2012年9月29日土曜日

Sat.Sept. 29,2012 「梅ちゃん先生」最終回

 NHK朝のTVドラマ「梅ちゃん先生」が今日で最終回を迎えた。視聴率は毎週1位~3位であった。平均視聴率が20.7%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)と、朝ドラとしては、9年ぶりに20%を超えた。私もドラマがスタートしたときから観ていた。朝は何かと忙しかったので録画で観ていた。

 朝ドラらしく、深刻な場面は出てこない。それでも敗戦から立ち上がって経済成長を支えた庶民の生活が生き生きと描かれていた。視聴率が高かったのは、私のようにドラマに当時の自分を重ねて観ていた団塊の世代周辺の方達が多かったからではないであろうか。私の好きな役者は大学病院の医者の役で頑固者、融通の利かない親父役の高橋克実さん(51歳)である。38歳までまったく売れない役者であったが、司会業、NHK土曜ドラマ「フルスイング」で人気が定着してきた感がする。年の割りに頭部が見事に光っているが、これをご自分の武器とすれば、ますます活躍できる役者さんであろう。
(画像は当時の社宅に良く似た光景。こんなに立派ではなかった)

 あの頃は、隣近所、みんな助け合って生活していた。また、そうして生活するのが当たり前であった。ドラマの中でもお互いにオカズを持ち寄ったり食料品を譲り合ったりしていた。私の中学・高校生時代は父の勤務先の鉄鋼会社所有の社宅に住んでいた。当時の社宅は、家々が壁1つで5家族ほど仕切られ繋がって1棟を成していた。江戸時代の長屋の昭和版である。お隣の兄弟喧嘩など壁を通して良く聞こえてきたものである。親1人子1人の私の家族は、父が組合活動の長期出張で留守の時は、お隣のお風呂に入れさせてもらったり、夕ご飯をご馳走になったり、大変お世話になった。
 お隣のご夫婦は、残念ながら既に他界されたと聞いている。恩返しもできないままに時だけが過ぎていったことに忸怩たる思い である。息子さんとは年賀状を交わしている。10年前に横浜のほうで自営されているので、今度会ってみたいと思う。

Thu.Sept. 27,2012 互いの違いを知ることから理解は始まる

   日本と中国・韓国との関係が壊れかけている。東アジアの領土をめぐって日中、日韓の対立が深刻化している。しかし、国家間の政治矛盾と我々スポーツ人は別と考えている。確かにスポーツは政治に利用され翻弄されてきた歴史がある。先週も、東アジアで開催された多くの国際大会で日中韓の選手が安全性の確保のために大会参加を取りやめた。

  作家の村上春樹さんが日中韓文化交流への影響を憂慮するエッセーを朝日新聞に寄稿した。その中で、村上さんは、今回の件を「それは安酒の酔いに似ている」と書いている。「安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ」。そして「そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動を取らないで頂きたい。『我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない』という静かな姿勢を示すことがてきれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。それは、まさに安酒の酔いの対極に位置するものとなるだろう。安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂が行き来する道筋を塞いでしまってはいけない」。

  我々スポーツ界の仲間は、こんな安酒を飲むような人間ではない。我々は歴史的にも政治的にも、近くて遠い国である。お互いの違いを明確に認識しながら美酒を酌み交わす機会を数多く設けることで、近くて近い国の関係を築くことができる。
  中国の南京市には私のバレー仲間がいる。彼も今回の件には心を痛めている。大方の国民は冷静である。




2012年9月27日木曜日

Wed.September 26,2012 英会話教室通いを再開 

  昨夜、我がソフトバレークラブの定期練習に行った。3週間後には、宮城県加美町総合体育館で開催される「全国年輪ねんりんピック」ソフトバレーボール交流大会(60歳以上)に出場する。
                                            (マスコットのむすび丸)
 
まだまだ、サーブ練習が足りない。あれこれ、サーブ練習メニューを考えながら体育館に入ると、女性達がニコニコしている。脇にはトロフィーが2つ飾ってあった。先週の23日(日)、私が秋田県に講習会で行っていた日に船橋市民秋季ソフトバレー交流大会が開催され、40歳以上のミックスの部と50歳以上のレディースの部でダブル優勝しました、と総監督の私に報告があった。

 「なかなかやるじゃないか!すごいね~」
 我がクラブのメンバーは、実は誉めるとますます頑張るタイプのメンバーが多い。さてさて、優勝して自信のついたプレーを見せてもらおうと、早速ゲーム形式での練習を行ったら、これがまったく体が動いていない。日曜日のゲームでスタミナを使い果たしたのか、エネルギーが充足されていない。まあ、しょうがないか・・・。

 最近、40歳代の女性のメンバーがポツポツと3、4人、新規入部者が増えてきた。コートは、まだ2コート空いているので4コート全てソフトバレー愛好者で埋まると壮観だなあ・・・。

 今夜、御茶ノ水にあるアテネ・フランセの英会話教室(冬季講習)を申し込んで、早速、授業を受けてきた。久しぶりに2時間、ネイティブ(アメリカ人)の英語に触れての授業は心地よかった。頭の中の脳がシェイク(振られる)されたようで、脳神経がパチパチ火花を出し始めた。初対面のクラスの仲間6人とこれから12月まで週2回(月・水の夜)の学習を頑張ろう!
 
 

2012年9月25日火曜日

Tue.September 25,2012 岩田三郎さん ご逝去

岩田三郎さんが亡くなられた。1924(大正13)年生まれだから享年88歳。初めてお会いしたのは、今から18年前にソフトバレーボールの会場だった。50歳以上の交流大会であったが、岩田さんだけ大会参加者で最高齢の70歳。スパイクは、牛若丸のように、ふあっと跳躍してピッ!とタッチ攻撃を決め、ひらりと床に微動だにせず降り立つ。派手なガッツポーズもなく、どちらかと言うと、はにかんでいる少年のようだ。

 バレーを始めたのは藤沢商業(現藤沢翔陵)に入学した37(昭和12)年。卒業後、早大に進学、第1回全日本学生バレー選手権で優勝。身長172cmの甘いマスクと華麗なプレーで男子バレー界のプリンスと言われた。当時のコートは屋外であったが、田園コロシアムの会場には多いときで1万人もの岩田ファンが押しかけたと伝説になっている
 早大卒業後は、日本鋼管に入社して黄金時代を作った。現役引退後は日本鋼管女子、早稲田大学女子バレー部の監督も歴任された。その後、晩年は神奈川県ソフトバレーボール連盟名誉会長としてソフトバレーの普及にも貢献。お亡くなりになる直前までソフトバレーの現役選手であった。座右の銘は「生涯現役」。

 通夜は、本日執り行われた。告別式は、明日9月26日に和田湘南斎場で12時から行われる。
岩田さんのことだから、天国でも田園コロシアム以上の多くのファンの前でソフトバレーの妙技を軽やかに披露して楽しんでいることでしょう。
 合掌
  

Mon.September 24,2012  アッシー

   私が中学生の頃、TV番組に「名犬ラッシー」という長寿番組があった。シェパード犬で、見た目も利口そうで、人語も理解しているかのようであった。
  私は、午後からカミさんのお買い物の「アッシー」、つまり運転手として、横浜市中区にある元町に出かけた。元町(もとまち)というところは、オシャレなお買い物をする地域として熟女の方々にはメッカのようなものである。横浜という街は、日本が最初に本格的に文明開化した土地柄(1859年横浜港開港)で、洋風な建物や街並みが多い。かと思うと、お隣の山下町には中華街が接していたりして面白い街だ。
  元町の近くまで来て駐車場を探した。ナビゲーターであるカミさんの言葉どおり車を走らせても、なかなか目的地に行かない。ウロウロしながら、「外人墓地」や「海の見える丘公園」「フェリス女学院大学」などよく知られた名所、建物などの側をいくつも通り過ぎた。「迷犬アッシー」はカミさん語を良く理解できない。自分の嗅覚を頼りに進んだら駐車場が易々と見つかった。
 
