2011年12月30日金曜日

12/30(金) 新潟県立高校女子バレー部合宿 第3日目





 朝食は、市内のファミレスで頂いた。車を降りて、ファミレスの玄関に向かう途中、昨夜降った雪が4cmほど積もっっている。足で踏むと「ギュッ、ギュッ」と音がする。この音が雪質の良い証拠なんだそうである。 コンビニで、朝刊を買った。合宿で体育館の中にいると、TVを見る機会がない。曜日の感覚がない。学校に戻り、体育教官室で私が日本経済新聞を広げると、監督が不思議そうに「渡邉さん、日本経済新聞なんか読んでいるんですか?」と聞いてきた。

 「サラリーマンは日本経済新聞を読むのが普通だと思うがね。先生方は読まないの?」。

「私どもは、新潟日報です!」と答になっていないような答が自信げに返ってきた。

 練習は午前中で終えて、体育館の清掃を行った。新年の練習初めは2日からだ。7日から9日まで、また校内合宿を行うという。この時は、練習試合を行う。相手チームは、宮城県、山形県、長野県、群馬県の全国出場経験チームばかりだ。春高バレーを5日、6日と顔を出し、7日から9日まで、またこのチームに来よう。やるからには徹底しないといけない。

(画像は、練習手伝いで3日間来てくれた近くの大学の男子学生2名、卒業生で東京の大学に通っている女子学生1名、父母会役員2名と一緒の記念写真)

12/29(木) 新潟県立高校女子バレー部合宿に参加 第2日目

午前中は、ボールコントロール練習と元気を出す練習を行った。このチームの選手は、小学生バレー、中学バレーで全国に出場している選手も大勢いる。しかし、覇気がない。声が小さい。元気がない。一番元気なのは、監督だ。そこで、ひらめいたのが、相撲をやらせること。格闘技は闘争心を生む。バスケットのサークルを土俵に見立て、行った。元気な声を出す練習も行った。
 「元気な声が出る人3人前に出てきなさい」。私が命じると、恐る恐るリベロの子が同級生2人を引っ張って出てきた。
 「動作の前に声を出すこと。声を出さずに動作だけだとコートの中で体が接触して怪我をするよ」。私が声の重要性を説明して、彼女達3人に見本を示してもらった。なかなか良かった。
 「いいねえ。その調子だ。明るく、元気に、美しく。これが女子バレーだ」。美しくというスローガンが高校生に響いたのか、その後は見違えるほど声が出てきた。しかし、1時間ほどすると、また元の黙阿弥でおとなしくなってしまう。
 よし、次はこの手だ。
 「サーブやレセプションをする直前に両足を左右の順で5回足踏みすることを命じた。これは、リズムを作るためである。体が動けば、心が動く。心の動きを声に出すことでリズムができる。
 更には、倒立をやらせた。ブリッジもやった。ブリッジ歩行もやった。そして、また技術練習に入って行った。
 監督は、その間、教官室で子供たちのために豚汁を作っていた。
「子供達がお腹をこわさなきゃいいんだがね」。私が冗談を言った。
「任せておいてください。時々作るんです。こう見えても料理は苦にならないんですよ」
 夕方5時に練習を終えて、子供たちに、監督の豚汁どうだった?と聞いてみた。
「美味しかったです」。
それを聞いた監督は、にこっとして「渡邉さん、そうでしょう?ね!ね!・・・しかし・・・」。
「しかし、どうしたの?」 。
「どうも、私だけお腹の調子が悪いんです!」と言って、小走りで男子トイレの方向に向って行ってしまった。
 夜になって、2人で新潟市内の焼鳥屋さんに食事に出かけた。食後、学校に戻り、敷地内にある合宿所に戻った。雪が降り始めた。夏場であれば、50人は宿泊できる畳敷きの大広間が3つある。風呂にお湯を入れて、2人で入った。湯船は8人は入れるほどの大きさだ。2人一緒に湯船に入ってみると、ぬるい。お湯を継ぎ足すが、なかなか温まらない。外は零下だ。なんか、二人の体温で湯を温めているようだ。監督が私の方に近づいてくる。監督と私しかいない、暗いがらんとした合宿所で、2人で肌が触れ合いそうにして湯気の立たない風呂場にいる。なんか江戸時代の水責めにあっているような錯覚がした。
 新潟県で生活することは大変だ。ラーメンがいくら美味しくとも、日本酒の熱燗がいくら美味しくとも、寒いのは嫌だ!部屋にガスストーブがあったのは救いであった。布団も温かかった。監督のいびきの方が、私の寝言よりも一瞬早く始まり、私も直ぐに深い眠りに落ちた。外は、まだ雪が降っていた。

12/28(水) 新潟県立高校女子バレー部合宿に参加



 2月以来、高校生の指導は講習会以外のところではやっていなかった。それ以前は、神奈川県と山梨県のチームの外部指導で月に数日は、アドバイザーをやっていたのだが、チームの監督さんが代わったことを契機にして、私もそれらのチームを離れた。

 新潟市内にある県立新潟中央高校の監督である桂山先生からは年に1度は指導の依頼があり、2泊3日で夏休みに伺っていた。今年は、この寒い時期に依頼があった。監督によると、来年の北信越インターハイには子供たちを出場させたい。何としても、行かせたい、ということであった。

 チームは2年生主体で、県大会ベスト4にはこの数年間、定着している。今夏のインターハイ予選では準優勝もしている。私がお手伝いできるのは、戦術面くらいだが、3月で会社の方も定年退職を迎えるので、時間的余裕も多少できる。来年1年間は桂山先生のお手伝いをさせていただこうかな、まずは現地に行ってから決めてもいいか、と考えながら朝9:14東京駅発の上越新幹線に乗った。

 この時間の新幹線はノンストップで新潟駅までいくことを初めて知った。なんと1時間40分で着いてしまった。監督が迎えに来ていて、まずは指導する条件の一つである美味しいラーメン屋さんに連れて行っていただいた。新潟市内で一番、お客さんの多いという、つけ麺屋さんで大盛りのつけ麺と大きな塊のチャーシュー入りのミニライスをご馳走になった。私は、全部食べることはできなかったが、大食漢の監督はペロリと平らげ、それでもまだ足りないような顔している。

 学校に着いて、子供達と1年半ぶりに再会した。早速、ミニゲームをやってチームの実情を観察した。セッターとスパイカーは全国区のチームと比べても遜色はない。しかし、レセプション(サーブレシーブ)とサーブが甘い。サーブはスピードはあるものの、ただ単に相手コートに入れているだけ。レセプションは、レシーバーが均等に守備範囲を分けているだけ。そこで、まずやったのがサーブのコントロール練習。そして、レシーブフォーメーションは、リベロのレシーブ範囲を広くして、リベロとサイドのエースアタッカーの3人で取るように修正した。更に、本日からAパス(セッターがAクイックを上げれるレシーブ)の各人の返球率(%)をデータにとって、折れ線グラフ化することを指示した。まずは、この3カ月、チーム全体で70%以上を目標とした。インターハイの予選会は6月にある。その時には、80%以上を目標とした。また、体力測定を1月の新人戦以降に実施し、北信越ブロック選抜合宿参加者の平均値を上回ることを6月までの目標とした。
(画像は、新潟市内人気No.1というお店のつけ麺大盛り。食事を終えたのが11:45。レジに行くと、入口付近で既にお客さんが10数名順番待ちをしていた)


2011年12月28日水曜日

12/27(火) NHK「坂の上の雲」終了





 司馬遼太郎の原作『坂の上の雲』は映像化することはできないと言われていた。日露戦争における日本海海戦などは洋上での艦隊同士の戦いである。映像化にすることは映画『タイタニックの最後』の比ではない。しかし、最近のCG(コンピューター・グラフィック)の技術はその壁をいとも軽やかに乗り越えた。2007年に制作を開始して、ロシア、中国、アメリカなどロケを行い、演技力のある俳優を配し、2009年から2011年にかけて放映された。昨日、最終回が放映された。

 「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている」のナレーションで始まる物語は、司馬遼太郎の司馬史観というべき歴史観が溢れている。日露戦争を日本側からだけでなくロシア側からも膨大な資料や現地視察で極めて客観的に見つめながら、生き生きと人間群像を描いている。人間を軸にして歴史を描いている。

 司馬さんの作品には、他にも『竜馬が行く』という作品もある。この作品で坂本竜馬が四国だけでなく全国的にその名が知られるようになった。『坂の上の雲』では、秋山好古、真之兄弟の名が全国版となった。正岡子規と真之の関係も知られるようになった。司馬さんは人物掘り起こしの名人だ。

(画像は、本棚にあった文庫版。TV放映が決まった2007年に購入して、読みはじめたようだ。そして、この本で随分と漢字を覚えたことも思い出した。歳の暮れ、ここのところ本棚から溢れた書籍を処分しているが、司馬さんの作品は捨てられない)

2011年12月26日月曜日

12/26(月) 東京都民ソフトバレー交流大会 募集




第4回mizuno東京都民ソフトバレーボール交流大会は、来年2月11日(祝)に東京都体育館サブアリーナで開催される。きょうは、2回目の打ち合わせで、都体育館事務室に伺った。先月から募集を開始したのであるが、実に募集チーム数が定数の30チームに到達しそうな勢いだと主催者の東京都スポーツ文化事業団から発表があった。そして、まだ申し込みがありそうだということで、急遽数チーム増加することにした。個人参加もOKにしているので、まだまだ申し込みが来そうだ。
 担当の課長さんには、次回はお約束通り、サブコートが満杯になったら、メインコートでやりましょうね、と再三念を押して帰ってきた。メインでやるとなると24コート取れるそうなので120チームが一堂に会してゲームができる。夢は大きい方が良いが、これは実現可能の域になってきた。
 都民ソフトバレー愛好者の夢は、都立で一番大きい東京都体育館のメインコートでゲームをやることだ。何とか2年以内に実現させよう。
 自宅に戻って、新聞の切り抜きの古いもの、古い資料、古新聞など処理した。新聞屋さんから頂く古新聞入れが5個口にもなった。明日は衣類も捨てよう。本当に必要なものだけ手元に置いて思い切って捨てよう。
 明日は、仕事納め。明後日からの2泊3日は、新潟県立新潟中央高等学校女子バレー部の合宿に参加してくる。ここのところ力をつけているチームであるが、今年の県大会新人戦で、初めて準優勝している。戦術面とメンタル面を強化して欲しいと監督からの要請だ。しかし、寒いだろうな、新潟市は・・・。

(画像は、募集用のチラシ。今年は例年よりも広報に力を入れた。チラシも紙質を落とした分、数量を増やして、考えられる色々なところで配布した。努力すれば、努力した分だけ効果は出るものだ)

2011年12月25日日曜日

12/25(日) 柏市ソフトバレー 招待試合に参加












 40歳代は、渋谷区バレーボール協会の理事長を務めていた遠藤さんと一緒に関東地域の招待試合に毎月のように出向いていた。メンバーは渋谷区協会ソフトバレーの部メンバーで40歳と50歳が中心的なメンバーであった。試合に出れば、いつも決勝戦まで行った。あの当時は、ソフトバレーの本当の意義など分かっていなかった。ただ、試合に出て、お酒を飲んで楽しんでいた。



 60歳を来年に控えて、私も経験を積んできたのであろう。40歳代のときのように勝ち負けにはこだわらくなった。まずは、メンバー全員を公平に出す。ゲーム中はメンバーがミスをしても叱責しない。怪我をしないように無理しない。つまり、100%全力でプレーしない。相手チームにリスペクト(尊敬、感謝)の気持を持ってプレーする。そんな気持ちを持って、それから負けないように努力する。



 きょうは、我がソフトバレークラブの大穴クラブの男女40歳~68歳を引き連れて千葉県柏市の招待試合に行ってきた。私の住んでいる船橋市から車で1時間のところにある。コート8面に4チームずつ入り、各チームが等しく5試合できる仕組みの交流大会であった。我がチームは8名で行き、セット毎に交代したので結構余裕があり、楽しく楽にゲームができた。



(画像は、閉会式でのクリスマス・プレゼント授与の模様。我がチームには手袋とホッカイロが当たった。役員もサンタの格好をしたり盛り上げてくれた。お世話になりました)

12/24(土) クリスマスイブ



 バレーの教え子の花屋さんから携帯メールでリースの画像が送られてきた。本人の手作りだという。リース(wreath)とは、木や花などで作られる装飾用の輪で、ドアや壁に飾られる装飾物である。クリスマス・リースやハロウイン・リースがある。

 今夜は家内と長女が実家に泊まりにいっている。次女が、都心に遊びに行くとかで、夜遅く戻ってくるだけで、今夜も静かな夜を迎えている。そんなことを知ってか知らずか、知り合いの花屋さんがリースの画像を送ってくれた。ケーキは食べなかったが、手作りのぬくもりのあるリースを眺めて気持ちが温かくなった。ありがとう。

12/23(金) JVA審判規則委員会 編集委員会

午前11:00から千駄ヶ谷にある日本バレーボール協会(JVA)事務局にて、来年度のルールブック編集会議のために出席した。2人制のビーチバレーから、4人制のソフトバレー、9人制そして6人制と第2稿を6人の委員と主事、新委員長の8名がチェックした。
 今回は、6人制の体裁をより原文に忠実にするために時間がかかった。終了したのは17:00を少し回っていた。「新宿で一杯いこうか」という委員長のお誘いを断り、家路に急いだ。昨夜、少し飲みすぎたせいで、今夜も飲もうという気にはなれなかった。年齢相応に、体を労わろうという思いもあった。

2011年12月24日土曜日

12/22(木) セレブのママさんバレーチームの忘年会とは?

月1回は千代田区のセレブママさん達の千代田クラブさんへお邪魔している。午前中の練習には参加できなかったが、午後からの忘年会には参加できた。会場は、体育館の近くのお寿司が中心の居酒屋さんであった。さすがに、昼過ぎの居酒屋さんとあって、まだお客は入っておらず、我々17名だけで、ほぼ広い店内は貸し切り切り状態であった。
 私のような中高年には、揚げ物よりもお刺身のある方がお酒のおつまみによろしい。ビールで乾杯に続き、お酒を飲み始めた。いつの間にか、席も移動していた。乾杯の時は、30歳代のママさん達に取り囲まれていたが、日本酒に切り替えてからは、周囲の年代が上昇して、とうとう60歳代のテーブルに行きついたらしい。
 二次会ということで、中堅の年代だけで、メンバーの1人が経営している御茶ノ水のイタリアンレストランまで歩いて行った。一次会が神田駅の近くで、二次会が本屋の三省堂本店の近く。歩いて15分ぐらい。イタリアンのレストランだから、ワインが出てきた。それも、そこそこ美味しいワインが出てきた。日本酒とワインの2種混合は、実は悪酔いする最悪のパターンであるということをこの時すっかり忘れていた。気がつくと、3次会でカラオケ屋さんにいた。次に気がつくと、同じ方向に帰るというメンバーの一人と電車の中にいた。更に気がつくと、セブンイレブンでおでんを買っていた。どうも記憶がとぎれとぎれで定かでない。
 自宅には、誰もいなかった。皆、実家に帰って行った後であった。テーブルの上には、熱海に嫁いだ歳の離れた従姉のご主人が78歳で亡くなったとの葉書が置いてあった。焼酎をお湯で割り、おでんを温め直して口に入れた。おでんは甘く美味しかった。なぜか涙が出てきた。

12/21(水) 実家で介護



誰でも来る道、誰でも行く道。歳を取れば、体にもガタがくる。病気にもなりやすい。
 家内の両親は80歳を過ぎ、私達の住んでいる船橋市から車で2時間のところにある旭市の実家に2人だけで暮らしている。しかし、2人だけで暮らしていくことは難しくなってきた。父親が先に体調を崩して、病院に週3日透析に行くことになった。家族が交代で足腰の弱った父親を病院に連れて行くことになった。
 月2回の水曜日が私の当番。旭市中央病院の透析室に初めて入った。結構患者さんが多い。ここで約4時間透析を行う。動脈と静脈に太い針を差し込むとき、義父は痛そうに顔をしかめた。週3日、病院に来るのも楽しいものではないが、何も親孝行らしいことができなかった私にとって、孫たちの結婚式に出席して頂き、できるだけ長生きして頂きたいと願っている。

(画像は、東京都ソフト連盟の秦さんから毎年贈って頂くシンビジウムという名の蘭の花。3年前までシンビジウムという字が良く分からなくて、「神秘ジウム」と私は思っていた。それほど、この花は神秘的だ。この鉢を義父の実家の玄関に置かせていただいて、家族の眼を楽しませている)

12/19(月) 東京都ソフトバレーボール連盟 理事会

久しぶりに理事会に出席した。理事会の後に、忘年会ということになって、13人ぐらいで理事会の会場である国立青少年スポーツセンター内のレストランで歓談した。レストランからは新宿の高層ビルの窓明かりが都会の夜景を作っていた。少し離れた所には東京タワーがオレンジ色にライトアップされてまだスカイツリーには負けられぬ、と言いたそうに立っていた。

12/18(日) 島嶼ソフトバレー 来年の開催地は?




本日の、本来の予定は、今年で9年目になる島嶼を巡ってのソフトバレーボール交流大会(神津島)への参加であった。昨日の日本ソフトバレー連盟の会議が1ヶ月前に入ってきた関係で、神津島での方はキャンセルを余儀なくされた。交流大会を終えて、鯛や平目のおさしみと島の焼酎で歓談している姿が思い起こされて、ちょっと悔しい。
 来年度の開催は、小笠原諸島の父島ということである。世界遺産の登録に決まった小笠原には、私も過去2回訪れている。全て、ソフトバレーがらみである。25時間かけて船で行く。今のように時間に追われて生活している我々には、ゆったりと時間に任せて過ごすことも必要なのかもしれない。満天の星空と四方の海を眺め、内地にはない珍しい植物、花、鳥を愛ずるのは好きな人にはたまらないでしょうね。おっと、海にはクジラもイルカも、ウミガメもいる。村長さん達にも再会できる。
 開催期日が決まり次第、ここのブログの皆さんにもお知らせします。50人ぐらいで行きたいですね。

(画像は、今年になって、初めて咲いた我が家のアロエの花。初めて見るアロエの花なのでどんな花なのかなと思っていたら、結構手の込んだ咲き方をしている。毎日、ほんの少しずつの成長を大事にしていきたい。後方にある観葉植物が、2年前に小笠原に行ったとき、役所の課長のセイボーさんという小笠原島を発見した子孫の方の庭にあったものから小分けして頂いたもの。2年前の6倍も大きく成長した。追記:後方の観葉植物は、サンスベリア・ローレンチというそうだ。舌をかみそうな名前だ。知り合いの花屋さんが教えてくれた)



12/17(土) 日本ソフトバレーボール連盟 会議

日本のソフトバレーボールの人口は推定で30万人~40万人いる(笹川財団調査)。日本バレー協会に登録しているソフトバレー人口は約2万人。登録制度が始まる4年前は、4万人であった。JVAの登録の方法がITなので、中・高齢者にとっては機器の操作が厄介ということも登録人口の減少の要因のひとつであろう。そんな中でも、JVA登録制度が始まっても、依然と変わらない登録人口のある県連盟のやり方を見ると、以前のように紙でチームごと申請して頂き、登録の作業は個人情報保護の関係があるので、各人の許可を得て、県連盟の役員が代理でパソコン処理をしているということである。
 さて、そのようなJVA登録制度のことや、来年度から開催されないスポレク祭に代わる全国大会の創設を含めての全国大会の見直し、日本協会との関係性、今後の日本連盟の在り方を全国9ブロックの長と委員長があつまり合同会議を開いた。
 合同会議の後、品川駅近くで競技委員会を開催するということで、私もオブザーバーで加わり、その後の懇親会までお付き合いした。委員は各県の理事長さん、会長さんの要職に就いている方たちばかりで、熊本、岩手、愛知、山口から出席している。お国言葉も入り混じり、楽しいひと時を過ごした。

2011年12月22日木曜日

12/16(金) 三郷ママさんにて忘年会



 モントリオール金メダリスト主将である神白(かじろ:旧性;飯田)さんが代表を務める「三郷ママさん」に伺った。月一の訪問であるが、今日は忘年会も兼ねている。午前中に基本練習を行った。このチームは、ママさんらしくなく(失礼!)、ウオーム・アップ(準備運動)をしっかりとやる。この時間だけは(失礼!)、皆さん高校生に戻ったようにキビキビと動く。何しろ、体育館をのそのそ歩いている人はいない。30歳代から69歳までが、全員小走りで次の準備に取り掛かる。

