2009年5月31日日曜日

久し振りの高校女子バレー合宿に帯同


 神奈川県厚木市にある松蔭大学に関東各県の強豪チームが集まって、1泊2日間の合宿のお世話になった。栃木、埼玉、東京、千葉、神奈川から全国常連チームが6チーム集まり、更に関東一部リーグ所属の松蔭大学が胸を貸す1セット回しの練習試合が行われた。私は、その中の今年春高に出たチームのベンチに入りサーブを中心にアドバイスさせていただいた。2日間という短い期間であったが、子供たちは積極的に私のコーチングを吸収し、本日の午後のゲームは高校全チームからセットを奪った。大学生にもあと2点で25点と言うところまでリードして逆転されたが良い内容のゲームであった。午後からチームが良くなったのは、そのチームの新監督の檄が効いたからだ。監督という仕事は、自分の身を削る作業だ。例えて言うと、「鶴の恩返し」という劇があるが、その中で鶴が自分の羽を使って織物を織るシーンがある。監督業というのは、まさにその鶴そのものである。合宿の最中は気が張っているから疲れは感じないが、子供たちをバスで学校まで連れ帰り、自宅に着いてから急に疲労を感じる。しかしそのような苦労の連続も、公式ゲームでそれなりの結果を出せば苦労も疲労も吹っ飛ぶ。
 「練習は嘘をつかない」と言ったのは元全日本女子バレー監督の岩本先生であった。スポーツの世界、特に学生スポーツの世界は、まさにその通りであると思う。実社会では「努力は嘘をつくときもある」のであるが、学生スポーツにはほとんど当てはまらない。
 人間の心は不思議である。弱いのも人間、強いのも人間。優しいのも人間、残酷なのも人間。人はその葛藤の中で生きていくのが運命なのであろう。おっと、今夜は柄にもなく哲学的になってしまった。昨夜、私の部屋に忍び込んできたある高校のスタッフの影響かもしれない。しかし、ベテラン監督たちと平成元年の春高バレーの決勝の話をしている私は、若い監督たちにどう思われているんでしょうね。まあ「変なオヤジ」なんでしょうね。
 来週末は、関東大会だ。関東大会後に関東各県ではインターハイ予選会が開催される。また、多くのドラマが生まれる。「強いチームが勝つわけではない。勝ったチームが強いのだ」。これは私の言葉である。そして、勝っても、負けても、基本は一流の高校生であってほしい。大事なことは、「一番より一流であること」である。
(画像は読者のKさんから送られてきた戦場ヶ原の新緑風景であるが、戦場ヶ原って日光にあるのかな?)

2009年5月28日木曜日

なんか忙しいぞ・・・


 何かを片づけても、次の何かのやらなければならない事が気になり、休みを取れない。ここ2週間は、帰宅も遅く、風呂に入らない夜もあった。今朝は、出がけに自宅のドアに中指を挟んでしまい、内出血してしまった。どうも睡眠不足で集中力が足りない。
 という訳で、今夜は書きたい事が沢山あったのだが、ここいらで止めて床に入る。一つだけ報告しよう。研究論文のテーマに関連していることだが、予てから小田急の岩本先生と働きかけていた伊豆諸島の三宅島でソフトバレーボールの交流大会が開催される運びとなった。まず、7月に審判講習会で私が6時間かけて船で渡る。そして10月に他の島々に働きかけて交流大会が開催される。行政が動き、そのあと地域住民が自主的に運営していく。そのパイプ役を務めるのが、岩本先生と私達ソフトバレー仲間だ。地元にソフトバレー夢中人間を養成するのが私達の役目。
 明日は、夕方に東洋高校の後援会総会がある。私は議長を行う。議長を困らせるような質問の手が上がらないように祈って、そろそろ布団に入り佐伯泰英さんの時代物小説を読みながら眠りにトロトロと落ちていこう。
(画像は本日の朝日新聞夕刊に載ったわが故郷の映画館「港座」。実は、映画「送りびと」のロケ地として酒田はすっかり有名になってしまい、観光客が多く訪れるようになった。そこで6年前に閉館していた古い映画館が再開されたというわけだ。ここの映画館は日本映画専門で、高校生当時の私はもっぱら洋画の映画館に行っていた。映画館の復活だけでなく、6年前にインターハイに出場した酒田中央高校のようにバレー部のほうも復活を望みたい。)

