2011年6月30日木曜日

6/26(日) 鹿沼市9人制女子クリニック そして、東京都男子インターハイ出場校が決定

 会場は、フォレスト鹿沼というメーンコートが3面、サブコートが2面余裕で取れる総合体育館。そこのメーンコートで参加者70名を対象にクリニックを行った。参加者の年齢は20代から60代まで多様。ママさんバレーですかと聞くと「いいえ、9人制女性部Aという名称で登録チームは51ほどあります」との返事が返ってきた。ママさんバレーは、9人制女性部Bと言い、11チーム登録とのこと。かれこれ、20数年前から、この方式でやってきていると事務局長の吉村さんが仰った。
 今回のお手伝いの講師に古川千代子さんをお願いした。彼女は全日本女子でセッターとして活躍した。彼女の思いやりのある丁寧なトスワークを見て育ったのが、次に全日本女子の正セッターとなった中田久美さんである。指導は、やはり2人の方が面白い。お互いに刺激になるし、補い合うこともできる。
 「元気に、明るく、美しく」を合言葉に、クリニックは進んでいった。3時に終えて、東京に急いで帰る予定であった。インターハイ男子バレー代表決定戦がそろそろ決まる時刻であった。そして、女性部Aのクリニックを終えて着替えに行こうとしたのであるが、そのままサブコートに連れて行かれた。そこには小学生女子のチームが待っていた。コーディネーション・トレーニングを応用した直ぐに上手になる練習法を4つ紹介して、シャワーを浴び着替えさせてもらった。
 新幹線に乗るために宇都宮駅に役員の車で送って頂いた。実は、私は東洋高校の関係者、古川さんはライバルの東亜学園に現役の息子さんがいるという関係である。携帯電話で結果を聞くと、東洋が第1、東亜が第2で代表に決定とのことであった。駿台学園と安田学園は落ちた。横手インターハイでは今年の春高で優勝している東亜学園が第1シードで、ベスト4の東洋は第3か第4シードで決勝まで対戦しない組み合わせになりそうだ。今年の春高で東洋を下し、決勝に進んだ熊本の鎮西高校が県代表を逃がしたということも聞いた。怪我人があったのであろうか、高校バレーも連続して代表になるのは難しい。
 7時に東京駅に着き、水道橋駅の近にある居酒屋で始まっていた東洋高校の祝勝会に間に合った。3年生の親御さんたちとは更に2次会まで進み、2夜連続のアルコール攻勢で私の肝臓も疲れた・・・。

6/25(土) ソフトバレーボール・リーダー養成講習会in東京



 公益財団法人日本バレーボール協会(JVA)主催の各種講習会、研修会の講師には、JVA公認講師が務めるように規定されている。今月に入って、唐突に、その公認講師に定年制が敷かれた。70歳以上は、定年ということになった。
 3月上旬の全国指導普及委員長会議でも、定年制の話はなかった。定年制を敷くのであれば、段階的に推進していくのが今までのJVAのやり方であった。そして、定年制を敷くにあたっては、審判規則委員会のように、名誉の称号を与えるのも考えてよいはず。
 そのような定年制に当初決まっていた70歳以上の公認講師が急遽招聘できなくなり、私が数日前にJVAから依頼され、この日の東京都会場の講師を務めることになった次第である。
 会場は、港区スポーツセンター。役員と昼食を共にとりながら、進行を確認してから、初日の講義に入った。受講者は40名ほどであった。中に見知った顔があった。アテネオリンピック女子バレー主将の吉原知子さんが受講していた。休憩時間に少し話をした。今通っている大学院の修了も今年の7月にできそうだということを聞いた。終了後は、私の後輩になる。講義の中で、先月16日に国会で法案として成立した「スポーツ基本法」の資料を受講者に配布して、最新のスポーツ環境の話をした。この基本法は、前回の「スポーツ振興法」以来50年振りの改正になる。今後は、「スポーツ基本法」が文部科学省で立案されて具体化されていくのであるが、道のりはまだまだ遠い。
 夕方に役員から懇親会に招待され楽しいひと時を過ごさせていただいた。8時ごろにそこを退席し、栃木県鹿沼市に新幹線で向かった。明日は、9人制女子バレーの技術指導講習会である。

(画像は講義の風景。外では羽田空港に向かうモノレールが走っている) 

2011年6月23日木曜日

6/21(火) 基本技術より経験が必要

 本日、我がママさんチームは、今月に入って4回目の練習試合に挑んだ。相手は、同じようにミスの多い典型的なママさんチームである。いつものように課題練習と怪我人や仕事で出場できないときのための「リスクマネジメント」を想定してのポジション交代を含めて行った。
 2セット目には、意図的にレセプション(サーブレシーブ)をレシーバーの2m前方上に上げて、2段トスにしての攻撃の練習を行った。しかし、腰がボールの下に入らないママさん達は逆に腕でボールをコントロールして相手コートにダイレクトに返してしまう。まあ、二回目の練習だからしょうがないと言えばしょうがないのであるが、ぐっと我慢のベンチでした。
 練習試合を終え、相手のチームの体育館を出て、ママさんに言ったのは「ボールは自分に来ません。自分がボールに向かっていくのですよ。そして、サーブレシーブはボールを腕で面を作って自分に迎え入れるのですよ。ボールを生卵と思って割らないようにね。生卵を取りに行くと、つまり腕をぶつけるようにすると割れてしまいますよ」。しまった。生卵の例示は、この前の三郷のチーム(地域の大会で準優勝しました!と一昨日報告があった)に言った言葉であった。他のチームに言った言葉を、自分のチームに言ったと錯覚している。これでは、マリーンズの80歳の監督の年齢までどころか、明日も怪しいものだ・・・。
 1時間前にも聞きました、その言葉!と言われようが、同じ言葉を繰り返した方がいい、と納得して今夜は寝ましょう・・・。

6/20(月) 「年を取ってて何が悪い」



 大リーグ、マーリンズは20日、成績不振を理由に辞任した監督の後任に80歳になるジャック・マッキーオン氏の6年振りの復帰就任を発表した。彼は「80歳なんて数字には意味がない。生誕証明書がそう示しているだけで、私は80歳だなんて思っていない。年を取っていることの、何が悪い。95歳までやれる」と記者会見で語った。