 きょうは、ちょいと瞬発力養成のトレーニングを指導した。うつ伏せになったり、仰向けになったり、その場でジャンプしてから素早く2,3メートルダッシュする単純な種目であったが、皆さん肩で息をしていた。皆さん、前方への移動は素早いが、後方への移動がちょいと不得意のようだ。バレーボールで意外になされていないのが、後方へのステップ練習。ブロック後にスパイクするためには、後方に素早く下がって助走距離を取ることが必要である。サーブレシーブからのスパイクは結構決定力があるが、ラリー中のスパイク決定率が低いというチームは、この下がりが遅いと言える。従って、スパイク練習も、ネットに向かって助走してのスパイク練習の次には、ネットから下がってまたスパイクを打つという練習が必要である。更には、ネットに向かって助走してスパイク、次にブロック、更にネットから下がって助走距離を十分確保して助走を生かしたスパイクを打つという複合・連続練習が必要である。この場合の、ネットから素早く離れるバックステップ各種を正しく覚える必要がある。

 コーチングは、巧く行かない原因を把握して、その対策のためのトレーニングを効果的に行うことである。また巧く行った場合、その理由を把握して理論化しておくことである。巧く行った場合に、その場で評価する(褒める)ことも大事なことである。日本の指導者は、どうも褒めることが下手なようである。おだてる必要はないが、例えまぐれでも、褒める必要はある。まぐれも3回に1回の確率で成功すれば、「できかかっている」ということだ。できかかっているということは、更に継続することで「できる」ようになる。

 昼過ぎに忘年会を行った。三郷駅近くの赤ちょうちんでやるのかと思いきや、隣町の料亭でやるとのこと。その料亭からわざわざバスが体育館まで出迎えに来ていた。総勢で30名が料亭の懐石料理を味わった。そして時間が経つにつれて、ママさん達の怪しげな踊りが始まった。文字には表せない踊りとだけ申し上げておきたい。

(画像は、神白さんからその時に頂いた記念品。10年前から静物画に取り組んでいて、作品は玄人の出来栄えである)

2011年12月17日土曜日

12/15(木) FIFA Club World CupをTVで観戦して

この大会の以前の大会名は、TOYOTA Cupであったと記憶している。クラブチームの世界一決定戦をトヨタがスポンサーで日本で毎年開催してきた。日本で世界の一流プレーヤーを目の当たりにできるということで日本人は幸せ者である。トヨタさんに感謝である。
 今夜は欧州チャンピオンのバルセロナとアジアチャンピオンのアルサッドとの決勝進出をかけた一戦である。バルセロナといえば、メッシというスーパープレーヤーである。2年連続のFIFA最優秀選手賞を昨年まで2年連続受賞している。今年3年連続受賞すると、皇帝と言われたベッケンバウワー選手と並ぶ。確かに、この選手のドリブルは凄い。何が凄いかというと、ボールがまるで足に吸い付いているようで自在にボールを操っている。視野も広い。シュート力だけでなく、アシスト(バレーで言うとセッターのトス)も巧い。相手陣地にドリブルで突進しながら、相手の選手を数名かわして、僅かに開いたスペース(空間)にボールを入れる。バレーで言うと、クイックで囮に入って、相手のブロッカーを2枚引き付けて、他の選手に移動時間差でブロックの間を打たせるようなものだ。メッシは、アタッカーとセッターの両方の役目を一人でやっている感じだ。剣術ならば、自分の肉を切らして相手の骨を砕くという戦術か・・・。いやいや、メッシの場合は肉を切らせるようなリスクを犯さずとも相手を一刀のもと切りすてることができる。彼には、リスクと感じていないのであろう。どうやって、次は点数を取ろうか、楽しんでいる節さえある。
 バレーでは、ボールが手に吸い付いて止まってしまったら「ホールディング」という反則になる。1982年の世界選手権男子バレー大会(アルゼンチン)出場の全日本男子チームのセッターは天才と言われた古川靖志(181cm)であった。その時、私も大会視察で会社から派遣された。古川選手のトスさばきは、サッカーのメッシのようにボールが指に吸い付いていた。反則ギリギリのタイミングでボールをつかんでいた。時には、主審に対して「あなたのハンドリング基準はどれくらい?」とゲーム開始時に試しているかのように見えた。「なるほど、ここまでは反則ではないのですね。では、この基準でこれ以降のこのゲームはセットアップしますからね」と、まるで主審にハンドリングの基準を選手の方がしているようであった。古川選手のこのようなセットアップのボールを速攻で打てるセンタープレーヤーは、当時、三橋栄三郎選手だけであった。同じセンタープレーヤーの鳥羽選手は古川のトス(手の中に溜めるようにしてパッと離す)を打てなかったので最終12名に入れなかった。
 実は、古川選手のボールさばきは 、メッシのボールさばきと同じで、身体上でボールは止まっていない。メッシは1秒間に3つのアクションを行っているので、足に吸い付いて見えるだけである。古川選手も1秒間に3つ、いや4つのアクションを行っていた。ジャンプして、ネット上高いところで、ボールに触れるようなアクションをしながら、空中でボールに触れたり、触れずにボールと一緒に落下しながらトスを上げていた。古川選手のトスさばきに、相手ブロッカーは翻弄されるどころか、味方まで翻弄された。
 その古川さんは、3年前から、仙台の尚絅大学女子バレー部、そして今年からは仙台ベルフィーユというV1のチームでコーチを始めた。天才選手が名指導者になれるかどうか。チャレンジは始まっている。

2011年12月15日木曜日

12/14(水) 天皇杯・皇后杯バレーボール大会の会場へ



2007年度からできた新しい全日本大会が、タイトルの天皇杯・皇后杯バレーボール大会。中学チームから予選会に出場できる。実際には中学チームでも女子のトップレベルのチームが稀に県予選会に出場してくるが、ネットの高さも一般と同じ、ボールも一般と同じ5号球のサイズなので県代表になったチームは未だない。
 高校女子は、大学チームやV1チームを破って出てくるのも珍しくもない。今回も下北沢成徳学園は筑波大学を破って関東ブロックから出場している。宮城県の古川学園(旧:古川商業)、山口県の 誠英(旧:三田尻女子)、北海道の札幌大谷も大学チームや実業団を破って出場してきた。
 会場に着くと、丁度、日本体育大学とJA岐阜が対戦していた。日体大のメンバーは、8月のFIVBコーチコースにてモデルになって頂いた関係で良く知っていた。本部席には5月に新たに強化委員長に就任した森田淳悟先生(日体大教授:男女バレー部長)がいらしたので隣に座って解説を聞きながら観戦した。JA岐阜のチームも平均年齢22歳と若いチームだ。来年の国民体育大会の開催を控え強化している。中心選手は関東の大学で活躍したメンバーが多い。日体大は、つい3日前に全日本インカレで準優勝を達成したばかりで疲労が残っているようで体の動きが緩慢だ。セットカウント3-1で勝利したものの、明日のVプレミアのJTとの試合は、きつい試合になりそう。セット終了間際では、2枚替えで、大和南でキャプテンであった丸山沙希が出てくる。2年生になった沙希ちゃんもレシーブが良くなってきた。隣で観戦していた、森田先生も「あの子は、Vで十分活躍できる」と太鼓判を押していた。
 同じコートの第2試合は、女子の東海大と札幌大谷高校との試合。森田先生が昼食に席を立った後に成田明彦先生が入れ替わって本部席に見えた。今度は2年前まで東海大女子バレー部を率いてきたご本人の解説付きでゲームを観戦した。3日前の全日本インカレでは13年振り6度目の優勝を成し遂げたばかりだ。コート上には大和南出身で4年生の河野がライトでプレーしていた。スタメンの古川出身のプレーヤーが怪我の為、交代で入ったようだ。成田先生は「河野は良い。本格的なパワーと高さのある選手(173cm)で、Vで活躍できる」と評価していた。東海大学の現4年生達は、成田先生が本格的に自分でスカウトに動いて、大学に入学して来た子たちだ。1年生からスタメンに抜擢し、経験を積ませてきた結果が、先週の全日本インカレ優勝につながったと思う。試合の方は、大谷高校先輩(ミドルブロッカーの養畑:175cm)のいる東海大学が、お姉さんの貫録を見せて3-0で勝利した。

(画像は、東海大女子vs札幌大谷高校。本部席から携帯電話のカメラで撮ったものだが、この日本部席には役員の姿が少なかった。今日が高校生や大学生の出番なのだから、会長はじめ上位役員が温かい声援を送ってあげて欲しかった。)

12/13(火) ソフトバレーの定期練習

先週は、練習に行けなかった。今夜は出かけた。ゲーム練習時にコート内に出ていないメンバーは、いつものように主審・副審やラインジャッジを行うが、今夜からラインジャッジはフラッグ(旗)を使ってラインジャッジを行うことにした。我がクラブには、千葉県連盟の役員が3名、日本連盟の私も含めて4名いる。千葉県や船橋市の交流大会で下手な審判活動はできない。
 フラッグの持ち方、振り方、アイコンタクト、判定基準を細かく説明した。講習会よりも丁寧に説明したかもしれない。次の交流試合は、1月に招待されているお隣の茨城県結城市交流大会(55歳以上)だ。ここは、ソフトバレーに熱心な望月さんが中心に主催している。

2011年12月10日土曜日

12/10(土) ミュンヘン金メダリストの西本哲雄さんと再会




 5年ぶりであろうか、西本さんと再会した。場所は、埼玉県三郷市総合体育館。きょうは、毎年恒例の三郷市主催の市内中学校チーム対象の育成バレーボール教室。男子3チーム、女子7チームが参加した。今年で6回目になる。第3回目には、私も講師で招聘された。今回は1972年ミュンヘン金メダリストでセンタープレーヤー(現在はミドルブロッカーと呼ぶ)の西本哲雄さん。西本さんは金メダルチーム最年少の21歳であった。

 きょうは、川崎市の方で全日本インカレ準決勝のある日であったが、西本さんが講師で見えるということを2か月前から知っていたので、三郷市の方に足を運んだ。西本さんは広島県の名門崇徳(そうとく)高校出身で、高校生時代にエースアタッカーとして活躍して創部以来初めてインターハイと国体の高校2冠を獲得した。この当時は、まだ春高バレーは開催されていなかった。その後、先輩の猫田選手のいる専売広島(現JT)に入社して、名セッター猫田選手のトスで大型センタープレーヤーに転向して成功した。秘話であるが、西本さんは、当時、関東の体育大学に進学希望であった。現役引退後、JTの監督を5年間、全日本女子ジュニアの監督、V1大分三好男子の監督を務めた。

 全日本女子ジュニアの監督に就任したとき、西本さんは女子の指導者との間で戦術面で苦労した。当時の女子バレーの世界はスパイクレシーブが女子バレーの命綱であった。男子バレーはスパイクレシーブの前に、まずブロックでしょうという考え方であった。女子バレーでも世界と戦っていくには、相手の高い打点から打ちこまれてくるスパイクに対抗するには、レシーブの前にブロックでシャットしたり、ワンタッチを取ったり、相手のスパイク・コースを制限したりするブロック力が必要と西本さんは考えていた。当時、そのような男子的な考え方は女子の世界では、まだまだ少数派であった。果たして、その後の全日本女子は、西本さんの予想が当たってしまい、高身長とパワーで押してくる欧州、北米のチームに勝てなくなった。


 そんなことを思い出しながら、西本さんの指導を眺めていた。


(画像は、西本さんと一緒のスナップ。西本さんに最高のセッターの条件を聞いてみた。「スパイカーの好みのトスを上げてくれるセッターだよね。猫田さんのように。相手のブロッカーを振るテクニシャンは沢山いたけど、猫さんは、ジャンプすれば、そこに打ちやすいトスが上がってきて、打てば決まる、という感じだったね。俺がオリンピックに行けたのは猫さんのおかげだよ・・・」) 

2011年12月9日金曜日

12/8(木) 妙齢の女性が自宅を訪問!?







 夜の7時頃か、自宅で風呂に入り、下着姿で部屋の中をうろついていた。家族は、夜遅くでないと帰ってこない。その時。ピンポン!とチャイムが鳴った。玄関に取り付けられているカメラで人物を確認してみると、妙齢の女性が立っている。(「妙齢(みょうれい)」とは、若くて美しい女性のことを意味する)。はて、1週間に1回ほど見えるヤクルトの販売お姉さんかなと思って、「家内は今いないんですが・・・」といつものように言おうと思っていたら、「かつしかクラブのものです」という声が聞こえてきた。

 かつしかクラブとは、先月から私がアドバイザーを務め始めた船橋市のママさんチームである。今月の2日から4日まで福岡県での第1回全国ママさんバレー冬季大会に千葉県代表で出場して帰ってきたのだ。下着のままの私は大慌てで着替えて玄関のドアを開けた。確かに見覚えのあるチームのセッターだ。しかし、いつもの練習時のすっぴンではなく、勤め先からの帰りであろうか化粧している。不覚にも、ちょっとドキドキしてしまった。

 彼女は、ご丁寧にも私にチームからのお土産を持って来てくれたのだ。次回の練習時でも渡してくれれば良かったのに、ご苦労様なことである。

 彼女が帰って、洗面所の鏡を見たら、風呂あがりそのままの髪の毛が針山のように四方に突っ立っていた。服装は、大慌てでそこらへんのものを引っかけて着たにもかかわらず、小ざっぱりしている。しかし、何たる不覚、髪の毛は昔コメディTVで観たアルファルファ(古い!)か最近で言うとパパイア何とかという振付師のようであった。

(画像は、お土産の博多西洋和菓子。バターの風味が効いてコーヒーに良く合う)

12/7(水) 全日本インカレ・バレー 2日目



本日は、グループ戦とトーナメント戦1回戦が行われた。昼まで会社にいて、午後から千代田線綾瀬駅の近くの東京武道館に行った。東京武道館は、よく日本武道館と間違われる。日本武道館は国立で東京武道館は都立である。規模も東京武道館は日本武道館の1/10位とさほど大きくはない。バレーコートは3面取れる。
 さて、ここに来たのは千葉県の敬愛大学の観戦が目的である。敬愛学園といえば、高校女子バレー界でここ10年ぐらい前から全国大会に出始めてきた学校である。その敬愛学園が、今年から大学でもチームを創設して活動を始めたのである。監督は習志野、市立船橋女子バレー部を率いてきた名将宇木先生。但し、部員は、まだ7名。それでもメンバーの中には福島県の郡山女子や茨城県の土浦日大のエースの子が入っており、千葉県大学界では既にトップクラスということである。来年には全国を経験した新入部員も入学予定で、これから期待の持てるチームである。
 試合の方はトーナメント1回戦で金沢星稜大学というところであった。2-0で勝利かと思いきや、フルセットのジュースで逆転負け。宇木監督の雷が落ちたのは言うまでもない。
 そして、この日も昨夕に続いて反省会と相成った。綾瀬駅の近くに地味な蕎麦屋さんがあり、そこに入った。若い男性のコーチを含めて3人で来季に向けてのお話しとなった。その場で、私も以前から打診されていたのであったが、敬愛大学女子チームの臨時トレーナー兼コーチでお手伝いすることになった。まずは、入学予定の高校生達へのトレーニングプログラムの作成から始めるということで、来季のチーム創りに話は弾んだ。

12/6(火) 全日本インカレ・バレー グループ戦を観戦



 本日から11日の日曜日までの6日間、東京、神奈川の7会場にて大学生の日本一を決める大会が開催された。午後から墨田区立体育館に行った。今年の1月の春高バレー出場を最後に県立大和南高校女子バレー監督を勇退した飯塚監督から、いつもの「来てくれよ~」コールが入った。飯塚先生が新たに指揮を執っている相模女子大学女子バレー部のゲームが墨田区であるとのことであった。
 会場に入るなり、Vチャレンジリーグ所属の佐々木監督にであった。ここで、暫く足を止められ歓談。そこに元全日本女子の主将であった野口京子が入ってきた。野口さんは、現在、長野大学女子バレー部の監督として3年目のチームを指導している。名刺を見ると準教授とある。みんな、頑張っているな~。話題が佐々木さんと野口さんお二人のお話に移った頃を見計らって移動したら、久しぶりに石野さんにであった。現在は文教大学の監督であるが、その前はIHI9人制女子バレーボール部監督として全国優勝も数多く成し遂げている。石野さんと15分ほど話していると、先ほどの佐々木さんが追いついて来て石野さんと話し始めた。ここでやっと、知人達を振り切って相模女子大のゲームを見ることができた。
 相模女子大のメンバーには、高校時代に全国大会で活躍した選手はいない。それでも、飯塚監督が就任し、半年で関東大学リーグを7部から6部に昇格した。試合の方は2敗で決勝トーナメントには進出できなかった。
 会場にいると、大和南の卒業生たちが次々と私のところに来て、挨拶をしていく。高校生の時と違って髪の毛が伸びていると一瞬、誰っだたっかな?と戸惑う学生もいたが、皆元気なようで良かった。早稲田、日本女子体育、桜美林と、この会場だけで3人もいた。
 試合後には、会場近くにある錦糸町駅前の大衆酒場で、飯塚先生と一杯と相成った。
(画像は、手前が相模女子大学。飯塚監督は監督制限ラインギリギリのところに立っている )

12/5(月) 女性のチームには女性のスタッフを

先週から、柔道指導者の不祥事でメディアが喧(かまびす)しい。不祥事の責任は本人にあるのは勿論であるが、30歳代の社会経験が未熟な若者に「客員教授」という称号を与える学校側もいかがかと思う。指導者としての資質も、発言などを聞いていると、まだ学生感覚が抜けていないのではと思うような発言が多い。
 金メダルを何個持っていようが、指導者の資質は別物である。トップアスリーととしての実績は、指導的立場になるうえでは非常に有利である。競技会という現場でトップアスリートとして経験した者でなければ得れない特別な感覚がある。しかし、そのような感覚を現役のアスリートに指導するためにはコミニュケーション能力や心理学、バイオメカニクスなどのコーチ学を身につけることで、より一層伝えることができる。現役時代の自身のプレーや心理状態を、若きアスリートに伝えるには自身を客観的に分析して理論的にまとめることが必要である。
 バレーボール界で、私の身近で名選手で名指導者であった人は、ほんの一握り。浜田勝彦さんという方をご存知であろうか?浜田さんは、そんな一握りの指導者である。2009年の私自身のここのブログに浜田さんについて載せていたのを偶然インターネットで探し当てた。
 ≪品川駅でタクシーを待っていたら、偶然同じ会場に行こうとしている富山県にあるV1チームの黒部アクアの監督の浜田勝彦さんにお会いした。そして、そのままタクシーに同乗させて頂いた。この方は日本鋼管で活躍しメキシコオリンピックの候補でもあった天才選手である。6人制の後は神奈川県の平塚クラブで9人制男子のプレーヤーで活躍し日本一は20回以上であろう。40歳まで現役であったのには驚く。その後、神奈川交通9人制女子では監督として日本一を10回以上成し遂げといる。9人制のスキルを6人制に取り入れて面白いバレーを展開する≫
 浜田さんの理論で面白いのは、1967年のユニバシアード(大学生の世界大会)前後にご本人が中心になって編み出したBクイック理論。当時、Aクイックは外国のチームに止められ始めていた。そこで、木村憲治さんや小泉勲さんの中央大学・日本鋼管コンビでAクイックよりもセッターから離れた位置で打つ速攻であるBクイックを開発した。
 おっと、タイトルの本論に戻ろう。私の結論は、女性のチームには必ず1名以上の女性のコーチングスタッフが必要ということである。私が監督であるならば、コーチかトレーナーは、女性にする。監督と選手の中間管理職として、女性の感覚で選手を見て欲しい。女性の監督というのも悪くないが、女性しか入れないような場所に、頻繁に出入りするのも、選手のフラストレーションが溜まってしまう。要は、指導者が男か女かの議論でなく指導者としての資質を持っているかどうかなのだと思う。

2011年12月8日木曜日

12/4(日) 国分寺市小学生バレー教室にあの金メダリストが



 2013年、東京都にて国民体育大会が開催される。多摩地区と島嶼(とうしょ:伊豆諸島の島々)地区が中心となる。国分寺市ではバレーボール成年の部が開催される。本日は、東京国体の関連事業で、午後から国分寺市スポーツセンターを会場に小学生対象の教室が開催された。

 主任講師には、今週初めにもお会いしたモントリオール・オリンピック金メダリストの白井貴子さんが、開催地である国分寺市から招聘された。私は、補助講師として、主催者である東京都バレーボール協会から派遣された。

