2012年10月31日水曜日

Mon.Oct.29,2012 石原氏辞職と五輪招致


 石原都知事が先週25日、辞職した。驚いた。任期をまだ2年半残しての辞任である。記者会見で、本人曰く。「東京から日本を変えようとしたができなかった。こんどは日本から東京を変える。だから国政に打って出る。80歳になっても俺が頑張らなければいけないのは、今の若い者がしっかりしていないからだ」。
(東京オリンピック招致はどうなるのか?)

 1年半前に、この方が、知事選4選に出馬しないと言って、直前になって出馬したときのマニフェストの1つが「東京オリンピック招致」であった。その招致の先頭に立ってやるべき人が、あっさりと本人の大義のために旗振りを辞めてしまった。あとのことは副知事の猪瀬さん宜しくと言うことなのか。しかし、その猪瀬さんが知事選に出るかどうかも判らない。出馬しても猪瀬さんが当選する確率は決して高いとは言えない。猪瀬さんの執政官としての能力は評価するが、都知事としてのリーダーとなると未知数だ。

 次の都知事が誰になるか判らないが、その方が東京オリンピック招致を「税金の無駄使い」「次はイスタンブールで決まりだろう」等の理由で中止にする公算も高い。

 人は、辞め方で、その人物が評価されるとも言われる。世間では既に評価が定まっているようだ。しっかりしていないような若者の責任の一端は、石原さん世代にも責任はある。子供達や若者が夢を持って仕事に就ける環境が十分整っていない。それは、日本丸を舵取る政治家たちが政策よりも政局にエネルギーを費やして本来の国民から付託された任務をしっかりやっていないからだ。東京新生銀行も大赤字のまま、今まで莫大な都民税をつぎ込んで活動してきたオリンピック招致も途中で投げ出してしまっては、若者達に模範を示すことはできない。東京を不撓不屈の精神で
世界に誇れる都市として再生・成長させるためのリーダーシップを発揮して頂きたかっただけに途中降板は残念でたまらない。最後のご奉公を東京都でやっていただきたかった。

 石原さんが辞任して、国政に向かうことを一番喜んでいるのは、最近、受け狙いの週刊誌レベルに低俗化したマスメディアの人達であろう。そして、石原さんが国政に立候補するとしても、スポーツ界から票を獲得することは難しくなってくるであろう。



2012年10月30日火曜日

Sun.Oct.28,2012 春高バレー 予選会(茨城、山梨、東京)

  春高バレー地区予選会が花盛り。今週末は茨城県と山梨県で決勝があった。

 まず、茨城県だが、28日、ひたちなか市総合運動公園体育館で男女の決勝を行い、男子は霞ケ浦、女子は土浦日大がともに6連覇を達成した。


 
 男子の霞ケ浦は試合直前にチームの中心の朝日冬樹が足首にけがを負うアクシデントに見舞われ第1セットを失った。その後はエースを中心にして土浦日大を3-2で突き放した。しかし、試合直前の怪我って何でしょうね?女子の土浦日大は双子の青木葉愛香里(あかり)と愛香音(あかね)を中心に日立二を序盤から圧倒。攻守に安定した試合運びで、ストレート勝ちを収めた。

(画像はエースの萩谷沙也加さん。身長180cm。日立二高先輩の赤津以上の選手になって欲しい)

 県立日立二高は、昭和62年以来の決勝進出でした。当時は赤津久恵選手という172cm位の小柄でしたがエースでセッターという運動神経抜群のスーパー高校生がいた。彼女は、その後イトーヨーカドーに入社して4年ほど在籍した。レギュラーには、なかなか抜擢されず、その後海外チームに移籍したと聞いたが、40歳代の今はどうされているのかね。当時、イトーヨーカドーの体育館に行くと、彼女が監督と話している場面に遭遇したことがある。「なぜ、この練習をやるんですか?」と納得しなければ練習に打ち込むことができない性格であった。当時は、まだ「黙って俺について来い!」式のスポーツ界でしたからね・・・。そんな「黙ってはいない」彼女の性格は、当時の日本では監督さん達にとって扱いづらいものでした。現在のバレーボール界では、練習を始める前に「今日の練習はこうだ。ポイントはこうだ」と、ホワイトボードにスケジュールと要点を書いて、選手に説明して納得の下に練習をやっている。彼女も現代に生まれていれば、もっと活躍できたかもしれない。
 
【男子】
▽決勝
霞ケ浦 3-2 土浦日大
22-25
25-23
25-20
24-26
15-10

【女子】
▽決勝
土浦日大 3-0 日立二
25-16
25-14
25-16
 
 次に山梨県。男子は日本航空、女子は増穂商が優勝。日本航空は11年連続11度目、増穂商は3年連続26度目の全国大会出場を決めた。日本航空-甲府工の男子決勝は、接戦となった第2、第3セットをものにした日本航空がストレート勝ち。女子の決勝は増穂商と東海大甲府が対戦。増穂商は第1セットを奪われたが、競り合いとなった第2セットを25-21で奪って勢いづき、セットカウント3-1で逆転勝ちした。
 男子の準優勝の県立甲府工業は前監督の三井先生が手造りで創られてきたチーム。三井先生が筑波大学の学生の時代から私達は知り合いになり、先生の結婚式も招待された。現在は、県体育協会で要職を努めていられるが、いずれ山梨県バレーボール界を牽引される方と私は思っている。女子は、県立増穂商業と他校との差が随分あるようだ。新顔の東海大甲府が良きライバルになれば県全体のレベルも上がると思う。
 
 最後に、東京都女子1次予選の結果を紹介する。予選を勝ち上がった24校が本日熱戦を展開し、ベスト4が決まった。下北沢成徳、八王子実践、文京学院大女、共栄学園の4校が、11月17日に東京都墨田区総合体育館で行われる代表決定戦(最終予選)に進出する。そして、男女とも各3校が都代表として来年1月5日から、さいたまスーパーアリーナ(さいたま市)などで行われる全国大会に出場する。決勝は、男女とも同じ会場で行われる。これは見に行かねばなるまい。

2012年10月28日日曜日

Sat.Oct.27,2012 6人制ルール改正の背景 

  今年9月21日、FIVB国際バレーボール連盟の総会が、アメリカ合衆国カリフォルニア州アナハイムで開催された。総会では、各委員会から事業報告と計画(案)が発表され承認された。そして、新会長にブラジルの会長であり、南米連盟の会長でもある現FIVB副会長のAry Graça(69歳)氏が選出された。グラサ氏は、ビーチバレーの育成にも貢献した人物である。
(今月始めに新会長のグラサ氏と前会長のウエイ氏の両氏が、IOC会長のロゲ氏に就任の挨拶)

 個人的には、事業計画のなかで特に関心を寄せていたのは、ルール委員会のルール改正についてであった。そして、本日、その総会に出席していた日本人理事の1人にお会いして概要をお聞きすることができた。
 正式、正確にはJVA日本バレーボール協会がFIVBに文書で取り寄せ、日本バレーボール協会審判規則委員会の規則部と指導部で的確に日本語に翻訳して来年度のルールブックに載せ、伝達講習会の実技と資料で共通理解することになる。

(サーブ・レシーブ時、オーバーハンドのフィンガー・アクションでの反則についての定義)
 
話の中で、大きく3つのことが出てきた。最初に、サーブレシーブをオーバーハンドでレシーブした場合の反則について。日本国内の指導者の間では、オーバーハンドでレシーブしたら、ドリブルとキャッチ(ホールディング)で全て反則というふうに解釈されている。従って、来年度からはアンダーハンドでサーブレシーブしなくてはいけない、と判断している指導者が多い。しかし、これはちょっと大げさなようで、「明らかに時間差があるようなハンドタッチは、ドリブル(ダブルコンタクト)の反則になる」ということ。委員長のサンディ・スチール氏の表現を借りると「”ugry”(醜い)オーバーハンドでのサーブレシーブはいけない」ということだ。年内には、その基準が日本協会から示されると思う。

