2011年12月10日土曜日

12/10(土) ミュンヘン金メダリストの西本哲雄さんと再会




 5年ぶりであろうか、西本さんと再会した。場所は、埼玉県三郷市総合体育館。きょうは、毎年恒例の三郷市主催の市内中学校チーム対象の育成バレーボール教室。男子3チーム、女子7チームが参加した。今年で6回目になる。第3回目には、私も講師で招聘された。今回は1972年ミュンヘン金メダリストでセンタープレーヤー(現在はミドルブロッカーと呼ぶ)の西本哲雄さん。西本さんは金メダルチーム最年少の21歳であった。

 きょうは、川崎市の方で全日本インカレ準決勝のある日であったが、西本さんが講師で見えるということを2か月前から知っていたので、三郷市の方に足を運んだ。西本さんは広島県の名門崇徳(そうとく)高校出身で、高校生時代にエースアタッカーとして活躍して創部以来初めてインターハイと国体の高校2冠を獲得した。この当時は、まだ春高バレーは開催されていなかった。その後、先輩の猫田選手のいる専売広島(現JT)に入社して、名セッター猫田選手のトスで大型センタープレーヤーに転向して成功した。秘話であるが、西本さんは、当時、関東の体育大学に進学希望であった。現役引退後、JTの監督を5年間、全日本女子ジュニアの監督、V1大分三好男子の監督を務めた。

 全日本女子ジュニアの監督に就任したとき、西本さんは女子の指導者との間で戦術面で苦労した。当時の女子バレーの世界はスパイクレシーブが女子バレーの命綱であった。男子バレーはスパイクレシーブの前に、まずブロックでしょうという考え方であった。女子バレーでも世界と戦っていくには、相手の高い打点から打ちこまれてくるスパイクに対抗するには、レシーブの前にブロックでシャットしたり、ワンタッチを取ったり、相手のスパイク・コースを制限したりするブロック力が必要と西本さんは考えていた。当時、そのような男子的な考え方は女子の世界では、まだまだ少数派であった。果たして、その後の全日本女子は、西本さんの予想が当たってしまい、高身長とパワーで押してくる欧州、北米のチームに勝てなくなった。


 そんなことを思い出しながら、西本さんの指導を眺めていた。


(画像は、西本さんと一緒のスナップ。西本さんに最高のセッターの条件を聞いてみた。「スパイカーの好みのトスを上げてくれるセッターだよね。猫田さんのように。相手のブロッカーを振るテクニシャンは沢山いたけど、猫さんは、ジャンプすれば、そこに打ちやすいトスが上がってきて、打てば決まる、という感じだったね。俺がオリンピックに行けたのは猫さんのおかげだよ・・・」) 

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