2014年6月30日月曜日

Sat.June 28,2014 夕焼け

カンボジアの夕焼けは綺麗だ。プノンペンの市内は排気ガスでむせる程であるが、それでも空は東京のように汚れてはいない。私のアパートメント(17階建ての2階に住んでいる)から市内のほうをスマホのカメラで撮ってみた。

Fri.June 27,2014 The ups and downs

The ups and downs. 「上がったり、下ったり」。つまり、「栄枯盛衰」。人生、良い時も悪い時もある。禍福は糾える縄のごとし。・・・何か、英語のほうが、実に単純でわかり易い。

なんで、このような言葉を並べたか?World Cupで日本が1次リーグで敗退し、4年前のベスト16以上どころか、1次リーグ最下位に終わったことや、やはり前回優勝したスペイン、サッカー発祥の国であるイングランドの1次リーグで敗退したことを受けて、頭に浮かんだからである。

練習の始まる前に、いつものように私が今日のポイントをこの成句から書き始めた。選手たちは、どういう意味?と言う顔で聞いてきたので、説明した。


「君たちも、今はASEANで最下位だけど、人生はこいうものだから、これから良くなるよ。私と一緒にやればね」。ちょっと誇大広告ぎみかもしれないが、私にはカンボジアのチームを今よりも強くできる自信がある。根拠は、前のナショナルチームは個人プレーしか指導していなかったことがわかったからだ。

38年前の記憶が蘇ってきた。

アフリカ選手権でカメルーン国チームのゲームを見た。選手は小柄ながら、キューバの選手のように胸までネット上に出しながら試合前のスパイク練習をしていた。スパイクされたボールは床から大きく弾んで天井に届きそうなほどであった。ゲームが始まった。カメルーンは強打一辺倒で闘っていた。スパイクを失敗すると、セッターに非難を浴びせた。セッターはレシーバーに非難を浴びせた。そして、チームは崩壊して敗退した。

当時、指導していたチュニジア共和国の国内チームのプレースタイルもカメルーンに似たり寄ったりであった。1チームだけ、私の提案を受け入れて、速攻・時間差・移動攻撃を行ったチームがあった。当時の選手たちにしてみれば、囮になるという犠牲心はなかった。他のスパイカーのために相手ブロッカーを引き付けるという精神はなかった。しかし、私の提案を受け入れたそのチームの監督は選手達にその精神と効用を何度も説いた。そして、勝利を重ね、昨年度8位のチームが一躍国内初優勝を遂げた。

同様のことが、ここでも功を奏するかは、私のアシスタントコーチの説明にかかっている。私が監督の権限で選手達に強制的にやらせることはできる。しかし、それでは私の指導精神に反する。私は選手達と「納得ずくの元」で指導を行うタイプである。お互いに納得しての行動であれば、迷いはない。

なんか・・・また長くなってしまった。

そんなことで、今日の練習は、高いトス(set)に対するブロックジャンプのタイミングを何度も説明した。日本語の「1、2の3」は英語でなくカンボジア語の数字でタイミングの取り方を指導した。日本語の「1、2、3」は、カンボジア語では「モォイ、ペィー、バィ」と発音するが、子音が多く発音がとても難しい。時々、口元がひん曲がってしまう。

今日の練習は午前中だけであった。昼食は、1週間に1回は行く日本人でオペラ歌手の岩崎さんのイタリアンカフェに行った。いつもは、夕食に行くのであるが、昼は初めてだ。パスタが来るまで、カンボジアのピーナッツをつまみにアンコールブランドのビールを頂いた。

2014年6月29日日曜日

Thu.June 26,2014 市場へ買い物

私の住んでいるアパートメントから歩いて10分の所にマーケットがある。つまり、市場である。それも、一般の人が買い物に行く市場である。先週、初めて中に足を踏み入れた。市場独特の鼻をつくむせる程の匂いがした。川魚、鳥、豚、牛、米、香辛料などの生鮮食料品の匂いが鼻腔から入り、頭がクラクラするほどだ。鶏は放し飼いにしている店もある。

マーケットの中心には簡易食堂のようなものがあり、丼に何か色々入れて食事をしている。私の繊細な胃袋では、まだ彼らのように消化できない。チャレンジは、先に延ばしておこう。

