2011年2月27日日曜日

2/27(日) 東京マラソン きょう号砲

 第5回の東京マラソンの模様をTVで時々であったが観ていた。昼ごろ観た画面には、「石原」という名前がアナウンサーによって連呼されていた。石原とは、石原都知事とチャレンジの部で参加した息子の石良純気象予報士のことであった。都知事選立候補の意思を3月11日の都議会で表明するとした石原知事にとっては、意図していなくともまたとないイメージアップとなったに違いない。番組の終了時にまたTVにチャンネルを合わせてみた。石原気象予報士は、まだ出演していた。更にはAKB48のリーダの女の子が卒業マラソンとかで走っていた。予報士が走ろうとアイドル女の子が走ろうとランニングファンにはどうでもいいんでしょうけどね。スポーツ番組のバラエティ化は今に始まったことではないが、これも最近のスポーツ番組の作り方なんでしょうね。
 さて、本日は私の59回目の生誕した日である。私を生み、育ててくれた亡き両親、支援して頂いた多くの方達に感謝する日である。ありがとうございました。そして、60回目の生誕日に向けての新しい日々の始まりである。今後もよろしくお願いいたします。

2011年2月26日土曜日

2/26 (土) Vチャレンジリーグ女子観戦


 Vリーグには1部に当たるVプレミアリーグと2部にあたるVチャレンジリーグの2つの部がある。以前はこの下に、3部ともいえる地域リーグがあった。本日は、10数年ぶりにVチャレンジリーグの観戦に千葉県柏市にある市立体育館に出かけた。

 私の住んでいる最寄りの駅の西船橋駅から船橋駅で東武線に乗り換えてほぼ1時間ほどで柏駅に着く。ここにはJR線も入っており、駅構内における人のにぎわいは船橋駅と変わりない。バスで15分ほどで郊外にある体育館に着いた。試合は既に始まっており、体育館の玄関に行くと、携帯電話片手の木村憲治さんと出会った。Vリーグ機構の新会長である。今月初めの日本小学生連盟30周年記念式典でもお会いしていた。しかし、なんでプレミアの会場でなくて格下のチャレンジなんだろう、と思っていたら、木村さんから回答があった。新会長としては全ての現場を見ておかないとね。それに、私は男子畑だから、女子は全く知らないんだ。なるほど、さすが会長。「答えは、全て現場にある」ですな。

 会場内では、第一試合のPFU(昨年度7位)とBefco(旧 栗山米菓’昨年度11位)の2セット目であった。チーム力に差あり3-0でPFUの勝利と終わった。試合後に昨年Befcoに入社した神奈川県立大和南高校OGの2人が挨拶に来てくれた。高校時代の監督の飯塚先生は明日応援に来てくれるらしい。

 第2試合は、現在全勝でトップを走る上尾メディックスと地元の柏エンゼルクロス(昨年度8位)の試合。上尾の監督はUSA女子チーム、パイオニアで監督経験のある吉田敏明氏。実は彼とは、同じ山形県の出身で彼が順天堂大学で小さなエースアタッカーとして活躍、その後筑波大学大学院生のときに全日本女子コーチ、USA女子のコーチ、東京学芸大学の監督とその時々に少ない時間ながらお付き合いしている。今日も、3年ぶりに合って、握手した。

 第2試合の結果は、地元の声援もあって柏エンゼルクロスが1セットを取り会場内を盛り上げたが、結果は3-1で上尾であった。

 千葉県協会理事長の山岸先生や役員、審判関係の方達と親しくお話しすること(就活も含めて)ができたが、Befcoの監督の大沢長蔵さんとお話ができなかったのが残念であった。

 本日のゲーム内容であるが、上尾にしてもどこのチームも同じような戦い方でつまらなかった。同じ人間でもあんなことができるんだ、と驚きのあるバレーボールができるはずだ。そしてそんなプレーを地元の子供たちに沢山見せて驚かせ、バレーボールの後輩たちを増やして欲しい。

(画像は、第2試合の光景。観客の少ないのが寂しい。日立リヴアーレが来ると満杯になるそうだ。やはり、全日本で活躍した江畑選手効果である)