2009年5月23日土曜日

本日はこれから千葉県バレー協会理事会


 大学院修了に関する提出書類は20日にて98%終了した。この後は、専攻事務室に論文を電子的に保存しておくためにPDF化にして提出することのみである。入学して3年間と少しになるが、改めて感じたことであるが、授業でも論文作成、提出でもIT(情報)スキルがないと学生生活を送れないということである。企業においても最低限のIT技能(ワード、エクセル、パワーポイント、メール操作)がないと社員として働くことができない。IT技能は年齢に関係なく習得できる。要は必要に迫られるか否かである。
必要であれば、習得せざるを得ない。そして、習得しようというパワーがあるかどうかであるが、習得するには仲間との学習が効果ある。グループで学習することが習得のスピードを確実に上げていく。
 今夕は、大学院1期生から5期生まで集まり「OB,OG会」の発足を行う。4期生の私達が言いだしっぺであるが、私は千葉県バレー協会の理事会があり、時間が重なっているので残念ながら行けない。5期生までで、スポーツ・健康関係の修了者が凡そ60名ほどいる。この人間たちがネットワーク化されつながっていくと大きなパワーになるものと確信する。
 明日は、東京都ソフトバレー連盟主催の全国大会選考会が武蔵野市で開催される。課題が達成されていない。昨年度の総会で出席者から50歳以上の部の充実をお願いされており、今年度は50歳以上の方たちのために交流大会数を増加させた。しかし、明日開催されるシルバーの部への申込みがゼロと競技委員長から聞いている。原因を探り、今後の対策を速やかに打つことが必要だ。
 朝から顔を出して開催を手伝い、夕方には船橋市に戻り、この3月に立ち上げた(財)日本バレーボール協会認定「バレーボール型地域スポーツクラブ」の理事会にアドバイザーとして出席する。
(画像は神奈川県立大和南高校女子バレー部。6年前に生徒たちと一緒にデザインしたユニフォーム。当時は派手派手なデザインであったが、最近は派手なおかげで、チーム名を覚えられるようになってきた。派手なデザインのイメージとは違って、チームカラーはいたっておとなしく地味。この画像が一昨日の産経スポーツ新聞に大きく載った。春高が平成11年から1月5日からの開催に決まった記事と一緒に載ったのだ。)

2009年5月20日水曜日

本日は慰労休暇を取りました


 1年に40日ある慰労休暇ですが、普段取っていないので、本日は大学院修了に向けて最後の関門の「論文抄録」作成と提出のために取りました。昼近くまで自宅で新聞の切り抜きなど行い、昼過ぎには茗荷谷の東京キャンパスに着きました。さっそく、学会発表で台湾出張後の指導教官にお会いし、今夜8時に「論文抄録」に目を通していただくことになりました。その後、9時までに専攻事務所に提出して、これで全て終了です。昨年、4年制大学の娘の卒業論文を手伝ったことがあるが、大学院の修了論文がこれほど大変であったとは思いもしなかった。論文提出直前に提出を断念して休学してしまう先輩や同輩・後輩を目の前で数人見てきたが、確かに入学するよりも、学習するよりも、研究した結果を論文という形式に当てはめて形にするのは並大抵ではない。同じ社会人でも理系の研究をやっている方には慣れていることでも、私のような現場型の「企業内報告書」に慣れている社会人にはつらい作業ではある。「報告書と論文は違いますよ」私は何べんとなく指導教官から注意された。「自分の仕事を客観的に論述してください」、「根拠は?独自性は?論理性は?仮説と検証は?」、「論文での表現は『~と思う』でなく、『~と考える』ですよ」、「『私が~』でなく『筆者が~』と書かなくてはいけません。渡邉さんは本を書いているつもりですか」、「できなかったこと、失敗したことも立派な成果ですよ」などとも繰り返し言われた。我々社会人の仕事は、成果をあげるのが仕事。結果で判断される。失敗しても、それは成果と言われるのは新入社員の内。
 しかし、科学的に問い詰めていく「研究」というスタイルは理解できたと手前みそだが感じている。さて、ウオーミングアップはこれくらいにして、そろそろ「論文抄録(論文を8ページぐらいにまとめる長い概要のようなもの)」あと1ページでの完成に向けてパソコンに向かおう。
(画像は、読者のAさんから頂きました。彼女のお母さまから昨年頂いた紫陽花(あじさい)が彼女の自宅のベランダで今年も見事に咲き始めたとのことです。お母様の温かで強い思いやりが根を張り、花を咲かせたのでしょうね)
 

