2014年11月30日日曜日

29,Nov.2014 慌てず、腐らず、焦らず・・・

解らない、できない、といことはなんら恥ではない。

解らないままにしておくことが良くない。できないままにしておくことが良くない。一番良い対策は、解っている人に聞くことである。できている人に教えてもらうことである。それが無理ならば、次善策を練って、とにかく前に進むことである。

失敗も成果である。

勿論、組織によっては一度の失敗で「あいつはダメだ」と烙印を押される場合もある。特に利益追求型の会社組織は、小さな組織ほど即戦力を求める。成果なんて悠長なことよりも結果を優先する。人を育成するだけの時間と金がない。

スポーツの場合も、特にプロの場合は結果が優先される。育成も同時に進めているような余裕のあるチームは少ない。

私が、ここカンボジアで求められているのは、結果と育成の両方である。

しかし、こちらに住んで、半年近くになって、更に求められているもう一つの事に気が付いた。その事に関して、カンボジアバレーボール連盟自身は気付いていない。

28,Nov.2014 カンボジアでカンニング禁止令が出た

When you cheat on the examination, you will receive 0 points of evaluations

最近、週3回、夜に英語専門学校に通っている。今夜は、今学期のまとめとしてのテストがあった。これに合格すれば、次のレベルのクラスに進級できる。

英国人の教師が、前方の白板に、何か書き始めた。”cheat”の意味が解らなかったので、教師に質問した。意味は「カンニング」ということであった。全体の意味は「カンニングした場合、試験の成績は0点です」。

驚いたことに、カンボジアでは昨年まで、高校卒業資格試験でカンニングが堂々とまかり通っていた。さすがに青年・教育・スポーツ省もこれではいかんと思い、今年からの試験ではカンニングペーパーの持ち込みを厳重に検査した。結果、合格者は20%と激減した。慌てた教育庁は追試で不合格者を救おうとした。不合格になった場合、もう1年間、学校に通わなければならない。それは親にとって大変な負担である。不合格になったら退学する生徒も多いと聞いた。

そして、追試の結果、合格者は合計50%近くになった。それでもこの数字では、多くの不合格者を出すことになった、ということだ。大学や専門学校への進学率も下降することであろう。

子供たちの方だけに、責任があるとは思えない。いままで、カンニングを容認してきた教育界に最も責任があると思う。

カンニングは、答えを写すだけの卑しい行為である。それでは「考える力」は育たない。教育とは、答えを導く過程にこそ価値がある。数多く間違うことで、答に辿り着ける。

なお、カンニングは和製英語である。カンニングの意味は「ずるい」「ずる賢い」というもともとの意味であるが、明治時代に、試験での不正な行為を「カンニング」と名付けたということである。

2014年11月27日木曜日

27,Nov.2014 選手第一に考えたら、ここまで悪化しなかったはず

昨日、深夜に悪いニュースが飛び込んできた。国際バスケットボール連盟が日本バスケット界に重い処分を下した。落胆したと同時に、ナショナルチームの選手や草の根でバスケを楽しんでいる人たちの無念さを共有した。

国際バスケットボール連盟からの具体的な処分としては、来年度、アジアで開催されるリオ・オリンピック予選会への出場停止を言い渡されたのである。つまり、2016年リオ・オリンピック出場の機会を失うことになるわけである。試合で敗北したわけでもない。ナショナルチームの不祥事があったわけではない。支えるべきはずの連盟組織のふがいなさから生じた結果である。

これを契機に、速やかに所轄の文科省、JOCも動くであろう。連盟が自助努力できなければ、それもやむを得ないであろう。 

事ここに至っては、選手達も動かざるを得ないであろう。日本バスケットボール界最大の危機と言いってよい。この危機を乗り越えて改革を推し進めて行ってほしい。日本バスケットボール界は日本バレーボール界以上の登録人数 (2012年度登録数で言うと、バスケットボールは615,458名、我がバレーボールは395,730名、ちなみにサッカーは927,671名) を抱えている。数はパワーだ。私は、日本バスケット界の良識を信じている。 


国際バスケットボール連盟からの処分決定に関しては、今朝の朝日新聞から引用して紹介する。

『日本バスケットボール協会が、国際バスケットボール連盟(FIBA)から無期限の資格停止処分を科された。内輪もめに終始し、FIBAとの意思疎通を怠ったツケが回ってきたと言える。
 11月中旬、NBLとbjリーグの統一について話し合ってきた組織委員会のメンバーの一人がつぶやいた。「FIBAが具体的にどういうかたちの統一を求めているのか協会に聞いても、分からない。現地へ行って確認するなどやれることはあるはずなのに」。組織委がスタートしたのは今年7月。3カ月以上、FIBAの真意を測りかねたままの議論が繰り返され、改革案の提出期限とされた10月末に間に合わなかった。
 「FIBAとのパイプを持った人間は、いまの協会に誰もいない」と元理事は話す。きっかけは06年に日本で開かれた世界選手権で出た約13億円の赤字だ。執行部の責任を巡って内部対立が起き、権力争いも加わって役員人事が進まなくなった。日本オリンピック委員会から無期限の資格停止処分を受ける事態に。08年、理事の半数以上が入れ替わることでようやく処分が解除されたものの、事務方のスタッフも大半が入れ替わり、FIBAと密接に連絡を取れる人物がいなくなってしまった。』

2014年11月26日水曜日

26,Nov.2014 ヤシの実ジュース

南国ならではの、自然健康飲料がある。

カンボジアだけでなく、東南アジア諸国では、ほとんどの家の庭に見られる植物はバナナと椰子の木。一度植えたら、そのまま放っておいても育ってしまう、手要らずの植物である。

昨夜のスペシャルメニューが効いたのか、今朝はすこぶる体調が良い。

I feel much beer. おっと、これは間違い(笑)。Beer(ビール)ではなく、better(より良い)であった。

I feel much better than yesterday. (昨日より体調が良いです)

行きつけのCafeでフルーツジュースを飲んだ後、アパートメントに入る前に道端に移動式椰子の実ジュースを販売しているおじさんがいたので1つ購入した。椰子とはココナッツである。このおじさんの販売の仕方は工夫されていて、分厚い椰子の表皮をナタで剥いた白い実を簡易冷蔵庫(おおきな氷を普通の木箱の中に入れたもの)に数個入れて冷やしてある。冷やしたほうがおいしいからだ。

実をそのまま持って行ってもよいが、ごみになるだけなので、中身だけ袋に入れてもらった。実の内側に付いているココナッツミルクも削いで袋の中に入れてもらった。おお・・・なんかカンボジア人みたいだ。

すぐ脇にいた現地の中学生らしき4人の子供たちも「この外国人は只者ではないぞ」というような目つきで私の買い物行動を見ていた。私が現地語しか話せないおじさんの請求するお金を間違いなく支払うと、子供たちは「おお・・・カンボジアの数字を理解しているぞ」というような感嘆の声を小さくあげて全員がにっこりと微笑んだ。日本円で40円ぐらい。

この椰子の実ジュースは、歌手のマドンナも愛飲しているという。彼女の場合は、若い椰子の実のジュースということである。新鮮なのは少し高い。

中年の域に入ったマドンナが眼を付けたのは、椰子の実ジュースの成分である。椰子の実は、カリウム、ナトリウム、カルシウム、リンなどのミネラルを豊富に含んでいる。味は、日本で販売されているポカリスエットに似ている。
(白くクラゲのように浮かんでいるのが、実の内側にあるココナッツミルク。おじさんがヘラでそぎ落としてくれたものだ。量はこのコップで3杯分ある)

シャワーの後に、冷蔵庫で更に冷やした椰子の実ジュースを飲むと体の芯から元気が出てくる。

25,Nov.2014 I have a little bit of headache.