2011年2月24日木曜日

2/25(木) 何と短き如月(きさらぎ)の月よ

 新年を迎えたと思ったら、もう2月も3日を余すあまり。私の誕生日は、2月27日なのだが、2月29日であったならうるう年でなければ年を取らないので、どうやって年齢を計算するのか、どうでもいいことだが、毎年この時期になると、ふとそんな気苦労が頭を横切る。
 週明けには、会社にて55歳以上の社員対象に60歳以降のセカンドライフの説明会がある。企業年金、厚生年金はどうだこうだのお話である。
 来年の今頃の私は、定年退職1か月前の身である。実は、先月から「おじさん就活」を始めている。体育系大学の学長や実業団元監督さんに相談にお伺いし、金メダリストたちとも協働している。指導の現場でまだまだ働けるので、海外チームから国内の私立学校までを対象に指導者として就職活動中である。世界と戦うチーム作りを拠点を設けてやりたいと考えている。できればVのチームを拠点に、地域の行政、協会、学校、医学部のあるスポーツ学部のある大学と連携して日本バレー界に貢献できる組織作りをやりたい。対象とする範囲は関東か東北としたい。何か、良い情報があればすぐに飛んでいくので、宜しくお願いしたい(tkwatana@mizuno.co.jp)。
 どうも私は、人生の後半に頑張るタイプであるようだ。『論語』の孔子先生に言わせると、40歳にして惑わず、だそうだが、私は40歳でも惑っていた。もっとも、それまでは寄り道ばかりで、ちゃらちゃら生きてきたから、大人になり始めるのが遅かったのであろう。
 40歳頃から、人の一生が見えてきた。同時にバレーボールの指導も解りかけてきた。一般の6人制女子バレーボールチームを創って全国大会に連続で出場した。ソフトバレーボールをやり始めたのもその頃だ。JVAの公認講師に推薦されたのもそれからしばらくしてからだ。その時はJVAで最年少の講師で、各地で年配の受講者に意地悪な質問をされては鍛えられた。教えることは学ぶことである、ということをその時学んだ。
 さてさて、明日は指導者仲間で国際連盟インストラクターの足立さんとお会いし、彼が業者と企画している市販用のDVD制作のお話を伺う。その後は千葉市の我がママさんチームの練習である。
 

2011年2月19日土曜日

2/19(土) やまゆり杯大和地区決勝大会


 やまゆり杯に出場する各地区の代表が決まってきた。本日は大和地区の代表決定戦を観戦に行ってきた。大和地区約70チームから代表に決まったのは、常連のチームであった。第一代表は、鶴間台、第2代表は下つるまAの2チームである。惜しかったのは、下つるまAとフルセットまで戦ったおおすぎチーム。3セット目は体力の差が出た感があった。

 決勝戦の前に小田急の岩本先生が見えられて、しばし情報交換。なんでも聞くところによると、決勝戦の2チームのセッターは先生の関係者であるとのこと。下つるまAのセッターは東京の松蔭高校時代の教え子で、鶴間台のセッターは松蔭短期大学の間接的な教え子ということである。

 ゲームを観戦して、感じたのは、上手なママさんが多かったのではあるが、9人制の特徴であるリバウンド・プレーがほとんど見られなかったこととブロックフォローが結構いい加減であったこと。スパイクは強打が多かったが、時にはリバウンドを仕掛けて、ネットプレーで相手のリズムを撹乱して、反対サイドに平行気味にトスをして攻撃するという味のある戦術も見たかった。もう一つのブロックフォロー(スパイクカバー)であるが、膝を曲げて構えているプレーヤーが少なかった。個々のプレーヤーは大変上手なのだから、カバーリングやジャッジなど、チームプレーの地味な部分を真面目にサボらずにやることで、あと2,3点は増加すると感じた次第である。

 ちょっと辛口になってしまったが、大和地区のママさんバレーを愛しているからこその辛口であるのでご容赦頂きたい。

(画像は、閉会式の様子)