  元町は、今週がセールの真っ最中で50歳代を中心に熟女グループが歩行者天国のストリートをあの店、この店と物色して歩く様は、圧巻である。三周ぐらいストリートを歩き回ると両手に買い物袋が一杯になっている。
  凄まじきなるかな、熟女のお買い物は!
 カミさんも、3周以上歩き回って、結局、バッグ老舗のKitamuraで買い物をして、両手にずっしりとぶら下げて駐車場にいる私の元に戻ってきた。その後、道路を挟んでお隣の町の横浜中華街に食事に行った。

  16年ほど前は、この近くにある横浜市立港商業女子バレー部のアドバイザーを3年間やっていた。チームは熱心な監督の指導が実って、岩手インターハイに見事初出場した。当時、その監督に教えてもらった場末であるが美味しい中華料理店を探した。しかし、同じようなきらびやかな装飾の料理店が並ぶ中華街では16年前の記憶では役に立たなかった。時間も夕暮れになってきたので、適当な店を選んで入った。お客は月曜日ということもあるのか、ここのところのギクシャクとした日中関係を反映してか少なかった。
 あの当時の監督は、全国大会に出場して2年後に学校を辞めた。私は仕事が忙しくなり、アドバイザーを辞退して3年後だ。あれから、もう既に13年経った・・・。

2012年9月24日月曜日

Sun.September 23,2012 ソフトバレーボール・リーダー養成講習会 in秋田

受講者は34名。男女比がほとんど同じくらい。平均年齢は若く30歳代後半。最近のリーダー養成講習会受講者の特徴そのものである。バレーボール経験者は凡そ半分。私個人的には、バレーボール未経験者が更に増加してくれると嬉しい。

 昨日の講義の時間では、パソコンとプロジェクターを使い講義が進められていった。私が主任講師で講義を行う場合、5年ほど前からITを活用して、今回のように受講者にわかり易い講義をするために文字だけでなく画像を盛り込んで行う方式に改めてきた。私の要望が叶わない県連盟もあったが、ここ秋田県連盟は、吉田理事長がお勤め先の会社で日常的にパソコンを使いこなしているので問題なく機器を揃えてくれた。


会場は、秋田市郊外にある北部市民サービスセンター。昨年できたばかりとあって、3階建ての内部は大学の講義室のようで内部に窓は無く、壁がほとんどガラス張りになって廊下から部屋の活動が良く見える。我々の講習会は1Fの小ホールで行われたが、まるでミニ・シアターのようでスクリーンは大きく、天井は明るく高く、ステージまでもある。


 昨日の夕食は、官公庁街の近くにある東北地区最大の郷土料理店が並ぶ「川反(かわばた)通り」で連盟の役員と一緒に歓談しながら頂いた。地鶏の比内(ひない)地鶏、時期は早いが、高級魚の鱩(ハタハタ;別名 かみなりうお;今回は冷凍もの)。そしてきりたんぽ鍋と稲庭(いなにわ)うどん。きりたんぽの美味しい季節は、勿論冬場であるが、今の時期は新米を使ったものでこれが一番美味しいと地元の人は言う。

 県協会からは2年前に会長に就任された山本先生が出席された。ソフトバレー連盟の会合に県協会の会長が出席されるのは、今回が初めてのようだ。どうやら、バレー談議のために私に会いに来られたようだ。2年ぶりの再会であった。

 実は、仕事の関係で、私は山本先生が県立角館南高校女子バレーボール部監督時代からお付き合いさせて頂いている。第2回全国春の高校バレー決勝戦で同じ東北勢同士の岩手県立高田高校と戦ったことは今でも語り草になっている。そのときのエースアタッカーでその後、日立・全日本で活躍しモントリオールでは金メダリストの荒木田裕子さんも教え子である。ロスの銅メダリストの利部(かがぶ)さんも教え子である。その名指導者の山本先生が夕食会に入ったことで座が一層賑やかになりバレー談議に花が咲いた。

 本日の実技ではj受講者の平均年齢30歳後半の特徴が反映され、元気なプレーにこちらも触発され、少しレベルを上げてしまった。初心者指導法のカリキュラムなのに、ジャンピング・スパイク・サーブの指導までやってしまって、少し反省。
 来年の10月に、秋田県連盟は、秋田市にて日本ソフトバレーボール連盟と一緒になって、全国ソフトバレーボール交流大会を企画している。全国大会を企画の段階から行うということは大きな苦労を伴うことであるが、そのことが秋田県連盟の今後の血肉になっていくことは間違いないことなので是非とも成し遂げて頂きたい。連盟会長の近江さんと新理事長の吉田さんとのコンビは東北ブロックの中で新風を吹き込んでくれるに違いない。

2012年9月22日土曜日

Sat.September 22,2012 秋田市に飛ぶ 

 本日は、日本バレーボール協会主催のソフトバレーボール・リーダー養成講習会講師を務めるため秋田市に飛行機で飛んだ。羽田発の朝早い便なので、自宅を6時ごろ出た。駅まで愛車の「ママチャリ号」で・・・いえいえ、今日からはコンパクトな折りたたみ式の「ミッキー号」で颯爽(さっそう)とペダルを踏んだ。なんと、ミニサイクルなのに変速機が付いているので楽チン!我輩の身体にも変速機が欲しい!実は、次女の所有物であったのを、私が是非にとも三顧の礼をもって拝み倒して、手に入れた新車同然の自転車である。車体には次女の好きなミッキーの絵がプリントされているところが私とミスマッチか?。

 半年間の短い期間の付き合いであったが、カミサンから頂いた「ママチャリ号」は、マンションの管理人が処分してくれることになった。どうやら、「ママチャリ号」は、管理人の知人に解体されて、アジアの遠くの国でまた活躍するようだ。ボロボロで錆(さ)びちゃった「ママチャリ号」、今まで尽くしてくれてありがとう!

 羽田空港を発って、1時間5分で秋田空港に着いた。うとうとする暇もない。空港では、今年度から秋田県ソフトバレーボール連盟二代目理事長に就任した吉田さんが待っていた..
.。

2012年9月21日金曜日

Fri.September 21,2012 突然のお別れ 

3月に定年退職した会社の営業部から電話が入った。茨城県の明秀学園(前 日立女子)女子バレー部監督の池谷優(いけや すぐる)先生(浜松日体高校→日本体育大学)が急逝したとのことであった。我が耳を疑った。まだ40代のはずだ。

 茨城県には全国常連の土浦日大がいる。その土浦日大と競って、常に3番手であるが、全国初出場の機会を伺って精進していた。最近、お会いしたのは昨年の千葉県で開催された関東大会であった。ベンチでの顔は厳しいが、試合後には私の顔を見て、人懐(ひとなつ)っこい柔和な顔になって追いかけてくる。
 「渡邉さん、私は渡邉さん大好き、mizunoも大好き人間です」と私を持ち上げては、すぐ側に来て私のたわいもないバレー論をいつも聞いてくれる。生徒は毎年小柄だが、池谷先生の指導が行き届いていつも元気いっぱい。あと1人、エース格の選手がいたら全国出場に王手をかけられるチームだ。
 茨城県高校体育連盟専門部関係者に詳細を聞いた。今週の17日(祝日)合宿練習中の夕方に突然、倒れたとのこと。血圧は普段から高めであった。
 残された家族のことを思うと・・・受験を控えたお子さんもいるはず・・・なんともやりきれない。本人が一番悔しいであろう。45歳で亡くなっちゃうなんて・・・これから努力が報われるというときに・・・残念無念。本日11:00から日立サンプラザで告別式が営まれる。
 合掌

2012年9月20日木曜日

Thu.September 20,2012 私立幼稚園PTA親睦ママさんバレー大会

 私の住む船橋市では私立幼稚園連合会が市教育委員会と一緒になって年に1回、親睦を深めるためにママさんバレー大会を開催している。

 今回は15の幼稚園からママさんチームが参加した。審判は市ママさんバレーの部から審判員が派遣されている。各チームとも普段から週1回練習しているだけあってユニフォームもしっかりと揃え、各チームが公平に2セットマッチで2試合の熱戦が繰り広げられた。
 私が、7月から指導しているチームも出場した。2試合で、セットカウント3-1で得セットのほうが多いので、良くがんばったといえる。課題は、体力。1試合目の1セットジュースで辛くも先取した後、特に持久力がガクンと落ちて気力まで萎えてしまった。30歳代のヤングママ達の割りに体力が不足している。・・・子育ての疲れなのかな?