 なんて元気な爺さんなんだ。さすがマーリンズと言うチーム名は、アメリカを代表する作家であるヘミングウエイの「老人と海」のカジキから取っただけある。彼は、2003年にもこのチームでワールドシリーズに優勝している。このときはマッキーオン爺さん74歳のときである。相手のチームであるヤンキースには日本から1年目の松井選手が所属していた。ヘミングウエイが髭を剃ってカジキとともにベースボールを戦っているような 爽快感がある。

 来年で60歳になる私なんか鼻垂れもいいとこ。まだまだ頑張らなくっちゃあ。(画像は、最近のマッキーオン爺さん。ひ孫ほど年の離れた若い選手達とどんなゲームをするのか、海の向こうのベースボールが面白くなってきた)

2011年6月21日火曜日

6/19(日) マスターリーダー講習会 第2日最終日




 我々、講師の宿舎は、ナショナルトレーニングセンターに隣接しているユニチカ研修センターというところ。中に入ると、ロビーに日紡貝塚からユニチカにチーム名が変わっても世界で活躍した証明としての数々のカップやパネルが所狭しと並んでいる。

 本日のカリキュラムは実技。いつもだと、私の時間が多いのであるが、今回は小学校教材としてのソフトバレーの推進事業を優先させて、指導普及担当に多くの時間を割いた。審判活動についての指導は、来年の3月に全国審判長会議と研修会を開催し、全国統一された判定基準を理解して共通認識としていただく予定だ。DVDも企画検討中だ。

 午前中に講習会を終え、午後からは第1回の日本ソフトバレーボール連盟の審判規則委員会を開催した。北信越・東海ブロックにおいての審判規則関係のネットワークを密にするためにも、北信越・東海ブロックからメンバーを推薦して頂き、委員数を1名増やして7名とした。

 東京に帰る車中では、指導普及委員長の吉田さんが同乗して下さり、ご自身が下車する名古屋まで日本ソフトのビジョンを語り合った。

 さすがに2日間の講習会と会議は疲れた。あすの会社のおしごとは、つらかろうな・・・などと詩人の金子みすず風なつぶやきがぽつりと出た・・・。

(画像は、実技風景。午後に会議も終えて体育館を出ようとしたら、全国から選抜された中学生女子の貝塚ドリームチームが練習を行っていた。監督の佐藤忠明先生に一言ご挨拶してから退出しようとしたら、子供たちが並んで私に挨拶に来た。この中に、これから世界で戦って日の丸をセンターポールに上げてくれる選手がいるはずと、私も期待を持って子供たちに挨拶の声を掛けさせていただいた)

6/18(土) ソフトバレーボール・マスターリーダー養成講習会





 本日から明日まで大阪府貝塚市にある貝塚ナショナルトレーニング・センターを会場に、マスターリーダー養成講習会兼資格更新研修会の講師活動。会場は、東洋の魔女と言われた日紡貝塚女子バレーチームが東京オリンピックで金メダルを取るために日夜、汗を流した場所だ。
 ここを訪れたのは8年振りか。前回は、ナショナルトップコーチ養成講習会の受講で訪れた。体育館の近くに唯一ある中華料理店は、相変わらず昔ながらのたたずまいを残していた。日本ソフトバレーボール連盟の役員で一緒に昼食を取り、午後から受講者94名対象に講義が行われた。
 冒頭、連盟副会長の橋爪先生の講義が基調講演的に始まった。橋爪先生と言う方は、70歳を過ぎても、最新の情報を精力的に収集している。長らく体育・スポーツ行政の現場におられ、その博識・見識には驚く。私なんか60歳半ばで認知症状態で使いものになっていないであろう。何ですって?既に軽い認知症が入っているのではないか?確かに、自分に都合の悪いことには軽い認知症にかかっているかも知れない。
 質疑応答のカリキュラムでは、私の担当の審判規則委員会に関する質問が一番多く、出番が多かった。それだけ、審判規則委員会の活動がまだまだ全国的に不十分であるということと、反面、期待が大きいということと受け止めた。
 そして、夕方には関西空港の近くのホテルにホテル・バスで移動。本日最後のカリキュラムである「情報交換会」が始まった。情報交換会は受講者の所属県ごとに発表を行う内容である。そして発表が終わると懇親会がスタートする。受講者には各県の会長理事長始め県役員がほとんどである。講義室での講義よりも、懇親会での議論が活発化している。
 その勢いのまま、近くの赤ちょうちんで二次会に突入。ホテル近くの赤ちょうちんのお店は、受講者で満杯状態。さすがに、ソフトバレーボールは大人が行うスポーツ。経済的な効果も立派に果たしている。



(画像は、受講風景。100名入れる講義室がここにはなかったので、体育館内でやることとした。反省点としては、受講には机が必要であったということ。体育館、もしくは体育室と会議室、さらには宿泊施設が同じ施設でセットになっている講習会が望ましい。少なくとも隣接していれば受講者満足は高まる。講習会内容が一番重要ではあるが、快適な環境の配慮というのも大事な要因である)

2011年6月20日月曜日

6/17(金) 未熟な指導者

 未熟な指導者とは、・・・私のこと。ママさんバレーのたかが練習試合のごときでカッカするとは、情けない。それも、普段メンバーには次のように言っている。「練習試合は課題を持って行うので勝つために行うものではない。しかし、その課題を達成するように努力して、なおかつ負けないようにやること」。 
 課題を3つ挙げた。そのうちの一つは、同じスパイカーにトスを連続してあげること。これはスパイカーを育てるためである。スパイカーのコース打ちも指示して制約する。2つ目は、相手のエース以外のスパイカーに対してはブロッカーを跳ばないで、レシーブすること。これは、ブロッカーがいかにレシーバーの邪魔をしているか、そして、威力がさほどないスパイクにはブロックに跳ばない方が確実にレシーブできるか身をもって知って欲しかったからである。我がママさんチームでは、初めての試みであったので、そう直ぐに上手くいくはずはない。他のチームには何度も試しているので、自分のチームでも何度も試していると錯覚したようだ。
 よその子供には、懇切丁寧に優しく教えることができるのに、自分の子供には厳しく当たってしまう、そんな典型的なダメ指導者、と反省した夜であった。