症状は、あまり変わらない。のどの痛みは薄らいだが、今度は頭の右半分に鈍い痛みがある。

きょうは、一日中ベッドにいた。

夕方になって、料理療法に取り組んだ。

まずは、こちらでもNHKのTVが放映されているので、日本の歌謡コンサートを聞きながら食事をとった。勿論、自炊である。心をゆったりとさせるためには、私には日本の昭和演歌やポップスが一番である。

発汗をよくするために、私の好物のカレーライスを作った。材料は、玉ねぎ、鶏肉のハム、ルーは日本のSB社のカレールー(近くの小さなマーケットで売っていた)。ジャガイモと人参は冷蔵庫に
になかった。

食前酒は、こちらで購入した福島県二本松市酒造の日本酒。つまみは、カツオ風味のゴボウの漬物。日本酒は、同じアパートに住んでいる方がお酒の輸入をやられている方で、この方に注文したらゴボウの漬物をサービスで頂いたもの。

ビタミンCが必要なので冷蔵庫に入っているザボン、ネーブル、バナナを食べるようにした。

食後、少し体が軽くなってきたようだ。

明日は、完治していることを期待して、早めにベッドに入った。

24,Nov.2014 I have a sore throat.

カンボジアは、花粉症はないし、いいところだ。確かにスギ花粉はないが・・・。

私は、アレルギー症持ちだ。5年前の春の訪れの時に、あまりに花粉症の症状が激しいので船橋市内の耳鼻咽喉科に行って検査してもらったほどだ。花粉症というのは、ティッシュ一箱がすぐ無くなるほど鼻をかむだけではなく、目もショボショボして時には目が充血したり、更には、これが一番困るのであるが頭がどんよりと重くなる。

そして、カンボジアに来て・・・おお・・・花粉症がない・・・ではないか。と思いきや、やはりアレルギー症持ちの私である。今回、何らかの原因で喉が痛くなり、それから頭が少し重くなってきた。

重篤にしてはいけない。早速治療にかかった。といっても、まだ歯医者以外こちらで掛かりつけの医者は見つけていない。2ケ月に数日間だけプノンペンに見える整形外科医の岩崎ドクターは、まだ日本だ。

そこで、まず友人の青年海外協力隊の隊員に喉薬(ドロップ)を持ってきてもらった。そのドロップをペロペロ舐め、水を沢山飲み、寝るときにはマスクをした。

これでどうであろうか? 

 

2014年11月23日日曜日

23,Nov.2014 春高バレー福島県女子代表に磐城第一高校

春高バレー、福島県女子代表が決まった。

【女子決勝】
磐城第一 - 郡山女大付 3 - 1 (25-21, 25-15, 24-26, 25-21)
※磐城第一は初

磐城第一の監督の菊池先生は、以前男子バレー部監督で春高バレーに出場している。男女のバレーを指導して全国大会に出場させる指導者は珍しい。

菊池先生とは、6年前に茨城県立日立女子二高を会場にしての練習試合で知り合った。私はその当時、山梨県内の女子バレー部のアドバイザーとしてチームを指導していた。当時の先生のチームは福島県内でベスト4レベルであった。山梨県のチームは、全国常連のチームであった。練習試合では山梨県のチームに1セットも取れなかった。時には、山梨県のチームがブロックをしない布陣を敷いたが、それでも先生のチームは1セットも奪えなかった。相当ショックであったと思う。

しかし、そのことが、逆に先生を燃え立たせたのであろう。なんで勝てないんだ?その当時すでにベテランの指導者であった先生は、なりふり構わず私に問うてきた。

その後、先生と私の付き合いが始まった。いわき市バレーボール協会主催のバレー教室に講師で招待されたこともあった。先生の母校の東海大学出身者が指導者のチームが全国から集まってのの強化大会には私も特別コーチでチームと一緒に出場した。その時に初優勝した。それからチーム力は徐々に上がって行った。東北大会でも2番手まで実力をつけて行った。

そして、2011年のあの震災で、チームは沈んだ。部員の家屋が破壊されたり、部員の親戚を亡くしたり、練習どころではなかった。練習会場も避難者に提供したので練習する場もなくなった。県大会でベスト8にも入れなくなった。それでも、先生は「女子バレーでも全国大会に行くんだ」とあきらめなかった。

今年で60歳になる。春高バレーの会場で再会するのが今から楽しみだ。

21,Nov.2014 さあ...プノンペンに帰るぞ

本日の夕方にBangkok(バンコク)からPhnom Penh(プノンペン)に帰ってきた。
(今回のセミナーの修了証。来年度は、タイランド協会としては「レシーブ」のセミナーを開催する予定という。1年に1回はリフレッシュのためにもこのようなセミナーに出席してみたい。来年度は、更にFIVB公認コーチレベルⅢの受講も考えている。そしてFIVB公認インストラクターの道を歩んで行きたい)

1人で行動していると、色々なことを経験する。人に依頼してやって頂いていたら経験できないことは多い。

今回、Thailand(タイランド)に飛ぶ前に、Phnom PenhにあるThailand 大使館に行った。Visa(ビザ:入国許可証;査証)の申請のためである。日本人がThailandに30日間以内の滞在する場合には、Visaは不要だと認識していたが、日本からThailandに入国するのではなく、Cambodia(カンボジア)に6ヵ月間住んでいる日本人が入国するであるから、ひょっとしたら必要なのかなと思い大使館に行った。

結論は、あっさりと「あなたの場合は不要です」と言われた。結論は、私の場合には、まあそれでよいのであるが、この国の一般の人にとっては、Visaを取得するのには、まる1日かかる作業であることが大使館に行ってみてわかった。受付時間もきちんと守られていない。訪問する前に昼ごろに電話をして受付時間帯を確認しようとしても誰も電話口に出てくれない、留守電も出ない。
(タイ空港内の受付カウンターに行く前に昼食を採った。新宿でよく見かけたトンカツ屋さんがあったので、カツカレーを注文した。おお...日本の味だ)