 幼稚園PTAママさん達は、彼女達の子供たちが卒園すると、彼女達は小学校PTAママさんで引き続きプレーするか、一般のママさんクラブに入部する。我が国に、このような幼稚園PTAママさんチームが存在し、親善大会も立派に開催されているということを初めて知った。

 日本のバレーの裾野は広い。彼女達の子供たちも含めて日本のバレー界を支える裾野は確実にある。この裾野をどう生かしていくか。私にとっての新しい課題だ。

2012年9月19日水曜日

Tues.September 18,2012 バレー雑感...春高予選、狩野選手セッター転向、アジアジュニア選手権大会...

 まず、春高バレー予選会の話題から。全国トップで15日に福岡県予選会が行われ、 男子・東福岡、女子・北九州が代表に決まった。沖縄県も本日決まった。西原高校が3年連続アベック出場を遂げた。
 東京都男子の1次予選2日目が17日に行われ、ベスト4が決まった。駿台学園、早実、東洋、東亜学園の実力校が勝ち進んだ。11月17日での代表決定戦は、駿台学園-早実、東洋-東亜学園の対戦となり、勝者は第1、第2代表決定戦に進出し、敗者は第3代表の座を戦う。予想では今夏のインターハイでも東京都第1代表の駿台学園が絶対的なエースを擁し、第1代表が有力である。
 東京都高校女子の部は、10月28日に1次予選が行われベスト4が決まる。男女それぞれ勝ち進んだ4校により、11月17日に墨田区総合体育館で男女の代表決定戦(最終予選)が行われる。
 
 次に、移籍先がまだ決まっていなかった全日本選手の狩野舞子選手の移籍先が決まった。古巣の久光製薬である。そして、ポジションはセッターに転向するという。久光製薬の監督には元日立、全日本で天才セッターと言われた中田久美選手が今期から監督として采配を振っている。その中田監督から「セッターとして」口説かれたと言う。狩野選手自身がセッター転向に相当迷ったというように、セッターというポジションは難しい。ある程度セッターらしくなるのには、経験値が要求され最低でも3年はかかると専門家は言っている。その計算で行くと、現在24歳の狩野が27歳頃にはいっぱしのセッターになっていることになる。彼女の強みは186cmの長身とスパイカー、ブロッカーを経験してきたということだ。スパイカーの立場に立って打ちやすい丁寧なトス(set)を上げ、なおかつ相手ブロッカーには的を絞らせない嫌らしいトスワーク(戦術的set)を身につければ全日本でも面白い存在になる。そこで、私からの中田監督への提案であるが、セッターコーチは中田監督自身が行うのではなく、中田さんと異なるタイプのセッターコーチを置き、狩野を育ててみてはいかがであろうか?

 アジアカップ女子では、全日本Bが過去最低の5位と言う成績で終わった。今月末からは、アジアジュニア男女大会が男子がイラン、女子がタイで開催される。次のリオ・オリンピックではシニアで活躍する選手が多数参加する大会だ。ここでの成績が今までの日本の強化策の試金石となるであろう。アジアで男女とも3番以内に入って世界ジュニア大会に進み経験を積むことなくしてレベルを向上させることはできない。
 私見であるが、どうも今まで日本のチームスポーツ強化の一翼を担ってきた「Bukatu system:部活」が世界の進歩する強化策に対応できなくなってきているのではないか。サッカーだけはプロ化して新たな方向性に進んで現在の活況を示しているが、他のバレー、バスケ、ハンドなどは世界レベルと大きく引き離されている。部活は教育の枠の中で教師が指導している。海外ではジュニアの世代に対してもバレーボールの専門家がプロとして指導している。この点に関しては、また別の機会に論ずるとして、日本バレーボール界も強化策を転換させる時期である。
 今月の29日に日本バレーボール協会はLONDONオリンピックの報告会を行う。全日本女子の銅メダルを喜ぶのは良い。しかし、次のリオに向けてのビジョンをその場で聞くことができたら、なお良い。
世界のバレー界は休むことなく先に進んでいる。今日からは次の世界バレーの方向性が決まるFIVB世界バレーボール連盟の会長選挙がUSAのAnaheim(アナハイム)で開催される。Anaheimにはディズニーのテーマパークがあることで世界的に知られている。会長候補には3氏が立候補している。FIVB理事でUSA会長のDoug Beal(ダグ・ビル)氏、FIVB副会長でブラジル会長のAry raça (グラシア)氏、そしてオーストラリア会長のChris Schacht 氏か。どこでもそうだが、革新と保守
 
の戦いだ。

2012年9月18日火曜日

Mon.September 17,2012 全国ソフトバレーボール・レディース&メンズ大会-最終日

  例年であれば、交流大会1日目の夜に交流パーティを開催し、そこでの挨拶が私の担当の一つであったが、今年は開催しない。その代わりに金沢の街に参加チーム同士で繰り出して頂き交流を深めて頂き、合わせて夜の金沢のお店で経済効果を出して頂きたいと言う趣旨だ。私も、この企画には賛成だ。ホテルなどで行う交流パーティは地元の芸能など鑑賞できる喜びもあるが、会費が高く、その割りに食事もありきたりのバイキング料理が多い。夜の街に出て、加賀料理に舌鼓を打ちながら他県の仲間とソフトバレー談議をじっくりと行うほうが交流の質も高まり、開催地の経済効果のお役に立てる。来年度開催地もこの石川方式を引き継ぐ方針だ。


 交流大会においての私の担当業務は、役員が見逃しそうな小さな事項を再確認すること。例えば、メディアへの対応がある。我々のこの素晴らしいソフトバレーボールを広く世間に知らしめることも役員の務めである。日本ソフトバレー連盟には広報委員会を設置し、この任を務めている。各都道府県にも委員会とまで行かなくとも指導普及委員会に広報の部を設置して対応して頂きたいものだ。

 昨日、地元のTVと新聞社が取材に来てくれた。理事長の五香さんが丁寧に対応した。そして、その成果でTVでは昨日の昼と夜の地元のニュースで2回も取り上げて頂いた。新聞社のほうは、本日の朝刊にカラー写真入りで紹介していただいた。その記事を拡大コピーして参加者の目に付くところ数箇所に掲示した。

 閉会式は、ここ数年の閉会式の中では見事にスムーズに支障なく行われた。理事長の五香さんの表情も閉会式終了直後、やっと和んだ・・・。
 そこで、私の最後の任務である確認事項を願いして会場を去った。
 「理事長、では報告書のほうをよろしくお願いいたします。体裁よりも内容を簡潔に画像も入れて1ヶ月以内に速やかにお願いします。それと、関係団体への御礼と報告文書もお忘れの無いようにお願いします。それではこれで失礼します」。
 我々、長の付く役員にとって交流大会終了は閉会式後ではない。経理を閉めて、報告書を作成し、後援、協力の関係諸団体に御礼を含めて提出して初めて「終了」である。役員活動は大変だが、参加者に大変さを感じさせない黒子活動であり、参加者満足を追求するのが役員活動だと考えている。石川県ソフトバレーボール連盟の皆さん、お疲れ様でした!
 