 次に、ビーチバレーボールについてであるが、インドアの6人制とビーチのルールを90%同じ取り扱いにしていこうということ。これは、ビーチの選手と6人制の選手が横断的にプレー(どちらでもプレーできるようにルールを近づける)できるようにするのが背景にある。
(画面の黒点がラインに触れていることを示している)

 最後に、判定にテクノロジーを活用しようということ。LONDONオリンピックでも、テニス、レスリング、フェンシング等の競技で既に採用されている商品名「ホークアイ (Hawk-Eye:鷹の眼) ;試合中にボールの位置や軌道を分析し、それらをコンピューター・グラフィックスで再現することにより、審判が下す判定の補助を行うコンピューター映像処理システム」などを採用する予定であること。このシステムのテストは今月開催されている世界クラブ選手権大会で行われている。国内のVリーグでも、近いうちに採用される日が近いのではないか。お値段は1コート分、1,000万円もする。
 もともと判定には審判の技能だけでなく、主観も入り込む。テクノロジーは人間の技能に限りなく近づき、客観的なデータを人間に示す。このような機器を導入する背景には2つある。人間の判定の補助として。もう一つはプロスポーツ界での勝者へのビッグマネーが関係している。ビッグマネーが動けば、賭け金を動かす裏組織も関与してくる。つまり八百長の温床にもなりうる。その抑止力になりうると大会を運営する側は考えている。

 この後、千駄ヶ谷の日本バレーボール協会事務局にて、11時から、日本バレーボール協会審判規則委員会規則部のルール編集会議に臨んだ。終了したのは、夕方5時近くであった。やはり、6人制の改正が多く、英文を適切な日本語の表記にすることに随分と時間がかかった。



Thu.Oct.25,2012 NHKラジオ「英語会話」と「英会話」の違い?

 きょうは千葉県旭市にある家内の実家に行った。養父、養母とも80歳を過ぎている。船橋市に住む我々家族が交代で訪問して身の回りの世話や話し相手になっている。

 2階の部屋には書架と言うよりも本棚を3つ置かせていただいて、船橋の家から私の蔵書を約1,00冊ほど移動し保管させて頂いている。手塚治虫の漫画、司馬遼太郎、ビジネスHOW TOものなど古本屋に持っていっても二束三文で売値を叩かれてしまうような本だけで希少本、高価本はない。

 唯一、少し自慢できるのは、1980年ごろから出版されたバレーボール指導書をほとんど持っている、ということぐらいか。勤務先が神田御茶ノ水という日本一の古本屋街のすぐ近くにあったので戦後出版された指導書も買い求めた。時には、体育系の大学の先生から、ゼミ学生が指導書の変遷の卒業論文を書きたいので、渡邉さん協力してくれないか、という依頼の電話もあった。そのくらい、いつの間にかバレーボール指導書が溜まってきた。最近は、通販のアマゾンなどでアメリカで出版されている最新の書籍も取り寄せている。
(4,5,6月号が多いのは、何故か?その後の月は学習意欲が続かなかったんですね・・・怠け者の私でした)

 また、前置きが長くなってしまった・・・。そんな本棚をいつものように眺めていると、NHK「ラジオ英語会話」のカセット本が20冊ほどあるのに気付いた。現在のラジオ講座では、カセットではなくCDが付いているテキストも販売されている。きょう、実家に来るときにはカセットでも聞くことができるラジオを持参して来ていた。5年前に購入した自家用車にはナビと一緒にCD、DVDを視聴できるセットされているが、カセットテープを聞けるようにはなっていない。カセットテープは既にCDに取って代わられているのだ。しかし、私のラジオはアイワ製のカセット機能付きラジオで、CDは聞けない。本棚からカセット本を取り出してみると1979年~1984年の間に発売されたものであった。
(当時の東後先生のお姿をスマートフォンのインターネットで探した。この方も家庭的には苦労されたんですね・・・)

 講師は東後勝明先生(現 早稲田大学名誉教授)。懐かしいですね~。自宅に戻って調べると、東後先生は13年間、講師をされていました。
東後先生の前の講師はあの有名な松本亨先生、その前は、終戦翌年に「カムカム エブリバディ」で有名な平川唯一先生。東後先生の後の講師で、印象に残っているのが大杉正明先生。 そして マーシャ・クラッカワーさんも一時講師をされていた。マーシャさんは両親がポーランドと日本人で、ラジオよりもTV向きの大変美人な先生でした。そして、現在は遠山顕先生が20年近く講師を務めている。
 テキストのタイトルで気付いたのは、終戦後のスタート時は「ラジオ英語会話」であったのが、1990年代から「ラジオ英会話」に変わったこと。内容が、語学中心から、より日常会話に近づいたということなんでしょうか?

2012年10月25日木曜日

Tues.Oct.23,2012 ソフトバレー スキルのコツ(Tips)

毎週火曜日は、我がソフトバレークラブの定期練習日。今日からセッターのトス練習とスパイカーのコース打ちの練習を12月まで継続してやることにした。

 セッターのトスであるが、ボールを手の中に入れ、手首関節のバネを使ってボール・コントロールすることは一般の愛好者には難しい。ボールが大きいのでなおさら難しい。それでも、ボールを指で弾いてコントロールすることはできる。ソフトバレーボールのセッターはサーブレシーブの時は一般的に女性が行う。女性セッターにとって難しいセッティング(トス)は、主に2つあって、ネット際でのジャンプセット(トス)と短いサーブレシーブ返球(パス)をトスすること。

(拙著「確実に上達するソフトバレーボール」から)
ジャンプトスは、シングルハンド(片手)のほうが高さが出るのでこちらをお奨めする。練習としては、First(まず最初に)、対人パスのときからシングルハンド・パスもやっておくことである。五本の指を使ってボールを弾くが、形はちょうどバスケの片手シュートのようになる。右手であれば、右肩斜め上方でボールを捉え、ボールをひき付け、軽く曲げて構えておいた肘を伸ばして、5本の指で弾く。Then(次には)、3人で三角シングルハンド・パスを右回りと左回りを行う。次第にジャンプの要素を加えていき、低いジャンプから高いジャンプへと難度をあげていく。右回りの時は右手(左手) で、左回りの時は左手(右手)で行う。このときの最初の構えは両手トスと同様にセットしてジャンプする。始めから片手だけで構えてジャンプすると空中でのバランスを崩してしまう。And then(そして次には)、実際にセッターをネット際に立たせて行う。

 Finaly(最終的には)、ゲーム練習のときに、レシーブをなるべく高めに返球して頂き、全てシングルハンドでトスする。A,B,C,Dのクイック攻撃、サイドの平行トス(シュート)、オープントス(ハイ・セット)も意外と簡単にできる。セッターのツー攻撃も交えると更にバリエーションが増える。
 これで思い出したが、滞空力を増すコーディネーション・トレーニングを紹介したい。6人制、9人制でも勿論やって欲しい。サイドスパイカーを通常の位置からアプローチ(助走)させるスパイカーはジャンプしてスパイクを実行するフォームを作る。そして、右利きであれば左手の5本の指でクイックトスのようにボールを空中に置くように軽く弾く。スパイカーは、すぐさま右腕をスイングさせ右手でボールをヒットする(打つ)。空中のバランス感覚、滞空力が増します。


来週は、ソフトバレーボールに適した「オジさんでもできるジャンプ・スパイク・サーブ」の導入と練習法を本邦初めて紹介したい。解説すると、何だそんなことか、と拍子抜けすると思われるが、新技術なんてそんなもんです。ただし、練習法を開発するのが一苦労なんですよ。今回は、他のスポーツを観察していて、これだ!と思いつきました。他のスポーツを観察していると、参考になるプレイは沢山ありますね。