自分で経験してみないと本当にわからないことが多い。今度はThailandの空港から飛行機に乗る直前に新たな経験をした。往復の飛行機はThailand Volleyball 協会のスポンサーである航空会社を利用した。Thailandへの行きでは荷物を預けなかった。帰りでは、荷物を預けた。小さなキャリーバックである。

いざ、搭乗という時間になって、搭乗カウンターのところまで来たら小荷物代(14kgで3千円ほど)を要求された。それも支払いはThaiの通貨であるバーツでの支払いという。出発まで5分。慌てて片道10分かけて両替所に行きUS㌦とThaiバーツを交換した。

搭乗カウンターまで来て支払いを済ませたら、そこでやっと小さな搭乗券を発行された。ここで全て合点した。最初の受付カウンターで搭乗券を確認しなかった私の不注意もあるが、荷物を預けるのに、それも重量オーバーではない、キャリーバッグ1個でも預かり料を取られることは初めての経験である。

これも経験である。搭乗した飛行機には、機内サービスもなく、狭い席で脚も組めない。次回からは別の航空会社にしようとその時、心に決めた。そして、航空券を購入する前に手荷物を無料で預けることができるのか、機内サービスはあるのか、しっかりと確認しよう。

私のチームのほとんどの選手達は、まだ飛行機に乗ったことはないと思う。平均身長186cmの男たちが、長い脚を折りたたんで機内の狭くて小さな椅子に座っている拷問のような光景を空想したら思わず微笑んでしまった。

「2,3時間以内で東南アジアのどこの国にも行けるのだから、少しの間、辛抱せい」というしかない
なあ。日本に連れて行く日は、日本の飛行機会社のゆったりとした席のある飛行機に乗せてやりたいなあ。
(私の宿泊していたホテルは、廻りにスポーツ施設が多く、この時期は、スポーツ合宿のような感じで多くのスポーツ・チームが宿泊している。私と入れ替わりに丁度2階建ての大型バスが到着した)

チームの海外遠征はいつになるのであろう。決まったとしても移動手段は普段乗っている小さなぎゅうぎゅう詰めのマイクロバスだろうなあ・・・。タイのホテルでみかけたThailand国内のどこかの普通のサッカークラブチームが乗っていたような大型バスで移動できるような環境を、まずは作りたい・・・。  

2014年11月21日金曜日

20,Nov.2014 FIVB Technical Seminar "SETTING" 修了

本日で、5日間のFIVB国際バレーボール連盟主催の技術講座「セッター育成」が修了した。

このセミナーには、修了試験がない。その代り、毎日の出席状況、遅刻、受講態度に関して主催者側から厳しくチェックされている。セミナー開始当初、タイ人の受講者の中には、遅刻して来る者、用事でどこかに外出してから来る者、休む者、講義中に携帯をいじっている者、寝ている者もいた。

遅れて来ても、交通事情とか、急な病気とかある。その理由を言えば良いのであるが、言わないのが習慣なのか、当たり前のようだ。遅刻してきても、謝らない、理由を言わない、用事があっても事前に伝えない、というところがある。その点は、カンボジア人も同じである。

講師のDr.ジャロッタは、大学の教員でもある。この点に関しては、彼は、初日にピシャッと注意した。さすがである。いや・・・教師であれば、当たり前か。彼は、ソフトに、しかし厳しく注意する。2日目からは、遅刻する者、携帯をいじっている者はいなくなった。

理由を述べて注意すれば、彼らは理解できる。時間を守ること、事前・途中・事後の連絡というコミュニケーションの必要性、整理(ボールはボール籠に入れておく)・整頓・清潔の保持、安全性への配慮など、なぜこのようなことを守る必要性があるのかを説明すれば、彼ら東南アジアの人達は理解してくれる。

カンボジアナショナルチームの最初の合宿でも、注意したのは時間の厳守。9:00練習スタートということは、9:00には練習をすぐ始められる体制にしていることであり、9:00に練習会場に着く時間ではないよ、ということを指導した。

おっと、話がそれてしまった。
(今回のモデルは、タイランドで合宿中のベトナムからやって来た男女クラブチームにお手伝いして頂いた。
男女チームと受講者が一緒に記念撮影)

午後にグループ発表があり、5:00からは報道関係者も集まり、Closing Ceremonyが始まった。

(タイランド・バレーボール協会の会長から受講者一人一人に修了証が手渡されて記念写真)

日本では、修了証授与する時に、一般的であるが、時間の節約もあり、代表者に授与して終える。
こちらでは、主催者が一人一人に授与し、その都度記念撮影する。時間はかかるが、なかなか良いシステムである。

修了式を終え、海外から来た受講者たちは、それぞれショッピングなどに出かけた。私もイスラム街散策など誘われたが、ここのところ寝不足が続いたので、ホテルで休むことにした。
(バンコク市内にはセブンイレブンはじめ日本のコンビニが多い)

夕食は、近くのセブンイレブンで買ってきた。物価は安く、全部で100バーツ(320円)で済んだ。その後、ホテルの近くにあるタイ式マッサージ店に行った。フットマッサージ(1時間600円)は、気持ちよくウトウトした。ついでに、肩と背中(これも1時間600円)もやってもらった。しかし、これが、間違いであった。マッサージのお姉さんの秘技には、思わず悲鳴をあげそうになった。

その秘技とは、肘で筋肉の間をグリグリするマッサージである。これは、拷問以外の何物でもない。しかし、日本男児は、このような場合でも、にっこり微笑み、じっと耐えねばならない。・・・明日はプノンペンに帰る。プノンペンの行きつけのマッサージ店に行って、「飲み直し」ならぬ「揉み直し」をしよう。

マッサージ店に行って、余計肩が凝ってしまったの巻であった。

2014年11月20日木曜日

19,Nov.2014 Seminar in Bangkok - Day 4

午前中の理論の時間は、若いタイ人コーチたちにはつまらなそうであったが、午後の実技の時間になると元気になっている。

(会場になっている大学の施設の1つであるスポーツ事務所。2階が研修施設、3階にバレーとバスケットの観客付のコートがある。つまり、ここがFIVBタイランドのバレーボール普及センターとなっている。昼食と夕食もここでケータリングで採っている)
(玄関にある、現在の催し物のお知らせ)



(上肢の指、手首、肘だけを使ってのセッターの特別練習)


(ライト方向にも上げる。この時、ボールを捉える位置に注意。右目、右肩、右腰の一直線上でボールを捉えることが大事。そのことで、体の面はレフト(#4)を向いているものの、相手のブロッカーが味方レフトの正面に移動したら、すかさず右肩上からライト方向にセットする。
 
夜には、タイランド協会が、ウエルカムパーティを開いてくれた。協会会長、専務理事も同席し、専務理事自らまずタイの歌を数曲披露。拍手すると、またもう1曲と、ご本人はサービスのつもりで結局オープニングから5曲歌い続けた。