外に出て、サトウキビの絞りたてのジュースを買った。これは、もう数回ほど飲んだことがあるから、胃袋も驚かない。英語では「シュガー・ジュース(砂糖ジュース)」、こちらの言葉で「タックオン・パウ」という。値段は、1杯1,000リエル(日本円で25円)。
 
電動の絞り機でサトウキビの茎を絞って汁を取り、氷を入れた容器に入れて、出来上がり。

シャワーを浴びた後に、これを飲むと元気が出てくる。自然のほのかな甘みが口一杯に広がる。

もう一つ、今回は果物を買った。プライム・ミン(Prime mine)」という。ライチに似ている。1ドル(100円)札を渡して、その金額分だけ頂戴とジェスチャーで伝えた。本来は値切るところであるが、おばさんには英語が通じないので、しょうがない。カンボジア語で値切れるようになったら、おばさん驚いて無料にしてくれるかも知れない・・・かな?


冷蔵庫で冷やして食べたら、さわやかな甘さがとても良い。
(見かけは小さなジャガイモのようだが、殻をむくと、乳白色の実が出てくる。種は大きいので飲み込まずに出す)

果物の宝庫と言われているカンボジアで、こんな感じで各種フルーツを堪能していると「フルーツ評論家」になれるかも知れない。いや、その前に糖尿病になる恐れもある・・・。

綺麗な薔薇には棘(とげ)がある。美味しいフルーツの食べすぎには、病気が待っている・・・。

Wed.June 25,2014 アプサラ踊りの木彫りを求めて

カンボジアと言えば、世界遺産のアンコールワット。ワットとはお寺と言う意味。古代の首都であるアンコールには数多くのワットが建てられた。それらの壁面のリレーフに天女が彫られている。天女は「アプサラ」と呼ばれ、神と人との仲介者として踊るダンサーである。

9世紀ごろに、この踊りは宮廷文化として根付いた。日本神話にも似たような話はある。踊りは女性のほうが男性よりも魅力的なのであろう。天照大神(あまてらすおおみかみ)も天の岩戸に閉じこもったが、アメノウズメという女神(日本最古の踊子であり芸能の神)の踊り見たさに岩戸からでてきたというお話が『古事記』や『日本書紀』にある。
(この人は売り子。踊子ではない。値段表は付いていない)

今日の練習を終えて、そのアプサラの踊りの木彫りを求めて、専門店に行った。私が行ったのは、あまり観光客が来ないようなお店であった。値切り交渉をして1,800円のものを1,600円で購入した。もう少し値切れたと思ったが、値切り交渉の初心者の私には、今のところこんなものであろう。
(自宅のリビングにある本棚に置いた。大理石でできているモノは、もう少し高い)

日本では、値切られるほうは得意であった。「持ってけ、泥棒!」などと気前が良いものだから、インターハイや国民体育大会などでのmizunoの売店では、部下たちから「渡邉さん、なるべく売店におらずに会場の中にいてくれませんか?」と懇願される始末であった。カンボジアには、日本の渡邉のような人はいないのか?・・・などと、暑さで機能停止寸前の私の脳は何やら唱え始めた。

Tue.June 24,2014 休息日

きょうは、私の活動はお休みにしました。

遅い朝食を最近このあたりに数カ月に1店のスピードで開店しているcoffee shop(コーヒーを中心に軽食もあるレストラン)の1つで採る。2日に1回はこのshopで朝食や昼食を採る。shopの店員たちも私の顔をすっかり覚えていてくれて、いつも笑顔でドアを開けてくれる。

私はカンボジア語で挨拶と注文を行って、彼ら、カンボジア店員たちはは私に英語で話しかけてくる。なんか変だ・・・。

金額は、日本より2~3割ほど安い。お客さんは、外国人が圧倒的に多く、カンボジア人は上流家庭の若者たちが、日本のマックのような感覚でお喋りにやってくる。

午後からは、ビデオ屋さんに行って6本ほど購入してきた。新作も日本と同じように出ている。但しコピーのようだ。DVD1枚150円は安すぎる。但し、字幕は、英語のみ。私には、英語の学習になるので都合が良い。辞書をそばに置き、パソコンにDVDを挿入し、わからない単語があると停止させ辞書を開く。時には辞書を引かなくとも理解できてしまう作品もある。バレーの指導の現場で使えるような言い回しがあると、「My Notebook」という3年前からコツコツ作っている指導の時に役立つ表現集に書き込む。ある程度、たまってくると、ワードで清書してプリントアウトする。最近、50ページを超えた。

