2011年1月31日月曜日

1/30(日) 小学生バレー観戦

 この日、午後から船橋市内の法典東小学校に出かけた。市内で小学生バレーを指導して3年目になる日下さんから先週連絡が入り、いらっしゃいませんか、とお誘いを受けていた。日下さんは、長年ママさんバレーに携わり、プレーヤーとして全国大会に出場したこともあるバレー大好き人間である。
 4年前に、その日下さんから地域に小学生バレーチームを立ち上げたい、と相談があった。丁度、日本バレー協会では、地域スポーツクラブ創設の後押しとして助成金制度を立ち上げていたので、この機会に、バレーボール型地域スポーツクラブとして、ママさん、ソフトバレー、小学生バレーの3チームを核にしたクラブを創設しませんかと提案したところ、「難しそうだけどやってみましょう」との即答で現在まで活動している。小学生チームは2チーム体制になり、公式試合にも出れるようにもなってきた。
 この日、4チームのリーグ戦で、日下さんのチームは全敗ながらも1セットを取り成長の跡が伺えた。
ママさん達が小学生を指導している例は、千葉県内でも多くなってきた。ママさんバレーやソフトバレーで親や大人達が楽しんでいる光景を子供たちが身近でみれば、子供達もバレーをやりたくなるのは自然である。ママさんバレー、ソフトバレーから小学生バレーにつながり、それから中学校でもバレーを続けて少しレベルの高いバレーを楽しむことができれば普及のシステムとして適っている。
 ゲームの中で、失敗の多いのがサーブレシーブである。ネットの高さが2mなので、スピードサーブを打たれると小学生ではまだ良くコントロールできない。ひらめいたのが、1本返しである。奇策ではあるが、考えると理に適っている。変化スピードサーブをセッターのいる斜め方向に返球するのは、腕の面を微妙にコントロールしなければいけないので結構難しい。コート上方に上げればよいと言う指導者は多いが、腰をボール下に入れ角度を調整するのも小学生の初心者には難しい。そこで、打って来たサーバーに返すように、前方に返球する「1本がえし」を覚えるのもレシーブの段階としては良いと考える。サーブレシーブの基本練習で、重心移動を覚えるためにネットにボールを当てるあの練習である。
そんなことを考えていると、眼の前でたまたま1本返しレシーブが生じた。腕を振り過ぎたのであろう、ボールは相手コートのエンドラインに飛んで行って、レシーブが崩れ、相手チームはラストボールを返すのがやっとという状態になった。これこれ、この戦術を意図的にできれば、強サーブもさほど怖くない。
時には、相手のチャンスボールになるかもしれないが、自コートの外に弾いて味方がカバーできないようなレシーブをするよりは失点の確率が少なくなる。
 今日は、子供たちのおかげで新戦術を生み出すことができた。何からでも学べるものだ。
 

2011年1月29日土曜日

1/29(土) 健康診断結果で「高脂血症」と判定

 「こうしけっしょう」とは「講師決勝」ではない。講師の私がチームを組んでソフトバレーの決勝戦まで行った(先週の伊豆大島の交流大会ではそうでしたね)とか、のお話ではない。「高脂血症」のことである。正式には「高中性脂肪血症」と書く。Kaplanという学者が、『死の四十奏』(1989年)と名付けた、耐糖能異常、内臓型肥満、高血圧の仲間の1つである。簡単に言うと、生活習慣病と関係のある肥満症である。
 実は、高脂血症と判定されたのは、これで2回目で、最初は2006年である。この年の春に、筑波大学大学院に入学。夜間部に通学したので、週3回の夜の食事が10時以降になってしまい、カロリー摂取過多、不規則な食事のせいで中性脂肪(TG)が370mg/dl(基準値は35~149mg/dl)となってしまったのだ。今回の値も、277mgで基準値を超えてしまった。救いは、血糖値と血圧が基準値内なので、メタボリックシンドロームではないものの、要注意。減量する必要がある。
 早速、今晩から、規則正しい食事、カロリー制限、適切な運動を心掛けよう。とはいうものの、夜のお付き合いを減らすのは至難の業である。どなたか、絶世の美女が「ナベさん、減量した貴方って素敵!」と励ましてくれる人がいれば、私も頑張れるというものであるが・・・。
 それはそうと、今しがた福島県いわき第一高校女子バレーチームの菊池監督からメールが入り、全国私学大会東北ブロック予選で全国大会出場権を得たとの朗報が入った。強豪古川学園は、皇后杯(全日本選手権大会)と全国私学一次予選と重なってしまったので、今回の予選会には出場していないとのことであった。優勝は郡山女子大附属、2位が弘前聖愛、3位が宮城県の尚けい、他7チームが4月1日からの全国大会に駒を進める。菊池監督は、男子チームを率いて既に春高バレー、インターハイで全国大会に出場している。これで今年の北東北インターハイに出場すると男女チームを全国に行かせた稀な指導者となる。是非ともその偉業を達成してもらいたいものである。