私も、日本人として負けてはいられない。日本の歌を「骨まで愛して」「はなみずき」と歌っていった。いつも私と行動を一緒にしているオマーンとモルディブから来た受講者にはダンサーを無理やり務めさせた。
(パーティ会場の玄関前には像のレプリカが置かれていた。牙だけは本物であった。いわゆる象牙である。最近この牙の売買のために像が密猟者に乱獲されているようだ)
 

(私の右側がモルディブ人。数年前に日本の国際交流基金から派遣された大阪市立大学の南先生は素晴らしいコーチだったとしきりに称賛していた。左側がオマーン人。高校の教員だが王族の出身のようださらに左側が日本の大学教員の内田さん。10年前から毎年のように講習会に参加している。タイランド協会とはツーカーの関係である。タイ語も結構しゃべれる。このような人が日本のバレー界では貴重な存在である。世界は広い。知らないことの方が多い)
タイバレーボール協会は、学習時間とリラックスする時間を上手く組み合わせて、トータルとしてこれがセミナーということなのであろう。また、オープニングセレモニー、ウエルカムパーティに会長、専務理事が出席するということは、この国では会場が首都ということもあり、当たり前のことなのであろうが、海外から受講に来ている人たちには好印象を持たれる。日本でFIVB主催のコーチ養成講習会をここ4年間で2つほど開催したが、会長や専務理事(事務局長)が出席することはなかった。タイバレーボール協会に見習う点であろう。




2014年11月19日水曜日

18,Nov.2014 Seminar in Bangkok - Day 3

今の自分が最高ではない。更に高みに行ける。

受講者の平均年齢は、30歳前後である。海外から参加した受講者(モルディブ、オマーン、台湾、ベトナム)は、ナショナルチームの監督、自国のプロチームの監督などを経てきているので、年齢も40歳代が多い。私は、いつものように最高齢である。

日本でもそうだが、50歳あたりを過ぎると、セミナーやワークショップ(研修会)などに参加する人は少ない。実は、この年代から、ますます指導技術に磨きがかかってくるものと私は思っている。経験と知識は、今が最高ではない。これからが最高になっていく。今が、最高、完璧と思ったら、そこでその人の能力は停滞する。私は、そう思っている。
(セミナーの会場は、タイランドで以前アジア大会が開催された地域の中にある。
この地域はスポーツ・文化・学園都市という雰囲気を持っている。広大な敷地にタイランド最高学府の大学の施設も点在している。セミナー会場にある体育館は3階にある。他にもこのような会場が数か所ある。木の床の体育館があるなんて羨ましい。カンボジアには1つしかない。タイランドとカンボジアのスポーツ環境はあまりにも違いすぎる)

芸術家は自分の直近に完成した作品の評価を聞かれて次のように応えるであろう。

「今回の作品が最高傑作とは思わない。次に完成する作品が、私の最高傑作になるでしょう」

創作というのは、その繰り返しなんでしょうね。

スポーツにおいての指導も同じと私は思っている。今が最高ではない。自分はまだまだ成長できる。自分が成長すれば、プレーヤーも成長できる。
(午前中は理論、午後は実技。モデルは、ベトナムのプロクラブチーム。男子と女子のチームで、女子のチーム名はPost Bank。男女とも、ベトナムで1位、2位とのことだ。なんと1か月間バンコクに来て合宿しているとのことであった。食事も宿も安い、気候も温暖。最近は、日本からも高校チームが合宿に来ているとの話であった。確かに寒い日本よりは、こちらに来て、大学生チームと練習試合をしながら合宿するのも良いであろう)

歳だからもういいだろう・・・、ではなく、歳だから今までの経験と知識を生かして更に高みに行くことができる。もっと高いところに行って違う光景をみてみたい。
(講師のDr.ドウサン・ジャロッタ、
54歳。出身はチェコで選手として、ジュニアの監督として活躍し、現在はスイスに住んで大学の教員をしている。私にとって、セッター理論を外国人から聞くのはこれが2人目だ。皆、視点が違っていて面白い)

2014年11月17日月曜日

17,Nov.2014 日本から訃報が届いた

春高バレー東京都予選会が終了したその夜、東亜学園監督の小磯先生が亡くなった。

第3代表の切符を東洋高校と戦い手中にしたその夜のことである。心筋梗塞ということであった。

10数年前にも前監督の馬橋先生を亡くされている。馬橋先生と同年代の50歳前後と思う。

哀しい・・・。

故人のご冥福をお祈りします。

合掌

2014年11月16日日曜日

16,Nov.2014 バンコク 2日目

FIVB国際バレーボール連盟主催のセミナー「セッター育成」の初日が始まった。
(タイランドバレーボール協会の会長、専務理事、FIVBの理事とアジア連盟の理事でもあるシャンリット氏、そして講師。シャンリット氏からは、現在の東南アジア、そしてアジアの置かれている現状が切々と語られた。気のせいか、私の方を見てお話しているようでもあった。)

講師はチェコ人の大学の教授。ジュニアチームでウイングアタッカー(サイドスパイカー)で活躍して後、セッターに転向した、と本人が述べていた。
(受講者の記念写真。前列が海外からの受講者。台湾、モルディブ、オマーンから各1名、ベトナム3名そして日本というかカンボジアからというか私の計7名に開催地のタイランドから11名の総計18名の受講者)

セッターというポジションはリベロやミドルブロッカーと並んで特殊なポジションである。なおかつ、指導が難しい。セッターを経験していなければ、セッターの指導法を語ることは難しいであろう。
(講師のDr.ドウサン。初日の今日は、基本的なことを細かく説明してくれた。理論としては、豊田博先生の理論をコーディネーションの切り口で解説した形である。私は彼の解説を聞いていて、昔私がコーチしていた内容を思い出していた。大事なことは、上手くいかなくなったら、基本に戻ること、ということ。原因は基本をおろそかにしているということにコーチは気付かなければならない。原因は、もっと高度なことができないところにある、と考えることは、それは違うということである)
私がセッター育成法を学んだ最初は、ミドルブロッカー(センタープレイヤー)の人たちからであった。例えば、ミュンヘン金メダリストの西本哲雄さんに食事しながらベストセッターを聞いたことがある。

答えは、同じチームメイトの猫田さんであった。理由は、自分の打ちやすいトスを、それもノーブロックの状態で上げてくれるんだから、最高のセッターですよ、というものであった。西本さんは、更に語った。相手のブロッカーを翻弄するような、つまり英語で言うとfake(フェイク:だます)するようなセッターは、当時たくさんいた。猫田さんは、それもできたかもしれないが、それよりもスパイカーの好みを知って、常に打ちやすいボールを上げてくれた。理想のセッターは猫田さんです。そう彼は言い切った。

全日本女子で、やはりミドルプレイヤーをやった石田京子さん(知っている人は相当のバレー通でしょうね)にも、ある晩、バレーボール教室をいっしょにやった後に少しお酒を飲ませて語らせた。
理想のセッターは?彼女は答えた。

「理想のセッターは、先輩の松田さんとか江上さんよね。でもね、ちょっとナベさんどこ見ているの?ちゃんと聞いている?」
「はいはい、聞いていますよ~」
「だから、その『聞いていますよ~』って語尾の長いのは何よそれ? 真面目に聞いて!」
「はいはい」
「だから、返事は1回でいいの。ハイ!でいいの!」
「はい、わかりました!はいはい・・・」
「だから・・・いま言ったでしょう?」

まあ、以上のような問答が延々と続いた夜もありました。・・・それで理想のセッターは?