1年後には、小学生から高校生の指導者を対象にした「英語で指導するバレーボール」のようなタイトルで出版してもらうことを考えている。

こちらの暑さにも、私の体が慣れてきたようだ。また、長い雨期に入ったといっても朝晩、特に朝は涼しいくらいで、クーラーはいらない。雨が降っても、にわか雨のようなもので、1時間と降り続くのは珍しい。風もそよそよと吹いている。





2014年6月26日木曜日

Mon.June 23,2014 プノンペンに帰る

昨夜、もう1泊して、今朝早くバッタンボーンを出発した。100キロほど国道5号線を時速80kmで走った。制限速度の標識はない。


途中、プールサットという町のはずれにある「道の駅」で朝食を採った。


「道の駅」とは日本での言い方で、英語ではRoadside Stationtと言う。一般的にはParking(パーキング)でもよいであろう。実は、この「道の駅」は日本政府が資金援助して昨年完成したばかりである。国内では、ここだけに建っている。店内では、カンボジア人が運営していたが、基本的なマニュアルは日本人が作ったものらしく、テーブルや椅子も簡素で清潔感が溢れていた。改めて、日本の「道の駅」そのものと、しばし日本の感覚を味わった。

道々に点在している典型的な農家は高床式である。このほうが風通しが良くなるようだ。また。蛇などの侵入を防ぐためでもある。床下では家畜を一緒に飼っている場合もある。ハンモックを吊るして休んでいる人もいる。

昼過ぎに、プノンペン市に着いた。着いたは良いが、街の中を抜けて我がアパートメントに着くまで30分もかかった。信号機の少ない市内は、相変わらずの交通大渋滞。大阪市のようなところに130万人も住んでいる。緑が多く、ゆったり暮らしている地方の人たちが一瞬羨ましくなった。

少し疲れた。今日の午後と明日の練習は休みを取っている。

Sun.June 22,2014 バッダンボーンにて その2

朝食時に、署長から電話があって一緒に朝食しましょう、というお誘いがあった。場所は、よく使うらしい定食屋である。
(代表的な朝食のクイティウである。ここの店主はベトナム人と言うことで、他の店とちょっとサービスが違う。モヤシたっぷりと付いてきた。このモヤシをクイティウにどっさりと入れて食べるとまた美味しい)

午前中に、少し時間があったので、近郊に観光に行った。1つは「ワット・エク・プノン」というお寺。11世紀前半に建立されたものだ。砂でできた岩を積み上げて作られた中型寺院である。入り口から入っても入場料の300円を取りに来ない。通訳に聞いてみたら「それは、渡邉先生がカンボジア人に見えたからでしょう」との返事であった。カンボジア人からは入場料を取らないシステムらしい。



長い、長い石の階段を登っていくと、小学生くらいの女の子たちが団扇を持って扇ぎながら付いてくる。他の(と言ってもこの地方まで観光客が来るのは珍しいが)外国人(オーストラリア人)にも団扇を扇ぎながら付いてくる。どこの発展途上国の幼い子供たちは親を助けてよく働く。帰りにはチップを弾んであげた。

次に向かったのは、川を堰き止めて作った沼に向かって昼食を採った。沼では小舟乗った漁師が投網で小魚や雷魚を捕っている。それを眺めながら近隣から家族で小宴会を楽しみにやってくる。

食事が終われば、ハンモックに揺られて風を楽しむ。そうか、今日は日曜日であった。
(ドライバー、通訳そして私の3人分の昼食。鳥の丸焼きと小さな鳥の丸焼きがある。お魚の尾頭付きと違って、鶏肉のお頭付は、ちょっと抵抗がある。しかし、食べ始めたら、そんな抵抗も薄らいだ。人は慣れていくものだ・・・)

公式試合のほうでは、これといった選手は見つからなかった。エキジビションマッチで昨日お邪魔した地元警察チームと2週間前に訪問したやはり地方の警察のチームのゲームがあった。そこに1人、スーパースターを見つけた。身長は186cmながら全日本男子エースの福澤のようなジャンプ力とパンチ力がある。面構えも凛々しい22歳である(昼食を食べすぎてカメラをホテルの中に忘れてきてしまった!)。オポジット(セッター対角で以前はスーパーエースと呼ばれたポジション)に欲しい選手である。