2009年5月17日日曜日

4日連続の登校


 地下鉄丸ノ内線から歩いて2分の東京キャンパスに本日も疲労色の濃い身体を引きずってやってきた。ここに来ると本当に静かで落ち着き集中できる。もともとは東京教育大学の跡地であって、一部残した教室を改造して、放送大学と一緒に大学院が活用している。
 きょうの午後に、修正した論文の製本を行い、明後日提出する準備を済ませた。今は、20日締め切りの論文抄録の作成に取り掛かっている。
 インターネットのニュース速報を読むと、新型インフルエンザが国内でも発病したということで、大阪の学校が休校になったり、鉄道会社がマスク着用を乗客にも呼び掛けたり、企業も対策を色々と練っているようだ。マスクは良く売れているようだ。私も対策として、手洗い、ウガイを励行しているが、体が衰弱して抵抗力がない時が危ないというので、中年期後半の私としては今夜は早く就寝しよう。

(画像は読者のKさんから送られてきたもの。この人の画面構成力は素晴らしいですね。花の名前がわからない・・・)

2009年5月16日土曜日

本日は口述試験でした


 3日連続で大学院に来ている。昨日の2日間は、勤務終了後、東京キャンパスに来て19:00から23:00までかかり、口頭試験(口頭試問)に備えて情報処理室にて準備をしていた。15分の発表の後、15分の質問が主査と副査の先生方からある。論文提出の時も大変であったが、第2関門のこの口述試験も結構しんどかった。
 口述試験を終え、指導教官から同じゼミの社会人学生と一緒に昼食に誘われ、「まずは、ご苦労様でした」とビールをグラス1杯ごちそうになった。ほろ甘辛く、なんとも言えない美味しさであった。3年前、大学院に入学して平均年齢39歳の社会人学生たちと一緒の学習は楽しかった。学習は、今まで知らなかったことを知識として蓄えること。しかし、研究となると根拠となるデーターを作り、自分の頭で考えて、言葉を紡いで行く作業がある。仮説を検証する作業もある。仕事中心の生活の中で「考える」ことは易しくない。
 7月の終了に向けて提出しなければならないものがまだある。20日までに修正論文、正誤表、抄録その後、学位論文データを6月5日までに提出して、7月29日(水)の修了式に臨める条件が満たされるというわけである。
 いずれにしろ、大きな山場2つを乗り越えたことで、ちょっと虚脱状態である。

(画像は読者のKさんから送られてきたもの。路傍にも色々な花が咲いているものですね。花の名前がわからない・・・)

2009年5月11日月曜日

大型連休も終わり・・・


 今年の連休は、例年の長野県での中学強化合宿もなく、松蔭大学での高校生の合宿もなく、割と休みもあり、連休後半は生まれ故郷の酒田市にも家族6人で行きけたし充実した連休であった。なんといっても父親の三十三回忌を済ませたのが良かった。本来の三十三回忌は7年前に済ませておくべきで
あったのが仕事のせいにして今まで伸ばしてしまったことは草葉の父親にお詫びするしだいである。やはり、ご先祖様にきちんと孝養を尽くすことは気持ちの良いことである。
 今日の東京は昨日についで夏日であった。社内はクーラーを入れなければ仕事もできないほどの暑さであった。
 昨日は、久々にソフトバレーの招待試合に出かけたのであるが、熱中症で1名倒れてしまい救急車で運送された。わがチームの女性陣3名の平均年齢は64歳であるが、割と体内水分があるのか、私の日ごろの水分補給指導が行き届いているのか、誰一人として倒れず5試合12セットを戦い抜いた。結果は1勝4敗であるが、フリーの部で上々の結果である。
 明日は、今年の春高バレーで久々にベスト8に入賞した東洋高校男子バレー部の監督と定例の昼食打ち合わせを行う。その後、夕方は、我がソフトバレークラブの「船橋大穴クラブ」の総会に総監督として出席する。課題は、部員募集です。できれば若い部員を誘ってきて欲しい。我がクラブは平均年齢の高さでは全国どこのクラブにも負けない自信はあるが、もう少し平均年齢を下げたいものである。
(画像は勤務先がある千代田区神田界隈で行われた日本三大祭りの一つ「神田祭」の提灯。東京都の中心千代田区に住居を構えている数少ない家々の玄関先に飾られている。読者のKさんから)

