2009年10月26日月曜日

全国ソフトバレーボールレディース&メンズ交流大会閉幕


 昨日の25日で3日間山形県酒田市にて全国から96チームが参加し開催された全国大会が閉幕した。2名の怪我人が出たものの、大過なく皆さんプレーに交流パーティに3日間楽しんだ。初日の代表者会議と開会式は、市民会館にて行われ、開会式後はステージで黒森歌舞伎を鑑賞した。黒森地域で270年前から続いている農民歌舞伎で国の重要文化財に指定されている。その後は、映画のアカデミー賞受賞作品の「おくりびと」のメインロケ地でもある酒田市内「おくりびとバスツアー」が無料で行われた。なかなか適時を得た企画であった。
 参加チーム数であるが、レディースで12県、メンズで19県が残念ながら不参加であった。理由として、ここのところの景気の悪さ、年齢構成の難しさ、大会日数の長さ等がある。年齢構成はコート上に39歳以下1名、40歳以上が3名がいなければならない。各チームとも39歳以下のメンバーを交代要員も含め2名獲得するのに苦労していると聞く。つまり、普段練習している一般のクラブやチームでは多様な年代が必ずしもいるわけではない。そうなると、他のクラブやママさんチームからメンバーを借りてこざるを得なくなる。普段一緒に練習をやっていないメンバーと予選会のために練習をやることは、確かに世代間の交流ということでは意味のあることではあるが、気心が知れるまでは時間がかかる。そこで私からは次のように提案したい。つまり、「以上」の発想である。20歳以上が1(2)名、40歳以上が3(2)名でコート上のチームを形成すればチームを作りやすくなるのではないか、と考える。今年の理事会で提案する予定だ。
 メンズの方は、以前から言っているように、発展的解消がよろしいであろう。日常的にメンズだけで行っていない種別を全国大会として開催する意義は薄い。県大会やブロック大会にも存在しない種別が全国大会にだけあるというのも奇異である。日本連盟が20年経った今、全国大会のあり方も見直しが求められていると考えられる。生活の一部分をなしているスポーツというのが我々の理念である。いわゆる「スポーツの生活化」である。音楽や絵などの芸術と同じように生活になくてはならないスポーツとして老若男女が一緒になって楽しめるソフトバレーボールがニュースポーツのリーダー格になってきた。ここいらでソフトバレーボールの理念も再構築、仕切り直しが必要になってきているのかもしれない。このままでは、ソフトバレーボールは競技化と大衆化の2路線に分かれていくような岐路に立っている気がする。競技化と大衆化の両方の良さを持ちながら、さらに発展していく考察が求められている。
来年度は、四国愛媛県の松山市にて開催。松山市といえば、もうすぐ始めるNHKの長編ドラマ「坂の上の雲」(司馬遼太郎原作)のロケ地だ。酒田市に負けるとも劣らぬメディア活用の企画が出てくるのであろう。是非とも行ってみたいものだ。
(画像は、メインコート10コートでの交流大会風景。この他、サブコートに2コート設けて17年前に開催された山形国体のバレー会場であった酒田市国体記念体育館にて開催された。故郷の酒田はこの時期には珍しく3日間晴天であった。秋の穏やかな涼風で私達を包んでくれた故郷、そして素敵な仲間たち、ありがとうございました)

2009年10月22日木曜日

明日から全国ソフトバレーレディース&メンズ交流大会開催


 明日から、全国ソフトバレーレディース&メンズ交流大会が開催される。仕掛け人は山形県連盟副理事長であり、地元酒田市連盟会長の佐藤三幸さんと宮城県連盟理事長の三浦さん。昨年、東北ブロックでは初めての日本協会が主催、地域と県連盟が主管の全国シルバーを宮城県が開催した。今年は山形県だ。実は開催地の酒田市は、私の故郷である。高校時代まで住み暮らした土地で全国大会が開催されるというのも感慨深い。思えば、5年前から酒田市で全国大会を開催して全国の愛好者の方達に酒田市を良く知ってもらおうと佐藤さんと三浦さんを交えて会うごとに、飲むごとに話し合ってきた。