2012年10月23日火曜日

Mon.Oct.22,2012 春校バレー&全日本ユース

  春高バレーの予選会が、各都道府県で行われている。
 17日は、宮城県男女の決勝が行われ、男子は東北が仙台商をストレートで破り9年連続28度目、女子は古川学園が利府をストレートで退け8年連続33度目の全国大会出場を決めた。女子の古川学園は今年の高校総体、国体とも初戦敗退と悔しい思いをしているだけに、本大会へ向けて意気込んでいる。 1年生主体のチームで、唯一スタメンの3年生、及川がプレーでチームを引っ張り、最上級生の意地を見せた。
(古川学園vs県立利府の決勝戦)

 決勝戦のあった日、私は同じ宮城県内にいて「全国ねんりんピックソフトバレーボール交流大会」に選手で出場していた。昼過ぎに、県協会理事長の小野寺先生から留守電が入っていた。

 「なべさん、華麗なプレー見ていましたよ。午後から春高バレーの決勝が始まるので移動します」
ありゃ・・・かれいはかれいでも、加齢なプレーを見ていただいていたのか。ありがたいですね。

  小野寺理事長の甥ごさんが、実は決勝に残って古川学園と対戦した県立利府高校女子バレー部の監督。古川学園女子バレー部の監督は岡崎先生だが、その岡崎先生の父親の岡崎先生は県ソフトバレーボール連盟の会長としてねんりんピック・ソフトバレーボール会場の本部席にいる。

 本題から外れてきたが、宮城県バレーボール協会の特徴のひとつでもあるので、もう一つ話題を続ける。ねんりんピックが終了した翌日、我々のソフトバレーチームが古川駅から東京に帰るため改札口に行くと、そこには以前県立利府高校で校長職を勤めた長田(旧姓:赤坂)先生がいらした。長田先生と私はお互いに養子なのか妙に相性が良い。長田先生は「なべちゃん、俺らは、ようしは、ようしでも『容姿端麗の方のようしだ』などと古川なまりで優しいいことを言ってくださるのだが・・・。
 以上、お名前が出てきた先生達は、皆、日本体育大学バレー部出身ということが共通事項で、宮城県は何故か日体大OBが多い。

 
 ▽男子決勝
東北   3 27-25 0 仙台商
       26-24
       25-21
 ▽女子決勝
古川学園 3 25-16 0 利府
       25-18
       25-22

 
 来週に決勝を控えている県も多い。その内、山梨県と長野県の決勝進出までの情報を収集してみた。
まず、山梨県であるが、決勝は28日、甲府市小瀬町の小瀬武道館で、女子が午前9時半、男子が同11時半から行われる。

 男子の準決勝は以下の通り。

日本航空2(25-11、25-19)0駿台甲府

甲府工2(25-22、25-23)0谷村工

 ▽3位決定戦

駿台甲府2-1谷村工


 女子は、東海大甲府が恐らく始めてだと思うが決勝に進出した。監督さんは、確か東海大を3年ほど前に卒業した女性教員と聞いている。当時の東海大学女子バレーボール部監督である成田先生の推薦だから優秀な方なんでしょう。
 山梨県女子は県立増穂商業高校が頭1つリードしている感じですね。

 ▽準決勝

増穂商2(25-6、25-12)0帝京三

東海大甲府2(20-25、26-24、25-19)1日本航空

 ▽3位決定戦

帝京三2-1日本航空

  長野県もバレーボールが盛んでレベルが高い県だ。 21日に男女の1回戦から準々決勝までが行われた。男子は長野日大、岡谷工、飯田工、創造学園、女子は東京都市大塩尻、松商学園、東海大三、長野日大がそれぞれ4強に進出した。男女の準決勝と決勝は11月11日に長野市のホワイトリングで行われる。

 さて、国際大会であるが、バレーボール女子のアジア・ユース選手権は20日、中国の成都で決勝が行われ、日本が中国を3-1で下し、4大会連続5度目の優勝を果たした。日本は1次リーグから8戦全勝。熊本信愛女学院高1年の古賀紗理那が大会最優秀選手に選ばれた。上位3チーム(日本、中国、チャイニーズタイペイ)とタイに、2013世界ユース選手権(開催地:タイ)の出場権が与えられる。
(白井美沙紀chan)

 このチームの中で私が注目しているのが白井美沙紀ちゃん。私は、実は彼女が小学生の頃から、知っている。お父さんは関東大学バレーボール連盟1部リーグ所属の松蔭大学女子バレー部監督。白井監督とは、彼が日体大学生の頃からの知り合いである。彼は、卒業後東芝京浜女子バレー部のコーチ、全日本女子チームのコーチなどを歴任して、苦労の末、松蔭大学の職員として働くかたわら監督を続け、レベルの高い関東大学1部の下位にいるが、降格もせず残留している。この秋季リーグ戦も1部で最下位となって入れ替え戦に回ったが、2部1位の日本女子体育大学をストレートで退けている。国立大学でもなく、体育・スポーツ科があるわけでもなく、入学への特別な配慮があるわけでもない普通の4年制大学なのに関東1部に定着していることは凄いことと私は評価している。
(中国との決勝戦。打っているのは白井美沙紀)

 私は彼に「白井さん、入れ替え戦の王者だね」と皮肉を込めて言っているのだが、彼は「いやあ、不思議に負けないですね。経験のなせる業かな?しかし1部で優勝したい!」と動ぜずに言い返してくる。お嬢さんは、大和南に進学した。その後、お父さんの大学に行って親子で1部優勝を遂げて欲しいな。そして、美沙紀ちゃんには175cmの長身を生かして高校2年生になったらセッターに転向してシニアでの全日本を目指して欲しい。彼女の攻撃力を生かすためには2枚セッターが良いであろう。また、楽しみが増えた。

<個人賞>
MVP: 古賀 紗理那 (日本)
ベストスコアラー: 古賀 紗理那 (日本)
ベストセッター: 田原 愛里 (日本)

<最終順位> (前回2010)
1位  (*1)  日本  4大会連続5度目の優勝(97/07/08/10/12)
2位  (*2)  中国
3位  (*5)  チャイニーズタイペイ
4位  (*4)  韓国
5位  (*3)  タイ
6位  (13)  インド
7位  (*6)  カザフスタン
8位  (--)  ホンコンチャイナ
9位  (10)  ベトナム
10位  (*9)  イラン
11位  (*7)  オーストラリア
12位  (--)  モンゴル
13位  (--)  スリランカ
<全日本ユース女子バレーボールチーム>
*1  芹澤 友希   1996  161   S   土浦日大高校2年 (C)
*2  古賀 紗理那 1996  180  WS  熊本信愛女学院高校1年
*3  中田 紫乃   1997  178  WS  北秋田市立鷹巣南中学校3年
*4  髙野 由里加 1996  180  MB  大阪国際滝井高校1年
*5  林 日向子   1996  176  MB  大阪国際滝井高校1年
*6  坂本 奈々香 1996  175  MB  北九州高校1年
*7  白井 美沙紀 1996  175  WS  大和南高校1年
*8  橘井 友香   1997  172  WS  札幌山の手高校1年
*9  浮島 杏加子 1996  172  WS 延岡学園高校1年
10  髙相 みな実 1996  163   R   東京都市大塩尻高校1年
11  田原 愛里   1996  161   S   文京学院大女子高校1年
12  和田 実莉   1996  151   L   金蘭会高校2年

2012年10月22日月曜日

Sun.Oct.21 函館の朝市にいざ!

