2012年4月28日土曜日

4/27(金) American club指導奮闘

午前中に「基本文法で学ぶ英会話」という英会話教室に出席。その後、喫茶店にて、本日のamerican clubの子供たち(中学生女子)への指導ノートを作成した。本日からはSpikeを指導する。
 Spring session(春期)が始まって、今日で4回目だ。18名のビギナーの子供たちを1人で指導するのは、易しいことではない。技術指導はもとより、規律も指導しなければならない。それも英語で説明しなければならない。正直、難しい。しかし、与えられたチャンスである。あと1ヵ月半やりきるしかない。
 7時半に練習が終わっても、数名の子供たちが出迎えの親を待ちながら個人練習をやっている。そのときには個人的な会話を交わす。彼女たちは私が英語が相当できると思っているようでペラペラとネイティブの英語で語りかけてくる。反応はできるが、私の英語は小学生並みのレベルであろう。しかし、優しい彼女達は、そんな私をリスペクト(尊敬)して指導についてきてくれる。そんな可愛い彼女たちを何として1ヵ月後には、上手にしてあげたい。
 彼女たちが私の言うことを理解してくれているのには、ひとつ仕掛けがある。練習の始めに、必ずホワイトボード(白板)に英文、図入りで説明している。これが、結構私の拙い言語技術を補って効果を挙げている。もうひとつは、私の実技。指導者はいくら歳をとっても自分の得意プレーでお手本を見せてあげることが大事である。先日も2m15の低いネットでスパイクをバチンと打って見せたら、子供たちが”Oh!”と驚いていた。
 お手本を見せてあげるためにも指導者は普段のトレーニングが大事である。口だけの指導者になるのは80歳を越えたあたりからでよろしいであろう。

4/26(木) ママさんバレー あおばクラブさん再訪

 全国ママさんバレーボールの千葉県予選会が近づいてきた。市川市にあるママさんバレーチームあおばクラブさんも予選会に出場する。今夜も市内の強豪チームとの練習試合にアシストした。
 ゲームでアドバイスしたことが直ぐに実行されることはない。やはり、繰り返し練習しなければ身に付かない。英会話の文章でも覚えるには最低50回発音し、更に手書きで書かなければ身に付かない。10回繰り返して、満足していても身に付かない。
 スポーツの基本技術も同じことだと思う。あれやこれやとやらずに技術を絞って一つのことをしっかり身につければ、技術はつながっているものなので、次の技術を覚えやすくなる。
 ゲームは自チームのミスが全体の失点の2/3という結果であった。しかし、これでチームの課題が明確になった。サーブとサーブレシーブ、そしてセッターのトス配分である。戦術を駆使するレベルまでには到達していない。基礎体力と基本技術をじっくりと身に付けてもらうことが大事である。
(画像は、あおばの子供たち。練習時にはチームの子供たちが付いて来る。今夜も5人付いてきた。ホームでの練習ではステージやコートの隅でおとなしく遊んでいる。時には球拾いや、小学生上級生にはコートの中に入ってスパイクなどを打ってもらう。親が楽しくバレーをプレーしていれば子供たちも自然にボールで遊ぶようになる。ママさんバレーが、我が国のバレー普及に果たしている功績は大きい。練習試合の後で小学生3年生ぐらいの男の子に「ママをいじめちゃだめだよ」言われた。私としてはアドバイスしているつもりが、子供の目から見たらいじめているように見えたのであろう。反省・・・。)

4/24(火) 練習にテーマを持とう

ここ2週間続けて、ソフトバレーの公式試合に参加してきた。市民交流大会、県交流大会と参加して、気づいたのは我がチームのレシーバー陣の基本が忘れられていること。少し厳しくいうと、基本をおろそかにしていること。基本の姿勢を維持することは、決して楽なことではない。
 特にスパイクレシーブ時のレシーバーの構え。両手の位置を両肩の前方に置いておくことがソフトバレーのレシーブの構えである。ソフトバレーのボールは柔らかいので緩いボールはもちろん、多少のスピードボールでもオーバーハンドにて捕ることができる。基準は、両肩より上方で両手にてボールを掴むことができるスピードのボールはオーバーオーバーハンドで捕れるということだ。捕まえられないスピードボールは、味方ブロックのミスであるか相手スパイカーのナイスプレーである。
スパイクボールがウエストより下に来れば、肩口の前に置いておいた両手を下ろしてアンダーの形にする。腕を上から下に降ろすには、地球上に引力があるので、直ぐに降りる。この逆は時間がかかり上手くいかない。
 さっそく、本日から毎回15分のみ、この構えを維持しながら、まずフェイントボールの処理の練習をコートに4人入って、実戦形式で繰り返し行った。
基本の土台は基礎である。基本技術の土台は基礎体力である。30歳過ぎから体力は低下してくる。50歳からは目に見えて低下、60歳からは毎年低下してくる。日常の生活での健康管理、軽い筋トレ
が益々必要になってくる。
 私の場合は、まず酒量を減らすことから始めなければならない。これが難しい・・・。

2012年4月25日水曜日

4/23(月) 定年退職御礼通知の葉書

 途中入社ではあったが、34年間勤務した会社を定年退社したこと、退社したことで今まで使用していた会社の携帯電話から個人の携帯に代えた新番号を連絡すること、同様に会社のパソコンのEmailアドレスを個人のPCアドレスへの変更を関係者に伝えなければならない。ほとんどの知り合いは、私が定年退職したことを知らない。
  本日、自宅の近くの印刷屋さんで注文しておいた御礼通知の葉書が出来上がったので、早速関係者一人一人の宛名を手書きした。宛名を書いていて思った。当たり前だが、バレーボール関係者が圧倒的に多い。バレーボールで繋がり、バレーボールで生かされている自分を再認識した次第である。
  これで、退職以来の一連のやるべき作業、年金・健康保険・雇用保険・ITパソコン環境整備などを全て終えることができた。
 これから新しい世界に進んでいける。