2011年2月17日木曜日

2/17(木) リビアでも反政府デモが

 30数年前に、私がチュニジアにいたとき、聞いた話である。安息日になるとリビアから時々国境を抜けてチュニジアに遊びに来るリビア人達がいるんだ。あいつらは酒を飲みに来るんだ。まことしやかにそんな話を聞いたが、私はリビア人を見たことがなかった。もっとも見たとしてもチュニジア人と区別がつくはずもなかった。リビアはカダフィーという大佐がいて恐い国だ、と教えられた。しかし、大佐という位がその国で一番偉い独裁者であるというのもおかしな話だとその時は思っていた。1969年当時クーデターを起こしたカダフィーは当時、大尉。現在、カダフィー氏は最高指導者と呼ばれている。
 そんな記憶のあるリビアでも1月にチュニジアで発生した反体制運動がドミノ倒しのようにアラブ圏に広がって行った。そして心配していたように石油の価格が買い占めなどで高騰してきた。このままいけば、世界経済にも大打撃が生じる。EU、USAは必死になって安定化に向けて政治的、経済的に動いているが、この騒乱はすぐには終息しそうにない。
 私が来年の定年後にアラブ圏に海外コーチで行く予定もこれでどうなるか・・・。候補の国の1つであるバーレーンでも昨日デモが始まった。悪い予感がする。このままいけばアジアの独裁的な国々にも波及してくることが考えられる。
 この活動を推進しているのは、IT(情報機器)と聞く。真実は全て明かされることで破壊の道に通じる。芥川龍之介か、シェイクスピアであったろうか「嘘でなければ語れない真実がある」と何かの本に書いていた。嘘は確かにいけないことである。しかし、一気に真実に行くことは人の思考に整理がつかずに混乱することのほうが多いのではなかろうか。・・・焼酎のお湯割りを飲みながらキーを叩いているが、少し酔ってきたようだ。広島県三次市の建設会社の女性社長から送られてきた米焼酎であるが、なかなか旨い。 

2011年2月16日水曜日

2/16(水) 総合型地域スポーツクラブ育成事業in船橋

 本日は、久々の休日ということで、郵便物や資料の整理を行った。まずは、JVA関係の提出物から取りかかった。地域に総合型スポーツクラブを立ち上げよう、という育成事業をJVA(日本バレーボール協会)が推進しているが、千葉県協会が手を挙げて今年の3月で、約束の3年という期間が終了した。立ち上げたのは、船橋市田喜野井でママさんバレーとソフトバレーを愛好しているお母さんたちだ。クラブ名は、ママさんチームの名称である「友愛」から文字って「You and I」と命名した。私が支援したのはこのオヤジギャグのクラブ名ぐらいで、他は日下さん(船橋市バレー協会副会長)という女性が大変ご苦労されて創立、運営された。
 3年間の総括で、苦労されたことは、指導者の確保と会場の確保。指導者については、日体協指導員の講習会を受講して頂いて、基礎を学んで頂いた。現在は中学校を定年になった元バレー指導者に週2回来て頂いている。会場の確保は学校側、他のクラブ活動との交渉で週2回確保した。機関誌も3年間で2回発行できた。他の小学校にもクラブとして2番目のチームができた。
 これからの課題の1つは、3つめの小学校にも1チーム創設して、管内の中学校と連携を図っていくことである。総合型という名前にとらわれず、バレーボール型で結構、ママさん、ソフトを中心に小学生、中学生がチームを作って大会に出てバレーボールを楽しむ。その活動を通じて地域の住民の話題ができて連携が生まれてくれば上々と私は考えている。
 次に取りかかったのは、今年度の千葉県で開催する日本体育協会公認指導員養成講習会の件である。今年度は開催の方向で、既に会場は船橋市、期間は8月の4日間で動いている。本日は、県体育協会に講習会実施の回答書を郵送した。これから、詳細を決め、県協会のHPにアップする予定である。25年度からは小学生の大会では県大会から指導員の資格がベンチ入りの条件になるので、受講者は小学生連盟からの受講希望者は多いと思う。
 

2011年2月15日火曜日

2/15(火) 我がソフトバレークラブでの練習初め

 1月から我がチームである大穴ソフトバレークラブの練習に出ていなかった。火曜日は千葉市のママさんバレーのチームも練習があり、1月からはママさんの方を優先させていた。先週の火曜日に、大穴クラブは私の日程に合わせて新年会を開催してくれた。そんなメンバーの気持ちに応えて今週の火曜日から、また船橋の大穴ソフトバレークラブでソフトバレーを再開した。しばらく練習に出ていない間に40歳代の女性の新人が入部していた。本日は17名の出席者であった。
 練習を終えて、やはりソフトバレーはハードなスポーツであることを実感した。あと2週間ほど通うと体も慣れてくる。
 明日は振り替え休日。部屋にある溜まった切り抜きや資料などの整理をやろう。しばらく見ていないビデオも見てみたい。