開催までこぎつけてきたのは、佐藤さんを中心に故郷のソフトバレー愛好者の方達の継続的な努力の賜物である。

 今回の大会は、身の丈全国大会のスタートになるであろう。背伸びをせずに、自分たちのできる範囲で、華美にならず、質素でも、おもてなしの心で他県からの仲間を迎え入れて2泊3日を楽しい思い出を作って頂こうというのが酒田市の交流大会である。

 明日の昼過ぎには、5月以来であるが酒田の地に到着する。どんな思い出が作れるか私も楽しみにしている。
(画像は先週の三宅島ソフトバレーからの帰路、船中から撮った太平洋に沈む夕日。あっという間に沈んでしまった。明日は日本海に沈む夕日が見られる)

2009年10月20日火曜日

今夜は久しぶりに船橋の我がクラブでソフトバレーの練習


 これから、自宅を出て船橋のソフトバレークラブ「大穴」の練習に行く。ここのところ、出張やママさんバレーの練習と重なってソフトの練習はお休みしていた。一昨日も市の交流大会があったはずであるが、結果はどうであったのであろうか。怪我さえなければ勝敗はトントンで良い。

 最近若い人たちがソフトバレーに入ってきた。そのこと自体は嬉しいことなのだが、マナーの悪さや勝利至上主義がベテランの人達の眉を顰めさせているということが私の耳にもよく入ってくるようになった。マナーが悪いのは、これはベテランの姿を見ていれば良いところを真似してそのうち良くなるであろう。試合中の悪態も連盟や主催者の講習会・研修会を繰り返していく中で解消されていくことと考えている。勝利至上主義は、このソフトバレーには似合わない。勝利主義と勝利至上主義とは違う。「至上」とは、何としても、何が何でもという強い意志がある。我々が楽しんでいるソフトバレーはレクリエーション。相手のチームは敵ではなく仲間。相手がいなくてはゲームもできない。相手に感謝の念を持って、ルールを遵守し、練習で培ったスキルを活用して、日常培ったの体力を無理なく消費しながら、負けないように戦術の工夫を凝らしゲームを楽しむことがレクリエーションスポーツである。従って、公式ゲームのときは、監督でもある私は、全員必ずゲームに出てもらう。上手な人たちだけでチームを組むこともしない。その大会に出れる人たちでチームを組み、1ヵ月前からコンビを合わせる練習を行う。

 勝っても負けても、怪我なく笑顔で相手のチームと挨拶の握手ができるのが良い。
(画像は三宅島で訪れた三宅島の焼酎「雄山一(おやまいち)」という銘柄の焼酎の醸造元のおかみさんと一緒に記念写真。各島にはなぜか地元の焼酎が作られている。私は、必ずと言ってよいほど醸造元に行って社長さんとお話してくる。おかみさんは以前は婦人部バレーのエースであったとのこと。来年の交流大会では、お店を休んででも参加してきてね、とお願いしてお店を去った)