2011年6月16日木曜日

6/16(木) バレーボールを超えるバレーボール

 8月8日から20日までの2週間、新潟県南魚沼市に行く。実は、日本で、実に18年ぶりぐらいにFIVB(国際バレーボール連盟)公認のコーチ・コース(認定講習会)が開催される。ところが、国内でこのことがほとんど広報されていない。日頃、国際バレーに関心を抱いている方はFIVBのHP(ホームページ)を見ていれば認知するのであるが、ほとんどの方は、初めて知ることであろう。そのあたりの理由は、ここでは触れない。いずれにしろ、開催される。
 私は32年前に、会社の指示で、国際公認資格を取ってきなさいと命令があったので、日本から受講する方達と香港に行った。その時の受講者は、6名で、その中に現在JVAの女子強化委員長の荒木田裕子さん、順天堂男子バレー監督の川合先生、JVA医科学委員会委員長の南先生がいた。講師は松平康隆、豊田博と豪華な講師陣であった。このときの2週間の受講生活は、話すと長くなるので、次の機会にお話したい。
 8月のコーディネーターは、今年でFIVB技術委員会(日本語でコーチ委員会)委員長を最後に退任される豊田博先生。私の恩師である。FIVBのコーチ資格は下からレベルⅠ、Ⅱ、Ⅲとある。当初、日本で開催されるこの講習会のレベルはⅠであったが、急遽Ⅱも同時開催となった。そこで、7月にチュニジアに行って受講しようと予定していた私としては、渡航費がかからない、東京から新潟までの新幹線代だけの南魚沼市での講習会に受講申し込みをした次第である。但し、不安なのは、現在20数名の受講申し込みの中でレベル2を受講するのは、どうも私だけらしいのだが、海外からのレベル1の受講者も2名と少なく(原発放射線への懸念)、講師の方と1対1で講義と実技がなされる可能性が大きくなってきた。
 来年は、どこかの国でレベルⅢを受講する予定である。そして、可能性があればFIVB公認インストラクター(講師)の資格を取得して各国で活動しながら日本のバレーのレベルアップに寄与したいと考えている。世界から日本を見る視点で日本の強化を考えないと、日本が再びメダルを取ることは不可能と、私は考えている。海外のチームが日本より優れているとは思っていない。しかし、日本が海外より優れているとも考えていない。大事なことは、国籍や国名に関係なく優れている環境やチーム、指導者と日頃から触れ合い、バレーボールが他種目より魅力を増すことをともに考え、競い合うことと考えている。
 バレーボールという小さな世界でバレーボールを考えている間は、バレーボールを超えることができない。

2011年6月15日水曜日

6/15(水) インターハイ福島県高校女子バレー予選会終わる

 月曜日に、磐城第一高校女子バレー部監督の菊池先生から、結果報告がメールで来た。「2回戦で敗退しました。すみません。私の力不足で生徒達には、可哀そうなことをしました。また頑張ります」。
 磐城第一とは、2年前の12月に茨城県日立二高での合宿時に初めて会った。その後、磐城市バレー協会主催の指導者講習会の講師として磐城市にお邪魔したり、私の方で神奈川県の方で全国クラスのチームとの練習試合の紹介をしたりで、年に10日間ほどは一緒に強化練習する機会があった。その後も、メールや電話で監督とは連絡を取り合っていた。2月の新人戦では、初めて県大会でベスト4に入り、優勝チームとフルセットの接戦をするところまで実力が向上してきた。6月の県大会インターハイ予選にも希望が持てた。
 そして、3.11の震災と原発被災。部員の数名の家が津波で流され、いまだに終息しない原発事故で多くの住民が隣のいわき市に避難してきた。部の練習もままならない。関東への強化合宿に誘ってもそんな予算も余裕もなかった。そして、11日に生徒達のインターハイへの挑戦が終わった。実力を出し切れないでの2回戦敗退は悔しく、無念であったろう。
 菊池監督への返信で「あきらめないで、挑戦を続けてください」とメールを打ったが、衣食住足りてのスポーツである。まずは、子供たちの生活が日常に戻ることが基本である。励ますようなメールを送った自分を恥じた。限界を超えて頑張っている人を更に頑張れと励ますことは失礼なことである。
 急に、学校に行きたくなった。菊池監督と生徒たちの顔を見たくなった。

2011年6月13日月曜日

6/12(日) インターハイ東京都女子予選会 2日目

 6月19日には、東京都女子代表の2チームが決まる。今日はベスト4が決まる試合に行こうと予定していたが、ここのところの夜の同期会、ママさんバレー練習、東洋高校役員会などが続いたせいか、体がだるく、外出を取りやめた。60歳を前にして、体が進化(老化と言う人もいるが)を始める予兆なのかなと、まずは大事を取った。
 今日のベスト4決めの試合で、一番の見どころは、関東大会予選会ベスト4の文京と久しぶりにベスト8に落ちた八王子実践の一戦であった。八王子実践は、2週間前の関東大会でも2回戦で群馬県1位の健大高崎(関東ベスト16)にストレートで敗退しており、調子は良くない。
 会場に行っている関係者から結果が入った。八王子実践のストレート勝ちであった。25-22、25-23.2週間前の関東大会での屈辱的な10年振りの2回戦負けで八王子実践は相当な危機感を抱いたのであろう。実践の生徒を見ていいて、いつも感じるのは、この子たちは相当な決意を持って実践に入学してきたんだなと、いうこと。危機の時ほど、逃げずに、立ち向かっていく。生徒一人一人のポテンシャル(潜在能力)は高い。
 しかし、来週日曜日のベスト4のリーグ戦は、ポテンシャルだけで勝つには難しい東京都女子の決選である。東京都の強さは小学生バレーにある。そして、中学では、男女とも全国優勝校がひしめいている。なおかつ、中・高校一貫指導の学校がほとんどである。トップで中・高一貫でないのは、男子の東洋と東亜学園ぐらいである。
 来週のリーグ戦は熾烈な戦いが繰り広げられるであろう。3チームが2勝1敗で並び得失点差で代表の2チーム(優勝チームは自動的に国体の関東ブロックに単独で都代表推薦となる)が決まるなんてのも今までざらにあった。どこが代表になるか、最後の最後まで眼の離せないのが勝負事。願わくば、どのチームも怪我なく、あらん限りの努力を尽くしてゲームを終えてほしい。