2012年4月24日火曜日

4/22(日) 千葉県ソフトバレー交流大会 シルバーの部出場

 久しぶりに千葉県の大会に出場した。出場した種別は「シルバーの部」。シルバーの年代構成は、50歳以上と60歳以上の男女で構成する。
 年代の構成に関して、昨年度に日本ソフトバレーボール連盟の理事会で年齢の条件の緩和を求め承認された。従来は50歳代の男女と60歳以上の男女の各2名、計4名がコート上でプレーするというのがチーム構成の条件であった。しかし、年々、各クラブ内で50歳代と60歳以上の異年代でチームを構成するのは難しくなってきた。何とか揃っても、5名から6名で、8名フルメンバーになることはめったにない。例えば、50歳代と60歳代の男性が一人ずつしかいないと、怪我人が出た時点で交代メンバーがいなくなり、最悪、試合は棄権となる。50歳「以上」という年代条件であれば、60歳の方でも50歳区分でプレーできる。
 ゆくゆくは、「以上(Over)」の区分で全ての種別を整理していきたいと個人的には考えている。Over20、Over40、Over50、Over60・・・、いかがであろうか?この方がすっきりして、チームも作りやすいのではないであろうか?
 さて、シルバーの部の成績は8チーム中5位であった。午前中は私がまったく機能しなかった。午後になって全快で不敗。実は、この日、ウオームアップもかねて自宅から自転車で体育館まで行ったのである。距離は片道5km。たいしたことはないと高をくくって自宅からスタートしたのであるが、体育館は高台にあることを途中で思い出した。ペダルが重い。自転車といっても、カミさんから譲り受けたママチャリ号、変速機なんてシャレたものは付いていない。体育館に着いたときは、がに股歩きで、アップどころか疲労困憊であった。やれやれ・・・。

 夕方からはアメリカンスクールの子供たちの指導のために港区麻布に向かった。先週から英語がペラペラのアシスタントも付き、ずいぶんと指導が楽になった。帰りは、またも小雨であった。いつになったらさわやかな春を満喫できるのであろうか?

(画像は千葉県ソフトバレー交流大会の風景。会場は、いつも私の住んでいる船橋市の運動公園体育館。私にとってはママチャリでも行ける距離にあって助かっているが、遠くから見えている参加者にとっては半日がかりの移動である。年2回の県大会の会場のうち1回は県内各地を回るようにすることも参加者サービスとして必要なことであろう)

2012年4月23日月曜日

4/21(土) 市川市ママさんバレーあおばクラブ 練習試合

練習試合の英語には2つの表現があると私は考えている。試合を想定して行う、主に味方のチーム内で行う練習を”a practice game”、他のチームと行う試合形式での練習を”a friendly game”と考えている。スタートから堅苦しくなってしまったが、今夜は、ママさんバレーのa friendly gameに立ち会った。
会場は自宅より近かったので、市川のママさんたちが車で自宅まで出迎えてくれた。相手のママさんチームのレベルは、私が同行したチームと同じようなレベルであった。
ママさんバレーの全国大会で過去にデータを詳細に取られた方がいる。9人制バレーボールの世界でこの方のお名前を知らない人はいない。森藤憲一さん。京都大学法学部卒らしく彼の指導は根拠を基にしている。特にデータを駆使しての根拠は、見事である。森藤さんが著書の中で述べている。
ママさんバレーの得点割合の45.5%が、実は相手ミスということである。そのミスの中でも、攻撃のミスが全体のミスの65.5%を占めている。打ち切れないトスが上がってきても思いっきりよく打ってしまって、ネットに直接当たってしまったり、ラインを超えてアウトボールになってしまったりするケースが多い(『9人制バレーボールのコーチング』(森藤憲一著 大修館書店 2003年)。
今夜のゲームでもお互いにスパイクミスが多かった。スパイクミスを減らすためには、トスが乱れたときの対応が大事である。まずは相手コートのエンドライン奥やコーナーにジャンプして両手パスでプッシュして入れることである。慣れてくれば、片手で操作できるようになる。次にレシーバーのタイミングをずらすために、フェイントやソフトスパイク(軟攻)で確実に相手コートに入れることである。
その前提として、スパイク練習ではフェイント、ソフトスパイク、プッシュ(両手、片手)からやるべきと思うが、ママさんたちは、これらを省いて、すぐに良いトスでバシバシ打つ練習を始める。これでは、良いトスがほとんど来ないゲームではスパイクミスが続出するのも当たり前である。相手の得点のほぼ半分は、自分たちのスパイクミスで献上しているという事実をしっかりと受け止めて、スパイク練習は、フェイント、ソフトスパイク、プッシュからスタートして欲しい。
明日は、昼過ぎまで千葉県ソフトバレーボール連盟主催のシルバー交流大会に参加。夕方からはアメリカンスクールの子供たちへの指導。

(画像は、森藤さんの著書。9人制に関してはバイブルである。私はこの本から6人制での指導のヒントを沢山いただいた。森藤さんとも10数年前には3度ほどお会いしたことがある。そのときは、韓国にも9人制の輪を広げるんだと積極的に韓国と日本を往復している最中であった。その後、ご自身が社長をされている会社の事業のほうに専念されていると風の便りにお聞きしているが、お元気でいらっしゃるのでしょうか・・・)

2012年4月21日土曜日

4/20(金) Hello!ハローワーク

 ハローワーク、確かに昔の呼称の「職業安定所」よりは明るいイメージがある。本日、そのハローワーク船橋に行ってきた。建物は、イメージほどではなく、昔の職業安定所そのもので少しくたびれていた。それでも、職員の方対は明るくさわやかに対応してくれた。きょうは、第1回の雇用保険受給資格者への説明会。再就職のための手当ての説明会に行ってきた。簡単に言うと、次の仕事が見つかるまでのある期間、失業保険金を給付していただくためだ。
私のように60歳で定年退職の場合は、最大150日間支給される。基本手当ては、退職の7ヶ月前の給与所得の平均1ヶ月の賃金の45%。上限額があって、60歳から64歳までは6,777円。給付されている期間、老齢基礎年金は支給されなくなる。次は、こちらの手続きもしなければいけない。
私の希望する職種は、大学の講師とバレーボールコーチ。どちらも、そう簡単に見つかりそうはない特殊な職業だ。そこでもうひとつの道、つまり個人事業主の道も考えている。肩書きは「スポーツコンサルタント」のような感じかな。
私の能力は、人と人をつなげる術に長けているようだ。確かに、私は、見た目も平凡なサラリーマン風でTV受けするような顔立ちの持ち主でもなく、一人でラジオのリスナーに語りかけるだけの言葉を操る能力もない。やはり、地味に人と人との関係性を支える縁の下の役割が合っているようだ。
夕方になって、アメリカンクラブの指導に向かった。今夜は、学校の方で上級生の「さよならParty」があったとかで、練習に来たのは全体の約半分の8名のみであった。それでも、一人一人細かな指導ができた。明後日の日曜日からの練習からは「規律」ということを少しずつ教えて行きたい。欠席するときは、事務所のスタッフに事前に連絡をしておくことも「規律」である。ここは日本の中のアメリカ。アメリカの文化の中でバレーの指導しているのであるが、指導法はグローバルな指導哲学でやって行きたい。私は、日本のバレー界の指導内容。方法に誇りを持っている。確かに一部の指導者には行き過ぎた指導をやっている人もいるが、概して日本人の指導者は基本を細かく丁寧に指導するところに欧米の指導者と比べて一日の長がある。
おっと、このままの調子でキーを打っていくと長文になって、小田急の岩本先生からお叱りの電話が来る。
「ナベさん、僕は、あんな小さな字を10行以上は読めない。頼むから、僕のために10行以内で書いてくれないかな・・・?」

