2011年4月30日土曜日

4/30(土) 4月の終わりに・・・

 大型連休の2日目が過ぎようとしている。今年の連休の過ごし方は、例年と違う。例年ならば、全国常連の神奈川県立大和南高等学校女子バレー部の強化合宿に合流して3泊4日過ごしていた。今年からは、前監督が予定通り退任され、現場には一切関係しないので、私も前監督にならい、2月からは学校にも顔を出すのをやめた。

 今年は、新チームを短期であるがコーチングさせていただくことになった。茨城県と千葉県の高校女子のチームであるが、全国どころか県大会でも常連校ではない。2つのチームの監督さんたちには、先日お世話になったので、私でできる恩返しのつもりでコーチングさせていただく。子供たちに伝えたいのは、チャレンジすること、工夫すること、思いやりを持つこと、勇気を持つこと。そして、親の支援、先生の情熱、仲間の励ましがあるからバレーができることに感謝の気持ちを持つことを伝えたい。

 バレーの技術は、体力があればさほど難しくない。大事なことは、ボールに自分の気持ちを込めて仲間にパスできるかどうかだ。演劇でいえば、魂のない言葉は相手に届かないのと同じである。

 

2011年4月29日金曜日

4/29(金) 昭和の日の祝日に資料の整理

 4月29日というのは、もともと昭和の時代には「天皇誕生日」という祝日でした。それが、昭和64年(1989年)に昭和天皇が崩御されたことを受けて、年号が平成に改まり、「みどりの日」となり、更には多くの国民の要望を受けて、平成17年に現在の「昭和の日」となりました。

 本日は、祝日にふさわしく、天気も穏やかで温かい。寝室兼資料室になっている私の部屋を朝から整理している。本棚に収まりきれない図書や資料は畳の上に積み重ねられている。最近それを見て、子供たちも子供部屋があるにもかかわらず皆が集まる居間に自分達の勤務先の資料などを化粧品と一緒に積み重ねるようになってきた。これは、真似してほしくない「親の背中」になるので、最近、休みの日には少しずつ整理している次第である。

 しかし、整理しながら、その図書や資料を思わず読み込んでしまうことが多々あり、なかなか先に進まない。それでも、A4サイズにして高さ60cmほどには捨てるものが出てきた。大事なものを所有していても、それを活用しないことには、所有している価値がない。ここは思い切って、捨てることだ。迷ったら捨てる。

 捨てようとした、資料の中にメモがあった。20世紀の哲学者のヨハン・ホイジンガの名著『ホモルーデンス』(1938年:行く山野と年号を覚える、とメモ書き)の中で「人間は『遊ぶ存在』」である」という1節がある。メモ書きには、赤字で次のように書いてあった。「ホイジンガ曰く。真の文化は何らかの遊びの内容を持たずには存続していくことができない」。近代スポーツの競技が真面目になりすぎ、遊びの領域から遠ざかり、ますますシリアスになってきたことへの批判がホイジンガにはあった。スポーツ利権ビジネス、メディアによって演出されるビッグイベント、ナショナリズムに始まり、過剰な勝利至上主義によるドーピング問題、イベント開催地を巡るスキャンダル、マイノリティ問題など。

 競技スポーツは見るスポーツ(メディア)とも一体となって発展してきた。私が楽しんでいる、ソフトバレーやママさんバレーはレクリエーション・スポーツに分類される。競技スポーツが「ハード」のイメージであれば、こちらは「ソフト」のイメージだ。そんなソフトスポーツ(ニュースポーツ)や地域に根付いている伝統的なスポーツ(祭り、芸能、神事)の再評価や高齢者・障がい者を含めたSports for All 運動で「遊びの要素」を回復することが、人間性の発揮にもつながるのではないか、などと考えに没頭しながらの整理だから、なかなか資料は整理されない。

 さて、本日は、これからビデオ屋さんに行って、『24』の最終シリーズ7巻目を借りてビデオ観賞。どんな危機でも絶対死なない主人公ジャック・バウワーの活躍で頭を空っぽにして、夜はママさんバレーの指導。明後日は、いよいよ船橋市民春季ソフトバレー交流大会だ。プレイヤーとして足を攣(つ)らずにどこまでできるか?