2012年9月17日月曜日

Sun.September 16,2012 全国ソフトバレーボール・レディース&メンズ大会-2日目

 
 
 

 朝に開会式を行なった。参加チーム数は、88チーム。レディースもメンズのチームも、6人編成での参加をお願いしているが、ほとんどのチームがその条件を満たしている。各チームの努力には頭が下がる。

  主管の石川県ソフトバレーボール連盟の大会運営は見事である。理事長の五香(ごこう)さんとは、過去8年ほど前から長野県軽井沢町ソフトバレー交流大会などで、年1回程お手合わせいただいていた。彼は「暴れんじゃー」というチームを率いて、近隣の県の交流試合によく参加していた。男性陣の高身長を生かしたプレーと美形の女性陣の活躍で、チームは常に上位の成績を得ていた。そのような彼の経験が、愛好者からの目線での大会運営に生かされていた。余分なセレモニーを省き、試合数を多くしたり、夜の金沢の街を探訪してもらう時間を作ったことは、評価できる。
  勿論、五香さんが活動しやすいように後方から支援している会長の川口先生の存在なくしては、石川県ソフトバレーボール連盟を語ることはできない。
来年度開催地は山口県周南市。会場には山口県ソフトバレーボール連盟の役員5名の方々が視察に見えていた。その中に県連盟名誉会長の藤田先生がいた。藤田先生は1979年に香川高校(現 宇部フロンティア大学付属香川高等学校)女子バレー部監督として春高バレー初優勝を遂げた。その年は、私がmizunoに入社した年でもあり、高校トップチーム担当者として私が最初に担当したお客様であった。しばらく、役員室で当時の女子バレー界の話が続いた。

  今夜の夕食は、川口会長ご自宅に近い山の中腹にある小粋な料亭に招待された。話は、オリンピックの話題から、日本バレー協会、日本ソフトバレー連盟と移っていき、辛口の議論も展開された。川口会長と語っていて、突然、「人生、意気に感ず」という言葉を思い出した。まさに何かを変えようという人間が持つ熱を会長から感じた。
   私の胃は、連夜の料亭料理に驚いたのか、お通じに変調を来たしている。今晩は、早く就寝することとした。
  明日は、最終日だ。


2012年9月16日日曜日

Sut.Septenber 15,2012 全国ソフトバレー・レディース&メンズ大会-初日

  今日から、明後日まで石川県金沢市にいる。東京駅を新幹線で9時過ぎに出て、新潟手前の越後湯沢駅で特急に乗り換えて金沢に着いたのが1時半過ぎ。電車内は、三連休ということもあり、観光客で満席であった。
  改札で出迎えてくれたのは、6月に金沢でリーダー講習会を開催した時の地元の女性役員の方。早速、代表者会議の会場に車で送って頂いた。
  会場に着いて、石川県ソフトバレー連盟会長の川口先生、理事長の五香さんと挨拶を交わし、早速打ち合わせに入った。

  代表者会議、審判クリニックを無事終えて、幹部役員の夕食会の会場に移動した。移動時には、川口会長が自ら加賀八万石の武家屋敷を徒歩で通って案内してくれた。画像でも判るように、夕方の空には電線が見当たらない。地中に埋め込んであるのだ。途中、北信越でも代表的な歓楽街の一つである片町を横切っていった。加賀芸者に会いたい気持ちもあり、ちょいと、後ろ髪を引かれた・・・。

  30分ほど歩いて、着いたところが、市内でも高名な料亭。懐石料理など普段食べ慣れぬ私は、料理が出されるとすぐさまガツガツと食べてしまい、品がないったらありゃしない。松茸(まつたけ)の土瓶蒸しも美味しかった。地酒の冷酒も一升飲んだと思う。
  明日から、本格的に大会副委員長としての仕事が始まる。それにしても、これでは、栄養取り過ぎだ。

2012年9月14日金曜日

Fri.September 14,2012 他人事ではない中東の反米デモ

 米国で作られた映像作品が、イスラム教預言者ムハンマドを冒涜(ぼうとく)しているとして、11日にリビアの米領事館が武装集団に襲われ米国の駐リビア大使や4人が死亡した。
 イスラム教徒のデモは11日にエジプトから始まり、12日にはチュニジア、モロッコ、スーダン、イラク、イラン、イエメンと拡大した。

 9.11は、11年前に米国各地で約3,000人の命が奪われた同時多発テロが起きた日である。製作したのは、英紙によれば、ユダヤ系米国人という。真相は、判らない。第3者が9.11を利用して画策しているのかもしれない。いずれにしろ、他の宗教を故意に侮辱する行為は許されない。また、侮辱を受けた側も過激な行動に訴えるのは許されない。

 私は、1976年から2年間、チュニジアにいた。バレーボールの指導をしていた。お隣の国は、リビアとアルジェリアで、リビアからは時々国境を越えてチュニジアに入ってきていた。私は、一時チュニジア人の家に下宿していた。彼らと同じものを食べ、宗教上のしきたりも学び、生活をともにした。

 宗教を理解することは難しい。言えることは、宗教とはその人そのものである。私も、近いうちに海外でバレーの指導を行う機会が来るであろう。その時に大事なのは、その国の宗教、文化を尊重することから始まる。相手を理解する努力なくして友人はできない。
 過激な行動は謹んで欲しいが、過激でなければ行動にはならないと考える人達もいる。時間をかけて対話を繰り返すことしか、今の私には考えられない。
 

2012年9月13日木曜日

Thu.September 13,2012 アジアカップ女子バレー 3日目

 本日はもう一つの話題。
 日本バレー界にとって、こちらはショックなニュースが飛び込んできた。
9月10日からカザフスタンのアルマトイで開催されている第3回AVCアジアカップ女子バレーボール大会2012で全日本女子Bが2-3で敗退した。相手は今まで負けたことがないベトナムである。
(Vリーグ若手主体の全日本B)

 監督、コーチは全日本女子の真鍋監督以下LONDONオリンピックのスタッフである。実は、ベトナムは男女とも強化が進んでいるとの情報は入っていた。しかし、全日本Bが敗退するとは思っていなかった。中国、タイはLONDONに出場したメンバーがそのまま出場しているという。
 全日本Bは、これでBグループ中国、ベトナムに続いて第3位。明日、もう一つのグループ2位の地元カザフスタンと対戦する。勝てばベスト4。
 アジアの中でも女子バレーのレベルが向上してきた。日本のバレーは今やバレーの古豪国の扱いである。アジアではリスペクト(尊敬)されているが、実力はずば抜けているわけではない。昨年のこの大会の成績は、第4位であった。大学生とVリーグ若手主体のチームであった。日本はアジアの女子バレーを牽引する立場として、次年度からは全日本Aクラスを派遣する義務がアジア連盟に対してあるのではないか。
 
(ベトナム女子チーム)

 ベトナムのバレー強化の背景には、ベトナム経済の高い成長率がある。但し、昨年までの年間で6%-7%の高い経済成長率も、直近では欧州経済危機などの影響で減速している。インフレも続いている。かつて最大の魅力だった低賃金は、東南アジアのなかで最も上昇著しい国として、逆に進出した外国企業の悩みの種になりつつある。
 それでもスポーツの発展と成長は、国民の楽しみとして直ぐには止まることはないであろう。
 
 下のベトナムとの記録を見ると、ブロック点数でベトナムが上回っている。セット終盤で3点連続取られて挽回されての敗退が2セットある。次世代の全日本チームに不安が立ち込めている。
日本 - ベトナム 2 - 3
(25-20, 23-25, 25-17, 13-25, 15-17) 101-104
アタック 67-60, ブロック 12-19, サーブ 3-3, 相手ミス 19-22
(カザフスタンの高いブロックvsタイ) 
     
 
 
 明日対戦するカザフスタンも国は経済発展中進国だ。鉱物資源が豊富な国である。ソビエト連邦崩壊後の1991年に、カザフスタン共和国として独立した。あまり知られていないが、アジアでは夏季アジア競技大会では中国、日本、韓国に次いで金メダル獲得数第4位を維持している国だ。バレーボール女子チームは、ソビエトの流れを汲んでいる。高身長を生かしたブロックを武器にしたバレーを展開する。