明日は、千葉県市川市ママさんチームの練習試合に行き、アドバイスを行う。 
(画像は自宅近くで見かけた桜並木。何桜だろうか?濃いピンクの花が印象的だ。最近の移動の手段は、もっぱらかみさんの乗り古したママチャリ。市役所にも、年金事務所にもハローワークにママチャリで移動している。気に入った光景があるとスマホで撮影する時間ができたのも定年退職者のメリットですね)

2012年4月20日金曜日

4/19(木) 三郷市の飛鳥ママさんチーム訪問


 2週間前に、埼玉県三郷市の三郷ママさんチームに訪問した。練習帰りに、三郷ママさん代表の神白(かじろ)さんと一緒に、いつもの寄り道で接骨院に立ち寄って痛みのある右肩のマッサージをやっていただいた。そのときに健康保険証を持参していなかったので正規の料金を取られた。次回、1ヶ月以内に保険証を持参して再来すれば過払い分は返金します、とのことであったので、では本日の木曜日にということになった。本日は、神白さんが指導している他のチームの練習日ということであった。そのチームが飛鳥(あすか)さんという三郷市内の強豪チーム。
 飛鳥さんの練習時間帯は、珍しくも午前中。週1回の練習という。会員数は20名ほど。A・Bの2チーム作れるところは全国的に見てもそう多くはいない。平均年齢は40歳代(と、しておく)。アップを見て感心した。なんとストレッチと筋トレに30分かけて身体のメンテナンスに余念が無い。ママさんたちも40歳代後半から体力が驚くほど急激に低下してくる。飛鳥さんの強さの秘訣はこのトレーニングにあった。
 私が重点的に指導したのは、視野を広くしてプレーすること。そして、判断を早くすること。普段やらないようなドリルをやるせいか、ママさんの顔は真剣そのものであった。12時過ぎに練習を終えて、近くのファミレスで昼食会となり15名ほどが参加した。このときのママさん達の顔の表情は、練習のときよりも真剣そのものであった。
(画像は、メンバーの中でも元気なお二人と一緒に)

2012年4月19日木曜日

4/18(水) アテネフランセ英会話教室

春学期が月曜日にスタートして、今夜は2日目。欠席者が2名で、新たな大学生らしき男性受講者が1名加わって、今夜は計8名。今晩は、講師からhomework(宿題)を沢山いただいた。帰りの電車の中でhomeworkをさっさと済ませた。会話中心のクラスであるが、文法をしっかりと理解していないとレベルが向上しないというのがカナダ人講師の考え方である。
 明日は、埼玉県三郷市に行き、飛鳥(あすか)さんというママさんチームの指導に行く。

2012年4月18日水曜日

4/17(火) Emailアドレス設定しました


お待たせいたしました。PC(パソコン)のアドレスを設定しました。自分でやると、私の能力ですと、8時間はかかるので、専門の方に出張していただいて設定していただきました。パソコン2台。1台は自宅で使うデスクトップ用に台湾のASUS製を有線で設置し、もう1台は東芝のdynabookを外出時に使うモバイル用に設定した。ついでに、プリンターも自動的に両面印刷できるCanon製を購入して、全て一から設定していただいた。ウイルス対策も3年用をインストール。設定にかかった時間は1時間。さすが専門家である。
 この情報を聞きつけた我がソフトバレークラブの代表者から早速私に依頼が来た。
「わたなべさ~ん~、うちのメンバーのJVA個人登録やっていただけるかしら?」
「かしら?」と言っているが、これは「やってくれるわよね、ね、ね!」と、ほとんど脅迫である。
 我がクラブには約30名の会員がいるが、千葉県大会に出る人たちは18名いる。県大会に出るには個人登録しなければいけない。定年退職で私が暇だと思っているのか、頭が呆けないように仕事をくださったのか、いずれにしろ、これも総監督の務め、と観念するしかない。

(画像は、我が家の小さなパソコンスペース。昨日まで大きなデスクトップがデンと構えていたが、ノートパソコンにしたら空間がポーンとできた。私が留守の間はミッキーとバボちゃんがパソコンを管理していてくれる。ついでに18名の個人登録の作業もやってくれないかな・・・?)

2012年4月17日火曜日

4/16(月) 英会話スクールも春学期スタート


 2週間ぶりに、語学学校も春学期が再開した。昼の部を週3日間希望したが、日中の受講者は少なく、やむなく夜の部に代えた。毎回2時間で週6時間は語学学校で学習の日々を今日から7月まで続ける。レベルは試験で6段階中3段階と認定された。まあ、今の私では、妥当なレベルであろう。
 TOEICという国際的な認定組織があるが、これに当てはめると、今の私の英語レベルは450点~500点ほどらしい。英検に当てはめると準2級というところか。7月の終了までには650点~700点を目指したい。このレベルは、外資系商社への大学新卒レベルと聞いた。ちなみに、昨日からアメリカンスクールチームのassistantで私を手伝ってくれる(介護してくれる?)ミサさんのTOEICスコアは、なんと993点!ほとんど満点に近い。さすが、アメリカンのあの巻き舌での発音にも苦もなく対応している。米語には英国英語にない発音の省略や子音の変化もある。
 夜のクラスに出席した。9人の受講者がいた。男性はリクルート中の大学3年生と私の2人のみ。他は30歳代の女性。皆、英語を学ぶ目的をしっかり持っている。中には大学院の博士課程に進もうという映画関係者の方もいる。 そして、最年長者は、ダントツ私である。
 それにしても、女性のパワーはすごい。仕事を終えた後も語学学校に来てキャリアアップを目指しているのだから。日本の将来は、大和撫子なくして立ち行かなくなるのであろうか?
  男たちよ、赤提灯で管を巻いているだけではいかんぜよ。それにしても、グローバル化のなかで、日本人には、ますます英語力が必要になってきていることは確かだ。
(画像は、金峰山寺蔵王堂。久しぶりに投稿を頂いた愛読者のKさんからの画像です。吉野路から奈良路への旅に出ているとのことです)