2011年4月28日木曜日

4/28(木) ママさんバレーの千代田クラブさんと

 ここのところ、月1回の割合で千代田区にある千代田クラブさんにお邪魔している。50歳以上の方が大半であるが、年齢を感じさせない元気なプレーが指導していても気持ちがよい。5年ほど前ぐらいか、いそじ(50歳以上)の関東大会に東京都代表となり、優勝したというから、実力がある。

 きょうは、ホームグラウンドの千代田区体育館が、まだ震災の関係で日中でも使用禁止(5月11日以降解禁)なので、お隣の文京区体育館にて文京区のママさんチームと練習試合を行った。練習試合でのコーチングは、初めてであったので、練習試合の目的を確認した。

 練習試合は、「課題の発見」と「課題の達成度の確認」をする場であり、勝ち負けにこだわる場ではない、ということを初めに話した。次に、攻撃的なサーブのコースを指示したのであるが、指示したサイドライン方向には、サーブがなかなか飛んでいかない。そこで、レベルを1段階下げて、エンドライン方向にスピードサーブを打つようにしたところ、3セット目あたりから効果が出てきた。

 ママさんチームは、個人スキルの練習は十分やっているものの、戦術的なスキルになると不十分なところがある。ただ単に一生懸命プレーして結果オーライよりも、ボールをコントロールして意図したように結果の出る方が楽しさが大きいと思うが、いかがであろうか?

 明日は、家で資料の整理。捨てるかどうか迷ったら、捨てる、という強い決意で書籍や資料を整理しよう。

2011年4月25日月曜日

4/25(月) 元全日本女子監督 岩本先生の計画とは

 昨夜も、一昨日の夜も岩本先生と一緒であった。その3日前も一緒であった。私の奥様よりも会っている時間が長い。その岩本先生が5月末に原発で避難されている方達にソフトバレーとストレッチで体をほぐしていただこうと企画している。どこに行くのか、まだ教えてくれないが、私も付いていく。

 大きな組織が動かなくとも、岩本先生は動く。岩本先生は、自分から個人の資格で動いてしまう。そんな先生に私も元全日本の選手たちも、メダリストも付いていく。おっと・・・先生の奥様も付いていくということだ。

 どこに行くか、決まったら、ここのブログで発表しますね。

4/24(日) 日本ソフトバレーボール連盟の代議員会

 私も理事になって5年目を迎えた。特別委員からの関わりで数えると15年ほどになる。4月23日に開催されるはずの代議員会(各都道府県連盟の理事長or会長が代表で出席しての総会)が延期されて、この日に千駄ヶ谷の日本青年館にて開催した。

 午前中の理事会では、今年度に再度全国審判長会議と研修会を開催する計画を承認していただき、これから2年間の審判規則委員会のメンバーの選考を委員長に一任させていただいた。私も5年目に入る。そろそろ次期委員長を育成する時期だ。

 代議員会を終え、情報交換会となり、各ブロックの代議員とソフトバレーの話になった。その後、千駄ヶ谷駅近くの行きつけの赤ちょうちんのお店に、6県の理事長を引き込み談笑となり、更に後から駆けつけてきた九州の熊本と鹿児島の理事長2名と新宿駅南口で3次会となった。九州の人は、話していて面白い。いや、話さないと面白くない、というか、いずれにしろ豪快である。代議員会で、ちょいと面白くないことがあったのであるが、そんなことは小さなことに思えてくるほどに、九州男児は芯が太か~。

2011年4月23日土曜日

4/23(土) 1ヶ月半ぶりのママさん練習を終えて

 千葉市の我がママさんバレーの練習再開が叶った。千葉市の教育委員会は他市に先駆けて市内の小・中学校の夜間開放を再開した。小学校のある最寄りの海浜幕張駅を降りると、地震のせいで液状化になっている個所がところどころ見えた。小学校の体育館に入って、集合したメンバーを一人ひとり観察して、メンバーの体型が立派?になったかなと思いきや、多少やつれた感じであった。度重なる余震による不安感から食欲はあまりなかったようだ。