Thu.September 13,2012 2013 春高バレー 地区大会決勝日決定 本大会は6年ぶりに埼玉県で

 来年開催される高校生にとって最高の大会である「春高バレー」地区予選会日程が昨日主催者から発表された。昨年まで30年間は、東日本の試合は、日程が重なっていない限り、会社の経費でほとんど観戦していたが、今年からはそうは行かない。財布と相談して、関東地区を中心に観戦するしかないかな・・・。

第65回全日本バレーボール高校選手権地区大会決勝日程

地区  期日   会場

北海道 11・16 道立総合体育センター
青 森 11・4  青森市民体育館
岩 手 11・4  一関市総合体育館
秋 田 10・26 秋田市立体育館
山 形 11・25 山形市総合スポーツセンター
宮 城 10・17 セキスイハイムスーパーアリーナ
福 島 11・24 福島市国体記念体育館
茨 城 10・28 ひたちなか市総合運動公園体育館
栃 木 11・10 県北体育館
群 馬 11・3  県総合スポーツセンター
埼 玉 11・14 さいたま市記念総合体育館
東 京 11・17 墨田区総合体育館
千 葉 11・11 県総合スポーツセンター
神奈川 11・11 秋葉台文化体育館
山 梨 10・28 小瀬スポーツ公園武道館
長 野 11・11 ホワイトリング
新 潟 11・4  新潟市東総合スポーツセンター
富 山 11・24 富山市総合体育館
石 川 10・27 いしかわ総合スポーツセンター
福 井 11・24 福井市体育館
静 岡 11・18 草薙総合運動場体育館
愛 知 11・23 稲永スポーツセンター
岐 阜 11・18 ヒマラヤアリーナ
三 重 11・17 鈴鹿市立体育館
滋 賀 11・10 野洲市総合体育館
和歌山 11・17 県立体育館
奈 良 11・24 桜井市芝運動公園総合体育館
京 都 11・23 府立山城総合運動公園体育館
大 阪 11・4  舞洲アリーナ
兵 庫 11・19 グリーンアリーナ神戸
岡 山 11・3  笠岡総合体育館
広 島 11・25 広島市東区スポーツセンター
鳥 取 11・11 県立産業体育館
島 根 11・18 安来市民体育館
山 口 11・11 下松市下松スポーツ公園体育館
香 川 11・23 善通寺市民体育館
徳 島 11・3  北島北公園総合体育館
愛 媛 11・24 八幡浜市民スポーツセンター
高 知 11・11 県立県民体育館
福 岡 9・15  福岡市民体育館
佐 賀 11・18 市村記念体育館
長 崎 11・23 諫早市小野体育館
熊 本 11・18 県立総合体育館
大 分 11・25 ダイハツ九州アリーナ
宮 崎 11・4  高鍋町総合体育館
鹿児島 11・4  桜島総合体育館
沖 縄 9・17  那覇市体育館
※開催日、会場は変更の可能性あり

 

Wed.September 12,2012 米国女子バレーチーム新監督は・・・

 11日の共同通信の記事によると、USAバレー協会は、USA女子バレー代表の監督にカーチ・キライ氏が就任すると発表した。
『米国バレーボール協会は11日、五輪の6人制とビーチバレーの両方でただ一人、金メダルを獲得したカーチ・キライ氏(51)が女子代表の監督に就任すると発表した。
 キライ氏は2009年に女子代表コーチに就任しロンドン五輪での銀メダル獲得に貢献した。選手としては6人制で1984年ロサンゼルスと88年ソウルの両五輪、96年アトランタ五輪ではビーチバレーで金メダルを獲得した。(共同)』

 
 今回のLONDONオリンピックで金メダル確実と言われていたUSA女子バレーチームであった。予選グループで圧倒したブラジルと決勝で再戦、1-3で敗退。USA女子バレーは、オリンピックでまだ金メダルを取っていない。キライ氏に監督の要請があったとしても不思議ではない。

 選手時代のキライ氏は、1980年~90年代に渡ってMr.Volleyballと呼ばれた。FIVB国際バレーボール連盟から20世紀最優秀選手に選出され、2001年にバレーボール殿堂入りした。

 名選手、必ずしも名監督にあらず、と言われるが、キライ氏にはそのようなレッテルは無用であろう。『カーチ・キライのパーフェクト・クリニック』(日本文化出版、1987年12月)という氏が著(あらわ)した本を読めばわかる。私はこの本を20年前に読んだ。そして日本のバレーをお手本にしているが、氏独自の理論も面白く大変参考になった。翻訳は、古市英先生(故人、当時早稲田大学監督)も懐かしい。先生とは20年前になぜか気があって、良く一緒にお酒を飲んでいました・・・。
画像で現役時代の氏が着用しているユニフォームやシューズは、今年私が定年退職した会社の製品である。ユニフォームのデザインはアメリカ側からの提案であった。何の変哲も無いネイビーブルーの短めのポロ襟タイプ。我々はこのようなデザイン性の無いものでは商品化した場合売れないであろうと観念した。高い契約金をUSAバレーボール協会支払って、ロスオリンピックでメダルをとっても日本国内のマーケットでは難しい。ところが、USA男子バレーチームが金メダルを取り、キャプテンのカーチ・キライが着用しているUSAナショナルチームモデルは日本国内で発売されるや大人気のヒット商品となった。端正な顔で、金髪をなびかせ、常に真剣にプレーするカーチ・キライがシンプルな商品に付加価値を付けてくれた。名前はキライだが、私はもとから彼のフアンであり、益々大スキになった。

 当時の話題をもう一つ。我々は、シューズも提供した。バレーボール専用の当時の新製品をアメリカ支社を通じて送った。返事はNO! 代りに選択したのが外靴として提案したトレーニングシューズ。移動用にアウターソール(地面に触れる部分)は、分厚くなっている。つまり、選手たちにはインドアといえば、バスケットのイメージが高い。事実、当時のバレーボール選手はバスケットも楽しんでいる選手が多かった。従って、バスケットシューズに近い底の厚いトレーニングシューズを選択したのだ。当時の日本のバレー界ではレシーブが重視されており、シューズの底の厚いものは敬遠されていた。今でこそ、男子選手用のシューズはキライ達が選択したような底の厚いものになっているが、彼らの選択眼は正しかった。我々はトレーニングシューズのアッパー(表)を軽量のカンガルー革にして別注品を作りチームに納めた。結果は金メダルを獲得した。
 
 

 学んだことは、商品企画は現場の声を丁寧に拾うことが大事であるということ。最近話題の「踊る大捜査線」の青島刑事の『事件は会議室で起きているんじゃない・・・』に通じる。
それにしても、キライのアンダーハンドでのレシーブ、腕が1枚の平たい板のようになって美しいですね~。肩甲骨周りの筋肉が硬くなった私には、なかなかできないフォームです。実は、キライも肩甲骨周りの関節の動きは大きくない。そこを彼は肩甲骨を挙げ(肩をすくませる)、そして手の組み方で改善した。つまり、一般的なやり方の指を包むやり方ではなく、指を絡ませるやり方に変えた。そして、面を崩さぬように肩周辺の筋肉で補っていたんです。

 そういえば、思い出した・・・。(最近思い出すことが多い・・・進化してきたな我輩も・・・)。日本のMr.Volleyballといえば森田淳悟さん(現 日体大教授)であるが、森田先生も一般のやり方では腕の面がフラット(平ら)になるように組むことができなかった。そこで、先生は、小指と薬指だけ絡ませることによって腕を回外(体の外側に回す)させ易くすることで上腕の面が平らになるように工夫されていた。

 東西のMr.Volleyballと同じように、この私も指を絡ませたアンダーハンドをソフトバレーボールやママさんバレー、高校バレーの指導で実演しているが、未だに「Mr.」の称号をいただいたことが無い。やはり、Mr.の称号には容姿も関係しているのでしょうね・・・。