4/15(日) 船橋市ソフトバレー春季大会


 市内の中心部にある運動公園体育館にて春季市民ソフトバレー交流大会混合の部にクラブの仲間と一緒に参加。40歳以上の部に2チーム編成して出場。40歳以上の部には全部で5チーム参加でリーグ戦を行った。3ゲームを終えた時点で、夕方からのアメリカンスクールの中学生の指導があるので、2時には体育館を出て自宅に一度戻った。
 自宅で着替えて、西船橋から地下鉄に乗り日比谷線の神谷町で下車。近くのCafeで本日からassistantを務めてくれるミサさんを待った。ミサさんと言うのは、20年ほど前からの私のお友達でUSAの大学を出てから日本に戻り、外資系の会社で働いている。バレーボールが大好きな人で、3年前は日本体育協会公認バレーボール指導員の資格も取った。きょうからSpring Session(春学期)が6月上旬までスタートするが、ミtサさんには毎日曜日に手伝いに来ていただく予定だ。18名の中学生を私一人で指導するのは大変ではないが、一人一人に声をかけて丁寧に指導するには限界がある。
(画像はチームTシャツ。体育館のある港区の東京アメリカンクラブに着くと、私の担当職員の女性が笑顔で待っていて、チームTシャツを作ったといって私の分も手渡してくれた。秋にはユニフォームを作って日本の中学生とゲームをやれるレベルまで指導していきたい)

2012年4月16日月曜日

4/14(土) 日本ソフトバレー連盟 会議



まず、11時から東京都体育館会議室にて、定例の日本ソフトバレーボール連盟の企画委員会。これは、常任理事会のようなもので、理事会に次いで重要な決議機関となっている。
 13時からは、同じ会議室にて3つの全国大会の第1回実行委員会を開催。
 兵庫県相生市にて開催の「全国ファミリー」(8/3-5)の実行委員は地元の教育委員会委員長はじめ多数がお見えになった。相生市では、全国ファミリーを既に過去2回開催頂いている。
 福岡県福岡市では、「全国シルバー」(10/19-21)が開催される。昨年、私がリーダー養成講習会講師でお世話になた福岡県であるが、ここは理事長始め役員が積極的に事業を推進されている。
 最後に、石川県金沢市では「全国レディース&メンズ」(9/15-17)が開催される。日本ソフト連盟からの役員派遣で、金沢市には私が大会副委員長で行くことに決まった。レディース&メンズ大会への役員派遣は、これで5年連続になる。
 この他に、日本ソフト連盟で主催することになったのが、「全国ソフトバレースポレク大会」(鳥取県米子市3/2-3)。これは、昨年の栃木大会を最後に開催が無くなった文科省主催の「全国スポーツレクリエーション祭」の代替大会として新設した。対象年齢は、50歳以上、60歳以上の混合チームである。
 更には、主催者が行政の厚生労働省の「全国ねんりんピック」(10/13-15)がある。開催地は宮城県加美町。実は、私も60歳になったので、千葉県代表で出場することが決まっている。
 夕方から、水道橋にある東洋高校に移動して学校の外郭団体である「さいかち会」という父母の会のOB.OG達の役員会に出席した。この会は、役割を果たしてきたということで、今年限りで発展的解消すると決まった。

(画像は 、我が家の小さなベランダ花壇にある鉢に咲いた花。実は、私は花を愛でるのが好きだが、名前はほとんど知らない。桜と梅の違いがわかる程度である。この鉢は4年前にソフト連盟の役員さんの秦さんから頂いた。2年間、葉だけ成長しても花は咲かなかった。そして、3年目の今年になって花が咲こうとしている)



2012年4月13日金曜日

4/12(木) きょうは演出家の蜷川幸雄さんを語ろう



 昔、といっても8年ぐらい前だが、「日経ビジネス」という経済・経営雑誌に元全日本監督が『敗者の弁』というシリーズで次のように語っていた。「まあ・・・バレーボール指導者は、このような専門誌を読むことはないですが・・・」。目前のオリンピック出場権を取り逃がしたその監督は、そのようなことをまず述べていた。彼は、現役時代は世界的な名プレーヤーであった。監督になっても、選手を下手な奴らと見下していた風があった。「日経ビジネス」を読むのも俺ぐらいだろう、という傲岸な態度が文面から伺われた。

 こんな私でも日本経済新聞やビジネス誌は読んでいます。週刊誌は、電車の中つり広告を読めば十分。スマホでも新聞は読めるが、やはり活字は印刷の匂いのする紙が良い。日本経済新聞で、最初に読むコーナーは、雑誌でいえば裏表紙の文化面から読んでいく。特に『私の履歴書』は多士多彩な執筆者が毎月出てくる。1月は、前英国首相であったトニ―ブレア氏であった。この4月は演出家の蜷川幸雄氏である。

 実は、私のバレー指導論は蜷川氏の舞台演出から多分に影響を受けている。

 例えば、氏は次のように述べている。

 「舞台では全員が一つの気持ち、集中力を共有しないと、良い作品は作れない」(「蜷川幸雄と『さいたまゴールド・シアター』の500日」《平凡社新書2007年》より)

 舞台をコート、作品をチームに置き換えてみれば良く理解できる。練習中に、自分の番が来るまでボーっとしている選手がいる。こういうチームは単なる集団である。あと1点で天国と地獄が決まるという勝負の時に結束が崩れる単なる集まりでしかない。

 崩壊するときは、一番弱いところから崩れる。だから弱点は補強すべきである。苦手だから、と逃げていてはいけない。 

 こんなのもあった。

 「名前を呼ばれた団員(平均年齢67歳)の返事が小さいと、蜷川がすかさず『聞こえないよ。コミュニケーションの基本ができていない』と大きな声で指摘する。一言で、けいこ場の緊張感は一気に高まっていく」(前出)

 魅力ある声よりも、なによりも、まず「大きな声」が基本だ。マイクがない劇場で声が観客に届かなければ声を出していないと同じだ。観客に届くかどうか、次にその声の中にある気持ちが届くかどうか。