2011年6月12日日曜日

6/11(土) 私学高校の経営と教育と部活

 東洋高校には生徒の学習・生活環境を支援する外郭団体がある。卒業者で作る「同窓会」、現役父母で作る「父母の会(PTA)」、卒業した生徒の父母で作る「さいかち会」、そしてそれら3つの団体を統括する「後援会」、計4団体がある。
 私は、「さいかち会」では監査を、「後援会」では理事を務めている。活動は、2つの団体合わせて、月に1回程度なので、仕事をしながらでも、なんとか会議や事業に出席している。学校は電気量削減活動をしているので、6時半までには学校を出なければならない。この日は、来月の総会に向けての監査、準備、確認事項などを行い、その後、懇親会となった。
 この懇親会では、普段なかなか話を交わすことのない理事長、校長、教頭、事務長と話す機会ができる。私が話す内容は、いつも同じで、男子バレー部のこと。学校の魅力は偏差値の高さだけにあらず、男子バレー部の存在も学校の魅力であると、いつも強調する。ナベさんまたか、と煙たがられるのであるが、昨年の男子バレー日本一でますます学校の魅力が高まった事実は先生方の脳裏にしっかりと刻みこまれたようだ。東洋大学とは提携しているわけでもなんでもないが、その東洋大学は、駅伝日本一で、受験生が2年連続増加した。部活は、子供たちが学年を横断して協力して小さな社会を経験しながら成長していく活動である。各学年のクラスには、ほとんどバレー部員がいる。大会時にクラスの仲間の応援で声を張り上げ共感していくことは仲間意識(連帯感)の醸成においても大事な体験である。全国区で活躍する部活であればなおさらである。
 私学において、学習環境を整え、部活で連帯感を作ることは経営活動において重要な要素であると考えている。そして、学習効果を今以上に上げるには、教職員の資質を更に上げることが重要である。この夜もまた、そのような会話が教職員のトップと父母OB・OG達の間で交わされた。東洋高校は、部活も熱いが、教職員や外郭団体も熱い。
 さて、来週日曜日は、インターハイ東京都男女予選。レベルの高い東京都から僅か2チームしか代表になれない。当日は、私は大阪にソフトバレーボール・マスターリーダー養成講習会の講師で行っている。代表決定の現場にいないのは残念であるが、ここ3年、予選会に私が不在の方が勝率が良い。朗報を待とう。

6/10(金) ママさんバレー4日連続の今週

 我がママさんチームの指導に2日、他の地域のママさんチームに2日と、今週はママさんバレ一色の週になりそうだ。
 初心者チームに不足しているのは基本技術よりも、ゲーム・マネジメントの基本が不足している。つまり、ゲーム形式での練習、ゲーム慣れが不足している。ゲーム練習から個々の基本練習につなげていくのが、強いチームの作り方だ。本日は、我がチームの練習日。同じ区内のPTAチームを誘ってのゲーム練習を行った。練習試合とゲーム練習は違う。練習試合は、試合と同じようにゲームが進行していくが、ゲーム練習は、大きなミスが出たときにゲームを止めて指導となる。例えば、2段トスを強く打てない場面では、その原因をプレーヤーと一緒に考える。指導者がミスを指摘して、次からこうしなさいと言葉での指導だけでは効果的な指導(対策)にはならない。「なぜ、強く打てなかったのか?」と私が質問する。プレーヤーが答えられない。「では、どちらのやり方が強く打てる?」と私が実技で示す。「助走がほとんどなかったからですか?」プレーヤーが答える。「そうだね。その場でボールを投げるよりも、前に走りながらボールを投げる方がボールは遠くに飛ぶよね。つまり、体重移動を使うと強いスパイクが打てるんだね」とプレーヤーの答えをつなげて解説する。そして、ここからが大事なのだが、説明だけで終わらずに、ネット際でブロックジャンプしてから、ネットから素早く4m離れて助走距離を取り、2段トスを1人連続5回を2セット行う。頭で理解したら、体で覚えることが個々の技術(スキル)を短時間に覚えるコツである。次には、スパイクレシーブを行ってから、後方に下がって助走距離を取ってスパイクに入る練習を行う、ということである。
 点数は必ずつけることで「競争的」になる。また、一方のチームから連続して特定のコースにサーブを打たせたり、特定の位置からのスパイク攻撃だけ行い、他方のチームのプレーヤーに反復練習をさせて個人の能力を伸ばしたり、フォーメーションの確認を行う。このようなゲーム練習は、仲の良いチーム同士でなければできないものである。
 多くのママさんチームのメンバーは1チーム作る(9名必要)のがやっとの少ない人数である。日頃からBチームも作れるだけの人数は揃っていないのが実情である。同じ地域で同じ練習日に活動しているチーム同士、月に1回以上は合同練習を行い、ゲーム練習を行ってみたらいかがであろうか。必ずや短期間でボールが落ちないゲームができるようになる。そうすると、公式試合では、勝てるチームではないが、ボールが直ぐには落ちないので、結局、なかなか直ぐには負けないチームになり、更に3か月継続していくと、自分達より少し強いチームにも勝てるようになってくる。