 北海道といえば「食」の宝庫。特に函館は温暖な気候と風土が良質の食材を育(はぐく)む。講習会2日目の早朝6時に地元の連盟理事長の須田さんに案内されて、北海道連盟理事長の高田さん同行のもと「はこだて自由市場」に出かけた。

 

 
 場所は、JR函館駅前にあった。青森県青森市の市場もそうであったが、この手の市場は敗戦の昭和20年頃に自然発生的にできたヤミ市場が起源となっている。最近は各地の市場も観光客を意識して小奇麗な建物の中に市場をすっぽりと入れている。日曜日とはいえ、まだ朝早いせいか、お客さんも少なかった。

 海の幸、山の幸が所狭しと50ほどの小さな個人商店の前に並べられている。売価は関東と比べると2割ほど安い。そして交渉次第で更に値引きしてくれる。売り子さんたちは必ずお客さんに声をかけ、活気をかもし出す。買いたいものは沢山あるが、先週のねんりんピック宮城で毎晩地酒の飲み比べをして財布も軽くなっている。お買い物欲求をぐっと我慢して朝食を取るために同じ市場の中にある食堂に入った。

 食堂も15店ほどの小さな食堂が所狭しとウナギの寝床のように細長く連なっている。その中の1つのお店に入ってイクラ・ホタテ・海老・イカ・蟹がドカン!とご飯の上に載っている丼を注文した。値段は1500円。こんなに高価な朝食をいただいたのは数年前に都心の高級ホテルに宿泊したとき以来である。



 講習会のほうは順調に進み、5年後に受講者の方達と再会を約束してお別れした。地元の理事長に函館空港まで送っていただいた。別れる前に県連盟と県連盟理事長からお土産ですと紙袋を手渡された。包装紙をチラッと見ると、県連盟からはトラピスト修道院クッキー、高田理事長からは市場で私が何も買い物をしなかったところから察したのか、海産物3点セット「松前漬け」「「イカ明太」「ほたて塩辛」がずしっと入っていた。

 (北海道連盟役員と地元函館市連盟役員の方達と)
             
 北海道の人は思いやり深い人が多い。5年後と言わず、来年また来たくなった。最近の私は人情に弱く、地酒にも弱く、そして美味しい地元食材にも弱くなった・・・。

Sat.Oct.20,2012 函館市でリーダー養成講習会 開催

 ♪はーるばる来たぜ函館に~~♪ 

 函館は演歌歌手の北島サブちゃんの出身地。北海道函館市にて日本バレーボール協会公認ソフトバレーボール・リーダー養成講習会が開催された。ソフトバレーボール関係の講習会講師活動は、今年はこれで3回目だ。6月の金沢市、9月の秋田市と訪れ、今回は函館市。共通するところは、主管団体である県連盟の役員はどこも私からの要望事項を事前に十分に準備をしていただいていること。そして、食べ物が美味しいこと。今回の函館市での講習会も北海道連盟の高田理事長、山口総務委員長はじめ函館市連盟の名誉会長、会長、理事長がテキストをもとに更に踏み込んで、北海道連盟の現状と課題、養成後のリーダーの育成・活用など現実的な課題に精力的に取り組んでいる。IT機器の活用も難なくこなしている。理解しづらいところは、図解入りのパワーポイントで資料を作成し、プロジェクターで拡大して「見せる講義」を展開してくれた。

 イベントの良し悪しは準備で80%以上決まるといわれる。また、残りの20%は当日の受講者たちの姿勢で決まるといわれる。初日で、明日の講習会も大丈夫だと確信した次第である。

(名物のジャンボ・チャーハン。見ただけでおなかが満腹感でいっぱいになった)

 夕方から、懇親会となった。通常は、連盟役員と講師だけの懇親を含めた夕食会となるのであるが、ここ函館は、受講者も一緒に参加する。楽しい自己紹介があったり、地域の実情の紹介があったり現場の生の声が聞けて有意義であった。二次会にも全員が出席した。二次会ではカラオケが始まり、地元の理事長の巧みなギター演奏での生オケも聞くことができた。明日も講習があるので、私は北島サブちゃんの歌を2曲だけ歌って早めにホテルに引き上げた。

 明日早朝には、JR函館駅前にある「朝市」に行って朝食にウニ・イクラ丼を召し上がりませんか、と函館市連盟理事長から誘いを受けた。勿論、返事は Yes!

2012年10月19日金曜日

Tues.Oct.16,2012 ねんりんピックから帰って、練習

 午前の古川駅発の新幹線で東京に戻った。団のスケジュールでは夕方の新幹線であったが、金曜日から火曜日まで4泊5日は少し長すぎるようだ。少し早めに我々だけで帰ることにした。10年ほど前の60歳であれば、年金の支給開始の年齢なので、時間の活用に余裕のある人達が多かったので5日間家を空けていられた。しかし、現在は65歳から満額の年金が支給される。つまり、60歳前半までの人達はまだ働いているの人達が多い。4泊5日も家を空けていてはいられない。我々「大穴ソフトバレークラブ」の7人のなかでも仕事を持っているのが4人いる。昨夕に帰ることもできたが、せっかくなので最終日まで宮城にいることにした。
 自宅に着き、旅装を解いた。多くの仲間からお土産を沢山いただいたので別便で明日届くように宅配便で手配していた。
 久しぶりの全国大会への出場であった。やはり、全国大会の緊張感が良い。仲間と再会して話も尽きないほどできる。役員では、毎年、何らかの全国大会に出かけるが、仲間との語る時間はほとんどない。来年のシルバー・ソフト全国大会に出てみようという気になってきた。
 夕方になって、火曜日は我がソフトバレークラブの定期練習の曜日なので、出かけた。少し疲れもあったが、練習ゲームではねんりんピックでの緊張感のあるゲームの余韻もあり、集中してプレーできた。
 15分間のテーマ練習は、先週からスパイクコースの打ち分けを行っている。助走する前に相手ブロッカーの位置と枚数を確認し、更に助走中と踏み切り、ボールヒット寸前にもブロックを視野周辺で確認してコースを打ち分ける。但し、セッターのトスが安定していれば、の条件がつく。打ち分けられるようなトスが来ない場合は、無理せず相手コート奥にボールをプッシュして相手のレシーブミスを誘うようにする。そのプッシュボールが拾われても、たいていは2段トスになる。そこをこちらの2枚ブロックで仕留めるという戦術に変更する。
 明日は午前中に幼稚園ママさんの練習がある。今週末の土曜日、日曜日は北海道函館市にて日本バレーボール協会主催のリーダー養成講習会がある。少し涼しくなってきた。風邪をひかないように気をつけなくては・・・。

Mon.Oct.16,2012 ねんりんピック宮城 試合2日目

 昨夜の交流パーティでは全国の多くの仲間と話ができた。思いがけない人とも再会できた。新たに仲間の契りを交わした人もいた。
 長崎県の西海パールズのメンバーとは3年ぶりで再会した。15年前からの知り合いである。もと実業団9人制で活躍した西海パールズの方達も、早いもので70歳に手が届きそうな年齢になっている。

 試合間に日本ソフトバレーボール連盟会長の西山先生と談笑した。その中で、「近いうちに、70歳以上の愛好者のための全国大会を創設せにゃいかんのう」という話が西山先生地元の広島弁で出てきた。日本政府与党が使う文言の「近いうちに解散・・・」とは違い、日本連盟のほうは5年以内にという具体性を持っている。現在70歳に近いソフトバレー愛好者も60歳なりたての若年寄というか元気な方達と比べると体力に大きな違いがある。70歳近くになっても、70歳でもプレーできる環境が整えれば、ソフトバレーの練習を続けてくれるであろう。

 このねんりんピックの出場資格を、1案として65歳以上にするか、2案としてコートに60歳以上と70歳以上の男女各2名ずつのミックスにする、という案も出始めた。来年度は日本協会、日本ソフトバレーボール連盟主催の現状の全国大会の見直しをする必要がある。ねんりんピックは、行政の厚生労働省が主催者であり、我々協会、連盟の意向がすぐには反映されるものではないが、提案することはできる。現実に即した形で提案をしていきたい。