 ああ・・・また、長いブログになってしまった。岩本洋先生(元 全日本女子監督)から怒られるだろうな。
 「ナベさん、我々目の不自由な年寄りのことも考えて、短文で頼むよ、短文でね」。
 






2012年9月11日火曜日

Tues.September 11,2012 全日本男子バレーの苦悩

 全日本男子バレーが危機に瀕している。いや、危機は1990年代から始まっていた。今や、日本の男子バレーが崩壊してしまったかのようだ。4年前の北京オリンピックに16年ぶりに出場を果たすも、全敗で最下位。今年のLONDONオリンピック、アジア最終予選ではオーストラリア、イランに敗退した。植田監督は、辞表を提出。
 きょうの朝刊で朝日新聞には載っていなかったが、さすが日本経済新聞は隅のほうであったが、男子バレーを取り上げていた。

 
 昨日、ワールドリーグ出場権をかけた入れ替え戦(プレイオフ)で日本男子は、イランに2敗して来年度のワールドリーグに出られなくなった。実は、2011年の昨年も成績が振るわず、今年と同じように出場権をかけてプレイオフに回る予定であった。しかし、3.11の東日本大震災、福島原発事故の影響で試合が全てアウェイ(相手国での試合)であったことが考慮されて、プレイオフを免除されて本戦に出場していた。ところが、参加した16チーム中15位の成績だったので、また入れ替え戦(プレイオフ)に出場することとなった。それも同じアジアのイランとの入れ替え戦と言うことになった。結果詳細は下の通り。福澤と清水のエースはがんばったようだが、全体的に日本のミス(26点)が多かった。ブロックも相手が10点と圧倒。サーブ得点はない。
 日本のバレーの良さは、ミスの少なさにあるはず。これでは、いかん。

【イラン・テヘラン】
09月07日(金) 19:00 07 イラン - 日本 3-0 (25-19, 25-14, 25-23)
09月09日(日) 19:00 08 イラン - 日本 3-0 (25-16, 25-17, 25-21)
 
               ブロック 10-3,  サーブ 3-0,  相手ミス 26-16
 来年度の出場チームがこれで決まった。日本は経験を積むべき大事なリーグ戦に出場するチャンスを失くした。さらにFIVBのポイント制にとっても不利になり、日本男子は、今後ますます苦難の道を歩むことになるであろう。
 日本バレーボール協会は抜本的な対策を取らなければ、日本から男子がバレーを行う姿は消えてしまう。バレーボールは女子のスポーツとなってしまう。

<ワールドリーグ2013出場チーム>
1  ポーランド
2  アメリカ
3  キューバ
4  ブルガリア
5  ドイツ
6  ブラジル
7  フランス
8  ロシア
9  セルビア
10  アルゼンチン
11  イタリア
12  カナダ
13  フィンランド
14  韓国
15  イラン (←日本)
16  オランダ (←ポルトガル)

2012年9月10日月曜日

Mon.September 10,2012 平日が戻ってきた

  8月からずっと講習会等が続き、慌しく日々が過ぎていった。今週は、少し腰を落ち着けて、資料の整理などに時間を割くことができる。週末は、全国ソフトバレーボール・レディース&メンズ交流大会が石川県金沢市で開催される。私は大会副委員長に任命されているので、2泊3日の予定で出かけてくる。次週の土・日は秋田県秋田市にて日本バレーボール協会主催の公認ソフトバレーボール・リーダー養成講習会に講師で2年ぶりにお邪魔する。
  きょうの午前中は、コスモス幼稚園PTAママさん(15名)の練習日。前回から、若いママさんたちに「戦術(tactics)」を指導している。他のコートも、きょうは全てママさん達が占拠している。

 「戦術とは自分達チームの強み(Strong point)を相手チームの弱み(Weak point)に当てること」と説明した。具体的には、サービスでの攻め方を説明した。まず、サービス順を決めること。ママさんたちは、今までは、サービス順など考えたことなど無かったと言っていた。サービス順の1番は確実にコート内の狙ったところに入れることのできるサーバーを配置する。2番、3番、4番はスピード、パワーのあるサーバーのエース級を配置する。何やら、ベースボールにおけるバッターの順番に似ている。コースの指示は、相手のエースアタッカーから一番離れているところに打つこととした。サービスを打つ位置は、ターゲットのレシーバーに最も近い距離から打つこと、とした。
 例えば、相手チームのエースアタッカーがレフトであれば、サービスの狙いどころ(ターゲット)は、バックライトになる。できれば、レシーバーの正面よりもレシーバーとレシーバーの間、レシーバーとサイドラインの間(Golden zone)にサービスを打って、レシーバーを動かしてレシーブさせるとミスが生じやすく効果的だ。サービスを実行する位置は、自コートバックレフトの後方になる。一応、これがサービス戦術の基本。

 練習を終えて、体育館のロビーと言うか廊下でMeetingを行っていたところにメンバーの1人が平服でやってきた。手にはスポーツ飲料などのペットボトルをメンバー人数分、差し入れとしてポリ袋に入れて持っている。
 「できました!3人目です」。
 メンバーの顔が、ぱあーっと明るくはじけた。「おめでとう!」「先、越されちゃった!」
ヤング・ママさんバレーチームの場合は、お目出度(めでた)が続くと9名のメンバー確保が難しくなるのが普通である。しかし、このチームのメンバー総数は18名。まだまだ、お目出度が続いても大丈夫なところが、このチームの最大の強み。数は力である。おめでとう~!
 

Sun.September 9,2012 千葉県ソフトバレーボール選手権大会 雑感

 千葉県ソフトバレーボール連盟では、年間の交流大会を2回、9月と3月に開催している。大会開催数が2回というのは、他県と比べて少ないほうだ。コート数は12面取れる体育館であるが、7面で運営していた。参加チーム数は38チーム。ここのところ参加チーム数は減少傾向だ。
 我が「大穴クラブ」からは5チームが参加した。私は60歳以上の部に出場。結果は準優勝。どうも、ここ数年、午前中は体の切れが良くない。午後からは、華麗(加齢?)なプレーも出てきた。60歳以上の部では、私だけがジャンプ・フローターサーブを打っている。助走をつけてジャンプすることで、幅跳びジャンプになる。そのことで、ボールをヒットするポイントはコート上の空間で行うことになる。飛距離空間が短くなり、ボールの到達時間も短くなり、レシーバーはスピードが増したような錯覚に陥る。ダイレクト・サービス・ポイントを1セット平均2点をあげることができた。肩の痛みもリハビリの効果が出てきたのか、痛みは薄らいできている。

 試合を全て終えて、その場にいた「大穴クラブ」3チームのメンバーに集まってもらって集合写真を撮った。最近は、30歳代の若い人達も入部してきた。次世代に次いでいくのも我々ベテラン達の仕事だ。皆、大事な仲間達である。
 

