間通じて基本練習を行うこととこれも確認した。現在のママさんチームの練習は、今までスパイクレシーブやパス、トスの基本練習に多くの時間を割いていたようだ。しかし、自チームに最初に飛来するボールは相手サーブとスパイクなので、サーブレシーブとブロックは重要だ。ブロックは、実は最初のディフェンス(レシーブ)であることを多くの指導者は認識していない。ブロックなしでのスパイクレシーブ、特に強打のレシーブ練習はほとんど意味がない。強打の防御はブロックの仕事である。シャットしたりソフトブロックでボールの威力を弱めたり、打ちにくいところを空けて打たせてミスを誘ったりする。ブロックは「ネット・ディフェンス」である。つまり、ネット近くでのディフェンス(守備)であり、最初のディフェンスである。サーブとブロックの関連に注目して戦術を立てることによってチーム力は格段と向上する。

2010年8月5日木曜日

8/3(火) 沖縄インターハイ男子 閉幕

 午後3時ごろに東洋高校男子バレー部の北畠監督から結果報告が入った。3位という結果であった。準決勝で山口県代表の宇部商業と対戦。1セット目ジュースで落とし、2セット目は15点という惜敗であった。1セット目を競り合って取っていれば分からなかった。
 監督の声は意外とさばさばしていた。「一生懸命やって向こうが上でしたから・・・、国体関東ブロック予選頑張ります」。春高バレーに次いで2冠目だと優勝を期待していたが、やはり、甘いものではなかった。優勝は難しい。改めて実感した子供たちにも大きな学習であって欲しい。
 それにしても、今回の宇部商業は強かった。2回戦で春高バレーの準優勝の鎮西高校を、準々決勝ではベスト4の雄物川を破っての快挙だ。特にサーブとブロックの関係が素晴らしかったとの寸評だ。雄物川とのゲームでは中国からの留学生がサーブの時に連続13得点であったという。ひよっとして高校界では連続得点新記録ではないか?Vプレミアでは久光製薬が東北福祉大に連続25点というのが5年前にあったことを思い出した。

8/2(月)3(火) 2010 東海大学主催「松前杯」参加



 「松前杯」とは、東海大学の前体育学部長である斎藤勝先生が創設した研修大会である。全国から卒業生が監督、コーチをしている高校男女のチームが参加する。今年で24回を重ねた。参加チームは北は北海道から西は大阪まで女子が32チーム、男子が15チーム、会場は東海大学を始め5会場。私は、福島の高校女子チームの臨時コーチで参加した。


 私が参加したのは、実は、これで2度目だ。13年前に埼玉栄高校のチームのやはり臨時コーチでベンチに入った。監督も私も大学のOBではなかったが、斎藤先生から特別に参加許可を頂いた。その時は埼玉栄高校女子バレー部の外部コーチを引き受けて2年目であった。チームの勢いも埼玉県で前年のベスト8から第3位と躍進し全国出場に近づきつつあった。その時は、「松前杯」優勝というおまけまでついてきた。


 今回、臨時コーチでベンチに座らせて頂いた福島県のチームは、他のチームより仕上がりが早く、速攻も効果的にからませていた。セッターがネット上端に近い高いところでボールをコントロールできるのが他のチームと比べて格段に優れていた。最優秀個人賞を頂いた2年生の177cmのエースの子も素直な性格で私のコーチングを速やかに吸収する。監督さんは元男子バレーの指導の経験があり、全国大会出場も果たしている。来年1月開催の春高バレーの予選会が福島県は9月にある。3年生のいないチームなので多少不安はあるものの、決勝戦までは行く実力があと2カ月で備わると期待している。


 そうそう、「松前杯」の結果は、初優勝であった。来月号の「月刊バレー」には載るであろう。素直で努力好きな子供達と女子でも全国を目指そうと言う意欲的なベテラン監督の賜物である。優勝の喜びの輪の中に一緒に入させていただき有難かった。観客席から喜ぶのと、コートの中で喜ぶのとでは感慨が違う。