Sun.Oct.14,2012 ねんりんピック宮城 試合初日

 昨日は1日がかりの総合開会式であった。その後、ソフトバレーボール会場の宮城県北部にある加美町(かみまち)に向かい、代表者会議に出席した。選手宿舎は、そこからバスで1時間のところにある鳴子温泉郷であった。

 加美町立体育館で開始式があった。ここでも入場行進を行った。役員席には見知った顔の宮城県ソフトバレーボール連盟の役員が大勢おり、笑顔で迎えてくれた。昨年急逝した前理事長の三浦さんのお顔のないのが寂しかった。


 試合のほうは、相手が選抜チームで大変強く1セットを取るのがやっとであった。それでも、ベストを尽くしたことが我々の誇りであり、レクリエーションスポーツは、それでよいと思っている。 

2012年10月18日木曜日

Sat.Oct.13,2012 ねんりんピック 総合開会式

  好天のもと、仙台市陸上競技場で行われた総合開会式には、47都道府県と20政令市から集まった参加者8,000人が色とりどりの選手団ウエアで堂々の入場行進を行った。規模内容は、国民体育大会並みである。

   国旗掲揚ではオベラ歌手の独唱と一緒に選手一同が斉唱した。選手側で国歌を斉唱したのは久しぶりであった。単純なことであるが、こんな時に、日本人であることが確認される。海外の地で日の丸の掲揚と君が代を聞くと、更に自分が日本人であることを再認識し、誇りに思う。

   点火式も行われた。津波被害を受けた気仙沼市、石巻市、名取市の3家族がランナーとなり、3世代でリレーしながら炬火(きょか)台に点火した。「復興の火」「希望の火」は絡み合い、混じり合い、融合して、一つの炎となった。人間は、古代、火を獲得してから文明化が始まった。火は闇夜を照らす明かり。炬火台の火は会期中、選手、役員達の安全を見守るように照らしてくれるのであろう。
(我が大穴クラブ。クラブ員34名の内、高齢者の人数は千葉県No.1!)
 
   常陸宮殿下、妃殿下ご臨席のもと、村井宮城県知事の挨拶、厚生労働省副大臣、仙台市長と挨拶が始まった。村井さんの挨拶には、震災後のご苦労と復興への決意が痛いほど感じられた。
あの震災直後、私も些少ではあったが、できるだけの支援をさせて頂いた。山形県ソフトバレー連盟の佐藤三幸さんの呼びかけに応じ、衣類を岩沼市バレーボール協会に送った。岩沼市には沿岸部から多くの被災者が避難してきていた。我々がバレーボールの講習や県大会などで使用した岩沼市営体育館は、しばらくの間、遺体安置所になった。

 本来であれば、岩沼市バレーボール協会理事長、宮城県ソフトバレーボール連盟理事長の三浦さんと再会し大いにねんりんピックを楽しむ予定で3年前からこのソフトバレー交流大会に千葉県代表で出場するように調整してきた。その三浦さんは昨年の2月14日に突然、我々の前から逝ってしまった。亡くなる前夜の日本連盟の会議の後、理事8人で少しだけお酒を酌み交わし、明日の会議も早いのでと、7時半にはお開きにした。
 「じゃあ、なべさん、また明日」。それが三浦さんの最後の言葉になった。

 広い競技場から晴れ渡った秋の空を見上げた。空に浮かぶ雲が三浦さんの丸い顔になってニコニコしているようであった。

2012年10月16日火曜日

Fri.Oct.12 ねんりんピック宮城に移動

   午後2時に東京駅から仙台市に新幹線で移動した。2時間15分ほどで仙台駅に着いた。我がソフトバレーボールチームは総員7名。内、女性が4名、男性3名。そして、女性の内、70歳代が2名。
  仙台市内の千葉県選手団用宿舎のホテルに荷物を置いて、まずは夕食を取るために市内繁華街に跳び出た。お目当ては、仙台名物「牛タン」である。

  さっそく、地元商店街の人に聞いた牛タン屋さんで最高級の牛タンを注文した。自分の舌で牛の舌を味わうのであるから、ちょいと変な感じではあるが、美味しいのだからしょうがない。太平洋で獲れたお刺身も沢山頂いた。女性陣は、山海のご馳走をじゃんじゃん注文し、男性陣は地酒の飲み比べで楽しい夜を過ごした。

(牛タンの画像を載せようとしたが、一瞬の間に女性陣のお口に直行となった。コート上でもこの俊敏さが欲しい!)

  明日は、総合開会式と代表者会議だ。




2012年10月13日土曜日

Thu.Oct.11,2012 My Volleyball notes


    時間を見つけては、自分用のバレーボール指導書を編集している。8年前に受講した何かの講習会で講師から勧められて始めた。今では、サービスをはじめ、各技術論、戦術論、全て網羅している。私の技術論の特徴は、バイオメカニクス(生体力学)を主なエヴィデンス(根拠)にしているところにある。

バイオメカニクスとはバイオ(bio)=生体・生理、とメカニクス(mechanics)=力学からなる造語で「人間をはじめとする生体(生物)の構造や機能を、力学的な観点から解明しようとする学問」である。
 私自身、現役では平凡な選手であったので、私自身の経験から技術論を説いても納得性に乏しい。そこで科学的なバイオメカニクスに基づく技術論を展開しようとしている次第である。今年の6月に出版された『確実に上達する ソフトバレーボール』(実業之日本社 刊)の本も、日頃蓄積してきたマイ・バレーボール・ノートから抜粋したもので、2ヶ月という短期間であったが、日本で初めての一般愛好者向けの本としてまとめることができた。画像が多いので解り易いのが評価されている。現在では、更なる内容の充実化と来年度から活動予定の英語での講師活動のために主要部分を英文に翻訳中である。翻訳といっても、直訳では通じない。英語特有の表現があるのでFIVBのテキストを読んだり、アメリカで出版された最近の指導書を通販で購入して英文での指導表現を学習しながら英文に直している。

  今日は、ここまでにしよう。明日から宮城県で開催される全国年輪ピックに監督兼選手で参加する。10年ぶりの参加だ。





2012年10月11日木曜日

Tues.Oct.9,2012 岐阜国体バレーボール 決勝結果

8日に決勝があった。結果は、以下の通り。
<成年男子>
 愛知(豊田合成) - 新潟(選抜) 3-0 (25-22, 25-15, 25-15)
 愛知は3年ぶり2度目の優勝。

<成年女子>
佐賀(久光製薬) - 滋賀(東レ) 3-0 (26-24, 25-18, 25-18)
 佐賀は23年ぶり2度目の優勝
 
 
 
 久光製薬スプリングスが、昨年の山口国体決勝で敗れた滋賀(東レ)に3-0のストレート勝ちし、日本一に輝いた。今年就任した元全日本セッターの中田久美監督にとっては指揮官として初のビッグタイトル。

(佐賀県と滋賀県の県名の入ったユニフォームで闘った佐賀の久光と滋賀の東レ) 

<少年男子>
愛知(選抜) - 大阪(大塚) 3-0 (25-19, 25-14, 25-18)
 
 愛知は4年ぶり2度目の優勝勝。
優勝の愛知県からから5位香川県まで、西日本勢。その下に東日本勢の東京都、宮城、千葉県と続く。単独での出場県は、準優勝の大阪(大塚高校)と同位7位最下位の千葉県(市立習志野高校)の2校(2/8:25%)だけであった。

<少年女子>
 決勝: 長崎(九州文化学園) - 山口(誠英) 3-0 (25-14, 25-14, 25-18)
 3・4位決定戦:千葉(柏井) - 大分(東九州龍谷) 3-0 (25-21, 25-18, 25-23)
 【最終順位】
優勝: 長崎県(九州文化学園高校)
準優勝: 山口県(誠英高校)
第3位: 千葉県(柏井高校)
第4位: 大分県(東九州龍谷高校)
第5位: 神奈川県(神奈川選抜)
第5位: 東京都(東京選抜)
第7位: 埼玉県(埼玉選抜)
第7位: 鹿児島県(鹿児島選抜)