2009年10月19日月曜日

三宅島ソフトバレーボール交流大会開催


15日(木)から三宅島に入り、翌日からの第1回島民ソフトバレーボール交流大会の準備を行い18日(日)の昨日、東京の竹芝桟橋に帰ってきた。
 三宅島と言えば、ほとんどの人は2000年の雄山の噴火で2600名の全島民が東京に避難したことを覚えていることであろう。5年前から帰島が許されても約1,000名が島に帰ってこない。三宅島はバード・アイランド(鳥の島)と言われるくらい鳥の種類が多い。日本国内にいる鳥の種類は350種類らしいが、その半分の種類が三宅島にいるとのことだ。理由は鳥の天敵の蛇がいないからだ。なぜ、三宅島には蛇がいないのかは分かってはいない。
 いずれにしろ、その三宅島を7月に東京都教育委員会の役員と一緒に訪れ、体育指導員の方達にソフトバレーの指導を行い、三宅島の教育委員会の若い職員を東京都ソフトバレー連盟主催の交流大会を視察して頂き、なんとか当日の交流大会まで持ってきた。12チームの募集に一計を案じ、元オリンピック選手たちを呼ぼうと考えた。あの「プライア」である。監督の岩本先生に相談したら2つ返事で快諾。藤田幸子、永富有紀のオリンピアンが来てくれることになり、募集のチームもすぐに埋まった。プライアの他に、東京都から1チーム呼ぼうと声をかけたところ、都連盟役員の松田さんが監督をやっている若い人たちのチームが参加してくれた。決勝戦はそこのチームと激戦になったが、心優しい松田さんはソフトバレーに慣れないオリンピアンチームに勝利を献上してくれた。
 夜の交流パーティには100名を超す島の若い人たちが集まってきた。お隣の島の八丈島からも教育委員会チームが参加してきていた。挨拶で、村長が「こんなに島の若い人たちが集まったのは久しぶりです」と感慨深げの様子であった。これがスポーツの力。ソフトバレーボールのパワーなんですね。
 伊豆諸島、小笠原諸島合わせて「東京諸島」というのであるが、島のソフトバレーボールが熱くなってきた。今後、東京都で開催される交流大会に三宅島の選抜チームが参加して「今度は一泡吹かせましょう」と昨日帰りの船でたまたま一緒になった三宅島高校の校長の佐藤先生がが豪語していたことを思い出した。三宅島の今回の交流大会には、本当にいろんな方達が参加されていた。婦人会、小学校の校長以下の教員、青年団、漁師・・・、次回再会するのが楽しみですね。
(画像は、交流パーティで。島で唯一のホテルのレストランを貸し切っての立食パーティ。三宅島って、本当に植物の宝庫で、沢山の花が乱舞していてまったく飽きることがない。来年度には島嶼交流大会第8回を三宅島で開催できる可能性が出てきた。そして、次は八丈島かな・・・)

2009年10月12日月曜日

体育の日

 昨日は、関東大学秋季リーグ戦後半戦のゲームを観戦に早稲田大学記念会堂まで行った。観戦もそうだが、大学院修了を直接ご報告したかった。体育館玄関に入る前からいやに静かであった。果たして、中に入ってみると、バドミントン部が静かに練習をやっている。あれっ、会場間違ったのかなと手帳を確認するが、間違いなくここだ。他にも応援に来たらしい人が数名「あれっ?」というような顔している。時間的には、ゲーム直前ではあるが、東海大学の成田部長に電話してみた。成田先生曰く、東京女子体育大学バレー部にインフルエンザが発生し2日前に延期になった、ということだ。むむ・・・今期は、私の日程上試合を見に来ることはできないな、と残念ではあったが記念会堂を去った。
 午後から、総武線の平井駅に向かった。江戸川区バレーボール協会の指導普及委員会役員との打ちあわせだ。1月17日(日)に開催するママさん対象のクリニックの打ち合わせに、5名の役員が同席された。会場の区立小松川小学校にて会場視察を兼ねて打ち合わせを行った。ここのクリニックは一昨年から講師を依頼され、今度で三回目だ。区内には登録チームが80チームあり、その中から各チーム2名以内で合計60名先着方式で募集する。テーマは事前に申し込み用紙に希望事項を記入して頂き、それに応える形で二つほどテーマを選定し進行する。実技で指導できない部分は、昨年から始めたのであるが、資料の形で受講者に配布する。
 今週木曜日から日曜日まで伊豆諸島の三宅島にソフトバレーの指導と村民対象の第一回交流大会開催のため渡航する。気にかかるのは、小笠原の方で台風19号が発生していることだ。木曜日中には本州を通過していることを願っている。船中6時間程度であるが、揺れないにこしたことはない。