 入念なアップを行った。ボールを使ったコーディネーション遊びを沢山行った。そのあと、足を使ったレシーブ練習を軽くやり、サービスの勘を取り戻し、ジャンプをしないでの攻撃というルールで5対6のゲームを行った。ジャンプをしないことで、攻撃力が落ちるのでレシーブ力の勝負になる。途中で私からのコーチングが入る。「アタッカーの人は、どうして、体が向いている方向しかボールを打たないのですか?腕のスイングでコースを変えたり、手首でコースを変えたり、ネットに近いトスはゲンコツで返したりしてみよう」。レシーバーのミスで失点が出る。「2人の間のボールは誰が捕った方がよいのか、どちらが先に声を出した方がよいのか?さあ、思い出しましょう」。「レシーブはボールだけ見ていても予測はできないよ。ボールを扱う意思を持つ人も見ないとね。ボール、人、ボールの順番で眼を動かそう。そして、ボールを操る人とボールの接点をギリギリまで観察しよう」。

 練習後、近くのファミレスにて、月1回のミーティングを行った。仕事の都合で練習には間に合わなかったメンバーも駆けつけてきて、練習再開を喜びあった。

 明日は、日本ソフトバレーボール連盟の理事会と代議員会が開催される。代議員は、各都道府県連盟の代表の理事長や会長が出席する。その中の数名が、ここ8年ほど前から前日の夕方に集まりソフトバレーボールの将来を語り合っている。夕方6時30分から水道橋駅の近くにある庄屋兵左衛門というお店に4年ほど前から集まっている。今年は、宮城県理事長の三浦さんのいないのが本当に寂しいが、新たな仲間も加わる。総勢11名になった。元全日本女子バレー監督の岩本先生も駆けつけてくることになった。被災地の方たちにソフトバレーでできることを相談したいということだ。

 スポーツの力を発揮できるのはこれからだ。そして、発揮するのは単発ではなく、しばらく続きそうだ。
本日、山形県酒田市に避難されている方達用に自宅にあるスポーツウエアを段ボールに詰めて発送した。衣類たちも、普段1,2回しか袖を通さない私のようなご主人様より、大事に繰り返し着てくれるご主人様の方がよっぽど嬉しいであろう。頼んだよ衣類たち。

4/22(金) 詩人の島田陽子さん死去と大阪万博テーマ曲の作詞

 詩人の島田陽子さんという名前は、今まで存じ上げなかったが、1970年の大阪万博で国民的歌手の三波春夫さんが歌った「世界の国からこんにちは」という歌は、中年以上の年代であれば誰でも知っているであろう。その詩を創られた島田陽子さんが81歳でお亡くなりになったということを新聞の報道で知った。

 6年前から癌を患い、病への恐れを詩に託し、昨秋発表した。詩には恐れだけでなく、希望もある。

滝は滝になりたくてなったのではない
落ちなければならないことなど
崖っぷちに来るまで知らなかった

まっさかさまに
落ちて落ちて落ちて
たたきつけられた奈落に
思いがけない平安が待っていた
新しい旅も用意されていた
岩を縫って川は再び走り始める

 詳細は、23日付けの朝日新聞天声人語をお読みください。

絶望の後には希望がある、ということか・・・。
 

2011年4月21日木曜日

4/21(木) 夜の体育館開放再開なる!

 千葉市の我がママさんバレーの代表者から連絡がきた。体育館今週の金曜日(つまり明日)から使えるようになったと教育委員会から連絡が入りました、とメールが来た。そして、1週間後の5/1に市の大会なんですが、1か月も体を満足に動かしていないので、怪我をしないか不安です、と書いてきた。        
 
 それでは、アップとストレッチを念入りに行い、ゲームを休憩を十分挟んでやろう。最後にはマッサージを十分にやって大会に臨もうと返信をした。

 船橋市のソフトバレークラブの練習は、まだ夜間の体育館使用は禁止である。それで、先週の日曜日と今度の日曜日に別の小学校の体育館で午後二時間やることにしている。そして、こちらも5/1に市民大会だ。ソフトバレーの予定が先に入ったので、今回は私がプレーするソフトバレーを選択させていただく。

 少しずつ日常に戻りつつある。昨日、今日と余震もなかった。原発の脅威(放射線漏洩)は、日毎に増す一方であるが、電力の方は、皆の節電で夜の体育館の活動もできるようになってきた。

 1か月ぶりの明日のママさんバレーの練習、ママさんたちはどんな体型になっているか、一寸不安である。私は、毎日の腕立て伏せで胸板が厚くなった。オーバーハンドパスが12mは楽に飛びそうだ。しかしジャンプが心配だね。ジャンプするという動作は日常動作にほとんど無いから、ノージャンプ・スパイクの練習から入ろうか。