 長崎県が九州文化学園単独のチームで6年ぶり6度目の優勝を飾った。初戦から決勝まで失セット0ゼロというのは素晴らしい。決勝では同じく単独の山口県誠英高(昨年の山口国体優勝)にストレート勝ちを収めた。2年後には長崎県で国体が開催される。

(関東大会では3位の柏井高校。30数名のバレー部員をまとめていくのも大変)
葉県協会の指導強化普及委員会副委員長の私として、特筆したいことがある。一緒に副委員長として委員会活動を行っている県立柏井高校バレー部監督の國安(くにやす)先生が大分県の東九州龍谷を退けて堂々の3位という成績をあげたこと。ごく普通の公立校が私学の強豪を倒したということも驚きだ。県立柏井高校の前監督で現在県協会理事長の山岸英一先生もコート脇で応援されていて歓喜に浸ったことと思う。やりましたね!
 国体チームの推薦に関して、千葉県として、今年度から単独チームで行こうということを委員会で決めたが、県立柏井高校は、見事単独チームの良さを発揮してくれた。一方、男子は単独の良さが生かされなかった。今後の検討課題である。

(準決勝の中国vs日本の試合)

 
 タイ国で開催されていた第16回アジアジュニア女子バレーボール選手権大会2012の決勝の結果が飛び込んできた。日本は第3位と前回と同じ結果であった。優勝は中国、準優勝はチャイニーズ台北。4位がタイ。4位までの国が来年チェコで開催される世界ジュニア女子選手権大会に出場できる。今回の全日本ジュニア女子チームの編成は国体と重なったため、国体出場チームからは選手が選ばれていない。日本のジュニア女子の層の厚さが証明された大会でもあった。

 
<最終順位> (*:前回2010の順位)
1位 (*1) 中国 2大会連続10度目の優勝(第6回~13回/第15・16回)
2位 (*5) チャイニーズタイペイ
3位 (*3) 日本
4位 (*4) タイ
5位 (*2) 韓国
6位 (10) インド
7位 (*6) カザフスタン
8位 (*9) イラン
9位 (11) オーストラリア
10位 (*8) ベトナム
11位 (14) ホンコンチャイナ
12位 (12) ニュージーランド
13位 (15) スリランカ
14位 (--) モンゴル
15位 (--) トルクメニスタン
16位 (--) クウェート

 しかし、浮かれてばかりではいけない。その上のシニア女子では、アジアでも地殻変動が起きつつある。日本、中国、韓国の3カ国のレベルに肩を並べてきているのがタイである。チャイニーズ台北、カザフスタンも侮れない。オーストラリアも協会の強化策と指導者が整備されれば、男子並みにアジアのトップの座を目指せる環境にある。経済の発展とスポーツの強化には関係性があると私は考えている。
 そして、社会が成熟してくると強化だけでなく生涯スポーツとしてのレクリエーション・スポーツの広がりが増していく。日本にしかない強みである「ソフトバレーボール」や「ママさんバレーボール」というレクリエーション・スポーツの活動が、長期的な視点で見る場合、ナショナルチームの強化策につながっていく。レクリエーション・スポーツ(健康)とチャンピオン・スポーツ(強化)との接点を更に多く、広く、太くしていくことが今後の日本のバレーボール界の発展に大きく寄与すると考えている。実際、父母や祖父母がママさんバレーやソフトバレーを楽しくやっているのを見て、子供もバレーボールを始めたというケースは多い。

2012年10月9日火曜日

Mon.Oct.8,2012 山中教授にノーベル賞!

   日本人に誇りと自信と勇気をもたらした出来事が、今日あった。
20世紀の終盤には「IT(情報技術)革命」があった。ITは、現在でも進化し続け、人間社会を大きく変革し続けている。そして、21世紀の初頭には、つまり現在であるが、「YT(山中技術)革命」が大きく未来に羽ばたきはじめた。
(12月の授賞式に贈られるノーベル賞メダル)
京都大学教授の山中伸也氏(50歳)にノーベル生理学・医学賞が贈られることが発表された。新聞の号外も出た。山中教授は、革命と呼ぶに相応しい、人類の未来に大きく貢献する技術を生み出した。iPS細胞は、医療への応用が期待されている万能細胞だ。自分自身の細胞から作るので免疫の拒絶反応がない。

 医療の未来がばら色のように見えるが、ことはそう簡単に運ばないようだ。確かに、パーキンソン病など難病治療に飛躍的な効果を期待できるが、「臨床研究」に「社会の仕組み」のスピードが付いていけるかどうかが今後の課題になるであろう。
 倫理の問題もある。1つ間違えば、人間が人間を製造することもできる。コピー(複製)人間や人間と機械を組み合わせたアンドロイド(人造人間)も作れるようになる。人間はいつまで長生きすればよいのか?寿命とは?病気とは?生命の起源とは?宗教や哲学とも絡んでくる。社会的コンセンサス(同意)が求められる。

 山中氏は、これからが本番だと意気込んでいる。iPS細胞で日本が活力を取り戻す起爆剤になる可能性がある。新聞ではまだ報道されていないが、これから大事なのは世界に向けての「特許申請」「知的財産の確保」がある。相当細かな作業らしい。特許をとらないと、利益が日本に入ってこない。iPSのiが小文字なのは、米アップル社の携帯プレーヤー「iPOD」にちなんだということだ。携帯電話の「iPHONE」にも負けぬぐらいのビジネスも可能になる。そのビジネスはJAPAN PROJECTともいうべき政府支援型の国家ビジネスになるに違いない。
  山中氏が医学の道を志した理由は、スポーツに関係している。学生の頃、柔道で10回も骨折して、整形外科医になろうとして神戸大学医学部に入った。ところが不器用で整形外科には向いていないことを理解して、基礎的な生理学、臨床医学の研究のほうに方向転換したということだ。そして、ここからが普通人と違うことだが、やるからには誰もやっていないことに挑戦して、今回の快挙になった。

 山中氏は、若い人達に呼びかけている。「何でも良い、がんばり続けることです。9回失敗しても10回目に成功する可能性がある」。

 わたし流に翻訳すると「努力を継続する才能を育てよう」ということになるかな。いずれにしろ、私のような凡才は、「99回失敗してもあきらめず継続して、100回目に成功する」ことを信じて日々頑張るしかない。

2012年10月8日月曜日

Sun.Oct.7,2012 岐阜国体 明日最終日

  本来の体育の日は10月10日。この祝日(National Holiday)は、昭和39年(1964年)10月10日開会式を行った東京オリンピックを記念して制定された。気象学的に一年で1番晴れの日の可能性が高いということでこの日に決まった。今年の体育の日は、連休になるように明日8日に設定されている。こうすることで国も経済的効果が出るように配慮している。土曜日から明日まで3連休となった。
 私の3連休は、自宅で英語の集中学習期間に当てている。但し、休憩を兼ねて英語学習のために観ているレンタルのDVD映画鑑賞に費やす時間も多い(これも学習と自分に言い聞かせているのだが・・・)。
 昨日のブログに対して愛読者の方が学習の助けになるwebサイトを紹介してくれた。M.Alan  merci! 気にかけていただいてありがたいことです。 
 
 
 