 小学生97名、市バレーボール連盟の補助コーチ10名、父母が凡そ40名でバレーコートが2面取れる体育館内はざわざわしている。本部席の机上には、白井さんが持参した金メダルがきらきらと輝いている。子供たちの眼は、女性にしては長身(182cm)の白井さんと金メダルにくぎ付けになっている。

 2時間ほどの教室の中で、子供達には走ること、ボールを投げて受けること、サービスの打ち方・サーブレシーブのやり方と練習のやり方を説明し、反復練習を行った。今年に入って、白井さんと一緒の教室や講習会は4回ほどであろうか、コンビのリズムは良くなった。

 開講式では、市の教育長が挨拶され、閉講式には市長が挨拶されて全体的に格調も高くなった。全員での集合写真を撮った後、金メダルに触っていいよ、と白井さんから許可が出た。小学生から親御さんまで一列に並んで、金メダルに触れて感激に浸っていた。

 白井さんの自宅は、国分寺市からさほど遠くない杉並区。電車ではJR中央線の荻窪駅で下車する。夕方から、その荻窪駅の近くの焼き鳥屋さんで反省会となった。途中からは白井さんのお嬢さんもお仲間に入り、更に中頃からは国分寺市教育委員の担当女性の方も業務を終えて駆けつけてくれた。

 今回の教室の内容が良かったということで、来年度にはバレーボールの指導者講習会を企画したいとのお話も出た。ソフトバレー親子教室も開催したい、とのお話しも出てきた。

 東京都民のベッドタウンとしての国分寺市は、スポーツ環境、特に施設関係のインフラは必ずしも充実しているとはいえない。今回の教室開催を契機に、行政ウーマンと金メダリストがタッグを組んでスポーツ環境作りに着実に取り組んでいく下地ができたようだ。いつの時代でも、熱い心の人達が、歴史を作っていく。熱が冷めないように、私も熱く支援していきたい。

(画像は、集合写真。私の講評の中で、「この中に将来オリンピック選手になれる可能性を持っている子たちがいます」と申しあげた。お世辞ではなく、子供たちの真剣なまなざしを観ていると、心からそう思えてくる。彼らの可能性を伸ばしてあげるのは我々先輩の仕事である)

2011年12月3日土曜日

12/3(土) 江戸川区ママさんバレー「連盟杯」に挨拶

World Cup menの話題はもう十分。今夜のゲームの結果で、上位2チームの五輪出場が決まった。ロシアとポーランドの欧州勢が3位以上を確定した。明日の最終戦で、イタリア、ブラジルの内、もう1チームが決まる。日本と当たるブラジルは、1セットも落とすことはできない。それだけ、日本も厳しいゲームになることは間違いない。
 そんなわけで、ワールドカップよりも、きょうは、ママさんバレーということで、江戸川区の「連盟杯」に出かけた。JR小岩駅からバスに乗って15分ほどで会場の江戸川区総合体育館に着いた。コートは2コートだけなので、5日間かけて約80チームが、1部から10部のレベル分けの中でゲームを行う。1回戦で負けてしまうと、下部に転落してしまうので、どこのチームも必死の形相でプレーしている。
 ママさんバレーの技能レベルは、確かにさほど高くはないが、真剣なプレーには、いつも心を打たれる。会場に着いたとき、昨年チームに訪問して一度だけ指導したことのある3部のチームがゲーム中であった。1本目のサービスのコース打ちを昨年指導したように実行していたのを見て嬉しかった。そして、そのゲームを2-0で勝利したので余計に嬉しかった。
 明日は、国分寺市で午後から小学生バレー教室だ。肩の痛みも少し引いてきた。

12/2(金) World Cup men 10日目

大会も、あと2試合を残すのみとなった。今夜の日本の相手はロシアであった。結果はストレート負け。敗因はいつも同じ。植田監督自身が次のように分析している。サーブのミスが多い。精神的スタミナがない。そこまで分かっていて、3年前の北京オリンピック以降、対策が打てていないのはなぜであろう?
 今回の大会の成績は、出場12チーム中10位以下は確実だ。ワールドカップ過去最低の成績であろう。開催国の権利で、日本の試合時間は唯一18:30からのゲーム開始という最高のコンディションの中でこの成績とは情けない。少なくとも、あと2ゲームは勝ちとり、8位は確保できたと思う。
 サーブのミスであるが、ミスの内容が悪すぎる。ネットの中央にサーブをぶつけてしまうというようなミスを全日本の選手がやっていいのであろうか?勝負するサーブでもライン際でかろうじてアウトになる「ナイス・ミス」であれば、相手のジャッジミスも誘発できる。ここは、サーブで勝負ではないという場合は、コントロール・サーブというスピードを抑えて、フローターに切り替えて、コントロール重視のサーブでレシーバーの間やクイッカーの前に落としたりして、相手アタッカーのアプローチ(助走)のタイミングを崩すことを考えるべきだ。
 男子強化委員会は、今回の大会成績をどのように総括するのであろうか?

2011年12月2日金曜日

12/1(木) 12月 師走のスタート




早いものです。幼少の時代は、時間は長かった。最近は、時間がますます短くなってきた。新聞は2紙、配達してもらっている、朝日新聞は家で読み、日本経済新聞は通勤の車中か会社近くのドトールというコーヒー店で読んでいる。
 日本経済新聞の連載物で「私の履歴書」といコーナーがある。主に70歳以上で功なり名を挙げた政・財界、文化人の方達である。今月の執筆者は歌舞伎俳優の松本幸四郎さんで来年には古希(70歳)を迎えられる。幸四郎さんが、今の私の気持ちにぴったりの言葉を書いてくれた。
 「役者は、勇気、感動、希望を与えるという、なかなかできないことを仕事にしている。常にそれを肝に銘じてきたつもりだが、3.11の大震災という悲劇が起きた中で、役者としての自分が改めて問われていると思った」。
 スポーツアスリートやスポーツ・イベントに携わる我々も同じである。松本さんと表現が違うところが、「与える」というところ。「与える」のではなく「感じていただく」ものだと思っている。プレーするアスリート自身が与えると考えていても、プレーそのものが観衆やファンに感じられなければ、独りよがりのプレーである。「与える」という言葉は、松本さんのような大俳優であるからこそ言える言葉であって、30歳そこそこのトップアスリートが使える言葉ではないと思っている。
 松本さんは舞台劇の『ラ・マンチャの男』で演じるドン・キホーテ役でも知られている。2005年にスペインに行き、劇中で有名な実際の風車を訪ねたときに思わず口をついて出た言葉があったという。
 「今まで見ていたのは、夢のための夢だ。男60を過ぎて、これから見る夢こそが本当の夢」。
 私も、来年は60歳。サラリーマン生活を離れて、これからが夢の実現と思っている。


(画像は、自分を名馬だと思い込んでいるロシナンテという愛馬に立ち、風車に向っていくドン・キホーテ。ギュスターヴ・ドレの挿絵が素晴らしい。セルバンテス作の『ドン・キホーテ』は、近代小説の始まりとも言われている。作品は聖書の次に多くの国で出版されているとのこと)

2011年12月1日木曜日

11/30(水) 金メダリストが蜜柑を持ってやって来た



 金メダリストいっても、そんじょそこらの金メダリストとは違う。モントリオール・オリンピック、世界選手権大会、ワールドカップの三冠を取っている女子バレーボール界の大エースアタッカーと言えば、白井貴子さんしかいない。この人は、ミュンヘン・オリンピックでも、18歳のとき、銀メダルを取っている。2000年度にバレー殿堂に入ったのも頷ける。それも、恩師の山田重雄監督よりも先に殿堂入りを果たしている。その白井さん、ニックネームは大きいからBig(ビッグ)さん、が御茶ノ水にある私の勤務する会社にやってきた。

 「ナベさん、これ食べて。甘いから。私の田舎の岡山の友達が持って来てくれたの」


優しいね・・・。そう、実はビッグさんは優しい。最近は、2カ月に一回は講習会などにご一緒させていただいている。

 近くにある靖国通りに面した会社の直営店にて、スポーツウエアやシューズを買い求めて頂いた。近くのスタバにてコーヒーをご馳走になった。最近の話題を一通り物凄いスピードで話し終え、ビッグさんは風のように去って行った。

 今週の日曜日の午後には、国分寺市での小学生バレー教室に二人で指導することになっている。会場は、国分寺市スポーツセンター。昔昔、小平市に日立バレー部の体育館があって、そこに行くにはJR国分寺駅で降りてタクシーに乗って行くのが一番早かったことを思い出した。

(画像は、岡山の友達から頂いたという蜜柑。果肉の薄皮は柔らかく、本当に甘かった)

2011年11月30日水曜日

11/29(火) ソフトバレー定期練習日

利き腕の右肩がまだ痛い。しかしながら、我がソフトバレークラブの今夜の練習で右腕を使ってしまった。先週までは、サーブもスパイクも利き腕の反対腕を使って、主にセッターとしてプレーしていたのであったが、サーブレシーブがセッターに返ってこないのでは致しかない、利き腕を使ってプレーしてしまった。
 練習を終えて、やはり右首から右肩にかけて重く鈍い痛みが消えない。黄金の右腕ではないが、TVでWorld Cupを観ていると、こちらもやりたくなる。世界のトッププレーヤーがやっているスキルなど、ソフトバレーでも容易にできる。シングルハンドでの平行トスなどボールが軽いのでそんなに難しくはない。ブロックはオーバーネットが反則なので、スパイカーが有利。ネットの高さが2mなので、クイックもクロスを向いてからのターン打ちなど結構できる。運動量は、6人制や9人制に負けないほど多い。1回の練習で、少なくとも4セットはやるので、翌日、心地よい筋肉痛がある。
 夜になって、全日本男子vsUSAのビデオを観た。1セット目こそ40点近いジュースに次ぐジュースの大接戦を繰り広げたものの。サーブミスでセットを失うと、続く2,3セットを簡単に取られて6敗となり、自力での3位以上は消滅した。金曜日からの東京ラウンドで当たる相手は格上ばかりで、3位以内を目指しているチームばかり。6月のアジア予選兼世界最終予選に向けて、ここは伸びしろのある若手で経験を積ませるのが得策と思う。
 植田監督の采配には迷いがあるようだ。男子の強化委員会は彼をどのようにサポートしているのであろうか。植田監督は孤独なのではないか・・・。

2011年11月29日火曜日

11/27(日) JVA公認ソフトバレー・リーダー養成講習会in京都 2日目




 講習会2日目。
 朝食は、出迎えの役員と一緒に4人で宿の近くの喫茶店でサンドイッチを採った。隣の席の50歳代男性とおぼしき2人組が、スポーツ新聞を読んで、語り合っていたのが聞こえてきた。
「男子バレーも最近は弱いんだねえ。昔は強かったけどなあ・・・」
京都はバレーボールが盛んな土地柄である。京都出身の全日本男子現役選手は、福沢君がいる。190cmと小柄ながら、豊かなジャンプ力で世界と戦っている。
 会場の小学校に着いて、役員と打ち合わせをする。リーダー養成講習会のカリキュラムは指導法だけでなく、競技運営法、審判法と多岐にわたっており、時間が足りないくらいである。現状としては、このリーダー養成講習会はリーダーの基本編として学習して頂き、応用編は各都道府県において、3年に1回程度の割合で、研修会を開催して頂くのが宜しいと思う。
 受講者の中に、私のブログを読んでいるという女性がいらっしゃって、挨拶に見えた。数日前に、このブログで今週末に京都に行きますという予定を読んで楽しみにしていました、とのことでした。最近、各種講習会に行くと、ブログ読んでいますという人が増えてきた。もともと、このブログは私の防備録のようなものとして始めたのであるが、多くの人の眼につくようであれば、ちょっと格好つけて余所行きの文章になるかもしれない。そこのところはご容赦願いたい。
 京都府連盟も他県と同じような問題や京都ならではの問題があるようだ。会場の確保、登録チームの減少・・・どこの県連盟も問題がない県連盟はない。問題というものは、成長のために必要な痛み、と私は捉えている。本当の問題は、その問題を課題として捉え、課題達成していく活動を速やかに行わないことこそ問題と考えている。課題(テーマ)とは、多くの問題の中から優先して着手する問題のことを意味する。問題の前に腕組みをして悩んでいるだけでは、問題は解決されない。まず、動いてみること。他県の役員と意見交換してみること。現場目線、愛好者目線で連盟の事業を見直してみること。そんなことから解決の糸口が少しずつ見えてくる。
(画像は、受講者32名と一緒の記念写真。床には京都の頭文字Kの連盟旗が広がっている。来年度、研修会を開催するのであれば、声をかけて頂きたいものだ。その時こそ、一日早く京都に来て、ゆったりと紅葉を観賞したい)

11/26(土) JVA公認ソフトバレー・リーダー養成講習会in京都





 週末の土・日は京都府にてソフトバレーの講習会。今年は、東京都、福岡県についで3会場目。

 土曜日の10時に京都駅に到着すると、大変な人込みで、講習会会場がある太秦方面も満員の電車であった。なんでも聞くところによると、嵐山や嵯峨野の紅葉見物とのこと。京都には度々行っているが、昔々の京都国体とか、ほとんどバレーの仕事だけのために訪れていた。今回も、時代劇の撮影で有名な太秦撮影所も連盟から出迎えの車で側を通過するだけで、一寸残念!。

 この時期、大きなホテルや旅館はどこも観光客で満室で、京都連盟役員の友人のペンションに宿泊することとなった。しかも理事長、総務委員長のと同宿、そして8畳の部屋に同部屋。おまけに宿にある狭い風呂場までなぜか一緒。一人が洗い場で体を洗えば良いのに、京都の役員は裸で触れあいたいのか、3人一緒で湯船に入った。京都には、このような歓迎の仕方があるのか?

 夕食は、近くのお寿司屋さんで、京都の料理と日本酒を理事長、各委員長の4人と頂いた。そこの奥様であろうか、お酒を運んでくれた30歳代の女性が成安(せいあん)高校バレー部OGであった。成安高校は南元監督(後、校長)の指導のもと全国常連のチームであった。

  「成安は良く知っていますよ。関東のイトーヨーカドーのチームによく合宿に見えてましたね。可愛い子が多かったな~」。そんな昔話をした後は、お店から必ずお酒のサービスが付く。今回も大成功であった。

役員との話の中で、ワールドカップで4連敗中の全日本男子の話に移った。まったく、全日本男子のサービスの下手さ加減にはがっかりです。コントロールがお粗末!なぜ、レシーブ専門のリベロに打っているの?チームとしてのサービス戦術がない。全体的に他国の後を追っかけているだけ。日本独自のスキル、戦術の研究・開発(R&D)が成されていない。日本の男の子はバレーをやらなくなるのでは・・・などなど話しあいました。

 フアンは皆、全日本に期待している。今回は3位以内には入れないが、来年6月のアジア予選兼最終予選会では、何としてもチケットを取ってロンドンに行って欲しい。私だって、自費でロンドンに応援と各国チームの戦術の学習で行くんだから、日本チームがいないのは寂しい。

(画像は、本日の講義でのスナップ。総務委員長が私の講義を撮ってくれた。リーダーの役目とは?自問しながら、図に書いて説明しているところです)

11/25(金) 私の社外上司

最近の企業のトップ役員の不祥事を受けて、国は企業に社外取締役制度を義務付ける法制化に向けて動き始めるようだ。社外取締役は、客観的な見識を持って、その企業のバランスをとるために提言してくれる有効なシステムと思う。
 私にも、社外取締役というか、アドバイザーがいる。本日は午後からその方と3カ月ぶりにお会いした。その方のお名前をMr.Aとさせていただく。
 今から25年ほど前になろうか、その人の電話が社内の回線電話で部署を回されて回されて、バレーボール関係らしいから担当の渡邉でいいだろうということで、私に電話が回ってきた。内容は良くわからなかったが、とにかく会うことにした。
 その人の服装は、12月であるにもかかわらず、USAロゴの入った半袖ポロシャツにジャージのズボンと外ブラのランニングシューズという軽装であった。その人の口からは世界のトップアスリートの名前がポンポン出てくる。まるでお友達か何かのようだ。取りあえず、怪しげな人種ではあったが、悪い人ではなさそうなので、次回の再会を約してその日は別れた。数日して、Mr.Aは、日本でも大手の総合電機メーカーの課長を連れて現れた。
 「渡邉さん、あなたの会社の人はまともです。私のような怪しげな人間と電話だけで会おうという人がいないのは、あなたの会社は健全な会社です。そんな私のような人間を簡単に信じるあなたは、お人好しか、変な人ですね」。そんなことを言われてから、同伴の課長を紹介されて、その企業が企業スポーツを強化してイメージアップを計る企画のあることを知らされた。バレーボールはもちろん、4種のスポーツがその後、てこ入れされ、もしくは新たに創部された。全ての部が一度は日本一になった。現在は、バブルの崩壊後、休部もあり、2種目だけが国内トップのリーグで頑張って残っている。
 Mr.Aは、最近まで都内の有名私大にて客員教授で教壇に立たれていた。
日本の大学の内部構造も熟知されたMr.Aはこう言った。
「日本の大学もスポーツ界も同じ構造ですね、保身と利権が渦巻いていて大変な国ですね」
そんな日本の体育系大学の経営危機、ワールドカップでの学芸会的大会運営、私の来年定年以降の進む道など、ほとんど私が聞き役で3時間ほどコーヒー店でコーヒー1杯で過ごした。
 大きな世界、広い世界を知っている人から話を聞くことは、眼を開かせてくれる。Mr.Aとは新年に再会する。その時には、私からどんな報告ができるのか、Mr.Aからどんな話が聞けるのか楽しみだ。

2011年11月26日土曜日

11/24(木) 千代田区のセレブママさんチーム訪問



千代田クラブさんは、平日の木曜日午前中に練習をやっているママさんチームである。月1回訪問する予定ではあったが、私も会社の休みを取って行くのは、現実的になかなか難しい。会議が入ったり、なかなか休みを取れない。きょうは、3カ月ぶりに行くことができた。
 3ヶ月目の招待試合で露呈したサーブレシーブの返球率の悪さを改善するようにアドバイスしたのであるが、それ以来きちんと練習を継続しているようだ。週1回の練習だから、最低でも3カ月は続けて欲しい。このチームは下手なんだけど、言われたことに真面目に取り組む姿勢が気に入っている。メンバーは区内の連盟に登録している11のチームの代表クラスが10数名集まっているチームなのだが、チームワークもよい。
 この日は、メンバーの数も10名と少なかったので、3対3のミニゲームを行った。コートは6人制のフロントゾーンを使って、ネット越しにジャンプ禁止のルールでボールコントロールの練習を行った。ポイントは、ボールだけ見ないで、相手コートをちらっと見て、相手プレーヤーのいないところやプレーヤーの間にボールを返しラリーを行うことである。11点制で行った。2回戦では、その時の思いつきであったが、ワンラリー中に必ずネットプレーを入れるルールを取り入れて行った。後半では、結構、9人制らしく様になってきた。
 ママさん達は、もっとネットプレーをやった方がよい。相手のリズムを崩すことができるので有効である。リバウンドをやった後、ネットプレー、そしてトスとつなげていくと面白い9人制バレーができる。ネットプレーでも、アンダーでトスだけでなく、オーバーハンド・トスもできる。ネットプレーのオーバー・ハンド・トスは、ネット1/3上方に向かって当てて、膝を曲げ、ネットに正対したままショルダーパスのように左右にトスを行うと結構簡単にできる。
 練習後に、ママさん数名と昼食を近くの中華料理屋さんで取り、私は三省堂の本店に向かった。最近、英語力をつける必要性を痛感し、英文を読み始めている。読むのであれば質より量が大事。少し英語のレベルを落として辞書をあまり引かずとも読める子供向けの本を探した。千代田クラブのママさんの中に自称作家という人がいて、ハリーポッターの本を薦めてくれたので素直に従って、まず第1巻を洋書売り場で購入した。
 夜は、World Cupを観た。選手も頑張っているのだが、今夜も勝てなかった。サービスとレセプション(サーブレシーブ)の差が出ている。3位以内の可能性はなくなった。それどころか、このままでは、2勝できるかどうかの瀬戸際になってきた。2勝できる可能性があるのは、中国とエジプトか。

(画像は、本日購入したファンタジー小説ハリー・ポッター第1巻「ハリー・ポッターと賢者の石」。世界で約4億5千部が売れた。映画はシリーズ8本が総額77億ドルの興行収入をあげた。今夏、最後の作品が公開された)