 明日は、24日に開催される全国ソフトバレーボール連盟の代議員会(総会)で提出する資料の確認をやらねば・・・。

2011年4月18日月曜日

4/18(月) グランドプリンスホテル新高輪にて


 品川駅を降りると高層ホテルがいくつもある。その中でも、プリンスの名前がつくホテルが多く、いつもながらたどり着くまでが一苦労である。

 きょうは、グランドプリンス新高輪というホテルである。一泊でもシングルが3万円近い。私など、とても泊まれない高級ホテルである。その高級ホテルのパーティ会場で、私の勤務する会社、正確には財団が主催するスポーツに関する優良著作(スポーツライター賞)の著者と長年スポーツの振興に尽くされた方々を顕彰する会が催された。受賞者の一人に、日頃お世話になっている橋爪静夫先生がいらっしゃるので、財団の専務理事にお願いして、私もお手伝い要員で参加させていただいた。

 会場で受付の手伝いをしていて、出席者の経歴に驚いた。文部科学省、日本体育協会、JOC、各競技団体の会長、専務理事クラスの方々が次々と受付されていく。日本バレーボール協会からは岩満専務理事と荒木田女子強化委員長のお二人が見えた。、顔馴染みが見えたので少しホッとした。表彰式が済み、懇親パーティ会場に移り、橋爪先生と談笑していると、結構知り合いがいることに気付いた。ヨーコ・ゼッターランド(早稲田OG)、文科省の森岡先生(筑波大OB)、JOCの河野先生(昨年、筑波大学院教授を退官)。柔道の篠原全日本監督(天理大学監督)や山下さん(東海大学体育学部長)は私が知っているだけで、向こうは知らない・・・(当然か・・・)。

 森岡先生と話していて、大学院時代の私の指導教官の名前がすぐ出てこなくて、森岡先生に教えていただいたことには、少し恥じた次第。私の指導教官は菊幸一先生という、一度聞くと(菊と)忘れないお名前なんだが・・・最近記憶力が進化しすぎているようで、最近のことが直ぐに大昔のようになってしまう。菊先生は3年前に教授になられたが、文科省の体育・スポーツ関係の審議員でもある。日本のスポーツ社会学でも躍進中の学者である。森岡先生が存じ上げているのは役職上、当たり前か・・・。それにしても、本日は、日本のスポーツ界を代表される著名なリーダー達と同じ空間にいることができて良い経験となった。


(画像は、受賞後の記念写真)

4/17(日) 江戸川区バレーボール連盟の総会 

 市区レベルの総会にここのところ出席していない。以前は、住んでいる千葉県船橋市協会の総会に出席していたが、本日は、ここ4年ほどママさんバレー教室で講師依頼を受けているお隣の東京都江戸川区バレー連盟の総会に出席させていただいた。役員会を終えた昼ごろに、会場の鹿骨区民会館着き、総会に臨んだ。全体総会は滞りなく終え、その後、各部に分かれ春の大会の抽選会に移った。同じ日に、抽選会も行うことで、総会の出席チームをきちんと確保している。なかなかの工夫である。 総会後、役員の懇親会に誘われ、歌も1曲披露させていただいた。被災地は、まだまだ復旧していないが、そろそろ各種イベントの自粛も緩めて、日常に帰る必要がある。被災地でも、桜前線に従って、ささやかでも花見が始まった。春の息吹とともに被災地にも心の衣替えが必要だ。                 

2011年4月17日日曜日

4/16(土) 東洋高校に行く

 東洋高校の外郭団体は、4つある。現役父母で構成する「父母の会」(PTA)、「同窓会」(卒業生)で構成、「さいかち会」(父母の会のOB・OGで構成)、そしてそれらを統括する「後援会」。私は「さいかち会」と「後援会」に属している。         17日は、さいかち会の今年度に入って初めての会合であった。学校は現在、18時になると学校内施設は使えなくなっている。18:30までには生徒・教職員全て施設外に出ていること、となっている。節電のためである。従って、例年ならば金曜日の18:00から行われる外郭団体の会合も、今は土曜日に行われるようになった。17:00に集まり、学校側から理事長兼校長、事務長も出席し、3/11の学校内での避難状況、今年度の入学者数、教室での簡素な入学式の報告、会計報告など行われ、新役員の話に移った。どうも、4年ほど前倒しして、私が要職に推挙される気配になってきた。現在、監査役である私は引き受けるとも言わず、このような平時でない時期では、現状のままの役員でいかれたらよろしいのではと提案するにとどめた。さいかち会の活動は他の外郭団体と比べて現役生徒と父母に対する影響力は強くないとはいえ、卒業していった父母達の会費で運営している。簡単に要職を引き受けるわけにはいかない。この日は、その後、私のなじみのお店の「庄屋」に会議メンバー全員で行き、懇親会となった。