1/28(金) 我がママさんバレーチームの練習試合 

 私が定期的に1チームのママさんバレーの指導をする目的は3つある。まず、普通のママさんバレーの実態を知ること。次に、大人の初心者を指導することで私自身の指導力を鍛えること。最後に、ママさん達にバレーボールをますます好きになって欲しいから。この先にあるのは、地域と密着した活動と言うことになるのであるが、追々展開していこうと考えている。
 さて、この日は千葉市の公式大会を来週に控え、練習試合を組んだ。相手は自分達のチームよりやや上位のレベルのチームである。4セットやって得セットは1セットだけであったが、公式大会に向けての分析、対策はできた。何より、練習試合を終えて、私はすぐにでも帰ろうと思っていたが、メンバーが「コーチ、ミーティングしましょう」と積極的に努力しようという意識が出てきたことは喜ばしい。もっとも、私にとってのミーティングとは、晩酌タイムなのであるが、メンバーのマンションの近くにあるファミレスで軽食を取りながら小一時間ほどバレーボールの話ができた。
 来週の公式大会で、3つ勝利すれば上位の1部に昇格する。ママさん達の意欲がどこまで通じるか楽しみである。勝っても負けても、レクリエーションスポーツとしてのママさんバレーである。勝っても謙虚に、負けても相手に祝福の言葉を笑顔で握手と共に交わせるようにお願いしている。挑戦を続けるところに意義がある。ママさんバレーが生活の一部として心身に爽快感を与えるものとして、また地域での連帯感の形成に寄与しながら継続していって頂ければありがたい。

1/26(水) 神奈川県家庭婦人バレー連盟 新年会

 今年の会場は、小田急線相模大野駅中の小田急ホテル。県内の役員、関係各社来賓合わせて90名ほどが集まり新年会が開催された。
 県内各ブロックの役員の紹介が終わり、メインイベントが、カラオケ大会。私にも順番が回ってきて、今年の歌は、北島三郎の「魂(こころ)」。日本の四季を雄大に歌で表しいている私のお気に入りの歌である。ステージに上がって歌い出すと、同じテーブルのママさん役員10名がカラフルな応援小物を振り出し盛り上げてくれた。最近、ステージで歌うのが気持ち良くなってきている自分が少し危ない。
 新年会を終えて、大和市連盟の役員さん達と同じ駅ビルの喫茶室にお茶に行き近況を語り合った。大和市では、4月から再びミニクリニックを開催することを約束して別れた。
 1月もそろそろ終わる。今年の寒さはもう少し続くらしい。今週末は久し振りに2日続けてお休み。自宅で録画したビデオを観るのが楽しみである。

2011年1月25日火曜日

1/21(金)~23(日) 伊豆大島にてソフトバレー交流大会


 金曜日の夜に東京の竹芝桟橋から船で伊豆大島に向かった。同行者は、モントリオールオリンピック金メダリストの白井貴子さん、矢野広美さんのお二人に茨城県県西地区ソフトバレーボール連盟会長の望月さん、そして主催者の(財)東京都スポーツ文化事業団職員4名の計8名である。

 翌朝6時に大島の岡田港に着岸、宿から出迎えの車に乗って20分ほどのところにある海辺の大島館と言う旅館に入った。風呂場でシャワーを借り、髭も剃りさっぱりとしたところで朝食を皆で頂いた。