2011年11月25日金曜日

11/23(水) 勤労感謝の日は自宅で本を処分



 勤労感謝の祝日の今日は、自宅の書庫兼、寝室兼、タンス部屋兼用の八畳の部屋を整理した。と言っても、過去3年間、眼を通していない本を処分するために、まず1m積み上げて玄関に出しておいた。毎週、この作業を10数回繰り返して本や書類を整理処分しないと、次の地震のときには、確実に本に埋もれてしまう。しかし、1つ1つの本を眺めていると、その本を購入したときの気持ちを思い出して、パラパラとページをめくって時間が過ぎてしまう。それでも・・・「決断!」と、自分に言い聞かせて、捨てる作業に戻る。

(画像は、処分する本達。本に囲まれているだけで幸せになる私である。家内の実家にも4つの本棚に蔵書を移している。捨てるには忍びないが、年内に身辺整理をして身軽になり、次のステップに行こう)

2011年11月24日木曜日

11/22(火) World Cup men 第3戦を終えて

ワールドカップのキューバとの試合は、ビデオで観ようと決め、夜は我がソフトバレークラブの練習に出かけた。実は、1週間前から利き腕の肩関節が痛い。靱帯の骨に付着している部分が炎症を起こしているようだ。首筋も張っている。今夜の練習は、スパイカーの役目はやめて、セッター役とレシーバーを行った。サービスは左手で打った。4年目も同じような症状が出て、左手でスパイクなどを打って、結果として、両手の器用性が増した。
 今週末には、ママさんチームの指導もあるし、京都府でのソフトバレー・リーダー養成講習会がある。講習会では実技で見本も示さなければならない。肩を温存しておかなければならない。残念なのは26日の春高バレー東京都予選会に行けないことだ。特に男子の東洋高校が第一代表を獲得できるかどうか一抹の不安を抱いている。
 さて、ソフトバレーの練習を21時に終え、自宅に戻ってビデオを観た。結果はキューバに敗退であった。これで、3連敗である。原因は、ゲームの基本であるサービスとレセプション(サーブ・レシーブ)である。積極的なサービスのミスに関しては、私は悪くないと考えている。男子の場合、チャンスサービス入れたら、確実に身長2mクラスのミドル・ブロッカー(従来はセンタープレーヤーと呼称していたが、最近の役割はスパイクを打つ数が少なく、ブロックへの役割が多くなってきたのでこのような呼び方となった)にクイックで決められてしまう。通常、クイックに対するブロックは1枚だから、クロスとターン打ちを使い分ければ、1枚ブロックを抜くことはそんなに難しいことではない。・・・おっと、こんなことを打っていると文章が長くなってしまう。
 それにしても、キューバは若返った。エースが、まだ高校生で、しかもチーム・キャプテン(主将)であったのには驚いた。北中米選手権大会でUSAを破って優勝したのだから恐れ入る。28年前のワールドカップ(日本開催)の時、仕事でキューバの宿舎である品川プリンスホテルに行ったことがある。その当時からキューバの選手達は良く跳んでいた。彼らを「跳人(ちょうじん)」と名付けたのは、解説をやっていた松平康隆氏であった。ホテルに行くと、なんと彼らはパンツ一枚で廊下で飛び跳ねているではないか。高級ホテルに宿泊して嬉しさが爆発したのであろうか、天井に頭をぶつけたり、壁にとび蹴りしてみたり、褐色の肌のバッタがピョンピョン飛び跳ねているようであっけにとられた。おっと、歳をとると昔のことが思い出される。マルチネス選手は、182cm位であったが、サージェントジャンプでも1m跳び、スパイク時には、ネット上お腹あたりまで出て、ボールをブロックの上から打っていた。腕も長く、立っていると手の指は膝頭よりも下の方にあった。彼は「跳人」というよりも「超人」、いや「鳥人」であった。
 今夜はこのあたりで、おやすみなさい。

2011年11月20日日曜日

11/19(土) World Cup men 明日から開幕




 登録選手14名の発表がこの日あった。その中にミドルブロッカーの冨松とウィングスパイカーの越川の名前はなかった。代わりに入ったのは、ミドルブロッカーの横田とウイングスパイカーの八子(やこ)だ。復帰したのは、2mのサウスポーの山本。
 横田はミュンヘン金メダリストで腰にチューブを巻き腰痛に耐えながらスパイクを打っていたあの横田選手の息子さん。冨松は怪我ということだ。
 興味深い数字がある。FIVB(国際バレーボール連盟)最新のランキングでは、日本は18位。ランキング制度が始まって以来、最低の成績である。そして、今会出場12チームの中で最下位のランキングである。ランキング(Ranking)は世界3大大会での成績、FIVB主催の国際大会、そして大陸の大会(アジア選手権)での成績が反映される。全日本男子は、3.11の影響もあり、日本国内でのFIVB主催の国際大会(ワールドリーグ)を開催できなかったこともあり、全てのゲームをアウェイ(相手国や日本以外の国)で戦うことになった。昨年の世界選手権(イタリア開催)では13位、今年のアジア選手権では第5位(優勝はイラン)という成績であった。ランキングだけ見ると、日本が楽に勝てるチームはいない。
 明日の第1戦、日本はアジアチャンピオンのイランを指名した。ここ2年ほどで欧州バレーの戦術を取り入れて急速に強くなったイラン。30年振りにワールドカップに復帰したイランが日本の会場での「日本チャ!チャ!チャ!」の洗礼を受ける。恐らく、ロックのコンサート会場に来たのかと間違うほどの喧騒とした会場でイランの選手達は狼狽することであろう。私もシャンソン派なので、最近の日本で開催される国際大会は自宅のTVで観戦することにしている。
 イランのエースは、ザリニ選手というスーパーエース。この選手を止めるのは、今年のアジア選手権に出場していなかった、日本のスーパーエース(最近は、オポジットというポジション名称に変わった。従来のスーパーエースと言うのは、セッター対角に入り、高いトスを前衛でも後衛からでもドカンと打っていたが、最近はライト平行やバックアタックの速攻もやる選手をオポジットと呼ぶ)清水に期待したい。
 今回の全日本に対する私の成績予想は、4勝7敗。選手は公式大会で上手になる。上手になるためには、勇気を持ってプレーすることだ。失敗することも多々あるが、それにめげずトライすることだ。セッターの阿部や宇佐美に言いたい。スパイカーを育てるのは、君達セッターだ。1度ブロックにつかまったら、また同じところにトスを上げればよい。逃げてはいけない。そのような厳しい環境下でなければ選手は決して育ってはいかない。そんな厳しい環境を、今回も関係者(FIVB、JVA、フジTV、電通など)に作って頂いている。勇気を持ってプレーしない全日本であれば日本の男の子達はバレーボールに見向きもしなくなるだろう。バレーボールは女の子のスポーツよ、とは言わせない。頼むよ全日本男子!
(画像はFIVB最新のRanking表。ちなみに、一番下のチュニジアは、私が30数年前に2年間指導していたチーム。ワールドカップには過去3回出場。全日本には2度勝利している。今回のアフリカ予選ではエジプトに不覚を取った)。

2011年11月19日土曜日

11/18(金) World Cup women 最終日

中国がドイツに3-0で快勝した時点で、日本の3位以内の成績はなくなった。それでも、日本は真鍋監督の「ロンドン本番での準決勝戦のつもりで頑張ろう」という指示は効果あったと思う。オリンピック、世界選手権、World Cupの世界3大大会で、いまだに金メダルのないUSAも、日本に勝って初タイトルを欲しかったに違いない。しかし、結果は、なでしこ達の意地がヤンキー魂を上回り3-0で勝利した。 
 それにしても悔やまれるのは、第1ラウンドの2敗である。特に、初戦のイタリア戦。このゲームは開催国である日本が開催国権利として対戦相手を指名できた。欧州選手権(ワールドカップ予選)では、イタリアは確かに4位という順位であった。日本も、それだけの情報でイタリアを組み易しと指名したわけではなかろう。いずれにしろ、結果はイタリアに負けたわけだから出だしスタートダッシュとはいかず、勢いはつかず、2日後の中国にも不覚を取った。
 次の、ロンドンへのチャンスは、来年5月に日本で開催する世界最終予選&アジア予選。最終予選3チームとアジア枠1チームの計4チームの中に日本が入れば良い。中国は、そこにはいない。アジアでも1位、全体でも1位になって、すっきりしてロンドンに行って欲しいものだ。
 出場権を本大会1年前に勝ちとった今回の上位3カ国である、イタリア、USA、中国は、新たな戦術を練り、新たなメンバーを入れて、ロンドンにやってくるだろう。日本は5月に出場権を得ることと同時に、新たな戦術を開発するか、今の戦術の精度を上げなければならない。更には、今回の上位3カ国を除いた大陸予選の視察を行い情報収集をやっておく必要がある。
 夜になって、秋葉原に行った。駅近くのお店に東洋高校後援会の理事達と学校の理事長、校長、教頭が集まり後援会会議とちょっと早い忘年会が催された。

2011年11月17日木曜日

11/17(木) World Cup women 第10日目

全日本女子、首の皮1枚で明日につながりましたね。USAとイタリアは、1敗を守り、ロンドンオリンピックへの代表権を勝ち得た。残りは1つ。中国と日本が7勝3敗で並んでいる。しかし、今回も導入された勝ち点制では中国が23に対して日本は21。中国の明日の対戦チームは3位の可能性がなくなった6勝4敗のドイツ。
 シミュレーションすると、日本が明日の最終試合でUSAにストレートで勝つとして、勝ち点3を加えて24。中国は3-2でも勝てば、勝ち点2が加算されて計25で中国が第3位となる。中国はフルセットで負けても、勝ち点1が入るので日本と並ぶが、勝敗で、日本が8勝3敗で第3位と逆転する。 中国が1-3でドイツに負けると勝ち点なしで、合計は23どまり。対して、日本がフルセットで勝つと勝ち点2を加えて23。勝敗で上回るので、日本が第3位となる。いずれにしろ、明日の中国vsドイツは日本戦の直前に行われる。中国がドイツに勝利した時点で、日本の3位はなくなる。
 それにしても、今回も導入されている「勝ち点制」というのが、合点がいかない。3-0か3-1で勝利すれば勝ち点が3、3-2のフルセットでの勝利は、勝ち点が2、フルセットで負けていれば勝ち点が1付くという。例えばAチームは、11戦全てフルセット3-2で全勝の場合だと、22点。Bチームは、11戦の内8ゲームが全て3-1で勝利で負けゲームはストレート負けで勝ち点0の場合だと8勝3敗であるが勝ち点24点で、Bチームの方が上位に来る。負けてもセットを取るところに価値を置いているようだが、納得できない。やはり、単純に勝敗、セット率、得失点率の順番で競うのが良いのではないか、と個人的に思う。

2011年11月16日水曜日

11/15(火) ソフトバレー練習日

定期練習日。12月4日には、船橋市近隣ソフトバレー交流大会が開催される。我がクラブの練習の時間配分は、アップを10分、基本練習を10分、課題練習を15分、ゲーム練習45分間、ダウンを5分~8分行う。
 今月の課題は、セッターのセットアップ。乱れたレシーブ(パス)をきちんとスパイカーの打てるトスにすること。1歩移動して、3歩移動して、と基本のステップを細かく指導する。ネットに沿っての前方へのステップ、ネットから離れた斜め前方へのステップ、ネットに沿ってのバックへのステップ、ネットから離れた斜め後方へのステップと順を追って繰り返しの練習を行っていく。前後左右へのステップができたら、次はジャンプトス。更には、ジャンプでのシングルハンドでのクイックトスや平行トス、そして難度の高いジャンプ・シングルハンド・バックトスまで行う。ソフトバレーのボールであれば、大きくて軽いので意外と簡単にできる。

2011年11月14日月曜日

11/13(日) どこにも行かない日曜日

予定では、春高バレー神奈川県予選会に行く予定であった。出かける準備を始めようとして、途中でやめた。13年前から、神奈川県立大和南高校の飯塚監督と一緒にチームを見てきた。最初の年は、私もBチームメンバーでコートに入った。遠征にも長野まで出かけた。合宿でもほとんど一緒であった。今年の春高バレーをベスト32で終えて、飯塚監督はベンチから降りてコーチに監督を譲った。私も自然と学校に行かなくなった。飯塚監督のいない大和南のゲームを見てもつまらない。そんなことで、本日は出かけるのをやめた。
 ゲームは最悪でも第2代表になれることは、確信していた。現在の神奈川県高校女子のレベルは、川崎市立橘と県立大和南の2校のレベルが高く、3位以下を大きく引き離している。3位以下ベスト8までのチームには差がなく、毎回3,4位が違う学校の名前である。
 先月の私のブログに、飯塚先生の3つ前の赴任校である県立藤沢高校女子バレー部の教え子がコメントを投稿してきた。飯塚先生には直ぐに連絡した。「ああ、あの子ね。この前も大和市での講演会に来て挨拶していったよ」。昔の教え子を思い出しながら、ゆっくりと電話口で話してくれた。
 その彼女に、私はブログの中で、本日会えたらいいね、と書いていた。夕方、試合の内容を聞くために代表お祝いの会にいる飯塚先生に連絡した。
 「きょうは、1セット目をいつものように先取したんだよ。2セット目も4点リードしてしたのに、いつものように挽回されてジュースで負け。3セット目もリードしていたんだが、取られた。そうそう、例の藤沢高校の教え子が来たよ。ナベさんが来ていないんでがっかりしていたな」。
 そうだった。悪いことをしちゃったな・・・。
 夜は、Word Cupの日本vsブラジルを観た。3-0で勝利。ブラジルも怪我人がいるということだが、これで日本と同じ3敗。但し、東京ラウンドでは、ブラジルの対戦チームは組みやすいところばかりだ。対して、日本はケニアにはセットを落とすことはないが、ドイツ、USAに不覚をとるようだと5敗で3位以内はまずない。3位以内に入ってくるチームが絞られてきた。イタリア、USA、中国、ドイツ、日本、ブラジルの6チームである。
 ヨーロッパ各地で昨日までやっていた欧州オリンピック・プレ予選の結果が入ってきた。ロシア、クロアチア、ブルガリアが抜け出してきた。これらのチームにWord Cupに出場している3チームと欧州選手権大会上位国のトルコ、ポーランドの計8チームでの大陸予選が5月上旬に行われる。
 ニュースが入ってきた。全日本やNECで活躍した高橋みゆきがトヨタ車体に加入した。彼女も33歳になったのかな。いやはや、170cmの身長でまだまだ頑張るもんですな・・・。

2011年11月13日日曜日

11/12(土) 2012年度ルールブックの編集会議

浅草橋にある会議室にて来年度のバレーボールルールブック編集会議を行った。ビーチ、ソフト、6人制、9人制それぞれの委員が集まった。時間がかかったのは、6人制。来年度は、FIVBの英文のルールブックの表記により近づく。しかし、英文そのまま直訳ではおかしな文章になってしまう。目標は、中学生でもわかりやすいルールブック編集である。
 4時から、水道橋にある東洋高校に行き、役員会を行った。学校の教職員の体制が大きく変わった。任期半ばであるが、理事長、校長、事務長、教頭が全て新しい人事となった。一抹の不安はある。
 春高バレーの東京都予選会は、いよいよ2週間後に開催される。男子は東洋と東亜が頭一つ抜けている。女子は先月の皇后杯関東予選で大学トップの筑波大学を破って本大会にコマを進めた下北沢成徳を筆頭に共栄、八王子実践、文京大高校が残っている。女子は3代表なので、1チームが落ちる。私はその予選会の日、京都でソフトバレー・リーダー養成講習会の講師を務める。ゲームの場にいられないのは残念。

11/11(金) 100年に1回の11.11.11

本日は、2011年11月11日。100年に1回だけ11.11.11と揃い踏みする日だ。全国各地で縁起担ぎのイベントが行われた。地方の鉄道会社では、切符に11.11.11と印刷して記念に販売したところも多かった。11.11.11.11.11.11(2011年11月11日11時11分11秒)に婚姻届を出したカップルもいたようだ。他には、形が似ていることから、お箸(はし)の日とか、電池の日とか、この日を毎年記念日としているようだ。
 エジプトのピラミッドで良くないことが起きるとか、流言(りゅうげん:根拠のない噂)もあった。この日、日本のプロ野球界では何とも稚拙な記者会見があった。ジャイアンツ球団代表の記者会見である。球団代表が、突然、文部科学省のプレスルームにて、球団会長であり、読売グループの会長でもある渡邉恒夫氏を糾弾したのである。いわゆる組織のワンマン上司を、その部下が記者会見という形で弁護士を帯同して訴えたのである。プロ野球団体を管轄しているのは、文部科学省であるから、会見に集まった記者の人たちは、プロ野球のジャイアンツで甚大な事件でもあったのか?覚せい剤か暴力団との関係か?と思ったそうだが、つまらない内部抗争で白(しら)けたそうだ。
 喜んだのは、普段ストレスで上司に鬱憤(うっぷん)が溜まっている街のサラリーマンのオジサン達、部数を伸ばす好機と捉えたスポーツ新聞社、読売グループのライバルメディアだけでしょうね。特に朝日新聞社は、社会面とスポーツ面で大きく取り上げている。TVアサヒでも特集を組むのでしょうね。
 迷惑なのは、始まったばかりの日本シリーズを楽しみにしていた関係者、ファンでしょうね。何故、この時期につまらない内部抗争を表面化させるのか、とんでもない、と思っているでしょう。
 つまらないと言えば、World CupのTV放映もそうだ。選手達が芸能タレント化されている。大会そのものが、バラエティ番組というコンテンツになっている。選手達は歯を食いしばって頑張っている。体の故障を押してでも、ファンの期待に押しつぶれそうになりながらも頑張っている。しかし、コート上の緊迫感がTV画面では芸能バラエティ番組になって我々は見せられている。

2011年11月10日木曜日

11/10(木) 全国家庭婦人バレーボールいそじ大会に挨拶



 11月8日に開会式、9日と10日の本日はゲームが千葉県千葉市のポートアリーナ(4面)をメーンに4会場に全国の予選を勝ち抜いてきた64チームが集まった。今年で23回目を迎える。「いそじ」とは、五十路(50歳)以上の年代を指す。

 私は、9日、10日の両日、メーンの千葉ポートアリーナの体育館に顔を出した。受付で、千葉県家庭婦人連盟会長の藤間さんにお会いし、そのまま来賓室に連れて行かれた。そこで接待されていたのは、千葉県家庭婦人連盟元会長で現在顧問の小島さん。しばし、談笑。

 役員室で全国ママさん連盟の新会長に就任された中西さんや副会長の山下さんに挨拶。千葉県家庭婦人連盟の役員はこの大会から揃えたという薄いブルーのベストを身に着けていた。なかなか可愛い。平日の全国大会開催であるから、ママさん達も仕事を休んで大会運営に汗をかいている。どの顔も、千葉県家庭婦人連盟としては、初めての全国大会の開催なので緊張の色が出ている。それでも、その緊張を良き経験にしようと皆かいがいしく動き回っている。先月から私が練習指導に伺っている船橋市内のチームや市川市のチームの代表者は主要役員なので、この1ヶ月間は事前打ち合わせが多く、練習も休みがちであった。

 本日は、各ブロック(4)の優勝チームを決めるトーナメント戦をやっていた。その中でも、兵庫県の「神戸あじさい」というチームは強すぎる。50歳以上にはとても見えない滑らかな動きと素早さを兼ね備えていた。プログラムを見て、更に驚いた。このチームは、1年おきに既に10年前から出場している。今回の平均年齢は、51歳。前衛の平均身長は168cm。いわゆる、ママさんバレーの名門チームなんでしょうね。

(画像は、神戸あじさいチーム)

11/9(水) ママさんバレーの指導(市川市)

 上から読んでも、下から読んでも、横から読んでも、漢字では「市川市」。私の住んでいる船橋市のお隣の市である。その市川市のママさんチームの指導に行った。今回で3回目。月に1回の割合でお邪魔している。最初に拝見した時は、練習試合であった。サービスに安定性がない。そこで、第2回の指導のときには、サービスの基本から効果的な練習方法を解説した。その後、その練習を徹底して重点的に練習しているとのことであった。
 今夜は、市内のチームとの練習試合。まだまだ、スピードのあるサービスを実行できないものの、やろうとしている姿は伺えた。ママさんのネットは2mで低い。更には、コートは6人制と同じである。つまり、ネットすれすれのサービス(低空飛行サービス)ができると、大変大きな武器になるということだ。
 スパイカーのエースが1本で得点することは難しい。良いトスが上がるということと、ブロックを避けたり、利用したりして、やっと1点取れる。サーバーのエースであるならば2回のサービスのチャンスがあり、他人でなく自分でトスを上げて狙ったところに打て、1点取ることができる。
 この市川のママさんには、サービスを更に徹底して練習して頂く。トスの上げ方を改善すれば、1ヶ月後には、サービスの効果は、現在の200%向上するであろう。
 「徹底反復」が上達のポイントである。ほとんどの人は、できかかっているのに、99%できかかっているのに諦めてしまって止めてしまう。パナソニック社の創始者である松下幸之助さんが言っていた。「成功する秘訣は、成功するまで止めないこと」。当たり前が難しい。しかし、難しくないことなんてこの世にない。辛くないことなんてこの世にはない。成功したければ、苦労するのは当たり前のこと。
 今夜は、何か訓話じみてしまった。時折の大きな努力よりも、日々コツコツやって行こう。私にはそれしかできない。

11/8(火) ソフトバレー定期練習へ

 日曜日に茨城県取手市にての交流大会に出場してまだ疲労が残っていたが、練習に出た。思いのほか体が動いて、日曜日よりも調子が良かった。調子が良いかどうかのバロメーターは、空中にジャンプしてブロックが見えるかどうか。つまり、ボディコントロールと視野を確保できているかどうか。調子がすこぶる良いときには、空中でスパイクを打つ直前に、どのコースに打とうか判断する時間がある。そんな時は、クロスを向きながら、ストレートでも、ブロックアウトでも何でもできる。
 女性メンバーのトスも良くなってきた。以前は、どうせ何度やっても我がチームの女性達は基本を守らずにいい加減にやるから、とここ1年ほどはこちらが諦めて、基本練習をやっていなかった。しかし、来年は全国ねんりん大会(60歳以上混合:宮城県開催)に千葉県代表で出場することが決定している。私も、指導を諦めるわけにはいかない。今月は毎週の練習の15分を女性達のバックトスの練習に割いてきた。今夜からは、セッターとしてネット際で構えているところから動いて、ボールの落下点まで動いて行きセットアップする練習に入った。まずは2歩からスタートした。
 国際バレーボール連盟で講習するように、丁寧に、最初の構え、ステップ、セットアップ、ボールを取る位置、ボールへの触れかた、トスした後のフォローを反復しながら行った。その後の練習ゲームでの、女性達のトスが安定してきたのなんのって。ここぞとばかり、私は褒めまくった。「素晴らしい、美しい」「とても60歳を超えているとは思えない」。・・・後のほうの表現は女性達には受けなかったが、60歳を過ぎても、継続して練習をやっていれば効果が出てくるもんだと、改めて感じ入った次第である。
我がクラブの女性達は、素晴らしい!

