2008年3月26日水曜日

春高バレー 最終日

 20日からの春高バレー、本日終了。男子は東亜学園が昨年のスタメンの5人を擁し2連覇を達成。準優勝の愛知県勢として初めて決勝に進出した星城が準優勝。東亜学園はサービスが甘いものの、ブロック力が他校に抜きんでている。ブロックに跳んでからも体がぶれない。筋トレでの体幹(腹筋と背筋)ができているからだ。フルセットになったのは、東亜学園の悪い癖で、リードすると余裕が遊びになってしまうところがあるから。星城はセッターの深津君(180cm)が良かった。往年の猫田選手(ちょっと古いか?)を彷彿とさせる上手いセッターだ。相手ブロッカーをよく観察して、ブロッカーの低いところ、乱れているところからアタッカーを移動させて攻撃させている。お兄さんが東海大学でやはりセッターで活躍している。
 女子は、あっけなくストレートで全日本ジュニアの選手の大半を擁する大分県代表の東九州龍谷が宮城県代表の古川学園に圧勝した。
大会期間中を通じて感じたことは、技術は上手でもパワー不足のチームが多いこと。各年代によって重点的に鍛えるポイントが違う。高校生は筋トレにもう少し時間をかけるべきと思う。「体・心・技」の順で鍛えるべきであろう。
 さて、今夜のブログは夜学から書き込んでいる。こちらのほうは、12月まで休学して1月から復学するようにした。そろそろ、9時になるので、今夜はこれで、お疲れ様でした。

2008年3月25日火曜日

春高バレー 決勝戦進出チーム決定

 連日、会場の代々木体育館に通い詰め、昼食を取るタイミングを逸し、日々やせ細っている。さて、決勝戦進出チームが決まった。女子は古川学園(宮城)と東九州龍谷(大分)、男子は2連覇を狙う地元の東亜学園と現在試合中の東北(宮城)か星城(愛知)の勝者。
 女子の監督は、実は日本体育大学の同級生同士。古川の岡崎先生はマネージャーで東九州龍谷の相原先生はセッター。昨年開催された世界ユース選手権には全日本ユースが銅メダルを獲得している。スタメンの半分以上が東九州龍谷(通称は東龍:とうりゅう)のメンバーで占められていた。古川は、
東日本選抜ともいえる。長野県、福島県か、山形、岩手から優秀なメンバーを集めている。この4月には東北NO.1の176cmの双子姉妹が青森県から入部する。岡崎監督の日本一を目指す情熱に留学を決意したようだ。大学のマネージャー時代は少し線が細かった岡崎先生であったが、ここのところ性根が座っていい顔になってきた。古川学園に注目したい。
 男子は、東亜学園が2連覇するかどうかが大きな焦点だ。恐らく成し遂げるでしょう。そうすると、東京は来年また4チームが出場できる。

ご質問にお応えします

Q:なぜ家庭婦人連盟は2008年度個人登録対象とならなかったのでしょうか?

A:2008年度からは家庭婦人連盟もスタートする予定でしたが、未定となりました。理由は全国家庭婦人連盟が日本バレーボール協会の今回の個人登録制度に納得していないからです。なお、家庭婦人連盟は独自に個人登録制を敷きました。200円~300円と聞いています。

 ソフトバレーボール連盟は1,000円の登録料ですが、日本のバレーボールを支えていこうという気概で日本協会の個人登録制度に賛同しています。これからの課題は、より簡易な登録方法の工夫でしょうね。現状ではIT(情報機器)を操れる人には良くとも、普段IT機器に接しない高齢者には億劫ですね。紙媒体でも登録できるように改善措置は必要でしょう。「登録していただく」という発想が必要です。

2008年3月20日木曜日

第39回春の高校バレー開幕

 朝7:30に体育館に到着したのだが、すでに開幕していた。フジTVの関係者とも久しぶりに会い、やっぱり春高バレーはここ代々木だね~とお互い同意。私が外部コーチしているチームの1つが、女子の部で入場行進賞を獲得した。試合の方も福島県代表になんとか勝利した。
 全国からバレーの指導者の仲間が集まってくる。あそこの名門チームは実はこれこれしかじかで敗退したとか、あの指導者はこうなったとか、全国の情報があっという間に広まるところでもある。
明日は東京都第一代表の東洋高校の出番だ。4年ぶりだから初出場も同じだ。平常心で戦ってほしい。
 明日も早めに会場に入り、全国のチームが試合前の練習をどのようにやっているか見よう。