 会場の都立大島高校体育館では、5年ぶりに再会する方達が待っていた。大島町の教育委員長、体育協会会長、体育指導員協議会会長など町のスポーツ界の重鎮が勢揃いしていた。その中でも、リーダーはバレーボール協会会長の岡田チヨさんだ。今回の交流会でも主管として奔走したと聞いている。この人の魅力は、迅速な行動力だ。あの小柄な体のどこにそんなエネルギーがあるかと思えるほどパワフルだ。思い立ったら即行動、そして細やかな気配り。岡田さんが町のスポーツリーダー格なのもうなずける。今回の交流大会の主目的である「大島町に総合型地域スポーツクラブの創設」も彼女がGMとして牽引してくれると確信している。

 交流大会の種別は、年齢フリーの混合のみで、7チームが島内から参加、島外からは我々講師チーム「プライア」チームの計8チームである。各チーム3ゲームの後、4試合目が決勝戦となった。決勝戦が平均年齢58歳の講師チームと30歳代のパワフルな若者チームとなった。我がチームのエースである世界の大砲の白井も今年57歳、歴戦で膝と腰がガタガタ。フルセットになるかと思われたが、我がチームには救世主の望月さんがいる。三日前に還暦を迎えたが、熟練のソフトの技を披露し辛くも勝利を得ることができた。金メダリストの面目を補ったいぶし銀のプレーと言える。

 夜の交流パーティでは、名物の島寿司を沢山いただき、島焼酎を延々と飲み続けた。若者達と会話も弾んだ。一番賑やかだったのは60歳以上で大会に初参加した島の女性達である。このおばさん達が愛好者の中心になって活動できるように行政が後押しすれば上手く組織ができていくだろうなと感じた次第である。

(画像は、大会翌日に20年前に噴火した三原山山頂に上っての記念写真。前列左に白井さん、後列左が望月さん、前列右側に私、他の3名が財団職員)

2011年1月21日金曜日

1/21(金) 日本女子体育大学 高橋学長訪問


 高橋先生と一緒に海外に行ったのは、1979年のメキシコ・ユニバシアード大会が初めであった。高橋先生は当時、関東大学1部リーグで日本女子体育大学女子バレー部を監督として率いて数々の輝かしい成績を収めていた。その高橋先生がユニバシアード(大学生のオリンピック)の監督としてメキシコに行くことになり、私も社命で同行することとなった。選手の中には、筑波大学から日立そして全日本で人気者になる三屋祐子選手、ミュンヘンで銀メダリストでユニチカで活躍し、その後日本体育大学に入ってきた塩川選手、大阪の泉州高校時代に春高バレーで優勝、その後日本体育大学、イトーヨーカドーで活躍した佐々木、中京大学で活躍、その後NECでもエースとして活躍し、現在愛知県の高校女子監督をしている長谷川などそうそうたる顔ぶれであった。男子の監督は全日本男子で監督に就任直前の斎藤勝先生。成績は、女子が銀メダル、男子が銅メダルであった。おっと、今日はそんな昔話のことではない。

 きょうは、高橋先生が学長に就任している日本女子体育大学にお邪魔したのだ。30年ぶりに訪問した大学は、短大はなくなり、今は4年制だけで経営している。学長室に通され、学長月の秘書からコーヒーを頂き、さっそく昔話になった。そこから、学校経営の難しさ、教育とは、全日本女子になぜ大学生はいないのか、定年後の生き方などなど予定の1時間はあっという間に過ぎた。またの再会を約束して別れた。

 私は、今夜、伊豆大島に出発する。モントリオール金メダリストの白井貴子さんと矢野広美さんの2人を同行して、明日は大島にてソフトバレーの教室と交流大会を開催してくる。

(画像は、日本女子体育大学の正門口)

2011年1月20日木曜日

1/20(金) 哀しい酒

 一番悲しいのは、三浦さんあんただよね。自分が亡くなったともわからずに亡くなった、あんただよね
。それが悲しい、哀しい、悔しい。

2011年1月16日日曜日

1/16(日) 第2の母国のチュニジアで政権崩壊 


 チュニジアは、アラブ圏の国にしては天然資源には乏しいものの、欧州のリゾートとして世界的に観光立国として名高い。ブルーのグラデーションで彩られた穏やかな地中海に白い家が海沿いまで重なり合って建っている風景は、この国を一度訪れた者を必ず魅惑するほど美しい。アラブの国の中では最も欧州に距離も考え方も近い国と言える。そのチュニジアに私が日本青年海外協力隊から男子ナショナルチームのコーチとして派遣されていたのは1976年から2年間、私が23歳の時であった。