2009年5月6日水曜日

生まれ故郷の酒田市に


昨日、7時に船橋の自宅を家族6人で出発し、父の7年遅れの三十三回忌の法要のため故郷の山形県酒田市に4年ぶりに訪れた。高速道路休日1,000円を活用して東北自動車道路を経由して7時間半、ようやく酒田市に入った。
 酒田では市ソフトバレー連盟会長の佐藤さんと理事長の西海さんが出迎えてくれた。休日にもかかわらずわれわれ家族のためにあちこち名所旧所を回ってくれた。東北地方最大の豪商であった本間家別邸で現在では美術館になっている本間美術館も訪れた。西海さんの高校の同級生(私にとっては同じ高校の1年先輩ということになる)が館長さんということもあり、めったにないことではあるが、学芸員でもある館長に直々に館内を解説していただいた。
 父の三十三回忌の法要も無事執り行い、1600年前からある父の墓がある宮之浦という古い村に向かった。酒田市は、市が形成されて今年で400年を迎える。市内のあちこちに「酒田祭り」のポスターがそのことを祝っていた。私の村は実は1600年前から存在していた半農半漁を営んでいた部落であった。このことを本日読経を終えた住職から聞いたばかりである。18歳で酒田を出て、自分の田舎をまったく知らないということを思い知らされた。
 人口12万人のわが故郷の酒田市はこれからどのように変貌していくのだろうか。6年前には酒田中央高校女子バレー部が30数年ぶりにインターハイに出場するお手伝いはできたが、これからもバレーボールに限られるとは思うが、できるところは協力していきたい。今年開催される「全国レディース&メンズ」では日本ソフト連盟から役員で派遣される。大会の成功のために、佐藤会長、西海理事長たちのやりやすいように支援していくのが私の恩返しのひとつかもしれない。
(画像は江戸時代に東北一の豪商であった本間家別邸(現在は本間美術館)庭園にて家族六人揃っての記念撮影。館長さんに直々に館内を案内していただいた。)

2009年5月4日月曜日

菖蒲湯


今夜は一日早いのであるが、我が家は菖蒲湯(しょうぶゆ)である。明日から田舎の山形県酒田市に移動するので、年中行事の菖蒲湯は我が家でとあいなったわけである。本来の菖蒲湯は明日5月5日端午の節句の日に、ショウブの根や葉を入れて沸かす風呂のことである。入浴することで、邪気を払うとされる。

 明日から我が家族6人で酒田を目指して車で7時間かけて移動する。明後日の6日は、私の父親の法事を執り行い、7日は仙台の松島に行く予定だ。7日のうちに船橋の自宅に帰り、8日から出社。夜は東洋高等学校の後援会理事会。10日は久しぶりにソフトバレーの招待試合がある。

(画像は我が家の菖蒲湯。いつかは、檜の風呂で菖蒲湯を楽しみたいですな。)

2009年5月2日土曜日

5月に入りました


 花粉症歴10数年というベテランの私だが、ここにきて随分と花粉症が楽になってきた。花がまだムズムズする時があるが、夜明け前に鼻水が流れてきたり鼻腔が詰まったりて目が覚めるということはない。高齢者には花粉症患者はいないということなので、私も変な自信を持って花粉症を自慢している次第である。

 昨日は、我がママさんバレーの練習日であった。さ来週から全国大会の千葉市予選会が始まるので、昨夜は練習試合であった。課題はたくさんあるが、ゲームに直結する技術であるサーブとサーブレシーブそしてブロックを中心課題にこの3か月間練習してきた。まだまだ県代表になる力は持ってないものの、目標は県でベスト8以上と設定する。昨夜の練習試合では2段トスの不正確さが目立った。9人制ではブロックのワンタッチは1本と数えられる。2本目はトスにしなければいけない。そして3本目をスパイクで相手にアタックするか、チャンスボールで相手に返すかでチームの優劣は決まってくる。5月からの課題は①パス力の強化、②2段トスとそのトスをどう打つかのスパイクとの連携、③相手チームに対応した戦術の展開、ということになろうか。

 本日は久しぶりに仕事も指導もなく、家に閉じこもっていた。別に、新型ウイルスのために閉じこもっていたわけではなく、時には家でボケっとしていたい。こんな日はビデオ屋さんに行って『LOST』の第4シリーズものを借りてくる。『LOST』は地図にない洋上の謎の島に旅客機が墜落して正体不明の先住民と争うミステリーものである。

 明日は大学院に行き、さ来週の口頭試問試験に備える。PPT(パワーポイント)で説明文を作り15分説明し、教授連から15分間質問を受ける。これをクリアすれば修了に大きく近づく。

 5日から7日まで田舎の山形県酒田市に家族6人で行ってくる。田舎に帰るのは3年振りだ。私の父親の33回忌の法要を4年遅れで行ってくる。4年も遅れて、草葉の陰の親父には申し訳なく思っている。親父も生きていれば今年で85歳。孫たちの成長ぶりを見せたかった。

(画像は読者のKさんから。ご自宅の近くで散歩して目についたとのこと。藤の花です。)