2009年10月10日土曜日

本日は日本晴れなり


 いやあ、全国的に快晴ですね。昨日は大阪本社にて会議であった。朝5時起きで東京駅から新大阪に新幹線で移動。車中ではほとんど寝ている。そこから電車を乗継ぎ、40分かけて本社に辿り着く。昨日は、思いがけなく4時過ぎには会議が終わったので、千葉市の我がママさんチームの練習に間に合うかもと、新大阪駅に早足で急いだ。結果、千葉の新検見川駅に着いたのは8時10分。ママさんアッシーに出迎えに来ていただき、何とかあと40分の練習ができた。
 ママさんは、なかなか上達してくれない。しかし、そこのところがコーチングに磨きをかけるチャンスであると私は考えている。27年前に東京の東洋高校男子バレーが春高バレー、インターハイで準優勝、国体で初優勝を遂げたが、その当時の今は故人になったが監督の山口先生がやっていた練習は基本練習だけであった。練習はやればやるだけ基本が大事だと分かってくる。難しい複雑な練習をいい加減にやるよりも、シンプルな練習を集中して行う方が成果が上がった一例である。あれもこれもフォーメーションを試したいが、そのチームの選手の特長を生かした幹となるフォーメーションを一つしっかりと身につけるべきであろう。そのあと、枝葉を確実に付けていけばよいと考える。
 来月中旬には、秋田県で100名ほどの小学生バレー指導者を集めての講習会が開催される。講師の私へのテーマは、「体力作り」と「フォーメーション」だ。フォーメーションといっても、レセプション・フォーメーション、ディフェンス(ブロック+ディグ)・フォーメーション、アタック・フォーメーション、ブロックフォロー・フォーメーションがある。チーム戦術に繋がる大事な部分だ。私の講義や実技の進め方は基本的にグループワークで行う。これは、受講者にも主体的に絡んできてほしい、一緒に学習していきましょうという意図がある。基本、原則をまず私から講義して、各グループから応用を発表して頂く。そこには私も「なるほど」と感心する考え方と遭遇する学習の場となる。そんなこんなで、きょうは資料をまとめている。どんな質問が来ても答えられるように準備しておくのが公認講師の務めと心得ている。教えることで学んでいくのが私のスタイルだ。また、学びなくして教えることはできない。
 今月中には、小学生バレーの名指導者である東金町ビーバーズの浦野総監督に教えを請いに伺う予定だ。浦野さんの指導論には私も多くの部分で同意するところがある。今年の全国小学生バレー大会では久方ぶりに女子で優勝を成し遂げた。大会時にはゆっくりとお話を伺うことができなかったので、今度は練習にお邪魔して実際の指導ぶりを見る予定だ。
 さて、明日は関東大学女子1部リーグ戦の観戦と大学院修了の報告に会場の早稲田大学に行く。昼からは、江戸川区協会でのクリニックの打ち合わせに平井駅に向かう。
(画像は、今年の小学生バレーの試合風景。東京体育館でのゲームは子供たちや親御さんには良い思い出でなったことであろう。小学生の時には色々なスポーツを経験して欲しいが、小学生からバレーボールに取り込んでおかないと、特に男子は人口が極端に少なくなり男子バレー存続の危機になってきている。大きな課題だ)

2009年10月8日木曜日

台風18号関東を通過中


 非常に大きい台風18号が日本縦断を始めた。自然の猛威には、自衛するしかない。我が家のマンションのベランダからも植木鉢などを移動して強風に備えた。関東では、朝の通勤ラッシュ時に当たり、近くの西船橋駅も運休、間引き運転で相当混雑したようだ。

 私?私は先週の新潟国体の休日出勤の振り替え休日を取らせて頂いたおかげで自宅でTVニュースを見ている。新潟国体での深夜ラーメン食べ歩きの疲労からも回復してきた。

 明日は、大阪本社で会議、明後日はお休み。日曜日は関東大学1部女子リーグ戦に挨拶と江戸川区バレー協会と打ち合わせの予定だ。

 きょうは、バレー指導書の編集を行っている。現在はオフェンスとディフェンスのフォーメーションの理論の変遷を所有している単行本や雑誌を引っ張り出しまとめているところ。9人制のフォーメーション理論も再学習している。9人制の理論は、石野浩靖さんと森藤憲一さんから教わった。

 森藤さんは、大阪府家庭婦人連盟を創設し、理事長会長として関西のママさんバレーの礎を築かれた方である。日本協会でも指導普及委員会副委員長の要職に就いていた。韓国に9人制バレーの普及のために指導に出かけていたこともあった。葵クラブという女子9人制クラブチームを創られ、全日本総合や全日本クラブカップで多くの優勝をされていた。森藤さんとは、いつ知り合ったか忘れてしまったが、10年以上も前であることは間違いない。当時、森藤さんは9人制バレーボールの専門雑誌を発刊されていた。専門誌は京都大学法学部出身らしく理路整然とされていて、何よりも数値で根拠を示していたところは科学的であった。バレー談義で意気投合し、私の雑文も2回ほど連載され、その後その専門誌は休刊となった。それから10年以上経った。 