 そのチュニジアで、23年間チュニジアを統治していたベンアリ政権があっけなく崩壊した。前大統領は、サウジアラビアに亡命した。近年、若年層の失業率の高さや前大統領周辺が私服を肥やしているといった批判が拡大するなど経済政策のひずみが一気に露呈した。きっかけは、先月、職が見つからない青年が路上で野菜を売ろうとして警官に止められ、抗議の焼身自殺を図ったことにある。この事件を機に国民の溜まっていた不満が爆発。食料価格上昇もあり、各地でデモが発生した。

 隣国のアルジェリア、リビア、エジプト始めアラブ諸国の多くは、チュニジアと同じような問題を抱えている。各国の民衆の不満が噴き出す恐れがある。

 33年前、チュニジアでお世話になった人たち、指導した子供達、青年達はどうしているであろうか。

(画像は、千葉県船橋市の私の住んでいるマンション3階ベランダから見下ろした雪化粧の駐車場。千葉県では初雪である。明け方から大きな雪が降ってきたが、昼には好天に恵まれ雪は全て溶けてしまった。センター入試2日目の今日、受験生は遅刻せずに受験会場に無事入ったであろうか)

2011年1月15日土曜日

1/15(土) 悲報

 宮城県ソフトバレーボール連盟理事長でブロック理事でもある三浦さんが突然、亡くなった。
 昨日は東京都体育館会議室にて日本ソフトバレーボール連盟委員長会議を成田理事長も同席されて開催していた。翌日には同じ連盟の企画委員会が開催されるので事前打ち合わせの意味もある。委員長会議を夕方に終えて、3委員長、理事長、三浦さんの5人で近くの居酒屋に行き、久し振りの再会を喜んで祝杯をあげた。私は小一時間くらいで、その場を退席し、千葉市の我がママさんバレーの練習に出かけた。
 今朝、成田理事長から悲報が入った。宿泊先の都内のホテルで深夜亡くなった、とのことであった。信じられなかった。昨夜、あんなに楽しく語り合っていた人が、冷たくなって、病院で監察医の検査を受けているなんて・・・。死因はまだわからない。心筋梗塞か脳梗塞か・・・。宮城県岩沼市から息子さんが三浦さんの奥様を同乗し、朝方ホテルに着いたという。昨年、仙台に出張に行った帰りに岩沼の三浦さんにお会いした。その時は、奥様同伴で温かいおでんを頂いた。
 1週間前には、大きく真っ赤なイチゴを送って頂いた。
 大好きだった人である。まだ61歳。昨年日本バレー協会公認講師に認定され、一緒に講習会講師で活動できるとお互いに喜んでいた矢先であった。これから・・・だったのに。合掌

1/10(祝) 第3回mizuno東京都民ソフトバレーボール交流大会


 50歳以上の都民男女対象にソフトバレーボール交流大会を開催して、今年が3回目。参加チームも毎年増加し、来年度はコート8面満杯になってしまうであろう。会場は、前日まで春高バレーを開催していた東京都体育館のサブアリーナ。しかし、来年度はメインアリーナを借りなければ、増加する参加チームに対応できないかもしれない。個人でも参加できるとしている。今回は7名の個人参加者があった。7名を2手に分け、ゲストの元全日女子監督であった岩本洋先生ご夫妻と私がそれぞれのチームに入り一緒にプレーしながら指導させていただいた。三試合目からは、私の入ったチームの方から、渡辺先生はもう不要、私達だけでできます、と自立発言も飛び出した。

 閉会式では、恒例となったジャンケンでプレゼントを獲得するミニイベントもあり、大いに盛り上がった。来年は32チームの参加が限度であろう。東京都の50歳以上の都民が元気になって、いよいよメインアリーナ進出も間近い。
(画像は、協賛社の花キューピット代表者とのジャンケンぽん景品(エナメルバッグ(ゲットミニイベント。参加者は、全員参加賞のシャワー・カーネーション、切り花用の延命剤、マヨネーズを頂き、満足笑顔で体育館を出ていった。中には、ブログ読んでいますよ、とお声をかけられた女性の方もいた)