「理想のセッター? セッターが若い時は、私たちベテランのお姉さまミドルスパイカーたちがセッターに合わせてあげたの。若いセッターは私たちを使えないんだから、私たちのほうから彼女が使い易いようにタイミングを合わせてあげたのよ。苦労したわ・・・。でも。その後、彼女も20歳を過ぎてから良いセッターになっていたわね。だからね、ナベさん、聞いてる? セッターを育てたのは私たちMB(センタースパイカー)なのよ。ねえ・・・聞いている?眼が半分閉じかかっているよ~」

まったく、全日本女子の選手は酒にも強い。お酒に強い全日本女子選手の番付けをすると・・・おっと、この話題は、また別の時に・・・。

15,Nov.2014 Bangkok に着いた

夕方のプノンペンからの便でバンコクに以前からあるもう一つの国際空港であるDon Mueang(ドン・ムアン)に着いた。

空港の規模は、さほど大きくなく、通路も500m歩くだけですんなりとタイランドに入国できた。タイランド協会の役員が出迎えに来てくれていた。本人は国際審判員だと言って、日本の下山さん(アジア連盟審判規則委員会主事、JVA国内事業本部長)、FIVB公認インストラクターである足立さんとは知り合いである、と話しかけてきた。

出迎えてくれた車は、ホテルのではなくタイランドFIVB development Center in Thailand  (国際バレーボール連盟タイランド普及・発展センター)からのマイクロバスであった。

乗車員は私一人だけであった。

市内の街並みは、東京の渋谷駅から国道沿いを走っている感覚であった。立体高速道路が頭上にある。街路灯もこうこうと輝いている。プノンペンとは大違いだ。タイランドとカンボジアは国の発展度において大きな差がある。バレーボールで大きな開きがあるのもやむを得ない。

協会役員は、マイクロバスに乗ってから、ずっと私に語りかけている。お蔭でだいたいの番コックバレー界の事情が呑み込めた。本人は国内で一番大きい大学(施設なのか学生数なのか聞かなかったが・・・)の教員でスポーツ体育学を教える傍ら男女のバレーボール部も指導しているとのことであった。

カンボジアにも、大学バレーボール選手権大会というものがあるが、大会直前にチームを組む程度の大会で、レベルもさほど高くない。参加チームの中には、一般のクラブチームから有料の助っ人を借りて出てくるチームもあったり、まだ正式な大学選手権大会とは言えない。

タイランド国内では、今、最上リーグ(日本のプレミアリーグ)が始まったばかりで8チームが戦っている、ということであった。

土曜の夜の渋滞の中、40分かけてホテルに着いた。時間も8時になろうとしていたので、近くのオープン食堂のようなところでその役員と一緒にタイランド名物のトムヤンクンを頂いた。

2014年11月15日土曜日

14,Nov.2014 女性観戦禁止のイラン、国際試合禁止も バレー連盟が方針

先週、このブログで紹介したが、イランにおいてのバレーの試合で、女性の試合観戦が禁じられているどころか実刑判決を言い渡された記事を紹介した。

その後、11月10日付で共同通信を通じて、日本の新聞に以下のように報じられた。私は、FIVB国際バレーボール連盟の方針を支持する。このような状況では、イランはバレーボールの国際大会を開催する権利はない。

解決策はある。しばらくの間、観客席を区分して、レディース・シートを設けることである。女性のスポーツ観戦禁止は宗教上だけの理由ではなく、興奮した男性観客がお互いに暴力を振るう可能性があり、それが女性に危害を及ぼすかも知れないという理由もあると思う。

いずれにしろ、世界では、まだ女性がスポーツすることさえ良く思われていない一部の国がアジア・アラブ・アフリカ・中南米にある。女性は貴重な労働力ということもあり、スポーツをさせている場合ではない、という考えもまだ根強い。

労働の合間の気晴らしに、男にだけでなく女性にも子供たちにもスポーツは必要だ。今回のFIVBの制裁がイランのスポーツ環境を少し変えてくれることを願ってやまない。バレーの試合に国際的に強いだけでなく、観客に思いやりのある国こそが尊敬に値する。

『 国際バレーボール連盟(FIVB)は女性のゲーム観戦を禁じる限り、イランの国際試合主催を禁じる方針を示したことが9日、明らかになった。イタリアのスポーツ紙ガゼッタ・デロ・スポルト(電子版)などが報じた。イランでは6月、テヘランでゲームを観戦しようとした女性のゴンチェ・ガバミさんが拘束され、後に禁錮1年の実刑判決を言い渡された。
 FIVBは世界選手権などの主催大会では制限解除を求めている。同国では女性が競技場などでスポーツ観戦することは多くの場合、イスラム教上の見解で禁止されている。イランは男子がことしの世界選手権で6位に入るなど、アジア屈指の実力を誇る。(共同) 』

2014年11月14日金曜日

13,Nov.2014 明後日からThailandのBangkokに行きます

明後日の15日にPhnom Penh空港からバンコクのドン・ムアン空港に飛びます。

バンコク市にはサバナブミ(Suvarnabhumi)という長~い名前の国際空港がある。私も、この空港を4回ほど乗継で訪れたことがあるが、名前の通り、トランジット(乗り換え)のための通路も長~い。世界最長の通路ではないかと思えるほどだ。

この通路は数キロある。一応。動く歩道なのであるが、電動歩行機に乗ってトレーニングしているようで結構カロリーを消費する。一度、道を間違えると、戻るまで、また時間がかかる。初めて、ここを利用する旅行客などは困るに違いない。

今度、利用するドンムアン(Don Mueang)空港というのは、もともとのタイランド最初の国際空港で、その前身はタイ空軍の空港であった。この空港であれば、さほど大きくもないであろうから、通路で迷うこともないと思う。

バンコクに行く目的は、観光ではない。お仕事で6泊7日滞在する。

明日は、準備で忙しくなる。

12,Nov.2014 APEC, そしてASEAN Sumit

アジアの政治・経済が動いている。

このところ、メディアには連日のようにAPEC(エイペック:Asia-Pacific Economic Cooperation;アジア・太平洋・経済協力)のニュースが流されている。いわゆる、環太平洋地域における多国間経済協力を進めるための非公式なフォーラムのことである。