さて、岐阜県で開催されている国民体育大会(バレーボール)は、本日で準決勝が終了して、明日の決勝戦と3,4位決定戦を残すのみとなった。
(マスコットのミナモ)
成年男子(6人制)。
決勝は新潟(選抜) と愛知(豊田合成)。新潟県は4年前の新潟国体のために地元出身の大学生を教員として採用した強化策の効果が続いている。30年ほど前は、国体に教員の部というものがあった。そして教員達は強化練習を通じて情報交換をしながら県内のバレーの発展に貢献したという歴史がある。9人制バレーと教員バレーこそ国民体育大会(国体)で実施すべきことではないか、と私は考えている。
 成年女子。
決勝は 滋賀(東レ)と 佐賀(久光製薬)のVプレミア同士。久光製薬は新監督の中田久美さんの采配が見ものだ。
 少年男子。
決勝は、 愛知(選抜) - 大阪(大塚)。単独チームで挑んだ我が千葉県(習志野高校)は、東京選抜に2-1での惜敗で、第7位であった。
 
 少年女子。
3・4位決定戦は、大分(東九州龍谷) と 千葉(柏井)。決勝は、 山口(誠英) - 長崎(九州文化学園)。男子と比べて面白い特徴がある。男子は選抜チームがいつもほとんど上位に進出し、女子は単独チームが上位に進出している。これには訳がある。女子の場合、選抜チーム、つまり混成チームにすると単独チームよりも実力が発揮できないという。中学選抜チームまでは仲良くやっていたのであるが、高校生になると高校によっては指導法が違いすぎるのか、どうも選抜にするとギクシャクして実力が十分発揮されない。それでも、合宿期間を長くすることで、そのような摩擦は解消されるのだが、強化費の関係で単独チームで参加させる県が多くなってきた。

 例年は、30数年間も国民大会に会社の業務で視察や売店応援で出張していた。今年は、インターハイ、国体の開催期間は、自宅で過ごした。全国の指導者・協会関係者にいつものように会えなかったのが、少し寂しい。

2012年10月6日土曜日

Sat.Oct.6,2012 英語力まだまだ不足 

3月以降、英語の学習時間を積極的に取っているが、まだまだ不足のようだ。しかし、ここが踏ん張りどころ。もっと時間をかけなければいけない。やはり、1日6時間は学習する必要がある。今日から心を入れ替えよう。

 
 学習は、NHKのprogram(番組)が手軽で安くて良い。なかでも、TVでは『大人の基礎英語』『abc NEWS SHOWER』、ラジオでは『ラジオ英会話』『基礎英語3』『英会話タイムトライアル』と中学3年レベルを選択して無理なく毎日学習を続けられるようにしている。『ラジオ英会話』10月の特集は“sports”なので全部暗記したいくらいだ。しかし、これだけでは受身学習なので、週2回月曜日と水曜日の夜に、英会話教室にも通っている。テキストは中級レベルで結構語彙も豊富。講師は英国人女性。立教大学でも留学生にビジネス英語を教えている。教室内では全て英語で、毎回テーマに対して受講者の意見を求められる。日本語ではいくらでも主張できるのであるが、英語で論理的にまとめて話すように講師からは要求される。結構難しいのだが、2ヵ月後には身になっていると確信している。

 息抜きも含めて、週に2本、近くのビデオレンタル店でDVDを借りる。借りるのは全て音声は英語で字幕も英語のものを選択する。今日は、今年の3月に封切られた話題作の『ヒューゴの不思議な発明』を借りてきた。子供でも大人でも楽しめるファンタジー作品だ。アカデミー賞5部門を受賞した。英語の音声を英語の字幕で確認しながら観たが、80%以上は理解できた。俳優の多くが英国人であったのも聞きやすかった理由かもしれない。

Fri.Oct.5,2012 ねんりんピック 千葉県選手団の結団式 

  昨日の午後は、千葉市にあるホテルにて宮城県で開催される(10月12日~14日)全国ねんりんピック(60歳以上対象の厚生労働省主催のスポーツ交流大会)千葉県選手団の結団式に出席した。

 選手団は普段スポーツで鍛えているだけあって、皆さん元気。年齢を感じさせない。元気な高齢者に圧倒されたのか、挨拶に立った千葉県社会福祉協議会の幹部の方々の挨拶が今ひとつパンチがなかったのは残念。県から派遣される引率の担当者をこちらが逆に引率するようになるかもしれない・・・。

 我々大穴ソフトバレークラブからも出場8名の内1人を除いて7名が出席した。選手団の平均年齢は66歳で最高齢は90歳。私のように60歳の洟垂れ小僧は少ない。会場で頂いたプログラムを見ると既に対戦相手も決まっていた。初日は山形県鶴岡市のチームと愛知県のチームの2チームと対戦する。

  私達は、11年前の広島でのねんりんピックにも出場した。このときはソフトバレーボールだけが50歳台と60歳以上のチーム編成がまだ許されていたので、私は最年少の50歳で出場した。このときは思いがけず優勝できたが、今回はどうであろうか?我がチームには70歳の女性が2人いる。私と一緒に21年間ソフトバレーを続けてきた仲間だ。彼女達のためにできれば良い成績を上げられたらよいのだが・・・。

2012年10月4日木曜日

Thu.Oct.4,2012 全日本女子監督は真鍋監督が続投

   一昨日、真鍋氏は、日本バレーボール協会からの監督続投の要請を受諾し、昨日、記者会見に臨んだ。彼の監督としての実績は立派なものだ。世界選手権で3位、ワールドカップでは4位、そして今夏のロンドンオリンピックでは28年ぶりに銅メダルを獲得した。従来の全日本女子の監督がやらなかったことで彼がやったこと。それは専門家集団を自分の周りに配置したことだ。サーブ・コーチ、守備のコーチ、攻撃のコーチ、データ・スカウトマン、フィジカル・コーチなどの専門家を配置し、やり方まで任せたことは、今までの監督にはなかった発想だ。そして良いと思ったことは、とりあえず何でもやってみた。

 私は、次のリオ・オリンピックには彼は監督を引き受けないと思っていた。なぜなら、次の全日本チームがメダルを取ることは今回以上に至難の業と言えるからだ。日本のライバルとなる国は、まず4年後のオリンピック開催国で、連続金メダルを狙うブラジル。カーチ・キライ新監督体制のUSA。ロンドン・オリンピックで初めて連続出場をストップさせられた古豪キューバ。ロンドン決勝トーナメントで敗北したのち監督が突然死したロシア。8年後のオリンピック開催有望国であり今や欧州の強豪になったトルコ。高身長を推し進めている欧州各国。アジアでも中国、韓国、タイが日本と併走している。

 日本で開催されるワールドカップやオリンピック最終アジア予選において、開催国の優位性を生かしてオリンピック出場権を取ることも、これからは難しくなるであろう。世界のアジアのバレーボールのレベルが底上げされ、向上してきた。
(大英博物館に展示されてあるLondon Olympicの金メダル)

 これからの4年間でできることは限られている。真鍋監督が次に打つ手は何か?いずれにしろ、彼の心意気は買いたい。そして記者会見で述べたような「できれば金メダル」でなく、「金メダル以外考えていない」ぐらいの強気の発言をして欲しい。銀メダルを獲る発想と金メダルを獲る発想は、まったく違うものだと私は考えている。例え2番を目指すのであっても、それはその次の1番を獲るための戦略であるべきだ。「良い色のメダルを目指します」と中途半端な目標を言った選手のなかで金メダルを獲得した選手はいなかった。レスリング女子の吉田選手は「連覇目指します」ときっぱり言って、その重圧を圧倒的なトレーニングで撥ね退けた。彼女のスピリッツは見事だ。

2012年10月3日水曜日

Wed.Oct.3rd,2012 クール・ダウンの必要性

   昨夜は、我がソフトバレーボールクラブの定期練習日であった。来週末から宮城県で始まる全国ねんりんピック出場を控えているので、出場チームを中心に、ゲーム練習を多く行った。隣のバレーコートでは、我々も属している総合型地域スポーツクラブ「大穴クラブ」(千葉県で最初に発足)のママさんバレーチームが練習している。ママさんチームは、普段、他の小学校体育館で練習しているのであるが、そこが改修とかで2ヶ月前から一時的に我々の大穴中学校体育館に練習の場を移している。過去に全国大会にも出場。今でも県大会では、上位に入賞する実力をもっており、我々ソフトの部にもOGは、沢山いる。