2011年1月12日水曜日

1/9(日) 千葉市の高校で高校女子強化合宿

 本日は、春高バレーの決勝の日。しかし、東洋も大和南も敗退してしまった大会に行ってもつまらない。などと、我儘なことを言っているようだが、実際、関係しているチームがプレーしない戦いは見る気はしない。そんなところに、昨夜、山梨県の高校の監督から合宿に来てください、と連絡が入った。よっしゃと言うことで、昨夜の夕食会から参加している。
 参加チームは各県ベスト4以上のチームだから、練習試合はそれなりにやりがいがある。しかし、やはり県ベスト4レベルのチームの集まりである。1セットのミスが、チーム平均で約8点ある。25点制であるから、自力で点数を取っているのが残り17点だけということになる。得点の32%がミスで相手チームに点数を献上していることになる。新チームであるということを差し引いても、少し寂しい数字である。現時点で、ミス率を20%程度に抑えないと、各県で決勝には進めないであろう。
 春高バレー決勝会場からは、メールで結果が届いた。女子は東龍が優勝した。それまでのゲームを見て、私が感じたのはサーブの良さである。サーブだけは全日本女子よりも良いのではないかと思ったほど、スピードとピンポイントのコースの良さには驚いた。また、スパイクレシーブからの反撃がまるでサーブレシーブからのコンビ攻撃のように多彩である。スパイクレシーブが上手というよりは、ブロックとの関係が良いと言うべきであろう。レシーブする瞬間はブロックの間を抜けてくるスパイクを止まった状態で構えてレシーブしている。良く失敗するケースは、レシーブする瞬間に、まだ構える位置に到達しておらず、動きながらレシーブしている場合である。動いているボールに対してレシーバーも大きく動いているということはボールのスピードが実際のスピードよりもアップして眼に見えるということになり、レシーブのコントロールは乱れてしまう。女子バレーのレシーブ(dig)・フォーメーションによくあるのであるが、ブロックの間を抜けてきたスピードあるスパイクボールに対して2名のレシーバーがクロスしながらレシーブしている場面がある。そして、残念ながら、そのような2人がクロスしてのレシーブでは上位のレベルではほとんどボールがレシーブされていない。男子では1つのコースに1人でレシーブする。
ブロックとスパイクレシーブの関係を突き詰めていけば、1つのスパイクコースには1人と言うことになると思うが、いかがであろうか。
 さてさて、バレー戦術論になって、長い文章になってしまった。今夜は、この位で・・・。

2011年1月11日火曜日

1/8(金) New春高バレー 第4日目 東洋敗退


 春高バレーもあと2日間を残すのみとなった。東洋高校は、昨年の決勝の相手である熊本県代表の鎮西高校との対戦となった。結果は3-1で鎮西が昨年のリベンジを果たし勝利。東洋は、エースの柳田が徹底マークされ、バックアタックも柳田がサーブレシーブで狙われて、スパイクの助走を乱されて3枚ブロックで仕留められた。柳田のスパイクがブロックを抜けても、鎮西のリベロは拾いまくった。この日は鎮西が生き生きとコート上を動き廻っていた。

 試合後、チームは体育館玄関近くに集まった。北畠監督が3年生一人一人と握手し、本日までの労をねぎらった。そして、新チームは3日後から来月開催の新人戦のために始動する。

 その後、東亜学園と大村工業とのゲームは観戦せず、千葉市にある高校での高校女子合宿に合流するために稲毛駅に向かった。着いた先は、小料理屋で、乾杯もせずに私を待っていたのは、埼玉県、岩手県、神奈川県、山梨県、千葉県でベスト4常連のチームの監督さん達であった。しばし、春高バレーの報告をさせていただき、歓談となった。

 明日は、東洋もいないし、こちらの高校での合宿に参加させていただくことにした。

(画像は、敗退直後の東洋メンバーを取り囲むカメラマン達)