2011年11月9日水曜日

11/7(月) World Cup 女子 第3戦を終えて




 この大会で3位以内に入り、ロンドンオリンピックの出場権を獲得することが、出場12チームの目標である。ロンドンオリンピック1年前に出場権を獲得できれば、本番までのチーム作りに余裕が持てる。自国のチームの怪我人の休養、新戦術の開発、大陸予選会の視察、最終予選会の視察そして研究ができる。今回の大会に出場していないランキング3位のロシアと若いキューバもヨーロッパ予選会や最終予選会に出てくる可能性は十分ある。


 全日本女子も、開催国という優位性のある今回、3位以内に入りたい。しかし、初戦のイタリア、そして昨日の中国に破れて、3位以内というより5位以内も危うくなってきた。


 全日本女子の進化はサーブに見られる。2年前からジャンピングフローターを全員が取り入れてスピードアップしている。私はそこに落とし穴があるとみている。確かにスピードアップはしているが、全員フローターでは相手も慣れてしまう。ここは割合として、フローター7割りにジャンプスパイク3割りを提案したい。新鍋だったかがジャンプスパイクサーブを実施してサービス戦術として有効である。6人中、あと1人がジャンプスパイクサーブを行うことで、フローターがより取りにくくなる。また、ジャンプスパイクサーブの空中フォームからフローターに切り替えるスキルチェンジも面白いと思う。緩やかに回転しながら大きくぶれて変化する魔球サーブになる。研究の余地がある。


 実は、最近、59歳の私でもジャンプ・スパイクサーブを打ち始めている。まずはソフトバレーボールから始めている。両手でボールを保持しながら短い助走を行い、ボールを左手で添えながら右手でトップスピン与えた低いトスを上げる。前方に行った両腕を、すぐさま、肘を曲げたコンパクトなテイク・バック


に切り替え、エンドライン際でブロードジャンプしてボールを打ち込む。ボールヒット後は、腕のスイングを体側の方に振り切る。いわゆる、トスを高く上げてドカン!と打つ「ハード・ジャンプ・スパイクサーブ」ではなく、コントロール重視の「ソフト・ジャンプ・スパイクサーブ」である。上記のポイントを押さえて行えば、リズム感のある人であれば(カラオケが歌える程度であれば)誰でもできる。


 最後に、真鍋監督に注文あり。ゲームで日本がリードしている時は、性格の良い人らしく良い顔をしているのであるが、リードされると情けない表情になってしまう。指揮官の表情なんてどうでもいいじゃん、と言われる人も多いと思うが、私個人的には激しさを押さえた平常心の顔が宜しいと思う。私の理想は、将棋の羽生善治(はぶよしはる)名人。最近、発行されたサッカーの元監督の岡田武史さんとの対談本に共感できる個所があった。




 (岡田)「闘争心は不要なんかじゃなくて、制御された闘争心が必要だということですね」。


 (羽生)「そうです。『冷えた情熱』というか『熱い冷静さ』みたいなものです。そうでないと、落ち着いた


      平凡な一手は打てません。凡手の中から価値ある手、深い手を拾い上げてくることはできな


      いですね」。


 (岡田)「羽生さんは、十分それに成功していると思います。平静を保ったまま熱くなれるし、熱くなって


      も平常心、自然体を失わない人のように見えますよ」(『勝負哲学 岡田武史・羽生善治』サン


      マーク出版2011.10.1発行)。


 理想は、土生名人の平常心のお顔であるが、私がマネしても「ナベさん何考えてんだか解りゃしない。不可解なお顔になっていますよ。ピカソの人物画のよう!」と言われるのが落(お)ちかもしれない。


(画像は、『勝負哲学』の表表紙。将棋とサッカーという一見違う分野のように思えるが、アジア大会ではスポーツの分野に入ることもある。また、チェスも欧州ではスポーツの分野に入っている。頭脳が汗をかくということでは、共通点がありますね)

11/6(日) 茨城県取手市藤代ソフトバレーボール交流大会に出場



 3年ぶりであろうか、藤代町に来た。10年前に、当時の藤代町ソフトバレーボールチームの代表であった星野さんから指導に来てくれとお話があった。実は、星野さんとは同じ会社の同僚である。その当時、チームは1チームのみであったが、将来的には連盟を創りたいので創り方を教えてほしい、とのことであった。その後、4年ぐらいでチーム数が増え、念願の連盟ができて、町民対象の教室も開催し、私も講師で呼ばれたり、交流大会に元全日本の丸山由美さん達にチームで参加していただいたりしながら連盟が育って行った。6年前であろうか、取手市に合併して現在は取手市ソフトバレーボール連盟に名称を変えている。

 今回、私が出場したのは、コート内合計年齢160歳の混合の部というものであった。この部への参加チーム数は10チームで、遠くは長野から、新潟、栃木から見えていた。コート内合計年齢160歳と聞くと年齢が高いように聞こえるが、平均年齢40歳である。2人が60歳で、残り2人が20歳でもOKとなる。実は、このような合計年齢というのは、初期の交流大会では、面白味があって良いものだが長く続けていくと不公平感が残ってくるようになる。年齢フリーもそうであるが、初めはフリーの部だけでよいが、ある時期からは40歳以上の部とか50歳以上の部のように同じような年代構成で交流大会を運営していくことが公平感があってよろしいと思う。

 我が「船橋大穴クラブ」チームは60歳代が2人、50歳代が3人、40歳代が2人の計7人で参加した。結果は10チーム中5位という成績であった。2位決定戦にあと少しで進出もできた。この日の雨で体育館の床が湿っていて、私が最初の攻撃の時のジャンプで滑って腰から床にしたたかに殴打してしまった。その後、思いっきりジャンプができなくなってしまった。それでも、4試合できたことには満足している。コート内合計年齢が230歳以上であれば、我がチームが間違いなく不戦勝ちであったのですがね、残念・・・(笑)。

 閉会式後、連盟役員、地元のチーム参加者が集まり懇親会となった。結城市の望月さんも入り、和やかに楽しく過ごさせていただいた。

(画像は、二次会で取手市連盟役員それに結城市ソフト連盟役員と一緒に集合写真)



 

11/5(土) 春高バレー予選(千葉県)

 関東地区の予選会が先週から始まっている。今週は、千葉県で本日ベスト8から準決勝まで行われた。会場は、東金市体育館。
 明日の決勝に残るチームが決まった。男子では、国体でもベスト4に残る活躍を見せた習志野高校と市立船橋。女子は、インターハイベスト4、国体でもベスト8の活躍と安定している市立船橋と準決勝でインターハイベスト16の敬愛学園をフルセットで下し辛勝した県立柏井との対戦となった。
 観戦中に、この時期に行われている皇后杯(中学チーム以上参加できる真の日本一を決める大会)の関東ブロック予選会の情報を聞いた。なんと今夏の青森インターハイに東京都第一代表で出場の下北沢成徳女子バレー部が大学チームをことごとく倒して関東ブロック代表4チームに一角に食い込んだという。決定戦は、日本の大学女子バレー界の名門である筑波大学を若さで圧倒したようだ。勝利した下北沢成徳は立派だが、筑波大学はどうしたのであろうか。 
 近年、といってもここ10年になるのであろうか、関東大学女子バレー界に元気がない。確かに、高校生の有望選手は、男子の場合はほとんど大学に進学するが、女子の場合はVリーグに行く。進学するにしても東京の大学よりも生活費のかからない地元志向が増えていることや体育系への進学だけでなく一般大学への進学など多様化していることがあげられる。
 30数年前は、大学女子の場合、日本体育大学がめっぽう強かった。当時の監督は全日本女子監督も務めた宗内先生。私が体育館に顔を出すと、いつもマネージャーが先生のマッサージをしていた。ボールを打っていたお姿は見たことがなかった。ボールを打っていたのは、男子バレーの中で卒業後女子バレーの指導者を目指している3年生、4年生達であった。そして、彼らは日本全国に散らばって名指導者となり教え子を母校に送り込むというシステムがあった。
 関東大学女子バレー界の改革が叫ばれて久しい。観客の入りも大学男子バレーと比べるとやや寂しい。現在、解説者として活躍している三屋さんが筑波大学の現役学生で全日本にも籍を置いていたときは、女性はもちろん男性の観客も増え盛況であった。
 大学生が全日本に入ると単位取得ができない。卒業もできなくなる。だから大学に進学したいのだけれども、断念してVに行く。大学は、全日本を経験してから入学するのも良いのではないか、と考える高校生も多くなってきた。単位取得に関しては、一言申し上げたい。大学生が全日本での合宿中でも、近くの大学での授業に出席(スクーリング)して、単位が取得できるようなシステム、またはパソコンオンラインでの授業を受けたり、録画したものを合宿先で見るなど、システムの柔軟化とITを駆使することで必要最小限のレベルの学習の確保はできるのではないかと考える次第である。
 バレー界ですぐにでも欲しがるような優秀な人材が、大学の学習と全日本での活動が両立できなくてVリーグを断念して大学界に行くというケースもある。確かに両立させるのは大変困難なことではあるが、せめて私の思いつきのような提案ではあるが、両立できる環境を整えてあげることが今のバレー界でもできることではないかと考えている次第である。
 なにか、話が今回もそれてしまった。

2011年11月7日月曜日

11/4(金) ママさんバレー練習日(船橋市)

 先月から新規に船橋市内のママさんチームを指導している。指導といっても、今までのようにコーチとしてでなく、アドバイザーとしてポイントだけの指導を行っている。
 このチームは、来月に開催される「第1回全国ママさん冬季大会」に千葉県代表で出場する。それで、このところ毎週、県内の強豪ママさんチームと練習試合を精力的に行っている。
 今夜は、合同練習とかで市内のママさんチームが来ていた。合同練習といっても、一緒に入り混じって何かの課題をやるわけでもなく、コートを半分にして3人レシーブをやるだけで、云わば練習会場を貸している感じである。後半は、ゲームとなった。
 アドバイザーに就任したチームには、年配の男性の専属コーチがいる。私は、アドバイスを求められない限り、口出しはしない。練習試合後に総括をお願いしますと全員が私のところにやってきた。しかし、総括でポイントを言っても、プレーのその場で褒めたり注意をしない限り、時間が経ってから、あの時のこんなプレーはどうのかんの、と総括しても効果はない。アドバイザーとは、チームの代表者を通じてチームと部分的にしか関係しない。ちょっとフラストレーションがたまった今夜の練習であった。

2011年11月4日金曜日

11/3(木) World Cup女子 明日開幕

 世界各地域での予選を勝ち抜いた9ヶ国FIVB推薦2ヶ国の11チームに開催国の日本を加えた計12カ国の試合が、広島と長野の2会場で明日からスタートする。4年に1度、最初のオリンピック予選として開催される大会である。総当たり戦で行われ、上位3チームが来年のロンドンオリンピック出場権を獲得する。
 明日の日本と対戦する国を開催国である日本は指名できる権利を持っている。アドバンテージ(優位性)とも言う。そして、指名したのは、前回1位のイタリア。ここ3年の対戦では互角の勝負。真鍋監督は、一時の力が衰えているイタリアを組み易しと考えたか。
 今回は、どこの国もガチンコ勝負でやってくる。実力順に上げると、ブラジル、USA、セルビア、中国、ドイツ、日本、イタリア、韓国・・・となるであろうか?明日のイタリア戦を勝っておかないとその後の戦いが苦しくなってしまう。

2011年11月3日木曜日

11/2(水) S.Jobsの伝記が100万部突破



 先月初めに逝去したアップル社創設者のSteve Jobsの伝記が、光速の速さでミリオンセラーとなった。先月末に発売されたばかりの第1巻55万冊と昨日発売されたばかりの第2巻47万冊で、100万冊を突破した。これに電子書籍が1万部加わるという。出版元の講談社が2日発表した。日本だけでこれだけである。他国では、いかばかりか。恐らく、伝記ものとしては、世界最速のミリオンセラーとして記録されるであろう。



 私の読み方は、対訳で読み進めているので、さほど先に進まない。現在は幼少時代を読んでいるところだ。彼の両親の記述で読み止まった個所がある。母親のClara(クララ)さんの秘密のことだ。両親は第二次世界大戦終結後に結婚した。作者のWalter isaacson(ウォルター・アイザックソン)は次のように書いている。



 ”She had a secret that she rarely mentioned to anyone:she had been married before ,but her husband had been killed in the war.So when she met Paul Jobs on that first date,she was primed to start a new life.”



 訳者の井口耕二氏は、次のように訳している。



 「実は、彼女にはあまり知られていない秘密がある。戦争未亡人だったのだ。だからポール(Steveの父親)とはじめてデートしたとき、新しい生活を始めたいと思っていた」



 原文には『最初の夫が戦争で殺された』と書かれているが、訳者は、日本版で戦争の相手は、殺したのは恐らく日本人であったことから、敢えてこの部分の訳を日本人読者への配慮で割愛したのであろう。戦争中の異常な刺激は、人々に生と死を間近に感じさせ、支えあう人を求めるのであろう。3.11の東日本大震災の直後にも、日本では結婚願望者が増加したと聞いている。10代後半のクララが異性に引かれていったのも、恋する乙女心だけでなく、戦争の影響もあるのであろう。終戦となり、平和が訪れれば、子供のいる落ち着いた暮らしをしたくなる。クララに取っては新しい生活を始めるきっかけがポールとの出会いであった。



 ポールとクララの両親は、実はSteveの実の親ではない。彼は養子であった。このことは、彼の考え方に大きな影響を与えている。



(画像は、伝記「スティーブ・ジョブス」の作者であるWalter Isaaacson。彼は、今まで、アインシュタイン、ベンジャミン・フランクリンそしてキッシンジャーの伝記も記している、この道の第一人者である)

2011年11月1日火曜日

11/1(火) さあ、11月




 暦が代わって、11月。陰暦では霜月という。朝晩の寒さも次第に冷え込んできた。かと思うと、今週は一変して温暖になる予報だ。空気も乾燥している。インフルエンザや風に注意したい。


 定年まで、あとほぼ3カ月。有給休暇がまだまだ沢山あるので、実質、会社に行くのもあと2カ月あるかどうか。本日は、有休消化のためにお休みを頂いた。


 1年振りに御茶ノ水にある行きつけの歯科医院に行き、歯のクリーニングを行ってきた。少しチクチクしますよ、なんていつもの歯医者さんはマスク越しに優しい声で言っていたが、こちらはやはり痛い。歯医者なんて、サディストではないかと思ってしまう。「渡邉さん、虫歯はありません。大丈夫です。歯へのブラッシングは、食後必ずしてください。歯茎にこのように斜めに差し入れるようにして・・・・」いつものように卒業した東京医科歯科大学の研究会で仕入れた知識の講釈を始める。


 この歯医者さん、いつも白衣にマスクをしている。医師は彼一人で、受付の歯科助手というのか女性は1年ごとに変わる。彼女達は、皆可愛い。その歯医者さんが、いつだったか、帰り際にマスクを外していた。素顔はどうも今一で、マスクをしていた方が立派なお顔であった。


 午後には、コンタクトレンズを、これも1年半ぶりの購入に市川市のコルトンプラザまでママチャリで行った。前回から1年以上たっているので、販売店から紹介して頂いた、眼科医院で検眼を行った。最近の機械は、瞳に何やら怪しげな光を当てるだけでオートフォーカス(自動)で度数を計るんだね。看護師さんが、私の眼にコンタクトを挿入してくれるのだが、左の眼だけがなかなか入らない。どうやら、左のまつ毛だけが異様に長く、コンタクトを入れるときに邪魔になっているようだ。睫毛(まつげ)の長い動物は砂漠にいる駱駝(らくだ)だ。砂塵から眼を守るために睫毛が長くなっているに違いない。私の左まつ毛が長いのは、何から眼を守っているのであろうか?そんなことを考えている隙に、看護師さんから「ほら、入りました!」と入れられた。「1本取られたか・・・」などと最近見ているNHKドラマの武芸物「塚原卜伝」の影響で武士言葉が思わず出てしまった。看護師さんは「は?」と困惑していた。


 さて、今夜は、これからソフトバレーの定期練習に行く。先週、新人歓迎会を行っているから、新人さんも今夜は以前よりは和気あいあいに楽しく練習に取り組んでくれることであろう。ここ数カ月、私はメガネをかけてプレーしていた。今夜からはコンタクトで思いっきりプレーできる。今週末日曜日には、茨城県取手市のソフトバレーボール交流大会に招待されている。仲間と再会できることを楽しみにしている。


(画像は、近くのスーパーで買ってきた庄内柿。私の田舎の柿だ。庄内(しょうない)という名前があると、懐かしくて、値段なんか考えずに買ってしまう(しょうがない!:おやじギャグ!)。もともとは渋柿だが、焼酎を霧で吹き付け、甘くさせる。渋いのが甘くなるなんて、忍術だ!。少年時代は、そんな他愛のないことで驚いたり、喜んでいた)

2011年10月30日日曜日

10/30(日) 来年度ルールブックの校正

 来年度板ルールブックの校正刷りが印刷業者から送られてきた。ビーチ、ソフト、6人制、9人制の4種別全てが送られてきた。
 今年のルールブック編集は、既に2回行っており、例年より早く校正作業に入る。この後も数回の再校を行い、誤植・誤字・体裁を正しくする。ルールブックに誤植・誤字があれば、現場が混乱するのは必定。念には念を入れて校正作業を行わねばならない。訂正文を出すというのは、校正作業をしっかりやっていませんでしたと編集者の怠慢をさらけ出すことと同じである。たとえ、印刷業者のミスであっても、編集者(私)のミスになる。
 私の担当のソフトバレーボールの校正刷りは、日本ソフトバレーボール連盟審判規則委員会委員全員にコピーして明日郵送する。私一人だけの校正の眼では、安心できない。複眼的に校正することで万全を期したい。