(「第24回松前杯」プログラムの表紙。斎藤先生が仰っていた。「卒業生が監督で優勝している高校チームがまだ出ていないんだ。コーチで日本一は東亜学園があるが、監督で日本一がない。25回までには出るかな」。そんな先生の声が届いたか、昨日の沖縄インターハイで宇部商業高校男子バレー部監督の藤田先生がそれを成し遂げた。お見事)

2010年8月1日日曜日

8/1(日) さあ、8月のスタートだ。

 7/31の昨夜は自宅の近くの村田女子学園短大体育館にて、市川市のママさん2チームのミニクリニックを行った。時間が少なく、コート上では要望に十分応えられなかったが、練習後に体育館の食堂で質疑応答があり、有意義な時間を過ごさせていただいた。
 明日から2日間は東海大学にて「松前杯」という大学のOB・OGが指導している高校女子チームが東北・関東から32チーム集まり試合形式で鍛える。

2010年7月31日土曜日

7/30(金) 我がママさんチームの練習でお会いした人


 7月から専属コーチになった千葉市幕張のママさんチームに昨夜も練習に伺った。練習に行く前にチーム代表者から連絡があった。
「渡邉コーチ、今夜は2か月前にお願いした有料コーチの方が見えるので、すでに約束していたのでお断りもできないのですが・・・」
 有料コーチとは、最近FC東京バレーボール部(Vリーグ)所属で、ママさん対象に有料(1回、5,000円)で指導を行っている女性の方がいるらしい。若い人の有料での指導ぶりを見るのも私にとって勉強になるので、邪魔しない程度に練習に参加しようということで体育館に向かった。
 その女性に聞くと、群馬銀行で活躍していたという。高校は福岡県の不知火高校で全日本の竹下セッターとは同級生という。聞き役に徹しようとしたが、未熟な私は群馬銀行の前監督さんのことや福岡県のバレー事情を少し知ったかぶりで出してしまった。とたん、彼女の表情も変わった。「この、変なおっさん、なんかよう知っとるな。気いつけなあかん」彼女が大阪弁でそう思ったかどうか知らないが、その後は口が重くなった。
 さて、彼女はママさんチームを50チーム担当しているということである。バレーの指導で仕事に就けるということは素晴らしいことである。トップチームの指導だけでなく、バレー愛好者のチームの指導を仕事としてやれる環境がさらに整ってくれれば良い。彼女もこれからベテランの域に入って行く年代だ。是非とも後から来る人たちのためにも頑張っていただきたい。
 7月最後の31日(土)の夕方からは、千葉県市川市にてママさんチームのミニ・クリニックがある。先月の関東ブロック家庭婦人講習会での行き帰りに私を送迎してくれた市川市の役員さんへの恩返しでやることになった次第である。
(画像は、読者のKさんから送られてきた足立区の花火大会のもよう。いよいよ、夏本番ですね)

7/27(火) 闘将、中村祐造氏逝く


 当日付の各新聞紙上で中村さんの死去が報じられた。先週、新潟県にいた時も入院していることは耳にしていた。来年、6月の長野県北志賀高原ホテル田川での第5回中村祐造杯では復活した祐造さんの元気な姿と再会するはずであったのが残念なことになってしまった。中村祐造さんといえば、50歳以上のバレーボール関係者であれば皆知っている、1972年のミュンヘンオリンピック男子バレー金メダリストで主将である。試合中はシャツを肩口までまくり上げ、筋骨隆々たる上腕を振りかざし、まるでポパイのようにパワフルなスパイクを相手コートに突き刺して暴れまくった。

 20年前であろうか、バレー教室を私がお手伝いしたことがある。「わたなべ君、2段トスはこうやるんだよ」とコート後方18mからオーバーハンド・パスでポーンと楽々レフトへトスされた時は驚いた。さすが金メダリストだな、常人とは違うと感心したものであった。

 享年68歳は若すぎる。20日に亡くなっていたとのことである。最近は2009年新潟国体特別コーチを務め、ママさんバレー交流大会の創設、ソフトバレー交流大会開催への意欲を示していた。私達は祐造さんの遺志を引き継ぎ、創設された交流大会を継続・発展させることで中村祐造氏を語り続けていくことがお世話になった御礼と考えている。合掌。
(画像は20日付けの日刊スポーツ紙の記事。「よっ!わたなべ君、元気だったか?」祐造さんの元気な声が聞こえてくる。ミュンヘン秘話をもっと聞きたかったな~)