2011年1月7日金曜日

1/7(金) New春高バレー 第3日目と東洋高校


 昨年度、最後の春高バレーを初優勝で制した東京第一代表の東洋高校は歴代の優勝校名が連なった優勝カップも優勝旗も返還せずに全て頂き、学校の玄関に鎮座させている。そして、今年度、新・春高バレーが開幕した。東洋は、果たして最初の新・春高バレーの頂点に立てるのであろうか。

 今日の試合は2つ。ベスト8決めで、和歌山県代表の開知(かいち)高校と対戦した。近年、和歌山県から有望選手が以前ほど隣県や大阪府に流出しなくなった。そのせいもあってレベルが確実に上がっている。今回のチームは2枚セッターで変幻自在の攻撃としぶといレシーブで相手のミスを誘う。しかし、今年の東洋には全員バレーがある。エースの柳田が調子悪くとも他のアタッカーが助けてくれる。 

 彼らが1年生のとき、皆、線が細くて、パワーは無かった。誉められるのは、おとなしいくらい真面目なところだけであった。そんな彼らが1年生の終わりごろから変わってきた。東洋の先輩で北京オリンピック体操金メダリストの内村君の影響もある。しかし、それ以上に監督の北畠先生とコーチの赤羽先生の熱心な指導が彼らの心に火をつけたと言ってよい。きょうの昼に会場で東洋高校の理事長である堂山先生に偶然お会いした際もそんな話になった。柳田がここまで成長するとは入学のときは考えられなかった。本当にそうである。彼の弟が、現在駿台学園に在籍している。今年の全日本中学選手権大会でも優勝しているメンバーだ。来年、弟も東洋に入学してくれば、これも面白いな、と一人物思いにふけっていると、またブログが長くなってしまう。先に進めよう。

 ベスト4決めが千葉県市立習志野高校。習志野とは、毎日曜日ごとに練習試合をやっていて、お互い手の内は知り尽くしている。案の定、1セット目はジュース、2セット目も接戦であったが、最後の2点は柳田のバックアタック2発で決まった。全日本ユースでもセッターを務めた2年生の関田も強気な奴だ。柳田がブロックされたら、その同じところからスパイクさせる攻撃型のセッターだ。ツー攻撃をやれと言ったら、恐らく全部ツーで打ってしまうだろう。

 さて、明日の対戦であるが、東洋は熊本県代表でこの大会に過去4回優勝経験のある鎮西と対戦。逆サイドでは、優勝候補の神奈川県立弥栄、福岡大濠を倒してきた長崎県代表の県立大村工業と今年度インターハイ覇者の山口県立宇部商業を倒した東京都第2代表の東亜学園が対戦する。ひよっとすると、東京同士の決戦になる可能性もある。

 明日は午前中が女子2試合、午後に男子2試合、センターコートでの対戦だ。・・・大和南もセンターコートでやらせたかったな・・・。

(画像は2日目に初戦の県立都城工業に勝利の後の整列写真。彼らの息子達がバレー部に戻ってくるときまで私はこの世にいるのかな、などとふとそんな思いが頭をよぎった) 

2011年1月6日木曜日

1/6(木) New春高バレー 第2日目


 本日から、男女ともシード校が登場。シード校は1回戦がないため、勝ちあがってきて会場に慣れているチームにはいつも難儀する。女子第2シードで昨年のインターハイ覇者の古川学園も勝ち上がってきた愛知県代表の人間大岡崎学園(通称:おかがく)に第1セットをスタートから5点リードされて、あわやセットを落としそうになった。最後は岡学のミスが終盤に連続して出て古川学園のブロックが冴えて逆転。25点目の失点は、古川のアウトサーブに手を出し、更にミスレシーブという手痛い失点となった。これで、岡学の2セット目はリズムが崩れ、古川の一方的な展開となってしまった。岡学のセッターが好セッターであっただけに惜しまれる最初のセット内容であった。

 次に観戦したのが、男子の弘前工業と昨年準優勝のシード校の熊本鎮西の試合。この試合は、解説付きが良いなと判断し、来賓席に座っている元東海大学バレー部部長であった斎藤勝先生のお隣に座らせて頂いて解説して頂いた。実は、弘前工業の監督と鎮西のコーチが斎藤先生の教え子なので斎藤先生には両チームの情報が沢山入っている。東海大学受験者の情報、両チームの指導法までいろいろお聞きした。斎藤先生は70歳代に入られたが、まだまだお元気。今後も私個人のアドバイザーと大会でのマンツーマン解説をお願いして、隣のコートに移動した。なお、結果は鎮西の圧勝であった。