2011年2月14日月曜日

2011年 2/13(日) 高校女子バレーボール新人戦in神奈川


 新人戦大会が平塚市総合体育館にて開催された。例年であれば、この時期は春高バレーの県予選会を開催している時である。先月開催の全国高校選抜大会(新・春高バレー)に出場した県立大和南と市立橘の2校が順当に決勝戦まで駒を進めた。
 結果は市立橘が2-1の僅差で逃げ切ったのであるが、第3位以下のチームに奮起を期待したい。決勝に残った2チームは、春高バレー出場の後、新チームに切り替えて僅か1ヶ月で新チームを作り上げるしかなかった。他のチームは11月以降3ヶ月も新チームを作る期間があったはずである。今回の新人戦で順位を入れ替える機会は相当あったと思う。常連チームの活躍を見るには楽しみがあるが、それ以上にここ6年程、常連の2チームしか決勝に出てこない現実は神奈川県高校バレー界にとって決して良いことではないはずだ。新しい発想で、革新的なバレーを展開するチームは、決勝常連チームに勝てない訳はない、と私は思うのであるが。
 ヒントを1つ言うと、これは革新的ではないのであるが、両チームともサーブのコースがいい加減であったということである。まずは、サーブがレシーバーの正面に打ち過ぎである。これは、恐らく普段の練習が的を当てる練習だからではなかろうか。的を当てる基本的なことができるようになったら、次の応用練習は、レシーバーの前後左右に打つことである。レシーバーを不安定な姿勢でボールに触れさせることで、セッターへの返球が乱れ、攻撃の1枚が十分な体制で使えなくなる。このような地味な応用練習が、実戦で効果を発揮する。サーブに関しては橘に一日の長があった。大和南にはジャンプフローターする選手が一人もいなかったが、橘には3人いた。現在のFIVB公認球であるミカサ、モルテンのボールは、無回転のときに大きく変化することが2年前から定説となっている。であるならば、ジャンプしてのフローターのほうが落下の角度が大きくなるのでサーバーにとって有利である。
 ジャンプ・フローターと一口に言っても、結構種類がある。踏切でも、シングル・レッグ(片脚)とボウス・レッグ(両脚)の2態。トスのタイミングも、踏切と同時のトスアップ、そして踏み切る1歩前のトスアップと2態。トスも、片手と両手があり、踏切位置も、ライン際とライン後方がある。これに、ボールの軌道を伸ばしたり落としたりする重心移動や手の当てる位置でのスキルを組み合わせると結構種類がある。理想は全員のサーバーの質が全部違うのが良い。
(画像は、決勝戦の風景。このゲームの後、大和南の前監督である飯塚先生から夕食を誘われ同行した。飯塚先生が、今回からベンチに座らなかったのは何ゆえか、お聞きした。詳細は次回のときにでも報告しよう)