10/29(土) 新メンバー歓迎会

 大穴ソフトバレークラブに32歳のヤングママが男子中学生を連れて加入してきたことは8月頃に、ここのブログで報告したと思う。今夜は、彼女の歓迎会を北習志野駅の近くの居酒屋さんで開催した。出席者は、総勢で16名はいただろうか、女性が2/3のかかあ天下で構成されているのが我がクラブの特徴である。明日は、日曜日ということで、気持ちもリラックスして、カラオケ二次会に突入した。
 カラオケは、まずは、恒例のデュエットで始まる。73歳の代表のお母さんと私との「なにわ恋しぐれ」から始まる。
 年に4回ほどは、日本の祭事(新年会、お花見、忘年会など)と関連した集まりや今回のような新メンバー歓迎会を行うことで、メンバー間のコミュニケーションを図っていくことが必要だ。コート上だけではお互いによく知ることはできない。家族だけでなく、地域住民の結びつき、そしてスポーツクラブのような愛好者同士の縁も地域社会の絆には必要だ。

10/28(金) ママさんバレー練習試合

 事情があって、この1年間指導していた千葉市のママさんチームのコーチを1週間前に辞任した。辞めたことを、先週金曜日に初めて訪問した船橋のママさんチームの代表者に話をした。代表は、「それでは、自分達のチームに来てくれるのですね。メンバーに聞いてみます」と、私の考えてもいないことをメールで送ってきた。そして、24日(火)には「メンバーも歓迎しています。よろしくお願いします」とメールが送られてきた。
 終わりがあったら、次のスタートが待っていた。これも「何かの縁」と自然体で受け入れることにした。暫くは、ママさんチームのコーチには就任するつもりはなかった。毎週、火曜日にはソフトバレーの練習、金曜日にはママさんの指導、週末は仕事でバレーイベント活動や講習開講師活動で定年前のおじさんにしては結構多忙な日々であった。ちょっと無理をしているところもあった。
 今回の船橋ママさんチームの指導は、私の我儘で、私が行きたいときだけ行くことにして頂いた。指導のやり方も、こちらから提案せずに、チームが要望することに対して指導することとした。アドバイザーのような関係だ。
 そして、今夕は練習試合で、さっそく帯同することとした。相手は千葉市のチームで、昨年度の全国ママさんバレー出場チームだ。先月の「第1回全国冬季ママさん大会」県予選会で3位に入っていた。決勝で、船橋ママさんと対戦する予定だったらしいが、相手チームとの相性が悪かったのか、準決勝で敗退した。
 3セット行い、チームの課題が見つかった。サービスが攻撃的になっていない。数名はスピードのあるサービスを実行できるものの、ほとんどのサーバーは勢いがない。第1サービスも第2サービスもたいしてスピードに変わりがない。恐らく、サービスの基本的な理論を理解していないのであろう。どこのママさんチームもそうであるが、学生時代の経験でプレーをしているママさんプレーヤーが多い。理論や戦術をママさんチームに入ってから指導されたという経験をほとんど持っていない。従って、講習会などで基本をきちんと指導すると、その時は上達する。
 船橋のチームは、12月初旬に福岡県で開催される「第1回全国ママさん冬季大会」に千葉県代表で出場する。それまでの1カ月間の課題は「攻撃的なサービスの実行」となった。毎週1回は県内の強豪チームと練習試合を行っていく。
 
  

2011年10月29日土曜日

10/26(水) たまには書籍を購入




 会社での昼食後の昼休みに、近くの本屋さんに行った。ここは神田の古本屋街。ひときわ大きな書店が、辞書でもおなじみの三省堂本店だ。きょうは、購入する本が決まっていた。今月、亡くなったばかりのアップル創業者であるスティーブ・ジョブズ氏の伝記本である。

 まるで、自分の死期を悟って、著名な伝記作家であるウォルター・アイザックソンに数年前から依頼していたようだ。書店には日本語版と同時に英語版もあり、私は躊躇なく両方購入した。私の英語学習の1つで、対訳的に読み進めるのが以前からの習慣となっている。まず、英語、次に日本語を読む。また、英語を読む。ほとんど辞書は引かない。8割理解できていれば、英語版だけで読み進める。気のきいた英文があれば、手帳に書き写す。

 ジョブズ氏は、自身の死でさえも、亡くなった直後を見据えて、伝記を世界同時出版することでアップル社の宣伝に使っている。死んでも経営者なんだね、この人は・・・恐れ入った。

(画像は、購入した2冊の本。主に、通勤の電車内で読んでいるだが、2冊同時に持っては読みにくいので、自宅のコピー機能のあるプリンターで数ページずつ裏紙にコピーして持ち歩き、読み比べている。本の裏表紙に20歳代のスティーブの写真がある。彼の瞳は問いかけている。「僕はITで世界を変えた。君は?」私は、世界と言うほどのおおきな空間ではないが、バレーボールの大好きな仲間を増やす空間を引き続き創っていく)

10/25(火) ソフトバレー練習日

 今夜は、練習会場の大穴中学校に行くのに、同じメンバーで近くに住んでいる木島さんという63歳になる男性と一緒に向った。一緒に向かった、と言うよりも、木島さんの車に乗せて頂くために迎えに来てくれるようにお願いしたのであった。
 木島さんは、近くに住んでいるといっても、私の自宅から車で10分ぐらいは離れている。我々の「大穴ソフトバレーボールクラブ」に入部して3年目を迎えようとしている。大穴クラブは、創設して21年目になるので、木島さんは新しいメンバーということになる。木島さんは、3年前の市教育委員会主催の「ソフトバレーボール教室」を受講したことがきっかけで入部してきた。講師は私であった。、
 実は、その教室で、私は「花と蝶作戦」を密かに行っていた。60歳以上の男性の少ない我がクラブに木島さんを迎え入れるための作戦であった。その作戦とは、受講者の中に我がクラブの選りすぐりの50歳以上の女性メンバーを受講させ、木島さんを我がクラブに入部させんと計っていたのである。勿論、女性達もそんなことは知らない。結果的には、わざわざ、車で片道40分もかかる大穴クラブに入部されたのであるが、どちらが花で、どちらが蝶であったかは定かではない。
 練習会場の大穴中学校に向かう車中で、世間話をした。木島さんは、県立船橋高校バレー部出身で、時の人である野田総理大臣の先輩に当たる。野田さんは、ちなみに柔道部であった。
 サウスポーで60歳代にしては長身の木島さんは、我がシルバー年代のエースである。来年の宮城県で開催される「ねんりんピック(60歳以上の交流大会)」には、大穴クラブが千葉県代表での出場が決まっている。木島さんの左腕が爆発するシーンを今から楽しみにしている。
 練習の帰りも送って頂いた。どうも癖になりそうで怖い・・・。

2011年10月27日木曜日

10/24(月) 電車に乗ってばかりの一日

 義父が入院している千葉県旭市の病院に、会社休暇を取って、お見舞いに行った。船橋から電車で2時間かかった。義父も82歳になったであろうか、最近色々な病気を併発して足腰がめっきり弱くなってしまった。孫達が結婚してひ孫が成長する姿を見て欲しい。
 午後から神奈川県藤沢市に移動した。こちらは2時間半かかった。先週亡くなった、ソフトバレーの仲間の鈴木さんのお通夜が夕方6時から始まった。享年70歳はまだ早い。日本ソフト連盟理事長の成田先生も見えた。その後、大和南高校女子バレー部の前監督の飯塚先生や小田急バレークリニック事務局長の岩本先生など故人と所縁のある関係者が集まった。
 お通夜の後、岩本先生と久しぶりに近況を語り合った。
 私は、69歳までは健康で生きていたいと考えている。今の30歳前後の若いバレー指導者達に短期でも海外コーチへの道筋を作ってあげたい、と私は考えている。そのために、あと10年間は健康体でいたいと願っている。
 若い指導者達は、海外を肌で知って、日本に帰って、その体験を生かして指導の道を歩んで欲しいと願っている。これからの子供達は、大学などを卒業して、望む望まないにかかわらず、グローバルな世界で働き、海外と戦っていかなければいけない。海外体験を持つバレー指導者に育てられた子供達は早いうちから開かれた世界観を持てるようになるであろう。
 8時ごろになって、藤沢駅構内のコーヒー店で岩本先生と別れた。東海道線から総武線快速に乗り換えれば、1時間半ほどで自宅のある西船橋駅に到着するのであるが、東海道線にタクシーが8m上の道路から転落する事故があり、上下線とも不通になった。運転手は70歳代で重体と携帯のニュースが流れていた。仕方がないので、各停を乗り継いで2時間半かけて西船橋駅に着くこととなった。自宅に着き時計を見たら、11時を回っていた。
 きょうは、電車になんと7時間近く乗っていたようだ。色々な人の生き方、亡くなり方を考えた日であった。

10/23(日) 東洋高校学園祭(白龍祭)



 東洋高校との関わりは、次女が卒業しても続いている。学校後援会の理事と父母の会OB・OGの会で「さいかち会」の副会長で次女が卒業して5年目の今年も関わっている。



 きょうは、学園祭の2日目で、この日だけが後援会、さいかち会そして現役の父母の会(PTA)の外郭団体が生徒の邪魔をしないように、出店する。朝、8時半に学校に集合して、役員が経営している和菓子屋さんからお餅、小豆、大福などを持ち込み、格安で販売する。2年前までは、お餅は実際に学校の生徒通用門の前で杵と臼で餅を搗(つ)ていた。



 4時に学園祭も終わり、現役父母の会の役員や父母OB・OGの役員が近くの居酒屋に集まり、慰労会を開催した。80人ほど、いたろうか・・・途中から前校長も見えられ楽しく話は弾んだ。

(画像は、私が担当した教室内での販売の様子。最後に多少残った赤飯などは、もう一つある外郭団体の同窓会の幹事が全て買い取ってくれた。売上の収益は、生徒会に寄贈している。慰労会には、私か父母の会会長の時に創設した「おやじの会」のメンバーも10名ほど参加した。創立105年目を迎えた東洋高校、これからどのように変わっていこうとしているのか・・・否、どのように変えるのか、外郭団体としてできることは少なからずあると考えている)

2011年10月22日土曜日

10/22(土) 訃報

 神奈川県藤沢にお住まいの鈴木和子さんから電話があり、ご主人が昨晩お亡くなりになったことを聞いた。1ヶ月前から療養中であった。手術は上手くいくものだとばかり思っていたので、信じられなかった。手術の後、意識不明のまま逝ってしまった。
 ご主人のお名前は和夫で、お二人とも平和の「和」が付いている。自宅では「カズ」「かず」とお互いに呼びあっているのかなと、調査のために何度か泊まり込みでご自宅にお邪魔したことがある。意外にも「ちょっと」とか「おい」とか、そんな平凡な呼び方であった。お二人とも再婚であった。バレーボールが縁で結ばれた。ソフトバレーの混合の試合にも夫婦で良く出場されていた。和夫さんが声を荒げて話しているところは見たことがなかった。いつも髪が整えられてあり、背筋も伸びて、紳士であった。
 和夫さんのお嬢さんが県立大和南の女子バレー部員であったことも、私と和夫さんの共通の話題であった。
 訃報を最初に受けたものとして、日本ソフト連盟理事長、各委員会委員長に連絡した。役員のほとんどは、昨日から始まった「ソフトバレー・シルバー交流大会」の会場地である福島市に集まっていた。
 月曜日がお通夜である。最後のお別れをしてきます。享年70歳は、まだ早い。
 合掌。

10/21(金) ママさんバレーボールチーム訪問~朝も夜も

 午前中は、埼玉県三郷市の三郷ママ。4ヶ月ぶりの訪問である。ここの代表で監督は、ご存知モントリオール金メダリストで主将であった飯田(現姓:神白かじろ)高子さん。50歳以上のチームと30・40歳代中心の2チームを一緒に指導している。
 来週は地域の大会というので、ゲーム中心の練習であった。この日、私が指導したのは「下がる」ということ。具体的には、スパイカーがブロックの後や連続スパイクのためにネットから下がること。また、レシーバーがブロックフォロー(以前はスパイクカバーとも言っていた)のために前方に詰めて、ボールが相手コートに入った場合にスパイクレシーブを行うために後方のスタート(ベース)ポジションに下がること。前方や横の方向に移動するのは、日頃人間の行動で良くあること(日常的)である。しかし、後方に移動するということはまれ(非日常的)である。バレーボールでは、後方に移動する(下がる)という動きが大事である。大事であるが、実際の練習ではおろそかにされている。レベルを中級から上級に上げるには大事なポイントである。
 この日、50歳以上のチームのセッターが休んでいるということなので、私はセッターに入った。途中で飯田さんもアタッカーに入って、速攻なども打ってもらった。飯田さん、確か御年・・・63歳であったかと思ったが、まだまだ速いスイングで私のいい加減なトスを打ちまくり、ブロックをビシャ、ビシャ止めまくり
、金メダリスト、センタープレーヤーの現役時代を思い出させた。
 昼食を共にしていったん電車で自宅に帰った。夜の7時からは、以前から約束していたのであるが、私の住む船橋市内で、活動する「かつしかクラブ」さん。練習会場は、自宅から歩いて25分のところにある葛飾中学校体育館。実は、この中学校は私の2人の娘が卒業した中学校である。中学校の女子バレー部はその時も今でも県大会には行けないレベルだが、ママさんチームは全国ママさんに数年前に県代表で出場している。そして、今月行われた第1回全国冬季ママさん大会にまたしても代表で出場することが決まった。スタメンの4人が50歳台というのが凄い。クラブの歴史も今年で35周年という現在も継続している県内のチームでは最古参という。チームをまとめているのは湊さんという50歳台のバックセンターを守る小柄な方。県家庭婦人連盟の役員でもあり、コート上を子リスのように機敏に動きまわる。練習の途中で、地元紙の取材などがあった。主に体格の良いエースのママさんが対応していたが、練習後にこの人が私の側に来て、「渡邉さん、クラブチームのエバというチームの代表だったでしょう?」と20数年前の話を持ち出した。
 「私は、その時、埼玉県でエンジェルスというチームにいました」
「君はどこの高校の出身だったの?」
「細田学園です」
「おお、あの時あたりから県でベスト4常連になったね」
「前監督の富樫先生から現在の伊藤先生に監督が交代したのもその時だったね」
「エバには元全日本の選手がたくさんいましたね。日立の武内さん、内田さん、ダイエーからもリキさん、小野さん、日体大のレギュラーだった夏さん、アケさん・・・え?アケさん結婚されたんですか?・・・」
 このエースの子(ママさんに子を付けるのは可笑しいのだが、記憶は当時に還っている)は良く知っているな。県ベスト4クラスでもバシバシ!スパイクを打って、クラブチームでも相当活躍したのでしょうね。彼女が現役時代に見たベンチの私は「変なおじさん」が座っているとしか記憶がなかったんでしょうね。あの当時から、今も変わらぬ同じ老け顔の私ですから、昔の人からは直ぐに思い出されますね。これが私の長所なのかしらねえ。

10/20(木) 国分寺市教育委員会から講師の要請

 2週間前に、東京都バレーボール協会から講師の助手の打診が入っていた。12月4日(日)に国分寺市で講師の助手なんだがやってくれるかな?東京都バレーボール協会の知り合いの役員から依頼が入った。なんでも2013年の東京都国体の関係でジュニア対策としてやるということである。その時は、私のスケジュールも確認できなかったので、返事は後日ということで伸ばしていた。
 12月4日は、私が住んでいる船橋市にてソフトバレーボール近隣交流大会を毎年開催している。第2回までは、私が総監督を務めているる船橋大穴クラブ単独で、1泊2日で隣県からも招待して30チームほどでスタートして、今年で13回になるであろうか。第3回目からは船橋市バレー協会に移管して再スタートしている。今年は東京都協会からのお話を優先させていただこう。うちのクラブの連中からはボヤかれるであろうな・・・。
 東京都バレーボール協会からの依頼というのは、私の講師経験でも数少ない。あまりに身近にいるから協会役員も気にも留めていなかったからであろうか。理由が分かった。主任講師が先日三宅島にも行った白井貴子さんだからである。彼女と一緒にできるのはナベが良いであろう...と、これは私の推測である。対象は小学生ということである。
 そして、本日、主管の国分寺市教育委員会から電話があった。電話口で、担当の係長の女性の方が「本日か明日に打ち合わせお願いできますか、可能でしたら、本日でしたら午後に御社に伺います」と申し入れがあり、本日にして頂いた。
 午後に、担当の係長とお会いし打ち合わせに入った。挨拶を交わしているうちに、彼女の身元調査のような話になり、出身大学のこと、高校の教員をやっていたこと、青年協力隊に応募したかったこと、スポーツ行政に従事したく公務員試験を受けて現在に至っていることなど、まるで私は試験管みたいに質問ばかりしていて、肝心の講習会の話は10分しか話せなかった。話の中で、来年度は「親子ソフトバレー」の講習会を国分寺市で開催したいと彼女は眼を輝かせながら話して帰って行った。
 東京都の中でも国分寺市は人口10数万人の地味な存在である。かつて女子バレーの名門であった「日立」の体育館に行くときは、この駅で降りてタクシーに乗って行ったものである。彼女のような社会体育に専従する公務員がこれからの国分寺市のスポーツ振興を盛んにしていくであろうと期待している。

10/19(水) 静岡からのお叱り?安否確認?

 夕方、会社からの帰りにバッグに中に入れている携帯が振動した。静岡県バレーボール協会指導普及委員長を務めている増田先生からであった。
 「渡邉ですが・・・こんにちは、何かありましたか?」
「ナベさん、ここのところブログが止まっているので、どうしたかと思って、死んじゃったんじゃないかと思ってね」
「ああ、すみません。先生も私のブログに眼を通しているんですか?先週末から三宅島に行ってたもんで、ブログを打てなかったんです。さっそく、これから家ですので、まとめて打ちます」
「ナベさんのブログは、毎日朝にパソコンを開いて読んでいますよ」
 増田先生は日本ソフトバレー連盟指導普及委員もされている仲間である。8月のFIVB国際バレーボール連盟公認コーチ講習会にも受講生として参加され、優秀な成績でレベル2に合格された。コーチ講習会では同室となり、長老部屋として若い受講生たちや、時にはなんと講師まで入り浸っていた。これは増田先生の人徳のなせる技であろう。増田先生所有の特大焼酎と食べきれないほどのおつまみが長老部屋にあることを受講生たちが知っているからではないと思っている。私も晩酌では、焼酎を先生が静岡県から運んできた静岡特産のお茶で割る「お茶割り」にはまってしまい、自宅に戻っても「お茶割り」晩酌生活であった。しかし、お茶割も1週間と続かなかった。理由は、やはり増田先生が持ってきた本場の静岡茶で割らないと美味しくないということだ。

10/18(火) 体操世界選手権、個人総合3連覇の内村航平君と東洋 



 私が、三宅島に行っている間に、内村君が凄いことをやってくれた。第43回世界体操選手権大会にて、男子個人総合にて男女を通じ、初めて3連覇の快挙を成し遂げた。
 意外と知られていないのが、彼の出身高校。実は、男子バレーで、昨年春の高校バレーで初優勝を飾った東京の東洋高校である。私の次女と同期生でもあり、卒業式では東洋高校父母の会(公立高校のPTAにあたる)会長2年目を務めていた私が祝辞を読ませていただいた。
 体操部は、学校内で練習をやっていない。世田谷区にある朝日生命体操クラブにて練習を行っている。内村君は、九州の親元から離れ、東洋高校に入学して2年生ごろから選手として急速に頭角を現わしてきた。これは、彼の天性の才能とクラブでの指導は勿論であるが、学園生活から得られたものも大きいと思う。
 高校時代は子供から大人に急速に変わっていく時期。この時期に体操だけの英才教育だけ受けているのではなく、同年代の仲間との高校生活のなかで人間関係を作っていくこともその後の人格形成に重要なことである。その意味で、彼が高校で普通の高校生活を送ったことは良かったと考えている。
それも、東洋高校で。
(画像はAFPBBニュースからの彼の勇士)

2011年10月20日木曜日

10/17(月) 三宅島ソフトバレーボール-4



 東京湾に入ると、波も低く、帰りの船はほとんど揺れずに海面を滑るように竹芝桟橋に向っていく。

 午前中は、島内観光ということで教育委員会の佐久間君に案内してもらった。溶岩に埋もれた学校、噴火でできた神秘的な大きな池、やはり噴火で削られた山、噴火で今でも村の中を流れ続ける有毒ガスなど、全てが噴火がらみである。