地元の人は、皆、彼がスーパースターと認めいていた。地元協会の役員は私に耳打ちした。「監督、彼のプレーは素晴らしい。4年前にもナショナルチームに入っていた。但し、性格が悪すぎて、昨年の東南アジアゲームには選ばれなかった」

スポーツは人格者がするものというよりは、スポーツを通じて人格者になれると、私は信じている。特にチームスポーツは選手の気持ちをつなげるスポーツである。ラグビーの『皆は1人のために、1人は皆のために』と言う精神は、バレーボールにも当てはまる。

公式戦は、闘いである。血を流す戦いではないが、血を沸騰させるほどの闘争心を発揮させなければならない。良い人、だけでは現場では戦えない。多少、性格が悪いくらいの若者のほうが育て甲斐がある。中卒らしいから、彼の将来のことも含めて考えてあげたい。


Sat.June 21,2014 選手発掘で地方のBattanbangへ

Battanbang市は、旅行ガイド本のカタカナ表記では「バッタンバン」とあるが、こちらの人の発音を聞いていると「バッドンボーン」と言っている。従って、私も地元の人が言っているように「バッドンボーン」と呼ぶ。
(途中で朝食を採った。カンボジアの代表的な朝食であるクイティウ。米の粉から作った麺の上にゆで豚肉を載せて、レモン汁をかけて食べる)
(揚げパンも香ばしくて美味しい。残った揚げパンをウエイターが隣のテーブルの客にそのまま持って行ったのには少し驚いた)

今日、明日と2日間、プノンペンから北西へ約300キロの所に位置するBattanbangに選手発掘に出かけた。この市はカンボジアで2番目に大きな市と言うことである。プノンペンを出ると国道5号線沿いに平野が延々と続く。バッドンボーンが近づくにつれ水田が多くなってくる。この地域の特産品はお米である。国内のほとんどの米の生産量は、この地で賄っている。
(ココナッツの木は国内のどこにでもある。木の上方のほうに実がなっている。幾つあるか?ここには七つ(ナナッ)よりは多いと思う。おやじギャグでした・・・)

朝7:00にプノンペンを出て、休憩を2回ほど入れ、12:00にはバッドンボーンに着いた。
(後ろにあるのは街の中央にある巨大な坐像。その昔、米を美味しくする棒を持った武将がいた。棒のことをドンボーンといい、そこから町の名前が付けられたそうだ)

休憩を1時間取ったので、実質4時間のドライブであった。思ったより早く着いたのは、国道に信号機がないから。プノンペン市内にも、まだ信号機は少ないが、地方に行くと、全くと言っていいほど信号機は設置されていない。
(点数を付けている眼鏡の女性は、近くの朝飯屋のウエイトレスという。相当バレーボールが好きなようだ)

昼食を採った後、まずは地元の州警察署署長に挨拶に出向いた。カンボジアは主だった地方の警察署がバレーボールチームを所有している。バッドンボーンの警察チームもチームを所有し、昨年の3大全国大会の1つで優勝している強豪チームでもある。

警察署に入ると、地面にロープを埋め込んでライン代わりにしているバレーボールコートがあった。そのコート上から手を振って出迎えてくれた短パンに半袖シャツの40歳代の男性がいた。監督かなと思ってベンチに座って話し込んでいたら、後ろにいた通訳から署長だと紹介された。
(食後にフルーツが沢山出てきた。これは、ドリアン。表皮を剥くと黄色がかった果実が出てくる。食感は、クリーミーでねっとりしている。糖度は高い)

夜の食事時には、地元の川魚を沢山ご馳走になった。なまず、雷魚、ウナギの数々であったが、料理法が日本と違うので少し戸惑った。

2014年6月20日金曜日

Fry.June 20,2014 練習試合を観戦

Olympic stadiam にて、ポリスチームの陸上トレーニングを視察。選手たちは、持久走でトラック廻りを10kほど走った。途中、私も、少し・・・800mほど走った。

日本にいたときは、週1回のソフトバレーのゲームを行うことで体調を整えていた。こちらに来てからは、口は動かしているが、体をさほど動かしていない。ウオーキングするのしても、日差しは強く、長い距離を歩けない。夜の散歩は、物騒である。

そこで思い出した。自宅のアパートメントの屋上に20mプールがある。それも私の部屋代に含まれているので、これを利用しない手はない。来週から、スイミングを始めよう。8月に一時帰国する予定でであるが、ずんぐりした体形に変化した私を見て、日本の知り合いたちの話のネタになるようでは困る。