2008年3月19日水曜日

日本ソフトバレーボール連盟理事会・代議員会

 3月16日(日)東京の千駄ヶ谷にある日本青年館にて2007年度の理事会と代議員会(各都道府県の代表で理事長が主)が開催された。討議の80%はメンバー制(個人登録制度)で始終した。さまざまの質問がなされた。日本バレーボール協会からも担当の役員が説明に駆けつけた。結果は、中学生以上で年間1,000円。原則1チームではあるが同一都道府県内で3チームまで登録できる、などおおむね代議員達は了承した。登録方法に関して、パソコンが苦手な人も多い、更に簡易な方法を望む、と発言があった。
 現状、日本バレーボール協会では家庭婦人連盟を除き、全ての連盟、U14、ベンチスタッフもメンバー制が始まる。始めてみて、登録数も減少するであろうが、我々の1,000円が日本のバレーボールを支えるのだという意識を持ち続けたい。不具合があれば修正しながら進んでみよう。また、日本協会も我々のそのような意思を尊重して欲しい。まずはソフトバレーボールは静かに個人登録制に船出をした。

2008年3月9日日曜日

全国指導普及委員長会議開催

 昨日は、日本バレー協会の全国指導普及委員長会議を千代田区の機山館で開催。夕方からの懇親会で全国の指導普及委員長と再会した。故郷の山形県協会からは代理出席で県立左沢高校教員の岩田先生がいらした。確か25年前、筑波大学生の時は髪がふさふさしていたはずだが、見た目は私より年上という感じであった。まあね、40代後半ともなると見た目は6歳ぐらい違うからね。出身大学は日本体育大学が多い。次が、筑波大学。実は、私は日本体育大学バレーボール部の特別OBという名称を頂いている。10数年前に亡くなった「おやじ」こと中田監督(教授)から授けていただいた。そして、今、私は筑波大学大学院に通っている。筑波大学男子バレー部の名監督であり副学群長、のち名誉教授、東京女子体育大学教授を歴任された杤掘先生のご推薦があったからこそ一昨年入学できたわけである。そして東海大学女子バレー部監督の成田教授のご推薦も入学できた大きな要因だ。そんなことを考えていると、私は本当に日本一の大学名監督から数多くのご薫陶を頂いていることに気づく。法政大学男子バレーの上田教授、中央大学男子の橋本監督(故人)、順天堂大学男子の河合監督、日本女子体育大学の高橋監督、日本体育大学男子現在の監督である森田淳悟監督。大東文化大学の元監督の飯塚先生、東海大学男子の斎藤勝監督・・・、あの時の経験を現在、私は指導者講習会の講師活動で若い指導者に伝えているつもりであるが、諸先生方からは、まだまだ努力が足りません、との叱咤が聞こえてきそうだ。
 そうそう、左沢高校でしたね。何と読むのかって?ヒントは、ここ数年、剣道女子日本一ですよ。「ひだりざわ」でないことは確かです。

2008年3月7日金曜日

昨日のコメントに対して

 昨日コメントがありましたので、ご回答します。2点あります。「①記録用紙の方が面倒です。試合後に提出して、後日閲覧することってありますか?簡素化すべきは、ルール(ポジション)じゃなくて記録用紙じゃないですか?と思ってしまうんです。②そういう意見を言える場がなく、上層意見だけで現場を決めてしまうのが淋しいです」。
 まず①です。記録用紙の第1義は、ゲーム中の管理です。全国大会においては、必ず記録席を設け記録員を置き、スムーズなゲーム進行の任務に当たっています。県大会以下のゲームにおいては義務制にしておりません。そこのところは各都道府県連盟にお任せしています。
 次に②です。意見は言えます。各都道府県連盟では毎年総会を開催して、愛好者の質問・意見・提言を連盟の運営に反映させています。また役員を通じて理事会などで議題に出してもらう。リーダー講習会には日本バレーボール協会から公認講師が派遣されますので、その時に意見を聞いてもらう。おっと、忘れるところでした。私的なところですが、ここのブログに質問する。以上の機会があります。
 昨年から私は審判規則委員会に戻ってきましたが、上層部だけで物事を決めてはいません。委員会は愛好者の意見を収集し、ニーズを探り、必要なことを検討し実行する組織です。そして、日本連盟は各都道府県連盟を通じて愛好者を支援する団体です。私も皆さんと同じように、毎週船橋市内の中学校でソフトバレーを仲間と一緒に楽しんでいる愛好者です。視点は皆さんと同じです。一緒にもっと楽しくなるソフトバレーボールを創って行きましょう。
 毎日でも結構です、コメントを待っています。必ず返事を書きます。

2008年3月6日木曜日

ソフトバレーボールのルール

 昨日は、今年度の日本ソフトバレーボール連盟審判規則委員会事業報告と新年度の事業計画(案)の原稿を作成し、16日全国代議員会用での配布資料印刷のために事務局長の方にメールで送った。

あとは、Q&Aの最終校正を完成し、冊子の体裁を作って配布するだけである。

 審判規則委員長の任に就いて1年が経とうとしている。私一人の才覚ではとても事業の推進などできなかった。仕事はチームで行うもの、という方針は間違っていないと考えている。