 先日、新潟県の高校に行ったとき、2日目の午後の練習は、4人一組の歌声競演会を行った。審査員は、4月に入部する中学生達にやってもらった。審査のポイントは、大きな声と笑顔。たまたま、その場にいたご父兄の方は、これが練習ですか?という顔をされていたが、終り頃になって趣旨が解ったらしく、しきりにうなづいていた。歌い終わった後の高校生達の顔が少し女優の顔に近づいてきたようだ。

 自分の気持ちを、心を、外に出すこと。大きな声で、大きな身振りで、大らかに表現することは、演劇もバレーボールも同じだ。そして、バレーボールはボールに心を入れ込んで仲間にパス(トス)するスポーツだ。

(画像は、4月1日付けの私の履歴書と3年前に探して探して神田の三省堂本店で購入した新刊書。3時間で読了した。目の前で蜷川さんから演技指導を受けているようであった。激しい人だ。)

2012年4月12日木曜日

4/11(水) ジールさん訪問



 2カ月ぶりにジールさんを訪問した。ジールさんとは、「ソフトバレーの本」を出版するためにモデルチームになって頂いた墨田区を拠点にしているソフトバレークラブである。

 私もこのところ運動不足であったので、練習に参加させた頂いた。6セットもゲーム練習ができ、適度に疲労感を覚えてきた。練習の後、行きつけの小料理屋さんに8人ほど集まり、近況など語り合った。語り合っていると、コート上ではわからないその人の考え方が理解でき楽しい。私は結構おやじギャグをポンポン出すが、ジールの面々は結構反応が速い。ソフトバレーが上手な人は、ギャグにも強い。

 1時間ほど楽しい会話をして解散し、近くのJR錦糸町駅まで送って頂いた。

駅のホームに立つと、春風が柔らかく体にまとわりつき、お酒で火照(ほて)った体には心地良かった。

(画像は自宅に帰って録画しておいたサスペンスドラマの新聞紹介欄。私の故郷である酒田市が舞台の相場秀雄原作の『みちのく面食い記者 宮沢賢一郎』シリーズ物である。子供のころ遊んだ公園などが背景に出てきて、しばし帰省した感じであった。酒田がラーメンの町に設定されているが、ここ10年くらいの町興しの結果であろう。私にとって酒田で一番美味しい蕎麦(そば)。それは「蕎麦の実」である。私はそれを10年ほど前に酒田市在住の佐藤サンコーさんから教えて頂いた。「蕎麦の実」がドラマの中に出てこなかったのは、主役で自称ラーメン記者を語る宮沢賢一郎の不覚であろう。また、方言が少なかったのもやや不自然であった。それにしても、ベテラン俳優の渡辺いっけい、大地康雄の演技は、ラーメンに劣らず良い味を出しているね。佐藤サンコーさんは、昨年から日本ソフト連盟広報委員会副委員長としてHPを運営されている)

4/10(火) ファーストネームを呼んでソフトバレーをやったら・・・

きょうは、朝から市役所、ハローワークと窓口を回った。定年退職後の各種公的保険の切り替えや申請はきょうで何とか一応終了した。それにしても、ハローワークでは自分の番がくるまで、1時間以上待たされた。待たされている間は、英語の勉強をしているので待つことは苦ではないが、何と人の多いことか。求人票をパソコンで見ている人も多かった。今後、月に1回ここに来て、5ヶ月間、就活の状況を報告しなければならない。
 夜の我がソフトバレークラブの練習で、昨日の湊かなえさんが書かれていたように女性達の名前をファーストネームで呼んでみた。果たして・・・反応は、まったくなかった。少しは、ファーストネームを呼ばれてウキウキするかと思いきや、何の反応もなかった。これはいかが致したことか?
 もう少し近寄って大きな声で呼んでみた。
「きみこ!」
 「何よ!わたしゃあ、まだ耳は遠くありませんよ!わたなべさん、おかしいんじゃないの?」
我が大穴クラブは、こんな感じだ。ああ・・・湊さんのチームに飛んでいって、ファーストネームで互いに呼び合ってプレーしてみたい。一瞬、そんな空想が頭をよぎった。

2012年4月9日月曜日

4/9(月) 英会話学習の極意とは?



 本屋の語学コーナーに行くと、特に英語学習関係の本がこれでもかと沢山並んでいる。第二次大戦中は敵性言語と言われ肩身も狭かったと思うが、戦後になって息を吹き返し、ラジオで語学講座がスタートした。私が中学生の時は田崎先生とか松本亨先生が講師であった。

 中学生の時の英語の先生の発音はひどかった。秋田県出身のその先生の発音は秋田弁で訛(なま)っていた。ラジオから聞こえてくる英語は大変流暢で特に女性の発音は聞き取りやすかった。高校生の時の英語の先生は担任であったが、英語の発音だけ自慢して、英語で伝えるべき中身のあまりない先生であった。この先生とは授業中に生意気にも指導論でよく喧嘩をした。それでも英語は嫌いにならず、時々洋画を見に行くのが当時は「ハイカラ」な学生だと思っていた。

 今の私には、英語を学ばなければいけない理由がある。8月に国際バレーボール連盟公認インストラクターの試験があるからだ。世界を舞台に、いやその前のアジアで講習会の講師を務めるためにも共通言語である英語は私にとって必須言語なのだ。幸い、友人の紹介でアメリカンスクールの子供たちにバレーを指導する機会に恵まれている。現場で学習の機会を与えられていることは有難いことだ。子供たちへのSpring session(春季)の指導は、今週金曜日から再開する。18名が受講申し込みをしてきたと本日連絡が来たばかりだ。

 今月初めに、本屋に行ってNHKの語学講座を全て購入してきたが、聞くだけでも大変だ。以前、フランス語をマスターした時のことを考え、テキストは絞り込むことにした。1つのテキストを徹底的に学習したほうが身に付くということをフランス語の時に知った。選んだのは遠山顕先生の『ラジオ英会話』と基本文法を復習するにはちょうど良い『基礎英語3』(中学3年生レベル)の2冊。来週からは、御茶ノ水にある専門学校のアテネフランセにて週3日の午前中に英会話と英文法を7月まで習う。学習に投資ばかりでお金は一向に貯まらないが、これも私の性分であるのでしようがない。

(画像は最新号のテキスト。値段は380円だが内容は深い。遠山先生の指導の経験がぎっしりと詰まっている。巷(ちまた)で色々な教材が宣伝されているが、1つの教材でじっくりと学ぶことが急がば回れだと経験則で知っている。1つの文を20回以上繰り返して口に出して、書いて、実際使ってみなければ身に付かない。反復練習が大事。これは、スポーツとおなじだ)

2012年4月8日日曜日

4/8(日) 作家の湊かなえさんを知っていますか?