 午後2時半にイルカの島で有名なお隣の御蔵島を経由してきた客船に乗って、夜の8時半に竹芝桟橋に着いた。

 白井さんとは12月頭に国分寺市教育委員会依頼の小学生バレーの指導でまたご一緒する。船橋の自宅に戻って布団に入った。揺れずに寝れるのは久しぶりである。直ぐに眠りに落ちた。

(見送りに来てくれた三宅村教育委員会の方達。お互いの姿が見えなくなるまで手を振り見送るのが島の見送り方、見送られ方である。お世話になりました~~」

10/16(日) 三宅島ソフトバレーボール-3








 本日は、16チームが集まっての「第3回村民ソフトバレーボール交流大会」開催日。開会式が始まる前に、村長、警察署長、村の総務委員長、教育委員などが、続々白井さん目当てに挨拶に見える。白井さんは、50歳以上の男性だけでなく女性にも知名度は高い。挨拶に見えられた方達は、白井さんが持参した金メダルを胸にかけて頂き、記念写真を撮っていく。

 開会式では、村長の始球式に始まり、予選リーグで3試合、決勝トーナメント(敗者戦あり)2試合で、全てのチームが5試合を行った。我々講師チームも予選を1位で通り、決勝トーナメントでは2セットともジュースで惜敗し3位決定戦に回った。敗者の弁としては、現地で助っ人を頼んだ女性がソフトバレーは全く初めての人であったということ。この方が下手であったという訳ではない。白井さんと一緒にコートにいるだけで緊張してしまったらしい。私の目から見ると、確かに、ミスをして女王様の眼が光ると私でもプレッシャーになってしまう。もう一つの言い訳は、年齢がフリーなので、我々講師チーム3人の58歳、59歳、60歳に助っ人の30歳代が入ってもチーム平均年齢は高い。年齢の高さでは文句なしの第1位である。助っ人で入って頂いたエミコさん、ミヤ子さん、ありがとう。

 3位決定戦は、平均年齢30歳代のチームと行った。準決勝までは、戦術が定まらなかったが、ここにきて私の采配が功を奏し2-0で勝利して講師の面目を保った。白井さんからは「ナベさん、準決勝の試合でも采配の功を奏して欲しかったね、ウン」と言われてしまった。

 戦術としては、相手が3-1のシステム。ブロッカーのフォーメーションが前衛に3人、後衛に1人なので、コートの中に強打を打てなくなる。そこで、サイドブロッカーのブロックアウトを狙う作戦にしたのである。つまり、スパイカー1人対ブロッカー2人の対戦を避け、スパイカー1人対ブロッカー1人の対戦にしたのである。1対1では攻撃側が有利である。スパイクは、全てストレート側に打ち、ブロッカーの片手外側に当てて、ブロックアウトでコート外側に弾きポイントを稼いだ。3位決定戦はあっけなく終わった。

 負けた相手から、今度は質問攻めにあった。どうしたらもっと上手にプレーできるか?「先生達の来ているウインドブレーカーを着たら強くなるかもしれない」と、相手チームの中の20歳代の若妻が、試合後に着ている私のウインドブレーカーをジーッと見つめていた。結局、講師達チームがお揃いで着用していたミズノ製の秋物新製品を私のものだけあげることにした。

 閉会式を終え、宿に帰り、主催者の三宅村体育指導委員会のメンバー11名が懇親会を催してくれた。島の地酒の焼酎「雄山一(おやまいち)」を皆で飲みながら、夜も暮れていった。

(画像は、開会式で挨拶する平野三宅村村長。始球式をミスなく一回のサービスでクリアした腕前はさすがです)

10/15(土) 三宅島ソフトバレーボール-2

 早朝、4時半に眼が覚めた。外はまだ暗い。船は風のせいで波が2mほど高く、港の接岸にやや苦労したものの無事着岸できた。別室で寝ていた白井さんは、すでに起きていた。岸壁に降り立っても、頭の中がまだユラユラと揺れている。
 島の教育委員主事の佐久間君の出迎えの顔が薄暗闇の中に見えた。1年振りの再会である。30歳になったばかりで独身。白井さんを紹介すると、小柄な佐久間君は一瞬ひるんだようで、後ずさりした。白井さんは、実際の身長の182cmより大きく見える。肩幅が広いせいもある。決して「態度も大きい」なんて口に出しては言えない。
 車に荷物を積み込んで、民宿に向かった。民宿に向かう間も白井さんのお話は止まらない。山本リンダの「♪どうにも止まらない!♪」のメロディーが私のユラユラした頭の中で流れ続けた。15分ほどで民宿に着き、しばらく仮眠をとり、朝食を頂いた。
 午後から審判研修会が始まった。明日の交流大会に出場される16チームから2名ずつ参加するとの佐久間君の話であったが、集まってきたのは60名もいた。3回目の講習会ともなると、素人同然であった佐久間君も進歩していて、大型コピーでルールブックからハンドシグナルの図を抜き取って壁に張ったり、用具も事前のチェックが済まされており準備が整っていた。
 島では2,3年で公務員の移動がある。彼も来年は他の課に異動するかもしれない。今回は念入りに会場風景を含めて、全ての備品、講習会・代表者会議・開会式・試合風景・閉会式・懇親会の様子を画像に収めておくように依頼した。文字だけでは引き継ぎ資料として不十分である。デジカメで画像として残しておくことで十分な資料になる。
 講習会を終え、民宿に戻り、講師陣の3名だけで夕食。夕食後には、白井さんのありがたいお話を聞く時間である。「白井さんの講話」と、私は名付けて、片手にビール、方耳をお話に傾け続けた。望月さんは、何か話したいのであるが、白井さんの速射砲講和には隙間がなく、あえなく「うん、うん」と相槌を打つのが精一杯で、そのうち畳に座っていたのが畳の上に横になって、講和を子守唄♪に寝入ってしまった。 

10/14(金) 三宅島ソフトバレーボール-1

 伊豆諸島の三宅島は11年前の2000年に雄山(おやま)が噴火して、溶岩が島の住民地区を横切り、約400戸を飲み込みながら海辺まで流れ込んだ。島民は速やかに避難し、幸い死者はいなかったものの、有毒ガスも流れ、全島民がしばらくの間、離島を余儀なくされた。その後、島民が帰島し始めた。しかし、噴火前の約3,7000名のうち約1,000名ほどは東京の避難地で家を建てたり、仕事に従事したり、生活の基盤を避難地で築いており、帰りたくとも帰れない。また、島には職がほとんどない。また、三宅島は火山島でありながら、鳥が多く生息している島でもある。バード・アイランド(鳥の島)と呼ばれている。わが国には約550種の鳥類がいるが、その半数は三宅島にいる。その理由として、三宅島には鳥の天敵である蛇がいない、と言われている。
 その三宅島の教育委員から、ソフトバレーの講習会と村民交流大会運営指導の依頼が来た。今年で3回、3年目である。1回目のとき、夜の懇親会の時に50名ほどの若者が集まった。村長が挨拶に見えて「こんなに若い人が集まったのは、噴火以来だ」と驚いていた。
 第1回は、私だけの参加で、昨年の第2回は私と岩本先生。今年は私とモントリオールオリンピック金メダリストで世界の大砲の白井貴子さん、そして茨城県結城市でソフトバレーボールリーダーとして活躍している望月さんの3名である。
 この日の夜はあいにく小雨交じりの天候で風も強かった。夜10:20発の乗船に間に合うように、竹芝桟橋に集まった。寝るまでの間のナイトキャップのために缶ビールを購入し、いざ乗船開始。普段は釣り客が多いのに、この日は30歳代の男女が100名くらいか?多かった。そうだ、昨年もそうだった。イオンが主催の植林イベントのボランティアの方達であった。溶岩と有毒ガスではげ山になったところに毎年この時期に植林している。
 1等船室は、我々3人以外は、まったく乗船客がいなかった。植林イベントの方達は、料金の安い船底の方で休んでいる。三宅島までの時間は6時間ほどであるから、若い人達は畳部屋で仮眠をとるだけで十分なのであろう。
 8人部屋の広い1等船室で我々3人は近況を語り合った。いや、正確には、白井さんだけが速射砲のごとくお喋りをしていたという方が、・・・もとい・・・白井さんの貴重なお話を寡黙な男性2人がお聞きしていたということです。
 明日、早朝5時に三宅島に着く。4時45分には起きなければならない。早起きが苦手な私としては、起床できるかどうか不安なところだが、白井さんから目覚まし役を仰せつかったので起きなければならない。白井さんから携帯で「起きろ!ナベ!」と言われた方が確実に飛び起きるのであるが・・・。

2011年10月19日水曜日

10/13(木) 10/10へのコメントに返事

 コメントを頂いたテビさん。神奈川県立藤沢高校女子バレー部OGだったんですね。18年前だったでしょうかね、その当時、監督の飯塚先生(前:大和南監督、現:相模女子大監督)は県立藤沢高校を率いて全国に2年に1回は出れるようになってきていました。私は月に1回の割合で学校を訪問していました。その時に、40数人の部員にJR藤沢駅でプリンを買ってお土産にしていました。
 当時も今でもそうだが、飯塚先生のチームは、一見見る限りでは強そうなチームではなかったですね. しかし、派手さはないが、ミスの少ないチーム作りを身上にして、特にサーブレシーブにかける時間は練習時間全体の半分以上取っていました。若い指導者の練習は攻撃重視だが、ベテラン指導者は堅実なサーブレシーブ(Aパス80%以上)と確実なチャンスボールの処理(セッターが速攻のトスを上げられる)、そしてスパイカーが打ちやすいトス(2段トスを含めて)の練習に時間をかけます。
 テビさん、またコメントくださいね。飯塚先生とは22日(土)中央大にて会います。その日は今年の春に就任したばかりの相模女子大学女子バレー部の入れ替え戦です。勿論、先生のところは、関東7部?リーグで優勝して、上部リーグの最下位との入れ替え戦です。相模女子大の実力は、現在のところ大和南の1年生と練習試合を行っても負けちゃうレベルですが、来年春は飯塚先生を慕って全国レベルの高校生が入学してきます。期待できます。

2011年10月13日木曜日

10/12(水) 1カ月ぶりに市川市ママさんチームに再訪

 先月、お隣の市川市のママさんバレーチームに指導に行った際、お土産に特産品の梨を頂いた。これが甘くて美味しかったので、そのお礼に今夜また指導に伺った。
 先週、市川市内の大会があり、不甲斐ない成績で代表の吉田さんは憤慨していた。敗因はサーブレシーブがダメ、たまにセッターに返っても、トスが乱れる。サーブの威力がない、ダブってしまう・・・。
 この夜の練習は、サーブレシーブとサーブの基本理論と練習のやり方を提示した。サーブレシーブのポイントは、一定の重心位置で前後左右に素早く動いてボールの正面に入ることである。それでもボールが正面から外れても両腕で形成したフラットな面をセッターの方向に向けることである。つまり、正面には両膝の間でボールを引きつけて受け取る「真正面」と両膝から外れて取る「横正面」の2つがあるということを理解する必要がある。一定の重心位置を保って低い姿勢で移動するには腿の筋力も要る。
 サーブは、打つ手の形から説明した。ボールの回転を止める(ノー・スピン)にはと手の接触時に手首の角度を一定にして固定すること。手首を動かすと、ボールに回転が加わる。私が自分で、成功例、失敗例を見せながら説明すると、皆さん納得したようである。
 コーチは歳を取っても、口だけでなく、スピードダウンしても、できるだけお手本を示せた方が良い。
 帰りは、車で自宅まで送っていただいた。車だと10分位で着いてしまう。そして、また梨を頂いた。来月も行くことを約束して、代表のアッシー吉田さんと別れた。

10/11(火) 疲れていてもソフトバレーやりたい

 毎週火曜日は、我がソフトバレークラブで汗を流す。ここのところ1カ月間は皆勤賞もので、私は毎週参加している。11月の第一日曜日には、お隣の茨城県取手市にて招待試合がある。コート上のプレーヤーの合計年齢数が200歳以上であればOKという参加条件だ。我が高齢クラブにとってはハードルが低すぎる条件である。
 この日の練習は、セッターの特訓を行った。我がクラブの女性達はバックトス(back set)ができない。まったくやれないということはないが、基本ができていない。練習をやっては、あきらめ。また思い出したようにやっては、やはりできないと諦める繰り返し。若い時の癖はなかなか治らないものだ。ボールを取る位置が顔の前になってしまうのだ。セッターのボールを取る基本の位置はおでこの上である。右足、右膝、右腰、右肩、右目、右おでこを軸とする。バックトスができれば、攻撃のバリエーションが広がる。相手のブロックが2枚であれば、セッターはネット際でレフトとライトの中間でセット姿勢を取り、両サイドに平行トスを送る。相手のブロッカーは両サイドに移動する。そこで、セッターは左(右)手でツー攻撃を行う。ノーブロックである。とまあ・・・セッターがバクトスをできると色々な攻撃を展開できる。
 来週は、3人一組でバックトスの連続を行う。顔の前でボールをコントロールする癖が取れないようであるならば、ヘデイングでバックトスをやってもらうことで矯正になるであろう。今度は、あきらめない。できるまで、バックトスの練習を毎週1回の練習であるが継続することに決めた。
 経営の神様である松下幸之助も言っている。「上手にできる秘訣は、できるまでやることです」。他の練習は封印しても、しばらくできるところまでやり続けよう。但し、一日15分のみが我がクラブの基本練習の原則。練習の2/3は、ゲーム練習がやはり楽しい。これが生涯スポーツの基本練習のあり方であると私は考えている。

2011年10月12日水曜日

10/10(月祝) 山口国体少年女子観戦ー3

 少年女子の3-4位決定戦と決勝は、防府(ほうふ)市に新たにできたばかりのソルトアリーナ防府で行われた。ソルトとは塩のことである。江戸時代は海水から塩を取って藩の財源としてきた由来がある。
 昨夜は、山崎さんにお世話になり、フグのフルコースをご馳走になった。お酒もフグのヒレ酒を3合ほど頂いた。山崎さんに車で会場まで送って頂いた。山崎さんは、私を降ろした後、男子会場の宇部市に向かった。
 3-4位決定戦は、昨日、山口県(誠英の単独チーム)に敗退した大分県(東九州龍谷)とここ10年間で勝率が一番高い同じ九州の長崎県(九州文化学園の単独チーム)の闘い。結果は、長崎県の勝利。大分県の攻撃のリズムは常に速い一定のリズム。実はそこに落とし穴があった。長崎県は一定のリズムの大分に対して自軍のブロッカーをアダプトしていった。昨日の大分と山口のゲームでも山口は研究した成果を発揮したようだ。そして、山口は大分と違うリズムで攻めていった。ゆっくりとしたリズムと早いリズムを織り交ぜて大分のブロックをかく乱したようだ。
 決勝戦は山口県と宮城県(古川商業の単独チーム)との闘い。お互いに相手の速攻を封じようとネット近くに山なりにサーブを放つ。つまり、速攻プレーヤーにサーブレシーブをさせて助走を短くさせ、かつリズムを崩そうということだ。男子の宇部商業にも言えたことだが、誠英も相手チームを研究し尽くしている。ブロックが要所で効いた。攻撃は中国からの183cmのミドルプレーヤーの留学生がセンターからライト方向に片足で流れながらの攻撃が面白いように決まった。満員の山口県応援団の声援も後押しした。3-0の完勝であった。監督の田淵先生とは5年前に日本体育協会公認上級コーチ養成講習会に一緒に受講し、色々語り合った仲でもある。「日本一おめでとう!」

 

2011年10月10日月曜日

10/9(日) 山口国体バレーボール少年男子観戦-2







 山口宇部空港の近くにある宇部市俵田翁記念体育館に入ると懐かしい顔に出会った。山口県で30数年前に春高バレーで優勝した香川高校の監督であった藤田先生である。細い目をさらに細くして、「オーお前か、元気にしちょったかね?」。あの当時、オレンジ色のゲームシャツを着用しているチームは少なかった。山口県のカラーは県名産品の夏みかん色のオレンジである。香川高校は当時高校女子バレーでトップの大分県の大木先生(現在の東九州龍谷の初代監督で部長)と一緒に世界一を目指していた日立女子チームに度々合宿で一緒になっていた。
 その藤田先生が県立宇部商業が山口国体優勝を目指す強化校に指定されて以来、チームの面倒を裏方で支えてきた。チームにいる190cm台の3人のうちの一人、中国からの留学生を特に面倒を見てきた。

 ゲームは、ベスト4をかけて兵庫県選抜と対戦した。スタートは硬かった宇部商業であったが、相手の攻撃を事前に研究しているようで、ブロックシステムが良く対応して効果を発揮した。結果は2-1で宇部商業の勝利。午後に、決勝進出をかけて隣県の福岡県選抜との対戦となった。福岡の選手は小柄なので、移動攻撃で宇部商業のブロックを寸断させながら滞空力のあるジャンプから鋭いスパイクをコートに突き刺す。あっという間にセットカウント0-2となった。幸いにも、国体は準決勝から5セットマッチである。開き直った宇部商業はエースの藤中を中心にバックアタックをからませ、3,4セットを連取して、最終セットを迎えた。

 コート後方の壁際の役員椅子に座っていた藤田先生が囁いた。「ここ8年間ほど、地元開催地が優勝していないんじゃ・・・」。果たして・・・、先生の杞憂は、この準決勝で当たらなかった。出だしで4点連続を取り、その勢いで5セット目を取った。館内満員の応援席は盛り上がりに盛り上がった。

 この日、宇部市から車で1時間のところにある周南市にお住まいの山崎さんの自宅に招待され宿を提供して頂いた。山崎さんは、日本ソフトバレー連盟の競技委員長で、地元山口県ソフトバレー連盟の会長でもある。

(画像は、夕食で周南市にある寿司店でご馳走になったフグのフルコース料理。山口県にはフグの産地で有名な下関市がある。フグ刺しに始まり、フグの天ぷら、フグちり、フグ雑炊と続いた。フグは、地元の人はふく(福)と言い、幸福のシンボルでもある。フグ食べて福来る)

10/8(土) 山口国体バレーボール観戦-1



 金曜日から入る予定であった山口国体だったが、スケジュールの変更をして本日、土曜日から月曜日まで滞在することにした。ところが、出発日を変更したら、飛行機が午後の便だけしか取れなくなった。というわけで、きょうは移動の日となった。
 山口宇部空港に着いたのは、午後3時。少年男子の会場は空港から近いのだが、ゲームはほぼ終わる時刻。関係する東京代表の東洋高校や千葉県代表の習志野高校の結果を気にしながら、とりあえず新山口駅にリムジンバスで向かった。
 ホテルにチェックインして、結果を検索してみたら、東洋はインターハイと同じ対戦相手の兵庫に敗北していた。兵庫の速攻コンビにブロック陣がついていけなかったようだ。山口入りするまでは習志野高校との練習試合でもセットを落としていない。また、関東大学リーグの上位の大学チームとの練習試合でもセットを取るときがあった。コンディショニングと本番での度胸が不足していたようだ。
 習志野はなんと優勝候補の長野選抜に辛勝していた。長野選抜は1名を除き、全員が今夏の秋田インターハイで初優勝した名将壬生(みぶ)監督率いる創造学園大高校のメンバー。試合を応援していた千葉県バレー協会強化委員の一人に聞いてみた。長野選抜は他校から1名をスタメンに入れて対戦したのであったが、コンビが今ひとつ取れなかったようだ。対する、千葉県は今年度から選抜を止めて、単独チームで国体に望むことを私も属する強化委員会で決めていた。女子も市立船橋単独で臨んで、同じくベスト8に残った。選抜はメンバーは充実するが、一緒に集まっての合宿の時間は少なく、細かなチームワークが取れないところが指導者にとって難点である。単独のチームでも全国でベスト8以上安定した成績を残している県は、今後単独での編成になっていくのであろうか。逆に、全国大会ベスト8に入ることが稀な県は選抜を組み、長期間鍛えていくことが国体で勝つ要因の一つになっていくのであろうか。
 夜は、ホテルで偶然再会したバレー関係者4人と一緒に新山口駅界隈に繰り出した。駅の周りのホテルは国体出場者や関係者で満室である。飲み屋街の店も満席。そこで、仲間の一人が穴場の店を紹介してくれた。何でも既に3回、店に入ったことがあるという。そこは、地元の人が行くような普通の中華そば屋さんであった。そして、そこでオーダーしたのが「ばりそば」。出てきたのは大皿にてんこ盛りの普通の固焼きそば。これが驚くほど旨かった。替え玉まで注文してしまったほどだ。
(画像は、ばりそば。4人前を大皿で持ってこられた時は驚いた。そして、ペロリと食べてしまった)