 Aコートでは、今大会のマスコット的選手であり世界ユースのメンバーでもあった二見を擁する大和南と愛媛県聖カタリナとのベスト16決めの試合が始まろうとしていた。聖カタリナはこれまで30数回春高バレーに出場している名門である。片足ジャンプフローターサーブが大和南のレシーブ陣を撹乱し、クイック攻撃を封じて1セット目を簡単に取った。2セット目は大和南もエース二見にボールを集めるが単発の決定だけで連続得点がない。いつもだと、二見のバックアタックもあるのだが、この日は1本もない。結局、大和南のサーブレシーブが最後まで安定せず23点どまりで敗退。聖カタリナの選手達は話題のチームを倒した喜びを体中で発揮。

 私は、その後、同じ体育館内にある(財)東京都スポーツ文化事業団を訪問して、1月に開催される「大島ソフトバレーボール交流大会」の打ち合わせを担当係長と行った。体育館の外に出ると、帰り支度の大和南の選手達がいた。チームと一緒に私もR千駄ヶ谷駅から宿舎のあるJR両国駅まで同乗した。

(画像は体育館玄関前にある巨大なバボチャン人形。出場の女子選手には身長180cm超の選手が10名以上いる。かたや、男子では190cm超は10名もいない。体格も細身でパンチ力が足りない。日本の男子バレーが危機的状況にあるが、効果的な策はまだ取られていない。バレー協会の中だけでなく、広く英知を集めて議論する必要があると私は考えている)

2011年1月5日水曜日

1/5(水) New春高バレー 開幕


 開催日を3月から1月に移動しての新・春高バレーが開幕した。会場は東京都体育館。国立代々木体育館よりは狭い。コート間は代々木と同じであるが、コート周りが狭く、全体的に窮屈に感じる。会場の中で顔見知りの副館長に呼び止められ、意見を聞かれた。とりあえず、3年間はやってみないと結論は出ないのでは、と言うと、副館長は「来年も予約をいただいていますが、再来年は体育館の修復があるので、半年間メインアリーナは閉館となります。従って他会場での開催となるでしょう。そのあと、また当体育館で開催して頂ければよろしいのですが・・・」と教えてくれた。

 本日の好カードは男子が神奈川県第一代表の弥栄と長崎県大村工業との試合。女子では東京・大阪対決で文京学院と四天王寺の試合。結果は、関東勢の敗退であった。これら2つの試合はベスト8を決めるレベルでの試合であった。四天王寺は1,2年生主体のチームで既に今年のインターハイ優勝を狙っての布陣であった。敗北した文京学院は丁度4年前の全中バレー優勝の文京学院中学校のメンバー、とりわけエースの176cmの山川が決定率80%以上のスパイクを放ったが、スタメンの1名が直前に怪我で離脱している影響か、サーブレシーブが乱れて得意のコンビ攻撃も少なく惜敗であった。

 会場では全国の高校監督、大学監督、Vリーグのスタッフと挨拶を交わした。中でも昨年の春高2位、インターハイ優勝、国体優勝の古川学園の岡崎監督からこれからのトップチームの監督論を聞くことができたことは収穫であった。実は岡崎監督が日本体育大学バレー部主務のときに、彼を多少であるが面倒を見ていた時期があった。面倒を見ていた、と言っても、アイスクリームをご馳走したり大したことはしていない。まあ、そんな仲であるので、大会会場ではフランクに会話を交わし情報交換している。

 どうも、また脱線してきているらしい。先ほどまで1回戦で奈良女子に勝利した大和南高校の飯塚監督と一緒にJR両国駅の近くでお酒と「ちゃんこ鍋」を頂いていたので、少し酔いが回っているらしい。

 明日からは、シードチームが出てくる。男子の東洋高校は初戦でどのような戦い方をするか。どんな情報を入手できるか、楽しみである。
(画像は開会式に勢ぞろいした男女104チームの後ろ姿。男子バレーで200cm以上は皆無。190cm以上も数名で寂しい限り。小学生に対しての対策が急務である)