 「愛美は事故で死んだのではありません。このクラスの生徒に殺されたのです・・・」

 このようなショッキングな描写で始まるサスペンス小説は『告白』。作者は湊かなえさん。デビュー作のこの本で2009年の「本屋大賞」を受賞。その後、2010年には松たか子さん主演で映画化された。2012年は『贖罪』が小泉今日子さん主演で上映される予定だ。彼女は、既に売れっ子作家となった。

 実は、彼女は青年海外協力隊OGで私の後輩。といっても、直接お会いしたことはない。私が一方的に知っているだけだ。共通点はある。協力隊員として2年間アフリカに行っていた。彼女はトンガの女子高で家庭科の先生として赴任した。私は教員養成体育大学の講師としてチュニジアに赴任した。

 そして、本日、第2の共通点を見つけた。本日の朝日新聞生活欄に連載されているエッセイに「ソフトバレーボール」チームを結成して楽しんでいるという点だ。詳細は、画像を拡大してお読みいただきたい。早速、朝日新聞社の担当者にメールを送った。

 ソフトバレーボールは実によろしい、と彼女は書いている。何故か?結婚してからは下の名前で呼んでもらったことが少なかったが、ソフトバレーの仲間からは下の名前で呼ばれて嬉しい、主婦から女子に戻れる時間を持てて幸せということだ。

 そうか!私も我がソフトバレークラブの女性達を彼女たちの幸せのために、今度から「○○さん」ではなく、「○○!トス上げろ!」と呼ぼうか?そして、わたしのことを「たかし!」と呼ばせてみようか?そして、ハイタッチ・・・。しかし・・・気の強い我がチームの女子達のことだ。「私はあんたの嫁さんじゃありません!」とピシャッと言われそうだ。やはり、下の名前で呼び合うのは女子だけのソフトチームに限られることかもしれない。

(画像は朝日新聞紙上の彼女のエッセイ「大人になった女子たちへ」。毎週日曜日に載っている。しかし、あんな可愛い作家が身の凍るようなサスペンス小説を書くなんて・・・女性は不可解である)

4/7(土) 桜の開花が遅れている



 上空に寒気が入り込んだ影響で、東北・関東各地、きょうは寒かった。青森県では一日での降雪量が47cmと2005年以来の豪雪となった。桜前線は関東まで来たものの、鳥取県ソフトバレー連盟の審判長である糸原さんによると山間部ではまだ桜が咲かない地域もあるようだ。

 我が家も、少し暖房を入れた。世界各地で異常気象が生じている。我々の文明が気候変動の大きな原因の1つになっているのであろうか?そうであるならば、文明の進歩もそんなに良いものではない。我々が創造したもので、我々が滅びることもあるということは、何たる皮肉。

(画像は、昨日訪れた三郷ママさんの練習会場の脇で咲き誇っていた桜の木。8分咲き、といところか。明日の日曜日は、満開の桜並木を見る人々で一杯であろう) 

4/6(金) 三郷ママさん しばらくぶり!







 昨年12月以来の訪問であった。今回のお土産は、代表の神白(かじろ)高子さん(旧姓:飯田)の30数年前の結婚式のときの写真。実は、先日、千葉県ママさんバレー連盟会長の藤間さんから私が預かったモントリオールオリンピック全日本選手の写真の中に神白さんの写真が沢山あった。さっそく、私が配達人になって、神白さんにお届けにあがったという次第である。

 教え子のママさん達、20名ほどにカラー写真を見せて、

「この文金高島田(ぶんきんたかしまだ)の日本髪のお嫁さんは、だ~れだ?」と問うた。

 「あら~、これ神白先生じゃな~い!?」

 「素敵ね~。小顔だから、羨ましい~い。旦那さんも良い男じゃない~」

 こんな感じで、練習に入るまで、子雀(親雀?)たちのママさん達はピーチク・パーチク・チュンチュンと好き勝手な感想を言い続ける。

 「はいはい、練習の後にゆっくりと写真を堪能しましょうね。練習に入りますよ~」

勝手知ったる三郷のチームである。焦(じ)れた私が、号令をかける。コート上では口数少ないお嬢様になってしまう三郷ママさんたちも、コートを離れると、そこらへんのおばさんと同じでお口が休むことはない。女性のお口は、お喋りかお食事かのためにのみ存在するのか?そんな私の考えを見透かされたか、お隣の60歳代後半ベテラン選手は、小さな声で「そうよ、わたなべさん・・・女ですもの・・・」と囁いた。

 本日の練習は、最近どこのチームにも紹介している「三角パス:トライアングルPASS」を行った。その後は、試合が近いというのでゲーム形式でのウオッシュ(魚っ酒ではない。2,3点連続して決めなければ点数が入らないシステム)トレーニングを行った。このトレーニングは集中力と忍耐力を養うには良いトレーニングだ。

 練習後に遅い昼食にメンバー中の10名と行った。ここでは、お喋りと僅かな食事だけで延々2時間近く間断なく続く。私がウトウト寝かけると「ね、そうでしょ!わたなべ先生!」と声をかけてくる。今度は、私が忍耐力を養う番だ。

(昨年12月の三郷ママ忘年会に招待された時のスナップ。物言わぬ写真の女性達は、みんな可愛いです)

2012年4月5日木曜日

4/5(木) 名指導者の引退



 昼過ぎにJR水道橋駅改札口に12:30で東洋高校男子バレーボール部監督の北畠先生と待ち合わせた。律義でまじめな先生は、時間通り現れた。春高バレー以来3カ月ぶりに会う先生は、少しやつれていた。先生は数年前からある病気を患い、毎週病院に通う身となった。しかし、子供たちへの熱い愛情は、私が先生と知り合った33年前と変わらない。それどころかコーチから監督になって16年程になるであろうか、ますます生徒一人一人に寄り添って指導する姿を多く見るようになった。

 改札口に現れた先生の脇にスポーツウエアの40歳代の男性が付き添っていた。東洋高校バレー部の出身で息子が今年入学するとのことであった。確かに、ここ2、3年前から卒業生の子供たちが入学するようになってきた。時代は変わりつつある。

 ランチは東京ドームが近くにある本格的なカツ屋さんで採った。私は少しビールを頂いた。先生は、57歳であるが、一度退職して、この4月からバレー部だけコーチとして面倒をみるとい言うことだ。東洋は過去に国体、春高バレーのタイトルを取っている。残るはインターハイ優勝だ。北畠先生、今度はコーチとしての手腕を存分に発揮して頂きたい。