2011年4月14日木曜日

4/14(木) 花粉症と生産性低下

 花粉症なんて、年をとれば無くなるもんだと思っていた。だから、昨年の12月に予防の対策は打たなかった。アレルギーは若い感受性の鋭い時期に活発になるもんさ、などと根拠のない理論を信じていた。また、ヨーグルトを食べていると予防になると言われ、これも食べ続けていた。ところが、ヨーグルトは会社の食堂から2週間前からパッタリと明治も森永も姿を消した。食堂のおばさんによると、乳牛が原発で汚染され、また震災の影響で、パッケージを作る工場が被災して生産量が落ちているとのことだ。来年、赤いちゃんちゃんこを着る予定の私が、ちゃんちゃんこを着る前に、おめめが、花粉症で真っ赤になってしまった。職場でも鼻をすすり、鼻をかみかみ、マスクをかけたり電話の時には取ったり、煩雑極まりない。生産性が上がるわけはない、と己の能力のなさを花粉症のせいにしている。          
 明日は、大阪本社でのバレーボール・マーケティングの会議である。朝6時台の新幹線に乗るので、相当早起きしなければならないんで嫌になる。毎朝、眼が目ヤニで開かないんだね。朝は、頭もボーっつとするしね。そして、夕方の新幹線に乗っての日帰りはキツイぞ。

2011年4月13日水曜日

4/13(水) スポーツウエアを被災地に送る

 日本赤十字や共同募金に集まった義援金は、総額で1,000億円を超えたということだ。しかし、被災地の人々に分配されていない。理由は、被災地が広範囲で配分調整ができないからだと聞いた。しかし着のみ着のままで逃げた人たちに、今必要なのは日常の身の回りの品を買うお金であろう。段階的にでも、配布できないものであろうか。   私は、きょう自宅にあるまだ着用していないスポーツウエアやソックス、シューズをダンボールケースにまとめて、近くのコンビニから神奈川県大和市の中学校で女子バレー部の監督をしている先生に送った。その先生から先週の日曜日に電話があった。知り合いのチームが陸前高田市にあり、部活を始めようにも、全て流されてしまった。練習着やシューズがない。協力していただけないかと連絡が入り、私に提供の話が来たのだ。私の勤務する会社は会社として義援金やスポーツ品の協力はしている。但し、それらの義援金や物品がどこに行ったのかは知らされていない。今回のように具体的に行き先がわかるのがよい。その先生は、市内の他の先生たちと金曜日の夜に車で陸前高田市に届けるということだ。ウエアは、なるべく新品を詰め込んだ。数回使ったものは、自分でアイロンをかけて畳んだ。   義援金や物品協力は、自分流で良いと思う。そして、この協力は復興するまで継続するであろう。今回の震災は、それほどダメージが大きい。余震は、東京においても、きょうも体感したものだけで6回あった。買いたいものは特別ないが、なるべく東北産のものを買うようにしている。これも、義援のひとつの形である。 

2011年4月11日月曜日

4/11(月) 今日の余震は大きかった

 いつまで続くんだろう、この余震ってやつは・・・。本日の5時すぎであったろうか、私は会社の5階のデスクにいたのであるが、思わず机の下に身を隠そうかと思ったほど横揺れが大きく長く続いた。6時退社時間になって、夕礼を終え、パソコンの電源を切り、机の引き出しの中にしまって、会社の同僚を横目にさっと会社を後にした。総武線JRお茶の水駅は混んでいた。車内も朝のラッシュと同じように体が触れるほど乗客が多かった。                                    もう余震は十分だ。原発を収束させ、一歩一歩、復興に向けて歩み始めたい。   昨日、神奈川県大和市にある中学女子バレー部の監督から、物資支援の連絡が入った。知り合いのバレー部の部員の一部が津波でシューズやウエアを流された。練習もままならない。なんとか、できないものか、とスポーツメーカーに勤める私にヘルプの電話が入った。会社としては支援金、物資をスポーツ業界取りまとめの組織に既に送っているので、後は、私個人の協力になるが、自宅にあるものでほとんど使っていないものを送ろうと準備したところである。