競技場のトラックをよく見ていたら、随分と小柄なランナーが黙々と走っている。「ワタナベセンセイ、アノ人ハ日本カラ来タ、ランナーデス」。アシスタントコーチがカンボジア語で、そんなことを言っていた。よく見ると、以前話題になった日本のお笑い芸能人の人である。まだ、走っているんだ・・・。

チームは、早朝の涼しい時に陸上トレーニングを終え、今日から3日間あるという練習試合の会場に移動した。
(市内でときどき見かけるフットサル場であるが、利用している人をまだ見たことはない。お金を出して、このような立派なところを借りなくとも無料の地面は沢山あるので、まだフットサル場は時期尚早なのかもしれない)

会場は、今月末にカンボジアで初めて開店する日本のショッピングモールのイオンのすぐ近くにあった。イオンも、あと1週間ほどで開店する。楽しみである。会場は、フットサル場と隣接して建てられている屋内球技場であった。コート周りのフリーゾーンが若干狭いものの通常の練習の場としては申し分ない。

きょうから日曜日まで、この会場で私が指導手伝いをしているプノンペンのポリス(警察)チーム、そして地方からも同じくポリス(警察)チームが2チーム、計3チームが集まって練習試合を行う。地方のチームからも選手の発掘を私は考えている。2週間前のお隣の州での友好試合ではこれといって目立った選手はいなかった。

(No.6の選手が目を引いた。荒削りであるが高さはある。ブロック時に顔までネット上に出ている)

今回は1名いた。ミドルブロッカー(以前の言い方でセンタープレーヤー)で身長196cm。高さはある。鍛えればブロックと速攻だけはモノになりそうだ。早速、ノートにメモした。ミドルブロッカーはプノンペンポリスチームに既に1人、眼をつけている193cmの若い選手がいる。彼は、きょうも、私の周りにまとわりついてカンボジア語なまりの聞き取りにくい英語で話しかけてくる。

その彼が、あの地方のポリスチームの若いコーチはタイ人です、と教えてくれた。この国では、他にベトナムや中国からも若いコーチが地方のクラブチームで指導しているということを最近聞いた。機会があれば、彼らとも会って話を聞いてみたい。


Thu.June 20,2014 2ヶ月目のスタート

先月の19日にプノンペンに着任して1ヶ月経った。昨夜は自宅のアパートメントの広いリビングで1人で自分を慰労した。近くのマーケットで買ってきた安いが旨いチリワインを1本開けた。先週までは紙コップで飲んでいた。味気ないので、1個150円で買ってきたワイングラスに注いで赤い色を楽しんだ。

この1ヵ月間で、カンボジアのスポーツ事情が少しわかりかけてきた。全体を把握するには、まだまだ時間がかかるが、バレーボールの事情は少し呑み込めた。昨年の東南アジアゲームでカンボジアのナショナルチームが出場7ヶ国の中でなぜ最下位であったのか。原因がわかってきたので、これからは、その原因を強化委員会(これから創設する)のなかで確認し、対策を具体的に提案し、予算化して、実行するだけだ。

2014年6月18日水曜日

Wed.June 18,2014 いよいよブロックを本格的に指導開始

この国のチームのトップ8を全て観戦したわけではないが、2週間前にトップの2チームのゲームを見て感じたことは、スパイクのパワーだけは素晴らしい、と評価できる。

但し、ブロッカーをつけずに行うスパイクに関してである。ゲーム前のスパイク練習は観客も1本1本のスパイクに歓声をあげて選手達を鼓舞する。確かに、普段の練習でもスパイクにかける時間は多い。

そして、ゲームになると、当然であるが、相手コートネット際にはブロッカーがいる。ゲームになると、スパイカーのミスが極端に多くなる。これも当然なのであるが、練習中は良いセット(最近では日本でもでも「トス」のことを「set:セット」と呼ぶようになった)をノーブロッカーで気持ち良く床に打ち付けている。ゲームでは、そんなに良いセットは数本しかない。ましてやブロッカーが立ち塞ぐ。

日本の中・高校生の部活で、このような良い条件だけの練習をやっているところは、県大会に進むのがやっとというレベルである。基本の練習は、良いセットでブロックをつけないでやって欲しい。そして次のレベルは応用である。ゲームに近い条件を付けてやることが応用である。