 食後は、3月に多忙で行けなかった茅場町にある床屋さんに行った。あいにく、私の担当の職人さんは休みでいなかったが、1ヶ月半ぶりに髪をカットして頂いた。さっぱりした頭で御茶ノ水に行き、アテネフランセに行った。さ来週から、また英会話の学習を週3日、3ヶ月間、再開するためである。受講者の英語力レベルに応じてクラスが分けられるためにレベルテストを受けた。結果は6段階で3レベルでTOEICだと400~500点、英語検定だと準2級レベルらしい。間違って、良い点数を取ったかもしれないし、余裕を持って授業を受けるためにも、1段階下げて2レベルで授業を受けることにした。

(画像は、床屋さんに向かう途中でみかけた桜の木。江戸の町を水路のように流れていた川の一つに掛かる霊岸橋の欄干まで伸びた7分咲きの桜である。明日から週末は江戸の町は花見客でにぎわうことであろう)

2012年4月4日水曜日

4/4(水) 「ソフトバレーボールの本」校正終了



 きょうは、自宅の近くのJR西船橋駅構内にある喫茶店で編集者と会った。いよいよ最終校正で、この後の修正はほとんどできない。内容の90%以上を執筆させていただいたが、画像、説明文は自己評価で80点。画像を撮り損ねたところとか練習内容・方法にもうひと工夫したかったところとかあったが、出版期限があるため、今回は80点のままで出版する。あと10数点は、1万部以上売れれば、改訂版が出せるそうなので、その時にやらせていただけるということだ。

 しかし、趣味スポーツの分野で1万部出れば、ベストまで行かなくともベターセラーになるらしい。改訂版では、短時間で上手になる練習内容・方法を沢山紹介しようと思う。また、練習方法を考えるヒントやコーチング時のコツなどを載せていきたいと思う。

 午後になって、電話で今後の予定を出版社と打ち合わせをした後、今回のモデルになって頂いた東京都ソフト連盟に所属する墨田区の「ジール」さんに連絡した。リーダーの一人である小林さんからの報告で、最近出場した関東の強豪チーム(ソフトバレー大好き人間達)が集まった千葉県での招待試合で初優勝したことがわかった。

 撮影でモデルになってプレーしているうちに、ソフトバレーに対する仲間の意識、取り組む姿勢がどんどん変化して行ったということだ。小林さんは、この本のお陰で上手くなったと宣伝します、と言ってくれたが、実は逆で、ジールさん達のお陰で本に付加価値が付いていくのだ。

 ジールというチームは、勝って奢らず、負けて相手を心より讃える、まさにソフトバレーチームのお手本のようなチームである。時には、男性が勝ちにこだわり過ぎるときもあるが、そのときは怖いお姉さま達がビシッと窘(たしな)める。男女混合のスポーツは、こういうところが良い。

 明日は、高校男子バレー界の名門東洋高校の監督をこの3月で勇退された北畠先生と久しぶりに昼食を一緒にしようと約束している。
(画像は、内容の一部。この画像がそのまま採用されるかどうかわからないが、まあこんな感じだ。本邦初めての本格的なソフトバレーを楽しむ本の発売はもうすぐ)



  

4/3(火) なんだこの嵐は?

今夜のソフトバレーの練習は、メンバーに中止の旨の伝達をした。自転車で練習会場に来ているメンバーも多いので、危険を避ける意味で中止にした。
 それにしても、台風みたいな強風だ!ベランダの植木鉢も一部倒れたりした。TVのニュースでは亡くなった方も数人出たことを報じている。
 さて、私の日常が安定してきた。3月の土日は、バレー関係の協会、連盟、委員会の会合や講習会が連続して入って、毎年のことだがバタバタした。
 4月に入って朝の時間にゆとりが出てきた。と、思いきや、妻から「であるならば、パパ、お洗濯して、それを干して、月水金はゴミを捨てて・・・」とあれこれ主夫の仕事が回ってきた。妻の長時間のお顔の壁塗りの間に、私は甲斐甲斐しく狭いマンションの部屋を行き来している。そのうち「パパ、今晩の食事の用意も宜しくね」と言われかねない。幸い、4月から7月までは英会話教室に週3日通うので、主夫の仕事もこれ以上は増えないと思っているのであるが・・・。

2012年4月3日火曜日

4/2(月) 東京都ソフトバレーボール連盟理事会へ

東京都ソフト連盟の総会が今月25日(水)開催される。今夜は、そのための事前確認のために理事が集まった。私も3カ月ぶりに出席した。私は、千葉県バレーボール協会の常任理事をやっているので、東京都のバレー団体の主要な役員に着くことは遠慮している。代わりに、「常任相談役」という肩書を頂いて、連盟運営に携わっている。
 この日は、ずいぶんと発言させていただいた。会社の方も定年退社したことで、舌禍で会社に迷惑をかけることもなくなった。思っていることをズバズバと言わせていただいた。勿論、言ったからには自分が行動で示さなければならない。
 我々は、非営利団体である。しかしながら、運営だけやっていればよいというものではない。連盟の経営もやらなければならない。損益分岐点という発想も必要だ。また喫緊の課題の1つに、役員の活性化が挙げられる。今の役員が自己を活性化できなければ、次に続く若手の役員を育成しなくてはならない。組織は、今のままでいいんだ、という考え方では発展はない。大志を持っているか。使命感を持っているか。
 たかが東京都連盟、しかしそのたかが連盟に信頼と期待を寄せていただいている40程のクラブの存在がある。やることは沢山ある。英知を出し合えば道は更に開ける。