2011年4月10日日曜日

4/10(日) 自宅で休養

 自宅で、バレーボールの各スキルの指導論をパソコン上で修正、追記の作業をしていた。自分用の指導テキストの作成である。各論は30P程に膨らんできた。これに画像や図表を入れると100ページほどの書籍が出来上がるところまできた。最近の私の指導論は、バイオメカニクス(生体力学)とアナトミイ(人体解剖学)を根拠にしている。私自身、科学的な根拠のない指導論には納得できない。納得できない指導は私にはできない。                                   今後は、海外でのコーチ活動を見込んで、単語や簡単な表現を英語表記と併記して書き込んでいく。実は、この4月に中国の北京にてFIVB(国際バレーボール連盟)主催のレベルⅡ講習会が急に開催されることになり、行く準備を進めていたのであったが、パスポートの申請、取得が間に合わなく、断念した。もともとは7月のチュニジアでの講習会を受講予定であった。今年レベルⅡを取得し、来年度はレベルⅢを受講しようと考えている。そして、推薦していただけるのならFIVB公認のインストラクター(講師)で各国を回り、日本バレー界に世界のバレーの動向を伝えるような仕事ができえばよいかな、と考えている。英語も学習しなければならない。7月までにTOEIC(英語能力検定テスト)で、まず500点を目指して学習を始めたばかりである。  若い時に、今の1/10の意欲でも持って学習しておけばよかったと今更ながら反省している。40代までの私は、現場の仕事ばかりで考えたり、研究することはあまりなかった。しかし、この年になってであるが、学習する喜びや研究の仕方を大学院で学ぶことができたことを幸運であったと周りの人たちに感謝している。

2011年4月9日土曜日

4/9(土) 全国ソフトバレーシルバー交流大会の開催は? 

 本日、東京都体育館会議室にて、日本ソフトバレーボール連盟の企画委員会(会長、副会長、理事長、副理事長、専門委員会委員長、ブロック代表理事の11名)が開催された。今年は役員改選期に当たるので、理事の退任、新任、専門委員長の留任から始まり、日本ソフト連盟が主催、共催する3つの全国大会の大会要項の事前確認を午前中に行い、午後から全国大会開催地連盟の責任者と協賛社の名鉄観光の担当者とともに細部の打合せを行った。


 ファミリー(東京都墨田区)、レディース&メンズ(北海道)はスムーズに打ち合わせが進んだのだが、シルバー(50歳以上と60歳以上の混合の部:福島県福島市)で皆、話が行き詰った。東日本大震災、特に福島原子力第一発電所の放射線漏れの影響で大会開催が難しくなってきたのだ。今日、東京に来るのにも、連盟役員の庄司会長と伊藤副理事長はバスで4時間以上かかって着いた。県連盟役員の所在や安否も全員掴めていないという。体育館は修理しないといけないが、6月の市議会で承認されて初めて工事に入るとのこと。こういう時だからこそ、開催はしたい。しかし、体育館の修理が間に合うかどうか。それ以上に心配なのは、風評被害。原子力からの放射線漏れが世界的な話題になっている時期に福島県内に入ってくれるかどうか、福島県産の食物を参加者が食べてくれるかどうか。本日は結論が出なかったが、6月までには、中止にするのか、延期するのか、会場を代えて他県で開催するのか、結論を出したいということであった。


 地震や、津波は怖い。しかし、眼に見えない放射線はそれ以上に怖い。いつ収束するか分からない危機、というのも頭にどんよりとした空気がまとわりついているようで嫌なものである。先が見えないというのがつらい。我々はいつまで苦しまなければいけないのであろうか。福島県で、今年全国大会が開催されるという前提で、私は日本連盟から派遣される大会の担当者(大会委員長か副委員長)に手を挙げた。


 東北の福島県で全国大会をやろうよ、と5年ほど前から活動してきた。宮城県連盟理事長の故三浦さんを筆頭に東北各県連盟の会長・理事長が推進してきた。やれるところまでやるしかない・・・。 