例えば、ブロッカーを1枚(シングル・ブロック)付けて、スパイク練習するだけで、ブロッカーを意識してボールを打つようになる。コース打ちの練習にも発展できる。例えば、2段トス(ネットから離れたところからのプレーヤーのセット)を打つことはゲームで頻繁にある。上位に行けば、ラリーが続き、ネット際からの良いセットよりも2段セットのほうが圧倒的に多くなる。

そんなわけで、今日からポリスの練習にブロックの練習を加えて、同時にスパイクのブロックを見ての攻撃やブロックを利用しての攻撃の練習になるようにした。ブロックの基本のステップから始めた。

仏教国であるこの国のお坊さんたちの衣装は、濃いオレンジ色である。画像のように、モーターバイクで移動するお坊さんの姿をよく見かける。どこに行くのであろうか?ヘルメットをかぶらないで乗っている人はまだ多い。

4人乗りも見かける。交通事故も、増加していると聞いている。取り締まりを強化すれば、市民の移動に支障をきたすということも理解できるが、事故が起きてしまっては元も子もない。

Tue.June 17,2014 Cambodia全国大学大会を視察

首都Phnom Penh(プノンペン)の中心地にあるオリンピック・スタジアムでカンボジア国内にある大学が集まってスポーツ大会を開催すると聞いて出かけた。ひょっとすると有望なバレーボール選手がいるかも知れない。

開会式は、体育館内で行われた。開会式の始まる設定時間より1時間過ぎて式は始まった。どの国にもその国の時間というものが存在する。日本人のように時計のように正確に物事を進める国のほうが世界では珍しい。

参加した大学には、大学校や専門学校も含まれていて、25校が笑顔で入場行進した。先導は音楽隊である。話に聞くと、この音楽隊はJICA(日本の国際協力事業団)から派遣の指導者によって育てられたという。

王立や国立の大学は参加していない。理由は、スポーツを活動していないからというシンプルなものであった。

種目は陸上、サッカー、バレーボール(男女)、バスケットボール(男女)。バレーボールは、国内でも人気スポーツの1つで、男子が12チーム、女子が5チーム出場する。6月28日までリーグ戦とトーナメントを行う。
(副審側にベンチも記録席もない。どうやら、こちら側に座っている主賓への配慮で、ベンチも記録席も主審側の向こう側に設置したようだ。審判団の反則への判定基準は、以前の基準であった。今年の9月に日本で開催されるアジア連盟主催の審判研修会にはカンボジアからも審判員が派遣されるようだ。それで審判技術も世界に追い付くことであろう)

開会式終了後に、バレーボールのゲームが始まった。日本の大学の体育会活動と違って、こちらの国では、サークル活動に近い。参加した大学のなかには、この日のために急遽チームを編成したという大学もある。
(バレーボールのプログラム表。参加大学名や対戦期日などがクメール語(カンボジア語)で記されている。1年後には、少しクメール語も読めるようになっていたい)

最初のバレーボールのゲームを見て、見たことのある選手の顔があった。2週間前に、プノンペンから車で3時間離れたところにある隣の州都でポリスのチームと親善試合で対戦した公務員チームの主力選手2名がいた。関係者に聞いてみた。あの選手たちは大学生なのか?

大学生ではない。何というのか・・・日本語で言えば「助っ人」のようなものだという。そういえば、市民クラブレベルのサッカーの大会に大学生チームの選手が入るということも聞いたことがある。選手の登録制度が確立されていなければ、このようなことも自然に行われることも理解できる。数年後には、純粋な大学生だけでのチームでゲームがなされることであろう。

体育館内をよく見てみた。床が木の床である。日本では当たり前のことであるが、国内では珍しい。この木の床は3か月前にできたということである。壁の電光掲示板も3か月前に完成した。スポンサーの飲料会社が付いたのは今年からだという。

カンボジアは、経済をはじめ、2年ほど前からすべての面で急激に現代化が進みだした。スポーツ環境もその例に漏れない。私がこの国の監督に就任したのも、その流れの1つなのかも知れない。上っ面の流れに翻弄されないように、ひとつひとつ着実に進めていきたい。