 昨日、会社近くの三省堂本店に行き、スポーツコーナーで森藤さんの著書を見つけた。奥付を見たら、第2刷となっていて、最近の写真もそこにあった。随分とお歳をとられたなという感じであった。2003年発刊の第1刷の頃の写真は当時の御本人より若い頃の写真であったが、中年の渋みが出てダンディな写真であった。専門誌が休刊された当時、森藤さんは本業の方で相当苦労されていたと聞いていた。1930年生まれであるから、今年で82歳であろうか。お元気であれば、またバレー談義をしたいものだ。
森藤さんが生涯をかけた9人制バレーボールは、来年の千葉国体で正式種目から消える。我が国のバレーボールを育ててきた9人制バレーの火が輝きを失いつつある。森藤さんの嘆きの声が聞こえてくる。
(画像は、昨日も書店で買い求めてしまったバレーに関する単行本を含む今年買い求めたスポーツ関連書。最近の傾向としては、写真が多くなってきたこととDVDが付いているということだ。次に欲しい本があるのだが、検体を用いてカラーで解説しているDVD付きの最新刊の解剖学の本で価格が4万円もする。私にはとても手が出ないので、せめて時々立ち読みして目に焼き付けてくることぐらいが関の山だ。しかし、実際の人間の体を解剖した生々しい画像は迫力をもって目に映る)

2009年10月4日日曜日

新潟国民体育大会3日目




 ご承知の通り、私は成年男子9人制の会場にいる。今日で、決勝進出のチームが決まった。リコー電子の宮城県と3連覇を目指す徳洲会の沖縄だ。両方の強化委員長とは顔なじみであり、色々情報を頂いた。興味深かったのは、沖縄の徳洲会という病院グループだ。全国に網羅された病院グループに選手生命引退後は配置する仕組みを作っているとのことだ。更に、6人制でも地域リーグクラスのチームを立ち上げたそうだ。ハンドボールでも実業団チームを持ち、サッカーでもプロチームを持つ沖縄の低力は見習うべきだ。

 夜になって、神奈川選抜女子少年チームの父母達から食事のお誘いがかかり、2次会のカラオケまで行った。神奈川選抜は大和南と橘の連合軍だ。県内では歯を剥いてのライベルと思いきや、合宿を重ねた結果、父母達はすっかり仲良くなったようだ。本日の準決勝の試合はフルセット5セット目、ジュースで今年2冠王の東九州龍谷にあと1点まで詰め寄った。試合後、勝った東九州龍谷の選手達が泣いた。今年のゲームで初めてセットを取られ、あと1点で負けそうになったのであるから肝を冷やしたことであろう。

 明日の最終日で、高校3年生にとっては高校時代の真剣勝負の幕は閉じる。高校生活最後の公式大会だ。これから、3年生たちは進学、就職に大わらわの状態になる。その前の、明日の3位決定戦、力を出し切ってほしい。

 2次会のカラオケでは、「思い出のサンフランシスコ」「ジュン」「与作」「FAR way」とオープニングからクロージングまで歌わせて頂き、また一人、私を演歌歌手と勘違いされたお母さんがいらしたようです。そんなかんなで、新潟県長岡の夜も今夜限りです。なお、今夜はラーメン抜きで「一人冷たいベッド♪」に「そっとお休み♪」で入ります。
(画像は9人制男子決勝戦。優勝した宮城県(リコー電子)のサーバーが強烈なジャンプスパイクサーブを実行し、コート内に着地した瞬間。ディフェンスフォーメーションは、6・2・1でブロッカーは6枚。エースアタッカーは3枚ブロックを抜くというより、指に当ててライン後方に吹っ飛ばすという豪快なスパイクが多いですね)


2009年10月2日金曜日

新潟国体開催


 長岡に昨日から来ている。長岡駅前のホテル法華クラブに泊まっているが、他にもバレーチームが長崎県女子、福岡県男子が宿泊している。夜には新潟県バレーボール協会強化委員長の桂川先生とお会いでき、数年ぶりの再会を喜んだ。
 長岡市はラーメン屋さんが多い地として全国的に有名。昨夜の二次会はラーメン屋さんまで行き、体重コントロールが難しい4日間となりそうだ。 (画像は、醤油味の長岡ラーメン。煮干しの出汁が効いていて、あっさりだが旨みが後からジワーッと出てくる)