2012年9月9日日曜日

Sat.September 8,2012 グループ・コーチング

 昨夜のパーソナル・コーチングに続いて、今夜は4人でのグループ・コーチング。4人と言っても、American hight school girlsは2名と昨夜と同じご両親の計4名。今夜は、コート1面を使ってネットを張り、実際にスパイクの指導を行った。
 高校生達は、まだbeginners(初心者)で、手取り足取りの細かな指導を行った。基本は、ボールを投げること(throwing)とボールを受けること(catching)。目標に、長短、強弱や高低をつけて、正確に投げることができれば、サービスやスパイクをマスターすることは容易である。また、相手から投げられたボールを体の正中線(正面)で受け取ったり、強いボールを弾くことなくドッジボールのように両手でしっかりと掴むことができたり、長短、高低のあるボールを速やかに下点に動いて捕捉できれば、パスやレシーブをすることは、さほど難しくない。初心者には、、もっともっと、各種スローイングや各種キャッチングを遊びの中でやらせるべきである。
 スパイクの難しいところは、空中でボールを打つことである。ジャンプのタイミングやネットと言う障害物を越えてボールを相手コートに入れることは簡単なことではない。なぜなら、通常の生活に、そのような身体活動は、ほとんど無いからである。まず、始めたのは、ネットを挟んでネットから1m離れて私と生徒が立つ。私がボールをネットを越えて空中に放り投げる(トスする)。生徒が、そのボールをネットより高いところでキャッチする。まずは、ここからスタート。次のレベルは、そのキャッチしたボールを持ったまま着地(landing)したら、すぐさまジャンプしてネット越しにサッカーのようにオーバースローイングして相手コート内にボールを投げ入れる。And then(次に)、コーチからネット越しに投げられたボールをジャンプしてキャッチしたら、空中ですぐさま相手コート内に放り投げる。次は、コーチからネット越しに投げられたボールを空中で両手の平を使って「パチーン」と相手コートに打つ。・・・次に利き腕で打つ・・・と言う具合に進んでいく。
 腕のスイング(ボールを打つ:hitting)は、壁に向かって3m~4m離れて立ち、壁近くの床にボールを打ち込み、壁に当たり跳ね返って来たボールをまた床に連続して打つ練習を行う。
 助走(approach)の練習も繰り返し行う。まず、3stepsから行う。両腕のテイクバックスウィング(体の後方に引くスイング)、テイクオフ(ジャンプ)を助けるスイングをstepと協調させることも簡単ではない。
 90分という短い時間ではあったが、以上のメニューをこなして今夜は終了した。次回は来週の金曜日と決まった。同じ動作を300回繰り返すことで、基本はある程度できるようになる。急がば回れ。バイオメカニズム(運動生理・力学)的に正しい動作で、繰り返し行うことが大事である。ビギナーは、まず一日に10回を3セット行うところから始めて欲しい。10日後には、動作がスムーズになっていることに気付くであろう。そうしたら、次にはダイナミックに距離、高さ、回数、スピードを増していけばよい。更には、同じスキルの連続、違うスキルと組み合わせて、複数のプレイヤーと一緒に・・・と進めていけば良い。

2012年9月8日土曜日

Fri.September 7,2012 パーソナル・コーチ?

   東京American club girls team(TAC)へのコーチングが、今月の21日から再開される。冬季、春季に次いで、夏休み後のFall Session(秋季)が始まろうとしている。受講者の中にはその日まで待ちきれない高校生が、お1人いるようで、本日の夕方から、週末だけでも、私のコーチを受けたいという連絡が担当スタッフに入った。どうも熱心なのは高校生のその子と言うよりもお母様のほうが熱心なようだ。 
 その子が港区にあるTACの体育館にやってきた。ご両親もご一緒だ。お父さんは、スエーデン人で身長は優に190cmを超えている。お母さんは日本人で、女優の樋口可南子さん似の美人。お嬢さんは、日本の高校であれば二年生で、身長はお父さん譲りで176cm。手足が長く、お顔は女優の原節子(ちょいと昔過ぎるか?)に似ている。
 早速、彼女のご要望のサービスとスパイクの基本から入っていった。練習では、お父さんにも手伝ってもらって、ボール投げとキャッチのコーディネーション・トレーニングを30分ほど行った。その後、壁にターゲットを定めて、サービスの練習を始めた。近距離から徐々に壁から離れて正しいフォームを形成しながら力強く打っていった。
 トレーナーが女優の自宅に招かれて、ストレッチやトレーニングを指導する「パーソナル・レッスン」というのは聞いたことがあるが、バレーボールでの「パーソナル・コーチング」は、これが始めてである。いや、親子3人にコーチしたのであるから「ファミリー・コーチング」というべきか?英語、スエーデン語、日本語が入り混じっての1時間半のコーチングであった。明日はお友達も誘って4人になるという。今度は「グループ・コーチング」というのかな?

 帰り道では、久しぶりにロシア大使館の隣から東京タワーを見ることができた。ライトアップされて美しかった。
 

2012年9月7日金曜日

Thurs.September 6,2012 ママさんバレー そして お見舞いへ

 午前中は、久しぶりに船橋市内の幼稚園PTAママさんバレーチームの練習に行った。9時から他のチームと練習試合を行った。相手のチームに木村沙織さんに似ているエースがいるということで、アップ時から探していたが見当たらない。似ているというのは、容姿ではなく、爆発的なスパイクを打つ凄いアタッカーということらしい。確かに、ゲームではレシーブできないようなパワー溢れるスパイクを打つが、こちらも重量級のブロッカーを3人、彼女に的を絞って当てると、スパイクの1.2倍のスピードで相手コートに入るときもある。本物のサオリンであるならば、肩甲骨の可動域の広さを生かして更にブロックの内側のインナーを抜いてくるであろう。
 そういえば、サオリンは9月に、トルコはイスタンブールのクラブチームに移籍する。もう日本を出発したであろうか?一回りも二回りも成長して日本に帰ってきて欲しいものである。
 練習試合の後に、時間があったので、練習試合に出ていなママさん中心にサーブレシーブの基本練習を行った。ママさんたちは大事だとわかっていながら、サーブとサーブレシーブの基本練習をほとんどやらない。「やりたい練習」と「やらなければならない練習」があるとすると、一般的にママさんはどちらを選ぶか?「やりたい練習」を優先する傾向がある。その理由とは、プレーしているママさんがコーチ役(進行役?)もやっているので、どうしてもそうなってしまう。ママさんチームでも、監督、コーチが専任でいるところはさすがに計画的・効果的に練習しているので公式試合でも県大会では常に上位に入賞している。
 午後からは、知り合いの日本ソフトバレーボール連盟の役員が入院している病院に向かった。秋葉原にある三井記念病院というところだ。JR秋葉原駅から徒歩6分で着いた。最近完成したようだが、最上階は19階とこの界隈では一番の高層ビルで、遠方の新宿のビル街を一望できた。

 病院にいくメリットとして、自分の健康にも注意するようになる。来週は、歯の検診と最近痛んできた左足のアキレス腱痛も診断してもらおう。
 秋葉原駅に戻って、駅に隣接したビルの中にある有隣堂という書店に入った。このビルは1階から6階までがヨドバシカメラで7回に有隣堂がある。大きな書店で求める本を探すのも一苦労する。
早速スポーツコーナーに行ってみた。「確実に上達するソフトバレーボール」の本がそこには並んであった。
最近、書店を見つけると、必ずと言ってよいほどスポーツコーナーに行って覗く習慣ができた。この本は私にとって2冊目の共同著作品であるが、わが子のように可愛い。親馬鹿かもしれないが、結構良くできていると自画自賛している次第である。画像が多く理解しやすいと思う。多くの人に手にとって読んで、そして見ていただけたら嬉しい。

2012年9月6日木曜日

Wed.September 5,2012 パラリンピック シッティング・バレーボール

 LONDONで開催中のパラリンピックをTVで観戦した。その中でも、シッテイング・バレーボールの日本女子チームの試合を見た。シッテイングとは、sitting、つまりフロアに座ったままプレーするバレーボールのことである。フロアから腰を浮かせてのプレーは、反則になる。他は、6人制のバレーのルールに近い。コートはソフト・バレーボールのコートよりは若干小さい。