2010年7月26日月曜日

7/24(土),25(日) 新潟県で高校生合宿応援


 昨日まで、新潟市内にある女子バレー部(県ベスト8)の合宿に参加してきた。5年前から高校の監督さんから指導の依頼があったものの、日程が合わなく、今回やっと行けるようになったわけである。東京から朝一の新幹線で新潟へ。駅から車で連れていかれたのがどこかの村の中学校体育館。2つの中学女子チームの監督さんに紹介され、すぐさま練習試合。高校チームはAB2チームに分かれ、中学生と練習試合。私はAチームの練習試合を見せてもらったが、立て続けに2セット取られた。聞けば、Aチームの相手中学チームは県内トップクラスで、昨年度全国大会初出場でベスト16入賞チームというではないか。3セット目から、「私の指導で何とかせい」という高校監督の目線が飛んできた。「今晩は、市内で美味しい晩御飯食べに行きましょう」というのは、この条件をクリアすればの話であったか、と気づき少し長めのセット間を頂き「サーブとブロックの関係」を説明して第3セットに臨んだ。そして、Aチームでの対戦では、それ以降のセットは落とすことはなかったのでほっと一安心。

 私の戦術が良かったわけではなく、戦術を理解し実践できる高校生達が素晴らしかった。聞けば、対戦した中学校からの進学者が多いという。

 日曜日には、高校の体育館に中学男子チームがやってきた。レベルは県でベスト4だという。ネットの高さは2.30cm。一般女子のネットの高さ(2.24cm)より高い。前日は中学女子の高さの2.15cmでボールの大きさは使い慣れない4号球、当日は2.30cmでまた4号球。午前中の4セットは、案の定、ブロックの上から打たれるスパイクにレシーブも弾かれ最大17得点がやっとの始末。午後の3セットも同様であったが、昨夜の新潟市内でビールのお代わりを15杯と大盛りラーメンをごちそうになった手前、最後のセットぐらいは取りましょうとばかり、子供達には全員(18名)でコートの中で円陣を作らせ気合を入れ、攻めに関しては、徹底してサーブレシーブ力の劣るリベロへのサーブを実行させ、相手のスパイクへのトスを2段トスにさせ、高校生のスパイクの第1打目はタッチ攻撃かフェイントで相手守備陣を翻弄することにした。レシーブでは、まず無駄なブロックは跳ばないことにした。相手アタッカーがただ単につないでくるスパイクに対しての女子のブロックは吸い込みやブロックアウトになりやすいので、ブロックに跳ぶよりも下がってレシーブした方が得策である。次に、相手のセッターのクイックのコンビが合っていないので、速攻にはブロックは跳ばないで、コート中までレシーバーは上がっていきレシーブで対応、ブロッカーは移動時間差攻撃の方にだけに跳ぶように指示を出した。結果、17点でセットを取ることができた。相手の中学校は翌日から県大会公式戦で2つ勝つと準決勝ということなので、最後のセットは相手に取ってほしかったが、ここは相手の弱点を突くことで、何か感じてくれればよいかな、と願ってセットを取らせていただいた。3位以上が北信越大会にけるということなので、朗報を期待している。

 2日間の合宿で、昼もラーメン、夜もラーメンとラーメン王国の新潟での高校合宿を無事(体重は増加した)終えることができた。
(画像は、ピンボケになってしまったが、可愛いC高校バレーボール部員達。このまま育っていけば、来年のインターハイは初出場となるであろう。初対面のおじさんとすぐに打ち解けてくれた君達に感謝する。指導者の躾が良いんだね、きっと)

 