2011年6月11日土曜日

6/9(木) あのセレブの千代田クラブママさん



 日本の中心ともいうべき千代田区。皇居のある千代田区。上場一部の大企業の本社が立ち並ぶビル街にある千代田区スポーツセンターで千代田クラブさんは午前中に練習している。いまどきのママさんは日中にパートなどで働きに出ているが、ここのチームのメンバーは自営業の方が多いので、夜の方が忙しい。
 昨日のランチに、メンバーの一人が経営する三省堂書店近くにあるパスタのお店に大東文化大学男子バレー元監督の飯塚先生をお連れした。店でのママは、さすがにコートにいるときのママと違い存在感がある。コートの中では、ミスが出ると、声が小さくなるが、自分の店ではノーミスで元気な声でお客様に接している。飯塚先生は「美しい方ですね。渡邉さんはあのような若い方達とバレーボールをやられているんですか。うらやましい限りです」などと仰っていたが、御年84歳の飯塚先生から見たら、50歳代の女性は、若くて美しく見えるのでしょうね。
 さて、さて、美の世界は奥が深いので、この話題はこのくらいにしましょう。そして、本日の練習の内容も充実していました、と簡潔に表現して、本日のブログを終えます。

(画像は、千代田区スポーツセンター正面とメーンアリーナ。ここには相撲場もある。同じ午前中の部では、お隣のコートで若いフランス人達がフットサルをやっている。彼らとは練習後の更衣室で一緒になる。彼らがフランス語でベラベラ喋っているのを私は黙って聞いている。若いフランス人は、現代の日本の若い人たちと同じように随分と省略形や造語が多い。俳優のアラン・ドロンや歌手のエディット・ピアフ世代である私には、多少聞きづらい。そのうち、同世代のフランス人が現れたら、こちらから挨拶していこうと思っている)  

6/8(水) 前谷ママさんチームin三郷市





 先月の埼玉県三郷市にて開催された「神白(かじろ)杯ママさんバレー交流大会」にて、紹介されたのが「前谷(まえや)ママさんチーム」。試合中に、私がベンチの傍を通り過ぎようとしていたとき、ベンチにいるお二人の大ベテランの女性監督と女性コーチから「どうぞ、どうぞ、お座りください」と柔らかな言葉使いと満面笑みの中にも強引な引き込みでベンチに座らされたのが、事の始まりであった。
 新宿の歌舞伎町などにある怪しげな店の前に立っている客引きなどまったく反応しない私ではあるが、その時の70歳を過ぎたであろう女性監督とコーチの眼に灯っていた怪しげな火に吸い寄せられるかのようにふらふらとベンチに座ってしまった。「これは、これは、好機来るとはまさにこのこと。この男の能力を試してみよう」と、思われたのかどうかは知れないが、ゲームの途中からであったが、アドバイスすることとなった。



 結果は、相手が強すぎて、一桁しか行かなかった。しかし、2セット目の方が点数がとれていたのでそこのところを評価した。「凄い!2セット目の方が点数が1点多い。つまり、1セット目の反省と対策がなされている結果です。この調子で次の試合も行けば、畳の目ほどですが進歩していきます。頑張って!」これで喜んだのが2人のお姑監督・コーチ。伝令でアラフォー世代で髪を短くお下げにしているキャプテンが飛んできて「先生、どうしたら強くなれるでしょうか?」と聞いてきた。このキャプテンの眼は宝塚男役スターの如く大きくパッチリとしている。その目で私の目をのぞかれると、私も年甲斐もなくクラクラとめまいがして思わず「今度チームに指導に行ってあげましょう」と自分の意思とは違うもう一人の私が返事をしてしまった。



 その日から2週間たって、本日、前谷クラブの練習会場である三郷市立前谷小学校に行ってきた。公式試合が近いということで、対戦チームのメンバーを集めていただいて、ゲーム形式での練習を行った。アップの練習を見ていて気づいたのは、パス力が弱いこと。ランニングパスを行っているのは、動いてからのパスが大事なので、これは良い練習をやっていますね、と評価した。但し、互いの距離が短いので、最低でも7mは距離を取ってやってください、と指導した。



 9人制を上手くやるポイントの一つは、2段トスの成否にある。レシーブがネット際のセッターにきちんと返球される確率が50%以上になれば、ママさんバレーとしては中級レベルである。セッターに返球されないボールは2段トスとして一般的に長い距離をボールを飛ばさなければならない。つまり、遠くに飛ばすパス力が要求される。そしてスパイカーがジャンプして打てれば、相手チームがミスする確率が高くなる。ラストボールをスパイカーがジャンプして角度をつけたアタックで返すか、パスで放物線のチャンスボールを返すかの違いである。



 パス力をつけるためには、スクワットトレーニングで下肢の筋肉(大腿四頭筋、殿筋、ハムストリング筋、下腿三頭筋など)を鍛え、体幹(背筋、腹筋)を鍛え、腕立てで大胸筋を鍛えることが必要である。まずは2日に1回、女優の森光子さんもやっているスクワットを30回と膝立の腕立てを10回を2セット行うことを3ヶ月間続けることをお勧めする。何事も努力なくして向上しない。小さな努力を継続することが成功の秘訣である。

 大ベテランお二人の幹部と大黒柱のキャプテンがいる限り、初心者の集まりであるが若いチームはぐんぐん成長していくことは間違いない。三郷市名産品の大きなどら焼きを食べながらそう確信した。


(画像は、三郷名物のどら焼き。小豆の中に大きな栗が入っている。甘すぎないので2個は食べれる。コーヒーで頂くと美味しさがまた増す)