2011年1月4日火曜日

1/4(火) 仕事始め

 例年、3月に開催されている春高バレーが装いも新たに明日1月5日から開幕する。私は仕事始めで午前中から会場の東京都体育館に行っていた。正面玄関前の造作やら記念品売り場設営、床フロアでのコート作りと昨年までの会場の代々木体育館と違って、職人達も戸惑っているように見えた。本部の部屋が代々木と比べて非常に狭く、関係各社のスペースや高体連専門部役員のスペースが少ない。役員室に入るのにも一寸気が引ける。

 良いところもある。JR千駄ヶ谷駅の真ん前にあるというロケーションの良さだ。東京駅からも近い。数年前に代々木の体育館が石綿除去の工事で1年間使用できなかった時期があったが、その時よりはロケーションは断然に良い。ついでに言うと、私の自宅の最寄りの駅のJR西船橋駅から乗り換えなしで1本で行けるのは更に良い。各停であるが、46分で千駄ヶ谷駅に着く。

 夕方に、故郷の山形県酒田市に住んでいる従兄の次女から電話があった。従兄の子供は「いとこ姪」というらしいが、小さいころからよく一緒に遊んでいたので年の離れた兄妹のようなものである。もっとも、彼女のほうはまだ40歳にもなっていないから、叔父・姪の関係のようにとっているのであろう。電話口で彼女の声を聞くたびに、彼女の乳児の頃、幼児の頃、小学生のころ、そして家計を助けるために高校を1年で中退して働きに出たことを思い出す。随分と苦労したのであろうが、私の前では泣いたことはない。いつも笑顔でいるのが、けなげだ。彼女の双子の子供たちはそろそろ高校受験ではなかろうか。子供達は高校を卒業させ、できれば大学にまで行かせて欲しい。

 さて、これから夜には、我がママさんバレーの練習始めに行く。ママさんたちも頑張っている。私も頑張らざるを得ない。

2011年1月3日月曜日

1/3(月) 謹賀新年


 昨年中は、私のブログにお付き合いいただきましてありがとうございました。本年もよろしくお付き合いのほどお願いいたします。

 初めは、個人的な防備録のつもりでこのブログを書き始めた(打ち始めた?)のですが、読者の方がいらっしゃることで、差し障りのある事項は具体的な内容を多少控えておりますことをご容赦ください。

 私にとってバレーボールは仕事であり、趣味であり、生きがいになっています。ぼんやりしていても、娯楽でビデオを見ていても、バレーの指導に役に立つことがあるとノートに記録し、その後で「マイ・テキスト」に書き込みます。「マイ・テキスト」は、サーブ編、ディグ編、フォーメーション論など細分化しています。他人が書いたテキストは、借りものです。同感できるところはマイ・テキストに書き込みます。やはり、自分なりのテキストが必要です。最近は1つのプレーの指導に解剖学的な根拠による説明が多くなってきました。自分が納得できない論理で人に納得して頂ける指導はできません。上手にプレイしている人には、それなりの理由があり、上手くいっていない人にはそれなりの原因があります。その理由と原因を解剖学的なアプローチで解説していきたいとマイ・テキストを編集しています。

 講習会では、更に「対話型」を心掛けていきます。私と受講者、受講者同士の対話が新しい発見にもつながります。その意味で、昨年NHKで見たハーバード大学マイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」は非常に参考になりました。講義「正義」はNHKで放映され、大人気を博しました。この正月には再放送もされました。今年はDVDも発売されるとのことです。哲学の番組が再放送されるとは、日本人も成熟してきたと言うべきなんでしょうか。それとも閉塞感の漂う日本の現状に打開策を見出すためのきっかけを求めている人が多いのか。おそらく両方なんでしょうね。

 さて、明後日から装いも新たになった春高バレーが開催されます。私も春高バレーの関係で明日から9日まで毎日、東京都体育館に通います。今年はどんなドラマがあるか楽しみです。
(画像は、サンデル教授の著書。英語版も英語の勉強のためと買ってしまった。どうも本購入のためにはお金は気にしない性格なので、自宅はそのうち本の重みで傾いてしまうのではないかと危惧している。もちろん、財布は反比例していつも軽い)