7/21(水) 関東私学バレー大会 開会式


 関東各地から男女120校以上の参加チームが集まり、全国大会の予選を兼ねた関東大会開会式が町田市総合体育館にて行われた。
 このような所に行くと、必ずどなたか懐かしい方達と再会する。神奈川学園の金子先生とは20年ぶりぐらいであった。紹介されたのは彼女の高校時代の同級生である森田喜美枝さん(ロス銅メダリスト)からであった。私も、金子先生も今や立派なおじさん・おばさんである。歳月は早足で過ぎ去る。
 開会式も終了し、会場を立ち去ろうとしたら、レストランの中から審判界の大先輩である月岡先生から呼び止められ、役員懇親会に参加することとなった。全国私学連盟理事長の中村四郎先生からも、「まあ座りたまえ」とコップにビールを注がれ、それから二時間ほど歓談することとなった。
 席上、四郎先生からは、来年度の全国大会は四月一日から五日まで町田総合体育館を中心に開催することになった旨報告があった。現在、私学の学校経営は難しいところに来ている。部活も制限がある。スポーツのフレーム(枠)だけでなく経済、社会も含めて大局的に考えて行かないと「私学のバレーボール」の存続も難しい時代になっていると思っているのは私だけではないはず。
(画像は、読者のKさんから送られてきた自宅にある「てっせん」というお花。後日談であるが、優勝は男子が東亜学園、女子が共栄ということであった)

2010年7月23日金曜日

7/18(日)大和市ママさん選手権大会で挨拶

 午前中は、神奈川県大和市家庭婦人連盟主催の選手権大会(30チーム参加)で挨拶をして、午後から県立大和南に行った。先日の神奈川県インターハイ予選会で第2代表になったものの、決勝戦の川崎市立橘高校とのフルセット全て2点差での敗北がよほど応えたのか飯塚監督は元気がなかった。
夕方になって、卒業生の父親二名と一献傾けに駅前の居酒屋に入った。親父さん達と飲んでいると子供達が現役の時の苦労話が出てくる。たまには、こんな時があっても楽しい。
神奈川県大和市から千葉県船橋市の我が家に帰るには途中東京都を通過する。最終電車に何とか間に合って、都合二時間半かかって自宅にたどり着いたのは、深夜の1時30分であった。

7/14(水) 江戸川区連盟ママさん2チーム目のミニ・クリニック

 この週は、一日置いて、江戸川区連盟の総務委員長が代表のママさんチームのミニ・クリニックでした。代表が面倒見の大変良い方で、実際練習をやってみると代表の娘ほどの年齢のママさん達がのびやかにプレーしている。しかし、代表がいなくなったら、暫くの間このチームは崩壊状態に陥るのではないかと思うくらい、代表に頼り過ぎている。それでは遺憾のであるが、私もあんな面倒見の良いお母さんが側にいたら甘えそう・・・。
 練習には、次にミニ・コーチ予約のチーム代表も3人ほど体験練習に来ていた。地域によって特色があるが、江戸川区のママさんたちはこんな風にして次に予約するチームが実際体験しながら決めて行くシステムになりつつある。私も、いつ魅力のないコーチと評価されるかもしれない。なんか、自分で敢て厳しい世界を構築しつつある感じがするのであるが、これも運命か・・・。

2010年7月16日金曜日

7/12(月) 大和市ママさんチームにミニ・クリニック


 大和市家庭婦人連盟のチームを訪問するミニ・クリニックも今回で4チーム目となった。会場は大和スポーツアリーナ。夕方6時には会場設営を始め、6時15分にはウオーミングアップも始まり、9時には退館となる。今回のチームは、昨年度までは市内でもトップを形成してきたチームであったのであるが、ここのところ怪我や病気などで、メンバーを大幅に入れ替えたばかりという。慣れないポジションでのプレーは上手くいかず、練習試合などで調整中ということだ。

 41回目を迎える「全国ママさんバレーボール大会」は、今週末から群馬県前橋市にて開催される。本日(7/16)の朝日新聞には各都道府県からの代表チームの横顔が紹介されていた。その中の山梨県代表チームは、「全員ポジション変更に対応」とあった。これは、素晴らしい。どうも、一般のママさんたちは、9人制バレーボールを「ポジション固定制」のスポーツと勘違いしているようだ。9人制バレーは「ポジション・フリー制」である。サーブを打つ前から、コートのどこにいても、いや、コートの中にいなくとも反則ではない。ママさんバレーは息の長い生涯スポーツである。3年間、一つのポジションを経験すれば、ほぼそのポジションをマスターできる。そして、違うポジションにもチャレンジして、複数のポジションを経験することでそのプレーヤーの幅が広くなる。チーム内で病気や怪我、ご主人の転勤、ヤングママのオメデタ(ご懐妊)という事態があっても、チーム力は急速に低下するということはない。もう一つのポジションを経験することで、そのポジションの難しさも理解でき、思いやりも生まれる。是非とも、複数ポジションにチャレンジして頂きたいものだ。