2011年2月12日土曜日

2/12(土) 日本小学生バレーボール連盟創立30周年念式典




 昼から東京タワーすぐ側にある東京プリンスホテルに向かった。日本小学生バレーボール連盟創立30周年記念式典、祝賀会に出席するためだ。地下鉄の御成門で下車して地上に出て歩いて1分のところにホテルがある。出席者は連盟の事業としては破格に多い300名ほど。日本協会からも名誉会長の松平氏、元専務理事の豊田博先生、前会長で現在筆頭理事の立木氏、日本大学連盟会長の市川氏、高体連専門部長の倉橋氏、Vリーグ機構会長の木村氏など16名が招待されていた。小学生連盟の役員さんにも私としては、この20年間で知り合いが増えた。会長の山崎先生、理事長の工藤先生、総務委員長の山下さん、顧問の浦野さん、増本先生、青森県会長の北山さんはじめ各県連盟の会長さんにも知った顔が増えた。
 式で感動したのは、今年度の全国大会に出場した小学生を代表して挨拶した東金町ビーバーズ女子主将の岸結夏ちゃんだ。大きな張りのある元気な声で一生懸命暗記した小学生バレーに関係した人たちへの感謝の言葉。感動して思わず涙が出てしまった。一生懸命な姿は何より力強く美しい。彼女の直前に挨拶した日本連盟や日本協会の偉い方達の型通りの挨拶はどこかに吹っ飛んでしまった。
 式典と祝賀会の間に1時間ほど講演があった。演者は日本ランナーズ代表の金さんという方。マスメディアでは良く見聞きする方であるが、実物を見るのは初めてであった。雑誌などでは筆が立っているのであるが、講演はどうも苦手であるらしい。
 祝賀会を終えて、ホテルを出ると小雪が舞っていた。明日は天候が回復するらしい。都内の私学は明日が入試のピークだ。私の受験2年目も、東京都の私学であった。あの時、なんで早稲田しか受験しなかったのであろうか。今思えば、私の19歳というのは、世間知らずのまだまだ幼い生きものであった。
 明日は高校バレー新人大会で神奈川県平塚市に行く。

(画像は、豊田博先生の祝辞。久し振りに熱の入った豊田節を聞いた。現在は新潟のほうで国際バレー連盟関係の仕事を始めようとしているが、まだ軌道に乗っていないと仰っていた。先生は、私のバレーの師のお一人。何とかお力になってあげたい)

2011年2月11日金曜日

2/11(金) 国際バレーボール連盟公認インストラクターの足立さんと

きょうは、文京区にある文京学院大学女子高等学校バレーボール部にお邪魔した。同行者は、国際バレーボール連盟(FIVB)公認インストラクターの足立さん。実は、足立さん、現在はUAE(アラブ首長国連邦)男子ナショナルチームにて監督に就任しているのだが、昨年11月末以来、健康検査のため日本に戻ってきている。4月には、また首都のアブダビに飛び立っていくのだが、せっかくの機会とばかり、先月東京都高校女子新人戦で3位に入賞した文京を指導してもらうことにしたのであった。外は雪が舞うあいにくの天候であったが、体育館内は暖房が入り、足立さんの英語なまりの日本語でコーチングが始まった。
 文京を出たのは4時頃であったか、駅近くのファミレスで足立さんと近く企画に入る指導用のDVDの話をした。この人の指導は20年近く欧米でプロ選手を皮切りに大学講師、プロコーチ、FIVBインストラクターを経験してきているので、日本人にはない発想があり非常に面白い。彼のお蔭でFIVBコーチコースを受講できたという日本のVリーグの指導者も多い。
 6時には、別れて、私は千葉市の我がママさんバレーの練習に行き、早速、本日、文京で学習した足立式の練習を試してみた。ママさん達は、これは厳しいという顔をしながら、それでも今までに経験のない練習であったのか、興味を持って取り組んでくれた。
 明日は、日本小学生バレーボール連盟創立30周年式典に出席する。あいにくの雪天候が明日も続くらしいが、交通機関に大きな影響が出なければと願う。

2011年2月9日水曜日

2/8(火) 我がソフトバレークラブの新年会

 遅い新年会であったが、我が「大穴ソフトバレーボールクラブ」の新年会を北習志野駅の近くの和食屋さんで開催した。出席者は20数名。一番若くて40歳、最高齢が74歳、平均年齢が55歳ぐらい。私はこのクラブに在籍して19年目になる。総監督として9年目。全国大会への出場は、レディースとシルバーを残して、ファミリー、スポレク、ねんりん、メンズの4種別に出場することができた。日本一の栄誉に浴することもできた。
 そして、これからは次の世代に引き継ごうとしている。また、地域の住民へのクラブ勧誘活動を活発化しなければいけない。
 さて、きょうは、これから日本バレーボール協会制定の2011年度ソフトバレーボール競技規則原稿の最終校正に取り組む。3月上旬には印刷が完了する。そして、3月20日には、東京都にて全国審判長会議・研修会を開催する。
 明日は大阪本社で会議だ。朝早い新幹線に乗るのがやや辛い。