2011年4月8日金曜日

4/8(金) 全国ママさんバレー大会の中止

 本日の、朝日新聞朝刊に今年度の「第42回ママさんバレーボール大会(8月開催、三重県サンアリーナ、朝日新聞社など共催)」の中止の記事が出ていた。7日に委員総会(全国の理事長が集まっての理事会)が開催され、そこでの決定事項を発表したのであろう。全国大会は震災の影響で中止であるが、各都道府県で行う予選会は、被災地など一部を除き開催されるとのこと。聞くところによると、組織の名称も「全国家庭婦人バレーボール連盟」から「全国ママさんバレーボール連盟」に変更されたということだ。確かに、今の時代、「家庭婦人」という呼称は死語に近い。ママさんの方が軽やかで愛らしくぴったりくる。                                       明日は、東京で日本ソフトバレーボール連盟の企画委員会(常任理事会)と全国大会に関する実行委員会が開催される。まずは、議題として被災者に対して連盟が何ができるか決めることになる。何をどのようにやるか、速やかに決めて着手したい。

2011年4月7日木曜日

4/7(木) スポーツメーカー各社の震災支援

 日本国内のスポーツメーカー各社が今回の東日本大震災への支援策を提出した。ミズノが3千万円とウエア類2万点、デサントは2千万円と保温性下着、ゴールドウインは2千万円と毛布やウエア類10万点、ナイキジャパンは100万USドル(8,500万円)。そして、アシックスは両親を亡くした孤児に靴やウエアなどを満19歳を迎えるまで継続的に無償提供すると5日発表した。   確かに現金はありがたい。しかし、どの地域の誰に行くのかボケてしまう。アシックスの「あし長おじさん」的な対象を具体的にした支援活動には感心する。子どもたちは感謝の気持ちを抱き、一生アシックス製品を愛用するだろう。見事な支援だ。アシックスは、3年前に日本のスポーツメーカーで連結決算で、それまで1番のミズノを抜いた。株価ではミズノの6倍近くになっている。グローバルなシューズビジネスが成功した結果である。アシックスは更に成長していくだろう。   ソフトバンクの孫さんも見事だ。この方も孤児に限定して100億円をポンと支援しただけでなく、今後の自分の給料も全額義援金として支援するという。一般的には、お金持ちほどケチなものだが、この人は、お金の使い方を知っている。

2011年4月5日火曜日

4/5(火) 練習場所確保の工夫

 昼ごろに、知り合いの千葉県ママさんバレーの役員に電話した。「練習やっている?」「ダメダメ、全く駄目。夜は全く駄目。土日はうちのチームのメンバーは働いている人が多いしね」「東京もそうだよ」「ただね、今度、中学校の部活と一緒に練習させてもらおうと考えているの。ただし、夕方6時までだけどね」「なるほど、そりゃいい考えだね。お互いに練習試合できるし、ボールのサイズも同じ4号球だしね」。 群馬県の家庭婦人連盟関係者から連絡がきた。春の県大会が中止になったとのこと。栃木県足利市バレー協会からも連絡がきた。4月に予定していたママさん対象の春の大会を中止にしたとのこと。                                                              今月、来月は体育館内で行われるバレーの大会は中止か延期か縮小での開催になるであろう。それでも、いろいろな知恵を出し合って体を動かす工夫をしたいものだ。「昔のように、外でやろうか?」「そうだね、昔のようにやるか!?しかし、コート作りだけでへこたれそうだね(笑)」

2011年4月3日日曜日

4/2(土) ソフトバレーから始める


 3.11の震災以来、まったくバレーボール活動はできなくなった。そして、4月に入って少しずつではあるが体育館が使えるようになってきた。東京都の千代田区立体育館は日中だけであるが利用できるようになった。夜は電気を消費するので、まだ利用できない。日中、活動しているサークルや個人は、限られているが、朗報である。さっそく、木曜日の午前中に練習しているママさんチームの千代田クラブさんに連絡を取って、千葉のママさんチームとの合同練習をお願いしようと考えている。30年前は、ママさんバレーの練習時間帯といえば、日中と夜が半々であったが、ここのところ、昼はパートなどに働きに出るママさんが多くなり、ママさんといえば、夜の練習が当たり前になっている。千葉市内の小中学校の地域住民への夜の開放は5月末まで不可との通達が教育委員会からあった。千葉市で指導している我がママさんチームも地元の小学校で夜の開放時間を利用しているので困ってしまった。ここは、隣接する市や区の会場を探したり、土日の日中に練習会場を探すように、メンバーがそれぞれ動き出した。我がママさんたちは、家の周りを数名でウォーキングしたり、自主トレで体がなまらないように動き始めている。                                                 