2014年6月16日月曜日

Mon.June 16,2014 Cambodiaの優れもの

日本と比べて、カンボジアのこれは優れているモノをあげてみたい。

まずは、果物類の豊富さと安価なことである。

亜熱帯気候なので、ほとんどの果実がある。私は普段、外国人が良く行くマーケットにしか買い物に行かないが、その内に近くにある地元の住民が買い物に行くマーケットに行こうと思っている。通行人がやっとすれ違いことができるような細い路地脇には小さな店が野菜、果物、海産物を雑多に並べている。こういうところで買い物ができるようになったら、現地になじんできた証拠なんでしょうね。

次に、水道栓を捻ると、すぐに温水が出てくることである。最低気温でも25度、日中は35度に上がるのは普通である。シャワーもガスで点火しなくとも、そのままで十分使える。

そして、カンボジア人の笑顔である。特に子供たちの笑顔が良い。

長所も短所も何かと比べるから、それが長短として認識されるのであろう。比べるものがなければ、それはそれで良いのであろう。誰かと比べて、幸せとか満足とかの尺度ではなく、自然の恵みで生きていることそのものに感謝する人生もあってよい。

2014年6月15日日曜日

Sun.June 15,2014 World League Week 4

男子バレーボールのワールドリーグD組の第4週は、日本の小牧市で昨日に引き続き、日本での第2戦が行われた。結果は1-3の敗退であった。日本は、昨日同様、体調の悪いセッターの深津と練習で怪我のエース福澤を欠いた。アルゼンチンもレギュラー1人を怪我で母国に残してきた。

日本は、昨日の結果により、7連敗でD組の最下位が決定し、決勝リーグには進めないことが決まった。日本のミスの数が4セットで27本ある。体格で劣る日本は精緻なバレーをして相手のミスを生じさせることが必要である。サーブ時のミスもリスクを負わねばリターンがないということは理解できるが、それでも1セットに3本までとしたい。ネットにかけるようなミスはリターンを期待できるミスではなく、自チームの戦意を消失させる「失点」であるということを指揮官は強調するべきだ。

ミスは、集中力の欠如から生じる。普段の練習態度が実戦の時に出てくる。実戦は練習のように、練習は実戦のように・・・ではなく、練習は実戦以上に、実戦は実戦のように、というのが私の持論である。そうでなくては、集中力は育たない。

2014年6月14日土曜日

Sat,June 14,2014 ワールドリーグ男子バレーが日本で開催

海外で転戦していた、新生全日本男子が日本の小牧市にアルゼンチンを迎えて今日の午後に対戦した。日本は現在Dグループ(4チーム2回戦総当たり)で6戦全敗である。

新生になったばかりの全日本男子は、このDグループ(フランス、ドイツ、アルゼンチン、日本)の中ではもっとも実力がない。今、これらのチームに勝利をあげることは難しいことであろう。

結果は、FIVBのライブスコアを見ていたが0-3のストレート敗退であった。主力の正セッターの深津とエースの福澤はゲームに出ていなかった。若い選手で国際大会の経験が浅く、ましてホームでやることは経験の浅い選手にとってはナーバス(神経質)になってミスが多くなってしまうことは良くあることだ。

この日も、大活躍したのはキャプテンの越川であった。ベテランは、リラックスしてプレーする術を知っている。若手は、日本だからといって、気持ちが入りすぎても、力みが出て、動きに柔らかさが出てこない。リラックスして燃えることが良いパフォーマンスを発揮する秘訣である。

全日本男子には、今は生みの苦しみとして辛抱して、負け試合でも気持ちは折れずにポジティブに考えて、9月のアジア大会で2位以上のメダルを目指して欲しい。

私も頑張る。南部さん、頑張ろう。今の苦労は、きっと実ります。

Fri.June 13,2014 連盟の会議に出席

カンボジアでは、物事は予定通りに行きませんよ。そのような言葉を永くカンボジアに住んでいるイタリア人のビジネスマンに何度も聞いた。

そうかと思うと、予定よりも早く進むこともある。昨日、急にバレーボール連盟から連絡が来て、明日、会議を開催するので出席してください、と依頼の電話が入った。

7時には迎えの車がやってきて、カンボジア・オリンピック委員会の入っている建物に着いた。会議は8時から始まった。出席者は、会長始め2人の副会長、そして重鎮ばかりが集まった。決定事項は、複数出てきた。

会議は2時間ほどで終わった。私はプリンターを購入しに市内で一番大きなCANONだけを扱っている店に行った。ここにはモノクロの事務用の角形のプリンターしかなかったが、市内ではどこも同じようなものしかないので、ここらで手を打って、2万9千円で購入した。

2014年6月13日金曜日

Thu.June 12,2014 陸トレが短時間の理由とは?