 ルールブックを、改めて見て思った。ソフトバレーボールのルールブックはひょっとしたら6人制よりも文言の数が多いのかもしれない。6人制や9人制と比べると活字も小さい。内容は、注解が多い。簡潔にすれば注解が多くなるし、細かくすればページ数が増えるし、多世代がプレーするこのソフトバレーボールのルールを「誰にでもわかり易く」するのは容易なことではない、と今更ながら事の重要性にたじろいでいる。しかし、これもチームで乗り越えようと思う。一人で考えていると、やらなければならないという意識が強いほど、逆に行動を抑えてしまうことがある。臆病になってしまうことがある。考えれば考えるほど良い考えが出てくるわけではない。やり始めて、やり続けて、少し光明が見えてくるという。考えているばかりでは光明は見えてこない。光明はそこにある。自分の足を使って近くまで行けば見えてくる。
光明の方から近寄ってくるわけではない。
 先日、ある人からこんなことを聞いた。成功への図表で、横軸は時間軸に、縦軸を成果軸とした場合、一般的に成果は時間に比例して右肩上がりするものと思っているが、実際は時間軸を10とした場合、9までは成果がほとんど上がらないものである。大概の人はここで努力を放棄してしまう。成功する人はここからもうすこし頑張る。そこから急速に努力曲線は成功に向かって急上昇する。つまり、こんなにやっているのにもうだめだ、というところが実は成功への分岐点だということである。
 ・・・なんてことをウダウダ考えてばかりいないで、わたしもさっさと仕事にかからないとね。花粉症に負けないように毎日お風呂に入りましょう。

2008年3月5日水曜日

春ですね・・・

 今朝は肌寒かったが、日中は9℃で青空が広がっている。ここ1週間は、毎日最高気温が1度ずつ上昇していくようだ。
 今週末は土曜日の(財)日本バレーボール協会指導普及委員会、来週は日本ソフトバレーボール連盟の理事会と全国代議員会、春高バレー開幕、千葉県バレーボール協会理事会、(財)日本バレーボール協会審判規則委員会と出席しなければいけない協会・連盟の会議が続く。そのための提出資料作成で現在追われている。
 日曜日は1年ぶりに住居のある千葉県ソフトバレーボール連盟主催の県大会に出場する。その後の理事会出席も1年ぶりである。千葉県ソフトバレー連盟では、昨年まで指導普及部長の任にあったが、県協会の指導普及委員長に就任したので、県連盟の部長は降ろさせていただき、一理事として関わっている。

2008年3月2日日曜日

27日は誕生日でした。

 おかげさまで、今年も誕生日を迎えることができた。20歳を過ぎたら、誕生日というものは家族・友人から祝ってもらうものではなく、誕生日を迎えた人が家族・知人に感謝する区切りの日ではないかと私は考えている。もっとも、考えているだけで、こちらからプレゼントを家族・友人に手渡すには大変な数なのでそれは控えて、心の中で「お世話になっています」と感謝している。そして、家族・友人からは相変わらずプレゼントだけは素直に頂いている。素直が一番、と都合のよい論理への切り替えでは私は天才ではないかと自慢している。もっとも、このようなへんてこな論理には、他人には天災ならぬ人災のようであるが・・・。
 さて、今年はうるう年ということで29日がある。その年がうるう年であるかどうかを判定する方法をご存じだろうか。うるう年になるのは、西暦の年が4で割り切れる年だ。ただし、その年が100で割り切れて、かつ、400で割り切れない場合はうるう年ではない、ということだ。しかし、この29日に生まれた人は、うるう年でない年(平年という)の誕生日はどうするのかな、と気になった。調べてみた。2月29日生まれの人は、戸籍上誕生日はうるう年しか巡ってこないが、日本の法律上それ以外の年は3月1日で誕生日を迎えるのと同等になっている、ということだ。
 2月27日生まれの知人に、女子バレーボールで銅メダリストの森田喜美枝さんがいる。大阪の薫英女子の出身で、日立に入社した時は173cmのレシーバーであったが、ロスオリンピックの直前にレフトアタッカーでスタメン入りした。彼女が現役の時は、話もできないような緊張感が彼女の周りにあったが、引退後はいつもニコニコ笑顔でした。ニックネーム「モリ」さんで、全国のバレー教室を私も一緒に年間50回もやっていました。彼女とは、年賀状でいつも、今度一緒に誕生会やろうね、と書き合っているのだがいまだに実現していない。昨年の賀状には、もう一人の27日生まれがいるので仲間に入れようと書いてあった。中村高校を中退し大宮通信高校に通いながらイトーヨーカドーで大人気、その後もパイオニア、全日本で活躍した斎藤真由美さんである。
  きょうは、3月2日。花粉も最高潮、私の花粉症によるくしゃみも最高潮。