2012年4月2日月曜日

4/1(日) V・V1入れ替え戦を観戦

入れ替え戦を見に行ったのは、10年振りぐらいであろうか。会場は神奈川県大和市体育館。受付では顔なじみの大和市家庭婦人連盟会長の三月さんが、いつもの笑顔で出迎えてくれた。大和市協会会長の萩原さんには役員席の一番良い席に案内して頂き恐縮した。
 会場に来たの目的は2つ。1つは女子の入れ替え戦の戦い方を確認すること。もう1つは前大和南高校女子バレー部監督の飯塚先生にお会いすること。
 入れ替え戦のほうは、Vプレミア勢が残留。日立佐和のエースで全日本のエースでもある江畑選手は大活躍した。気になったのは、彼女には、サーブレシーブ(reception)をまったくやらせていない。これは彼女にバックアタックをやらせるための策なのであろう。実際、バックアタックは両チーム通じて一番多い。しかし、全日本での彼女のポジションは、サイドアタッカーとサーブレシーブをリベロと一緒に行うポジションだ。日立でのポジションでは、オポジット(昔のスーパーエース)のようなものだ。つまり、全日本でのポジションとの連携はどうなっているのかなと素朴な疑問が湧いた。
 上尾対トヨタ車体は、もっと接戦になると思っていたが0-3であっけなく終わった。V1の試合では、有田(NECから移籍)が大活躍していたのに、この日はベンチにいなかった。上尾の監督の吉田さんは少し痩せたように見えた。
 女子のゲームが終わって、遅い昼食を飯塚先生と先生の教え子3人(1人は藤沢高校時代の、2人は大和南の卒業生で現在大学4年生)と一緒に大和駅前のとんかつ屋さんで採った。お互いに3カ月間会っていなかった空白を情報交換で埋めた。

3/31(土) 新潟県高校女子バレー部 3日目





 何事も「3」という数字は大事だ。「桃栗三年、柿・・・」「石の上にも三年」。バレーのボールも3回以内で返さなければならない。3秒、3分、3時間、3日、3回で効果が出てくる。レシーブ練習などで1回やらせて、直ぐ次の選手と交代させる練習方法を私はとらない。同じ選手が3回連続やった方が、脳に残る。1回目は失敗する。2回目に工夫して、できかかる。3回目にできるようになってくる。1回目が成功すれば、それはまぐれかもしれないので、2回目で同じようにやって復習してみる。3回目で確立する。 

 ということで、高校合宿も今日が3日目。効果が出てくるころだ。初日から対人パスは3人での三角パス(トライアングルパス)に変えた。左右に角度を付けてパス練習を行うことで、パス力は向上する。ゲーム時は、ほとんど角度を付けてパスをやっているのだから、もっと三角パスをやるべきではないか。

 本日は、新潟大学に行って、新潟大学の女子バレー部員と合同練習ということになった。キャンパスは、さすがに旧国立一期校だけあって広い。私が高校生の頃、受験したかった大学の1つである。

 最初に、アップとして、全員を1/2にしてコート上に入れて、ボール2個を使ってゲームを行った。サーブは利き手と反対側の手で打つルールにした。ボール2個使うことで、視野を広げ、声を出さざるを得なくなる。初めはすましていた大学生も徐々に熱くなってきた。その後、基本練習から応用練習と進んでいて、後半は4-4のミニゲームと6-6のゲーム。6-6のゲームではウオッシュゲームを行った。2回~3回連続で得点しないと得点が入らないシステムのゲーム練習で、集中力と根気が養われる良い練習である。

(画像は、新潟中央の高校生と新潟大学の学生達。ご父兄の方からお土産に名酒『八海山』を頂き、5月の合宿までお別れした)

3/30(金) 新潟県高校女子バレー 2日目



 本日の午前中は、体力測定。まずは、高校生達に体力測定の必要性を説明。基礎は、体力。体力の中に筋力、敏捷性、持久力、柔軟性、バランス力などがある。その基礎体力の上に基本技術があり、更にその上に戦術、そして戦略があり、目標があるということを説明。

 体力測定を行い、チームとして個人としての強み弱みを把握して鍛えることで、基礎を山の裾野に例えれば、頂上の目標は高くなる。体力作りは、年間を通じて行うべきと考えている。今回のデータを元に、メニューを作り、また3ヶ月後に測定する。私の仕事がまた増えることになるが、トレーニング理論の復習にもなるので丁度良い。ついでに、日本体育協会のプログラマー資格取得にも挑戦しようと考えている。

 午後からは、基本中の基本の技術をコーディネーショントレーニングでみっちりと指導。特に高校生達に口酸っぱく言ったのは、「レシーブ=トス」であるということ。例えば、フェイントを拾う場合、コートの中央の方に上げて、2段トスにしてつなぐだけでなく、そのフェイントボールの処理がバックアタックのトスになるようにネット上端よりアンテナの高さ分高くあげるということ。相手のサーブがチャンスであったら、サーブレシーブを直ぐにサイドのアタッカーやバックアタッカーにトスするということ。

 セッターの手からボールが離れて0.3秒内にスパイクするという意味で速さを求めている指導者もいるが、リズムでも速さを求めることはできる。これらは、私が9人制女子バレーの名門「石川島播磨重工業:IHI」チーム監督の石野さんから教えて頂いたこと。オーバーハンドでのスパイクレシーブも9人制から学んだ。

 我々は、日本の9人制からまだまだ学ぶことが多い。

(画像は、データ集計の為の個人データ用紙。新1年生の入部してくる4月の1カ月は「サーキットトレーニング」で全身の基礎体力をバランス良く鍛えていく。眼に見えないところの地味なトレーニングが、バレーでも生活でも、実は大事なんだということを高校生達にわかって欲しい。さあ、北信越インターハイベスト8を目標にがんばろう!)

2012年4月1日日曜日

3/29(木) 新潟の高校女子バレーボールが熱くなってきた

東京駅発9:10の新幹線はノンストップで新潟に行く。所有時間、わずか1時間20。県立新潟中央高校女子バレーボール部の春季合宿にお邪魔した。一月の県新人戦で初優勝を成し遂げ、その後の成長ぶりを確認し、今後の対策を監督とともに練るというのが今回の使命である。
先ずは、何はともあれ、腹ごしらえとばかり、監督行きつけのラーメン屋でチャーシューたっぷり入ったラーメンを頂いた。
午後からの練習は、コーディネーショントレーニングで基本的なステッピングを説明し、後半は3対3のミニゲームを行った。
夕方、学校の近くにある小さな昔ながらの銭湯に入った。お客さんは、近所のお馴染みさんだけらしく、皆が高齢者であった。我々が番台で入湯料を払う時に、その場にいた三、四人の先客は、我々を見て「変な奴らが来おったわい」というような表情をちょっとみせた。湯船は、熱湯そのもので、手を入れただけで、アチー!と退いた。高齢先輩諸氏は、「最近の若い奴らは、なっとらん」とばかりに、平気な顔で熱湯の中に首まで浸かり、皺を伸ばしていた。
夕食を近くの赤ちょうちんで済ませたが、子持ちタコの珍味を頂いた。めったに獲れないものだそうだ。
明日は、体力測定を行なう。