2011年6月9日木曜日

6/7(火) 我がママさんバレーチームの練習

 毎週火曜日は、ソフトバレーの練習日である。ところが、この日の会社の夕方からの会議が、白熱して、定時を回ってしまい、自宅に帰宅して着替えの時間がなくなってしまった。練習会場に急いで行っても残り練習時間が30分しかない。そこで同じ火曜日に練習をやっている我がママさんバレーチームの練習会場に向かった。こちらだと、会場に着いての練習時間が1時間半まだあるので、ママさんに切り替えた。我がソフトバレークラブの会場は船橋市の最北端にあり、自宅からは車でも40分、電車でも40分かかる。千葉市の我がママさんチームの練習会場は、電車で15分のところにある。
 今週は、ママさん達には特別に、金曜日の練習と含めて週2回の指導となる。この日行った練習を紹介しよう。結構参考になると思う。
 一つは「状況判断のプレー」。まず、ママさんに3人でやらせたら、まったくできなかったので、レベルを下げて、2人1組で行わせた。一方の人がパスした後、すぐさま指サインを出して、たとえばグー・パーのパーを出したら、ボールをもらう人は「パー!」と大きな声を出してからオーバーハンド・パスを行うという約束練習である。グーが出されれば「グー!」と言って、アンダーハンド・パスを返す。これにチョキを入れて、平行パスなど加えていく。
 初心者は、ボールだけしか見ていないことが多い。多くの指導者は「ボールを良く見なさい」と言う。しかし、ゲーム時にはボールだけ見ていては中級レベルには進化していかない。目線の順序は、ボール→人→ボール→人である。ボールの次は、そのボールを扱おうとしている人を見なければいけない。更には、その次の人の動きまでも見なければ「状況判断」できない。2人1組ができてきたので、次に3人1組の三角形で同じことをやらせたが、これが、またできない。こういうときは、ボールをつかんで、まさにバスケットかラグビーのようにゆっくりやれば良い。バレーボールの難しさというのは、実に、この「ボールをつかんで状況を見て投げることは反則」と言うところにある。ボール以外の人や物を瞬時に見て判断してから、ボールをコントロールして仲間に優しく返し、ネット越しの相手には意地悪く返す、ということがバレーのゲームである。
 次に行ったのが、サーブレシーブ(reception)を敢えて、セッターにパスしないで、レシーバーの前方上にアンテナの高さで上げ、近くの人が2段トスをネット2m離して上げてサイドスパイカーに打たせる、というゲームライクな2段トスの練習である。多くの指導者は「難しいボールは上に上げておけばいいんだよ」と言う。しかし、上に上げる練習を普段からやっていないと、これは難しいスキルなのである。レシーブを前方にはね返すだけだったら、さほど難しくはない。しかし、自分の頭上に上げることは、ボールの下に腰を入れなければいけないので、練習しておかないとなかなかできない。コート内に実際9人入って、2段トスだけ上げてスパイカーにつなぐゲーム練習をやっておくと、実際のゲームのときスムーズにボールがつながる。今度の金曜日の練習試合でも、この計画的なサーブレシーブと2段トスとスパイクの連結練習を徹底的に行う。
 3つ目の「ラストボールを片腕で打って返す」のもあるのだが、疲れてきたので、本日はここまで。
 明日夜は、埼玉県三郷市の平均年齢が若いチームに初めてお邪魔する。「平均」という言葉は、含蓄ある言葉ではある。その意味は?明日、判明する。

6/6(月) 大学院の同期会inお茶の水



 2006年に一念発起して、大学院に進学した。第4期生としての11名の仲間は多士済々であった。アテネオリンピック元選手、現役選手、コーチ、監督、教員、大学職員、JOC職員、高校教員中途退職者、教育委員会職員など、平均年齢は37歳で、私が最年長の54歳。この日は、5年かけて修了予定までこぎつけた最後の仲間の激励会(ほぼ、お祝いの会)&同期会が1年振りに開催された。
 会場は、私の勤務する会社の直ぐ近くの御茶ノ水駅前と幹事が設定したものだから、私としては、万難を排して出席しなければいけない。6時半ごろから、ぽつぽつと集まり始めて5人になった。職業は色々。中学校の教員でソフトテニス指導、外資系でアメフットチームのMG、IT会社経営でラグビー関係、スポーツ協会関係の事務職を転々としている女性、そしてスポーツ品製造・卸の会社サラリーマンとみんな違うのが面白い。スポーツ界の裏話から、学会の話、大学閥の話、どこの大学の経営が厳しいとか、皆良く知っている。
 月曜日の夜の飲み会は、オジサンである私には翌日が飲み疲れが出て厳しいが、楽しい一夜を過ごさせてもらった。出席できなかった同期達には、電話攻勢で、「こっちは楽しいよ~欠席裁判だから、あの話を出すよ~」などと脅迫まがいの連絡をしている何某もいる。
 この同期のネットワークが上手くつながると、面白い。いや化学反応を起こして凄いことができるかもしれない。夕方から夜にかけて学んだ2年間、修論で悲鳴を上げながら苦労した仲間達を今後も大事にしていきたい。私の宝物(者)である。

(御茶ノ水駅前での記念写真。勤務の後に丸ノ内線の茗荷谷駅まで行き、東京教育大学の元の校舎に駆けつける2年間の生活は高脂血症になるほどリズムが乱れて体調も万全でなかった。大学受験時を思い出したくらい頑張った。いや、それ以上であったかもしれない。大学時代には、お互いに幼すぎて友達はいても同志はいなかった。大学院時代は志を同じくする同志が初めから全国から集まってきていた。中には、今までの勤務先を辞めてまでも入学している人がいたのには驚いた)