 そのようなことも、述べながらチーム指導を行っていった。途中で大和市家庭婦人連盟会長御一行が練習手伝いに見えて、ムードは更に盛り上がり、ゲーム練習に入っていく。今回のチームのメンバーは、聞く態度が素晴らしく、こちらも普段言わないような、自分でも納得できる言葉が次から次と引き出された。
(画像は今回のミニ・クリニック対象チーム。あれだけの集中力のあるチームですから、1年内に、またAクラスに復帰できると確信しました。がんばれ~)

2010年7月11日日曜日

7/10(土) 東洋高校父母の会OB・OG会総会

 東洋高校には、外郭団体が4つある。同窓会、父母の会、さいかち会、そして後援会。さいかち会は、父母の会を卒業したOB・OGの会で、名前は学校の側の坂の名前「さいかち坂」から取っている。活動内容は、今のところ懇親会のような様子である。昨夜は、そのさいかち会の年に1回の総会と懇親会が港区のイタリアレストランを貸し切って行われた。私の役目は監査である。
 夜の9時には懇親会も終わり、お酒がここのところ弱くなった私は、先輩諸氏から二次会に誘われる前にそっと立ち去った。これがバレーボール関係者の集まりであると三次会まで持つから不思議である。それにしても、ベテランの役員の諸先輩には頭が下がる。私が果たして70歳過ぎまで、このような会に顔を出しているであろうか、不徳の私にはとても務まりはしないであろう。

2010年7月10日土曜日

7/9(金) 千葉市幕張のママさんチームコーチ始め


 千葉市幕張地区というと、1980年代にできた巨大建設物の幕張メッセをシンボルとして日本の新都心として整備されてきた未来型の街である。その住宅地区にある小学校で練習をやっているママさんチームを訪れた。訪問したのはこれが初めてではない。以前コーチングしていたママさんチームと練習試合で数回お邪魔していた。その時の印象は、良いメンバーがいるのに組織的なプレーができていない、もったいないな、という印象であった。そして、そのチームに昨日から正式にコーチングを始めることとなった。
 練習を見て、あまりに個人練習に時間を割いているのが分かった。基本は確かに大事であるが、個人の基本とゲームの基本の違いをまず知ってもらうことから始めた。それで、いきなり4対4のミニ・ゲームを行い、プレーをつなげるための状況把握の重要性を訴えた。「ラストボールは攻撃」ということも実際の返し方を繰り返して行って体で理解してもらった。
 昨日はその位で練習を切り上げた。どうも、私は「恐い」コーチとしてのイメージがあるようだ。確かにいい加減にプレーしたり、失敗しての照れ笑いなどがあると、多少語調がきつくなるのは否めないが、基本的には各人のレベルを観察して「ヒントを与える気づきのコーチング」が、私のコーチング・スタイルだ。そして、対象者が小学生であろうとママさんであろうと、真剣に取り組んでいないときは、怒るよりも練習をやめてしまう。そのあたりが「恐い」という印象があるのかもしれない。スポーツは勝つことだけが価値ではない。勝利を目指すことはよろしいが、勝利至上主義はいただけない。真剣に、真面目に、勇気を持って、元気に、思いやりを持ってやることもスポーツの価値である。何年やっても下手でも良い。スポーツの爽快感、楽しさを味わってくれれば良い。そして、諦めないで継続していれば必ず上手になれる。チームの成績にも向上が現れてくる。
(画像は太平洋を望む新都心幕張の街。昼は14万人に人口が増加するという。大型ショッピング・モールも多い)