   TVでの解説は、益子直美さんがやっていた。彼女は、東京の共栄学園から当時結成されて間もないイトーヨーカドー・バレーボールチームに入団した。益子さんで思い出したのが、そのシッテイング・バレーボールをイトーヨーカドー・バレー部が積極的に地域住民に紹介していたことだ。今から18年前、私は青年海外協力隊の後輩が埼玉栄高校女子バレー部監督として就任し、依頼されて強化アドバイザーを務めていた。チームも万年ベスト8から脱出して、新監督のもと2年目で念願の県大会第3位に入るほどの力をつけていたところであった。高校3年生たちが、時々イトーヨーカドーに行ってシッティング・バレーを手伝っているということが耳に入った。その時が、私が初めてシッティングバレーの存在を知ったときであった。
  インターネットで改めて調べてみた。『ティングバレーボールは、1956年に戦争によって体が不自由になってしまった人々によりオランダで考案されたスポーツです。障害の治療やリハビリテーションのためにスポーツが導入されたのは1944年まで遡ります。その時、動きの少ない“シットボールと“バレーボール”を組み合わせて作られたのがシッティングバレーボールの始まりです。
 1980年、ついにシッティングバレーボールはパラリンピックの正式種目となり、そのスピード感と興奮が選手だけでなく見る側の人にも伝わり一緒に楽しめるようになりました。また、障害者の選手達の競技精神も同時に見ることができるようになりました。そして、1983年には世界選手権も開催され、確実に世界へと広がっています。
  シッティングバレーボールは障害者や膝、足首などに怪我をした健常者のバレーボール選手達によって今も成長しています。シッティングバレーボールはスポーツを通して障害者と健常者が高い技術を持ち得ながら、共に運動できるスポーツ競技としてさらに成長する可能性を持っているのです』(日本シッティングバレーボール協会)


 
 TVの画面で観たゲームで感じたことは、上体でだけでボールをコントロールする難しさである。日本女子の実力は、世界で5番前後らしい。明日の試合で地元の英国に勝つと第7位が決まる。
 このスポーツは健常者も一緒にプレーできる。今度、ソフトバレーやママさんバレーの練習時にウオームアップでやってみよう。
 

2012年9月5日水曜日

Tue.September 4,2012 我がソフトバレークラブの練習

 今週末の日曜日は、千葉県ソフトバレー連盟主催の県選手権大会が開催される。「選手権」という名称よりは「交流」と言う名称のほうがレクリエーション・スポーツには相応しいと思うのであるが、主催者は、一番を目指すことにこだわりがあるようだ。
 さて、その大会に我がクラブからは過去最多の5チームを送り出す。今夜は、大会に向けて最後の調整であった。ゲーム練習になって、私がポイントに対して条件を出した。
 サービスでのポイントには2点、プッシュなどでコートの角の隅にボールを入れれば3点、というボーナス点をモチベーションとしての条件を出した。そうすると、面白いもので、皆、積極的にボーナスを狙いに果敢に挑んでいく。私もサービスで3点ボーナスを狙いに行って、結果として相手レシーバーが動きながらレシーブすることでボールをコート外側にはじき2回ほどサービスポイントを頂いた。
 先週の足立さんの講習会でも「サービスは、攻撃的でなければ意味が無い。特に相手チームに身長があり攻撃力があるチームに対しては、こちらのサーブを攻撃的にして、相手の攻撃力を削減することが重要」ということを言われたが、プレーヤーとしての私自身にもいい聞かせた。知っているということと、できるということは違う。また、知っているということと他人に指導できるということは違う。さらに、指導できると言うことと自分がプレーできるということも違う。
 今夜の練習は、ボーナス点で結構盛り上がった。失敗したら罰則も必要だが、成功したらご褒美も交えてやると、より効果が出てくる。いけないのは、ただなんとなくプレーすること。目標を持って楽しくプレーしたい。
 今度の大会も今夜のボーナス点ゲームの考え方でやってみよう。レクリエーション・スポーツにおいて、勝敗はプロセスの1つの結果に過ぎない。
 

2012年9月3日月曜日

Sun.September 2,2012 FIVB講師の足立さんを招いて-2

   本日は、主催者が代わって日本バレーボール協会主催の都道府県バレーボール指導者研修会。主管の千葉県バレーボール協会副会長で強化責任者の宇木先生に挨拶をお願いした。宇木先生は、千葉県の課題として、最近の千葉県代表の中学チームの不振を見て、中学生の強化をしきりに強調されていた。
  モデルは、全国出場常連の千葉市に学校がある敬愛学園女子バレー部3年生に来て頂いた。春高バレー出場目指しているところ、積極的にモデルで参加して頂き感謝している。受講者は昨日から継続の方もいるが18名ほど入れ替わったようで、全体で32名。本日は千葉県内からの参加者が全体の半分以上いた。

   昨夜、足立さんと話したことだが、県内で全てのカテゴリーの指導者が一同に集まって、昨日行なったようなポジション別の研修会を月一度開催する企画はどうかということを思い出した。全体の指導者のコーチング力を向上させることで、多くの部員や愛好者が、よりバレーボールを楽しむことができる。そして、誰でもが、ボールを意のままにコントロールする楽しみから、戦術を仲間と工夫し相手のコートにボールを入れるチームワークの面白さのレベルに進み、ゲームで勝敗を決する面白みに達するように県内の指導者のレベルの底上げがトップのレベルを押し上げることになると思うのであるが、いかがであろうか?

  他にも、課題はあるが、まずは以上のようなことから来年度の事業計画として始めて行きたい。来年度は、他に日体協公認指導員養成講習会の開催も計画している。時期は八月だが、開催地を千葉市や船橋市を離れて地方在住の指導者への便宜を計って県境で開催するのも良いと考えている。早速、県西部で茨城県に近い旭市総合体育館に打診してみた。12月の調整会議までには、詰めて行きたい。

Sat.September 1,2012 FIVB講師の足立さんを招いて

    本日は、講師の足立さんの主宰する団体である「進化型」の主催での講習会。千葉県バレーボール協会が協力する。明日は、日本バレーボール協会主催での研修会で千葉県バレーボール協会が主管という、いわばコラボした形で指導者の学習・研究の場を企画した。
 本日のモデルチームは神奈川県立小田原高等学校男子バレーボール部。中学の成績がオール5でも入学するのが難しい神奈川県下有数の進学校である。

  足立龍哉。彼は宮崎県の高校を卒業して、単身アメリカ合衆国に渡った。アメリカの大学に入学できたのは、バレーボールのお蔭と彼は語っている。小柄な彼が、スポーツで奨学金を得て大学生活を全うできたのは、セッターという特殊技能を要するポジションのスペシャリストであったことが幸いした。入学を勧めたその大学のバレーボール部は優秀なセッターを探していたところであった。
  彼の経歴はドラマチックであるが、それは、また別の機会に譲るとして、本日は「セッターの育て方」のテーマで三時間半の短い時間ではあったが、早いテンポで講義、実技が進んで行った。
  会場は、千葉県船橋市船橋学園東葉高校、参加者は東は宮城県から、西は京都から30名が集まった。皆、足立龍哉の理論に心酔している情熱溢れる若き指導者達である。彼の理論には、長年のアメリカ、ヨーロッパでの指導実績と研究に裏付けられたエビデンス(根拠)がある。それだけではありきたりだが、プラス、オリジナリティ(独自性)がある。そして、システム化したロジック(論理性)がある。
  日本では、どちらかというと、まだ流派が存在している。全国大会で数度優勝した程度で持論が絶対的と考える一部の名指導者がいる。この件は、また別の時に論じるとして・・・、足立の理論は停滞している日本バレー界にとってカンフル剤になりうると私は確信している。
  それにしても、最近の彼は凡庸な私の10倍のスピードで疾風している感がある。彼が昨年末に大病を経験した後、特に顕著だ。まだ50になったばかりだ。スピードの出し過ぎは事故の元だ。しかし、彼はそんな忠告にも笑顔で応える。
  「渡邉さん、今やらなくていつやるんですか? 私がやらなくて誰がやるんですか?」何か、ドラマのシーンの会話のようであるが、世界のバレー事情がリアルタイムで彼の元に入って、そこから日本のバレーを俯瞰している彼から言われると現実味を帯びてくる。
 
  彼のように今までと違う見方、発想のできる人材を世に知らしめるのも私の役割りと心得ている。
  明日のテーマは、サービスとサービス・レセプション。さて、本日の実技も終えたので、これからNight Session、訳すと夜間講習会、超訳すると受講者も交えての飲み会に出かける。この時だけは、凡庸な私の脳もアドレナリンが大量に分泌されて、素晴らしい発言をする。但し、光速に近い一瞬の出来事で、その後は親父ギャグを連発するただのオヤジになっている・・・。