中国の特別行政区である香港が参加しているため、参加国・地域を指す場合には、「国」ではなく「エコノミー」という語が用いられる。「非公式」となっているのは、「公式」とすると、台湾も参加しているので、台湾を国家として認めてしまうので、そうすると中国が参加しなくなるという、色々複雑な事情があるようだ。

ともあれ、議長国の中国、日本、アメリカ、ロシアという大国がお互いの政治的・経済的な思惑を巡って対する様子を見ていると緊張感が伝わってくる。

そして、今日からはASEAN Summit(アセアン:Association of South‐East Asian Nations)が始まった。、ASEANとは、東南アジア10か国の経済・社会・政治・安全保障・文化に関する地域協力機構である。TV報道を見て驚いたのは、その場にオバマ大統領や日本の安倍首相がおり、ASEAN各国の首脳とまた個別に協議していることである。

国際政治の世界は、誠にダイナミックである。

文化(スポーツ)交流などは、政治・経済・社会・安全保障の後に出てくる協議課題であろう。しかし、文化(スポーツ)の充実していない国は、どこか暗く、堅苦しい印象を受ける。人類が発明した文化(芸術、芸能、学術、文学、音楽、スポーツなど)は、社会の風通しを良くするソフトパワーであると私は思っている。

2014年11月13日木曜日

11,Nov.2014 日本への郵便物を投函した

きょうは、昨日、日本からの小荷物を引出に行った中央郵便局に、今度はカンボジアから日本への郵便物を投函しに行った。

本当に日本に郵便物が着くのであろうか?地方の郵便局から日本に出した手紙やはがき類は、時々届かない場合があるような話も聞いていたので少し不安であった。

昨日と入口は違っていた。小荷物引取所は、正面玄関から少し離れているところであったが、郵便物の投函に関しては正面玄関であった。建物はフランス領時代の建築物である。次回は写真を撮っておこう。

さて、カンボジアの中央郵便局は、どんなところかな?と興味津々で玄関に入って行った。総合案内所があり、そこで国際郵便を出す窓口を聞いて、その窓口(EMS)に向かった。

手紙の中身は私の署名が必要な重要な書類であったので、書留速達にした。郵便料と合わせて総計$20(2千円)であった。私の持参した封筒をビニール製の国際共通のパッケージに入れ、私が記入した送り状をパッケージの表に貼って投函された。

一件落着。

何事も、まず自分でやってみなければわからないものである。これで次回には、誰か一緒に連れて行って、教えてあげて、その次は指示だけ出せば、やり遂げてくれるであろう。
まずは、自分で体験することで、指示も間違いのないものになると思う。

帰り際に、受付の女性と会話を少し交わして、冗談を言って笑顔で玄関を出て、車に乗って郵便局を出てから気づいた。領収書をもらうのを忘れた!


2014年11月11日火曜日

10,Nov.2014 郵便局に国際小荷物を引き取りに行った

日本の千葉県船橋市の郵便局から小荷物を送ってもらった。

私の家内にとっては、初めての海外への送品。5ヶ月前の日本からの送金の時も、地方銀行では取り扱っていないとか、手数料がなんでこんなに高いの?とか、海外との関係を持つのは面倒!
と感じたようだ。特に、お金に関しては、世の女性は敏感だ。

ましてや、複数の銀行を経由していく毎に手数料を取られる。重いものを運んでいる訳でもなく、コンピューターの画面上で操作しているだけで利益を上げていることに納得いかないのであろう。

そして、今度は、小荷物である。

日本で梱包する前に、日本の郵便局で、これは送れません、これもダメですね、と随分と間引きされて、必要最低限の物品だけ送られてきた。歯ブラシが2本入っていた理由は解らないが、まずは我が家内の初めての海外送品が無事成功した。ご苦労様でした。(やれやれ・・・。)

カンボジアでは郵便小荷物はアパートメントまで配達されない。郵便局から連絡があって、
引き取りに行くというのがこちらのシステムらしい。しかし、連絡がない時もある。今回のように。

1975年に私が青年海外協力隊のバレーボール隊員で北アフリカのアラブの国であるチュニジアに派遣された時に日本から小包が届いた。送り主は、以前、私が新宿区内で大学浪人生活を送っていた時に、ママさんバレーボールチームを指導していたのであるが、そのチームのあるママさん選手からであった。

小包を開けてみると、日本の食品やらお菓子がたくさん詰まっていた。目の前の小包が東洋の端の小さな国から、はるばる北アフリカまでたどり着いたかと思うと、一つ一つの食品が愛おしくてなかなか手を付けることはできなかった。



2014年11月9日日曜日

07,Oct.2014 何かが違う

カンボジアに来て、そろそろ6ヶ月になろうとしている。

前に進んではいるが、あまりに遅々とした歩みなので、さほど手ごたえを感じない。砂の上で、全速力で駆けようとしても、前への推進力が砂の中に吸い込まれていくような感じである。走り甲斐があまりない。

そのような時に、どこからか懐かしい声が聞こえてきた。

青年海外協力隊の初代水泳隊員としてカンボジアに派遣された中村昌彦さんのしゃがれ声が聞こえてきた。

カンボジアに青年海外協力隊の第1陣4名が派遣されたのは1966年。この1年前に協力隊は発足したばかりであった。この4名の中に初代水泳隊員の中村昌彦さん(日本大学水泳部出身)がいた。今から48年前のことである。しかし、1970年3月18日の無血クーデターによりロンノル政権が樹立され、国内は混乱に陥り、協力隊員は全員引き上げとなった。

「お~い。元気か? なになに・・・僕が行っていたカンボジアに今、渡邉君がいるのかい? それは、それは奇遇だな。バレーボールの指導で来ているんだって? 結構じゃないか。君の得意分野なんだから遣り甲斐があるだろう。いや・・・ありすぎるか? あっ・・・は、は、は・・・」。

「中村さん・・・笑い事ではないですよ・・・。なんか・・・私は・・・疲れています」

「10年程前だったかな・・・ほら、私の勤務先の協力隊事務局特別業務室というのが新宿の住友ビル内にあった時に、渡邉君が訪ねてきてくれて、帰りがけの夕方に新宿駅の近くで一杯やった時のことを覚えている? あのとき、君は良いことを言っていたよ」

「先輩の記憶に残るような良いことを私が言っていましたか?」

「うむ・・・言っていた。きょうは、その言葉をあんたに返そう」

中村さんは、そう言って、私のお酌するコップ酒をぐいと飲み干して、普段でも大きな目を更に見開いて口を開いた。

「『あわてず、くさらず、あせらず』頭文字を取って『あくあ』・・・ラテン語で『水』という意味だと、あんた言っていたよ。それを、そっくり、あんたに返すよ。まあ、まあ・・・肩の力を抜いて、あんたらしくやって行けばいいんじゃないの? ほら、飲んで、飲んで・・・」