2010年7月8日木曜日

7/8(木) 千代田区のセレブ・ママさんバレー


 東京都千代田区といえば、皇居のある日本の中心ともいうべき地域。千代田区住民は約47000人だが、昼になると官庁街、ビジネス街でもあるこの区の人口は、なんと20倍にも跳ね上がる。この昼夜の人口比率は日本一なんだそうである。
 そして、本日はそんな千代田区のママさんバレーチームの指導を行った。軽い気持ちで「じゃあ伺いますよ」と引き受けたら、「練習は10時からです」と返事が来たので、「えっ、そんなに遅い時間から始まるの」と驚いた次第である。そして、よくよく確認したら「朝の10時から12時までですが・・・」と返事が来た。今どき、午前中に練習を行うママさんバレーボールチームなんて聞いたことがない。首都高速道路の間にある会場の千代田区スポーツセンターに着いてコーチから説明を聞いて納得した。ママさんはママさんでも、千代田区のママさんは共稼ぎをしていないセレブの奥様達であった。だから、午前中から練習ができる。納得。
 練習後、昼食に行くことになった。さすがセレブ。練習の時と全く別人の姿が更衣室から現れた。練習の時は「キャー」とか「ギャー」とか、凄い形相で(すみません・・・)ボールを追いかけていたママさん達が日常着に着替えると品のあるにこやかなお顔立ちに変わって目の前に立っている。
 このママさん達と10月に伊豆諸島の新島でのソフトバレー交流大会に行くことになった。これからの私のバレー人生の波乱を予感させる千代田区のセレブママさん達との練習であった・・・。
 夕方、自宅に帰る途中で秋葉原駅ビルに寄って音楽CDを買ってきた。矢沢栄吉の1970年代のアルバムを購入した。先夜のTVで歌手の高橋真理子さんが彼の作曲の「時間よ止まれ」を歌っていたのが気に入り、愛唱歌の一つにしようかなと購入した次第である。
 さて、明日の夜は千葉市幕張にあるママさんチームを訪れる。予定では、そこのチームで暫くの間、数年?コーチをやろうと内心決めている。チームは全くの初心者同然のチームだが、コーチとしての私が鍛えられる可能性が大なので、それも有難くて面白きかなと考えている。スポーツの爽快さ、工夫する楽しさ・面白さが分かってくれれば良いなと思っている。
(画像はKさんから送っていただいた七夕の短冊。このところの集中豪雨で被害が起こらないことをお祈りします)

2010年7月4日日曜日

7/4(日) 第18回船橋市民ソフトバレーサマー大会開催




 本日は我がソフトバレークラブから2チームが混合フリーの部に出場。混合の部が14チーム、レディースの部が20チーム、ファミリーの部10チームの計44チームの参加チームでサマー大会が繰り広げられた。

 どのチームも最低4ゲームはできる。参加チーム数は千葉県連盟登録数より多い。愛好者は、まず沢山ゲームができる交流大会に参加する。私はAチームで出場。このチームは参加チームの中でも平均年齢がいつも最高年齢で平均年齢58歳。以前は年代別のクラスがあったのだが、現在は混合の部は年齢フリーの部のみになり、50歳以上の愛好者の参加は年々少なくなってきている。超高齢化に突入している我が国のスポーツ環境に配慮した年代別の交流大会への工夫が欲しいところである。
 私のチームは合計試合数で5試合をこなし、全員ソフトバレー満喫状態で午後4時過ぎには解散した。来週からの練習メニューを課題達成型にしてせめて15分間でも課題を設定して練習をやっていきたい。ゲームだけ数多くこなしてもプレーの向上はない。チームの課題、各自の課題を明確に認識して、たとえ、15分間でも具体的に課題を設けてやることでチーム力は向上する。その努力した分、身となり血となることを我がソフトバレークラブの仲間は過去の経験で知っているので私としてはやりやすい。考える練習、考えるゲーム。考えることは楽しい。工夫することは楽しい。自分にとっての良いコーチは、自分である。自分を客観的に見ることで人は皆、自分の良いコーチになることができる。
(画像は、20チーム参加したファミリーの部。小学生達は、お父さん、お母さん達と楽しい1日を過ごしたようだ。審判は小学生達が行っている)