2011年6月5日日曜日

6/5(日) 関東高校男子バレー決勝 東洋3連覇を逃す

 本日は、3年ぶりに決勝は男子バレーの会場に足を運んだ。男子の会場は、本来は栃木県が当番なのであるが、震災の関係で会場が使えなくなり、神奈川県で3会場、東京都で1会場に変更になった。本日のベスト8からの最終日は、メインの会場の川崎市立橘高校。観客席が2階の立ち席しかないので、コート上にチーム応援者だけ降ろして応援席にしていた。なかなか良いアイデアである。
 今年は、昨年の東洋のようにダントツのチームがない。昨年は、東洋のエースの柳田にトス上げておけば何とかなった。その東洋は第2シードから順当に勝ち上がり、準決勝で埼玉県の深谷高校と対戦。結果は2-0で東洋が勝利した。深谷は2枚のエースに頼りがちで、セッターもクイックとオープントスがブロッカーに読まれやすいトスアップであり、東洋は3枚ブロックで対応した。破れたりとはいえ、深谷は下級生が多く、今後が楽しみなチームである。
 決勝の相手は、市立習志野高校である。準決勝では会場校でもある市立橘とフルセットの激戦を制した。実は、決勝のこの2チームは、ここ数年、毎週のように練習ゲームを行っている仲で、昨年は東洋に胸を借り、今年は習志野に胸を借りのお互いの手の内を知り尽くしたチーム同士である。
 結果は、フルセットで市立習志野高校が4年ぶり3回目の優勝を果たした。昨年の千葉国体の強化チームの遺産を上手く引き継いでいる。3セットとも2点差の僅差で、最終セットはジュースで27-25で、どちらが勝ってもおかしくなかった。習志野の粘り勝ちであった。東洋は各セットとも中盤までリードしていたのであるが、要所要所でレシーブミスが出ていた。セッターの関田は、相変わらず時間差の時のボールのタメが上手い。習志野は2セッターであったが、要所はエースが決めていた。それと習志野のリベロのスーパーファインプレーをスパイクまでつなげたのが数回あり、そのことがチームの勢いにパワーを注いだ。昨年の柳田選手のようなスーパー・エースは見当たらなかったが、粘り強いプレーが随所に見られてゲーム自体は楽しむことができた。
 閉会式が行われている間、体育教官室に入り、橘の監督からコーヒーをごちそうになりながら、今回から総監督としてベンチに座った東洋の北畑監督と試合後のミーティングを行った。監督曰く「春高バレー直後、新チームは東京都でベスト8に入れるかどうかの弱いチームでしたが、関田始め3年生が率先して筋トレに励み、練習でも手を抜かなかったので、急速に強くなった。今回も優勝を逃したのは残念ですが、よくぞ決勝まで来れたと感心している。明日から、インターハイ予選に気持ちを切り替えて頑張ります」。確かに、久しぶりに見る東洋の選手たちには集中力が感じられ、引きしまった顔つきをしている。2週間後のインターハイ東京都予選会でも期待できる、と確信した次第である。

2011年6月4日土曜日

6/4(土) 関東高校女子バレーボール大会初日

 会場は、4つある。そのうちの一つの君津市民体育館に出かけた。会場に着くと、八王子実践のチームが玄関口で菊間先生の叱責を受けている。菊間先生は勝っても、内容が良くないと長い説教となる。つまらん試合をやったのかな?と、よく観察してみると、2回戦で敗退したようだ。
 相手は、群馬県第一代表の高崎健康福祉大学高崎高校だ。略してケンダイと呼ばれている。ストレートで負けたらしい。関東大会で過去17回優勝し、毎年ほとんどベスト4以上を維持している八王子実践が、2回戦で敗れたのは、私の記憶では10年ぶりではないか。その時は埼玉県の春日部共栄高校に敗退した。
 実践に勝ったケンダイと県立大和南がベスト8をかけて対戦した。ケンダイは速い攻撃で健闘するがブロックが低く、大和南の高さがこのゲームを制した。もう一つのコートでは、東京都第2代表の駿台学園と埼玉県第1代表の細田学園が対戦。フルセットになったが、駿台の3年生エース今村(174cm)がまるで細田を手玉に取ったように強打を炸裂、最後の3点連続は強打でなく、強打に備えて構えているレシーバーを見て全てフェイントをする余裕のプレーであった。彼女は恐らく関東ブロックNo.1スパイカーであろう。空中バランスやタイミングなどポテンシャルが高い。しかし、ブロックフォローなどレシーブに雑なプレーが目立っていた。そこのところを駿台の新監督が指導すれば、全日本ジュニアのエースになれることは確実であろう。昨年の全日本ジュニアのエースの金子選手(増保商業)よりも攻撃面では優れている。
 さて、明日は男子会場に行く。東洋高校の3連覇なるか。セッター関田の成長ぶりを褒めてあげなくては。

6/3(金) 関東高等学校女子バレーボール大会 開会式

 今年の会場は、千葉県の南端、房総半島にある富津(ふっつ)市を中心に木更津市、君津市にて開催される。私の住んでいる船橋から電車で1時間半かけて青掘という小さな駅に着いた。丁度、東京都代表の都立三原高校のチームと出合い、監督の野村先生のご厚意で、出迎えの父兄の車に乗せていただいた。そこから開会式の行われる富津市総合社会体育館までは10分であった。
 関東大会での楽しみは、関東ブロックの各監督さんと再会できることである。関東大会そのものは、インターハイ出場につながっていないので、各監督さん達も結構リラックスしている。関東出場を目標にしているチーム、全国を目標にしているチーム、それぞれ2週間後の各都県の予選会を控えて、スタメンを変えたり、怪我人を休ませたり、普段出せない3年生をゲームに出してみたり、駆け引きがあって面白い。
 開会式の始まるまでに、体育館のロビーで多くの監督さん達が挨拶を交わすのが通例なのであるが、今年の会場のロビーは、8人も椅子に座れば一杯になるぐらいの狭さであった。先に八王子実践の菊間先生が座った。そして、その脇には遠慮されたか、パラパラと2人ぐらいしか監督さん達は座らなかった。そして会話も少なかった。
 私の方は、玄関口で監督さん達と挨拶を交わし、情報交換もできた。転勤などで監督の交代もあり、若い監督さんも増えた。初出場が4チームある。東京都の都立東京、都立狛江、都立城東と神奈川県立湘南台と公立高校が夢を達成した。この背景にあるのは、昨年度から始まった公立高校授業料無償化の影響もある。私学にも、家庭の収入により授業料援助はあるものの、公立高校は年間授業料の約12万円が無償になるのは家庭にとって魅力である。
 最多は東京都の共栄学園の52回であるが、八王子実践の51回は菊間先生一代での記録なのでこれは凄い。共栄学園は初代の山城先生と現在の大田先生のお二人での記録である。菊間先生の記録は、恐らくブロック大会では日本一の記録であろう。
 開会式が始まって、すぐさま帰りの電車に乗るために、タクシーを呼び体育館を出た。今夜は、我がママさんバレーチームの練習試合が待っている。