ポリスのチームの練習を手伝って4週目に入った。今週は、陸トレ週間なのか、走ったり、階段を利用して脚力養成に集中したトレーニングをコーチは実施している。

会場はオリンピックスタジアム。ここは、風通しが良い。それにしても1時間ほどで陸上トレーニングは終了したのは、少し短すぎではないか。そう思って、コーチに聞いてみると、この暑さではそんなに長く走っていられないですよ、と返事が返ってきた。確かに、朝8時でも、気温は既に30度を超えている。

気になっているのは、コーチが毎回ストップウオッチを手に持って計時しているが、データとして全員が見れるようにグラフ化にしているかどうかは怪しい。全員が見れるようにしておくことで競争的にもなるので良いと思うが・・・。

来月には、ナショナルチームを選出し、招集するのであるが、まずは体格と体力測定から始めたい。比較するのは、全日本男子、Vリーグチーム、大学生のアベレージ(平均)と最高値である。3ヶ月に1回は測定し、各人のランニングデータとしても残していきたい。

2014年6月12日木曜日

Wed.june 11,2014 カンボジアで活躍するシニア隊員

JICA(ジャイカ)の正式名称は、独立行政法人国際協力機構という。

具体的には、海外でも特に発展途上国への技術協力、有償資金協力(円借款)、無償資金協力の援助手法を一元的に担う、総合的な政府開発援助(ODA)の実施機関である。

この機関には、2つのボランティア組織がある。私が、かれこれ38年前に参加した青年海外協力隊(1965年設立)とその後に設立されたシニア海外ボランティア(1996年設立)の2つである。

おっと、このブログを打っている今まさに日本のどこかの県のソフトバレーボール愛好者からルールのことであろうか質問電話がかかってきた。ご回答したかったのであるが、こちらはカンボジアなので通話料金がとても高いですから、メールにしてくださいとお願いして電話を切らせて頂いた。

さて、ボランティアの話であった。そのシニア海外ボランティア(40歳以上69歳まで)でカンボジアに現在派遣中の方達は24名いる。体育スポーツ関係に絞ると4名。具体的には、合気道、サッカーの種目と体育である。

きょうの午前中に、体育教員養成に派遣されて3年目になる土谷先生の現場を拝見させて頂いた。ここカンボジアでバレーボールの指導を行う場合、他種目からも学ぶことは多い。


早朝に、先生が本職以外にボランティアで指導しているというカヌーナショナルチームの練習現場に向かった。宿舎の脇には先生手作りの筋トレ用の器具が置いてあった。50年前の日本でも、私たちは手作りでダンベルやバーベルを作って体作りに励んだことを思い出した。

無いことを嘆くよりも、無ければ工夫してくれば良い。先生は、そんな非常にシンプルな考えを持っている。昨年の東南アジア大会でカヌー連盟として銅メダルを初めて取ったというのも頷ける。

その後、先生の職場に向かった。カンボジア教育青年スポーツ省管轄の国立体育教員養成校は、1988年に国内で初めて発足した体育教員養成校である。現在でも国内唯一の体育教員養成校である。1学年が約150名5クラスの2年生。卒業後は、国内各地の中・高等学校に体育教師として派遣される。

グラウンドには、整備されたバレーボールコートが2つとバスケットボールコート、ハンドボールコート、サッカー場があった。コートのほとんどに手作り感があった。体育館はまだない。先生は、個々の学校でアドバイザーとして教員を支援している。先生は、教科書も作成し、最近改訂したものには図が多く載って理解しやすい。

先生のような先輩がカンボジアにいてくださって、感謝している。ゼロからスタートする覚悟で私はここに来たのであるが、先生の過去2年半の経験が私に凝縮された形で伝わってくる。先生の後押しがあり、私の活動は思いのほか早く前に進み始めた。

学校を出て帰宅の途中、車を降りてメコン川沿いのお寺に案内された。1993年に国連ボランティアとしてカンボジア総選挙の監視活動中に武装集団に襲撃され、亡くなった中田厚仁(あつひと)さんの墓標があるというのでお参りしてきた。当時25歳の若者であった。

カンボジアの歴史は、多くの先達たちの手で作られてきた。我々日本人の先輩たちもその中にいたことを誇りに思う。