中村先輩は、2年前に亡くなった。まだ70歳代半ばだったはずだ。

中村さんの声がすーっと引いて行った後にパソコンでカンボジアにおける青年海外協力隊の歴史を調べた。今までも何回となく調べたのであるが、スポーツ関係の資料は見つからなかった。ところが、きょうは、なんと中村さんの派遣時代の写真が出てきた。驚いた・・・。
(後列中央に中村さんの笑顔が見える。プノンペンから車で6時間のところにある中核市バッタンバンでの水泳指導のときの1枚だ。プールなんかなかったから川で指導していたのでしょうね。写真の中の子供たちは、今60歳代になっているはず。しかし、1970年からの内戦で生存者はほとんどいないと思う。こんどバッタンバンに行ったら中村さんの教え子たちを訪ねてみよう)
 

 

2014年11月7日金曜日

06,Nov.2014 Water Festival (水祭り)- day2(二日目)

昨夜の花火大会は、自宅のアパートメントの屋上で観た。

花火の打ち上げられている近くで見れば、もっと楽しいのであろうが、私はもともと人混みがあまり好きではないたち(性質)なので、遠くから見物して楽しむことにした。

風がそよそよと流れて涼しい屋上から見るカンボジアの花火も風流である。日本各地で見た花火大会を思い出した。日本の花火大会で一番楽しかったのは、私の二人の娘たちがまだ幼かった頃に家族で見た花火大会である。

花火大会には子供たちの驚きの声が良く似合う。夜空に打ち上げられた花火がサーッと大輪を広げ、暫くしてからドン!とお腹に響くように鳴る。その音に合わせて「わあ~」「キャ~」という子供たちの甲高い声が響き渡るのが良い。

4年ぶりに再開されたWater Festivalであるが、プノンペン市に見物に見えた人の数はどれ程であったのか新聞で確認してみた。当局の発表では例年約200万人が地方からプノンペンに押し寄せていたということであるが、今年は約30万人ほど少ない、ということであった。

2014年11月6日木曜日

05,Nov.2014 Water Festival が開幕

カンボジアでは、正月に次いで国民的なお祭りであるWater Festival(水祭り)が開幕した。

この水祭りは、カンボジアの首都プノンペン市とアンコールワット遺跡のあることで有名なシェムリアップ市の2つの市で11月に行われる、雨期明けを祝う祭りである。

祭りを盛り上げる王宮前でのボートレースは、16世紀のカンボジア王国時代に水軍の勢力誇示のために行なわれたボートレースを起源とする説など諸説がある。

開催は4年振りである。実は2010年のときに大勢の観客が橋の上にも押しかけ、300名以上の見物人が不幸にして折り重なるようにして圧死した。
  

この3年間、主催者の行政側は、「水祭り」開催を取りやめてきた。

お祭りは、本日から3日間、開催される。初日の今日は、恒例のボートレースで幕を切って落とされた。会場は、メコン川に通ずるトンレサップ川である。4年前参加のボート数は440隻であったが、今年は245隻と激減した。

理由は、ボートレース開催の告知が1か月前であり、練習など準備ができなかったこと。もう一つは、前回の事故の影響で、人々にはまだ不安があり、出場を見合わせたチームが多かったことである。

実際、昨日の観客数は極端に少なかったようで、出店などの売り上げは例年の半分以下と新聞で報じられていた。

主催者である行政側は、安全に細心の注意を払い、警官の数も増やした。特別手当(bonus)も1日につき5㌦付けた。確かにメインストリートには普段よりも警官の数が多い。見回りには一部軍隊も協力している。

この3日間、いや火曜日から金曜日まで4日間、スポーツの行事も、練習も一切ない。おかげで、私は自宅の近くのCaféで連日、このブログを打っているという訳である。

アパートメントに戻って、部屋の中に入ると、管理人が置いて行ったものと思しき「カンボジア風バナナちまき」が置いてあった。正月やお盆などお祭りには欠かせないカンボジアのお菓子である。材料は、もち米にココナッツミルク、バナナ、白糖の代わりのヤシ砂糖、これらをバナナの葉で包んで蒸し焼きにする。

どこからかお坊さんたちの読経の声が聞こえてきた。ここも、仏教の国なのだ。


2014年11月5日水曜日

04,Nov.2014 日本バスケット界はどこに行く・・・

最近、日本の新聞紙上スポーツ欄をにぎわしているのはバスケットボール界の話題である。

FIBA(国際バスケットボール連盟)がJBA(日本バスケットボール協会)に対して、日本国内にあるNBLとbjリーグの2つのリーグ組織の統一に関しての課題達成を求めてきた。それができなければ今後の国際大会に出場はできない旨の制裁を科すと通達された。

その制裁が実際に発動されれば、来年から始まるリオ・オリンピックのアジア予選に日本男女は出場できなくなる。これは、大変な事態である。

ことは、2つのリーグ統一だけではなく、核心は日本バスケット協会という組織自体に突き付けられた課題のようである。

我々バレーボール関係者は、これを他の組織の騒動と捉えることではなく、自分たちにも当てはめて考えることが肝要と思う。

FIBAは、例えば今後のワールドカップなどのメジャーな大会の出場国の中に開催国を入れるようなことは考えていない。あくまで世界のトップチームだけの大会を企画している。各大陸代表と世界最終代表の選りすぐれたチームだけの試合を観客に見せようとしている。

オリンピックも例外ではない。2020年開催の東京オリンピックでは、堂々とアジア代表としての出場を目指して欲しい。そのためには、現状の2リーグある体制を解消して1つにまとめることで、真に強いナショナルチームの強化もできる。そんな意図がFIBAにあるのかもしれない。

2014年11月3日月曜日

03,Nov.2014 強いだけでは尊敬されない

バレーボールが世界のスポーツになるにはまだまだ時間がかかるようだ。

220ヵ国が国際バレーボール連盟に登録している。国連加盟国は、現在193ヵ国であるから、バレーボールは多くの国に普及していると言える。

しかし、昨日の時事通信から出た下の記事のようでは、スポーツはまだ全ての国において誰でも享受できるものになっていない、と言える。

ここカンボジアでは、女性の観客はまだまだ少ないが、女性がバレーボールの試合を観戦することは全く問題ない。女性のスポーツが盛んになれば、更に女性観客は増加するであろう。

日本でもサッカーの試合で人種差別的な横断幕が心無い一部のサポーターによって掲げられ、残念な思いをしたことは記憶に新しい。

男性も女性も大人も子供も一緒になって観戦できる豊かな社会が必要だ。

【テヘランAFP=時事】バレーボールの試合を観戦しようとして、6月にテヘランで身柄を拘束された英国系イラン人の女性が禁錮1年の実刑判決を受けた。弁護士が2日明らかにした。判決理由は不明だが、イラン当局は「バレーボールの試合とは無関係の保安上の理由」としている。
 実刑判決を受けたのはゴンチェ・ガバミさん(25)。試合が行われたスタジアムで、女性はジャーナリストも含めて観戦できないとの告知があった後に身柄を拘束され、4カ月以上を刑務所で過ごした。警察当局は拘束時、男女が共にスポーツ観戦することは「公共の利益に反する」と説明していた。
 イランでは、男性客の下品な行為から保護するためとして、女性がサッカー観戦することも禁止されている。
(2014/11/02-22:57)