2011年6月3日金曜日

6/2(木) 日本の政治はどこに行こうとしているのか

 言語由来辞典によると、「茶番」は、「茶番狂言」の下略で、江戸末期に歌舞伎から流行した。下手な役者が手近な物を用いて滑稽な寸劇や話芸を演じる者のこと、とある。即興の素人劇の意味から、底の見え透いた馬鹿馬鹿しい物事を「茶番劇」と言うようになった。
 昼過ぎに、内閣不信任案が否決された。可決されていれば、衆議院の解散・総選挙という、今の時期には最悪のシナリオが、まずは回避されたことに安堵した。しかし、菅首相退陣の時期を明確にしない首相の態度で政局はまた再燃した。国民置き去りの政治屋さん達の駆け引きばかりが目立つ「茶番劇」を見せられた一日であった。
 国民は、特に被災にあった人たちは、そんな「茶番劇」を見るために税金を払って政治家に日本を委任しているわけではない、と激怒するのも当然である。海外からは「子供の学芸会」と見られているかもしれない。
 政治家のみなさん、賢人の政治をお願いしたい。困った時は、原点に帰るべき。初めて市会議員になったとき、国会議員に当選した時の所信、理念を思い起こして一人から始めること。近々、総選挙はある。その時の有権者である国民は、震災前の国民とまったく違うことを皆さん方は思い知ることであろう。これまでは、今までの日本国民のレベルにあった「茶番劇」にふさわしい役者であきらめていた。これからは、本物の役者が求められている。国民は本物を目指す役者には惜しみないエールを送ることであろう。
 日本は変わらなければいけない。今が衣替えの時期だ。動きの鈍い厚着よさようなら。行動的な薄着を身にまとい、いざ。

2011年6月1日水曜日

6/1(水) 振替え休日

 ここのところ、週末に仕事や会合が入り、完全休養日がなかった。疲労が蓄積していたのかもしれない。昨夜の定期的なソフトバレーの練習でも動きに精彩がなかった。ジャンプして空中でのバランスが悪い。そういえば、この1週間スクワットトレーニングをサボっていた。 ここ1週間は、疲労感があり、面倒になり風呂もシャワーで済ませ、湯船に入っていなかった。
 本日は、振替休日で夜も自宅で過ごしている。そして、湯船に浸かって大きなあくびをして2週間の疲労を取り除いた。その後、サッカーのキリンカップを見ながらストレッチを行い、サッカーの歓声をパソコン後方で聞きながらこのブログを打っている。
 明日は、今月中旬に大阪貝塚市で開催されるソフトバレー・マスターリーダーの資料作成。夕方には床屋に行ってさっぱりしてこよう。金曜日から高校バレー関東大会が始まる。昼に開会式に行き監督さん達と情報交換。夜には、我がママさんチームに練習試合が入った。土曜日は高校女子の千葉県富津市の会場に行き、日曜日は高校男子会場の神奈川県立橘高校に行く。男子は東洋高校の3連覇達成してほしい。

5/31(火) 日本経済新聞「私の履歴書」から




 アサヒビール元会長の瀬戸雄三氏の「私の履歴書」の新聞連載がこの日で終了した。震災の復興どころか復旧も遅々として進まぬ現状に心を痛めながら連載を綴っているのが文面から窺われた。御年81歳の人生の先達が綴った31日の最後の連載のサブタイトルは、「国難に気概持って実行」であった。80歳近くになって、国の将来が気になってきた、と書かれている。瀬戸氏のエールが続く。
 「リーダーは本気を見せろ。気概を取り戻せ。困難に直面しているにもかかわらず危機感が欠如している。何よりも大事なのは、難局を自ら乗り越えようとする覇気が感じられない。他人任せの気風がないだろうか。議論ばかりで実行に移せない。実行できない議論をして一体、何になるのか。気概なくして、どうして国や企業が活性化するのか。もっと新しいことに取り組まなければいけない。それによって自分を変える。臆病になってはいけない」。
 被災者の人達の困難・困窮の中にあっての「忍耐」「礼節」「気丈」に感銘すると同時に国の対処の稚拙さ、遅さに憂慮している。「被災された皆さんが味わった苦しみを我々も共有して一緒に立ち上げるために何をすべきか考えよう。この機会に国も企業も個人も大きく変わることだ。一番大事なことは『百のお題目よりも一つの実行』なのだ」。
 「社長、会長時代は、思い立ったら現場に飛び出した。人間の力は無限だ。やればできる」。
 6月1日からは、ジャズピアニストの山下洋輔氏の「私の履歴書」が始まる。これも味わい深い連載になりそうだ。



(画像は、紙面から抜粋。中央写真は、歴代の秘書の方々。私が80歳卒寿まで生きていたとしたら、お世話になった方々をこのようにお招きして感謝の宴を催したいものだ。こんなことを言うと、おいおいナベさんよ、そんなに長生きされちゃ世間の皆さんにご迷惑をおかけするんじゃあねえですかい、なんて石川島播磨重工業IHI9人制女子バレーの元監督の石野さんから 言われそうだ)



5/29(日) 東京都ソフトバレーボール連盟創立10周年



 震災の影響で延期になっていた東京都ソフトバレーボール連盟の創立10周年式典、祝賀会を国立青少年センターにて行った。これに先立ち、やはり延期になっていた23年度総会を同施設にて開催した。
 10年前のことはよく覚えている。当時、日本バレーボール協会副会長で日本ソフトバレーボール連盟の会長でもあった喜島先生から声をかけられ、江戸川区バレー協会理事長の原さん、世田谷区バレー協会家庭婦人の部部長であった金当さんと私の3人で東京都連盟を再立上げをしろと指示が来た。当時の私は千葉県連盟で指導普及委員長の任に就いていたので、2つの地域連盟で役員できないと辞退したものの、立上げまでは協力しましょうということで、事務局として役員獲得、そして創立にこぎつけた。
 創立、スタートの3年間は、役員の意気込みも大きく力強く前進していった。「水を飲むときには井戸を掘ってくれた(礎を築いたくれた)人々のことを忘れてはいけない」という有名な言葉がある。日中国交正常化に尽力した田中角栄氏を讃えて中国の首席であった周恩来が語った言葉である。この日の式典で感謝状の授与があったが、当時の「井戸を掘ってくれた」人達の出席が少なかったのが寂しかった。

(画像は日本ソフトバレーボール連盟2代目会長の西山氏。広島から駆けつけてくれた。日本ソフトも先輩役員の意思を継いで、変わっていかなくてはいけない。変えなくてはいけない。現状維持は、停滞と同じである)