 関東はどこの県もそんな状況なんだが、本日、茨城県県西地区ソフトバレーボール連盟が審判の伝達講習会を開催した。当初予定の市営体育館は避難指定場所になっていて使用できない。そこを救ってくれたのが、県立結城第一高等学校女子バレー部監督の柴田先生。「うちの体育館を使えばいいよ」。県西地区連盟会長の望月さんと柴田先生との普段の協力体制の賜物である。柴田先生の長男は、埼玉県の深谷高校バレー部、筑波大学、東レで日本一にエースアタッカーで活躍、貢献した。体も大きいが、肝っ玉も大きい先生だ。                                    

 望月会長の会場探し奔走と柴田先生の懐の深さで、伝達講習会は10時から午後4時まで無事開催された。私が講師に招へいされるのは、今回で4年目である。結果的に、この伝達講習会は日本で一番早い伝達講習会となった。改正.改修部分を参加者23名で精読しルールの理解に努めた。幸い、配送が遅れていた2011年度版ルールブックが望月会長自宅に午前中に届き、参加者に手渡すこともできた。昨日、全国の審判長にメールで送付した資料も使い、実技の中でQ&Aを行い、午後の2時間は、ゲームを通じて審判法実技を学んでいただいた。                          

 ゲーム中のソフトバレーを楽しむ参加者の笑顔を見て、やっぱりスポーツはいいな、と感じた。Sportsの語源は中世フランス語のdesportとも言われている。port(港)から離れること、とは日常生活のある陸地からいったん離れて気晴らし、遊びの非日常の大海に港から出港することである。非日常のスポーツを経験することで日常が活性化されるということになる。これは、絵や音楽などの文化と同じことである。                                                          

 (画像は、アップで8対8のゲームをボール2個使ってやっているところ。これを行うことで、視野が広がり、声も自然と出てくる。ボールだけ見ていては、状況判断はできない。お奨めのアップ・トレーニングである)

2011年4月1日金曜日

4/1(金) さあ、4月、新年度のスタートだ

 4月1日はエイプリル・フール(April fool)ともいう。イギリスが発祥で、日本には江戸時代に中国を経由して伝わってきたという。日本語では「四月馬鹿」と言われる。「嘘をついてもよい日」となっている。そうであるならば、今回の天災は、嘘でした、みんな夢の中の出来事でしたよ、とならないものかな。毎朝、目覚めると、周りを見渡して現実に返る。夢でなかった・・・。                         テレビや新聞を見聞きして、気になる言葉がある。「がんばれ日本」「がんばれ東北」という励ましの表現が気になる。なんで、命令口調なんだろう。他人事のような口調なんだろう。被災を受けた地域が、自分の生まれ育った故郷であったなら、そんな言葉は出てこない。腹の底から出てくる言葉は、同じ仲間としての「がんばろう日本」「がんばろう東北」になる。                                                          明日の朝、茨城県結城市に行く。結城市を中心にソフトバレーを熱心に普及活動に従事している望月さんから声がかかり、ソフトバレー審判伝達講習会を開催する。市立体育館は、避難者指定所になっているので使用できない。しかし、協力者はいるもので、地元の県立高等学校の体育館を借りることができた。被災後、今までスポーツイベント関係をほとんど中止にしてきた。しかし、そろそろ元気な地域はスポーツ活動を再開した方がよいと考える。被災者の気持ちに寄り添って、いままで活動を自粛してきた。しかし、自粛もこのあたりで手足の縄をほどき、活動できるところはできる範囲で活動を再開し始めたらどうであろう。過度の自粛は気持の委縮になる。元気な人が多くなることが被災地、被災者への支援を続けることにつながると考える。日常生活に一日毎に、一人一人戻っていこう。そうしないと、東日本の経済も回っていかない。スポーツを日常生活に取り戻そう。