2011年2月6日日曜日

2/6(日) 高校女子バレー新人戦大会in山梨県


 全国各地で高校バレー新人戦が開催されている。例年であれば、11月頃に開催されているのであるが、春高バレーの予選がその時期に取って代わられ、この2月から3月上旬に新人戦が開催されることとなった。地域によっては、全国私学大会の予選会が前後しているので私学のチームにとっては忙しい時期になった。

 昨日から、山梨県の新人戦を観戦に行ってきた。今しがた、自宅に帰りついたところである。上位4チームのリーグ戦の結果は、優勝が県立増穂商業、2位が帝京三高、3位が日本航空、4位が県立韮崎。優勝した増穂商業は昨年度のチームと比べて絶対的なエースが不在であったが、チームのまとまりが良く、1年生主体のチームであった。2位の帝京は小粒だがレシーブ中心の2年生主体の堅守のチームであった。3位の日本航空はパワフルなエースがいるものの、レセプションが崩れやすく、つなぎのミスも多いチームであった。しかし、リズムに乗ると増穂商業から唯一セットを取ったようなポテンシャルの高いチームである。4位の韮崎は、昨年度までベスト4常連の甲府商業を倒してきただけあって、つなぎのい良い粘り強いプレーが目立った。

 会場で、県副会長の要職に着いている小池さんと出会った。5年ぶりぐらいの再会であった。小池さんという方は、日本の9人制女子バレー界を代表する山梨中央銀行の元監督である。小池さんとは9人制の練習試合などでお会いする度に、北島三郎のカラオケを競い合ったものである。今年で子会社の社長さんを退くということである。

 来週の日曜日は、神奈川県高校新人戦に出かける。
(画像は、表彰式風景)

2011年2月3日木曜日

2/2(木) 我がママさんバレーチームの試合

 本日は、千葉市に登録しているチームの2部の試合があった。参加チーム数は16チーム。2回戦に勝てば、新年度は1部に昇格する。我がチームのレフトエースが参加できなくなり、戦力ダウンを余儀なくされた。結果は1回戦敗退であった。
 試合後、各人にゲームで良かったところ、課題点を述べてもらった。その後、皆でファミレスにて昼食を取り帰宅した。
 敗北から学ぶところはたくさんある。次のゲームでその学習成果を出してもらうことを期待して自宅で焼酎を飲んでいる。アルコールは焼酎でも100ccで100カロリーある。ファミレスで3杯、自宅で3杯で600kal。高脂血症改善には、まだほど遠いか・・・。
 世間では、大相撲の八百長騒動でマスコミが騒々しい。相撲はスポーツか?私に言わせれば、スポーツではない。相撲は、昔から興行である。プロレスと同じ興行である。つまり、筋書きの入り込む余地のある格闘技である。「八百長」という言葉も江戸時代の相撲から出てきた言葉(八百屋の長兵衛さんが仕組んだ出来レースが発祥)であって、今に始まった言葉ではない。従って、相撲協会は、公益法人から外れて通常の法人組織で運営していけばよい。相撲が日本の国技と良くいわれるが、国技であると日本のどこの組織が定めているのか誰も知らない。
 「歌舞伎の『双蝶蝶曲輪(ふたつちょうちょうくるわ)日記』の『角力場(すもうば)』の場面は、タニマチ筋への恩義のため濡れ髪長五郎(ぬれがみちょうごろう)が放駒長吉(はなれごまちょうきち)に勝ちを譲るその心の葛藤を描いている。両力士とも実在の人物で「放駒」は現在も相撲部屋として残っている(『続スポーツ解体新書 』玉木正之著2010年より)」。その名前を継承している人が現在の相撲協会の現理事長の放駒親方(元関脇魁傑)である。歴史の巡り合わせと言うか何と言うか、現放駒親方も昨年に続く相撲界の存亡の危機に心を痛めていることであろう。午後の会見の放映を見る限り、眼の焦点が虚ろで合っていない。
 昔の八百長には、情があった。今の八百長は金儲けの為である。マスメディアはこの点にくらいついている。この八百長騒動が賭けごとと結びついていると刑罰の対象になる。こうなると、相撲協会はどん底に突き落とされる。NHKでの放映も1年間以上取りやめになるであろう。弟子への体罰・死亡事件、横綱朝青竜品格問題、野球賭博、そして八百長と相撲協会は窮地に立たされた。