02,Nov.2014 Week-endは、自宅で

久しぶりの週末のお休みであった。

自宅のアパートメントに閉じこもって、英語の勉強とチームの今後の計画を練っていた。

英語の学習は、指導の時の英語よりもスポーツビジネスやスポーツ組織アドミニストレーション(運営)のための英語の学習に重点が移ってきた。日本語でも同じだが、ビジネスにはビジネスに相応しい言葉や言い回しがある。

例えば、「計画」には、Planだけでなく、英語には他の多くの単語がある。

plan(一般的な計画),  program(目的が明確な計画),  design(入念な計画), project(試みに立案された計画), scheme(体系立った公的な計画)...といった具合である。言葉が発想を生むというのもある。また、どの言葉を使うかで相手の信用度も変わってくる。

そういうことで、そろそろ英語類語辞典が必要になってきた。プノンペン市内の本屋さんで売っているかどうか、明日探しに行ってみよう。

価格は50㌦はするだろうな・・・。これも先行投資。

私のカミさんに言わせると「あなたの先行投資は、リターンがいつあるかわからない先行き不透明型先行投資ね」と言うことのようである。まあ...しかし、英語類語辞典を引いているとボケない効果があることは先輩たちを見ていても確かである。私がボケて医療機関にお世話になって出費するよりは、類語辞典を引いて縁側でコックリコックリ無事健康体で呑気に生存して年金を頂いている方が、彼女にとってはるかに投資効果が大きいと思うのであるが、どうであろう。

2014年11月2日日曜日

01,Nov.2014 Cambodian wedding receptionに招待された

カンボジアの結婚披露宴に招待された。初めてのことである。

異国の結婚式というのは実に興味深い。とりあえず、インターネットでカンボジア式結婚式(wedeing party)でのマナーに関する最小限の知識を仕入れて出かけて行った。懐には、お祝金も入れた。

私のアパートメントまで出迎えに来てくれたのは、ナショナルチームのアシスタントコーチのヒムである。彼も今年で34歳、そろそろ身を固めてもよそうな年頃である。車はチームで使っているミニバンであった。

助手席に華やかなドレスで身を包んだ妙齢の女性が座っている。どうも、彼の婚約者らしい。カンボジア語でちょっと彼女に聞いてみた。住んでいるのはヒムのチームの近くだという。なるほど・・・。事務所で働いているようだ。私の怪しげなカンボジア語でも何とか通じている。

アパートメントから15分ほどして結婚式場に着いた。
(途中には小さな遊園地がある)

(平屋で大きなホールが「コピッチ・シアター」という展示場。ここを4つに区切って結婚式や各種イベントを行っている)
今年の5月にオープンした日本のイオンショッピングモールのすぐ近くに結婚式場はあった。正式な地名は「ダイヤモンド・アイランド」と呼ばれる新興開発地域である。

(途中にあるホテル。「ナーガ・ホテル」というカジノもあるホテルである。玄関を入ると、すぐポーカーやルーレットなどのカジノ場だ。タイランドからの観光客も多い)
 
 アイルランドなので、そこは島である。島には橋で渡る。トンレサップ川とメコン川のちょうど合流地点にある島で、まずは結婚式場やホテル、レストランが営業を開始している。更には商業タワー、高級住宅街が建設中である。一見すると東洋のパリのような光景が広大な島全体に広がっている。

(日本で言えば、高級住宅街のある田園調布ですかね)
 
プノンペン市内のひしめき合った商店街とは趣が全く違う。最近では、若いカップルのデートコースになっているらしい。

さて、結婚式であるが、招待状には、4:30からと明記されているが、主な参列者は、夕方6:00からの結婚披露宴を目指して集まってくるようだ。要は、食事がお目当てなのである。

会場には、700人が座れるテーブル席が準備されている。6:00スタート時は写真のようにテーブルは、まだ1割ほどしか埋まっていなかったが、30分後には満席になった。



食事は、伝統的なクメール料理のフルコースである。飲み物は、輸入品の缶ビールもあるが、
輸入品のウイスキー(バレンタイン)が人気がある。まず、ウイスキーをグラスに注ぐ、次に炭酸で割る。そこに氷係りがすかさず氷を入れる。私の隣に座った警察関係者は、氷を入れてもらうたびに、酔いも手伝ってか5㌦紙幣のチップをバンバン渡す。随分とキップが良い。従って、彼の周りには常に氷係りが付従うようになる。

とにかく、すぐ「乾杯!」が始まる。話好きの国民性なので、次第に立って話すようになる。立つのに疲れてくると、座る。食べているか、話しているか、一時も黙っていない。

新郎新婦は、お色直しに忙しい。参列者は、あまり新郎新婦に関心がない様子で、とにかく食べて、飲んで、この一夜を楽しんでいる。ステージでは歌手が延々と歌っている。宴が始まって2時間してダンスタイムの時間である。ジルバやチャチャチャが人気である。

参列者の服装であるが、日本のように黒服ではない。男性たちは、中にはカンボジア名産のシルクのシャツを着てくる人もいるが、ほとんどは清潔な長袖シャツを着て出席している。女性たちは、対照的に華やかなドレスを身にまとっている。画像に撮ろうと思ったら、バッテリーが切れていた。

参考に、こちらの人気女優さんの画像を載せておこう。




 
 


2014年11月1日土曜日

31,Oct,2014 春高バレーのシーズン到来

きょう、千葉県の高校女子チームの監督さんからLINEで連絡が来ました。

全国大会常連チームの監督さんです。ライバルチームも全国常連チームです。インターハイは2チーム行けても、春高バレーは1チームだけです。千葉県は今月の7日、8日が決戦日ということです。

高校生のチームは大きく3年毎にチームが変わります。それは、子供たちが入学して卒業していくサイクルがあるからです。従って、ライバルチームに有望新人が入学して活躍しても3年後には入れ替わります。その時がチャンピオンチームにとっても、チャレンジチームにとっても大きな転換期です。

春高バレーボール全国大会は1月の上旬に開催されます。全国から高校チームの関係者だけでなくほとんどのカテゴリーの関係者が会場に見えますので、私も会場に行きたいですね。

【現在までに決定した県代表校】

<男女代表校>
【宮城県】 2014-10-30 【男子】仙台商(2年連続3回目) 【女子】古川学園(10年連続35回目)
【茨城県】 2014-10-26 【男子】霞ケ浦(2年ぶり12回目) 【女子】土浦日大(8年連続15回目)
【石川県】 2014-10-25 【男子】石川県工(10年連続24回目) 【女子】金沢商(13年連続40回目)
【沖縄県】 2014-09-23 【男子】西原(4年連続20回目) 【女子】那覇(48年ぶり2回目)