 ここ2ヶ月間ママさんチームを観察していて気が付いたことがある。練習後にクール・ダウンをやらずに帰ってしまうことだ。ソフトの部は、5分間だけ(疲労気味の時は10分~15分)であるが、クール・ダウンにストレッチをやっている。ママさん達の1人に「クール・ダウンやらないの?」と聞くと「やったほうが良いのでしょうけど、やらないですね・・・」とモナリザのような微笑で答えてくる。ママさんチームには男性指導者が付いている。頼まれもしないのに、私のほうから練習内容に首を突っ込むのは控えている。しかし、今40歳前後のママさん達も、一般的に40歳後半あたりから身体のあちこちに不具合が生じてくる。若いときからクール・ダウンの習慣を身に付けておいてほしい。そして、それは指導者の義務でもある。

クール・ダウン(Cool Down)は、クーリング・ダウン(Cooling Down)とも言う。以前は「整理運動」と呼んでいた。Cool Downは、ウォーム・アップ(Warm Up)と同等に大事である。きちんとやることが障害の予防と疲労回復に有効である。Cool Downにはストレッチを用いる。ストレッチの種類も大別して3種類あるが、Cool Downには、筋肉を伸ばしたまま静止する「スタティック・ストレッチ」を用いる。ストレッチで肉体とともに精神的な緊張を取り除いて休まないと疲労も回復しない。緊張を残したままでいると、翌日また筋肉が硬くなる。柔らかい筋肉にしておかないと、道路のちょっとした凸凹につまずいて転倒したり、肩周辺の筋肉が萎縮して硬くなり四十肩、五十肩になりやすい。スパイクのスイングも小さくなってしまう。

ストレッチに関しては、そのほか腱が骨を引っ張ることにより骨細胞の代謝が活性化するということもわかってきた。あともう少し練習をやろうという気持ちを抑えて、たかだか5分間でも良いので、運動で硬くなり縮んだ筋肉をジワーッと伸ばして欲しい。そのことで確実に選手寿命もジワーッと延びる。その証人たちの77歳をはじめ60歳以上が我がソフトバレークラブに10数人いる。我々のやっている生涯スポーツの中のリクリエーションとしてのママさんバレーやソフトバレーにおいての金メダルは大会での優勝ではなく、永~くスポーツを現役で楽しんでいることだ。

 明日も元気で、体の故障も無く、仲間と楽しくバレーボールをやるためにCool Downを実践しよう!但し、その後自宅に帰っての冷たいビールの飲み過ぎはCoolし過ぎてDownしてしまうこともあるので要注意!

2012年10月2日火曜日

Tues.Oct.2nd,2012 努力の達人

   私が、小学生の頃、ほとんどの学校には二宮金次郎の銅像や石像が校門の近くや玄関前に立っていた。金次郎さんは、親を助けるために薪(たきぎ)を担いでの道中で本を読んでいた。学校の先生や親から、金次郎さんのように勤勉・努力しなさいとよく言われた。

    今の子供達に言わせると「ながら勉強だったら、テレビを見ながらの勉強は得意だよ」と受けとめられるかもしれない。いや、都会の子供達には「そんなことやっていたら車に轢(ひ)かれてしまうよ」と言われてしまうかもしれない。そういった理由なのかどうか真相はわからないが、最近小学校に金次郎さんを見かけなくなった。地道な努力なしで成果は上げられないはずなのに、努力することの意味が変わってきたのか。最近では、すぐにお金が儲かるような安易なHow to本やTV情報番組が盛況だ。

   そんな折、昨日の日本経済新聞「私の履歴書」で、努力のお手本のような方の連載が1ヶ月間始まった。2年前にノーベル化学賞を受賞した根岸英一氏の「私の履歴書」だ。第1回の昨日の最後の段落で氏は述べている。

「ノーベル賞でなくともいい。大きな、そして高い目標を設定し、その実現に向けて努力を続けることがたいせつなのだ。そんな私の道のりを振り返ってみたいと思う」。

  これから我が子をノーベル賞受賞者に育てたい親御さんにとっては、何らかのヒントを得るために読んでみるのもよいであろう。そして、私のように最近学習意欲に目覚め始めた前期高齢者予備員にとっても有益であるに違いない。朝の新聞を読む楽しみがまた1つできた。

2012年10月1日月曜日

Mon.Oct. 1st,2012 10月がスタート!

  
 台風の直撃にあった地域の被害はどうであったろうか。甚大な被害が無ければよいが・・・。
関東は、風がまだあるものの、台風一過で晴天!
マンション3階の我が家からも、すっきりした青空が高く見える。

 今日から10月がスタート。週の初めでもある。先月、仕事や人間関係が上手くいかなかった人もいるであろうが、今日から新しい月が始まった。新鮮な気持ちで、初心に帰って、やることの優先順位を紙に書き出す。やりたいことは沢山あるが、やらなければいけないことから着手しよう。

 
 10月は、「神無月(かんなづき)」と呼ばれる。一般には、出雲の出雲大社に全国の神様が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神様が居なくなる月の意味と言われており、出雲では「神在月」という。

 10月は果物や穀物の収穫の月でもある。今までの努力が実る月だ。
昨日のTV番組で街頭質問を放映していた。
「努力は報われると思いますか?」
「・・・人にはそれぞれ能力と言うものがあるから、努力は必ずしも報われないのでは?」
私だったら次のように答える。
「努力が報われるまで努力します。報われないのは努力が足りないから。あともう少しで報われるという直前にあきらめてしまう人が多い」。
これは、私の経験から。あきらめた回数が断然多い私だが、あきらめなかった時は報われていた。
そして、準備を早くして継続することが大事だ。・・・このことを若いときに実行していれば・・・。
 おっと、10月がスタートした。後ろは振り返らないよ。


 


Sun.Sept.30,2012 関東大学バレーボール女子5部秋季リーグ戦 観戦

   秋のリーグ戦が始まった。今日は、飯塚先生(前 神奈川県立大和南高校監督)が監督をされている相模女子大の5部リーグ戦初戦の応援に行った。会場は、横浜国立大学。

  JR西船橋駅からJR横浜駅を経由して横浜市営地下鉄の二つ目の三ツ沢上町駅で降りた。日曜日なので、スクールバスは、運行していない。大学のホームページのアクセスによると、徒歩15分とあったので、健康のために歩いた。近道を行ったつもりが、行き止まりがあったなどで、体育館館に着くまで40分かかってしまった。横浜国立大学は、意外と郊外にある。周りには、まだ畑もある。神奈川県内の学校の教員の多くはこの大学出身者が多い。

  5部に参加している大学は、茨城、埼玉、杏林、家政女子、鎌倉女子、横浜国立、平成国際、相模女子の8校。平成国際と相模女子大は、6部から昇格してきた。これらの2校は、実力は既に3部クラスの実力を持っている。
(相模女子大ベンチから撮影。左が飯塚監督、右が和美コーチ)
  試合のほうは、相模女子大が杏林大学に2-0で勝利した。杏林大学には、国体の神奈川選抜に選ばれた大和南高校出身で飯塚先生の教え子が三年生でいるはずだったが、今日はベンチにもいなかった。

 台風が近づいているので、第4試合は次週に延期ということになり、私たちも今日は定例の「飲みニケーション」も取りやめて、お互いに帰宅を急いだ。
 台風は深夜、強風を伴って関東を通り過ぎていった。台風が来なければ、今夜は中秋の名月で、月を眺めながら月見で乾杯!のはずであった。近くのセブンイレブンで、お供えにあん団子を買って、ススキはないが、お酒はニッカの竹鶴をソーダで割ったハイボールを頂いた。