2011年10月8日土曜日

10/7(金) ママさんバレーチームの助っ人監督



 年に3回、「じじばば交流ママさんバレー大会」というのが、東京都渋谷区にある日本青少年オリンピック総合センター体育館で開催されている。主催は栄光のバレーボール時代を築かれた70歳以上の元バレープレーヤーの方々で、手作りの交流大会だ。今回の参加チームは16チーム。3コートでレベル分けをして、各チーム2セットマッチの3ゲームをこなす。私は、6月にもこの交流大会に初めて顔を出して、夕方の懇親会までお邪魔した。
 今回も、千代田区で活動しているセレブママたちのちーむである千代田クラブさんと一緒に参加させていただいた。前回は途中から監督業を依頼されたが、今回は覚悟を決めてスタートから監督業に着かせて貰った。私の目的は、このチームの今後の練習課題を明確にしめすことと決めた。
 ゲームの勝敗は1勝2敗であったが、課題が明確に認識された。このチームの最大の課題は、サーブレシーブ(reception)である。個人技としてのレシーブスキルが身についていない。
 サーブレシーブの基本スキルとして、まず、相手サーバーの観察である。どんなフォームで打つのか、サーブの種類は、どこを狙っているのか、初対面のチームであっても、そのサーブを1本見れば、どこに、どのようなサーブを打とうとしているのか理解できる。次に、誰が取るのかの判断である。これはフォーメーションとの関係もあるが、一般にバックセンターにはレシーブの上手なプレーヤーが入るので、この人が多くのサーブをレシーブするのが良い。千代田クラブさんの場合は、バックプレーヤーが全員、サーブレシーブに自信がないという表情をしている。失敗している原因は、正面に移動していない、両腕の面がセッターに向いていない、肘を曲げたり、腕を振り回してボールをコントロールしている、プレーヤー間のボールを誰が取るのか責任範囲があいまい、などがあげられる。
 ネット型のスポーツは、サーブもしくはサーブレシーブから始まる。名セッターや名アタッカーがいてもサーブレシーブがセッターに返らなければ、攻撃は単調になり、半減以下になってしまう。最初のプレーが最重要なのだ。この2つの技術の優劣が勝敗の70%以上に影響する。試合後、コーチとキャプテンに、今後の練習についてノート3ページを手渡した。今後3ヶ月間で個人のサーブレシーブ練習を一人300本することを提案した。とにかく正しいフォームを理解して、それを個人的な基本的で単純な練習からフォーメーションを絡めた中での練習へと反復練習することである。そして単調な練習を長続きさせる工夫として、データを毎回取ってグラフ化することが必要である。やはり、人は評価されないと面白くない。セッターの1m周りに返球するAパスの目標をを3ヵ月後に60%の設定して、自己評価していただこう。スタートは恐らく30数%と思うが、自分の実態を数値で把握すること、客観視することはステップアップするためには必要なことだ。
 夕方から恒例の懇親会が始まった。私の会費は千代田クラブさんが支払ってくれた。「恩に報いるには2倍返し」を身上としている私としては、来月の練習に顔を出して恩に報いねばならない。

(画像は、景品の1つで中央区にある老舗のせんべい屋さんが「じじばば」のロゴを入れて作ってくれた)

2011年10月6日木曜日

10/6(木) 米アップル社S.ジョブズ氏の逝去




 各紙の夕刊の一面に氏の逝去が報じられた。04年にすい臓がんの手術を受け09年にも休養して肝臓移植を受けていた。56歳であった。「Mac」ブランドでパソコンを世に送り出し、最近では、「iPod」や「iPad」または「iPhone」をヒットさせた。今年8月には米アップル社を時価総額で、エクソンモービル社を抜いて、世界最大の企業に押し上げた。
 私の家族の中では、娘達が発売されたばかりの「iPod」や「iPhone」に飛びついていた。私をそれを横目で見ながら、今使っているもので十分と虚勢を張っていた。新しいもの大好き人間である私にとっても、それらの機器は魅力たっぷりに私の好奇心を揺さぶっていた。財布との相談もあったので、購入は我慢していた。定年を数ヵ月後に控えた今、投資している株を少し取り崩して、今からしっかりIT武装をしようと考えている。年をとるほど自身の頭脳を働かせ知恵を磨き、情報のやりとりは電子頭脳であるIT機器を活用すべき、と私は考えている。
 ジョブズ氏のプレゼンテーション手法に興味を持っていた。商品の仕様や機能を説明する前に感動や体験を語り、消費者の共感を得たところで、本題に入る手法は斬新であった。また、社長自らが壇上で新製品を紹介するようになったのはジョブズ氏の影響が少なくないようだ。
 11月に自伝が邦訳と同時に刊行される。氏はまるで余命を知っていたかのように自伝の制作に取り組んでいたのであろう。是非とも、英文と邦訳両方を購入して英語学習の糧にもしたい。
 きょうは、午前中に3カ月ぶりに千代田区のママさんチーム「千代田クラブ」に伺った。明日は、チームに同行して、青少年オリンピック記念センターにて開催のママさん招待試合に監督代行でお手伝いする。
(画像は最近のジョブズ氏。抗がん剤の影響か前身が細身でやつれが見えている。97年に「世界を変えよう」とライバルのマイクロソフトのビルゲイツ氏と資本業務提携に踏み切った判断力。真の革新性を見せて頂いた。合掌) 

10/5(水) World Cup2011 組み合わせ決定

 組み合わせが決まった。出場12チームの総当たり戦で行われる。
 日本女子、初戦のカードは、欧州選手権4位、FIVB推薦で出場が決まったイタリア。推薦でトルコ(欧州3位)やロシア(欧州5位)がくるかなと思っていたら、これら両チームは漏れてしまった。ロシアのガモワ選手が見れないのは残念。日本の第2戦以降はアルゼンチン、中国、アルジェリア(推薦)、ドミニカと続く。初戦のイタリアであるが、イタリアは以前のような力はなく、新旧交代の端境期にあるチームで日本が負ける相手ではない。注意しなければいけないのが、中国。先月のアジア選手権決勝では苦杯を嘗めた。ここをしのげれば、6勝全勝で後半に進める。ポイントは、イタリアと中国。
 男子の初戦は、先月のアジア選手権で優勝したイラン。実力はイラン。但し、20年振りのワールドカップ出場で、日本のあのお祭り騒ぎの応援に驚いている間に実力を封じ込めれば、勝機は十分にある。その後の、第2戦以降でまともにぶつかって勝てる相手は、残念ながら見当たらない。男子の目標は4勝あたりか・・・。推薦枠でロシア(欧州3位)とポーランドが入った。
 女子のベストスリー(ロンドンオリンピック出場権獲得)は、ブラジル、USA、日本、セルビア、ドイツ、中国が有力候補。男子は、ブラジル、セルビア、USA、ロシア、イタリアが有力。
 ワールドカップのゲームをなるべく観戦に行き、情報収集したい。世界のバレーの動向を探っていきたい。おっと、その前に、今週末に開催される国民体育大会観戦のために山口県に行ってくる。宇部市で少年男子(高校男子)、防府市で少年女子(高校女子)のゲームを最後まで見てくる。

2011年10月4日火曜日

10/4(火) ワールドカップ男女出場国まず10チームが決定



 11月4日から日本で開催される2011World Cup出場12チームの内、10チームが10/2のヨーロッパ選手権を最後にして決まった。World Cup成績上位3チームは、ロンドンオリンピックの出場権を獲得できる。どの国も、眼の色を変えて闘いを挑んでくる。これで4位以下になれば、各大陸選手権でまた熾烈な代表権を争わねばならない。そこでも負ければ、FIVBランキングによって推薦されたチームのみで戦う世界最終予選会があるが、それも胃が痛くなるような戦いだ。11月のWorld Cupで速やかに代表権を得て、1年後のオリンピックのためにじっくりと新戦術を磨きたいと考えるのは、どこの国の監督も同じであろう。

 女子から行こう。まず開催国であるホストのJapan。南米からはBrazil。北中米からは優勝のUSAと準優勝のDominica(ドミニカ)。アジアからは、先月のアジア選手権決勝で日本と競って優勝したChinaと第3位のKorea(韓国)。欧州からは2日前にフルセットの決勝を制したばかりのSerbia(セルビア)と準優勝のGermany(ドイツ)。アフリカからは優勝したKenya(ケニヤ)と準優勝のAlgeria(アルジェリア)。

 激戦区である欧州選手権の成績は、3位がTurkey(トルコ)。トルコのエースのナスリハンはベストスコアラー賞を獲得した。4位がItaly。新旧交代が上手くいっていないようだ。5位がPoland(ポーランド)。そして昨年のワールドグランプリ優勝のRussia(ロシア)は6位だ。7位がNetherlands(オランダ)、8位がCzech(チェコ)と16位のIsrael(イスラエル)まで続く。

 残り2カ国は、FIVBのランキングなどで推薦される。ロシア、トルコ、タイ、キューバなどが有力な候補であろう。

 男子は、ホスト国のJapan、南米からは優勝したBrazilとArgentina(アルゼンチン)。欧州からは初めてのアベック優勝を成し遂げたSerbiaと準優勝のItaly。中南米からは、CubaとUSA。アジアからは先月のアジア選手権で優勝したIran(イラン)と準優勝の中国。このイランや今回6位だったがインドの2カ国は最近メキメキと力を付けてきて、アジアでは韓国、中国、オーストラリアと並んでトップグループを形成してきた。彼らのホームでのゲームでは日本は負け越してきている。そしてアフリカからはEgypt。私が30年前に指導していたチュニジアは2位カメルーンの後塵を拝して3位であった。

 残り2カ国はロシア、韓国などが有力だ。

会社を定年になる来年から私も海外に出る。少しは海外のバレー事情を学習していかなくてはいけない。

(画像はセルビアの首都であるベオグラードで開催された女子バレー欧州選手権大会優勝のセルビア。観客は9,000人。紙吹雪が華やかさを盛り上げている)

2011年10月3日月曜日

10/3(月) アジア男子バレー選手権の結果

 イランのテヘランで開催されていたアジア男子バレーボール選手権大会が閉幕した。日本は連覇ならず、第5位であった。優勝は開催国のイラン。2位以下は中国、韓国、オーストラリア。日本は5位・6位決定戦で、予選グループで敗退したインドと再対戦した。フルセットのジュースで辛勝しした。
 ここ5年前ぐらいから、アジアでもインド、イランの台頭が注目されていた。ジュニアのレベルでは、3年前からこれらの国に勝ったことはない。いよいよ、シニアのレベルでも勝てなくなってきた。原因は何だろうか?日本が弱くなったわけではなく、他の国が強くなってきただけだ。今のままでは、ロンドンオリンピック出場も危うい。
 日本の小学生や中学生のスポーツ現場を見ると、子供達は野球、サッカー、バスケットに夢中だ。バスケットはまだ、プロのBJリーグと日本リーグが混在しているが、野球とサッカーは完全にプロ化している。内情はとにかく、表向きにはTV放映も多く、プロに憧れる子供達は多い。バレーボール男子の将来はどうなるのか。ロンドンへの道が断たれた場合、バレーボールは女子だけのスポーツになってしまうのか。いや、サッカーのなでしこブームがこのまま続けば、バレーボール女子の将来も危うい。小学生女子バレーの登録人口が最近は減少傾向にあるという。
 日本のバレーボールが危ない。しかし、危機感を抱いている関係者が私の周りには少ない。危機感を通り越してあきらめ感を抱いている関係者さえいる。このままではいけない。このままでは・・・。

10/2(日) 雫石町にてV1リーガーと一緒に教室






 雫石と聞くと、スキー場を思い出す。雫石で、ウインターシーズン外に盛んなスポーツは、野球である。きょうは、東北各地にスポーツ店を構えるタケダスポーツが主催する野球、ソフトテニス、バレーボールのジュニア対象の教室の運営協力で昨夜から岩手県内に入った。
 温朝方の気温は午前中の少年野球の講師は元プロ野球選手3名で、名前は思い出せないがTVで見覚えのある顔であった。ソフトテニスの講師は、韓国ではスーパーエースと言われていた金さんという40歳手前の小柄な女性であった。金さんは、日本生活が長いのか、流暢な日本語で中学生達を指導していく。時には、間近で他のスポーツの講師の指導法を見るのも学習になる。金さんは、「挨拶」「大きな声を出す」ということを講師挨拶から子供たちと約束していた。ソフトテニスもバレーボールと同じネット型スポーツである。金さんは、相手コート上に置いてある的に当たれば褒めるご褒美を与えるが、ボールがネットを越えない場合は、罰として1回のミスに対して10回の腕立てを課す。褒美と罰で集中力を出させている。但し、同じミスでも、コート外のアウトに対しては罰はない。
 バレーボールのサービスで、ネットに当てて相手コートにボールが入らないミスに対して、私も罰を課すが、腕立て1回で済ませている。サービスは自分でトスをして自分で打つのだから、ネットを越えない場合の罰は腕立て10回が妥当であろう。自分の甘さを反省させられた。
 午後から、体育館にて中学女子100名対象にバレーボール教室を始めた。講師は、この8月に結成された『仙台ベルフィーユ』チーム。前身は、昨年まで四国で活動していた『四国エイティ8」というチーム。監督はアトランタオリンピック5位監督の米田一典氏、メンバーは、今のところ10名。先月末に10人目の中野さん(古川学園卒)が大阪三洋電機から移籍してきたばかり。
 この日、米田監督が見えられなかったのは残念であった。10数年ぶりの再会を楽しみにしていたのだが、来月から始まるリーグ戦でお会いできるであろう。代わりにコーチの息子さんが教室の指揮をとった。子供達は初めてVチャレンジの選手たちの手取り足とりの指導を受けて緊張ぎみであった。
 最高気温15度という環境であったが、会場は熱気に包まれて楽しい一日であった。子供たちが生き生きと楽しんでいる姿に元気付けられる。帰りの新幹線は最終の1本前に間に合った。自宅に着いたのは9時半を少し回っていた。

(画像は、開講式。各チームに仙台ベルフィーユの選手を2名ずつ付けてコーチ役にして教室は進んで行った。私の講習会時にも、6人くらいの現役選手がコーチ役(介護役?)で付いてくれると効率がぐんと上がるのであるが・・・)

2011年10月1日土曜日

10/1(土) 盛岡市に移動

 先ほど、盛岡駅に降り立った。全国チェーンでお馴染の駅前のホテルにチェックインした。食事は、近くのコンビニで買ったパスタと缶ビール。
 明日は、ここから車で40分のところにある雫石(しずくいし)市に移動する。午後から中学女子100名を対象にしたバレーボールクリニックを開催する。
 東京駅からほぼ3時間で盛岡駅に着いたが、東京と比べて気温が低い。半袖姿で、盛岡駅のホームに降り立った若い女の子たちは「キャア~寒~イ」なんて猫のような声を出して体をくねくねしていた。東京と比べて4度位低いのだろうか、本当に寒い。明日は風邪を引かないようにしよう。
 さあ、今晩は、NHKの新土曜ドラマ『神様の女房』を見て、10時には早めに寝ましょう。『神様の女房』はパナソニックを一代で世界的な電機メーカーに成長させた創業者である松下幸之助氏の夫唱婦随の7回シリーズの物語だ。

2011年9月29日木曜日

9/28(水) 訃報 

 また、御一人、大変お世話になった先生が亡くなられた。享年82歳。高橋末光先生のお名前は、誰も姓の高橋は呼ばずに、名前の末光(すえみつ)のほうを呼んでいた。すえみつ先生と出会ったのは、今から34年前になる。
 その頃、全国に出場する直前の東洋高校男子バレー部監督の山口先生(故人)と知り合ったばかりの私は、江東商業高校のすえみつ先生を紹介された。熊本県の高校から日本体育大学に進み、東京都立高校の教員に採用され、定年を都立江東商業で迎えた。都心の都立校なのでグラウンドも体育館も狭かった。体育教官室も小さかったが、体育主任のすえみつ先生も小柄で丸い顔にちょこんと小さな目と小さな口が付いていた。先生が監督されていたのは女子バレー部で、私も5年ほど月1回練習お手伝いをしていた。
 東京都高校男子バレー地区大会の会場の1つは、いつも江東商業であった。実は、すえみつ先生は、東京都高校体育連盟男子バレーボール専門部の役員(定年前には最高責任者の部長)であったので、同じ第1支部内に属する東洋がらみの試合は全て江東商業で引き受けていた。その当時の東洋高校の体育館はエンドラインから5mほどしかない小さな体育館であった。そして、江東商業の体育館も小さく、東洋にはやや有利な条件であったかもしれない。そして、すえみつ先生は、東洋の蔭の応援団長でもあった。
 昨夕は、ご自宅に電話して、奥様ともお話ができました。昨年の春の高校バレー初優勝を大変喜んでいたと奥様からお聞きして、目頭が熱くなりました。練習を終えて、先生や女子バレー部員達と一緒にJR亀戸駅に向かって住宅地や商店街の路地を通って帰っていった日々が想い出されます。
 今夕、西日暮里の斎場で、すえみつ先生にお別れを言ってきました。帰りに、全国高校体育連盟バレーボール専門部の元役員の先生方や東京都バレーボール協会元役員の方々と二度目のお清めをさせて頂き、しばし末光先生の思い出話に耽った。
 すえみつ先生、さようなら。大変お世話になりました。私はもう少しバレーボールで頑張りますから、見守っていてください。 合掌。

9/25(日) JVA公認ソフトバレーボール・リーダー養成講習会in福岡 2日目

 本日は、朝9時から午後4時まで、全て実技。審判法の吹笛、ハンドシグナル、判定基準に始まり、ウォーム・アップ(warm-up)、トレーニング法、基本技能の指導を県連盟のマスターリーダーが主体的に行い、私が補い支援する形で行った。
 基本技能では、全ての技能の説明ができるカリキュラムにはなってないので、今回は各種パスとサーブの指導に留まった。ゲーム形式での審判法実習では各チームが2セットずつ行い、コートコントローラーのマスターリーダーが指導・評価する形をとった。
 今回の成果は、福岡県連盟は私の方からの事前準備としての要望を全て叶えて頂いたことだ。これからの講習会は、特に座は、パワーポイントやPDFをプロジェクターで活用して資料を提示することが大事と考えている。パソコンにプロジェクターを繋ぐことで活字も拡大できるし、動画も見て頂ける。来年度からのリーダー講習会はこのようにITを活用した講習会を原則として行きたい。そのことが、受講者満足になっていく。
(画像は、ゲーム形式での審判法の実習で記録の練習をする受講者。来年はここ福岡県にて全国シルバー交流大会が開催される) 

2011年9月28日水曜日

9/24(土) JVA公認ソフトバレー・リーダー養成講習会in福岡

 我々、JVA公認講師の中でも、ソフトバレー関係の講師は、原則、年2会場の担当と取り決められている。今年の私の担当地域は、先月の東京都と今回の福岡県である。福岡県でのソフトバレーの講習は初めてである。
 朝9時に羽田から飛び立って1時間後に着いたところは、北九州空港。初めて聞く名前の空港だ。講習会の会場が北九州市なので、ここの空港が一番近いということだ。出迎えには県連盟の競技副委員長さんが来てくれた。北九州の空気は東京と違い透明感があり、清々しかった。
 会場について、久しぶりにお会いした県連盟の理事長である高田さんと近況を確認しあった。全国でも最年長の理事長である。私の講習会のやり方は、全て私がやらないで、マスターリーダーである役員さん達に分担してやって頂く方式である。1ヶ月前に、理事長を通じてマスターリーダーの方達に役割分担をお願いして準備に入って頂いた。今回は、更にパワーポイントを使用して頂くことをお願いした。ソフトバレーの世界では、まだまだIT化が進展していない。受講者により理解しやすい講義をするためには画像を拡大できたり、図式を示せたり、動画もできるIT化が必要だ。今回の福岡県連盟は、そんな私のお願いに応えてくれた。
 夜には、15名の役員と夕食会になった。お酒が入ると、私のことなどどこ吹く風で、役員同士のよもやま話が始まった。地元の人同士の会話だと、私にはまったく理解できなくなる。二次会で全員カラオケ館に移動。福岡県ソフト連盟の役員は、まったく仲が良く、元気だ。私も負けてはいられない。演歌を立て続けに歌った。どうやら、歌がわが身を助けたようで、役員の目は私を尊敬のまなざしで見つめている。ソフトバレーの指導より演歌が認められた?
 ホテルに帰って、バッタンギュー。九州の男達は強い。そして、それ以上に女性役員が強い。